今年もあとわずかです。
不思議な事を思い浮かべました。
それは、後僅かではありますが未来です。つまりこれからの事ですから時間に限定
を付けるという人間の概念は不思議だなと思った訳です。
宇宙の始まりから考えると過去を振り返る事は何ら不思議ではないのですが未来に
時間を付ける概念に不思議さを感じるのは私だけでしょうか?
過去を検証できる事は勿論理解できるのですが未来を測る事は結果的には過去を
振り返った事にしかならないような気がしてきたのです。
今でも宇宙のどこかで惑星が生まれ、そして爆発を起こしている訳ですが元々は
以前にも書いたかもしれませんが素粒子という極微細な物な訳で、それが地球を
何倍にもしたような惑星や物体になっていき、さら変化をしている訳です。
それを考えると前述した『今年も後僅かです』という言葉が不思議な訳です。
壮大な宇宙の営みの中の一つに『今年も後僅かです』という事象が入ってくるのかと
思うと人間の思考と言おうか創造性は物作りという意味ではなく凄いなと思います。
正確に言うと未来に確約されている事は何もないのですが、人間の思考の中である
程度の事が実際に起きて事象が進むという事はものすごい事で、それを日常として
すごしている事を考えると人類の頭の中は宇宙の奇跡と言っても過言ではない様な
気がします。
その延長で考えると人間の想像することはその奇跡の上にあるので、裏返して言う
とその中でどんな事を考えだしたとしても大したことではないのだろうと思います。
つまり、人類として存在し、近未来とはいえその想像がつく事自体が凄い事なのです
からそれ以上の事は取るに足らない事なのかもしれません。
エジソンにしてもホ―キンス博士にしても歴史の偉大な人々にしても超奇跡の上で
の事ですから、大した事がないのかもしれません。
とりとめもなくなりましたが、『今年も後僅かです』という事自体が実はすごい事なの
かもしれない、なんて年末に考える事では無いかもしれませんが・・・。
あまり深くはとらないでくださいね。漠然と思っただけですから。
それでは来年は良い年でありますように・・・。
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2011年12月30日金曜日
2011年12月26日月曜日
価値
クリスマス・イブの土曜日の昼下がり、颯爽とドアを開け店内に入ってきたのは
時々このブログでも登場する女流建築士の友人である。
『先日、展示会で見つけておいたペンダントを見に来ました』
今月の初旬に取引先の展示会に案内をして気に入っていた物をお取りし、改めて
見てみたいと来店をされた訳です。
『どうですか?髙木さん』
『いつもと雰囲気は違うかもしれないね』
とその際に同行をしなかった私が答えると
『デザインが変わっていて良いかなと思ったんですけどね』
『改めてみてみるとやはり、一つ石の方が良いかもしれないなぁ~』
とつぶやくと
『ところで、今回家の改装をしているんですけど、片づけていたら今まで買った
洋服についてくる予備のボタンがなんと靴箱の2つ分になっていたのよ』
『それはすごいね。それって何着分くらいなの?』
『数百着分にはなるわ』
『それはすごいね』
『そっこで私は考えたの。ストレス発散もあって買ったんだけれど着ていない物も
含めて、置く場所とか考えるとダイアモンドのコストパフォーマンスはすごい。』
『随分飛躍したね』
『いや飛躍じゃあないと思うわ。だって流行もないし、ずーっと使っている事が
出来るし、しまうのに場所はとらないし、後で造り変えだって出来るでしょ』
『確かにそうだけど、着るものも大事だからね』
『勿論そうですよ。でも娘にもあげる事が出来るし、いざとなったら価格は解らない
けど、売ることもできるでしょ。勿論売るつもりはないけど絶体的に価値があるわ』
『そう言ってもらえるとうれしいね。本来の価値を理解しているとお金を使うのだっ
ら何に使うかという事を頭において使うと良いからね』
『そうなんですよ。ストレス解消にお金を使うんだったら絶対にダイアモンドがいい
と思う。だって後悔がないから・・。』
『今まで使ったお金は相当になるなぁ~て、ボタンを見ながら考えていたら、ホント
に無駄遣いをしたな~と思いますよ。』
経験やキッカケで価値観が変わってくる事はままある事ですが価値が変わらない
物に価値を見出す事が成長なのかな・・と思いながら彼女の話を聞いていました。
価格を下げずに価値をあげる事は供給者が心掛けなければならない基本では
ありますが、消費者も経験を経る事により価値を理解し、価格を理解するという事
は市場や経済を潤滑に回る為には必要不可欠な条件である事を彼女の会話に
より大げさではありますが改めて感じた次第です。
価格を下げて市場を独占すれば結果的に勝利といった現代のグローバル経済の
まやかしにそろそろ社会も気がついても良い時なのかもしれない。グローバル経済
に向かっての規制緩和というものについては多くの経済学者も反省をしている現在
でもあります。
一人の勝利のために他の犠牲者はやむ得ないといった経済は決して健全ではあ
りません。未だにマーケットに支配率を目指す経済書を書いている若い経済エコノミ
ストもいますが内容を見てもあまりにも稚拙で出版社も良く出したものだと考えます。
価値を損なう市場理論はある部分では正解でしょうが全てではなくジャンルによっ
てへは市場原理が本来の価値を失わせることもあるのではないかと憂うこともあり
ます。
価値を守ることは価値を理解することから始まり、価値を守るためには市場原理
に身を任せるでけではだめだという事でしょう。
時々このブログでも登場する女流建築士の友人である。
『先日、展示会で見つけておいたペンダントを見に来ました』
今月の初旬に取引先の展示会に案内をして気に入っていた物をお取りし、改めて
見てみたいと来店をされた訳です。
『どうですか?髙木さん』
『いつもと雰囲気は違うかもしれないね』
とその際に同行をしなかった私が答えると
『デザインが変わっていて良いかなと思ったんですけどね』
『改めてみてみるとやはり、一つ石の方が良いかもしれないなぁ~』
とつぶやくと
『ところで、今回家の改装をしているんですけど、片づけていたら今まで買った
洋服についてくる予備のボタンがなんと靴箱の2つ分になっていたのよ』
『それはすごいね。それって何着分くらいなの?』
『数百着分にはなるわ』
『それはすごいね』
『そっこで私は考えたの。ストレス発散もあって買ったんだけれど着ていない物も
含めて、置く場所とか考えるとダイアモンドのコストパフォーマンスはすごい。』
『随分飛躍したね』
『いや飛躍じゃあないと思うわ。だって流行もないし、ずーっと使っている事が
出来るし、しまうのに場所はとらないし、後で造り変えだって出来るでしょ』
『確かにそうだけど、着るものも大事だからね』
『勿論そうですよ。でも娘にもあげる事が出来るし、いざとなったら価格は解らない
けど、売ることもできるでしょ。勿論売るつもりはないけど絶体的に価値があるわ』
『そう言ってもらえるとうれしいね。本来の価値を理解しているとお金を使うのだっ
ら何に使うかという事を頭において使うと良いからね』
『そうなんですよ。ストレス解消にお金を使うんだったら絶対にダイアモンドがいい
と思う。だって後悔がないから・・。』
『今まで使ったお金は相当になるなぁ~て、ボタンを見ながら考えていたら、ホント
に無駄遣いをしたな~と思いますよ。』
経験やキッカケで価値観が変わってくる事はままある事ですが価値が変わらない
物に価値を見出す事が成長なのかな・・と思いながら彼女の話を聞いていました。
価格を下げずに価値をあげる事は供給者が心掛けなければならない基本では
ありますが、消費者も経験を経る事により価値を理解し、価格を理解するという事
は市場や経済を潤滑に回る為には必要不可欠な条件である事を彼女の会話に
より大げさではありますが改めて感じた次第です。
価格を下げて市場を独占すれば結果的に勝利といった現代のグローバル経済の
まやかしにそろそろ社会も気がついても良い時なのかもしれない。グローバル経済
に向かっての規制緩和というものについては多くの経済学者も反省をしている現在
でもあります。
一人の勝利のために他の犠牲者はやむ得ないといった経済は決して健全ではあ
りません。未だにマーケットに支配率を目指す経済書を書いている若い経済エコノミ
ストもいますが内容を見てもあまりにも稚拙で出版社も良く出したものだと考えます。
価値を損なう市場理論はある部分では正解でしょうが全てではなくジャンルによっ
てへは市場原理が本来の価値を失わせることもあるのではないかと憂うこともあり
ます。
価値を守ることは価値を理解することから始まり、価値を守るためには市場原理
に身を任せるでけではだめだという事でしょう。
2011年12月24日土曜日
ダイアモンドの美しさ!?
今夜はクリスマス・イブであります。
やはり、クリスマス寒波は効きますね。
但し、お店のディスプレーや街中のイルミネーションは綺麗にはえて
美しいですね。ところでダイアモンドですがやはり美しく照明に輝いております。
『ダイアモンドの美しさは感じるもので考えるものではない』という事を云う人もいますが、確かにダイアモンドは人々の心を育てるものであり、人によって美しくは見え無いというものではないと思います。
『美人の貴女、安心しなさい。皆が貴女を美人と思っている訳ではありません』とい
う事が一般的な人間社会ではありますが、ダイアモンドは皆が美しいと思うもので
あります。
つまり、ダイアモンドの美しさは心で見ているのです。
子供たち大半がサンタクロースの存在を信じているのはみているのではなく、感じているのと同じなのです。
教訓
『目に見える物が感情を支配するが、直感がそれを否定するときがある。』
直感を信じましょう。
さあ~ッ、今夜はサンタクロースが子ども達の前に現れるのかな?
ダイアモンドは目に見えるサンタクロースなのですよ。素直にながめてみましょう。
『メリー・クリスマス!!』
やはり、クリスマス寒波は効きますね。
但し、お店のディスプレーや街中のイルミネーションは綺麗にはえて
美しいですね。ところでダイアモンドですがやはり美しく照明に輝いております。
『ダイアモンドの美しさは感じるもので考えるものではない』という事を云う人もいますが、確かにダイアモンドは人々の心を育てるものであり、人によって美しくは見え無いというものではないと思います。
『美人の貴女、安心しなさい。皆が貴女を美人と思っている訳ではありません』とい
う事が一般的な人間社会ではありますが、ダイアモンドは皆が美しいと思うもので
あります。
つまり、ダイアモンドの美しさは心で見ているのです。
子供たち大半がサンタクロースの存在を信じているのはみているのではなく、感じているのと同じなのです。
教訓
『目に見える物が感情を支配するが、直感がそれを否定するときがある。』
直感を信じましょう。
さあ~ッ、今夜はサンタクロースが子ども達の前に現れるのかな?
ダイアモンドは目に見えるサンタクロースなのですよ。素直にながめてみましょう。
『メリー・クリスマス!!』
2011年12月19日月曜日
ダイアモンドの旅立ち!?
先日、たまたま派遣会社の社長とお話をする機会があり、この会社で派遣をして
いる宝飾関連の派遣社員に関するセミナーを行ってほしいとのことでした。
最近、展示会等で私自身も経験していますが、ダイアモンドに関する知識が豊富
な消費者が増えている事が気になっているという事もあるようです。
『実は、先ほど友人からメールがあり、そちらの会場にタイプⅡのダイアモンドは
ありますかと問い合わせがあったのですがどうでしょうか?』
展示会場にいた私のところに来てそう尋ねたのは熟年の紳士でした。何でもダイ
モンド好きの仲間が集まってメール上でやり取りをして其々の行った会場の情報を
やり取りしているのだという事です。
そのほかにも知っているだけでファンシーカラーのダイアモンドだけを集めて互い
に見せ合う会を模様しているとか、今までとは違った観点でダイアモンドに興味を
持ってきた人々が現れた事は私自身は歓迎をします。
現代の日本においてはジュエリーの世界だけでのダイアモンドという価値で市場が
形成をされてきたので市場ではあらゆるトラブルが起きる原因となってきました。
ダイアモンドの本来の価値については以前からブログでも述べてきているので此
の場では簡略をするとして、さらに価値観としても現代においては変化が現れてき
ている点に注目をしています。
前述のようにダイアモンドを趣味の世界で見ている人や、財産の保全として考え
ている人、工業用素材の一つとして考え、物理的見地から興味を持っている人と
勿論宝飾品として憧れている人、そしてその中でも単なるブライダルの儀式用品
と考えている人と挙げればきりがないほど多角的用途と言ってよいのかあります。
自身でも挙げていて、そういえば随分と色々な見方があるなと驚いていますが
それだけ現代においてはダイアモンドの見方が色々なのでしょう。
まさに過去の日本独自の4Cや価格競争を基本とした文化に別れを告げ、本来
ダイアモンドの価値へと旅立つ瞬間に立ち会っているような気がしており、正に長年
自身が頭から離れずにいた事が現実になってきた実感があるのです。
本当は心の底から4Cのまやかしをぶちまけたい心境を抑え、誤った知識を並べ
立てている街中の宝石店をどれだけ諌めたいと思ってきた事だろうか。しかし、私
自身も業界にいてトラブルを起こそうと思っている訳でもないし、現実に本当のプロ
達は今の状況を良いとは考えていない訳で時間が必要である事は認識をしていま
したから其々の範疇で少しづつ変えたいと思っていた事も事実です。
私自身も自ら店舗の運営に関わる事になり、また川下である小売の場に居合わ
せる機会も頂き、それなりの啓蒙の活動を続けています。
そんな中の冒頭のような市場の変化は真に心強い訳でありますが、今後益々
ダイアモンドの本来の価値を広げていけるよう微力ではありますが努力をしたい
と思っている訳です。まさにダイアモンドの夜明けは間近なのだと期待しております。
いる宝飾関連の派遣社員に関するセミナーを行ってほしいとのことでした。
最近、展示会等で私自身も経験していますが、ダイアモンドに関する知識が豊富
な消費者が増えている事が気になっているという事もあるようです。
『実は、先ほど友人からメールがあり、そちらの会場にタイプⅡのダイアモンドは
ありますかと問い合わせがあったのですがどうでしょうか?』
展示会場にいた私のところに来てそう尋ねたのは熟年の紳士でした。何でもダイ
モンド好きの仲間が集まってメール上でやり取りをして其々の行った会場の情報を
やり取りしているのだという事です。
そのほかにも知っているだけでファンシーカラーのダイアモンドだけを集めて互い
に見せ合う会を模様しているとか、今までとは違った観点でダイアモンドに興味を
持ってきた人々が現れた事は私自身は歓迎をします。
現代の日本においてはジュエリーの世界だけでのダイアモンドという価値で市場が
形成をされてきたので市場ではあらゆるトラブルが起きる原因となってきました。
ダイアモンドの本来の価値については以前からブログでも述べてきているので此
の場では簡略をするとして、さらに価値観としても現代においては変化が現れてき
ている点に注目をしています。
前述のようにダイアモンドを趣味の世界で見ている人や、財産の保全として考え
ている人、工業用素材の一つとして考え、物理的見地から興味を持っている人と
勿論宝飾品として憧れている人、そしてその中でも単なるブライダルの儀式用品
と考えている人と挙げればきりがないほど多角的用途と言ってよいのかあります。
自身でも挙げていて、そういえば随分と色々な見方があるなと驚いていますが
それだけ現代においてはダイアモンドの見方が色々なのでしょう。
まさに過去の日本独自の4Cや価格競争を基本とした文化に別れを告げ、本来
ダイアモンドの価値へと旅立つ瞬間に立ち会っているような気がしており、正に長年
自身が頭から離れずにいた事が現実になってきた実感があるのです。
本当は心の底から4Cのまやかしをぶちまけたい心境を抑え、誤った知識を並べ
立てている街中の宝石店をどれだけ諌めたいと思ってきた事だろうか。しかし、私
自身も業界にいてトラブルを起こそうと思っている訳でもないし、現実に本当のプロ
達は今の状況を良いとは考えていない訳で時間が必要である事は認識をしていま
したから其々の範疇で少しづつ変えたいと思っていた事も事実です。
私自身も自ら店舗の運営に関わる事になり、また川下である小売の場に居合わ
せる機会も頂き、それなりの啓蒙の活動を続けています。
そんな中の冒頭のような市場の変化は真に心強い訳でありますが、今後益々
ダイアモンドの本来の価値を広げていけるよう微力ではありますが努力をしたい
と思っている訳です。まさにダイアモンドの夜明けは間近なのだと期待しております。
2011年12月14日水曜日
ダイアモンドの美しさ
時々ずいぶん長い間ダイアモンドを見てきたなぁ~・・とつくづく思う事があります。
それは何故にダイアモンドは人々を魅了するのかなぁ・・・と思ったり、どこにその
魅力があるのだろうと思いますが・・・・。
美しいだけならほかにも沢山の物があり、決してダイアモンドだけではないと思い
ます。自身がダイアモンドのビジネスをしながら思うのはおかしいかもしれませんが
美しいプラスそこには最も古いかもしれない美しさ(勿論人類にとってだけですが)
がそこにはあり、そこの部分に私達は価値を感じ、価値があればそこにビジネスが
生まれるのは当たり前と言えば、当り前ですが・・。
以前はダイアモンドの美しさを表すものとしてブリリアンシー、ディスパージョン、
シンティレーションという言葉がありました。これはスペクトル効果と白色光、煌き
を現した言葉ですが、現在はファイアー、ブライトネス、シンティレーションという風に
言い換えあられていますが、いずれにしても私達がダイアモンドに美しさを感じる
要素ではある訳です。
未だに答えの出ない疑問に対して冒頭の感慨にふける事が良くある訳です。
答えをあえて探すなら人間が自然界で培われた(これは環境や状況に関わらず)
美に対する基本的な感じ方の原点にダイアモンドはあるのかなと思います。
それは有機的な美しさというものは常に変化しますが無機的な美しさというのは
不変的に存在し、その頂点にあるのがダイアモンドの様な美しさであり、不変が故
に歴史上どの時点でも人間はそれを感じる訳ですから人類にとっての恒常的な美
となる訳です。
つまり、理屈ではなく人類のDNAに刷り込まれてきた美しさであり、ダイアモンド
その物は美という環境なのかもしれんせん。それゆえに歴史を引き継いだり、歴史
を伝える媒体としての役割を担ってきたのかもしれません。
ダイアモンドの美しさはやはり人間の心境や状況で変化する感じる美しさではなく
身体に刷り込まれている感覚としての美なのでしょう。空気や水と同じなのかもしれ
ません。
それは何故にダイアモンドは人々を魅了するのかなぁ・・・と思ったり、どこにその
魅力があるのだろうと思いますが・・・・。
美しいだけならほかにも沢山の物があり、決してダイアモンドだけではないと思い
ます。自身がダイアモンドのビジネスをしながら思うのはおかしいかもしれませんが
美しいプラスそこには最も古いかもしれない美しさ(勿論人類にとってだけですが)
がそこにはあり、そこの部分に私達は価値を感じ、価値があればそこにビジネスが
生まれるのは当たり前と言えば、当り前ですが・・。
以前はダイアモンドの美しさを表すものとしてブリリアンシー、ディスパージョン、
シンティレーションという言葉がありました。これはスペクトル効果と白色光、煌き
を現した言葉ですが、現在はファイアー、ブライトネス、シンティレーションという風に
言い換えあられていますが、いずれにしても私達がダイアモンドに美しさを感じる
要素ではある訳です。
未だに答えの出ない疑問に対して冒頭の感慨にふける事が良くある訳です。
答えをあえて探すなら人間が自然界で培われた(これは環境や状況に関わらず)
美に対する基本的な感じ方の原点にダイアモンドはあるのかなと思います。
それは有機的な美しさというものは常に変化しますが無機的な美しさというのは
不変的に存在し、その頂点にあるのがダイアモンドの様な美しさであり、不変が故
に歴史上どの時点でも人間はそれを感じる訳ですから人類にとっての恒常的な美
となる訳です。
つまり、理屈ではなく人類のDNAに刷り込まれてきた美しさであり、ダイアモンド
その物は美という環境なのかもしれんせん。それゆえに歴史を引き継いだり、歴史
を伝える媒体としての役割を担ってきたのかもしれません。
ダイアモンドの美しさはやはり人間の心境や状況で変化する感じる美しさではなく
身体に刷り込まれている感覚としての美なのでしょう。空気や水と同じなのかもしれ
ません。
2011年12月9日金曜日
オークション。
毎年12月になると、以前店内で行っていたチャリティーオークションを思い浮かべ
ます。昨年、今年と時間の都合もあり他の方法で活動をさせて頂くようになりましたが。
オークションで心に残っている事をこの時期になると思いだします。
それは5年前の事です。
オークションに参加をした青年2名がダイアモンドのブレスレットを競り合い、一方
の青年が落札をした時の事です。
『良かった。どうしてもこのオークションでの品物を手に入れたかったんですよ』
このオークションはタイのHIVキャリアーで母子感染をした子供たちの支援の為の
もので売上金は全額『バーンロムサイ』というこの施設に寄付をされます。
『実は先週末に娘が生まれまして、このブレスレットをその思い出にしたいと思って
今した。』と感慨深げに手に入れたブラスレットを眺め
『このブレスレットはまずは妻にありがとうの意味を込めてしてもらい、将来的に
生まれた娘に、このような子供の為のオークションでお前の事を考えながら手に入
れたものだよ。と話した上で妻から娘にバトンタッチしてもらいたいんですよね。』
『ダイアモンドのようなものでなければそうは出来ないですよね』
と言葉をつなぎながら話していた事を思い出します。
一方の青年は婚約者にクリスマスプレゼントとして是非思い出に手に入れたかった
と言っていましたが、実はこの二人は同僚で一方の思い入れを理解して
『プレゼントはほかの物にします。彼の方が時間を超えて娘にメッセージを伝え
たいという気持ちが強いし、それを理解できますからね。』
結局その青年も婚約者に指輪を購入し、クリスマスプレゼントにしました。
もう一つのストーリーは同じオークションでの事ですが、ある女性がダイアモンドの
パヴェ留め(小さなダイアモンドを沢山留めた物)の指輪を競り合いの中で落札され
ました。
その指輪は大変品のある美しいものでしたが彼女の落札した時のコメントが心に
残っています。
『タイの施設の子供たちは30人なんでしょ・・・。』
この一言は後日彼女のトークショーの中で語られた想いに表れています。
『この指輪は先日、自由が丘のマダムジェイというお店で行われたオークションで
手に入れたものなんです。此処には施設の子供たちの数と同じ30個のダイアが
留められているいんです。とても思いれが出来た指輪なので大事にしていこうと思っ
ています。』
彼女は女優という仕事柄、色々な役をこなす中で私自身が感じる最も彼女らしい
一面の様な気がします。
本来であれば名前の公表はまずいのかもしれませんが、あえて公表させていた
だきますがその女性の名前は『飯島直子』さんです。
彼女はボランティアで色々なチャリティーにも参加をし、等身大で色々なお手伝い
をなさっています。
この時期になるといつも思い出す事ではありますが、いつも心が温まりダイアモン
ドが作り出す物語を通してもっとその役割を広めていかなければと考える訳です。
ます。昨年、今年と時間の都合もあり他の方法で活動をさせて頂くようになりましたが。
オークションで心に残っている事をこの時期になると思いだします。
それは5年前の事です。
オークションに参加をした青年2名がダイアモンドのブレスレットを競り合い、一方
の青年が落札をした時の事です。
『良かった。どうしてもこのオークションでの品物を手に入れたかったんですよ』
このオークションはタイのHIVキャリアーで母子感染をした子供たちの支援の為の
もので売上金は全額『バーンロムサイ』というこの施設に寄付をされます。
『実は先週末に娘が生まれまして、このブレスレットをその思い出にしたいと思って
今した。』と感慨深げに手に入れたブラスレットを眺め
『このブレスレットはまずは妻にありがとうの意味を込めてしてもらい、将来的に
生まれた娘に、このような子供の為のオークションでお前の事を考えながら手に入
れたものだよ。と話した上で妻から娘にバトンタッチしてもらいたいんですよね。』
『ダイアモンドのようなものでなければそうは出来ないですよね』
と言葉をつなぎながら話していた事を思い出します。
一方の青年は婚約者にクリスマスプレゼントとして是非思い出に手に入れたかった
と言っていましたが、実はこの二人は同僚で一方の思い入れを理解して
『プレゼントはほかの物にします。彼の方が時間を超えて娘にメッセージを伝え
たいという気持ちが強いし、それを理解できますからね。』
結局その青年も婚約者に指輪を購入し、クリスマスプレゼントにしました。
もう一つのストーリーは同じオークションでの事ですが、ある女性がダイアモンドの
パヴェ留め(小さなダイアモンドを沢山留めた物)の指輪を競り合いの中で落札され
ました。
その指輪は大変品のある美しいものでしたが彼女の落札した時のコメントが心に
残っています。
『タイの施設の子供たちは30人なんでしょ・・・。』
この一言は後日彼女のトークショーの中で語られた想いに表れています。
『この指輪は先日、自由が丘のマダムジェイというお店で行われたオークションで
手に入れたものなんです。此処には施設の子供たちの数と同じ30個のダイアが
留められているいんです。とても思いれが出来た指輪なので大事にしていこうと思っ
ています。』
彼女は女優という仕事柄、色々な役をこなす中で私自身が感じる最も彼女らしい
一面の様な気がします。
本来であれば名前の公表はまずいのかもしれませんが、あえて公表させていた
だきますがその女性の名前は『飯島直子』さんです。
彼女はボランティアで色々なチャリティーにも参加をし、等身大で色々なお手伝い
をなさっています。
この時期になるといつも思い出す事ではありますが、いつも心が温まりダイアモン
ドが作り出す物語を通してもっとその役割を広めていかなければと考える訳です。
2011年12月1日木曜日
ダイアモンドの価値!?
先日セミナーを開催した際に参加者の方から
『ダイアモンドの価値は誰が保証するんですか?』
といった質問がありなるほどと思いました。
多くの物の価値は人それぞれでしょうが、例えば貨幣などは其々の国の政府が
保証をし、その国の経済力や社会の安定力によりそな価値は決まってきます。
株券にしてもちゃんとしているかどうかは別にして取引所が存在し、その運営に
よって株価の価値を決めています。
ダイアモンドに関しては取引所も存在し、相場も存在しますが皆さんが接している
宝飾品の素材の価値というよりも資産に近いダイアモンドのレベルの物を指します。
しかし、どこかの国の政府がその価値を保証している訳でもないし、誰もが参加を
できる取引所での取引が行われている訳でもありません。
それでは、ダイアモンドの価値は誰が保証をするのでしょうか?
はっきりしている事は人類の歴史の中での保証であり、その歴史の保証は今後も
継続される事を指差しています。つまり、これ以上の保証はない訳で、場所や時代、
環境に左右されてこなかった唯一と言っていいものです。
其々の国や政府にしても短い期間で環境が変わりその貨幣価値というものは日本
であってもものすごく大きな変化をしています。これは一つの国の約束事は長い期間
で考えるとあまりあてにならない事を示しています。国債などはその典型と言って
良いでしょう。
一見すると大きな銀行や証券会社が扱う金融物は人々に大きな勘違いをさせる事
があります。それはいかにも資産の保全や運用での利益を約束しているように見えま
すが、じつはそれらの損失の何の補てんもしてくれないのがこれらの金融商品です。
それに引き換えダイアモンドは自らが保持し自らの意思で販売をする事が出来ます。
つまり、その価値が紙くず同然になったり、ジェットコースターのような危険な相場と
いう乗り物に乗る必要もないのです。ただし、デイトレードのような右左に動かして利
益を売る安易な事は出来ません。
ギャンブルのような金融商品に反してダイアモンドは過去の歴史の中で原石$基本
ではほとんど値下がりをした事はありません。それではなぜ皆はダイアモンドに金融
商品としての道を求めないのでしょうか?
ダイアモンドは一般的に言うお金持ちの数より数が少ない(2ct良質以上)のです。
それゆえ、お金があってもその輪の中には入る事が非常に難しく一部のお金持ちの
ホームグランドとなり、あまり縁のない人々がこの円の中に入る事は難しいのです。
そしてそれらの人々がその受益権を十分に堪能しているのです。しかし、皆さんが
その輪の中に入る事は難しいのでしょうか?イヤ、そんな事はありません。その為の
ディーラーが存在しています。私自身もその仕事に携わってきました。ご興味のある
方にはご教示する準備は出来ています。何時でもご相談ください。
『ダイアモンドの価値は誰が保証するんですか?』
といった質問がありなるほどと思いました。
多くの物の価値は人それぞれでしょうが、例えば貨幣などは其々の国の政府が
保証をし、その国の経済力や社会の安定力によりそな価値は決まってきます。
株券にしてもちゃんとしているかどうかは別にして取引所が存在し、その運営に
よって株価の価値を決めています。
ダイアモンドに関しては取引所も存在し、相場も存在しますが皆さんが接している
宝飾品の素材の価値というよりも資産に近いダイアモンドのレベルの物を指します。
しかし、どこかの国の政府がその価値を保証している訳でもないし、誰もが参加を
できる取引所での取引が行われている訳でもありません。
それでは、ダイアモンドの価値は誰が保証をするのでしょうか?
はっきりしている事は人類の歴史の中での保証であり、その歴史の保証は今後も
継続される事を指差しています。つまり、これ以上の保証はない訳で、場所や時代、
環境に左右されてこなかった唯一と言っていいものです。
其々の国や政府にしても短い期間で環境が変わりその貨幣価値というものは日本
であってもものすごく大きな変化をしています。これは一つの国の約束事は長い期間
で考えるとあまりあてにならない事を示しています。国債などはその典型と言って
良いでしょう。
一見すると大きな銀行や証券会社が扱う金融物は人々に大きな勘違いをさせる事
があります。それはいかにも資産の保全や運用での利益を約束しているように見えま
すが、じつはそれらの損失の何の補てんもしてくれないのがこれらの金融商品です。
それに引き換えダイアモンドは自らが保持し自らの意思で販売をする事が出来ます。
つまり、その価値が紙くず同然になったり、ジェットコースターのような危険な相場と
いう乗り物に乗る必要もないのです。ただし、デイトレードのような右左に動かして利
益を売る安易な事は出来ません。
ギャンブルのような金融商品に反してダイアモンドは過去の歴史の中で原石$基本
ではほとんど値下がりをした事はありません。それではなぜ皆はダイアモンドに金融
商品としての道を求めないのでしょうか?
ダイアモンドは一般的に言うお金持ちの数より数が少ない(2ct良質以上)のです。
それゆえ、お金があってもその輪の中には入る事が非常に難しく一部のお金持ちの
ホームグランドとなり、あまり縁のない人々がこの円の中に入る事は難しいのです。
そしてそれらの人々がその受益権を十分に堪能しているのです。しかし、皆さんが
その輪の中に入る事は難しいのでしょうか?イヤ、そんな事はありません。その為の
ディーラーが存在しています。私自身もその仕事に携わってきました。ご興味のある
方にはご教示する準備は出来ています。何時でもご相談ください。
2011年11月18日金曜日
ソフト!?
ハードとソフトという言葉があります。
彼のスティーブ・ジョブスは『多くのコンピューター業界はスペックを争うがその時点
その争いは終わっている。ハードを争う事は次に何も生まない』と言っています。
その意味は良く解りますね。
彼の開発してきた物はソフトが引っ張ってきた物ばかりです。パソコンにしてもそれ
まであった物を如何に身近において生活の中に取り込めるかといった生活に同調す
る為のデザインをしただけであり、他の製品もソフトから考えられた物が多いと思い
ます。
そこでです。ダイアモンドですが、究極のハードの原形ですがそこにソフトが加わる
事により人類によって価値を高められてきたのです。
つまり、ダイアモンドは人間に必要な事を全て付加されてきた典型的なソフトの塊
ですからダイアモンドを造り出すといった人造ダイアモンドは工業用以外は意味をな
さないのです。
最近ペットやなくなった方の骨をベースにしてダイアモンドを造るといったビジネスが
話題になっていますが、この事に関しては如何なものかと考えるのはソフトを基にそ
のハードを造るという事においては、本来のダイアモンドの位置とは違うような気がし
ます。つまり、墓石をダイアモンドに仕上げましたといったダイアモンドという長年に渡
って創られた歴史を冒とくされた様な気さえします。
ダイアモンドは其々の人間の中にある情緒が価値として創造されたものです。それ
故にソフトというものは時代とともに解釈が変わるものではあるけれどもソフトという物
が人間の生活の中では欠かせないものであることも事実です。
ソフトは人類の進化の中では絶対的なものであるからこそ大事にしなければならない
物なのでしょうね。
彼のスティーブ・ジョブスは『多くのコンピューター業界はスペックを争うがその時点
その争いは終わっている。ハードを争う事は次に何も生まない』と言っています。
その意味は良く解りますね。
彼の開発してきた物はソフトが引っ張ってきた物ばかりです。パソコンにしてもそれ
まであった物を如何に身近において生活の中に取り込めるかといった生活に同調す
る為のデザインをしただけであり、他の製品もソフトから考えられた物が多いと思い
ます。
そこでです。ダイアモンドですが、究極のハードの原形ですがそこにソフトが加わる
事により人類によって価値を高められてきたのです。
つまり、ダイアモンドは人間に必要な事を全て付加されてきた典型的なソフトの塊
ですからダイアモンドを造り出すといった人造ダイアモンドは工業用以外は意味をな
さないのです。
最近ペットやなくなった方の骨をベースにしてダイアモンドを造るといったビジネスが
話題になっていますが、この事に関しては如何なものかと考えるのはソフトを基にそ
のハードを造るという事においては、本来のダイアモンドの位置とは違うような気がし
ます。つまり、墓石をダイアモンドに仕上げましたといったダイアモンドという長年に渡
って創られた歴史を冒とくされた様な気さえします。
ダイアモンドは其々の人間の中にある情緒が価値として創造されたものです。それ
故にソフトというものは時代とともに解釈が変わるものではあるけれどもソフトという物
が人間の生活の中では欠かせないものであることも事実です。
ソフトは人類の進化の中では絶対的なものであるからこそ大事にしなければならない
物なのでしょうね。
万が一!?
最近とは言えない位、長く景気の低迷が続いていますが、その中でもやはり成功を
治めている人たちが多々います。
私の友人の中にもやはり成功を収めている人々がいます。その人たちは何が違う
のだろうかと眺めていると大きな特徴があります。それは世界的、日本的に問わず
共通しているような気がします。
この人々の大きな要素は『万が一』を考えない。・・・というと語弊があるかもしれま
せんが、多くの場合は猪突猛進的な人が多い様な気がします。
一般の多少仕事が出来る人々は万が一を考える場合が多いと考えます。例えば
『これはどこよりま安くて、最高品質です』というような言葉を選んでは使わない様に
思います。万が一、他で安くて良い物があったら嘘をつく事になり信用を失うからで
す。
多くの成功者は己の考えや推し進める事は絶対と考え『万が一』は考える事はな
い様に思います。なぜなら、彼らの進む道に万が一という言葉はなく、それはほと
んど失敗する事を指すからです。
多くの場合、90%確実であれば仕事というのは前提として進められていきますが
成功者はそれを100%と考える能力があるように思います。
例えば、過去の実績を前提に『ダイアモンドは過去6年間で価格が3倍になってい
ます』此処までは良いととしますがこの後に『それゆえ今後は価格が上がり続けま
す』と断言をします。一般人はここで『あくまでも資料ですけれど価格が上昇する
可能性はあります』となります。
もし、リーダーだったとしたら部下達はどちらの言葉で心を動かされ、行動するで
しょうか?
勿論、万が一というのは確率的には結構高い割合の場合もあるので、その場面
失敗も多くあります。成功を収めているようでもあとでどんでん返しが起こるケース
も多々あります。
今話題になっているアレルギーを起こす石鹸も4500万個以上販売されている
そうですからその被害者の数の4百数十名は確率から言えば十万分の一の割合
です。当初これを予想していた人がいたのかどうか解りませんが子の少ない割合
であったとしても会社は大打撃になります。
しかし、この確率を前提に大きく評価をしていたらこの石鹸の此処までの成功は
無かったでしょう。この成功も多分社長がこれは良いものに出会ったと思って大々
的に進めた結果だと思います。
もし、この件の問題がもう少し小さければ大関甲のうちに終わっていた事だと思い
ます。多くの成功している会社の蔭ではそれなりの訴訟を抱えている事は多分そん
なところに原因があるのでしょう。
今回の原発事故に関しても多少なりとも想定をしていた一般人はいたと思います。
しかし、多くのこれまで利益をあげてきた諸氏は100%問題はないとして進めてき
たのでしょう。多分想定内であった事も自分の時には起こらないだろうという想定
できた故の想定がいではないでしょうか。
ただし、成功者の様な人がいなければ世の中が動かないのも事実であり、そこ
までやらなくても良いのではと思う人々がいるのも事実です。さて、自分は成功者
ではないので後者なのでしょうかね。
治めている人たちが多々います。
私の友人の中にもやはり成功を収めている人々がいます。その人たちは何が違う
のだろうかと眺めていると大きな特徴があります。それは世界的、日本的に問わず
共通しているような気がします。
この人々の大きな要素は『万が一』を考えない。・・・というと語弊があるかもしれま
せんが、多くの場合は猪突猛進的な人が多い様な気がします。
一般の多少仕事が出来る人々は万が一を考える場合が多いと考えます。例えば
『これはどこよりま安くて、最高品質です』というような言葉を選んでは使わない様に
思います。万が一、他で安くて良い物があったら嘘をつく事になり信用を失うからで
す。
多くの成功者は己の考えや推し進める事は絶対と考え『万が一』は考える事はな
い様に思います。なぜなら、彼らの進む道に万が一という言葉はなく、それはほと
んど失敗する事を指すからです。
多くの場合、90%確実であれば仕事というのは前提として進められていきますが
成功者はそれを100%と考える能力があるように思います。
例えば、過去の実績を前提に『ダイアモンドは過去6年間で価格が3倍になってい
ます』此処までは良いととしますがこの後に『それゆえ今後は価格が上がり続けま
す』と断言をします。一般人はここで『あくまでも資料ですけれど価格が上昇する
可能性はあります』となります。
もし、リーダーだったとしたら部下達はどちらの言葉で心を動かされ、行動するで
しょうか?
勿論、万が一というのは確率的には結構高い割合の場合もあるので、その場面
失敗も多くあります。成功を収めているようでもあとでどんでん返しが起こるケース
も多々あります。
今話題になっているアレルギーを起こす石鹸も4500万個以上販売されている
そうですからその被害者の数の4百数十名は確率から言えば十万分の一の割合
です。当初これを予想していた人がいたのかどうか解りませんが子の少ない割合
であったとしても会社は大打撃になります。
しかし、この確率を前提に大きく評価をしていたらこの石鹸の此処までの成功は
無かったでしょう。この成功も多分社長がこれは良いものに出会ったと思って大々
的に進めた結果だと思います。
もし、この件の問題がもう少し小さければ大関甲のうちに終わっていた事だと思い
ます。多くの成功している会社の蔭ではそれなりの訴訟を抱えている事は多分そん
なところに原因があるのでしょう。
今回の原発事故に関しても多少なりとも想定をしていた一般人はいたと思います。
しかし、多くのこれまで利益をあげてきた諸氏は100%問題はないとして進めてき
たのでしょう。多分想定内であった事も自分の時には起こらないだろうという想定
できた故の想定がいではないでしょうか。
ただし、成功者の様な人がいなければ世の中が動かないのも事実であり、そこ
までやらなくても良いのではと思う人々がいるのも事実です。さて、自分は成功者
ではないので後者なのでしょうかね。
2011年11月3日木曜日
宝飾品とアクセサリー。
よくジュエリーとアクセサリーの違いを尋ねられる事がありますが直訳で考えると
簡単ですが、例えばジュエリーは宝飾品を指し、アクセサリーは付属品を指します。
日本ではアクセサリーがジュエリーに近い感覚で使われる事が多く、その為の
誤解を生じる事が多い様に思います。
つまり、アクセサリーが副次的なものですが、ジュエリーは実用的なものから発展
をしてきた主体的なものです。
ネックレスにしてもリングにしてもブローチにしても、元々其々の役割がある実用
的なものでした。
階級社会が出来てくるとともにその実用品の材料として高価の物や希少なものを
権力の象徴として使用するようになったのです。
それに加えて、耐久性があり上層階級の権力や富の象徴として後世に存在を示せ
るような物、つまり貴金属や宝石をあしらったものが用いられるようになったのです。
アクセサリーには耐久性とか価値は要求されません。その代わり安価で買い替え
がきく物が多くその都度の流行を追うもので十分な訳です。
近来、そのアクセサリーがブランド力をつけてきたせいで消費者も誤解を招くように
なってきたのでしょう。
正式な場所やフォーマルな場所にアクセサリーやイミテーションをまとう事は必ず
しも感心できる事ではありません。本物かどうかは見慣れている方達にはすぐ解る
事ですから主催者に失礼にならないようにジュエリーを身に着ける事を心がけた方が
よいかもしれません。
基本的に宝飾品とアクセサリーでは輝きも重みも違います。似たように見えても
一目瞭然で解りますので一点でも二点でも礼服や晴れ着のようにお手元に置く事が
望ましく、それを代々引き継いでいく事が新たにその家族の歴史をつくっていく事に
もなります。
専門店に相談し見極めてこれぞという逸品をブランドに関係なくお選びになる事を
お勧めします。ブランド品を否定するつもりはありませんが、やはり特別なものでは
ない限り量産品ですから、ご自分の一品をお選びになる事をお勧めします。
簡単ですが、例えばジュエリーは宝飾品を指し、アクセサリーは付属品を指します。
日本ではアクセサリーがジュエリーに近い感覚で使われる事が多く、その為の
誤解を生じる事が多い様に思います。
つまり、アクセサリーが副次的なものですが、ジュエリーは実用的なものから発展
をしてきた主体的なものです。
ネックレスにしてもリングにしてもブローチにしても、元々其々の役割がある実用
的なものでした。
階級社会が出来てくるとともにその実用品の材料として高価の物や希少なものを
権力の象徴として使用するようになったのです。
それに加えて、耐久性があり上層階級の権力や富の象徴として後世に存在を示せ
るような物、つまり貴金属や宝石をあしらったものが用いられるようになったのです。
アクセサリーには耐久性とか価値は要求されません。その代わり安価で買い替え
がきく物が多くその都度の流行を追うもので十分な訳です。
近来、そのアクセサリーがブランド力をつけてきたせいで消費者も誤解を招くように
なってきたのでしょう。
正式な場所やフォーマルな場所にアクセサリーやイミテーションをまとう事は必ず
しも感心できる事ではありません。本物かどうかは見慣れている方達にはすぐ解る
事ですから主催者に失礼にならないようにジュエリーを身に着ける事を心がけた方が
よいかもしれません。
基本的に宝飾品とアクセサリーでは輝きも重みも違います。似たように見えても
一目瞭然で解りますので一点でも二点でも礼服や晴れ着のようにお手元に置く事が
望ましく、それを代々引き継いでいく事が新たにその家族の歴史をつくっていく事に
もなります。
専門店に相談し見極めてこれぞという逸品をブランドに関係なくお選びになる事を
お勧めします。ブランド品を否定するつもりはありませんが、やはり特別なものでは
ない限り量産品ですから、ご自分の一品をお選びになる事をお勧めします。
2011年11月2日水曜日
想いをのせて。
先週末、いつものように颯爽と女流建築家の友人がドアを開いて入ってきました。
最近はめっきり忙しくて来店の機会も少なくなり、ダイアモンドを見る事が少なくなり
ストレスが溜ってきたとのことで早速ダイアモンドを目を輝かせて見入っておりました。
「最近、作って頂いたペンダントを褒められることが事が多くていつも同じこのペン
ダントをしている事が多いわ」と当店で作ったペンダントをさすりながら金色に輝く、
18金の手彫りで真中に1CTのダイアモンドをあしらったものを改めて眺めておりま
した。
「ところで、これをご覧になった知人が同じような感じで作ってほしいと言っていたわ、
何でも、今年七五三を迎えるお孫さんに作ってあげたいという事なの」
「えっ!? 七五三のお孫さんにそんなん高価なものを?」
と私が戸惑って尋ねると、
「アッ、真中は0.2ct位で良いらしいんだけれど・・。」
「イヤ、そうではなく七五三のお孫さんさんに18金のペンダントを・・・?という意味
でだけれども・・」
「ウウン、なんでもお孫さんが成人式を迎えた時にプレゼントしたいんだそうです」
「彼女が成人を迎えた時にその歴史を感じれるように『貴女の七五三の時に作って
置いたのよ』と言って渡したいんだそうです」
「へえ~、いい話だね。ジュエリーの本来の使い方だよね。うれしいなぁ~そういう
注文は…。」
なんでもお孫さんが成人になった時に『あなたの周りには貴女を見守る人がいて
皆に愛されて育ってきたのよ』といことを伝えたいといことが趣旨のようです。
この事はお孫さんが大きくなって自分の歴史とというか育ってきた環境を省みる
機会が出来ると同時に、おばあ様との距離も身近になり、人への想いというものを
感じる意味でも大きな贈り物になるのではないでしょうか。
私自身ジュエリーの本来の意味を理解している方がいる事を心強く思う事ができ、
少し気持ちの良い週末の午後を過ごす事が出来ました。
最近はめっきり忙しくて来店の機会も少なくなり、ダイアモンドを見る事が少なくなり
ストレスが溜ってきたとのことで早速ダイアモンドを目を輝かせて見入っておりました。
「最近、作って頂いたペンダントを褒められることが事が多くていつも同じこのペン
ダントをしている事が多いわ」と当店で作ったペンダントをさすりながら金色に輝く、
18金の手彫りで真中に1CTのダイアモンドをあしらったものを改めて眺めておりま
した。
「ところで、これをご覧になった知人が同じような感じで作ってほしいと言っていたわ、
何でも、今年七五三を迎えるお孫さんに作ってあげたいという事なの」
「えっ!? 七五三のお孫さんにそんなん高価なものを?」
と私が戸惑って尋ねると、
「アッ、真中は0.2ct位で良いらしいんだけれど・・。」
「イヤ、そうではなく七五三のお孫さんさんに18金のペンダントを・・・?という意味
でだけれども・・」
「ウウン、なんでもお孫さんが成人式を迎えた時にプレゼントしたいんだそうです」
「彼女が成人を迎えた時にその歴史を感じれるように『貴女の七五三の時に作って
置いたのよ』と言って渡したいんだそうです」
「へえ~、いい話だね。ジュエリーの本来の使い方だよね。うれしいなぁ~そういう
注文は…。」
なんでもお孫さんが成人になった時に『あなたの周りには貴女を見守る人がいて
皆に愛されて育ってきたのよ』といことを伝えたいといことが趣旨のようです。
この事はお孫さんが大きくなって自分の歴史とというか育ってきた環境を省みる
機会が出来ると同時に、おばあ様との距離も身近になり、人への想いというものを
感じる意味でも大きな贈り物になるのではないでしょうか。
私自身ジュエリーの本来の意味を理解している方がいる事を心強く思う事ができ、
少し気持ちの良い週末の午後を過ごす事が出来ました。
2011年10月27日木曜日
軽妙!?
ビジネスに関しては色々な要素が挙げられていますが、成功するか否かは何が
要因になるかふと考える事があります。
ビジネスには業種や職種そして色々なシーンがありますがありますが、浅い経験
ではりますが振り返ると、『軽妙』であるかどうかという事が大きなポイントになって
いるような気がします。
軽妙というのは広辞苑で調べると軽やかに妙味がある事と当り前のそのままの事
が書いております。それでは(妙味)とはという事になると「すぐれた味、優れた趣」と
なっています。
つまり、趣があっても重くてはビジネスにならないと感じた訳です。
キーワードとして「軽妙」を頭に入れておくと今まで流行った物や成功したビジネス
の事例を見ると、やはり動作的に軽妙であったり、思考的に軽妙であった物が多い
様な気がします。勿論、どんなものにも例外があり、その例外に限っては大成功を
治める例が多い事も理解しております。
一般的な成功という事を念頭に置いたときにエンターテーメントであれ、営業であれ、
製品であれ「軽妙」であるかどうかが大きなポイントになっているのです。
決して軽妙とは軽いという事は単純には意味しておりません人々が「幸せ」を感じ
居心地の良さを感じるかどうかストレスを持たないかどうかという観点で申し上げて
います。
物、人、行動の其々に軽妙さがあれば幸せになるような気がします。
ビジネスはすべからくこれらを求める事が成功のカギと言えると思います。
要因になるかふと考える事があります。
ビジネスには業種や職種そして色々なシーンがありますがありますが、浅い経験
ではりますが振り返ると、『軽妙』であるかどうかという事が大きなポイントになって
いるような気がします。
軽妙というのは広辞苑で調べると軽やかに妙味がある事と当り前のそのままの事
が書いております。それでは(妙味)とはという事になると「すぐれた味、優れた趣」と
なっています。
つまり、趣があっても重くてはビジネスにならないと感じた訳です。
キーワードとして「軽妙」を頭に入れておくと今まで流行った物や成功したビジネス
の事例を見ると、やはり動作的に軽妙であったり、思考的に軽妙であった物が多い
様な気がします。勿論、どんなものにも例外があり、その例外に限っては大成功を
治める例が多い事も理解しております。
一般的な成功という事を念頭に置いたときにエンターテーメントであれ、営業であれ、
製品であれ「軽妙」であるかどうかが大きなポイントになっているのです。
決して軽妙とは軽いという事は単純には意味しておりません人々が「幸せ」を感じ
居心地の良さを感じるかどうかストレスを持たないかどうかという観点で申し上げて
います。
物、人、行動の其々に軽妙さがあれば幸せになるような気がします。
ビジネスはすべからくこれらを求める事が成功のカギと言えると思います。
2011年10月26日水曜日
繋がり。
先日、TVを見ていたら『Cool Japan』というNHKのBS番組を見ていたら
『花嫁のれん』なる物を取材しておりました。
北陸の地方に残る習慣で娘が花嫁として家を出る時に実家が持たせる長めの
ノレンで嫁入り道具の一つだそうです。その地方では過疎化も進み人が少なくなって
きた商店街にぜひ人の足を向けさせようと商店街の奥様達が中心になり、その
『花嫁のれん』を年に一度、外の人たちにも見てもらおうとイベントとして町の各商店
に飾り始めました。
そのノレンを見に観光客がこの2,3年続々と集まり始め今では立派なイベントとし
て、観光資源として成り立っています。
番組の中で主催する主婦の一人が
「母や祖母の花嫁のれんを箪笥の奥から出して飾ってみて、改めて私達がこの地方
の文化なりを繋いでいくものとして『花嫁のれん』は大事にしていかなければと感じて
います。後世に残るものですから」
と言っていたのが印象的でした。
現代のように風景から環境まで変わる時代に様々なものを残して行く事は難しい
事なのかもしれません。しかし、せめて自分の家や家族のあり様だけはなんとか
残していきたいといったところから始まり、コミュニティーのあり様や地域の活性化に
繋がり、そしてその歴史や伝統を作り上げていく・・・。正に人間生活だと思います。
ダイアモンドは正に時代を超えて物語を伝えるメモリーカードですが、人の心の
ありよう次第で、それが一番大事だと思います。
歴史を伝えるダイアモンドは沢山あります。
そこまで歴史に貢献するものではなくてもせめて自分や家族の存在を伝えるダイア
モンドを一つくらい所有をしてみてはどうでしょうか?
『花嫁のれん』なる物を取材しておりました。
北陸の地方に残る習慣で娘が花嫁として家を出る時に実家が持たせる長めの
ノレンで嫁入り道具の一つだそうです。その地方では過疎化も進み人が少なくなって
きた商店街にぜひ人の足を向けさせようと商店街の奥様達が中心になり、その
『花嫁のれん』を年に一度、外の人たちにも見てもらおうとイベントとして町の各商店
に飾り始めました。
そのノレンを見に観光客がこの2,3年続々と集まり始め今では立派なイベントとし
て、観光資源として成り立っています。
番組の中で主催する主婦の一人が
「母や祖母の花嫁のれんを箪笥の奥から出して飾ってみて、改めて私達がこの地方
の文化なりを繋いでいくものとして『花嫁のれん』は大事にしていかなければと感じて
います。後世に残るものですから」
と言っていたのが印象的でした。
現代のように風景から環境まで変わる時代に様々なものを残して行く事は難しい
事なのかもしれません。しかし、せめて自分の家や家族のあり様だけはなんとか
残していきたいといったところから始まり、コミュニティーのあり様や地域の活性化に
繋がり、そしてその歴史や伝統を作り上げていく・・・。正に人間生活だと思います。
ダイアモンドは正に時代を超えて物語を伝えるメモリーカードですが、人の心の
ありよう次第で、それが一番大事だと思います。
歴史を伝えるダイアモンドは沢山あります。
そこまで歴史に貢献するものではなくてもせめて自分や家族の存在を伝えるダイア
モンドを一つくらい所有をしてみてはどうでしょうか?
2011年10月22日土曜日
無駄に思える物!?
よく宝石やジュエリーを実質的な役に立たない無駄のようにいわれる方もいます。
確かに、無くても困らないとか、必要ではないとかいわれますが、本当に無駄なの
でしょうか?
もし、無駄なのであれば何千年も社会に存在しないし、高価な価格もつかないの
ではないでしょうか?
日本の文化で無駄のようなものは沢山あり、その視点が日本をここまで発展させ
来たのではないかと、私自身は思っています。
日本の茶道や華道の中や礼儀作法は典型的な無駄の世界であると考えますが、
その中の所作や雰囲気が心を和ましてくれたり、新たな気持ち持たしてくれたりと
人間生活に欠かせない何かを、そこに必要だからこそ生まれた道なのではと考え
させられます。
茶道などの動きや道具は正に無駄の権化みたいなものですが、それがもし本当
に無駄なのであればとっくに存在はしていないし、誰も興味を持たないと思います。
しかし、多くの場合その所作や流れに作法や礼儀を感じ人々にストレスを感じさ
せない行動に繋がっているように感じます。
確かに、アメリカンスタイルはファーストフードをはじめ合理的な面も多々あると思
います。しかし、立ち食いや歩き食いがはたして、周りの人々に不快感を与えてい
ないかというと必ずしもそうではありません。
T(時)P(場所)O(場合)を踏まえていれば、勿論どの様な行動も関係ないかも知
れませんが、残念ながら現代の日本にはT、P、Oを教える場所があまりなく自分も
全てを理解しているわけではありません。
無駄の文化はきちっと活用できれば人々に不快感を与える事もないだろうし、
人生その物に潤いも与えるだろうと思っています。日本の産業もその無駄な文化を
実用化し、製品に生かしてここまで伸びてきたのではないかと思います。
一見必要のない様なもの(多々ありすぎて)、例えばアニメだったり、フランス料理
にも取り入れられた食事のコースメニューだったりと生活に実質必要のなさそうな
ものが日本からは輸出されています。
無駄が如何に必要かという事を説くときりがないのでこの辺にしておきますが、
宝石やジュエリーどれぐらい人類の生活や進化に役に立ってきたかという事は口で
説明するより、歴史を振り返ってきた方が良いくらいだと思います。
無駄を理解することはイコール人生や生活の潤いであり、その理解度が文化度
を表しているのでは・・と思う今日この頃です。
それには経済的な余裕が必要なのかもしれませんが・・。
ジュエリーの発祥は実用品だった事も付け加えておきましょう。
確かに、無くても困らないとか、必要ではないとかいわれますが、本当に無駄なの
でしょうか?
もし、無駄なのであれば何千年も社会に存在しないし、高価な価格もつかないの
ではないでしょうか?
日本の文化で無駄のようなものは沢山あり、その視点が日本をここまで発展させ
来たのではないかと、私自身は思っています。
日本の茶道や華道の中や礼儀作法は典型的な無駄の世界であると考えますが、
その中の所作や雰囲気が心を和ましてくれたり、新たな気持ち持たしてくれたりと
人間生活に欠かせない何かを、そこに必要だからこそ生まれた道なのではと考え
させられます。
茶道などの動きや道具は正に無駄の権化みたいなものですが、それがもし本当
に無駄なのであればとっくに存在はしていないし、誰も興味を持たないと思います。
しかし、多くの場合その所作や流れに作法や礼儀を感じ人々にストレスを感じさ
せない行動に繋がっているように感じます。
確かに、アメリカンスタイルはファーストフードをはじめ合理的な面も多々あると思
います。しかし、立ち食いや歩き食いがはたして、周りの人々に不快感を与えてい
ないかというと必ずしもそうではありません。
T(時)P(場所)O(場合)を踏まえていれば、勿論どの様な行動も関係ないかも知
れませんが、残念ながら現代の日本にはT、P、Oを教える場所があまりなく自分も
全てを理解しているわけではありません。
無駄の文化はきちっと活用できれば人々に不快感を与える事もないだろうし、
人生その物に潤いも与えるだろうと思っています。日本の産業もその無駄な文化を
実用化し、製品に生かしてここまで伸びてきたのではないかと思います。
一見必要のない様なもの(多々ありすぎて)、例えばアニメだったり、フランス料理
にも取り入れられた食事のコースメニューだったりと生活に実質必要のなさそうな
ものが日本からは輸出されています。
無駄が如何に必要かという事を説くときりがないのでこの辺にしておきますが、
宝石やジュエリーどれぐらい人類の生活や進化に役に立ってきたかという事は口で
説明するより、歴史を振り返ってきた方が良いくらいだと思います。
無駄を理解することはイコール人生や生活の潤いであり、その理解度が文化度
を表しているのでは・・と思う今日この頃です。
それには経済的な余裕が必要なのかもしれませんが・・。
ジュエリーの発祥は実用品だった事も付け加えておきましょう。
帰国
昨日、2年に渡ってJICAの任務でザンビアに行っていた知人が訪ねてきました。
日本がアフリカの諸国に対して宝石という面からもほう助しているいことはあまり
知られていませんが、私の知人は宝石の専門家としてJICAから派遣され2年の
期間ザンビアで宝石の市場や知識を教授し、応援する為に赴任しておりました。
先月帰国をし、健康診断や報告書をまとめる作業をしてやっと無罪放免となった
ようです。帰国2,3ヵ月前はストレスもあり体重も減ったという事ですが、現在は
その体重も戻りつつ、日本の味や環境を堪能しているようでした。
私自身の30数年前に2年間ほどアメリカで暮らし、戻って来た時の事を思い出し
ながら知人の話を聞いておりましたので、何か自分の事のように帰国したての頃
の事を思いだしておりました。
今回は途中で震災もあり正確な情報もなかなか手に入らず心配もしていたよう
です。私も在米中に成田闘争があり、友人たちから『日本でクーデターが起きた』
と聞かされビックリしたのを覚えております。
TVで見た画面は確かに暴徒達が警官に向かって火炎瓶や投石を繰り広げている
様に見えました。勿論、日本の事情を知っている私にはそれがどのレベルなのか
想像はつきましたので慌てることはありませんでしたし、友人にも説明をしました。
確かに今回の報道は政府発表に準じていたので日本の報道は最初、原発の件も
あまり大げさではないような内容でしたがBBCなど海外メディアは大きく危険性を
取り上げておりましたので、海外で報道を見ていた形は気が気ではなかったのかと
思います。
そんな心配をしながらの赴任だったので、さぞやストレスが溜まったのではと想像
します。
彼が開口一番口にしたのは『日本に対しての再認識ですね』といった海外から帰国
をした人が良く口にする一言でした。
日本に対しての再認識とは多くの人は日本の素晴らしさを表現するときに使います
がその素晴らしさとは何なのかと考える事が良くあります。それは『無駄に見える事』
なのではないかと思います。
長くなるのでこの続きは次回・・・。
日本がアフリカの諸国に対して宝石という面からもほう助しているいことはあまり
知られていませんが、私の知人は宝石の専門家としてJICAから派遣され2年の
期間ザンビアで宝石の市場や知識を教授し、応援する為に赴任しておりました。
先月帰国をし、健康診断や報告書をまとめる作業をしてやっと無罪放免となった
ようです。帰国2,3ヵ月前はストレスもあり体重も減ったという事ですが、現在は
その体重も戻りつつ、日本の味や環境を堪能しているようでした。
私自身の30数年前に2年間ほどアメリカで暮らし、戻って来た時の事を思い出し
ながら知人の話を聞いておりましたので、何か自分の事のように帰国したての頃
の事を思いだしておりました。
今回は途中で震災もあり正確な情報もなかなか手に入らず心配もしていたよう
です。私も在米中に成田闘争があり、友人たちから『日本でクーデターが起きた』
と聞かされビックリしたのを覚えております。
TVで見た画面は確かに暴徒達が警官に向かって火炎瓶や投石を繰り広げている
様に見えました。勿論、日本の事情を知っている私にはそれがどのレベルなのか
想像はつきましたので慌てることはありませんでしたし、友人にも説明をしました。
確かに今回の報道は政府発表に準じていたので日本の報道は最初、原発の件も
あまり大げさではないような内容でしたがBBCなど海外メディアは大きく危険性を
取り上げておりましたので、海外で報道を見ていた形は気が気ではなかったのかと
思います。
そんな心配をしながらの赴任だったので、さぞやストレスが溜まったのではと想像
します。
彼が開口一番口にしたのは『日本に対しての再認識ですね』といった海外から帰国
をした人が良く口にする一言でした。
日本に対しての再認識とは多くの人は日本の素晴らしさを表現するときに使います
がその素晴らしさとは何なのかと考える事が良くあります。それは『無駄に見える事』
なのではないかと思います。
長くなるのでこの続きは次回・・・。
2011年10月5日水曜日
美しさ!?
欧米や海外を回って思う事はダイアモンドに対する考え方の我々日本人との違い
です。
海外ではダイアモンドを『ワッ!!きれい』と表現する事はあまりありません。どちらか
というと、財産性だったりメモリアル的な考え方をします。
最近の日本人もあまり『きれい!!』とは言いませんが、以前は0.3CTでもダイアモンド
が大きく感じたせいか『ワッ!?きれい!!』と表現をしていたと記憶しております。
日本人と欧米人の美しさや美に対する意識の違いは著書の『宝石がたからものに
なる時』にも書いていますがかなりの違いがあります。
日本人は景色や物体は勿論のこと苦悩や怒り、所作等といった外国人には理解が
出来ないようなものにも『美』を感じます。
桜にちり際や月の陰りにさえ美しさを感じます。外国人が「チッ、」と舌打ちをする様
な状況の中にも美しさを感じてきました。特に所作に関してはその動きの流れや仕草
に美しさを感じそれがマナーにも通じている訳です。
現代の日本人がそれに当てはまるかどうかは疑問ですが、本来の日本人にはその
ような感性が宿っているいるの日本古来の茶道や生花、武士道をみても間違いは
ありません。
現代の日本人がマナーやTPOを取り戻すには『美しさ』を理解する感性を培う必要が
あるのかもしれません。
ダイアモンドを理解するにはまず美しさを理解する原始的な感性が必要で本来の
ダイアモンドの価値は本来そんなところから始まっています。
日本人がダイアモンドを理解することにより、本来の日本人の美意識が取り戻す事
が出来るようにとこじつけ的に願う次第です。
です。
海外ではダイアモンドを『ワッ!!きれい』と表現する事はあまりありません。どちらか
というと、財産性だったりメモリアル的な考え方をします。
最近の日本人もあまり『きれい!!』とは言いませんが、以前は0.3CTでもダイアモンド
が大きく感じたせいか『ワッ!?きれい!!』と表現をしていたと記憶しております。
日本人と欧米人の美しさや美に対する意識の違いは著書の『宝石がたからものに
なる時』にも書いていますがかなりの違いがあります。
日本人は景色や物体は勿論のこと苦悩や怒り、所作等といった外国人には理解が
出来ないようなものにも『美』を感じます。
桜にちり際や月の陰りにさえ美しさを感じます。外国人が「チッ、」と舌打ちをする様
な状況の中にも美しさを感じてきました。特に所作に関してはその動きの流れや仕草
に美しさを感じそれがマナーにも通じている訳です。
現代の日本人がそれに当てはまるかどうかは疑問ですが、本来の日本人にはその
ような感性が宿っているいるの日本古来の茶道や生花、武士道をみても間違いは
ありません。
現代の日本人がマナーやTPOを取り戻すには『美しさ』を理解する感性を培う必要が
あるのかもしれません。
ダイアモンドを理解するにはまず美しさを理解する原始的な感性が必要で本来の
ダイアモンドの価値は本来そんなところから始まっています。
日本人がダイアモンドを理解することにより、本来の日本人の美意識が取り戻す事
が出来るようにとこじつけ的に願う次第です。
2011年9月28日水曜日
ダイアモンド コレクション
先日、さる展示会にお邪魔をしました。
当社はドイツジュエリーの『F.Zerrenner』とダイアモンドの裸石を出展させて頂き、
その中での事です。
『裸石で持っていてもしょうがないものねェ~』一人のベテラン販売員がポツリと
呟くと横にいた別の販売員の方が『でも、このハート型のペアはお安いわね』
このお二人の会話を聞いていたお客様が
『どれですか?』
と声をかけてこられて、覘きこみながら
『アラ、きれいな形ねェ』
近くにいた人々が集まり始め、他にも並んでいたカラーダイアモンドや他の形の
ダイアモンドに話題が集中しておりまいた。
そんな中、一人の販売員がそのハートのペアを持ち出し、しばらくすると
『決まりましたので、お願いします』
と戻ってきました。
その後何故か多くの販売員が裸石の入ったケースを持ち出し、お客様にお勧め
しているうちに、
『ダイアモンドって見てるだけで、なんか幸せな気持ちになるわね』
と其々が口に出し始めており、何故かそれがお客様達にも感染をしているようでした。
ある男性のお客様は以前からダイアモンドだけではなく他の色石に興味を持っている
方がおり、やはりファンシーカラーの数個入ったケースを今回お求めになり、
『ダイアモンドがやっぱり一番いいね』
とうっとりと眺めながら一言。
そうこうしているうちに他の男性客もカラーダイアモンドをお求めになり、当初、裸石
はどうかと言っていたベテラン販売員が
『ダイアモンドは裸で持っているのもいいわね』
と数個残った中で目をつけていたハート型の裸石を買い求めて、幸せそうな顔をして
おりました。
ダイアモンドはその人の感性にもよりますがやはり人を幸せにするなあ~とつくづく
感じた次第であります。
当社はドイツジュエリーの『F.Zerrenner』とダイアモンドの裸石を出展させて頂き、
その中での事です。
『裸石で持っていてもしょうがないものねェ~』一人のベテラン販売員がポツリと
呟くと横にいた別の販売員の方が『でも、このハート型のペアはお安いわね』
このお二人の会話を聞いていたお客様が
『どれですか?』
と声をかけてこられて、覘きこみながら
『アラ、きれいな形ねェ』
近くにいた人々が集まり始め、他にも並んでいたカラーダイアモンドや他の形の
ダイアモンドに話題が集中しておりまいた。
そんな中、一人の販売員がそのハートのペアを持ち出し、しばらくすると
『決まりましたので、お願いします』
と戻ってきました。
その後何故か多くの販売員が裸石の入ったケースを持ち出し、お客様にお勧め
しているうちに、
『ダイアモンドって見てるだけで、なんか幸せな気持ちになるわね』
と其々が口に出し始めており、何故かそれがお客様達にも感染をしているようでした。
ある男性のお客様は以前からダイアモンドだけではなく他の色石に興味を持っている
方がおり、やはりファンシーカラーの数個入ったケースを今回お求めになり、
『ダイアモンドがやっぱり一番いいね』
とうっとりと眺めながら一言。
そうこうしているうちに他の男性客もカラーダイアモンドをお求めになり、当初、裸石
はどうかと言っていたベテラン販売員が
『ダイアモンドは裸で持っているのもいいわね』
と数個残った中で目をつけていたハート型の裸石を買い求めて、幸せそうな顔をして
おりました。
ダイアモンドはその人の感性にもよりますがやはり人を幸せにするなあ~とつくづく
感じた次第であります。
2011年9月27日火曜日
世界のダイアモンド事情
我々の業界では大きいイベントになる香港の国際宝飾展が幕を閉じました。
大方の評判は世界の経済状況を反映してあまりよくはなかったという声が多くあり、
予想はしていたこともありますが、ちょっと元気がありません。
得意にダイアモンドはインドの業者がキャッシュフロー確保の為の安売りに出て、
価格が弱めになったとの情報が耳に入ってきました。これは今まで好調とされた
インドの景気も弱めになり、金融の引き締めが行われた事もあると推測されます。
このようは状況は今までもよくあり、そのマーケット事情による価格の弱含みは他の
商品と同じです。しかし、マーケット事情の影響のない大きなサイズ(5.10ct以上)
は以前強含みであることは間違いありません。
最近では金の高騰やその他の地金の値上がりに注目されていますが、金や株等の
投資は危険が伴います。それは、金は元がなくならないとはいえ価格は大いに下が
る可能性はあります。また、株や国債等に関しては紙くずになる可能性すらあります。
ダイアモンドはその存在ゆえに金ほどの大規模な値下がりが起きる可能性もなく、
株のように価値そのものがなくなることもありません。
そのような側面もあることから、逆にキャッシュオンデリバリーによる販売も行われる
のです。それは、ダイアモンドの絶対的価値を証明するものであり、財産性を裏付
ける事なのです。
一方ではいつも述べているような付加価値が存在し、その付加価値が軽んじられる
日本では本当の価値を見極める事は難しいのかもしれません。
つまり、どちらの価値も取り扱っている人たちが残念ながら真の価値を知らない為に
起きている不幸なのです。
多くの欧米諸国や未開発国では、財産を自分で守る習慣がありますので、冷静に
財産保全になる物を理解する事が出来るので、ダイアモンドに対する見方が日本と
少し違うのかもしれません。
強いて言うのであればジュエリーについたダイアモンドにはそのジュエリーのデザイン
やその加工に対する価値は付与されますので、ダイアモンドその物の価値というより
ジュエリーとしての付加価値が優先されて価格がついています。
よく『ダイアモンドは買った時よりも売る時は安くなる』という言葉を聞きますが、その事
について述べると、売れるという価値だけでもメリットであり、その使用している素材の
価値ゆえにただにはなりません。
どんなブランドの衣服であれ、処分するときは1キロ何十円か何百円ですが、ジュエリー
に関してはそんなことはありません。今回の金高騰の狂想曲では多くの方がメリットを
感じたはずです。
ダイアモンドの大きなサイズの裸石の輸入価格と販売価格に関して、現代の市場では
ジュエリーについたダイアモンドの価格差ほどはありません。
これらの状況をとらえている海外の市場ではダイアモンドが多くの値下がりをする事は
ある一定の期間を前提とする事が出来るのであれば、まずあり得ません。
これからのダイアモンドへの見方を変えてみませんか?
大方の評判は世界の経済状況を反映してあまりよくはなかったという声が多くあり、
予想はしていたこともありますが、ちょっと元気がありません。
得意にダイアモンドはインドの業者がキャッシュフロー確保の為の安売りに出て、
価格が弱めになったとの情報が耳に入ってきました。これは今まで好調とされた
インドの景気も弱めになり、金融の引き締めが行われた事もあると推測されます。
このようは状況は今までもよくあり、そのマーケット事情による価格の弱含みは他の
商品と同じです。しかし、マーケット事情の影響のない大きなサイズ(5.10ct以上)
は以前強含みであることは間違いありません。
最近では金の高騰やその他の地金の値上がりに注目されていますが、金や株等の
投資は危険が伴います。それは、金は元がなくならないとはいえ価格は大いに下が
る可能性はあります。また、株や国債等に関しては紙くずになる可能性すらあります。
ダイアモンドはその存在ゆえに金ほどの大規模な値下がりが起きる可能性もなく、
株のように価値そのものがなくなることもありません。
そのような側面もあることから、逆にキャッシュオンデリバリーによる販売も行われる
のです。それは、ダイアモンドの絶対的価値を証明するものであり、財産性を裏付
ける事なのです。
一方ではいつも述べているような付加価値が存在し、その付加価値が軽んじられる
日本では本当の価値を見極める事は難しいのかもしれません。
つまり、どちらの価値も取り扱っている人たちが残念ながら真の価値を知らない為に
起きている不幸なのです。
多くの欧米諸国や未開発国では、財産を自分で守る習慣がありますので、冷静に
財産保全になる物を理解する事が出来るので、ダイアモンドに対する見方が日本と
少し違うのかもしれません。
強いて言うのであればジュエリーについたダイアモンドにはそのジュエリーのデザイン
やその加工に対する価値は付与されますので、ダイアモンドその物の価値というより
ジュエリーとしての付加価値が優先されて価格がついています。
よく『ダイアモンドは買った時よりも売る時は安くなる』という言葉を聞きますが、その事
について述べると、売れるという価値だけでもメリットであり、その使用している素材の
価値ゆえにただにはなりません。
どんなブランドの衣服であれ、処分するときは1キロ何十円か何百円ですが、ジュエリー
に関してはそんなことはありません。今回の金高騰の狂想曲では多くの方がメリットを
感じたはずです。
ダイアモンドの大きなサイズの裸石の輸入価格と販売価格に関して、現代の市場では
ジュエリーについたダイアモンドの価格差ほどはありません。
これらの状況をとらえている海外の市場ではダイアモンドが多くの値下がりをする事は
ある一定の期間を前提とする事が出来るのであれば、まずあり得ません。
これからのダイアモンドへの見方を変えてみませんか?
2011年9月17日土曜日
夏休み!!
御無沙汰をしています。
実は、胆のう炎になりまして、4,5日の入院のつもりが一カ月近く入院をすることに
なり、ブログの更新もままなりませんでした。(恐縮です)
人間は休みを取ることも大事だなとつくづくと感じる器官でもありました。社会に出て
から、こんなに社会を離れてのは初めての経験で、それなりに考えることもあり、
良い時間を過ごしたかなとも思っています。
時間があったこともあり、常々興味を持っていたことも本を読んだりして過ごし、自分
が考えていた。ダイアモンドはどこからという事もヒントをだいぶ掴んだような気もし
ます。
宇宙の始まり、それは素粒子から始まった事は仮説ではありますが、一部の学説
で取り上げられています。その素粒子がインフレーションを起こし、ビッグバンに
つながり、様々な元素が誕生し、ダイアモンドの構成元素である炭素も誕生した。
単純炭素原子の結晶であるダイアモンドは早いうちに誕生したと考えられます。
137億年前に誕生したといわれる宇宙ですが、その期間のかなり多くの時間をダイ
アモンドはすごしてきたと考えられます。
凄い事です。
なぜなら、多くの無機質、有機質に関わらず、まだ変化、進化をしながらこの宇宙に
存在しています。素粒子のようなごく小さな単位の物が今の宇宙という膨大な規模に
なり、まだ変化をしているのにダイアモンドは早い時期に最終形となりこの宇宙に
存在し、その姿のままで我々人間の前に存在しているのだから凄いことです。
多分、そんな物質は元素でない限り、あまり存在をしません。
もし、いま流行りのパワーストーンが存在するとしたなら間違いなくダイアモンドはその
一番だと考えます。なぜなら人間のの誕生と進化はそれ以前に存在したものを基礎
として、進化してきたのですから・・。
なんて事を考えながらベットの上で想像をめぐらせながら過ごしておりましたが、普段
であれば地球上のダイアモンドの事しか頭にないのに、こんな事を考えさせてくれた
のは、仕事から少しだけ離れていたからでしょう。
たまに夏休みを取るのも悪くはないなと考えながら、術後の傷口を眺めている今日
この頃です。そして、あらためてダイアモンドはすごいなぁ~・・・と考えている次第
です。
実は、胆のう炎になりまして、4,5日の入院のつもりが一カ月近く入院をすることに
なり、ブログの更新もままなりませんでした。(恐縮です)
人間は休みを取ることも大事だなとつくづくと感じる器官でもありました。社会に出て
から、こんなに社会を離れてのは初めての経験で、それなりに考えることもあり、
良い時間を過ごしたかなとも思っています。
時間があったこともあり、常々興味を持っていたことも本を読んだりして過ごし、自分
が考えていた。ダイアモンドはどこからという事もヒントをだいぶ掴んだような気もし
ます。
宇宙の始まり、それは素粒子から始まった事は仮説ではありますが、一部の学説
で取り上げられています。その素粒子がインフレーションを起こし、ビッグバンに
つながり、様々な元素が誕生し、ダイアモンドの構成元素である炭素も誕生した。
単純炭素原子の結晶であるダイアモンドは早いうちに誕生したと考えられます。
137億年前に誕生したといわれる宇宙ですが、その期間のかなり多くの時間をダイ
アモンドはすごしてきたと考えられます。
凄い事です。
なぜなら、多くの無機質、有機質に関わらず、まだ変化、進化をしながらこの宇宙に
存在しています。素粒子のようなごく小さな単位の物が今の宇宙という膨大な規模に
なり、まだ変化をしているのにダイアモンドは早い時期に最終形となりこの宇宙に
存在し、その姿のままで我々人間の前に存在しているのだから凄いことです。
多分、そんな物質は元素でない限り、あまり存在をしません。
もし、いま流行りのパワーストーンが存在するとしたなら間違いなくダイアモンドはその
一番だと考えます。なぜなら人間のの誕生と進化はそれ以前に存在したものを基礎
として、進化してきたのですから・・。
なんて事を考えながらベットの上で想像をめぐらせながら過ごしておりましたが、普段
であれば地球上のダイアモンドの事しか頭にないのに、こんな事を考えさせてくれた
のは、仕事から少しだけ離れていたからでしょう。
たまに夏休みを取るのも悪くはないなと考えながら、術後の傷口を眺めている今日
この頃です。そして、あらためてダイアモンドはすごいなぁ~・・・と考えている次第
です。
2011年8月9日火曜日
ダイアモンドの魅力
ダイアモンドの魅力を聞かれる機会が最近多いのですが、ある方が
『髙木さんが長年ダイアモンドの買付をしていてダイアモンドに飽きることはなかった
んですか?』と尋ねられました。
この質問は多分にダイアモンドを見る機会が少ない方の発言なのかなとも思います。
つまり、ダイアモンドに魅力を感じている方の多くはダイアモンドは見飽きないという
事をよく口にします。
それでは私はどうかと言いますと。仕事で見ている分にはその作業に対して飽きる
事はありますが、ダイアモンドそのものに飽きることはありません。
ゴルフに夢中になるのは、一度でも理想的なショットをした事がある人です。それは
ゴルフをする皆さんに心覚えがあると思いますが、一度でも理想的なショットをすると
それがもう一度できそうな気がして続けています。
出来るはずと思っているとたまに理想的なショットが出てきます。そうすると20回に
一度のショットでもやる気がまた出てきて、続けていきます。
ゴルフとイコールではありませんが、30年以上沢山の石を見ていても必ずと言って
いいほど今まで見たダイアモンドより感動的なものを見る事があります。
見続けていると必ずもっと魅力的なダイアモンドが出てくるはずだという事を前提に
見続けています。
やはり、今まで以上の魅力を感じるダイアモンドは出てくるのです。その時に感じる
ことは、ダイアモンドの特徴と人間の技術の合値です。そしてそれは必ずしも、無色
透明な物とは限りません。
俗に言われている4Cグレードを超えた物がいつもそこには存在します。4Cグレード
を否定する訳ではなく、それもダイアモンドの魅力を伝える手段の一つではあります
が、それはダイアモンドの一部を表現しているにすぎません。
魅力的に出てくるダイアモンドは決して無色透明なもので理想的と言われるカット
ばかりではありません。やはりその石の持った個性と人間の技術が見事に一致した
時に醸し出される魅力に勝るものはありません。
それは3年前の事です。
通常の買付作業をしていると私のアシスタントをしてくれているハニーという女性が
『カズ、この石を見て!!』
私が目にしたものは17ctのペアシェイプ(梨型)でした。
うす~いブラウンのじ色をしたライフ(照り)の強い見事なダイアモンドで決して理想
的なカットとは言えるものではありませんでしたが、この石に関してはこのカットが
理想的だと思うような魅力的なダイアモンドでした。
ダイアモンドの魅力というのは、必ずしも人間の計算したものではなくその石自体が
持っている特性とカットした人間の相性もあります。それが一致した時にとてつもない
事が起きる。その事が経験の中で身についているのでダイアモンドに飽きることは
ないのでしょう。
人間と一緒で成績優秀な人間だけが魅力的な訳ではありません。個性とその後の
環境によってとてつもなく光り輝く人間がいるのと同じ魅力がダイアモンドにもある
のです。
因みにその17ctのダイアモンドを購入して、日本に到着するやいなや売れてしまい
ました。
ダイアモンドを一度ジ~っと見る機会をつくってみてください。必ず何かを感じます。
『髙木さんが長年ダイアモンドの買付をしていてダイアモンドに飽きることはなかった
んですか?』と尋ねられました。
この質問は多分にダイアモンドを見る機会が少ない方の発言なのかなとも思います。
つまり、ダイアモンドに魅力を感じている方の多くはダイアモンドは見飽きないという
事をよく口にします。
それでは私はどうかと言いますと。仕事で見ている分にはその作業に対して飽きる
事はありますが、ダイアモンドそのものに飽きることはありません。
ゴルフに夢中になるのは、一度でも理想的なショットをした事がある人です。それは
ゴルフをする皆さんに心覚えがあると思いますが、一度でも理想的なショットをすると
それがもう一度できそうな気がして続けています。
出来るはずと思っているとたまに理想的なショットが出てきます。そうすると20回に
一度のショットでもやる気がまた出てきて、続けていきます。
ゴルフとイコールではありませんが、30年以上沢山の石を見ていても必ずと言って
いいほど今まで見たダイアモンドより感動的なものを見る事があります。
見続けていると必ずもっと魅力的なダイアモンドが出てくるはずだという事を前提に
見続けています。
やはり、今まで以上の魅力を感じるダイアモンドは出てくるのです。その時に感じる
ことは、ダイアモンドの特徴と人間の技術の合値です。そしてそれは必ずしも、無色
透明な物とは限りません。
俗に言われている4Cグレードを超えた物がいつもそこには存在します。4Cグレード
を否定する訳ではなく、それもダイアモンドの魅力を伝える手段の一つではあります
が、それはダイアモンドの一部を表現しているにすぎません。
魅力的に出てくるダイアモンドは決して無色透明なもので理想的と言われるカット
ばかりではありません。やはりその石の持った個性と人間の技術が見事に一致した
時に醸し出される魅力に勝るものはありません。
それは3年前の事です。
通常の買付作業をしていると私のアシスタントをしてくれているハニーという女性が
『カズ、この石を見て!!』
私が目にしたものは17ctのペアシェイプ(梨型)でした。
うす~いブラウンのじ色をしたライフ(照り)の強い見事なダイアモンドで決して理想
的なカットとは言えるものではありませんでしたが、この石に関してはこのカットが
理想的だと思うような魅力的なダイアモンドでした。
ダイアモンドの魅力というのは、必ずしも人間の計算したものではなくその石自体が
持っている特性とカットした人間の相性もあります。それが一致した時にとてつもない
事が起きる。その事が経験の中で身についているのでダイアモンドに飽きることは
ないのでしょう。
人間と一緒で成績優秀な人間だけが魅力的な訳ではありません。個性とその後の
環境によってとてつもなく光り輝く人間がいるのと同じ魅力がダイアモンドにもある
のです。
因みにその17ctのダイアモンドを購入して、日本に到着するやいなや売れてしまい
ました。
ダイアモンドを一度ジ~っと見る機会をつくってみてください。必ず何かを感じます。
2011年8月3日水曜日
エンゲルベルト・フンパーディンク。
最近、テレビのコマーシャルから軽快な音楽流れて、その音楽が自身の心の底を
揺さぶる感じがして、とても心地よい瞬間に陥ります。
1970年代半ばロサンゼルスで過ごしていた。当時のロサンゼルスは治安も悪く、
車の移動は是是非でありました。
当時の私は持ち金も少なく、ポンコツの1960年代のフィアットをやっと手に入れて
移動手段としていました。夏に買って冬になる時に初めてヒーターが壊れている事が
わかり、売り手にしてやられたという感じで後の祭りでしたが当時はそれが当たり前。
やっと手に入れた、車でカセットテープデッキがついていましたが、勿論テープの持ち
合わせはありません。お金のなかった私にはテープを買う余裕はあまりありませんで
したが、どうしてもデッキが作動するかどうかを確かめたくて思わず、まだ日本では
名前も知らなかったタワーレコードでワゴンにSALEと書かれて置いてあったブルー
のカセットテープを買い、早速かけてみました。
幸運にも軽快な音楽を奏でるカセット出来からは聞こえた曲は当時日本では聞く事
のなかった曲ばかりでしたが、異国に住み始めて間もない私にはすごく贅沢な時間
に感じ、いつもこのカセットテープから流れる曲と共に過ごしていました。
このカセットテープには当時、トムジョーンズと並び称されていた『エンゲルベルト・
フンパーディンク』が収録されており、青い空のカリフォル二アにはぴったりの歌声
でした。特に気に入っていた曲が『クアンド・クアンド・クアンド』でした。
『クアンド・クアンド・クアンド』がテレビの画面から流れてきた瞬間にいきなり当時の
カリフォルニアに引き戻せれ多様な錯覚にさえ陥り、音楽が記憶とシンクロしている
事を改めて感じる瞬間で、大げさに言えばここ数年の間で一番興奮した瞬間でした。
心地よい記憶は何かをキッカケに呼び起されるという事はよくいわれる事ですが、
曲や景色等で思い出す記憶は瞬間的に過去へ運んでくれますが、今を将来に運ぶ
キッカケをたくさん作っておきたいものです。
皆さん、ダイアモンドは良い思い出と一緒に将来の世代にも現代を運んでくれる
大事なメモリーカードです。楽しい時にはダイアモンドを常に携帯してください。
ちなみに、エンゲルベルト・フンパーディンクのCDを探してついに手に入れました。
揺さぶる感じがして、とても心地よい瞬間に陥ります。
1970年代半ばロサンゼルスで過ごしていた。当時のロサンゼルスは治安も悪く、
車の移動は是是非でありました。
当時の私は持ち金も少なく、ポンコツの1960年代のフィアットをやっと手に入れて
移動手段としていました。夏に買って冬になる時に初めてヒーターが壊れている事が
わかり、売り手にしてやられたという感じで後の祭りでしたが当時はそれが当たり前。
やっと手に入れた、車でカセットテープデッキがついていましたが、勿論テープの持ち
合わせはありません。お金のなかった私にはテープを買う余裕はあまりありませんで
したが、どうしてもデッキが作動するかどうかを確かめたくて思わず、まだ日本では
名前も知らなかったタワーレコードでワゴンにSALEと書かれて置いてあったブルー
のカセットテープを買い、早速かけてみました。
幸運にも軽快な音楽を奏でるカセット出来からは聞こえた曲は当時日本では聞く事
のなかった曲ばかりでしたが、異国に住み始めて間もない私にはすごく贅沢な時間
に感じ、いつもこのカセットテープから流れる曲と共に過ごしていました。
このカセットテープには当時、トムジョーンズと並び称されていた『エンゲルベルト・
フンパーディンク』が収録されており、青い空のカリフォル二アにはぴったりの歌声
でした。特に気に入っていた曲が『クアンド・クアンド・クアンド』でした。
『クアンド・クアンド・クアンド』がテレビの画面から流れてきた瞬間にいきなり当時の
カリフォルニアに引き戻せれ多様な錯覚にさえ陥り、音楽が記憶とシンクロしている
事を改めて感じる瞬間で、大げさに言えばここ数年の間で一番興奮した瞬間でした。
心地よい記憶は何かをキッカケに呼び起されるという事はよくいわれる事ですが、
曲や景色等で思い出す記憶は瞬間的に過去へ運んでくれますが、今を将来に運ぶ
キッカケをたくさん作っておきたいものです。
皆さん、ダイアモンドは良い思い出と一緒に将来の世代にも現代を運んでくれる
大事なメモリーカードです。楽しい時にはダイアモンドを常に携帯してください。
ちなみに、エンゲルベルト・フンパーディンクのCDを探してついに手に入れました。
2011年8月2日火曜日
後世へ
人間の本能の中には子孫を残す事や、文化継承等の意識は自然にある物だと思い
ますが、それは普段意識をする事ではなく、自らの何らかの転換期や境遇によって
意識する事なのかもしれない。
今、流行のロハスは真にその事を表現しており、何らかの状況を迎え、そのことを
意識している人が増えてきたのだと思います。
ロハスとは地球上の自然を大事にし、如何にこの自然を長く大事に使っていき共生
して行くかという取り組みです。現代においてはあまりにもアメリカ流の消費文化が
蔓延し、その場限りの間に合わせにお金と労力を割いているのかと思います。
確かに経済は格別生死に関わるようなものではない物、つまり文化と言われるよう
な物が活性化して成り立っているものではありますが、現代の経済や文化はあまり
にも度を越して見えます。経済の為に文化を起こし、またそれを葬りさっています。
そろそろ、地球の限りある、資源や、文化を大事にして意識する事を心がける事を
考えても良いのではないでしょうか。つまり、文化というものは子孫に残す事の出来
る、誇れるものであってほしいという事と、その文化が肉体的にも精神的にも子孫
達の支えになるものであってほしい。
先日、ご来店頂いたお客様がお求めになったダイアモンドの出来上がりを受け取る
際に
『私にはまだ過ぎたものかと思っていましたが、こちらのお店で後世に残し代々受け
継いでいくものですよと言われて、そうだと思い切って大きなものを頂いたんですよ』
と言われてそう考えてくれる人がもっと多く現れてほしいと考えています。
人の存在や考え方、そして現実に残していける物を継続していけるものをもっと大事
にして良いのではないかと、そのお客様の一言で余計に意識をするようになりました。
ダイアモンドは人類の文化の中にある自然の物では最古の物ですから、ロハスの
代表格と言ってよいでしょうね。
ますが、それは普段意識をする事ではなく、自らの何らかの転換期や境遇によって
意識する事なのかもしれない。
今、流行のロハスは真にその事を表現しており、何らかの状況を迎え、そのことを
意識している人が増えてきたのだと思います。
ロハスとは地球上の自然を大事にし、如何にこの自然を長く大事に使っていき共生
して行くかという取り組みです。現代においてはあまりにもアメリカ流の消費文化が
蔓延し、その場限りの間に合わせにお金と労力を割いているのかと思います。
確かに経済は格別生死に関わるようなものではない物、つまり文化と言われるよう
な物が活性化して成り立っているものではありますが、現代の経済や文化はあまり
にも度を越して見えます。経済の為に文化を起こし、またそれを葬りさっています。
そろそろ、地球の限りある、資源や、文化を大事にして意識する事を心がける事を
考えても良いのではないでしょうか。つまり、文化というものは子孫に残す事の出来
る、誇れるものであってほしいという事と、その文化が肉体的にも精神的にも子孫
達の支えになるものであってほしい。
先日、ご来店頂いたお客様がお求めになったダイアモンドの出来上がりを受け取る
際に
『私にはまだ過ぎたものかと思っていましたが、こちらのお店で後世に残し代々受け
継いでいくものですよと言われて、そうだと思い切って大きなものを頂いたんですよ』
と言われてそう考えてくれる人がもっと多く現れてほしいと考えています。
人の存在や考え方、そして現実に残していける物を継続していけるものをもっと大事
にして良いのではないかと、そのお客様の一言で余計に意識をするようになりました。
ダイアモンドは人類の文化の中にある自然の物では最古の物ですから、ロハスの
代表格と言ってよいでしょうね。
2011年7月28日木曜日
楽しい午後
昨日の午後、カップルが店内をのぞきながら入ってこられました。
『お久しぶりです』
男性の方がニコニコと人懐っこそうな笑顔で入ってこられた。
『アッ、ご無沙汰しています』
当方は一瞬、戸惑いましたがすぐにこの春先に始めてご来店を頂き、宝石に興味が
ある(特に裸石)という御仁である事をすぐに思い出しました。
『自由が丘に来てまして、外が暑いので、一寸、涼まして頂こうと思いまして・・。』
『そうですか。どうぞ、どうぞ・・、』
『前回頂きました本読ませていただきました。大変面白かったです。』
『そうですか、本日も沢山裸石が並んでいますのでゆっくりごらんになってください。』
その後男性はシューケースに並んでいたダイアモンドの裸石を覗きながら興味深そう
に見入ってはほかのケース前で立ち止まっては覘いておりました。
そうこうしているうちに良くお越しになるご婦人が修理品を取りにお寄りになって私と
スタッフが別々に対応をしていると、間もなくお二人の御婦人が外から覗きながら
店内に入ってこられました。
たまたま、二人しかいなかった当方側はあたふたと対応をしている時に、最初に
いらしたご婦人がカップルの品物選びを手伝っておりました。
『アッ、すみません。なんか手伝って頂いて・・・。』
『そういう訳ではなく、この店が如何に居心地が良いか、お話をさせて頂いていて
ついでにどちらの方が良いか意見を言わせて頂いておりましたの・・』
カップルの前には二本の指輪が置いてあり、スタッフと一緒にご覧になっておりまし
た。
『いえ、こちらのお客様にどう思うか、ご相談をしていたんですよ』
とカップルの女性が・・・。
傍らには当方にスタッフがニコニコとそのやり取りを眺めておりました。
省みて、お二人の御婦人はローズ製品のコーナーをご覧になっているなあ・・と思って
いたら、ショーケースを見ながら一方の女性が
『アラ、このネックレス素敵ね~。』
とネックレスをご覧になり
『試してよいですか?』
『勿論、良いですよ。どうぞ、どうぞ。』
『着けてみると、もっと素敵ね・・。』
店内では何となくお客様皆さんが一体化しているよう穏やかな雰囲気が流れており、
何故か自身が幸せな気分になっている事に気がつき
(あ~なんて楽しい午後なんだろう)
『それでは、これを頂きます』
男性がこちらに声をかけてきた時には最初のご婦人は店内を既に出られており、
後姿が陽々されていたのは気のせいだろうか?
『お久しぶりです』
男性の方がニコニコと人懐っこそうな笑顔で入ってこられた。
『アッ、ご無沙汰しています』
当方は一瞬、戸惑いましたがすぐにこの春先に始めてご来店を頂き、宝石に興味が
ある(特に裸石)という御仁である事をすぐに思い出しました。
『自由が丘に来てまして、外が暑いので、一寸、涼まして頂こうと思いまして・・。』
『そうですか。どうぞ、どうぞ・・、』
『前回頂きました本読ませていただきました。大変面白かったです。』
『そうですか、本日も沢山裸石が並んでいますのでゆっくりごらんになってください。』
その後男性はシューケースに並んでいたダイアモンドの裸石を覗きながら興味深そう
に見入ってはほかのケース前で立ち止まっては覘いておりました。
そうこうしているうちに良くお越しになるご婦人が修理品を取りにお寄りになって私と
スタッフが別々に対応をしていると、間もなくお二人の御婦人が外から覗きながら
店内に入ってこられました。
たまたま、二人しかいなかった当方側はあたふたと対応をしている時に、最初に
いらしたご婦人がカップルの品物選びを手伝っておりました。
『アッ、すみません。なんか手伝って頂いて・・・。』
『そういう訳ではなく、この店が如何に居心地が良いか、お話をさせて頂いていて
ついでにどちらの方が良いか意見を言わせて頂いておりましたの・・』
カップルの前には二本の指輪が置いてあり、スタッフと一緒にご覧になっておりまし
た。
『いえ、こちらのお客様にどう思うか、ご相談をしていたんですよ』
とカップルの女性が・・・。
傍らには当方にスタッフがニコニコとそのやり取りを眺めておりました。
省みて、お二人の御婦人はローズ製品のコーナーをご覧になっているなあ・・と思って
いたら、ショーケースを見ながら一方の女性が
『アラ、このネックレス素敵ね~。』
とネックレスをご覧になり
『試してよいですか?』
『勿論、良いですよ。どうぞ、どうぞ。』
『着けてみると、もっと素敵ね・・。』
店内では何となくお客様皆さんが一体化しているよう穏やかな雰囲気が流れており、
何故か自身が幸せな気分になっている事に気がつき
(あ~なんて楽しい午後なんだろう)
『それでは、これを頂きます』
男性がこちらに声をかけてきた時には最初のご婦人は店内を既に出られており、
後姿が陽々されていたのは気のせいだろうか?
2011年7月26日火曜日
安物買いの銭失い
先日、友人の紹介でリネン(麻)のシャツのオーダー会があるというので顔を出して
みました。生地がしなやかでなんともさわり心地の良いものでした。
そいえばここ十年というものシャツをつくることもなかったような気がします。
特に傷む事もなく流行としても影響のあるようなものではなかったので今でも愛用し
ています。
当時は、ヨーロッパへの出張も多く、ちょっと高いかなとも思いながら、生地の色や
形に魅了されて、良くつくっていました。
最近の洋服は確かに安いし、デザインも豊富な事は認めますが、なんせ縫製も生地
も良い様には見えません。しかし多くの若者(若者に限らず)はその時々に着れて
いれば良い様だし、形が多少崩れても気にしないようなのでそれで良いのかもしれ
ない。
最近は所得も減り、景気も良くはないのは確かであるが、物価も下がっているのも
確かであり、総体的には受供のバランスはあまり変わってはいないような気がします。
相対的に変わった事と言えば、形に残らない物にお金そ皆が使うようになった。
例えば、携帯やそのゲーム等に使うお金は半端ではないし、チープな素材な物を
平気で買うようになった事であると思う。
日本全体がチープなものを良しとしている。しかし、長くは使わない消費体質が身に
つき、一時の三つ子の赤字と言われた米国の状況に良く似ている。
当時の米国では国産の物はほとんど見ることはなく安売り合戦の真っ最中であった。
そこで当時のレーガン大統領は『Buy America!!』なるスローガンを打ち立てて、景気
の回復を成し遂げたのは記憶に新しい。現在のアメリカはレーガン以前の状況に
陥っており、日本も同じ状況にあります。
消費文化ではなく付加価値を尊ぶ文化こそが本当のエコであり、消費処分された
費用がどれくらいかかり、それにどれくらいの税金が費やされているかを考えると
決して安くない物にお金を費やしていると思いますがいかがでしょうか?
付加価値を認める事は、実は経済的で、其々の国内の産業を守り長い目で見ると
エコであり、経済的にも有効であります。
耐久性や付加価値がどれくらいの価値でお金をセーブすることになるか考えるには
よう機会だと思いますが、そこに気を向けるには供給者の努力も必要でしょう。
とにかく、日本全体が『安物買いの銭失い』になっているような気がします。今回の
原発事故はその典型かもしれません。
その究極がダイアモンドである事も付け加えておきます。
本当の付加価値を知ろうではありませんか。
みました。生地がしなやかでなんともさわり心地の良いものでした。
そいえばここ十年というものシャツをつくることもなかったような気がします。
特に傷む事もなく流行としても影響のあるようなものではなかったので今でも愛用し
ています。
当時は、ヨーロッパへの出張も多く、ちょっと高いかなとも思いながら、生地の色や
形に魅了されて、良くつくっていました。
最近の洋服は確かに安いし、デザインも豊富な事は認めますが、なんせ縫製も生地
も良い様には見えません。しかし多くの若者(若者に限らず)はその時々に着れて
いれば良い様だし、形が多少崩れても気にしないようなのでそれで良いのかもしれ
ない。
最近は所得も減り、景気も良くはないのは確かであるが、物価も下がっているのも
確かであり、総体的には受供のバランスはあまり変わってはいないような気がします。
相対的に変わった事と言えば、形に残らない物にお金そ皆が使うようになった。
例えば、携帯やそのゲーム等に使うお金は半端ではないし、チープな素材な物を
平気で買うようになった事であると思う。
日本全体がチープなものを良しとしている。しかし、長くは使わない消費体質が身に
つき、一時の三つ子の赤字と言われた米国の状況に良く似ている。
当時の米国では国産の物はほとんど見ることはなく安売り合戦の真っ最中であった。
そこで当時のレーガン大統領は『Buy America!!』なるスローガンを打ち立てて、景気
の回復を成し遂げたのは記憶に新しい。現在のアメリカはレーガン以前の状況に
陥っており、日本も同じ状況にあります。
消費文化ではなく付加価値を尊ぶ文化こそが本当のエコであり、消費処分された
費用がどれくらいかかり、それにどれくらいの税金が費やされているかを考えると
決して安くない物にお金を費やしていると思いますがいかがでしょうか?
付加価値を認める事は、実は経済的で、其々の国内の産業を守り長い目で見ると
エコであり、経済的にも有効であります。
耐久性や付加価値がどれくらいの価値でお金をセーブすることになるか考えるには
よう機会だと思いますが、そこに気を向けるには供給者の努力も必要でしょう。
とにかく、日本全体が『安物買いの銭失い』になっているような気がします。今回の
原発事故はその典型かもしれません。
その究極がダイアモンドである事も付け加えておきます。
本当の付加価値を知ろうではありませんか。
2011年7月21日木曜日
ダイアモンドと住宅
先日、友人でもある女性建築士がかねてより注文を受けていたダイアモンドのネック
レスの出来上がりを取りにみえた。
『わ―ッ、思った以上の出来上がりだわ。お勧めに従っていてやはり良かったわ。』
『そう言ってもらえると、こちらもありがたいね』
『でも昨日、宝の箱をひっくり返して並べてみたら、髙木さんから頂いたのが結構な
数になっていたわ』
『そうだろね。お店を始める前からだからね』
正直考えた事はあまりなったけれど、多分、小さな宝石店のダイアモンドコーナーを
埋め尽くすくらいの点数は持っているのかもしれません。
『でも、いつも思うの。ダイアモンドは価値があるな~ッって。』
『だって古くなる訳でもいたむ訳でも流行がある訳でもないし、へたなブランドのバッグ
を何十万を出して買う人の気持ちが解らないわ。』
『まあ、確かに価値観も違うし感性も違うからね。でも、ダイアモンドの価値も解って
いる人は少ないし、ダイアモンドの価値を説明して、売るお店は少ないかもしれな
いね。』
『でも、私は注文建築専門でしょ。だから、髙木さんの気持ちもわかるわ。良く依頼主
にいるんだけれど、インターネットで調べて天井の高さはどれくらいで、ドアの幅は
どこそこのメーカーと同じ幅でとか言ってくる方も多いんだけれど、それなら建売り
かメーカー品にした方が良いのよね』
『そら、そうだね。』
『そうなの、自分がそこに存在して感じてどれくらいの高さ、広さがいいと言ってくれて
結果造ってみたら、どの寸法だったという事で、居心地を感じる事が先で寸法は後
で良い事なの、それが注文建築の良さなのよね』
『自分の気に入ったダイアモンドを選んで、その上でグレードを聞いたらこうこうだった
という事と同じ事だという事だよね』
『全くその通り、中途半端な思い込みを持って、手に入れても結果、満足をしないと
いう事になるんですよね』
『だから、プロのアドバイスにある程度お任せして、自分の感性を大事にして素材を
考えた方がいいんですよね』
『そう思うね。グレードにこだわり過ぎて、結果満足をしない人が多いし、後で買替え
る人が結構いるからね。』
『そう、だから注文住宅とダイアモンドはよく似ていると思うの。』
なるほどと思いながらその後お客様にこの例をお話しすると皆さんに納得なさって
頂けるような気がします。
昨日いらした30歳くらいのお客様もこのお話の結果、0.9ctといった1ctには満たない
けれど、気に入ったダイアモンドをお求めになっていきました。
レスの出来上がりを取りにみえた。
『わ―ッ、思った以上の出来上がりだわ。お勧めに従っていてやはり良かったわ。』
『そう言ってもらえると、こちらもありがたいね』
『でも昨日、宝の箱をひっくり返して並べてみたら、髙木さんから頂いたのが結構な
数になっていたわ』
『そうだろね。お店を始める前からだからね』
正直考えた事はあまりなったけれど、多分、小さな宝石店のダイアモンドコーナーを
埋め尽くすくらいの点数は持っているのかもしれません。
『でも、いつも思うの。ダイアモンドは価値があるな~ッって。』
『だって古くなる訳でもいたむ訳でも流行がある訳でもないし、へたなブランドのバッグ
を何十万を出して買う人の気持ちが解らないわ。』
『まあ、確かに価値観も違うし感性も違うからね。でも、ダイアモンドの価値も解って
いる人は少ないし、ダイアモンドの価値を説明して、売るお店は少ないかもしれな
いね。』
『でも、私は注文建築専門でしょ。だから、髙木さんの気持ちもわかるわ。良く依頼主
にいるんだけれど、インターネットで調べて天井の高さはどれくらいで、ドアの幅は
どこそこのメーカーと同じ幅でとか言ってくる方も多いんだけれど、それなら建売り
かメーカー品にした方が良いのよね』
『そら、そうだね。』
『そうなの、自分がそこに存在して感じてどれくらいの高さ、広さがいいと言ってくれて
結果造ってみたら、どの寸法だったという事で、居心地を感じる事が先で寸法は後
で良い事なの、それが注文建築の良さなのよね』
『自分の気に入ったダイアモンドを選んで、その上でグレードを聞いたらこうこうだった
という事と同じ事だという事だよね』
『全くその通り、中途半端な思い込みを持って、手に入れても結果、満足をしないと
いう事になるんですよね』
『だから、プロのアドバイスにある程度お任せして、自分の感性を大事にして素材を
考えた方がいいんですよね』
『そう思うね。グレードにこだわり過ぎて、結果満足をしない人が多いし、後で買替え
る人が結構いるからね。』
『そう、だから注文住宅とダイアモンドはよく似ていると思うの。』
なるほどと思いながらその後お客様にこの例をお話しすると皆さんに納得なさって
頂けるような気がします。
昨日いらした30歳くらいのお客様もこのお話の結果、0.9ctといった1ctには満たない
けれど、気に入ったダイアモンドをお求めになっていきました。
2011年7月18日月曜日
なでしこジャパン世界一!?
おめでとう!? 『なでしこジャパン』
なぜ勝てたんだろう?
結果は世界一だからその理由があるはずですよね。弱ければ勝てないし、技術が
なければ残れないし、運がなければその場にいれない。そして、何より精神的な
強さと思いがなければ世界一にはなれないでしょう。
今回の選手を見ていると意外と無口で余計な事を口にしない選手も多くいるという。
不言実行なのだろうか、むしろ昔の侍を意識させる選手もまた多いといいます。
勿論明るい選手も多いのですが、世界一になるには集中力の強さが何よりも必要
になると思います。
彼女達はいつも崖っぷちで、男子選手のような恵まれた環境では決してないという
ことです。彼女達の何人かは世界一になる為に自費で海外のチームに所属してい
る者もいるといいます。だから、オシャレもできないし、そこに割く気持も抑えなくて
ならない。
その点、男子は結構おしゃれに気を使ったり外からどう見えるのかを結構意識して
いるように見えるし、海外へも通訳や所属チームに特別待遇を受けたりメディアを
意識したりとプレーとは別のところに気を使う事が多いように思えます。
社会には外見だけを気にして生きている若者も多くいます。なでしこ達が選んだ道
は必ずしも平坦ではないし、《カワイイ~》ともいわれないかもしれませんが、間違
いなく、人間の一つの道を示しているし、決して好きというだけでは出来ない困難な
道を選んで目標を完結しました。
夢だけではとれないし、思うだけでは実現しない。狙ってとりに行った彼女達の
《世界一》日本中でお祝いをして、彼女達の中にこれからの自分達を映しだす若者
達が少しでも多く現れて先人を安心させてくれるように願い、政治家も含めて大人達
が少しでも若者たちの道標になれるように《なでしこジャパン》を見習いたいものです。
本物が最後には残り、その場だけの物はいずれ消えていきます。彼女達のような
本物を懐に入れた日本人が多く現れるようになれば良いと考えます。
そして《侍ジャパン》の名称は彼女達(なでしこ)に捧げたいと思いませんか?
とにかく、ナンバーワンは精神的にも物理的にもテンションをあげてくれます。
ナンバーツーではだめなんです。『ナンバーワン』が意味があるんです。
がんばれ!! ニッポン!!
なぜ勝てたんだろう?
結果は世界一だからその理由があるはずですよね。弱ければ勝てないし、技術が
なければ残れないし、運がなければその場にいれない。そして、何より精神的な
強さと思いがなければ世界一にはなれないでしょう。
今回の選手を見ていると意外と無口で余計な事を口にしない選手も多くいるという。
不言実行なのだろうか、むしろ昔の侍を意識させる選手もまた多いといいます。
勿論明るい選手も多いのですが、世界一になるには集中力の強さが何よりも必要
になると思います。
彼女達はいつも崖っぷちで、男子選手のような恵まれた環境では決してないという
ことです。彼女達の何人かは世界一になる為に自費で海外のチームに所属してい
る者もいるといいます。だから、オシャレもできないし、そこに割く気持も抑えなくて
ならない。
その点、男子は結構おしゃれに気を使ったり外からどう見えるのかを結構意識して
いるように見えるし、海外へも通訳や所属チームに特別待遇を受けたりメディアを
意識したりとプレーとは別のところに気を使う事が多いように思えます。
社会には外見だけを気にして生きている若者も多くいます。なでしこ達が選んだ道
は必ずしも平坦ではないし、《カワイイ~》ともいわれないかもしれませんが、間違
いなく、人間の一つの道を示しているし、決して好きというだけでは出来ない困難な
道を選んで目標を完結しました。
夢だけではとれないし、思うだけでは実現しない。狙ってとりに行った彼女達の
《世界一》日本中でお祝いをして、彼女達の中にこれからの自分達を映しだす若者
達が少しでも多く現れて先人を安心させてくれるように願い、政治家も含めて大人達
が少しでも若者たちの道標になれるように《なでしこジャパン》を見習いたいものです。
本物が最後には残り、その場だけの物はいずれ消えていきます。彼女達のような
本物を懐に入れた日本人が多く現れるようになれば良いと考えます。
そして《侍ジャパン》の名称は彼女達(なでしこ)に捧げたいと思いませんか?
とにかく、ナンバーワンは精神的にも物理的にもテンションをあげてくれます。
ナンバーツーではだめなんです。『ナンバーワン』が意味があるんです。
がんばれ!! ニッポン!!
2011年7月13日水曜日
自然淘汰!?
地球や人類の歴史が始まって以来、文化にしても物理的なものにしても多くの物が
自然淘汰され、新しい物が生まれてきました。
必要があって生まれてきたものでも役割が終わると事前に消えていきます。
人類の役割は進化なのか、残るためなのか寿命があり、生まれ変わり、さらに変化
をしていきます。それが進化なのか単なる変化なのか解りませんがとにかく生まれて
消えていきます。
動物であれ、植物であれ、文化であれその時に必要であっても、必要とされなくなる
と消え、その中で淘汰の繰り返しが行われる。
身近な事で考えても流行と言う名のもとにそのような事が繰り返されています。そして
本当にどの時代になっても必要とされたものだけが本物として残っていきます。
残念ながら多くの経済活動は長い時間で見た時に淘汰されるものにお金が費やされ
る事が多いのです。組織にしてもシステムにしても日進月歩でその繰り返しが行われ
ています。
物理的ではないにして残るものは伝統や文化として、精神的支柱として残っていく物
も多くあります。それは天皇制だったり、歌舞伎だったり、宗教だったり、精神的空間
を埋める物として、残っていきます。
ダイアモンドは物理的ではありますが実効性や実用性のない物質です。
ダイアモンドは長い歴史の中で淘汰されずにやはり残っています。それはやはり本物
である事が結果を見ると物語っていることになります。
多くの場合物理的か精神的かどちらかの意味があり本物は残っていきますが、こと
ダイアモンドに関しては両面を持った本物であるから自然淘汰されずに残ってきたと
考える事が自然であり、その事を突き詰めたり、説明する事がダイアモンドに携わる
人間の役割であると思います。宗教で言う宣教師的なことかもしれません。
ダイアモンドは時には楽しく、時には励ましや希望、目標を与えてくれます。その事は
人間にとって必要不可欠な事を感じさせてくれ、感じることにより色々な感性を引出し
てくれるサプリメントのような存在である。そのチープなもんとしてパワーストーンが
あっていするのかもれません。しかし、多くの場合それは本物ではなりません。
人類をより先に存在するダイアモンドを感じる事が世界を広くし、明るくしてくれます。
間違いありません。なぜならダイアモンドは自然淘汰されていないのですから・・・。
自然淘汰され、新しい物が生まれてきました。
必要があって生まれてきたものでも役割が終わると事前に消えていきます。
人類の役割は進化なのか、残るためなのか寿命があり、生まれ変わり、さらに変化
をしていきます。それが進化なのか単なる変化なのか解りませんがとにかく生まれて
消えていきます。
動物であれ、植物であれ、文化であれその時に必要であっても、必要とされなくなる
と消え、その中で淘汰の繰り返しが行われる。
身近な事で考えても流行と言う名のもとにそのような事が繰り返されています。そして
本当にどの時代になっても必要とされたものだけが本物として残っていきます。
残念ながら多くの経済活動は長い時間で見た時に淘汰されるものにお金が費やされ
る事が多いのです。組織にしてもシステムにしても日進月歩でその繰り返しが行われ
ています。
物理的ではないにして残るものは伝統や文化として、精神的支柱として残っていく物
も多くあります。それは天皇制だったり、歌舞伎だったり、宗教だったり、精神的空間
を埋める物として、残っていきます。
ダイアモンドは物理的ではありますが実効性や実用性のない物質です。
ダイアモンドは長い歴史の中で淘汰されずにやはり残っています。それはやはり本物
である事が結果を見ると物語っていることになります。
多くの場合物理的か精神的かどちらかの意味があり本物は残っていきますが、こと
ダイアモンドに関しては両面を持った本物であるから自然淘汰されずに残ってきたと
考える事が自然であり、その事を突き詰めたり、説明する事がダイアモンドに携わる
人間の役割であると思います。宗教で言う宣教師的なことかもしれません。
ダイアモンドは時には楽しく、時には励ましや希望、目標を与えてくれます。その事は
人間にとって必要不可欠な事を感じさせてくれ、感じることにより色々な感性を引出し
てくれるサプリメントのような存在である。そのチープなもんとしてパワーストーンが
あっていするのかもれません。しかし、多くの場合それは本物ではなりません。
人類をより先に存在するダイアモンドを感じる事が世界を広くし、明るくしてくれます。
間違いありません。なぜならダイアモンドは自然淘汰されていないのですから・・・。
2011年7月1日金曜日
ショウがない!?
節電もここまで来るとブームではないかとさえ思います。
連日の猛暑にもかかわらず皆一生懸命に節電をしています。しかし、そのためにも
多くの熱中症患者が例年より出ているとのことです。
悪のスパイラルとでも言いましょうか。暑いから冷房を入れる・・・とエアコンが熱さを
外に出す・・・だからまた暑い。そしてエアコンをつける。
地球温暖化もあるかもしれない。しかし、そもそも人間が必要以上の快適さを求めた
が故であり、その結果、厳しい環境に耐える人間が少なくなったきたのでは・・・。
現代の子供たちの多くは上手く発汗が出来ないそうで、それは小さなころからエアコン
で育った来た為で熱中症になりやすい体質になっているそうです。
であるならば、エアコンは絶対に必要であり、無理に我慢をすることはないという事に
なり、もしくは、全員が一斉にエアコンを止める・・といった事は不可能なこと・・・・・。
でも、節電をしなければいけない・・・。サア~どうする?
日本人はなぜ節電をしなければいけないかという事を説明されるとやむを得ないと
思い実行する。なかには私ぐらい・・・と思って努力をしない愚かな連中もいるが多く
の日本人は『ショウがない』と思いながらも暴動を起こすことはないでしょう。
ギリシャであれば大暴動であると思う。その点日本の政府は国民に感謝をしなければ
ならないし、消費税にしてもいずれ国民は認めるでしょう。
しかし、である。
もし、節電をしてこのまま原発が止まった状態で乗り切れたなら、原発はいらないと
いう事になるのかもしれない。もし、このまま経済状況が上向きになったのなら、
消費税は挙げる必要がないという事になるのかもしれない。
いままで、政治家は嘘をつき過ぎてきました。百年安心の年金、原発がなければ
多くの企業は海外流失する・・・。といった既に結果の出た嘘や結果が出そうな嘘を
平気でついています。
日本の国民はそれでもしょうがないと受け入れながら日本という国の運営をしてきた
と思います。そして、これからもそうするのでしょう。
『ショウがない』ですからね。
日本のルーツはやはり神道であり、なんでも受け入れるおおらかな国民性なので
しょうね。
もしかしたら、日本には政治家はいらないのかもしれませんね。
将来は元老院とそこに管理された官僚と行政があるという事が理想かもしれません。
勿論、元老院は本来の知的な人々が50人ほど選挙によって選らばれる。
そして、国民の意思と元老院の管理によって官僚と行政は行動をする・・・というのは
どうでしょうね。
これくらいシンプルなもので日本国民は大丈夫だと思いますよ。
だって、いざとなったら『ショウがない』精神がありますからね。
連日の猛暑にもかかわらず皆一生懸命に節電をしています。しかし、そのためにも
多くの熱中症患者が例年より出ているとのことです。
悪のスパイラルとでも言いましょうか。暑いから冷房を入れる・・・とエアコンが熱さを
外に出す・・・だからまた暑い。そしてエアコンをつける。
地球温暖化もあるかもしれない。しかし、そもそも人間が必要以上の快適さを求めた
が故であり、その結果、厳しい環境に耐える人間が少なくなったきたのでは・・・。
現代の子供たちの多くは上手く発汗が出来ないそうで、それは小さなころからエアコン
で育った来た為で熱中症になりやすい体質になっているそうです。
であるならば、エアコンは絶対に必要であり、無理に我慢をすることはないという事に
なり、もしくは、全員が一斉にエアコンを止める・・といった事は不可能なこと・・・・・。
でも、節電をしなければいけない・・・。サア~どうする?
日本人はなぜ節電をしなければいけないかという事を説明されるとやむを得ないと
思い実行する。なかには私ぐらい・・・と思って努力をしない愚かな連中もいるが多く
の日本人は『ショウがない』と思いながらも暴動を起こすことはないでしょう。
ギリシャであれば大暴動であると思う。その点日本の政府は国民に感謝をしなければ
ならないし、消費税にしてもいずれ国民は認めるでしょう。
しかし、である。
もし、節電をしてこのまま原発が止まった状態で乗り切れたなら、原発はいらないと
いう事になるのかもしれない。もし、このまま経済状況が上向きになったのなら、
消費税は挙げる必要がないという事になるのかもしれない。
いままで、政治家は嘘をつき過ぎてきました。百年安心の年金、原発がなければ
多くの企業は海外流失する・・・。といった既に結果の出た嘘や結果が出そうな嘘を
平気でついています。
日本の国民はそれでもしょうがないと受け入れながら日本という国の運営をしてきた
と思います。そして、これからもそうするのでしょう。
『ショウがない』ですからね。
日本のルーツはやはり神道であり、なんでも受け入れるおおらかな国民性なので
しょうね。
もしかしたら、日本には政治家はいらないのかもしれませんね。
将来は元老院とそこに管理された官僚と行政があるという事が理想かもしれません。
勿論、元老院は本来の知的な人々が50人ほど選挙によって選らばれる。
そして、国民の意思と元老院の管理によって官僚と行政は行動をする・・・というのは
どうでしょうね。
これくらいシンプルなもので日本国民は大丈夫だと思いますよ。
だって、いざとなったら『ショウがない』精神がありますからね。
2011年6月29日水曜日
アンバランス
毎日暑い日がこれからも続くのかなア・・と思うと楽しみやら恐ろしいやらです。
なぜなら、暑い夏には太るタイプだからです。でも食べなければまいりますしね。
ところで、ライト兄弟の事を調べていたらある本の一行にひっかかってしまいました。
船でも何でも乗り物はある程度人が乗ってバランスがとられるようになっています。
兄弟が飛行機を設計しながら無人で飛ばして、最後に人が乗れるようにしようと
した時にどうしてもうまくいかなかった。無人では何度も上手くいっていたのにと
思いながら、実験を行っていた時に『そうだ、自分達で操縦をするのだからバランス
は取れていなくてもいいや!!』と思ったかどうか解りませんが、結果的には自らの
操縦を前提に飛ばしてみたら上手くいったという事です。
それを見ていた支援者が『どうせ自分達で操縦しなければいけないんだから完璧
じゃあなくてもいいんだよ。人生と一緒だ』とつぶやいたそうです。
現在の技術ではそれも考慮の上、自動操縦が可能でさらに操縦士の体重バランス
を気にしなくても良いくらい大きなものも多く、当てはまらないかもしれませんが基本
は人が乗って操縦をしてバランスがとれるように多くの乗り物は設計されているは
ずです。
ここで自らの教訓として『人生は安定飛行が前提の自動操縦ではない』と思い、
自分の人生は自らが操縦をして安定をさせなければいけないのだと改めて感じた
次第です。
人生や心には何時も足りない物があり、だから推進力が生まれるので、人生や心
を満たす物を自らの努力で見つけて安定した飛行を続けることは難しいと思います
が、それが普通の事で誰もがそうだと思えば気を張らずに人生を送れそうですね。
アンバランスで当たり前なんですよね。
なぜなら、暑い夏には太るタイプだからです。でも食べなければまいりますしね。
ところで、ライト兄弟の事を調べていたらある本の一行にひっかかってしまいました。
船でも何でも乗り物はある程度人が乗ってバランスがとられるようになっています。
兄弟が飛行機を設計しながら無人で飛ばして、最後に人が乗れるようにしようと
した時にどうしてもうまくいかなかった。無人では何度も上手くいっていたのにと
思いながら、実験を行っていた時に『そうだ、自分達で操縦をするのだからバランス
は取れていなくてもいいや!!』と思ったかどうか解りませんが、結果的には自らの
操縦を前提に飛ばしてみたら上手くいったという事です。
それを見ていた支援者が『どうせ自分達で操縦しなければいけないんだから完璧
じゃあなくてもいいんだよ。人生と一緒だ』とつぶやいたそうです。
現在の技術ではそれも考慮の上、自動操縦が可能でさらに操縦士の体重バランス
を気にしなくても良いくらい大きなものも多く、当てはまらないかもしれませんが基本
は人が乗って操縦をしてバランスがとれるように多くの乗り物は設計されているは
ずです。
ここで自らの教訓として『人生は安定飛行が前提の自動操縦ではない』と思い、
自分の人生は自らが操縦をして安定をさせなければいけないのだと改めて感じた
次第です。
人生や心には何時も足りない物があり、だから推進力が生まれるので、人生や心
を満たす物を自らの努力で見つけて安定した飛行を続けることは難しいと思います
が、それが普通の事で誰もがそうだと思えば気を張らずに人生を送れそうですね。
アンバランスで当たり前なんですよね。
2011年6月27日月曜日
周りに見えるもの。
美しさを哲学的に考察すると、善であり、快さであると以前にも述べましたが、それは
心の問題であるという事なのですが、美しい物や景色を見ると心が安らぎ、気持ちが
豊かになるという事です。
なにが言いたいかというと目に映っているものが美しいと心が安らぎ、醜い物や乱雑
な物を見ていると心までそうなってしまうと先人が伝えてきました。
震災後の瓦礫を100日以上たった今もそのままにしている事がどの様な結果になる
のかという事を国や行政、特に官僚には考えてほしい。
まだ今は心をおらずに頑張っている精神で支えられているものがいずれはあきらめ
や心の荒廃に繋がらないだろうかと心配しています。
美しい景色や物を見る事は現代の日本でさえ忘れがちであり、心の荒廃が始まって
いるように感じるのはつらいものです。自然を見る事を忘れ人工的なデジタルグッズ
ばかりを見ている日本人は心が美しくなれるのだろうか・・。
現代の日本人の目に映っているものは、知らず知らずに快楽だけを求めた無秩序な
社会ではないのだろうか。
欧米諸国のメディアが日本の『スーパークールビズ』についてのコメントをしているが
現在日本で進められているそのファッションについてあまり肯定的ではない。
米国紙の2紙では過ぎたカジュアルさには抵抗があると書き、英国紙に至っては節
電の名を借りた堕落だと書いています。
過去の日本から見た米国などのカジュアルなフランクさはたまにマユをひそめざるを
えない格好だと思っていた。しかし、今その米国からさえも今の日本のフランクさとい
うか、堕落は如何なものかと映っているようです。
私達は、女子高生のアニメ的化粧や男子高生のだらしない服装に慣れ過ぎてはいな
いだろうか・・。それが当り前になり、それが目に映る事により心の中も本来の心の置
場がずれていないだろうか・・。
ダイアモンドを美しく感じる事が純粋にできる事と持てるかどうかという事を同じレベル
考える人が多い。しかし、それは違う美しいとは必ずしも経済的価値と同レベルには
ない。美しいと考え、その先に経済的価値があると思うのです。
目に映る物を美しいと思う心の大切さを改めて感じ、早く被災地の瓦礫を撤去してもら
うように願う次第です。
心の問題であるという事なのですが、美しい物や景色を見ると心が安らぎ、気持ちが
豊かになるという事です。
なにが言いたいかというと目に映っているものが美しいと心が安らぎ、醜い物や乱雑
な物を見ていると心までそうなってしまうと先人が伝えてきました。
震災後の瓦礫を100日以上たった今もそのままにしている事がどの様な結果になる
のかという事を国や行政、特に官僚には考えてほしい。
まだ今は心をおらずに頑張っている精神で支えられているものがいずれはあきらめ
や心の荒廃に繋がらないだろうかと心配しています。
美しい景色や物を見る事は現代の日本でさえ忘れがちであり、心の荒廃が始まって
いるように感じるのはつらいものです。自然を見る事を忘れ人工的なデジタルグッズ
ばかりを見ている日本人は心が美しくなれるのだろうか・・。
現代の日本人の目に映っているものは、知らず知らずに快楽だけを求めた無秩序な
社会ではないのだろうか。
欧米諸国のメディアが日本の『スーパークールビズ』についてのコメントをしているが
現在日本で進められているそのファッションについてあまり肯定的ではない。
米国紙の2紙では過ぎたカジュアルさには抵抗があると書き、英国紙に至っては節
電の名を借りた堕落だと書いています。
過去の日本から見た米国などのカジュアルなフランクさはたまにマユをひそめざるを
えない格好だと思っていた。しかし、今その米国からさえも今の日本のフランクさとい
うか、堕落は如何なものかと映っているようです。
私達は、女子高生のアニメ的化粧や男子高生のだらしない服装に慣れ過ぎてはいな
いだろうか・・。それが当り前になり、それが目に映る事により心の中も本来の心の置
場がずれていないだろうか・・。
ダイアモンドを美しく感じる事が純粋にできる事と持てるかどうかという事を同じレベル
考える人が多い。しかし、それは違う美しいとは必ずしも経済的価値と同レベルには
ない。美しいと考え、その先に経済的価値があると思うのです。
目に映る物を美しいと思う心の大切さを改めて感じ、早く被災地の瓦礫を撤去してもら
うように願う次第です。
2011年6月22日水曜日
人間がリサイクル。
昨今の地金の相場の高騰も手伝い、地金や宝石の買い取り業も盛んに行われている。
その中で、そのままつぶされて素材に戻るものもあれば新品仕上げをしてリサイクル
品として、販売をされているものもありますが、この事には多少の抵抗もあります。
勿論、消費者の中には人の身に着けていた物を買うのは気持ちが悪いという方も
いらっしゃいます。
しかし、アンティークなりビンテージという名のもとにビジネスを元々なさっている人々
も以前からおりますし、アンティークとはどれくらい前の物で誰がつけていたかという
事も明確にせずにビジネスをしておりましたが、彼らに関しては宝石のプロではない
ので、ソフト面だけを強調してストーリーを作りながら生業としてきましたのですから
あまりそれを否定をされる事はありません。
宝飾品という事を前提とすると同じビジネスでもあまり肯定されない事も事実ですが
最近は古着ブームもあってか気にしない消費者も多くいるようです。
昨今の製品を前提にリサイクル品を売る事はある前提を設けなければ難しい面も
多くあると思います。一つには作りやデザインが優れている事、そして何よりも
貴金属、や天然宝石を使用している事などがあげられます。
昨今の製品は確かに天然宝石や貴金属を使用しているが、量産のデザインや造り
の物が多く、つぶしてしまった方が良いものも多くあることも事実です。
ただし、ある一定の大きさや質を維持しているダイアモンドに関しては何回もリサイ
クルされる事は自然の摂理にかなっております。
人間の手によりつくられたデザインや製品はリサイクルに関しての論議があっても
当然ですがダイアモンドその物に関してはその論議の外にあります。
人間の寿命はせいぜい長くて100年ですが、ダイアモンドの寿命は一億年や二億年
ではありません。当然何人という人々に渡っても当然ですし、そうならなければなら
ないのです。今までもそのように扱われてきました。だからこそ価値があるのです。
つまり、人間がリサイクルされている訳で、ダイアモンドがリサイクルされている訳
ではありません。
ここ百年で沢山のダイアモンドが発掘されてきました。これからが本当の対人間の
ダイアモンドの物語が始まるのです。ダイアモンドはこれからの人類の文化を伝える
為の道具であり、価値なのです。
思考の観点を変えるだけで沢山の物が見えてくるような気がしませんか?
その中で、そのままつぶされて素材に戻るものもあれば新品仕上げをしてリサイクル
品として、販売をされているものもありますが、この事には多少の抵抗もあります。
勿論、消費者の中には人の身に着けていた物を買うのは気持ちが悪いという方も
いらっしゃいます。
しかし、アンティークなりビンテージという名のもとにビジネスを元々なさっている人々
も以前からおりますし、アンティークとはどれくらい前の物で誰がつけていたかという
事も明確にせずにビジネスをしておりましたが、彼らに関しては宝石のプロではない
ので、ソフト面だけを強調してストーリーを作りながら生業としてきましたのですから
あまりそれを否定をされる事はありません。
宝飾品という事を前提とすると同じビジネスでもあまり肯定されない事も事実ですが
最近は古着ブームもあってか気にしない消費者も多くいるようです。
昨今の製品を前提にリサイクル品を売る事はある前提を設けなければ難しい面も
多くあると思います。一つには作りやデザインが優れている事、そして何よりも
貴金属、や天然宝石を使用している事などがあげられます。
昨今の製品は確かに天然宝石や貴金属を使用しているが、量産のデザインや造り
の物が多く、つぶしてしまった方が良いものも多くあることも事実です。
ただし、ある一定の大きさや質を維持しているダイアモンドに関しては何回もリサイ
クルされる事は自然の摂理にかなっております。
人間の手によりつくられたデザインや製品はリサイクルに関しての論議があっても
当然ですがダイアモンドその物に関してはその論議の外にあります。
人間の寿命はせいぜい長くて100年ですが、ダイアモンドの寿命は一億年や二億年
ではありません。当然何人という人々に渡っても当然ですし、そうならなければなら
ないのです。今までもそのように扱われてきました。だからこそ価値があるのです。
つまり、人間がリサイクルされている訳で、ダイアモンドがリサイクルされている訳
ではありません。
ここ百年で沢山のダイアモンドが発掘されてきました。これからが本当の対人間の
ダイアモンドの物語が始まるのです。ダイアモンドはこれからの人類の文化を伝える
為の道具であり、価値なのです。
思考の観点を変えるだけで沢山の物が見えてくるような気がしませんか?
2011年6月18日土曜日
始まりと終わり。
震災以降、反原発、脱原発といった言葉を耳にする事が多くなりました。
反原発派はとにかく原発反対、脱原発には緩やかに原発廃止とか、次の時代の
エネルギーの開発を模索するイメージがあります。
物事は誕生する事がいわゆる死滅へのスタート、言葉は強烈かもしれませんが
地球規模であれ生物レベルであれ、人類レベルであれ、それが自然の摂理である
事を前提として考えるべきなのでしょう。
人類は進化の為に色々なものを開発してきました。原発においてもそうでしょう。
多くの場合は快楽を求めての結果で、生存する為の進化ではなくなってきている事
には振り向く時間も必要なのではないでしょうか。
地球が生まれて、その中で進化をしてきたものは多くありますが、それはイコール
終焉への道程であることは避けがたい事実あり、終焉を速めている事なのです。
快楽を前提とした進化は終焉への道程を早め、生存の為の進化は終焉を迎える
時期を遅くする事野のではないかという事を伝えたいのです。
原発がある事により、世の中は便利になり、それを否定するものではありません。
しかし、人類の歴史を、地球の歴史を少しでも長くするか、太く短くするかは其々の
考え方ではありますが、我々が乗っている船は一つです。そろそろ結論を出さねば
ならないのではないでしょうか。
個人レベルでは、おいしくうまい物を楽な生活をしながら、太く短く生きる事も自由
でしょうけれども、大きな意味ではどちらかを選ばなければいけないのでしょう。
いずれにしても終焉へのアプローチは変わりませんから、もし細く長く歴史を刻むの
であれば、脱原発でしょうし、太く短くても快楽を選ぶのであれば、原発推進でしょう。
反原発だけでは答えにならない事も認識しなければなりません。エネルギーが生き
ていく上では必要な事も事実で、極論ではありますが寒くて凍え死んでも歴史は短く
なります。
節制しても快適に過ごす事は出来ます。既に始まっている歴史は終焉の迎え方だけ
が課題です。其々の考えが将来の為に何を残すのかを左右する訳ですから、大きな
気持ちでこれを機会に考えてみたらどうでしょうか。
ダイアモンドには変化がありません。皆さんの歴史を伝えていく大きな意味での歴史
の伝承師でもあります。こじつけのようですが周りに象徴として置いてみませんか?
反原発派はとにかく原発反対、脱原発には緩やかに原発廃止とか、次の時代の
エネルギーの開発を模索するイメージがあります。
物事は誕生する事がいわゆる死滅へのスタート、言葉は強烈かもしれませんが
地球規模であれ生物レベルであれ、人類レベルであれ、それが自然の摂理である
事を前提として考えるべきなのでしょう。
人類は進化の為に色々なものを開発してきました。原発においてもそうでしょう。
多くの場合は快楽を求めての結果で、生存する為の進化ではなくなってきている事
には振り向く時間も必要なのではないでしょうか。
地球が生まれて、その中で進化をしてきたものは多くありますが、それはイコール
終焉への道程であることは避けがたい事実あり、終焉を速めている事なのです。
快楽を前提とした進化は終焉への道程を早め、生存の為の進化は終焉を迎える
時期を遅くする事野のではないかという事を伝えたいのです。
原発がある事により、世の中は便利になり、それを否定するものではありません。
しかし、人類の歴史を、地球の歴史を少しでも長くするか、太く短くするかは其々の
考え方ではありますが、我々が乗っている船は一つです。そろそろ結論を出さねば
ならないのではないでしょうか。
個人レベルでは、おいしくうまい物を楽な生活をしながら、太く短く生きる事も自由
でしょうけれども、大きな意味ではどちらかを選ばなければいけないのでしょう。
いずれにしても終焉へのアプローチは変わりませんから、もし細く長く歴史を刻むの
であれば、脱原発でしょうし、太く短くても快楽を選ぶのであれば、原発推進でしょう。
反原発だけでは答えにならない事も認識しなければなりません。エネルギーが生き
ていく上では必要な事も事実で、極論ではありますが寒くて凍え死んでも歴史は短く
なります。
節制しても快適に過ごす事は出来ます。既に始まっている歴史は終焉の迎え方だけ
が課題です。其々の考えが将来の為に何を残すのかを左右する訳ですから、大きな
気持ちでこれを機会に考えてみたらどうでしょうか。
ダイアモンドには変化がありません。皆さんの歴史を伝えていく大きな意味での歴史
の伝承師でもあります。こじつけのようですが周りに象徴として置いてみませんか?
2011年6月16日木曜日
美しい!!
先日、取引先より新たなデザインの要請があり、コンセプトを離れない物を心掛け
ようとは思いつつも美しいと思えるようなものを創作したいと思いましたが・・・。
(最近美しいと思うようなものを見ていないなあ~)と考えながら街中を歩いてみると
自分が美しいと思うものが街中には全然見つからない事に気がつきました。
美しいという概念は哲学的には『善』であったり『快い』事を感じる心という事ですが
自分には美しさを感じる心がないのかなぁ…と思ったり。
しかし、今の街中に美しいと感じるものがあるのかな?・・とも思います。ましてや
皆もそれを感じるのかな?・・と思ったりもします。
機能的で合理的な綺麗なものはあるかもしれませんが、『美しい』と思うようなもの
はたして今の町中にあるのかなあ・・? 疑問符だらけです。
美しいと感じる心は皆それぞれだとは思いますが、昨日、旧来の友人でありお客様
でもある人が来店した機会にたまたま手元にあった5ctの2つのダイアモンドをお見
せしました。
彼女はダイアモンドが大好きで、決してグレード見てダイアモンドを買う事はありま
せん。自分が本当に美しいと思って心を動かされたものだけを購入します。
『大きくて綺麗だけど、心が動かないわね』彼女の言った一言は非常に胸に響きま
した。見た目の綺麗さではなく、心が動くものが『美しい』のだと感じ、哲学的にいう
『善』とか『快い』という事は心で感じるものであるのでしょう。
つまり、美しさを感じるには心にゆとりもなければならないでしょうし、感じる心が必要
なのでしょうね。
最近は忙しすぎたのかもしれないとつくづく反省しながらも、以前は忙しくても海外を
飛び回る機会は多かったので切り替えがもっとしやすく、其々の国に入る毎に見る
もの聞く物を素直に感じる心があったのかもしれない。心掛けなくてはと思う最近です。
ようとは思いつつも美しいと思えるようなものを創作したいと思いましたが・・・。
(最近美しいと思うようなものを見ていないなあ~)と考えながら街中を歩いてみると
自分が美しいと思うものが街中には全然見つからない事に気がつきました。
美しいという概念は哲学的には『善』であったり『快い』事を感じる心という事ですが
自分には美しさを感じる心がないのかなぁ…と思ったり。
しかし、今の街中に美しいと感じるものがあるのかな?・・とも思います。ましてや
皆もそれを感じるのかな?・・と思ったりもします。
機能的で合理的な綺麗なものはあるかもしれませんが、『美しい』と思うようなもの
はたして今の町中にあるのかなあ・・? 疑問符だらけです。
美しいと感じる心は皆それぞれだとは思いますが、昨日、旧来の友人でありお客様
でもある人が来店した機会にたまたま手元にあった5ctの2つのダイアモンドをお見
せしました。
彼女はダイアモンドが大好きで、決してグレード見てダイアモンドを買う事はありま
せん。自分が本当に美しいと思って心を動かされたものだけを購入します。
『大きくて綺麗だけど、心が動かないわね』彼女の言った一言は非常に胸に響きま
した。見た目の綺麗さではなく、心が動くものが『美しい』のだと感じ、哲学的にいう
『善』とか『快い』という事は心で感じるものであるのでしょう。
つまり、美しさを感じるには心にゆとりもなければならないでしょうし、感じる心が必要
なのでしょうね。
最近は忙しすぎたのかもしれないとつくづく反省しながらも、以前は忙しくても海外を
飛び回る機会は多かったので切り替えがもっとしやすく、其々の国に入る毎に見る
もの聞く物を素直に感じる心があったのかもしれない。心掛けなくてはと思う最近です。
2011年6月10日金曜日
なるほどね。
最近、ある展示会にダイアモンドでレッドとブラウンのパートカラーの物を出品し、
如何に珍しいものかを説いてみてある事に気がつきました。
気がついたというより我自身よくこれまでそんな当り前の事に気がつかないで来た
と、あきれるやら嘆かわしいやらです。
あるお客様が『ダイアモンドの事は名前くらいしか知らないし、見た事もなかった』と
言われた時に、私自身が皆がダイアモンドを見た事がある事を前提にビジネスを
してきたので唖然としました。
それを聞いて(そっかア・・。赤いダイアモンドがある事を知らない人にそれが稀で
ある事を説明しても、前提として興味も経験もなければその事に感心する事もない
んだ)考え込んでしまいました。
前提がなければ何の条件、結果も存在も意味がないんだ・・。と思いつつほとんどの
宝石商は自らの知識や経験を前提に商売をしているのでお客様に必ずしも宝石の
価値や魅力を伝えれていないのではないかと考えました。
つまり、前提をお客様に持って頂かない限りは商売は『のれんに腕押し』状態な訳
です。確かに、同じ宝石業界にいるのだから解っているだろうと話した事がチンプン
カンプンなことが業界内でもあります。
4Cグレーディングが価格を決めると未だに思っている人も多くいる事でも解るように
自らも理解していない事を前提に宝石の価値等を伝える事はいまや無理であり、
以前のようにお客様にお金があまっていない限りその上で商売をする事は難しいの
ではないだろうか。
宝石は贅沢な装飾品であるということのみが前提になっている現代では商売は難し
く、本来の価値や意味を消費者・・、もっと言えば販売員に理解してもらわなければ
今後も経済環境に関係なく難しくなるのでしょう。
簡単な事ですが、相手にこちらの伝えようとする事の前提をまず理解してもらうと
いった当り前の事をやらなければいけない。当り前のことですよね。
外国人に真意を伝えようとするにはその国の言葉を覚えるか、日本語を覚えてもら
うか、通訳を雇わなければいけないのと一緒ですね。
『何カラットがいくら』といった事をいくら叫んでみてもそれが何たるかを理解していな
い人には何にも意味がない。
以前は『1カラットのダイアモンド』は金持ちの象徴でいつかは手に入れたいと多くの
人が思っていました。だから何カラットがいくらというフレーズが役に立ちましたが
今の若者達にはその存在も意味を持たないようです。
啓蒙活動があって初めて次の行動の意味が出てきます。当り前の事ですよね。
『見た事もなかった』お客様にいくらダイアモンドの色の希少性を説いても何の心にも
響きません。その言葉に『なるほどね』
如何に珍しいものかを説いてみてある事に気がつきました。
気がついたというより我自身よくこれまでそんな当り前の事に気がつかないで来た
と、あきれるやら嘆かわしいやらです。
あるお客様が『ダイアモンドの事は名前くらいしか知らないし、見た事もなかった』と
言われた時に、私自身が皆がダイアモンドを見た事がある事を前提にビジネスを
してきたので唖然としました。
それを聞いて(そっかア・・。赤いダイアモンドがある事を知らない人にそれが稀で
ある事を説明しても、前提として興味も経験もなければその事に感心する事もない
んだ)考え込んでしまいました。
前提がなければ何の条件、結果も存在も意味がないんだ・・。と思いつつほとんどの
宝石商は自らの知識や経験を前提に商売をしているのでお客様に必ずしも宝石の
価値や魅力を伝えれていないのではないかと考えました。
つまり、前提をお客様に持って頂かない限りは商売は『のれんに腕押し』状態な訳
です。確かに、同じ宝石業界にいるのだから解っているだろうと話した事がチンプン
カンプンなことが業界内でもあります。
4Cグレーディングが価格を決めると未だに思っている人も多くいる事でも解るように
自らも理解していない事を前提に宝石の価値等を伝える事はいまや無理であり、
以前のようにお客様にお金があまっていない限りその上で商売をする事は難しいの
ではないだろうか。
宝石は贅沢な装飾品であるということのみが前提になっている現代では商売は難し
く、本来の価値や意味を消費者・・、もっと言えば販売員に理解してもらわなければ
今後も経済環境に関係なく難しくなるのでしょう。
簡単な事ですが、相手にこちらの伝えようとする事の前提をまず理解してもらうと
いった当り前の事をやらなければいけない。当り前のことですよね。
外国人に真意を伝えようとするにはその国の言葉を覚えるか、日本語を覚えてもら
うか、通訳を雇わなければいけないのと一緒ですね。
『何カラットがいくら』といった事をいくら叫んでみてもそれが何たるかを理解していな
い人には何にも意味がない。
以前は『1カラットのダイアモンド』は金持ちの象徴でいつかは手に入れたいと多くの
人が思っていました。だから何カラットがいくらというフレーズが役に立ちましたが
今の若者達にはその存在も意味を持たないようです。
啓蒙活動があって初めて次の行動の意味が出てきます。当り前の事ですよね。
『見た事もなかった』お客様にいくらダイアモンドの色の希少性を説いても何の心にも
響きません。その言葉に『なるほどね』
2011年5月31日火曜日
ダイアモンドの個性
以前、ダイアモンドの内胞物にガーネットやぺリドットの結晶が入っている事がある
という事を書きましたが、そのほかにもダイアモンドその物の成長過程であったり、
発生が起因して内包されているものがあります。。
フェザー、ピンポイント、クリべージ、等の名前が付いている内胞物には時として、
ファンタジックなものを見つける事があります。
鳥や、魚がダイアモンドの中を飛んでいたり、泳いでいたりとその内胞物の在り方
で、色々な世界を見つける事が出来ます。勿論それは其々の人の見方にもよりま
すがそれを見つける楽しみは格別なものがあります。
本来は内胞物の多少でダイアモンド自体の評価が変わる訳ですが、見た目の美観
を損なわないという原則があれば、ある種これらの存在は個性だと、私は考えます。
それぞれの人が持っているダイアモンドに個性がある事は所有している人々には
非常に楽しい事ではないかと考えます。そして、それは価格とは関係ないのです。
ダイアモンドの見た目の評価には人為的に手を加えるカットがありますが、内胞物は
ダイアモンドその物に秘められたもので、時としてその内胞物の内容によってはカット
の方法も変えなければいけません。
つまり、内在する個性が結果的には見た目を左右する事がある訳です。
グレードや価格競争のない頃にはその見た目でダイアモンドは評価され取引されて
いました。人間の感性で取引がされる事は正に心の部分が価値となっている事であ
り、本来のこの種のビジネスの基本であると思います。
個性を大事にするという事はよく口に出されることではあるが、見た目ではなくその
中にある個性が表に出てくるという事はダイアモンドその物の個性とい一緒な訳です。
見る物に価値を感じるという事は、それを見る人の心を映すものであり、正に個性
というものは内に秘められており、表面上で評価する事の幼稚さを考えさせられます。
何が言いたいかというとダイアモンドをグレードのみで評価をする事の幼稚さを考え
させられるという事です。価格の目安になっても、本来の価値を現すものではないと
いう事です。
という事を書きましたが、そのほかにもダイアモンドその物の成長過程であったり、
発生が起因して内包されているものがあります。。
フェザー、ピンポイント、クリべージ、等の名前が付いている内胞物には時として、
ファンタジックなものを見つける事があります。
鳥や、魚がダイアモンドの中を飛んでいたり、泳いでいたりとその内胞物の在り方
で、色々な世界を見つける事が出来ます。勿論それは其々の人の見方にもよりま
すがそれを見つける楽しみは格別なものがあります。
本来は内胞物の多少でダイアモンド自体の評価が変わる訳ですが、見た目の美観
を損なわないという原則があれば、ある種これらの存在は個性だと、私は考えます。
それぞれの人が持っているダイアモンドに個性がある事は所有している人々には
非常に楽しい事ではないかと考えます。そして、それは価格とは関係ないのです。
ダイアモンドの見た目の評価には人為的に手を加えるカットがありますが、内胞物は
ダイアモンドその物に秘められたもので、時としてその内胞物の内容によってはカット
の方法も変えなければいけません。
つまり、内在する個性が結果的には見た目を左右する事がある訳です。
グレードや価格競争のない頃にはその見た目でダイアモンドは評価され取引されて
いました。人間の感性で取引がされる事は正に心の部分が価値となっている事であ
り、本来のこの種のビジネスの基本であると思います。
個性を大事にするという事はよく口に出されることではあるが、見た目ではなくその
中にある個性が表に出てくるという事はダイアモンドその物の個性とい一緒な訳です。
見る物に価値を感じるという事は、それを見る人の心を映すものであり、正に個性
というものは内に秘められており、表面上で評価する事の幼稚さを考えさせられます。
何が言いたいかというとダイアモンドをグレードのみで評価をする事の幼稚さを考え
させられるという事です。価格の目安になっても、本来の価値を現すものではないと
いう事です。
2011年5月30日月曜日
ダイアモンドの効能
先日、かねがね依頼をされていた指輪の製作を行い、気持ちの良い思いをしました。
今月初めに友人でもある女性の建築士から、以前購入をしてもらったペアシェイプ
(涙型)のダイアモンドの製作依頼がありました。
彼女の依頼にはいつも驚かされるが、1.5CTアップのダイアモンドを小指用の指輪
にしたいと言ってきました。そして、脇にはピンクダイアの小さなものあしらいたい・・と。
彼女はやはり職業柄、自分で考えデザインする事が大好きでそれを考え始めると夜も眠れないらしい。
依頼された指輪が出来上がり、連絡をすると忙しい身であるにもかかわらず、すぐに来店するという。
数時間後やってきた彼女に、じらすつもりはなかったのだけれど新作を見せながら他の話をしていると目を輝かせてきて、私の手元にあるリングボックスをじーっと見ていた。
『アッ、ゴメン、ゴメン、今日じゃこちらがメインだったね。』
おもむろにケースを明けると、輝いていた目がさらに輝きを増し
『ワッ、すごい、これ!!』
しばらくの間、見につけて眺めながら鏡の前に行ったり来たり、
『満足です・・。これ。』
あまり、会話にはならない単語の連発でも彼女が喜んでいる事は十分に解り、私自身
もこの上ない喜びを感じていました。
翌朝、休みという事もあり、ノンビリしていると彼女から携帯に連絡が・・・。
何かな・・。と思いながら出ると
『高木さん、お店で見た時もうれしかったけれど朝の光で見たら、もっとすごいのに
うれしくて、お電話したしまいました。』
私は普段から仕事柄、男性の中で働いている彼女はやる気満々のキャリアという
感じがしますが、やはり女性(女の子)なんだなあ~・。と改めて感じます。
その感性が普段の生活や仕事に生かされ、売れっ子建築士としてやっている要因
なのだろうと思います。
ダイアモンドを特に生活に必要がないとか、高価だという人もいますが、本当は
人生の長い期間で考えると潤いとか長生き、豊かさ、充実とかいった事に必要
なもので、その気持ちを持っていられるかどうかで人生が変わると脳科学者も
いっています。
彼女の連絡を受け、自身にとってもうれしいの一言ですが、彼女の言った
『また、これでやる気が出てきたましたよ。次に向かって頑張ります』
彼女にとっては豊かな人生の効能としてダイアモンドがあるんだな・・・。と感じ
私は、それらの人々の顔を見ることにより豊かな人生を送れるんだとつくづく
感じ、良い一日を送る事が出来ました。
今月初めに友人でもある女性の建築士から、以前購入をしてもらったペアシェイプ
(涙型)のダイアモンドの製作依頼がありました。
彼女の依頼にはいつも驚かされるが、1.5CTアップのダイアモンドを小指用の指輪
にしたいと言ってきました。そして、脇にはピンクダイアの小さなものあしらいたい・・と。
彼女はやはり職業柄、自分で考えデザインする事が大好きでそれを考え始めると夜も眠れないらしい。
依頼された指輪が出来上がり、連絡をすると忙しい身であるにもかかわらず、すぐに来店するという。
数時間後やってきた彼女に、じらすつもりはなかったのだけれど新作を見せながら他の話をしていると目を輝かせてきて、私の手元にあるリングボックスをじーっと見ていた。
『アッ、ゴメン、ゴメン、今日じゃこちらがメインだったね。』
おもむろにケースを明けると、輝いていた目がさらに輝きを増し
『ワッ、すごい、これ!!』
しばらくの間、見につけて眺めながら鏡の前に行ったり来たり、
『満足です・・。これ。』
あまり、会話にはならない単語の連発でも彼女が喜んでいる事は十分に解り、私自身
もこの上ない喜びを感じていました。
翌朝、休みという事もあり、ノンビリしていると彼女から携帯に連絡が・・・。
何かな・・。と思いながら出ると
『高木さん、お店で見た時もうれしかったけれど朝の光で見たら、もっとすごいのに
うれしくて、お電話したしまいました。』
私は普段から仕事柄、男性の中で働いている彼女はやる気満々のキャリアという
感じがしますが、やはり女性(女の子)なんだなあ~・。と改めて感じます。
その感性が普段の生活や仕事に生かされ、売れっ子建築士としてやっている要因
なのだろうと思います。
ダイアモンドを特に生活に必要がないとか、高価だという人もいますが、本当は
人生の長い期間で考えると潤いとか長生き、豊かさ、充実とかいった事に必要
なもので、その気持ちを持っていられるかどうかで人生が変わると脳科学者も
いっています。
彼女の連絡を受け、自身にとってもうれしいの一言ですが、彼女の言った
『また、これでやる気が出てきたましたよ。次に向かって頑張ります』
彼女にとっては豊かな人生の効能としてダイアモンドがあるんだな・・・。と感じ
私は、それらの人々の顔を見ることにより豊かな人生を送れるんだとつくづく
感じ、良い一日を送る事が出来ました。
2011年5月24日火曜日
証し。
毎朝、テレビを見ていると震災後のエピソードやメッセージを寄せるコーナーが
各局で行われている。
ある番組のコーナーで
『夕方、主人がニコニコしながら避難所に戻ってくると手にピカピカと光る指輪を
持っていた。災害の時たまたま外していた結婚指輪を探してきてくれたんです。
それを水で綺麗に洗って持ってきてくれたんです。二人の大事な思いで・・・。
この人と結婚して良かった。』
といった内容でした。
最近、震災を機に婚約、結婚指輪のエピソードを紹介される事も多いせいか
婚約指輪や結婚指輪を軽んじてきた昨今ではありますが、購入されたり、
問い合わせが色々なところで増えているそうです。
このような機会がなければその意味を理解されないという事はさみしい様な
気がしますが、なぜ、ダイアモンドであったり、金、プラチナなのか・・・。
変質しないこれら素材はなかなか残しにくい物語やメッセージを後に運んで
くれる役割を担うには最も適しているといえます。
今回の投稿者の指輪も本当であれば少し曇っていたかもしれませんが彼女
にはキラキラと光って見えたのでしょう。
普段では考えなかったかもしれません。もっと普段の目の前にある物や事に
追われているかもしれません。勿論目の前の事も大事です。
実務的ではないけれど本当の意味での価値ある物をもっと見つめなおす事も
節電とともに行える良い機会かもしれません。
また、宝飾業界の人々にも、もっと本来の意味と価値を伝える努力をしてほしい
と思います。価格競争や安売りは本来の価値には何の意味もありません。
作りの良い丈夫な、素材に負けない宝飾品を追い求める努力をもっとしてほしい。
最近のリサイクルで不要になった貴金属を見る事がよくあります。やはり、壊れて
いたり、売りに出される貴金属は作りも良くなく素材に負けたようなものばかりで
素材以外に価値を見出されない物ばかりです。
これを機会にもっと価値を見直してほしいと切に願います。
各局で行われている。
ある番組のコーナーで
『夕方、主人がニコニコしながら避難所に戻ってくると手にピカピカと光る指輪を
持っていた。災害の時たまたま外していた結婚指輪を探してきてくれたんです。
それを水で綺麗に洗って持ってきてくれたんです。二人の大事な思いで・・・。
この人と結婚して良かった。』
といった内容でした。
最近、震災を機に婚約、結婚指輪のエピソードを紹介される事も多いせいか
婚約指輪や結婚指輪を軽んじてきた昨今ではありますが、購入されたり、
問い合わせが色々なところで増えているそうです。
このような機会がなければその意味を理解されないという事はさみしい様な
気がしますが、なぜ、ダイアモンドであったり、金、プラチナなのか・・・。
変質しないこれら素材はなかなか残しにくい物語やメッセージを後に運んで
くれる役割を担うには最も適しているといえます。
今回の投稿者の指輪も本当であれば少し曇っていたかもしれませんが彼女
にはキラキラと光って見えたのでしょう。
普段では考えなかったかもしれません。もっと普段の目の前にある物や事に
追われているかもしれません。勿論目の前の事も大事です。
実務的ではないけれど本当の意味での価値ある物をもっと見つめなおす事も
節電とともに行える良い機会かもしれません。
また、宝飾業界の人々にも、もっと本来の意味と価値を伝える努力をしてほしい
と思います。価格競争や安売りは本来の価値には何の意味もありません。
作りの良い丈夫な、素材に負けない宝飾品を追い求める努力をもっとしてほしい。
最近のリサイクルで不要になった貴金属を見る事がよくあります。やはり、壊れて
いたり、売りに出される貴金属は作りも良くなく素材に負けたようなものばかりで
素材以外に価値を見出されない物ばかりです。
これを機会にもっと価値を見直してほしいと切に願います。
2011年5月18日水曜日
シーズン!!
震災の事やらなんやらでここ1,2カ月触れる事はありませんでしたが、ジュエリー業界
にとっては大事なシーズンを迎えておりました。
3月から4月にかけては香港やバーゼルで大きなジュエリーショウがあり、これから世界
最大のジュエリーショウがラスベガスで行われます。
スイスのバーゼルで行われるショウは歴史も古く、最も華やかで上品なジュエリーショウ
といえます。一つ一つのブースが華やかでドレス姿をしたスタッフがワインとともに世界
からのエージェントを迎えます。
此処の良いところはショウもさることながら、ちょうどの季節のアスパラガスを食せる事
です。
会場の入り口右手にあるホテルの2階にあるレストランで出されるホワイトアスパラは
絶品です。
そのほかに世界中から仲間が集まるのでいたるところで顔見知りと会う事が出来ます。
会場から、一時間ほど離れたチューリッヒの町に宿泊をする人々が多いせいか夕食時
期になると、町のあちこちのレストランで旧知の人々と顔を合わせます。
落ち着いた風情を漂わせるこの町は私の好きな場所の一つです。
また今月の末から行われるラスベガスのJCKショウは世界最大のジュエリーショウで、
歩く通路の長さだけで4キロから5キロと言われています。
JCKショウの楽しみはバーゼルと違って場所柄カジュアルであり、なおかつフランクで
あるということでしょう。
このショウは30年近く続いていますが、第何回というくだりがないので正確には忘れま
したが初回から参加をしているので随分と長い付き合いになります。当初は日本での
代理人をしていた関係もあり、日本の宝飾業な方達をエスコートする形で参加をしてお
りました。
14,5年前からは出展社として参加をし、多くの米国のお取引先には随分とお世話に
なりました。
西インド洋諸島からきていた取引先には沢山のお客様を紹介していただいたり、一緒
にディナーをとりながらジュエリーの話をしたりとフランクなお付き合いがここの特徴で
しょう。
ブレックファーストミーティングは出展者もバイヤーも関係なく参加をし、セミナーも期間
中沢山行われています。
最も沢山の友人が出来た思い出の場所でもあるこのショウはラスベガスのネオンととも
に最も印象の強いところでもあります。
http://www.jcklasvegasshow.com/
今回の震災に際しても多くの海外の友人たちからコンタクトがあり、ありがたく感じたも
のです。
ショウというものは単なる品評会ではなく、交流の場所であり、自らを高める場所でもあ
ります。
にとっては大事なシーズンを迎えておりました。
3月から4月にかけては香港やバーゼルで大きなジュエリーショウがあり、これから世界
最大のジュエリーショウがラスベガスで行われます。
スイスのバーゼルで行われるショウは歴史も古く、最も華やかで上品なジュエリーショウ
といえます。一つ一つのブースが華やかでドレス姿をしたスタッフがワインとともに世界
からのエージェントを迎えます。
此処の良いところはショウもさることながら、ちょうどの季節のアスパラガスを食せる事
です。
会場の入り口右手にあるホテルの2階にあるレストランで出されるホワイトアスパラは
絶品です。
そのほかに世界中から仲間が集まるのでいたるところで顔見知りと会う事が出来ます。
会場から、一時間ほど離れたチューリッヒの町に宿泊をする人々が多いせいか夕食時
期になると、町のあちこちのレストランで旧知の人々と顔を合わせます。
落ち着いた風情を漂わせるこの町は私の好きな場所の一つです。
また今月の末から行われるラスベガスのJCKショウは世界最大のジュエリーショウで、
歩く通路の長さだけで4キロから5キロと言われています。
JCKショウの楽しみはバーゼルと違って場所柄カジュアルであり、なおかつフランクで
あるということでしょう。
このショウは30年近く続いていますが、第何回というくだりがないので正確には忘れま
したが初回から参加をしているので随分と長い付き合いになります。当初は日本での
代理人をしていた関係もあり、日本の宝飾業な方達をエスコートする形で参加をしてお
りました。
14,5年前からは出展社として参加をし、多くの米国のお取引先には随分とお世話に
なりました。
西インド洋諸島からきていた取引先には沢山のお客様を紹介していただいたり、一緒
にディナーをとりながらジュエリーの話をしたりとフランクなお付き合いがここの特徴で
しょう。
ブレックファーストミーティングは出展者もバイヤーも関係なく参加をし、セミナーも期間
中沢山行われています。
最も沢山の友人が出来た思い出の場所でもあるこのショウはラスベガスのネオンととも
に最も印象の強いところでもあります。
http://www.jcklasvegasshow.com/
今回の震災に際しても多くの海外の友人たちからコンタクトがあり、ありがたく感じたも
のです。
ショウというものは単なる品評会ではなく、交流の場所であり、自らを高める場所でもあ
ります。
2011年5月17日火曜日
一回り。
人生60年を一人の歴史としてそれを過ぎると、新しく歴史が始める事を意味して『還暦』。
振り返ってみると皆が同じに思うのだろうとおもいますが、短かった。
我が母親が間もなく90歳、先日の母の日に尋ねてみました。
『今までの人生の中で一番幸せだったなあ・・と思う時期は何時頃だった?』
『今だよ』
『今?』
『そうだよ。人生は良い事も悪い事も同じくらいにやってくる。でも今が幸せであれば
悪い事も忘れるし、いまが悪ければ良い事があったことも忘れる。』
『なるほどね』
と小生
『だから今が幸せだから人生幸せだったという事・・。』
よく省みて(あの頃は良かったなぁ)という事は皆心当たりがあると思います。それは
今が不幸なのではなく、今が幸せな上でさらに良かった過去を思い出しているだけ
なんだろうと思います。
老いて元気な母を見て『己の人生は己の気持ちの中にある』と感じざるを得ません。
周りからみると何も変化がなくても本人の心の中には喜怒哀楽があり、その制御が
人生の分かれ目になり、僅かな制御漏れを他人が判断し、右か左に誘導する。
心の変化は誰にでもあるが、その変化を評価するのも同じ人間であり、その評価の仕方
をまた他人が見ている。
人生というものは『絆』と『繋がり』で成り立っている。決して終わりはなく、限りもない。
その時の積み重ねが後で展望してみると人生なんだろうと思います。
そこに何かを残す努力が『絆』であり、『繋がり』であり、その延長線上に歴史があるのだ
と思います。沢山の現役の先輩達がいる中で人生を述べるのもおこがましいと思う。
だけどちょっとだけ浸りたい・・・。還暦を迎えた小生としては・・・。
振り返ってみると皆が同じに思うのだろうとおもいますが、短かった。
我が母親が間もなく90歳、先日の母の日に尋ねてみました。
『今までの人生の中で一番幸せだったなあ・・と思う時期は何時頃だった?』
『今だよ』
『今?』
『そうだよ。人生は良い事も悪い事も同じくらいにやってくる。でも今が幸せであれば
悪い事も忘れるし、いまが悪ければ良い事があったことも忘れる。』
『なるほどね』
と小生
『だから今が幸せだから人生幸せだったという事・・。』
よく省みて(あの頃は良かったなぁ)という事は皆心当たりがあると思います。それは
今が不幸なのではなく、今が幸せな上でさらに良かった過去を思い出しているだけ
なんだろうと思います。
老いて元気な母を見て『己の人生は己の気持ちの中にある』と感じざるを得ません。
周りからみると何も変化がなくても本人の心の中には喜怒哀楽があり、その制御が
人生の分かれ目になり、僅かな制御漏れを他人が判断し、右か左に誘導する。
心の変化は誰にでもあるが、その変化を評価するのも同じ人間であり、その評価の仕方
をまた他人が見ている。
人生というものは『絆』と『繋がり』で成り立っている。決して終わりはなく、限りもない。
その時の積み重ねが後で展望してみると人生なんだろうと思います。
そこに何かを残す努力が『絆』であり、『繋がり』であり、その延長線上に歴史があるのだ
と思います。沢山の現役の先輩達がいる中で人生を述べるのもおこがましいと思う。
だけどちょっとだけ浸りたい・・・。還暦を迎えた小生としては・・・。
2011年5月11日水曜日
ダイアモンドと香り
本日、午後から店内にて香りのイベントを行います。
実は仕事で扱っているフレグランスジュエリーの関わりでお知り合いになった山下文江さん
という、調香士にしてフレグランスデザイナーで日本にはあまりいらっしゃらない資格の方
に御指導を頂くというものです。
彼女は香楽という香りを楽しむ事をセミナー等で全国に広めていらっしゃるとのことで、香りに
ついてはいささか物語を持っていらっしゃるようです。
今回で五回目になりますがお付き合いするうちに我々のビジネスと共通するものを感じ始め
ました。
香りもジュエリーのビジネスも何千年と続いているビジネスですがどちらも実用的なものでは
ありません。しかし、どちらも最も古いビジネスに挙げられ延々と続いています。
何故でしょうか?
『古くてなくならない。』ここにキーポイントがあると思います。
『古い』という事は人類の文化で最も感性に近い原始的なものという事になり、『なくならない』
ということは理屈ではなく必要なものという事になります。
つまり、現代の周りにあるものは近代に近いほど後天的で一時的なものという事になります。
根本的な人間生活に必要なものは一時的や局所的なものにはなりません。
ダイアモンドや香りは突き詰めて要因を調べるほどの事ではないけれど、人間の生活に
おいて決して一時的や局所的なものではないという事でしょう。
それでは、何に必要なのかと問われると、決定的なものはありませんが、続いて来たという事が
一つの証なのだと思います。
ただ感覚的にとらえた物をあえて言うのであれば精神的セラピーに役立っているという事
だと思います。
現実に山下先生のお話をうかがっても、彼女自身がうつ病や精神的なダメージを香りに出会う
事により克服して、この香りに世界に興味を持ってフランスまで渡り、香りを勉強してきたと
いう事です。
つまり、最近では精神的セラピーの研究が進み香りなども良く取り上げられますが、
精神的な補助としてダイアモンドや香りのような嗜好品は続いて来たのでしょう。
ダイアモンドでテンションが上がる人々の話は以前にも書きましたが、本当は物質的な文化
より精神的文化にもっとお金をかけるべきなのかもしれません。
物質的ビジネスは永くは続かない事は歴史が証明していますが精神的なビジネスは宗教
も含めて永続的なものが多いという事だと思いますが、そのアンバランスが人間なんでしょう。
そのバランスを整えてくれるのが香りであり、装飾品なのだと思います(特にダイアモンド)
宝石は決して物質的な文化ではありません。
実は仕事で扱っているフレグランスジュエリーの関わりでお知り合いになった山下文江さん
という、調香士にしてフレグランスデザイナーで日本にはあまりいらっしゃらない資格の方
に御指導を頂くというものです。
彼女は香楽という香りを楽しむ事をセミナー等で全国に広めていらっしゃるとのことで、香りに
ついてはいささか物語を持っていらっしゃるようです。
今回で五回目になりますがお付き合いするうちに我々のビジネスと共通するものを感じ始め
ました。
香りもジュエリーのビジネスも何千年と続いているビジネスですがどちらも実用的なものでは
ありません。しかし、どちらも最も古いビジネスに挙げられ延々と続いています。
何故でしょうか?
『古くてなくならない。』ここにキーポイントがあると思います。
『古い』という事は人類の文化で最も感性に近い原始的なものという事になり、『なくならない』
ということは理屈ではなく必要なものという事になります。
つまり、現代の周りにあるものは近代に近いほど後天的で一時的なものという事になります。
根本的な人間生活に必要なものは一時的や局所的なものにはなりません。
ダイアモンドや香りは突き詰めて要因を調べるほどの事ではないけれど、人間の生活に
おいて決して一時的や局所的なものではないという事でしょう。
それでは、何に必要なのかと問われると、決定的なものはありませんが、続いて来たという事が
一つの証なのだと思います。
ただ感覚的にとらえた物をあえて言うのであれば精神的セラピーに役立っているという事
だと思います。
現実に山下先生のお話をうかがっても、彼女自身がうつ病や精神的なダメージを香りに出会う
事により克服して、この香りに世界に興味を持ってフランスまで渡り、香りを勉強してきたと
いう事です。
つまり、最近では精神的セラピーの研究が進み香りなども良く取り上げられますが、
精神的な補助としてダイアモンドや香りのような嗜好品は続いて来たのでしょう。
ダイアモンドでテンションが上がる人々の話は以前にも書きましたが、本当は物質的な文化
より精神的文化にもっとお金をかけるべきなのかもしれません。
物質的ビジネスは永くは続かない事は歴史が証明していますが精神的なビジネスは宗教
も含めて永続的なものが多いという事だと思いますが、そのアンバランスが人間なんでしょう。
そのバランスを整えてくれるのが香りであり、装飾品なのだと思います(特にダイアモンド)
宝石は決して物質的な文化ではありません。
2011年5月5日木曜日
ダイアモンドの価格上昇
震災の事もあり、なかなかダイアモンドの事を書く機会がありませんでいたが、
また、ダイアモンドの事に中心にしてブログに書いていきますよ。
現在、中国やインドの中心に経済の活況を呈しており、海外ではダイアモンドの
価格上昇現象が続いております。
さらに追い打ちをかけるように震災後、品不足も加わり価格がさらに上昇しており
取引の多い香港では高値で推移しているようです。
何故、震災で価格が上昇したかと言いますと、ここ数年日本から輸出されるダイア
モンドが増加していたからです。
その要因は、日本の長引く不況のせいで流通在庫がだぶつき安価で流通する
状況が続いており、多くの外国人バイヤーが日本で買付をしており、震災により
外国人バイヤーたちが来日を敬遠しているからです。
また、日本からの供給の方が手っ取り早いという事で、インドなどの研磨主要国では
研磨を控えていた事も要因に挙げられます。
いずれにしても大きな災害や戦争が起きるたびにダイアモンドの価格が上昇します。
勿論、その要因として必ず好況を呈している国が必ずどこかにあるという事が条件
ですが・・・。
過去最大の市場での価格上昇したのは日本の景気が右肩上がりで、ソ連のアフガン
進行が重なった時です。皮肉なものでその時に米軍と一緒に戦ったヴィン・ラディンが
二十年後には9.11テロを起こし、その直後もダイアモンドの価格は上昇しました。
そして、今回彼が米国に殺害された事とは無関係ではありますが、ダイアモンドの
価格は上昇を続けております。
そのきっかけは別にしても十年から二十年周期でダイアモンドの価格は上昇を
続けております。勿論その間も徐々に上昇をしておりますから一般の方達には気が
つかれない部分でダイアモンドは高値になっている訳です。
『給料3月分』これは三十数年前の婚約指輪の相場でした。その頃の平均価格の
相場が30万円ほどでしたから現在の価格とあまり変わりません。
『給料3カ月分』といキャッチフレーズは1940年代のアメリカのキャッチフレーズ(
アメリカでは『給料一月分』)にならったもので日本ではアメリカの給料の3分の1という
事でこのフレーズが使われました。
当時の円相場は1ドル220円から230円位ですから単純にいいますと約2.8倍の
価格になったことになりますが当時は輸入関税と5%と物品税が15%も含まれていま
したから4倍近い値上がりが起きていたことになります。ただし、消費者は当時小売
価格で買っていますからあまり恩恵を受けたような気がしないはずです。
私が述べているのはあくまでドルベースの話ですが、円高である現在最も恩恵を受
か安い状況にあるのですがいかんせん景気が低迷をしております。余裕のある方は
是非、この恩恵を受けてください。
また、ダイアモンドの事に中心にしてブログに書いていきますよ。
現在、中国やインドの中心に経済の活況を呈しており、海外ではダイアモンドの
価格上昇現象が続いております。
さらに追い打ちをかけるように震災後、品不足も加わり価格がさらに上昇しており
取引の多い香港では高値で推移しているようです。
何故、震災で価格が上昇したかと言いますと、ここ数年日本から輸出されるダイア
モンドが増加していたからです。
その要因は、日本の長引く不況のせいで流通在庫がだぶつき安価で流通する
状況が続いており、多くの外国人バイヤーが日本で買付をしており、震災により
外国人バイヤーたちが来日を敬遠しているからです。
また、日本からの供給の方が手っ取り早いという事で、インドなどの研磨主要国では
研磨を控えていた事も要因に挙げられます。
いずれにしても大きな災害や戦争が起きるたびにダイアモンドの価格が上昇します。
勿論、その要因として必ず好況を呈している国が必ずどこかにあるという事が条件
ですが・・・。
過去最大の市場での価格上昇したのは日本の景気が右肩上がりで、ソ連のアフガン
進行が重なった時です。皮肉なものでその時に米軍と一緒に戦ったヴィン・ラディンが
二十年後には9.11テロを起こし、その直後もダイアモンドの価格は上昇しました。
そして、今回彼が米国に殺害された事とは無関係ではありますが、ダイアモンドの
価格は上昇を続けております。
そのきっかけは別にしても十年から二十年周期でダイアモンドの価格は上昇を
続けております。勿論その間も徐々に上昇をしておりますから一般の方達には気が
つかれない部分でダイアモンドは高値になっている訳です。
『給料3月分』これは三十数年前の婚約指輪の相場でした。その頃の平均価格の
相場が30万円ほどでしたから現在の価格とあまり変わりません。
『給料3カ月分』といキャッチフレーズは1940年代のアメリカのキャッチフレーズ(
アメリカでは『給料一月分』)にならったもので日本ではアメリカの給料の3分の1という
事でこのフレーズが使われました。
当時の円相場は1ドル220円から230円位ですから単純にいいますと約2.8倍の
価格になったことになりますが当時は輸入関税と5%と物品税が15%も含まれていま
したから4倍近い値上がりが起きていたことになります。ただし、消費者は当時小売
価格で買っていますからあまり恩恵を受けたような気がしないはずです。
私が述べているのはあくまでドルベースの話ですが、円高である現在最も恩恵を受
か安い状況にあるのですがいかんせん景気が低迷をしております。余裕のある方は
是非、この恩恵を受けてください。
2011年5月2日月曜日
GWもはじまり
しばらく忙しくブログを更新する時間というよりも気持ちの余裕がなくてついつい手を
休めてしまいました。
GWには多くの友人達が東北に入りボランティア活動を行ったり、その事前調査に
出向いたりしており、ただただ頭の下がる思いです。
出来れば休みを利用して観光にでも被災の少なかった地方へ、出かけてみようと思った
りもしましたが、なかなか急ぎの仕事が入り、それもままならないというのが現実で余裕の
なさはそんなところからきているのでしょう。
其々有名人や芸能人が被災地に入り、その様子がTVに映し出され、それはそれは
良い事だなあと思っておりますが、何か足りなさを感じております。
色々なところでボランティア活動が行われている半面、其々が点で行われているようで
線になっていないような気がしています。つまり、一方的な思いが多く感じられています。
ボランティアはそもそも其々の思いで行い行動することが原点ですが、今回のような大規模
になるとしかっりとした組織で行う事がよいのではないかと思います。もしそれを行うとしたら
行政や政府だと思いますが御存じ様な体たらくです。
其々が出来る事を出来る形で申請をし、それをまとめるような仕組みは一部にはありますが
未だそれぞれが思い思いで出かけているような気がします。
特に今回はGWにもぶつかり、多くの人がボランティアとして出かけていますが、カラ回り
して、現地で迷惑をかけないように事前に調査をして自分にできる事を行ってほしい。
被災された方達も無理をしてほしいとは思っていないと思います。当該地に出かけることだけが
全てではなく、当地にいても出来る事はあると思います。
自分のペースで被災地の方達の為になる事を探してみましょう。
休めてしまいました。
GWには多くの友人達が東北に入りボランティア活動を行ったり、その事前調査に
出向いたりしており、ただただ頭の下がる思いです。
出来れば休みを利用して観光にでも被災の少なかった地方へ、出かけてみようと思った
りもしましたが、なかなか急ぎの仕事が入り、それもままならないというのが現実で余裕の
なさはそんなところからきているのでしょう。
其々有名人や芸能人が被災地に入り、その様子がTVに映し出され、それはそれは
良い事だなあと思っておりますが、何か足りなさを感じております。
色々なところでボランティア活動が行われている半面、其々が点で行われているようで
線になっていないような気がしています。つまり、一方的な思いが多く感じられています。
ボランティアはそもそも其々の思いで行い行動することが原点ですが、今回のような大規模
になるとしかっりとした組織で行う事がよいのではないかと思います。もしそれを行うとしたら
行政や政府だと思いますが御存じ様な体たらくです。
其々が出来る事を出来る形で申請をし、それをまとめるような仕組みは一部にはありますが
未だそれぞれが思い思いで出かけているような気がします。
特に今回はGWにもぶつかり、多くの人がボランティアとして出かけていますが、カラ回り
して、現地で迷惑をかけないように事前に調査をして自分にできる事を行ってほしい。
被災された方達も無理をしてほしいとは思っていないと思います。当該地に出かけることだけが
全てではなく、当地にいても出来る事はあると思います。
自分のペースで被災地の方達の為になる事を探してみましょう。
2011年4月19日火曜日
ダイアモンドはメッセンジャー
前回ダイアモンドの誕生の話を書きましたが一寸難しいくなりすぎたか
もしれませんがその物語は地球誕生や変化の状況を伝えてくれます。
4Cという宝飾用ダイアモンドの評価方法がある事は多くの方達が御存
じだと思いますがダイアモンドの価値という意味ではイコールではないと
思っています。
多くのダイモンドは地中150キロから250キロで生成されたと思われてい
ますが実は結晶過程はもっと深部になります。
以前、内胞物に関してガーネットやぺリドットが入っている事があるとい
う事に触れましたが個々が重要で300キロくらいまでの深部ではガーネッ
ト、そしてそれ以上の深さであればペリドットというように内包されるインク
ルージョンによってどこの深さで結晶を始めたかが解ります。
つまり、インクルージョンによって地球、もっと言えば原始地球のメッセ
ージを運んでくれているのです。
それから地表に表れて人間の目に触れ、研磨され、その魅力には人々
の思いが馳せられ、物語とメッセージを後世に伝えてきたのです。
現代の在りようや自然、災害、感性等の全てをたどっていくと、このダイ
アモンドという石が運んだメッセージが答えてくれるのかもしれない。
物心両面のメッセージを運ぶメッセンジャーはダイアモンドしかないので
はないのでしょうか。
もしれませんがその物語は地球誕生や変化の状況を伝えてくれます。
4Cという宝飾用ダイアモンドの評価方法がある事は多くの方達が御存
じだと思いますがダイアモンドの価値という意味ではイコールではないと
思っています。
多くのダイモンドは地中150キロから250キロで生成されたと思われてい
ますが実は結晶過程はもっと深部になります。
以前、内胞物に関してガーネットやぺリドットが入っている事があるとい
う事に触れましたが個々が重要で300キロくらいまでの深部ではガーネッ
ト、そしてそれ以上の深さであればペリドットというように内包されるインク
ルージョンによってどこの深さで結晶を始めたかが解ります。
つまり、インクルージョンによって地球、もっと言えば原始地球のメッセ
ージを運んでくれているのです。
それから地表に表れて人間の目に触れ、研磨され、その魅力には人々
の思いが馳せられ、物語とメッセージを後世に伝えてきたのです。
現代の在りようや自然、災害、感性等の全てをたどっていくと、このダイ
アモンドという石が運んだメッセージが答えてくれるのかもしれない。
物心両面のメッセージを運ぶメッセンジャーはダイアモンドしかないので
はないのでしょうか。
2011年4月18日月曜日
ダイアモンドの誕生
普段、ダイアモンドの奇跡や自然の凄さを書いているうちに、ダイアモンドが何故奇跡
で自然がすごいのかという事をつい書きそびれていたかもしれない。
東日本地震については北米プレート等の移動や潜り込みであるという事は良く知られている
がダイアモンドの誕生にはこの話が無縁ではありません。
ダイアモンドが炭素によって出来あがっている事は御存じの方も多いでしょう。しかし、
その炭素が元々どこからやってきたものか。実は、新しいダイアモンド(と言っても1億年ほど
前ですが、生物起源説というのがあります。
元々、ダイアモンドは炭素が高温、高圧によって出来あがっている事は知られていますが
その炭素はどこから来たのか。原始生物が海底に積り、それがプレートの移動により地中
深く運び込まれたのではないかと言われている。
勿論、生物誕生の前からダイアモンドは生成され存在をしていたので一部の新しいダイアモンド
に限るという事になるとは思いますが・・・。
ダイアモンドを生成する条件としては5万気圧以上で1000度から1500度の高温が必要と
されていますが、その条件が地中150キロから250キロということになりますので如何に地中深く
地表が潜り込んでいっているかという事が想像できます。
つまり、それだけ地球の表面は移動を繰り返してきたという事になります。今回の地震に
関しては、その事を考えると何時か起きる事は想像が出来るという事になります。
それはさておき、炭素が単純に高温、高圧の条件がそろえばダイアモンドになるというもの
ではありません。炭素の結晶不純物を混ぜることなく、また、結晶構造が3次元的である事
も条件に含まれます。
マグマの中で成長した結晶が超音速に近いスピードで地表近くまで送り出されることも条件
になりますが、その際に結晶したダイアモンドがマグマの中で一回溶けたり、再結晶を繰り返し
たりという事でその結晶に特徴が出来たりもします。
ダイアモンドが何故結晶の形にゆがみが少ないかというと液状環境の中で成長するので他の
岩石のすき間で成長をするような形にはなりません。
つまり、ダイアモンドというものは混じりけのない炭素の集合体が液状のマグマの中で成長し、
なおかつマントルの中で固まりながら結晶し、熟成した後に音速に近いスピードで地表に押し
上げられて完成します。この事は地球全体の元素の割合からすると非常にまれなことである。
実に炭素の割合は1%にも満たない訳でその中でダイアモンドを構成する炭素はさらに少なく
その存在自体が奇跡なのです。
ダイアモンドの誕生は奇跡を繰り返しながら人間の目に触れるのですが、触れるだけで人間に
何らかの刺激を与えない限り認めてもらう事はありません。
奇跡の繰り返しと人類との融合がなければ存在自体が意味のないものになります。
しかし、それは必然の事実として人類にとって意味のある誕生だったのです。
その何かが解明されるとなぜ人に近くにダイアモンドがあり続けるのかが判明するでしょう。
ややこしい話になってすみません。
で自然がすごいのかという事をつい書きそびれていたかもしれない。
東日本地震については北米プレート等の移動や潜り込みであるという事は良く知られている
がダイアモンドの誕生にはこの話が無縁ではありません。
ダイアモンドが炭素によって出来あがっている事は御存じの方も多いでしょう。しかし、
その炭素が元々どこからやってきたものか。実は、新しいダイアモンド(と言っても1億年ほど
前ですが、生物起源説というのがあります。
元々、ダイアモンドは炭素が高温、高圧によって出来あがっている事は知られていますが
その炭素はどこから来たのか。原始生物が海底に積り、それがプレートの移動により地中
深く運び込まれたのではないかと言われている。
勿論、生物誕生の前からダイアモンドは生成され存在をしていたので一部の新しいダイアモンド
に限るという事になるとは思いますが・・・。
ダイアモンドを生成する条件としては5万気圧以上で1000度から1500度の高温が必要と
されていますが、その条件が地中150キロから250キロということになりますので如何に地中深く
地表が潜り込んでいっているかという事が想像できます。
つまり、それだけ地球の表面は移動を繰り返してきたという事になります。今回の地震に
関しては、その事を考えると何時か起きる事は想像が出来るという事になります。
それはさておき、炭素が単純に高温、高圧の条件がそろえばダイアモンドになるというもの
ではありません。炭素の結晶不純物を混ぜることなく、また、結晶構造が3次元的である事
も条件に含まれます。
マグマの中で成長した結晶が超音速に近いスピードで地表近くまで送り出されることも条件
になりますが、その際に結晶したダイアモンドがマグマの中で一回溶けたり、再結晶を繰り返し
たりという事でその結晶に特徴が出来たりもします。
ダイアモンドが何故結晶の形にゆがみが少ないかというと液状環境の中で成長するので他の
岩石のすき間で成長をするような形にはなりません。
つまり、ダイアモンドというものは混じりけのない炭素の集合体が液状のマグマの中で成長し、
なおかつマントルの中で固まりながら結晶し、熟成した後に音速に近いスピードで地表に押し
上げられて完成します。この事は地球全体の元素の割合からすると非常にまれなことである。
実に炭素の割合は1%にも満たない訳でその中でダイアモンドを構成する炭素はさらに少なく
その存在自体が奇跡なのです。
ダイアモンドの誕生は奇跡を繰り返しながら人間の目に触れるのですが、触れるだけで人間に
何らかの刺激を与えない限り認めてもらう事はありません。
奇跡の繰り返しと人類との融合がなければ存在自体が意味のないものになります。
しかし、それは必然の事実として人類にとって意味のある誕生だったのです。
その何かが解明されるとなぜ人に近くにダイアモンドがあり続けるのかが判明するでしょう。
ややこしい話になってすみません。
2011年4月15日金曜日
ダイアモンドを探す
被災地の現状が伝わるとそこには沢山の物語がある事を実感させられます。
今朝TVを見ていると釜石市の避難所で過ごされている御夫婦がインタビューされておりました。
避難所の生活もさることながら今一番気になっている事をリポーターから尋ねられると、
「十年前の退職した時に感謝の気持ちを込めてプレゼントしたダイアモンドの指輪が
れ流されてしまった事」だということでした。
今は毎日現場に行ってその指輪を探す事を日課としているということでしたが正直
あの被災地で見つける事は容易ではないでしょう。ただダイアモンドは異常に光ります。
「一筋の光明」という言葉がありますがまさにダイアモンドを指すような言葉でどんなに
小さな光でも反射してくれます。他の物を探すよりは遠くまで反射をするという事も含めて
見つけるチャンスはあります。ダイアモンドはそのようにして人間に発見されてきたの
ですから。
しかし、大変なことだとは思いますがぜひ見つかってほしいと願っております。
今回のエピソードを聞いて、人の思いをダイアモンドにのせて伝える事やその方達の
思いがそこにある事を思うとダイアモンドを扱う人間として何とかしてやりたいなあと
思う気持ちで一杯です。
救いはダイアモンドは劣化をしませんので時間がかかっても大丈夫だという事です。
後は人の善意を信ずるだけですね。
本来のダイアモンドの役目を果たしていた指輪ですから必ず見つかると思います。
また。探すことその事が貴いとも思います。
是非何かのお役にたちたいと思ってやみません。
今朝TVを見ていると釜石市の避難所で過ごされている御夫婦がインタビューされておりました。
避難所の生活もさることながら今一番気になっている事をリポーターから尋ねられると、
「十年前の退職した時に感謝の気持ちを込めてプレゼントしたダイアモンドの指輪が
れ流されてしまった事」だということでした。
今は毎日現場に行ってその指輪を探す事を日課としているということでしたが正直
あの被災地で見つける事は容易ではないでしょう。ただダイアモンドは異常に光ります。
「一筋の光明」という言葉がありますがまさにダイアモンドを指すような言葉でどんなに
小さな光でも反射してくれます。他の物を探すよりは遠くまで反射をするという事も含めて
見つけるチャンスはあります。ダイアモンドはそのようにして人間に発見されてきたの
ですから。
しかし、大変なことだとは思いますがぜひ見つかってほしいと願っております。
今回のエピソードを聞いて、人の思いをダイアモンドにのせて伝える事やその方達の
思いがそこにある事を思うとダイアモンドを扱う人間として何とかしてやりたいなあと
思う気持ちで一杯です。
救いはダイアモンドは劣化をしませんので時間がかかっても大丈夫だという事です。
後は人の善意を信ずるだけですね。
本来のダイアモンドの役目を果たしていた指輪ですから必ず見つかると思います。
また。探すことその事が貴いとも思います。
是非何かのお役にたちたいと思ってやみません。
2011年4月11日月曜日
自然現象!?
天災を含め自然が起こす人間の想定外の事を悪い事は災害、良い事は奇蹟といったすみ分けを
しますが、含めて超常現象という事になるのでしょう。
今回、珍しいダイアモンドを数多く集めて店頭に飾ってみましが一般の方達がいかにダイアモンド
を見る機会がなく、その事について御存じないかという事を改めて感じました。
皆さんがご存じのダイアモンドは白くて丸い物というのが一般的であり、良く考えてみると
世間の宝石店では丸くて白い、グレードのついた売りやすいダイアモンドを多く取りそろえて
おり、説明が難しいものは避けているという面もあります。
つまり、皆さんがご存じのないダイアモンドは人々にとってはやはり奇跡であり、たとえ知って
いても地球から取れた石が透明で色がついているという事じたいが奇跡です。
ややこしい説明になりましたが、ダイアモンドの存在が自然であり、むしろその後に発生した
人間を含めた生物や現象こそが奇跡であるという事が言いたいのです。
何時も書いていますが最初から存在しているダイアモンドが当たり前であり、我々人類が
超常現象であり、ダイアモンドの存在こそが自然現象であると思います。
主と副が本来の立場であれば逆であり、見慣れないダイアモンドも本来はあってしかるべき
物として認識をして頂けたならば何故ダイアモンドが財産なのかが御理解いただけると思い
ます。
是非、自然現象を御覧になりに来てみてください。
しますが、含めて超常現象という事になるのでしょう。
今回、珍しいダイアモンドを数多く集めて店頭に飾ってみましが一般の方達がいかにダイアモンド
を見る機会がなく、その事について御存じないかという事を改めて感じました。
皆さんがご存じのダイアモンドは白くて丸い物というのが一般的であり、良く考えてみると
世間の宝石店では丸くて白い、グレードのついた売りやすいダイアモンドを多く取りそろえて
おり、説明が難しいものは避けているという面もあります。
つまり、皆さんがご存じのないダイアモンドは人々にとってはやはり奇跡であり、たとえ知って
いても地球から取れた石が透明で色がついているという事じたいが奇跡です。
ややこしい説明になりましたが、ダイアモンドの存在が自然であり、むしろその後に発生した
人間を含めた生物や現象こそが奇跡であるという事が言いたいのです。
何時も書いていますが最初から存在しているダイアモンドが当たり前であり、我々人類が
超常現象であり、ダイアモンドの存在こそが自然現象であると思います。
主と副が本来の立場であれば逆であり、見慣れないダイアモンドも本来はあってしかるべき
物として認識をして頂けたならば何故ダイアモンドが財産なのかが御理解いただけると思い
ます。
是非、自然現象を御覧になりに来てみてください。
2011年4月7日木曜日
ここで再び
以前、スピリチアリティーについて書いたことがあります。
人間が前に進んだり、進化したりするときに有機、無機といった事を問わず、自然から得る
エネルギーであり、バランスを崩している心身の矯正に影響を与えるオーラであったりする
のがスピリチアリティーです。
多くの未開発国の人々はこれらを感じる力が強いのですが、我々日本人や欧米人はその
能力が劣っているといわれています。
それでも森林の中に入ったら落ち着いた気分になったり、海を見ていると気持ちの持ちようが
楽になったりと、色々感じている訳です。
多分オーラなどは発している人や物に集中した興味を持つことにより感じるものなのでしょう。
つまりは感じる人が前向きな気持ちを持っている時にそれを後押しやキッカケになるものだと
思います。
ダイアモンドは地球上で最も強いオーラを持っているものです(なぜなら、何の良くにも立たない
のに人々の周りに常にあるからです)が、多くの人々の気持ちを動かしたり、感動を与えたり
するにしても、ひとびとの気持ちに余裕がなければなりません。
以前にも書きましたが、好奇心の強い人には確実に影響を与え、頑張ろうという気持にさせて
くれるのがダイアモンドです。
一度、買うとか買わないとかではなくじっくりとダイアモンドを見てみてください。貴女の何かを
確実に刺激しますよ。女性には限りません。男性の中にも沢山そういった方がいます。
今のように少し気持ちが下向き加減の時、ダイアモンドからスピリチアリティーを是非感じて
みてください。元気になりますよ。
人間が前に進んだり、進化したりするときに有機、無機といった事を問わず、自然から得る
エネルギーであり、バランスを崩している心身の矯正に影響を与えるオーラであったりする
のがスピリチアリティーです。
多くの未開発国の人々はこれらを感じる力が強いのですが、我々日本人や欧米人はその
能力が劣っているといわれています。
それでも森林の中に入ったら落ち着いた気分になったり、海を見ていると気持ちの持ちようが
楽になったりと、色々感じている訳です。
多分オーラなどは発している人や物に集中した興味を持つことにより感じるものなのでしょう。
つまりは感じる人が前向きな気持ちを持っている時にそれを後押しやキッカケになるものだと
思います。
ダイアモンドは地球上で最も強いオーラを持っているものです(なぜなら、何の良くにも立たない
のに人々の周りに常にあるからです)が、多くの人々の気持ちを動かしたり、感動を与えたり
するにしても、ひとびとの気持ちに余裕がなければなりません。
以前にも書きましたが、好奇心の強い人には確実に影響を与え、頑張ろうという気持にさせて
くれるのがダイアモンドです。
一度、買うとか買わないとかではなくじっくりとダイアモンドを見てみてください。貴女の何かを
確実に刺激しますよ。女性には限りません。男性の中にも沢山そういった方がいます。
今のように少し気持ちが下向き加減の時、ダイアモンドからスピリチアリティーを是非感じて
みてください。元気になりますよ。
2011年4月6日水曜日
義援
災害というものは実害も恐ろしいけど、精神的二次三次被害も恐ろしい。
花見やイベントも全てとは言わないが中止の多い中、被災者の中からあまり自粛をしない
でほしいという声もネット上では上がっている。
被災者の復興がこれからという時に被災した企業の商品が売れない結果、復興の足を
引っ張っているといものです。
お花見が良いかどうかは別として、東北地方の酒造メーカー全国の自粛ムードの中、
復興準備が出来ても注文がないということです。
自粛ムードに対して如何なものかという意見もそろそろ出てきていますが、『チーム日本』
としては先発選手が怪我をして退場したところでバックアップをする選手も一緒になって
怪我をしているつもりでいたら試合は勝てない。
東北地方の産業の復興を引っ張るのは健康な地域の責務であり、それが本来の義援
ではないのだろうか。勿論、はしゃぎ事は大いに結構とは言わないが経済効果が上がるで
あろうイベントや消費まで自粛することは義援金を本当の意味で役に立てることはできない
のではないでしょうか。
一時の感情や思いやりは時として被災者の足を引っ張ります。本来は全てとは言わないが
継続させることがいち早く復興に繋がり、継続させる事により被災を忘れないという事に
なるのだと思う。
石川遼君が今年の獲得賞金とバーディー毎に寄付金を義援したいと言っていますが、
これは素晴らしいと思う。つまり、継続させる意識と被災者とともにいる気持ちを持って
いたいという素晴らしい提案だと思う。獲得賞金の問題ではないのです。
我々も少しでも多くの賞金を稼ぎ少しでも多くのバーディーを取る気持ちで商売を行い
たいものです。賞金をとる事やバーディーを取る事を自粛していては被災もすぐ忘れて
しまいます。新燃岳の噴火はまだ終わってはいませんが経済が回らなくなるとその事も
忘れがちになります。
皆で遼君と同じ気持ちで賞金を稼ぎバーディーを取る事を考えましょう。それぞれの
分野で・・・。
気持ちまで被災してはいけないと思います。直接の被災者にはしばいの時間が必要です
がそれ以外の人たちはそのバックアップの為に頑張りましょう。それが本来の義援になる
と思います。
サアぁ『上を向いて歩こう』ではありませんか。
花見やイベントも全てとは言わないが中止の多い中、被災者の中からあまり自粛をしない
でほしいという声もネット上では上がっている。
被災者の復興がこれからという時に被災した企業の商品が売れない結果、復興の足を
引っ張っているといものです。
お花見が良いかどうかは別として、東北地方の酒造メーカー全国の自粛ムードの中、
復興準備が出来ても注文がないということです。
自粛ムードに対して如何なものかという意見もそろそろ出てきていますが、『チーム日本』
としては先発選手が怪我をして退場したところでバックアップをする選手も一緒になって
怪我をしているつもりでいたら試合は勝てない。
東北地方の産業の復興を引っ張るのは健康な地域の責務であり、それが本来の義援
ではないのだろうか。勿論、はしゃぎ事は大いに結構とは言わないが経済効果が上がるで
あろうイベントや消費まで自粛することは義援金を本当の意味で役に立てることはできない
のではないでしょうか。
一時の感情や思いやりは時として被災者の足を引っ張ります。本来は全てとは言わないが
継続させることがいち早く復興に繋がり、継続させる事により被災を忘れないという事に
なるのだと思う。
石川遼君が今年の獲得賞金とバーディー毎に寄付金を義援したいと言っていますが、
これは素晴らしいと思う。つまり、継続させる意識と被災者とともにいる気持ちを持って
いたいという素晴らしい提案だと思う。獲得賞金の問題ではないのです。
我々も少しでも多くの賞金を稼ぎ少しでも多くのバーディーを取る気持ちで商売を行い
たいものです。賞金をとる事やバーディーを取る事を自粛していては被災もすぐ忘れて
しまいます。新燃岳の噴火はまだ終わってはいませんが経済が回らなくなるとその事も
忘れがちになります。
皆で遼君と同じ気持ちで賞金を稼ぎバーディーを取る事を考えましょう。それぞれの
分野で・・・。
気持ちまで被災してはいけないと思います。直接の被災者にはしばいの時間が必要です
がそれ以外の人たちはそのバックアップの為に頑張りましょう。それが本来の義援になる
と思います。
サアぁ『上を向いて歩こう』ではありませんか。
2011年4月4日月曜日
ダイアモンド取引
前回もダイモンドの財産性について書いてみましたが日本では残念ながら一般の方に
見える形ではダイアモンドを売買できる場所がありません。
30年ほど前に仲間たちと東京ダイアモンド取引所なる物を設立案を立案したことがあり、
その頃は物品税なる物が存在し、グレードのシステムも今ほどは整ってはいませんでした。
しかし、同時期に米国のネバダ州で数名のダイアモンドディーラーが当時のパソコン通信
を使って、その取引を行い僅か2年で数百億の取引きを可能にしましたが、やはり仕組み上
の問題もあり、その後1980年を境に閉じることになりました。
現在は当時と環境が違います。市場もシステムもインフラさえもこの取引の環境に向いて
いる。いや、最適だとも言えるかもしれません。
ただし、過去の成功例と失敗例を知り、現在の状況に照らし合わせる事は必要だと思いますが、
多分、取引規模に照らし合わせても投資金額は少なくてすむでしょう。
これらのシステムをつくる事は次世代のダイアモンドビジネスには必要不可欠な事だと
思っていますが、その環境を誰が手につけるかは時間の問題であると思っています。
ダイアモンドの売り買いが自由にできる時代は近いと思っていますが、既に近い形では
行っているところもあります。今回のような災害に見舞われると「国境なき財産」「持ち運び
のできる財産」の必要性を実感します。
興味のある方はご一報ください。
見える形ではダイアモンドを売買できる場所がありません。
30年ほど前に仲間たちと東京ダイアモンド取引所なる物を設立案を立案したことがあり、
その頃は物品税なる物が存在し、グレードのシステムも今ほどは整ってはいませんでした。
しかし、同時期に米国のネバダ州で数名のダイアモンドディーラーが当時のパソコン通信
を使って、その取引を行い僅か2年で数百億の取引きを可能にしましたが、やはり仕組み上
の問題もあり、その後1980年を境に閉じることになりました。
現在は当時と環境が違います。市場もシステムもインフラさえもこの取引の環境に向いて
いる。いや、最適だとも言えるかもしれません。
ただし、過去の成功例と失敗例を知り、現在の状況に照らし合わせる事は必要だと思いますが、
多分、取引規模に照らし合わせても投資金額は少なくてすむでしょう。
これらのシステムをつくる事は次世代のダイアモンドビジネスには必要不可欠な事だと
思っていますが、その環境を誰が手につけるかは時間の問題であると思っています。
ダイアモンドの売り買いが自由にできる時代は近いと思っていますが、既に近い形では
行っているところもあります。今回のような災害に見舞われると「国境なき財産」「持ち運び
のできる財産」の必要性を実感します。
興味のある方はご一報ください。
2011年4月1日金曜日
国境なき財産!?
今回の災害の画面を見て、津波の恐ろしさや地震の凄さを改めて感じた方も多いと思う。
何人かの方に尋ねられたのは
「財産の全てが流される様子を見て、瞬間的に持って逃げれるものはそんなにないと
思ったけれど、ダイアモンドはどうなんですか?」
勿論、この質問が多い意味も解ります。家などの財産が一瞬で消えてなくなる訳ですから、
不安にもなると思います。それに今回は何故か立てたばかりとか引っ越した翌日という人々
も何人かいました。
私がこの業界に入った頃1970年代に二つの大きな衝撃がありました。それまでは宝石は
単なる、装飾品の贅沢なものという感覚でした。
その一つはヒスイのリフォームです。その多くは
「満州から引き上げる時に持って逃げるれる物がなかったので必死でこのヒスイを持って
逃げたものよ」
といった満州から引き揚げてきた御老人達からのお話でした。
つまり、終戦直後ソ連軍の南下や中国軍の反撃により、日本へ命からがら逃げて来た時に
持って逃げることが出来る財産は限られていたし、逃げるのに目立つ物は持って逃げれる事
が出来なかった時にヒスイを懐に忍ばせ日本に帰ってきたという事で、その際ヒスイを
売って日本での生活の資源にしたという事です。
「これは、その時の残ったものなんだけど思い出がいっぱい詰まっているので作り変えて
持っていたいのよね」
これらの話題は決して稀なことではありませんでした。
もう一つは1970年代半ばから米国に渡っていて時の事ですが、渡米当初しばらく語学
学校に通っていた時の事です。
同じクラスにひと際年齢の高い老人がおられて、その老人がある日
「KAZは日本でダイアモンドの仕事をしていたんだってね。」
「はい、そうですけど…。」
この頃、ベトナム戦争も終わり、多くの南ベトナム難民が海外に流失しておりました。
「私は、ベトナムではそこそこのビジネスをしていたんだけれど、国から逃げる時に
持っていたダイアモンドを全部隠して船に乗り込みアメリカに渡って来たんだよ。」
「ヘエ~。そんなんですか。」
「アメリカに渡ってそれらのダイアモンドを換金して小さなお店を買い息子達と商売をして
いるんだ」
その頃日本でビジネスをしていた私にはダイアモンドを換金という感覚は知識程度でしか
持ち合わせてはいなかったので一寸驚いた事を覚えています。
以前はフランス領であった南ベトナムの人々にはとくにその感覚が強かったようです。
現在、日本では地金(金、プラチナ等)の値上がりに伴い、それらの換金とともにダイアモンド
の売買も多く行われるようになってきました。
ダイアモンドの換金度はまだまだ少ないのかもしれませんが昨年換金されたダイアモンドは
数百億円にものぼります。
色石に関しては地域性や時代性もあるかもしれませんが、ダイアモンドに関しては
世界中がほぼ統一価格を持っています。勿論米ドルが前提ですが・・。
現在の日本は円高も伴い世界でも量と質が伴いなおかつ価格が安いといった状況に
あります。投資になる場合もあるでしょうし、財産の保全にもなるかもしれません。
災害にあった時にその力を存分に発揮してくれる国境なき財産である、ダイアモンドは
想定外の最悪が起きた時には強い味方になってくれるという事も頭の片隅に入れておいて
ください。
何人かの方に尋ねられたのは
「財産の全てが流される様子を見て、瞬間的に持って逃げれるものはそんなにないと
思ったけれど、ダイアモンドはどうなんですか?」
勿論、この質問が多い意味も解ります。家などの財産が一瞬で消えてなくなる訳ですから、
不安にもなると思います。それに今回は何故か立てたばかりとか引っ越した翌日という人々
も何人かいました。
私がこの業界に入った頃1970年代に二つの大きな衝撃がありました。それまでは宝石は
単なる、装飾品の贅沢なものという感覚でした。
その一つはヒスイのリフォームです。その多くは
「満州から引き上げる時に持って逃げるれる物がなかったので必死でこのヒスイを持って
逃げたものよ」
といった満州から引き揚げてきた御老人達からのお話でした。
つまり、終戦直後ソ連軍の南下や中国軍の反撃により、日本へ命からがら逃げて来た時に
持って逃げることが出来る財産は限られていたし、逃げるのに目立つ物は持って逃げれる事
が出来なかった時にヒスイを懐に忍ばせ日本に帰ってきたという事で、その際ヒスイを
売って日本での生活の資源にしたという事です。
「これは、その時の残ったものなんだけど思い出がいっぱい詰まっているので作り変えて
持っていたいのよね」
これらの話題は決して稀なことではありませんでした。
もう一つは1970年代半ばから米国に渡っていて時の事ですが、渡米当初しばらく語学
学校に通っていた時の事です。
同じクラスにひと際年齢の高い老人がおられて、その老人がある日
「KAZは日本でダイアモンドの仕事をしていたんだってね。」
「はい、そうですけど…。」
この頃、ベトナム戦争も終わり、多くの南ベトナム難民が海外に流失しておりました。
「私は、ベトナムではそこそこのビジネスをしていたんだけれど、国から逃げる時に
持っていたダイアモンドを全部隠して船に乗り込みアメリカに渡って来たんだよ。」
「ヘエ~。そんなんですか。」
「アメリカに渡ってそれらのダイアモンドを換金して小さなお店を買い息子達と商売をして
いるんだ」
その頃日本でビジネスをしていた私にはダイアモンドを換金という感覚は知識程度でしか
持ち合わせてはいなかったので一寸驚いた事を覚えています。
以前はフランス領であった南ベトナムの人々にはとくにその感覚が強かったようです。
現在、日本では地金(金、プラチナ等)の値上がりに伴い、それらの換金とともにダイアモンド
の売買も多く行われるようになってきました。
ダイアモンドの換金度はまだまだ少ないのかもしれませんが昨年換金されたダイアモンドは
数百億円にものぼります。
色石に関しては地域性や時代性もあるかもしれませんが、ダイアモンドに関しては
世界中がほぼ統一価格を持っています。勿論米ドルが前提ですが・・。
現在の日本は円高も伴い世界でも量と質が伴いなおかつ価格が安いといった状況に
あります。投資になる場合もあるでしょうし、財産の保全にもなるかもしれません。
災害にあった時にその力を存分に発揮してくれる国境なき財産である、ダイアモンドは
想定外の最悪が起きた時には強い味方になってくれるという事も頭の片隅に入れておいて
ください。
2011年3月24日木曜日
想定外
災害はいつも想定外の時に起こります。
人間は自らの英知におぼれている事はないだろうか?
いつも災害が起きるたびに感じることがあります。それは、自然には勝つことが出来ない
という事です。必ずそのたびに言われる事は「想定外の大きさ」などと言われる言葉です。
想定内で起きていたならば、災害になどならないのですが、自然はいつも人間の想定を
超えて物事を起こすものだという想定はないのだろうか?
もしかしたら想定をすることが出来ても、それを実現するにはそれなりのコストを払う事に
なるのでしょう。」つまり、税金や其々の費用を其々が負担をするという事になるのです。
以前、荒川だったと思いますが「スーパー堤防」を造る構想が進み、住民と行政の間、
又は、推進派、反対派の間で「数百年に一度の災害、それも起こるかどうか解らない事」
に税金を投入するのは如何なものか・・といった論争が今も続いているといったことが
ありました。
当り前の議論ですが今回の災害はその例に当たるのでしょうが、はたして防げたの
でしょうか。多くの人の答えは「NO」だと思います。
人間にとって数百年の事は自然にとっては数秒のことに過ぎないのですから、何度でも
想定外はやってくるのです。
しかし、人類は常にそれをリカバーしてきました。(もし今の文明の前に栄えた文明が
なかったとしてですが) しかし、それは自然の中の一活動に過ぎません。
今回の二次被害は原子力発電所の崩壊ですが、自然被害を何時も大きくするのは人間
の作った人災です。人間の進化は所詮自然の営みの中の一現象に過ぎません。
人間は進化の方向をそろそろ考えて方がよいのかもしれません。過度な心地よさや
贅沢の為の進化は常に大きな災害に輪をかけることになります。歪んだ進化や場当たり
的な物は避けた方がよいのかもしれません。
「自然とともに」とか「ロハス」とかいった言葉がよく囁かれますが、動植物のように生きる
為の進化はあるべきですが、贅沢や欲望の為の進化は見直す時に来たような気がします。
周りを見てみてください、本当に生きるために必要なものばかりですか?
勿論、欲望も必要です。
それがなければ、進化もしませんし、やはり必要悪で自然な中で育まれた人間の特性
でもある訳ですから。ただし、人間自身がやはり進化としてそういった事を見直す進歩を
見せても良い時期に来ているのではないでしょうか。
我々人間は自然に育まれ、自然を超える事は絶対あり得ないといった謙虚な姿勢が
必要なのではないでしょうか。
我々日本人の原点は「神道」です。八百万の神を崇めるという事は自然におきた事、
全てを受け入れるといった謙虚で寛容な精神だと思います。しかし、これは何でも諦め
安いといった精神構造にも紙一重です。
いずれにしても自然を超える事は出来ないのですから、常にその対処に対して大きな
コストを割くべきであって、快適さに大きなコストを割く事は大きな二次災害に結び付くという
事になるのでしょう。
自然の中で変化をしない事は難しい。それは何時も人間の想定外の自然が変化をさせ
るが変化をしない物もある。
それはダイアモンドです。
これはある意味想定外です。
人間は自らの英知におぼれている事はないだろうか?
いつも災害が起きるたびに感じることがあります。それは、自然には勝つことが出来ない
という事です。必ずそのたびに言われる事は「想定外の大きさ」などと言われる言葉です。
想定内で起きていたならば、災害になどならないのですが、自然はいつも人間の想定を
超えて物事を起こすものだという想定はないのだろうか?
もしかしたら想定をすることが出来ても、それを実現するにはそれなりのコストを払う事に
なるのでしょう。」つまり、税金や其々の費用を其々が負担をするという事になるのです。
以前、荒川だったと思いますが「スーパー堤防」を造る構想が進み、住民と行政の間、
又は、推進派、反対派の間で「数百年に一度の災害、それも起こるかどうか解らない事」
に税金を投入するのは如何なものか・・といった論争が今も続いているといったことが
ありました。
当り前の議論ですが今回の災害はその例に当たるのでしょうが、はたして防げたの
でしょうか。多くの人の答えは「NO」だと思います。
人間にとって数百年の事は自然にとっては数秒のことに過ぎないのですから、何度でも
想定外はやってくるのです。
しかし、人類は常にそれをリカバーしてきました。(もし今の文明の前に栄えた文明が
なかったとしてですが) しかし、それは自然の中の一活動に過ぎません。
今回の二次被害は原子力発電所の崩壊ですが、自然被害を何時も大きくするのは人間
の作った人災です。人間の進化は所詮自然の営みの中の一現象に過ぎません。
人間は進化の方向をそろそろ考えて方がよいのかもしれません。過度な心地よさや
贅沢の為の進化は常に大きな災害に輪をかけることになります。歪んだ進化や場当たり
的な物は避けた方がよいのかもしれません。
「自然とともに」とか「ロハス」とかいった言葉がよく囁かれますが、動植物のように生きる
為の進化はあるべきですが、贅沢や欲望の為の進化は見直す時に来たような気がします。
周りを見てみてください、本当に生きるために必要なものばかりですか?
勿論、欲望も必要です。
それがなければ、進化もしませんし、やはり必要悪で自然な中で育まれた人間の特性
でもある訳ですから。ただし、人間自身がやはり進化としてそういった事を見直す進歩を
見せても良い時期に来ているのではないでしょうか。
我々人間は自然に育まれ、自然を超える事は絶対あり得ないといった謙虚な姿勢が
必要なのではないでしょうか。
我々日本人の原点は「神道」です。八百万の神を崇めるという事は自然におきた事、
全てを受け入れるといった謙虚で寛容な精神だと思います。しかし、これは何でも諦め
安いといった精神構造にも紙一重です。
いずれにしても自然を超える事は出来ないのですから、常にその対処に対して大きな
コストを割くべきであって、快適さに大きなコストを割く事は大きな二次災害に結び付くという
事になるのでしょう。
自然の中で変化をしない事は難しい。それは何時も人間の想定外の自然が変化をさせ
るが変化をしない物もある。
それはダイアモンドです。
これはある意味想定外です。
2011年3月23日水曜日
立場が変わり・
私は38億年前程に今の地球にやってきました。
その頃には既に地球で生まれた仲間たちがダイアモンドとして誕生をしていましており、
そこに宇宙から来た私も仲間入りをしました。
私と共にくっついて来たのかハタマタその頃の地球の火山活動において発生したのかは解り
ませんが、地球では微生物なる物が蠢き始めておりました。それからというもの微生物はくっつ
いたり、離れたりといながら進化をしていったのです。
1億年前ほどになるとサルほどにも成長した彼らにはまだ私には関心がないようでもっぱら
食べることに興味を持っているようでした。
やがて、彼らは家族を形成しながら生活する事を覚え、気に入った相手に求愛をしたり相手
の興味を引く為に特にオスは食べ物を運んだり、奇妙な行動をとってみたりもしていました。
私達が彼らの興味を引くようになったのは食べ物も豊富になり、特にそれらに興味を持た
なくなってきた頃からです。きらきらと光る私達は彼らにとっては不思議な物体だったのでしょう。
オスたちはこぞってメスたちの興味をひく為に私たちを利用するようになりましたがメス達も
段々と私達を見るたびに感性が豊かになり、自然の草花や色合いに興味を持つようになって
きました。
彼らは感性が豊かになると私たちから目を遠ざけ、自然の中にある色鮮やかな物や自分達
が造りだした物へと興味が移行していったのです。
彼らは私達が丈夫である事に気がつくとやがて道具や身を防ぐものとして利用を始めたの
ですが、意外に私達が近くにはいないのだとわかるようになると、高値で取引をするように
し始めたのです。
やがて、彼らの文化が進むにつれて私を磨くことによって、より自分達の美観を追及する
ようになってきましたが私の硬さは半端ではない。私は只者ではないのです。
彼ら人間の自由になるほど軟(やわ)でもないし、思ったようにさせるほど理解もないのは
私を研磨しているものであればわかっている。それほど、頑固者なのです。
人間は私を見につける為に色々な努力をしてきましたが、彼らの自由になるほど私は柔軟
ではないし、彼らが私たちの序列をつけれるほど一律でもない。
人間がいつ気がつくのか興味があります。自分達の感性が私達によってもたらされたもので
あることを・・・。
私達ダイアモンドがいる限り、まだまだ人間の感性が変化していく事に気がつく事はない
のでしょう。私たちを自然の産物と思わないでほしい。あなた達人間が自然の産物であり、
人間は私達が育てたのです。
だからこそ、あなた達人間は何の役にも立たないと思っている私たちから離れることが出来
ないのです。
あなた達人間は自分達から物を見過ぎるのです。
あなた達人間には自由にならないことが多いのです。
だからこそ
あなた達人間には私がまだまだ必要なのです。
その事に気が付いている人が多くいる事も知っています。
しかし、それは理屈で解っている訳ではなく感じているだけです。
あなた達人間の祖先が感じたのと同じくらいに・・・・・ね。
ダイアモンドの立場になってみました。
その頃には既に地球で生まれた仲間たちがダイアモンドとして誕生をしていましており、
そこに宇宙から来た私も仲間入りをしました。
私と共にくっついて来たのかハタマタその頃の地球の火山活動において発生したのかは解り
ませんが、地球では微生物なる物が蠢き始めておりました。それからというもの微生物はくっつ
いたり、離れたりといながら進化をしていったのです。
1億年前ほどになるとサルほどにも成長した彼らにはまだ私には関心がないようでもっぱら
食べることに興味を持っているようでした。
やがて、彼らは家族を形成しながら生活する事を覚え、気に入った相手に求愛をしたり相手
の興味を引く為に特にオスは食べ物を運んだり、奇妙な行動をとってみたりもしていました。
私達が彼らの興味を引くようになったのは食べ物も豊富になり、特にそれらに興味を持た
なくなってきた頃からです。きらきらと光る私達は彼らにとっては不思議な物体だったのでしょう。
オスたちはこぞってメスたちの興味をひく為に私たちを利用するようになりましたがメス達も
段々と私達を見るたびに感性が豊かになり、自然の草花や色合いに興味を持つようになって
きました。
彼らは感性が豊かになると私たちから目を遠ざけ、自然の中にある色鮮やかな物や自分達
が造りだした物へと興味が移行していったのです。
彼らは私達が丈夫である事に気がつくとやがて道具や身を防ぐものとして利用を始めたの
ですが、意外に私達が近くにはいないのだとわかるようになると、高値で取引をするように
し始めたのです。
やがて、彼らの文化が進むにつれて私を磨くことによって、より自分達の美観を追及する
ようになってきましたが私の硬さは半端ではない。私は只者ではないのです。
彼ら人間の自由になるほど軟(やわ)でもないし、思ったようにさせるほど理解もないのは
私を研磨しているものであればわかっている。それほど、頑固者なのです。
人間は私を見につける為に色々な努力をしてきましたが、彼らの自由になるほど私は柔軟
ではないし、彼らが私たちの序列をつけれるほど一律でもない。
人間がいつ気がつくのか興味があります。自分達の感性が私達によってもたらされたもので
あることを・・・。
私達ダイアモンドがいる限り、まだまだ人間の感性が変化していく事に気がつく事はない
のでしょう。私たちを自然の産物と思わないでほしい。あなた達人間が自然の産物であり、
人間は私達が育てたのです。
だからこそ、あなた達人間は何の役にも立たないと思っている私たちから離れることが出来
ないのです。
あなた達人間は自分達から物を見過ぎるのです。
あなた達人間には自由にならないことが多いのです。
だからこそ
あなた達人間には私がまだまだ必要なのです。
その事に気が付いている人が多くいる事も知っています。
しかし、それは理屈で解っている訳ではなく感じているだけです。
あなた達人間の祖先が感じたのと同じくらいに・・・・・ね。
ダイアモンドの立場になってみました。
2011年3月21日月曜日
リレー
東北太平洋沖地震が起きて早くも11日が過ぎようとしています。毎日TVを見るたびに
無名が痛みます。
自然の恐ろしさとともに凄さを感じますが、一方でこれらの災害や被害も大きな意味では
自然の中の営みの一つなのであろうと思います。
人間や動物は自然の中で進化をしていますが、それは常に環境に順応すべく変化する
のであって、自然の掟といったものに逆らってはいけないのでしょう。
動物の多くは生きていく為に進化しますが、人間は快適になる為に進化をしますが、
それは本来の進化ではないような気がします。以前にも書きましたが生きていくため
以上のものを手に入れようとするときに、自然は大きな打撃を人類に与えます。
戦争もそうでしょう。交通事故もそうでしょう。そして。原爆もそうだとうと思います。誤解が
あってはいけませんが、生きていく頃あい良く進化する分には被害も少なく済んでいるような
気がするという意味です。
槍で戦争をしている分には一度に何千人も殺せません。駕籠で動いている分には大きな
事故にもなりません。勿論これは極端な例ですが、この進化には何らかの制御が必要なの
でしょう。
人間には寿命というものがありますが、その中での個々の変化は成長ということになり、
それが人類になると進化という事になります。人間の生きている意味とは大きな意味では
自然な中で進化し、次の世代に繋ぐという事なのだと思います。
つまり、リレーのようにある種の成長をし、それをベースに次の世代に繋ぐ、この繰り返しが
人類の進化なのだと思います。ひと世代ひと世代の中での成長は頃あい良く繋げれば良い
のではないかと思います。
結論を言うと、進化と制御が一体となっていなければ自然に勝つことはできない。つまり、
「過ぎたるは及ばざるがごとし」といった進化は何事においても『負』のバトンしか後世には
渡せない。
自然は常に偉大です。人間の想像を超えたことを簡単に起こします。だからこそ過ぎたる
ことをする場合にはその手当も同時に行わなければなりません。
原爆が良い訳ではありません。しかし、原爆を考える時にはその手当になる事も同時に
考えなければなりません。そうでなければその被害を後世にリレーすることになります。
我々人類はリレーする物を選択しながら進化しなければならない時代にいるのでしょう。
それは自らに過ぎたもの保持しないことだと自然は教えてくれているような気がします。
そうすれば、買いだめにしても、災害での金儲けをその理に反している事が解るでしょう。
退化する物を少なくしながら進化する方法を後世にリレーしたいものです。
無名が痛みます。
自然の恐ろしさとともに凄さを感じますが、一方でこれらの災害や被害も大きな意味では
自然の中の営みの一つなのであろうと思います。
人間や動物は自然の中で進化をしていますが、それは常に環境に順応すべく変化する
のであって、自然の掟といったものに逆らってはいけないのでしょう。
動物の多くは生きていく為に進化しますが、人間は快適になる為に進化をしますが、
それは本来の進化ではないような気がします。以前にも書きましたが生きていくため
以上のものを手に入れようとするときに、自然は大きな打撃を人類に与えます。
戦争もそうでしょう。交通事故もそうでしょう。そして。原爆もそうだとうと思います。誤解が
あってはいけませんが、生きていく頃あい良く進化する分には被害も少なく済んでいるような
気がするという意味です。
槍で戦争をしている分には一度に何千人も殺せません。駕籠で動いている分には大きな
事故にもなりません。勿論これは極端な例ですが、この進化には何らかの制御が必要なの
でしょう。
人間には寿命というものがありますが、その中での個々の変化は成長ということになり、
それが人類になると進化という事になります。人間の生きている意味とは大きな意味では
自然な中で進化し、次の世代に繋ぐという事なのだと思います。
つまり、リレーのようにある種の成長をし、それをベースに次の世代に繋ぐ、この繰り返しが
人類の進化なのだと思います。ひと世代ひと世代の中での成長は頃あい良く繋げれば良い
のではないかと思います。
結論を言うと、進化と制御が一体となっていなければ自然に勝つことはできない。つまり、
「過ぎたるは及ばざるがごとし」といった進化は何事においても『負』のバトンしか後世には
渡せない。
自然は常に偉大です。人間の想像を超えたことを簡単に起こします。だからこそ過ぎたる
ことをする場合にはその手当も同時に行わなければなりません。
原爆が良い訳ではありません。しかし、原爆を考える時にはその手当になる事も同時に
考えなければなりません。そうでなければその被害を後世にリレーすることになります。
我々人類はリレーする物を選択しながら進化しなければならない時代にいるのでしょう。
それは自らに過ぎたもの保持しないことだと自然は教えてくれているような気がします。
そうすれば、買いだめにしても、災害での金儲けをその理に反している事が解るでしょう。
退化する物を少なくしながら進化する方法を後世にリレーしたいものです。
2011年3月18日金曜日
ありがたい。
東北沖地震の話題や原発の放射能問題が今の生活の中心になっている訳ですが、
自分達の周りのことが精いっぱいで周りに気配りが出来ていなかったようです。
最初はロサンジェルスに住んでいる友人から電話があり、
「ここ数日、連絡を取り続けていたのに連絡がつかず心配をしたよ。
もし食べ物が足りなかったり、必要なものがあったら必ず言ってくれ。」
ありがたい話である。
実は私は北海道に地震の後出張に出ており、なかなか連絡をとる余裕がなく、携帯
の電池もなくなったりでなかなか連絡も取れなかったのですが、それだけではなく、日本
への回線がなかなか繋がらなかったようです。
その後もイスラエルやニューヨークからの電話が次々と繋がり、(沢山の人が私や日本の
事を気にしていたんだなぁ)とつくづくありがたいと思いました。
北海道では展示会に出展をしていのですが、予定よりは少なかったようですが多くの
御来場者があり、つくづくとありがたいと思うと同時に多少のは被災者に対する申し訳なさ
とが入り混じった気持ちが我々とお客様の間にもあったように感じました。
そのらの気持ちを一変したのがやはりダイアモンドでした。今回はダイアモンドの蛍光を
利用した製品を用意しての出展でしたが、その製品を通してダイアモンドの蛍光性やその
不思議さを説明すると多くのお客様が目を輝かせダイアモンドに見入っておりました。
その後というものはお客様が他のお客様にその話をなさって、お誘いいただき、多くの
お客さまにダイアモンドのお話をするとともに、我が女性スタッフが長年をかけて集め、
いつもケースに入れて身につけているダイアモンドのルース(裸石)をみんなで見つめては
ため息をつき
「ダイアモンドってみているだけでウキウキするわね。こんなにじっくりと
ダイアモンドを見たことがなかったわ」と改めてダイアモンドに見入っておりました。
一人の男性客がそのスタッフのケースをジーっと見つめ
「これはお売りにならないんですか?」
我がスタッフは即行で
「はい、一千万でも売りません」と
ニコッと笑顔、
「そうですかぁ」とガッカリする男性客
傍らで聞いていた販売員らは
「時間をかけて集めた大事なダイアモンドですから簡単には売らないですよね~」
と楽しそうに話しており、この販売員も先ほど同じ質問をしていったけと思いながら
沢山のお客様をご案内していた。
それらの会話を聞いていてつくづくダイアモンドは素晴らしいと思いながらも多くの
消費者はじっくりと不思議な石を見る事はあまりないのだなぁと思いながら、今後は
ダイアモンドを製品だけではなくルース(裸石)でも見て頂く機会を作ろうと思いついた
しだいです。
立ったひと固まりのだいあもんどの小粒たちが人々の気持ちを一瞬でも災害の
ニュースから解放してくれたことに、ありがたいと思いながら帰京をした次第です。
自分達の周りのことが精いっぱいで周りに気配りが出来ていなかったようです。
最初はロサンジェルスに住んでいる友人から電話があり、
「ここ数日、連絡を取り続けていたのに連絡がつかず心配をしたよ。
もし食べ物が足りなかったり、必要なものがあったら必ず言ってくれ。」
ありがたい話である。
実は私は北海道に地震の後出張に出ており、なかなか連絡をとる余裕がなく、携帯
の電池もなくなったりでなかなか連絡も取れなかったのですが、それだけではなく、日本
への回線がなかなか繋がらなかったようです。
その後もイスラエルやニューヨークからの電話が次々と繋がり、(沢山の人が私や日本の
事を気にしていたんだなぁ)とつくづくありがたいと思いました。
北海道では展示会に出展をしていのですが、予定よりは少なかったようですが多くの
御来場者があり、つくづくとありがたいと思うと同時に多少のは被災者に対する申し訳なさ
とが入り混じった気持ちが我々とお客様の間にもあったように感じました。
そのらの気持ちを一変したのがやはりダイアモンドでした。今回はダイアモンドの蛍光を
利用した製品を用意しての出展でしたが、その製品を通してダイアモンドの蛍光性やその
不思議さを説明すると多くのお客様が目を輝かせダイアモンドに見入っておりました。
その後というものはお客様が他のお客様にその話をなさって、お誘いいただき、多くの
お客さまにダイアモンドのお話をするとともに、我が女性スタッフが長年をかけて集め、
いつもケースに入れて身につけているダイアモンドのルース(裸石)をみんなで見つめては
ため息をつき
「ダイアモンドってみているだけでウキウキするわね。こんなにじっくりと
ダイアモンドを見たことがなかったわ」と改めてダイアモンドに見入っておりました。
一人の男性客がそのスタッフのケースをジーっと見つめ
「これはお売りにならないんですか?」
我がスタッフは即行で
「はい、一千万でも売りません」と
ニコッと笑顔、
「そうですかぁ」とガッカリする男性客
傍らで聞いていた販売員らは
「時間をかけて集めた大事なダイアモンドですから簡単には売らないですよね~」
と楽しそうに話しており、この販売員も先ほど同じ質問をしていったけと思いながら
沢山のお客様をご案内していた。
それらの会話を聞いていてつくづくダイアモンドは素晴らしいと思いながらも多くの
消費者はじっくりと不思議な石を見る事はあまりないのだなぁと思いながら、今後は
ダイアモンドを製品だけではなくルース(裸石)でも見て頂く機会を作ろうと思いついた
しだいです。
立ったひと固まりのだいあもんどの小粒たちが人々の気持ちを一瞬でも災害の
ニュースから解放してくれたことに、ありがたいと思いながら帰京をした次第です。
2011年3月12日土曜日
地震!!
驚きました。今回の地震には・・・。
1968年の十勝沖地震も経験しておりますが、あの時は小生は高校生で学校におりました。
この時も相当揺れて授業中の教師が何事もなかったように黒板に向かっておりましたが、その
間にも窓ガラスが落ち机が揺れておりました。
教師はやおら振り向き「今、揺れたか?」
我々生徒は「先生何を言っているんですか。ガラスが割れて机がこれだけ揺れたのに
先生が知らんぷりしているから…。」
「そうか。そうだよなハハハハっ。」
と豪快に笑う先生。
後に聞いたところによるとそこまで大きな地震になると思わなかったので生徒が騒ぎだす
といけないと思って知らんぷりをしていたら思っていたより大きくてビックリしたとのことでした。
なんともノンビリした話でしたが大きな惨事だった割には気持ちのダメージは少なかったような
気がします。その日は夕方にも大きな余震があり、印象としては強烈でした。
今回は小生の大事にしていたロマノフ王朝のお抱え宝石商の『ファベルジェ』の焼き物が落下して
割れてしまいました。金額の問題もそうですがあまり現存していない物なのでとても残念ですが
被害を受けた方が沢山いる中でそれだけで済んだのは不幸中の幸いだったのかもしれんせん。
どんなに歴史上意味のある物であっても壊れる時はもろいものであるという事と、自身がもう
少し扱いを慎重にしていたならばと考えると自身に《喝ッ!!≫です。
改めて壊れないダイアモンドを財産とすることをお勧めしたいものです。
1968年の十勝沖地震も経験しておりますが、あの時は小生は高校生で学校におりました。
この時も相当揺れて授業中の教師が何事もなかったように黒板に向かっておりましたが、その
間にも窓ガラスが落ち机が揺れておりました。
教師はやおら振り向き「今、揺れたか?」
我々生徒は「先生何を言っているんですか。ガラスが割れて机がこれだけ揺れたのに
先生が知らんぷりしているから…。」
「そうか。そうだよなハハハハっ。」
と豪快に笑う先生。
後に聞いたところによるとそこまで大きな地震になると思わなかったので生徒が騒ぎだす
といけないと思って知らんぷりをしていたら思っていたより大きくてビックリしたとのことでした。
なんともノンビリした話でしたが大きな惨事だった割には気持ちのダメージは少なかったような
気がします。その日は夕方にも大きな余震があり、印象としては強烈でした。
今回は小生の大事にしていたロマノフ王朝のお抱え宝石商の『ファベルジェ』の焼き物が落下して
割れてしまいました。金額の問題もそうですがあまり現存していない物なのでとても残念ですが
被害を受けた方が沢山いる中でそれだけで済んだのは不幸中の幸いだったのかもしれんせん。
どんなに歴史上意味のある物であっても壊れる時はもろいものであるという事と、自身がもう
少し扱いを慎重にしていたならばと考えると自身に《喝ッ!!≫です。
改めて壊れないダイアモンドを財産とすることをお勧めしたいものです。
2011年3月9日水曜日
キッカケ
最近気になっているCMがあります。BGMにエンゲルト・フンパーディンクの
“クワンド・クワンド・クワンド”が流れています。
自動車のCMソングとして流れてきたのは1960.70年代に活躍したプレスリー
やトムジョーンズと並び賞されれたイギリスのポップス歌手のフンパーディンク
の曲でした。
1970年代アメリカに渡っていた私は決して裕福ではなかったのですが当時
在住をしていたロサンジェルスでは移動手段として車は欠かせません。
渡米直後に私が手にした車はフィアットの124型、当時$900で手に入れた
もので至極シンプル、故障個所を見つけるにはケーブルをたどっていけば解る
といった程度のものでした。
私の愛すべきこの車は小さくて、車輪とハンドル、ブレーキ、アクセルが付い
ているだけの車で、唯一贅沢品と言えばカセットデッキが付いているという位
でしたが勿論テープは持っていませんでしたので、なんだかな~・・といった
感じでした。
ある時、車を持って行動範囲も広がったこともありサンセットブルバードを走っ
ておりました。空は青空、広い道、カリフォルニアを十分に堪能しながらドライブ
をしておりましたが残念なのはそこに音楽がないことでした。
しばらくドライブをしていると黄色に赤い文字の建物を見つけ、そこに『Tower
Record』と書いた看板を見つけました。早速、駐車場に車を止めて店内に入る、
中には整然と並んだレコード盤を中心にカセットテープも沢山置いてありました。
そうです、ここが今では有名なタワーレコードの一号店です。
$7.8を中心に並んだレコードやカセットを見ながら(高いなあ~)と思いながら
も何とかわが愛車にカセットデッキを使いたくて店内をウロウロしていると小さな
ワゴンの中に$2、50と書いた紙っぺらとカセットテープがいくつか転がって入っ
ていました。
値段だけを見て手に取ったテープには『Engelbert Humperdink』と渡米したばかり
の私には読み取りにくいスペルの並んだカセットでしたが、取り合えず手にとって
見てみるとブルーの色したカリフォルニアらしいカセットだと思い、(何でもいいから
聞いてみよう)と思い、そのテープを購入しました。
カセットを愛車のデッキに差し込み流れてくる音楽を聴きながらドライブしていると
それはもう南カリフォルニアそのものでした。それからというものうれしくてしょっちゅう
ドライブに出かけておりましたがいつも流れてくる音楽は一緒でした。
今CMから流れてくる曲はその時によく聴いていた曲で、それを聞くたびにその
時代に呼び戻されます。聞いている間は全く南カリフォルニアをドライブしている
気分にさせられます。
聞いたり、見たりする事の印象が強ければ強いほどその時代を思い出しますが、
婚約指輪や結婚指輪はその時を堪能する訳ではなくて時代をいくつか過ぎて、
改めて見た時にその思い出を懐古するものだと私の友人が言っていたことがあり
ますが、曲は記憶に残り、景色は脳裏に残ります。
思い出深い物や曲は時代を超えて記憶を呼び戻してくれます。特に物は実際に
手元に残り、思い出を呼び戻してくれるキッカケになります。曲はその人のみの物
ですが、物は壊れない限り由縁のある方全てに残ります。
そうです。やはりダイアモンドは良いですね。ズーっと残り、思い出を運ぶだけで
はなく持っていた人の物語を歴史を超えて運んでくれます。
さあっ、今日もあのCM音楽を聴きながらカリフォルニアの青い空を思い出そう。
楽しみが一つ増えました。
“クワンド・クワンド・クワンド”が流れています。
自動車のCMソングとして流れてきたのは1960.70年代に活躍したプレスリー
やトムジョーンズと並び賞されれたイギリスのポップス歌手のフンパーディンク
の曲でした。
1970年代アメリカに渡っていた私は決して裕福ではなかったのですが当時
在住をしていたロサンジェルスでは移動手段として車は欠かせません。
渡米直後に私が手にした車はフィアットの124型、当時$900で手に入れた
もので至極シンプル、故障個所を見つけるにはケーブルをたどっていけば解る
といった程度のものでした。
私の愛すべきこの車は小さくて、車輪とハンドル、ブレーキ、アクセルが付い
ているだけの車で、唯一贅沢品と言えばカセットデッキが付いているという位
でしたが勿論テープは持っていませんでしたので、なんだかな~・・といった
感じでした。
ある時、車を持って行動範囲も広がったこともありサンセットブルバードを走っ
ておりました。空は青空、広い道、カリフォルニアを十分に堪能しながらドライブ
をしておりましたが残念なのはそこに音楽がないことでした。
しばらくドライブをしていると黄色に赤い文字の建物を見つけ、そこに『Tower
Record』と書いた看板を見つけました。早速、駐車場に車を止めて店内に入る、
中には整然と並んだレコード盤を中心にカセットテープも沢山置いてありました。
そうです、ここが今では有名なタワーレコードの一号店です。
$7.8を中心に並んだレコードやカセットを見ながら(高いなあ~)と思いながら
も何とかわが愛車にカセットデッキを使いたくて店内をウロウロしていると小さな
ワゴンの中に$2、50と書いた紙っぺらとカセットテープがいくつか転がって入っ
ていました。
値段だけを見て手に取ったテープには『Engelbert Humperdink』と渡米したばかり
の私には読み取りにくいスペルの並んだカセットでしたが、取り合えず手にとって
見てみるとブルーの色したカリフォルニアらしいカセットだと思い、(何でもいいから
聞いてみよう)と思い、そのテープを購入しました。
カセットを愛車のデッキに差し込み流れてくる音楽を聴きながらドライブしていると
それはもう南カリフォルニアそのものでした。それからというものうれしくてしょっちゅう
ドライブに出かけておりましたがいつも流れてくる音楽は一緒でした。
今CMから流れてくる曲はその時によく聴いていた曲で、それを聞くたびにその
時代に呼び戻されます。聞いている間は全く南カリフォルニアをドライブしている
気分にさせられます。
聞いたり、見たりする事の印象が強ければ強いほどその時代を思い出しますが、
婚約指輪や結婚指輪はその時を堪能する訳ではなくて時代をいくつか過ぎて、
改めて見た時にその思い出を懐古するものだと私の友人が言っていたことがあり
ますが、曲は記憶に残り、景色は脳裏に残ります。
思い出深い物や曲は時代を超えて記憶を呼び戻してくれます。特に物は実際に
手元に残り、思い出を呼び戻してくれるキッカケになります。曲はその人のみの物
ですが、物は壊れない限り由縁のある方全てに残ります。
そうです。やはりダイアモンドは良いですね。ズーっと残り、思い出を運ぶだけで
はなく持っていた人の物語を歴史を超えて運んでくれます。
さあっ、今日もあのCM音楽を聴きながらカリフォルニアの青い空を思い出そう。
楽しみが一つ増えました。
2011年3月5日土曜日
ダイアモンドの経済的価値
最近、地金の高騰も手伝って地金の取扱い企業のCM当が目立ちます。
『国境のない財産』とか『インフレに強い』といった内容ですが、確かに国境のない財産である事は
間違いがりませんが価値に財産という単位で考えた時に、例えば1千万円の財産を持ちだそうとした時に約3キロ近い物を持って歩かなければならないし、そのような時期であればアッと言う間に強盗に
襲われるのではないかと思います。
財産とは何かというと経済的価値のある物で、民法上では人が帰属主体となり、法律行為や相続の対象になり得るものとなっています。日本では登記とか不動産等を指して言っておりますので金や地金
は元々財産という前提にはないのかもしれません。
しかし、世界では金や宝石等持ち歩ける物が資産という積極的財産であり、不動産はどちらかというと戦争や侵略があれば役に立たない物という事になります。勿論、国情が安定していれば不動産は立派な財産です。
ではダイアモンドはどうなのか?
金に比べて明らかに携帯することが容易で決して目立つ物ではない事はわかると思いますがどの様なダイアモンドが経済的財産になり得るのかというと希少性があり、美しい物が基本です。
美しい事は前提として、大きさがや色が珍しい物が財産となり得るわけですが、美しいだけでは難しい物があります。つまり、一般的に婚約指輪やファッションジュエリ-に使用されているものは美しくてもサイズが小さいという事になります。婚約指輪の材料としては良質の物を使っているという事にはなりますが宝石として財産になるかというとそれは肯定しがたいものです。
勿論、財産とは情緒的価値もある訳ですから人によって別の価値も存在します。ただし、経済的価値となると、やはり条件が世界のどこでも換金の出来る対象の物という事になりますので大きさや珍しい色の物という希少性が必要になります。
何故ここでこのような事を述べたかというとダイアモンドは換金することが出来ないようなイメージが一般の人にはありますが、利殖も含めて必ずしもそうではないという事を知ってほしいと思っているからです。
現に今の日本ではリサイクルという形でダイアモンドの買い取りが行われており、そのダイアモンドを世界から買いに来ているという事実もあります。つまり、今の日本国内にあるダイアモンドは世界に輸出するほどの取引があり、それを利殖としている人もいるという事です。
ダイアモンドには美しくないダイアモンドもあります。それは既に宝石ではないのです。また、婚約指輪に使用しているダイアモンドは良質なものが多く綺麗ですが、あくまでも婚約指輪の材料としてのダイアモンドで、婚約という特別な行事の為ですから、品質が良い方がよいという考えもありますが、これからの人生の財産として美しい事は前提ですが品質が最高質でなくても大きさという希少性を求めるという考え方もまた存在しても良いと考えます。
大きくて良質であればある程度海外でも通用する財産となるのです。決して金や地金を否定している訳ではありませんが宝石があって金やプラチナが流通している半面もあります。
勿論、金や地金には相場があります。ダイアモンドにも相場はありますが希少性が高いという意味でオークションという相場になりますので、均一な物に立つ相場とはちょっと違うかもしれません。
しかし、これからはダイアモンドを財産として考える時代が来る事は間違いがありません。人によっては人為的に操作がされている相場という言い方をする方もいますが、それは大きな意味で金や地金も一緒です。
むしろ、市場原理に左右されているダイアモンドの方が株や商品相場より健全と言えるでしょう。
勿論何でもそうですが素人が手を出しにくいものですから信用できるプロのアドバイスが必要である事は言うまでもありません。
『国境のない財産』とか『インフレに強い』といった内容ですが、確かに国境のない財産である事は
間違いがりませんが価値に財産という単位で考えた時に、例えば1千万円の財産を持ちだそうとした時に約3キロ近い物を持って歩かなければならないし、そのような時期であればアッと言う間に強盗に
襲われるのではないかと思います。
財産とは何かというと経済的価値のある物で、民法上では人が帰属主体となり、法律行為や相続の対象になり得るものとなっています。日本では登記とか不動産等を指して言っておりますので金や地金
は元々財産という前提にはないのかもしれません。
しかし、世界では金や宝石等持ち歩ける物が資産という積極的財産であり、不動産はどちらかというと戦争や侵略があれば役に立たない物という事になります。勿論、国情が安定していれば不動産は立派な財産です。
ではダイアモンドはどうなのか?
金に比べて明らかに携帯することが容易で決して目立つ物ではない事はわかると思いますがどの様なダイアモンドが経済的財産になり得るのかというと希少性があり、美しい物が基本です。
美しい事は前提として、大きさがや色が珍しい物が財産となり得るわけですが、美しいだけでは難しい物があります。つまり、一般的に婚約指輪やファッションジュエリ-に使用されているものは美しくてもサイズが小さいという事になります。婚約指輪の材料としては良質の物を使っているという事にはなりますが宝石として財産になるかというとそれは肯定しがたいものです。
勿論、財産とは情緒的価値もある訳ですから人によって別の価値も存在します。ただし、経済的価値となると、やはり条件が世界のどこでも換金の出来る対象の物という事になりますので大きさや珍しい色の物という希少性が必要になります。
何故ここでこのような事を述べたかというとダイアモンドは換金することが出来ないようなイメージが一般の人にはありますが、利殖も含めて必ずしもそうではないという事を知ってほしいと思っているからです。
現に今の日本ではリサイクルという形でダイアモンドの買い取りが行われており、そのダイアモンドを世界から買いに来ているという事実もあります。つまり、今の日本国内にあるダイアモンドは世界に輸出するほどの取引があり、それを利殖としている人もいるという事です。
ダイアモンドには美しくないダイアモンドもあります。それは既に宝石ではないのです。また、婚約指輪に使用しているダイアモンドは良質なものが多く綺麗ですが、あくまでも婚約指輪の材料としてのダイアモンドで、婚約という特別な行事の為ですから、品質が良い方がよいという考えもありますが、これからの人生の財産として美しい事は前提ですが品質が最高質でなくても大きさという希少性を求めるという考え方もまた存在しても良いと考えます。
大きくて良質であればある程度海外でも通用する財産となるのです。決して金や地金を否定している訳ではありませんが宝石があって金やプラチナが流通している半面もあります。
勿論、金や地金には相場があります。ダイアモンドにも相場はありますが希少性が高いという意味でオークションという相場になりますので、均一な物に立つ相場とはちょっと違うかもしれません。
しかし、これからはダイアモンドを財産として考える時代が来る事は間違いがありません。人によっては人為的に操作がされている相場という言い方をする方もいますが、それは大きな意味で金や地金も一緒です。
むしろ、市場原理に左右されているダイアモンドの方が株や商品相場より健全と言えるでしょう。
勿論何でもそうですが素人が手を出しにくいものですから信用できるプロのアドバイスが必要である事は言うまでもありません。
2011年3月4日金曜日
「英国王のスピーチ」
「英国王のスピーチ」がアカデミー賞三部門をとって話題になっています。
映画の内容は見て頂くとして、この映画のもう一つのストーリ-として主役のジョージ6世の兄
で、本来だあれば国王の座に就くはずだったエドワード八世(後のウインザ―公)とウォリス・シンプソン夫人の「世紀の恋愛」として世界中を騒がせた話題があります。
国王の座を捨てたエドワード八世とシンプソン夫人はイギリス国民や王室の人々に非難を受けながらフランスに逃飛行を行いその地で挙式をおこなった。
なぜならシンプソン夫人は既婚者であった時からエドワード皇太子と愛人状態にあり、ウォリスは夫であったシンプソンと離婚裁判を起こし、夫の不貞を訴え勝訴し離婚をしました。
しかし、世間ではエドワードとシンプソン夫人の中は周知の事実でその裁判さえも首をかしげられていましたが、晴れて夫婦になってフランスのカンヌに落ち着いた二人に対して美談さえも持ちあがってくるようになりました。
国王の座を捨てでも思いを遂げたエドワードとウォリスには冒頭にあるように「世紀の大恋愛」として
の美談として伝えられた部分と後世になってもシンプソン夫人として言われるようにあくまでも不貞は
不貞であるといった非難と二つの側面があります。
ここでなぜこの話題を書いたかと言いますと、この時の婚約指輪が世界最大のエメラルドを半分にカットした物を使用したという事でこのエメラルドはムガール帝国の王がかつて所有していたものでイギリス王室が後に手に入れた物であった事と後にウインザ―公として彼女に贈ったダイアモンドは冒頭の「世紀の大恋愛」とも名づけられた31.26ctのクッションカットの見事なものでありました。
特にクッションカットのこの大きなダイアモンドはその後日本人の手に渡り大きな話題なりました。
意外とマリリンモンローの「バローダの月」だったりと日本が一度は手に入れた有名なダイアモンドがある事には驚きませんか?
本当はもっと多くのダイアモンドが日本には来ていますが、ほとんど今では海外に渡ってしまった事を考えると残念です。
ところで、英国王室の不倫文化伝統は今でも続いている事を考えると常識はやはり我が国とは違うんですね。
映画の内容は見て頂くとして、この映画のもう一つのストーリ-として主役のジョージ6世の兄
で、本来だあれば国王の座に就くはずだったエドワード八世(後のウインザ―公)とウォリス・シンプソン夫人の「世紀の恋愛」として世界中を騒がせた話題があります。
国王の座を捨てたエドワード八世とシンプソン夫人はイギリス国民や王室の人々に非難を受けながらフランスに逃飛行を行いその地で挙式をおこなった。
なぜならシンプソン夫人は既婚者であった時からエドワード皇太子と愛人状態にあり、ウォリスは夫であったシンプソンと離婚裁判を起こし、夫の不貞を訴え勝訴し離婚をしました。
しかし、世間ではエドワードとシンプソン夫人の中は周知の事実でその裁判さえも首をかしげられていましたが、晴れて夫婦になってフランスのカンヌに落ち着いた二人に対して美談さえも持ちあがってくるようになりました。
国王の座を捨てでも思いを遂げたエドワードとウォリスには冒頭にあるように「世紀の大恋愛」として
の美談として伝えられた部分と後世になってもシンプソン夫人として言われるようにあくまでも不貞は
不貞であるといった非難と二つの側面があります。
ここでなぜこの話題を書いたかと言いますと、この時の婚約指輪が世界最大のエメラルドを半分にカットした物を使用したという事でこのエメラルドはムガール帝国の王がかつて所有していたものでイギリス王室が後に手に入れた物であった事と後にウインザ―公として彼女に贈ったダイアモンドは冒頭の「世紀の大恋愛」とも名づけられた31.26ctのクッションカットの見事なものでありました。
特にクッションカットのこの大きなダイアモンドはその後日本人の手に渡り大きな話題なりました。
意外とマリリンモンローの「バローダの月」だったりと日本が一度は手に入れた有名なダイアモンドがある事には驚きませんか?
本当はもっと多くのダイアモンドが日本には来ていますが、ほとんど今では海外に渡ってしまった事を考えると残念です。
ところで、英国王室の不倫文化伝統は今でも続いている事を考えると常識はやはり我が国とは違うんですね。
2011年3月2日水曜日
ダイアモンドのガラパゴス化
昨日、小生より長くダイアモンドビジネスに携わっておられる方とお話をしました。
そこで出た内容が現在ダイアモンドに携わっている人間はある意味かわいそうだといった内容でした。何故かと言えば本来のダイアモンドの価値観と違うところからダイアモンドを学び始めているという事です。
昨今、入試の携帯を使用したカンニングの問題が取りざたされ、入試会場に携帯の電波を圏外にする装置を取り付ける話が取りざたされていますが、一方では圏外地域を少しでも無くしようとしています。皮肉な話ですが今後もこんなことが続くのでしょう。
前回にも述べましたが、それぞれのローカル環境とのバランスが進化や文明には必要である事は間違いはありませんが、ひと昔前や現代の発展途上国ならそれだけを考えればよいのですが、今の先進国はそれぞれが技術やノウハウを持っているので勝手にそれぞれの都合で進化しています。
特に日本はFAXに始まり、携帯等はまったく日本独自の進化をしています。いわゆるガラパゴス化が起きている訳ですが、その為に皮肉なことですが国際競争には後れをとる事になる訳です。
ダイアモンドに関しては日本ほど4Cのグレードのこだわるところはありません。40年ほど前はまだ
ダイアモンドにほとんどグレード表示がなく価格だけの表示がある程度でしたが、小売店なども価格の違いを説明する知識もなくトラブルが絶えませんでした。
同じように見えるダイアモンドの価格の違いを説明する為のツールとして4Cグレードが持ち込まれた訳ですが、今から三十数年前私たちは当用漢字が読める事が出来れば理解可能な、当時で言う鑑定書を普及させました。その表示する4Cは消費者が見ても理解できる内容でしたが、新たに立ち上がられた鑑定機関はその内容を難しくし専門家でなければ如何にも解らないようなニュアンスの鑑定書を造り上げました。
鑑定書の普及は結果的には4Cグレードの普及にもつながり、日本独自の市場が出来上がってきました。細かい日本の消費者にはその手法が取り入れられた事により、理解するというより、ここまで細かいのであれば安心が出来るといった真理を見事利用した市場が出来上がったのです。
一方4Cが前提となったダイアモンド市場では、4Cのついたダイアモンドを仕入れる訳ですからプロでなくても買付は出来る訳です。しかし、本来の買付はダイアモンド独自の価値(ダイアモンドその物や市場性)で判断される訳ですから4Cがついていたらむしろ良い物が買付できません。
他人が評価をした物に値段をつけるだけなら誰でも出来ます。今の日本人の若いバイヤーにはノーグレードの買付が出来ません。つまり経験がなく独自の発展を遂げた日本のダイアモンドビジネスの中で育ったのでその必要性も無かったのです。
プロでなくてもできる事は専門職になり得ません。つまり、世界では通用しない訳です。
世界の多くの市場ではサイズが大きくかったり、特殊なものにはレポートが当然つきますが日本で販売されているような小さなサイズで品質が並のものであれば、消費者が自ら判断するものですのでレポートはつきません。
日本ではどんな物にもレポートが要求されることが多いのですが、大概の場合はレポートの効力は半年前後です。永久の商品についているグレードはわずかな期間でその効力をなくする訳です。
勿論ダイアモンドはさらに残りますので問題はありません。
世界では考えられない状況が日本では起きている訳です。冒頭の会話はこれらを表しており、本来であれば専門職の仕事のはずなのに、ガラパゴス現象が起きた為にバイヤーの仕事をして経験を積んでも今の状況であれば誰でもできるし、本来のダイアモンドビジネスであれば世界に通用するだけの知識も経験もないといった状況が起きているという事です。
ダイアモンドは本来、自らの価値で解釈し、それが高価なものであれば真偽を確認するために第三者に判断をしてもらうというのが基本である。
またまた難しくなったのでこの続きはいずれ機会を来て・・・。
半端だと思った方は是非お問い合わせをください。
そこで出た内容が現在ダイアモンドに携わっている人間はある意味かわいそうだといった内容でした。何故かと言えば本来のダイアモンドの価値観と違うところからダイアモンドを学び始めているという事です。
昨今、入試の携帯を使用したカンニングの問題が取りざたされ、入試会場に携帯の電波を圏外にする装置を取り付ける話が取りざたされていますが、一方では圏外地域を少しでも無くしようとしています。皮肉な話ですが今後もこんなことが続くのでしょう。
前回にも述べましたが、それぞれのローカル環境とのバランスが進化や文明には必要である事は間違いはありませんが、ひと昔前や現代の発展途上国ならそれだけを考えればよいのですが、今の先進国はそれぞれが技術やノウハウを持っているので勝手にそれぞれの都合で進化しています。
特に日本はFAXに始まり、携帯等はまったく日本独自の進化をしています。いわゆるガラパゴス化が起きている訳ですが、その為に皮肉なことですが国際競争には後れをとる事になる訳です。
ダイアモンドに関しては日本ほど4Cのグレードのこだわるところはありません。40年ほど前はまだ
ダイアモンドにほとんどグレード表示がなく価格だけの表示がある程度でしたが、小売店なども価格の違いを説明する知識もなくトラブルが絶えませんでした。
同じように見えるダイアモンドの価格の違いを説明する為のツールとして4Cグレードが持ち込まれた訳ですが、今から三十数年前私たちは当用漢字が読める事が出来れば理解可能な、当時で言う鑑定書を普及させました。その表示する4Cは消費者が見ても理解できる内容でしたが、新たに立ち上がられた鑑定機関はその内容を難しくし専門家でなければ如何にも解らないようなニュアンスの鑑定書を造り上げました。
鑑定書の普及は結果的には4Cグレードの普及にもつながり、日本独自の市場が出来上がってきました。細かい日本の消費者にはその手法が取り入れられた事により、理解するというより、ここまで細かいのであれば安心が出来るといった真理を見事利用した市場が出来上がったのです。
一方4Cが前提となったダイアモンド市場では、4Cのついたダイアモンドを仕入れる訳ですからプロでなくても買付は出来る訳です。しかし、本来の買付はダイアモンド独自の価値(ダイアモンドその物や市場性)で判断される訳ですから4Cがついていたらむしろ良い物が買付できません。
他人が評価をした物に値段をつけるだけなら誰でも出来ます。今の日本人の若いバイヤーにはノーグレードの買付が出来ません。つまり経験がなく独自の発展を遂げた日本のダイアモンドビジネスの中で育ったのでその必要性も無かったのです。
プロでなくてもできる事は専門職になり得ません。つまり、世界では通用しない訳です。
世界の多くの市場ではサイズが大きくかったり、特殊なものにはレポートが当然つきますが日本で販売されているような小さなサイズで品質が並のものであれば、消費者が自ら判断するものですのでレポートはつきません。
日本ではどんな物にもレポートが要求されることが多いのですが、大概の場合はレポートの効力は半年前後です。永久の商品についているグレードはわずかな期間でその効力をなくする訳です。
勿論ダイアモンドはさらに残りますので問題はありません。
世界では考えられない状況が日本では起きている訳です。冒頭の会話はこれらを表しており、本来であれば専門職の仕事のはずなのに、ガラパゴス現象が起きた為にバイヤーの仕事をして経験を積んでも今の状況であれば誰でもできるし、本来のダイアモンドビジネスであれば世界に通用するだけの知識も経験もないといった状況が起きているという事です。
ダイアモンドは本来、自らの価値で解釈し、それが高価なものであれば真偽を確認するために第三者に判断をしてもらうというのが基本である。
またまた難しくなったのでこの続きはいずれ機会を来て・・・。
半端だと思った方は是非お問い合わせをください。
2011年2月27日日曜日
混沌と安定。(とどまる事)
最近TVを見ていると中東問題や国内政治さらにニュージーランド地震さらにというか忘れかけられた
九州の噴火・・。
人間って不思議なもので新しく事件が起きるとすぐに前の事は当事者以外は忘れかけるが、それは人間だからなのかもしれない。
常に変化をすることが良い状況になるような気がしたり、幸福になるような気がするのでしょう。
しかし、人間は変化という名のもとに繰り返しを行う事が多いような気がします。
中東問題では民主化を叫び政権を崩壊させても、そこには混迷が待っている。リビアにしてもチュニジアにしてもイランにしてもイラクにしても・・きりがないけれど前政権を民主化を叫び崩壊させて
独裁になる事によりそこに安定が生まれ、それが不満になると再び民主化を叫び混沌が生まれる。
日本の政治にしても今起きている事は中東と無縁ではないような気がします。長い間の自民党の
独裁政治が崩れ、民主党になり今の混迷を迎えています。これは歴史の中の人類の繰り返しかも
知れない。
今は今回の中東の例にあるようにFaceBook等のネットによる広まりがキッカケになっているけれどここに少し疑問というか不安が生まれるのは私だけでしょうか?
本来、人間というものはそれぞれの生まれた環境や状況といったローカル的な影響によって物事を解決して歴史をうまく創ってきたと思います。そして、それらの違いを無視した時に戦争やもめごとが起きています。
今回の要因の多くはインターネットといったローカルではない新たな環境によって起きている事が
不安というか、首をかしげたくなることなのか自分でも良くは解りません。
つまり、人間は知らない事や覚えなくてもよい事があって当り前のような気がするし、だからうまく
行くこともあるのではないかと思います。日光に『見ザル、聞かザル、言わザル』というのがありますが世の中丸く収めるにはその方がよい事もあるのでは・・・・・。
勿論、変わることも大事だし、変える事も大事だと思いますが変わらない物を起点として物事を
考える事も大事だと思います。文化は一定のスピードで全てのローカルが進む訳ではありません。
インタ―ネットはある程度の進化をした文明の中で出来た第二段階目のもしくは第三段階目の環境だと思います。それが色々な場面で環境(未発達な)を扇動するような事に不安を覚えます。
新たな情報が正確に伝わり、誰が何処で見ても、聞いても同じ判断を出来る環境でなければ、
現状のインターネットの進化や変化に『本当にこれで良いのか?』といった疑問を持ち宅なるのです。勿論全ての人が同じ判断をすることなどあり得ませんが最低限の共通認識があっての判断と
いう意味ですが。
ダイアモンドの話になりますが何千年も人々の前にあり、何の変化もしないダイアモンドですら
見る人によって評価はまちまちです。しかし、最低限美しくて、硬くて、希少性がある事を皆が
認識しています。
ダイアモンドにはパーフェクトは存在しません。それはそれを見る人間がパーフェクトではないから
です。しかし、間違いなくダイアモンドは何ら変わらず存在します。
人間の環境には100%の人が受け入れることが出来なくても変えない方が良い物事を自覚し、
三ザルになることも時には必要ではないか。勿論、インターネットも人が作り出した物でもあるし、
進化の中では必要なものかもしれない。しかし、そこから得る情報は人によっては必ずしも正しい
とは限らない。
地球には今の人類以前にものすごく進んだ文化が存在したというような説がある。もしかしたら
それは真実で今の世界は滅びた文化への過程にいるのかもしれない。
人類の繰り返しの愚かさは歴史が証明をしている。しかしダイアモンドのような真実が人類には
必要な気がします。つまり『とどまる事』も選択値にあっても良いのではないでしょうか。
『戦争と平和』、今の常識で言っても戦争イコール不幸で平和イコール幸福ではない事は皆も
感じているはずです。人間に感情がある限り対立がなくなる事はありませんがそれを絶対条件
として変わらない物としてとらえることが平和への近道かもしれません。
変化をしないダイアモンドさえそれぞれに一致しては見えません。ましてや変化を続ける人類の
思いが一致する事などあり得ないでしょう。だからこそローカルが必要であり、その反対側にある
インタ―ネットの使い方には慎重でなければならないと思います。
民主化に次に来るのは独裁です。だからこそ変化には慎重でなければなりません。マイクロソフト
の独裁があったからこそ色々な勢力が出て民主化に向かっています。しかし、裏ではやはり独裁
の道を歩みつつある無国籍メガ企業があることも見ておかなければなりません。繰り返すんですから・・・・。
九州の噴火・・。
人間って不思議なもので新しく事件が起きるとすぐに前の事は当事者以外は忘れかけるが、それは人間だからなのかもしれない。
常に変化をすることが良い状況になるような気がしたり、幸福になるような気がするのでしょう。
しかし、人間は変化という名のもとに繰り返しを行う事が多いような気がします。
中東問題では民主化を叫び政権を崩壊させても、そこには混迷が待っている。リビアにしてもチュニジアにしてもイランにしてもイラクにしても・・きりがないけれど前政権を民主化を叫び崩壊させて
独裁になる事によりそこに安定が生まれ、それが不満になると再び民主化を叫び混沌が生まれる。
日本の政治にしても今起きている事は中東と無縁ではないような気がします。長い間の自民党の
独裁政治が崩れ、民主党になり今の混迷を迎えています。これは歴史の中の人類の繰り返しかも
知れない。
今は今回の中東の例にあるようにFaceBook等のネットによる広まりがキッカケになっているけれどここに少し疑問というか不安が生まれるのは私だけでしょうか?
本来、人間というものはそれぞれの生まれた環境や状況といったローカル的な影響によって物事を解決して歴史をうまく創ってきたと思います。そして、それらの違いを無視した時に戦争やもめごとが起きています。
今回の要因の多くはインターネットといったローカルではない新たな環境によって起きている事が
不安というか、首をかしげたくなることなのか自分でも良くは解りません。
つまり、人間は知らない事や覚えなくてもよい事があって当り前のような気がするし、だからうまく
行くこともあるのではないかと思います。日光に『見ザル、聞かザル、言わザル』というのがありますが世の中丸く収めるにはその方がよい事もあるのでは・・・・・。
勿論、変わることも大事だし、変える事も大事だと思いますが変わらない物を起点として物事を
考える事も大事だと思います。文化は一定のスピードで全てのローカルが進む訳ではありません。
インタ―ネットはある程度の進化をした文明の中で出来た第二段階目のもしくは第三段階目の環境だと思います。それが色々な場面で環境(未発達な)を扇動するような事に不安を覚えます。
新たな情報が正確に伝わり、誰が何処で見ても、聞いても同じ判断を出来る環境でなければ、
現状のインターネットの進化や変化に『本当にこれで良いのか?』といった疑問を持ち宅なるのです。勿論全ての人が同じ判断をすることなどあり得ませんが最低限の共通認識があっての判断と
いう意味ですが。
ダイアモンドの話になりますが何千年も人々の前にあり、何の変化もしないダイアモンドですら
見る人によって評価はまちまちです。しかし、最低限美しくて、硬くて、希少性がある事を皆が
認識しています。
ダイアモンドにはパーフェクトは存在しません。それはそれを見る人間がパーフェクトではないから
です。しかし、間違いなくダイアモンドは何ら変わらず存在します。
人間の環境には100%の人が受け入れることが出来なくても変えない方が良い物事を自覚し、
三ザルになることも時には必要ではないか。勿論、インターネットも人が作り出した物でもあるし、
進化の中では必要なものかもしれない。しかし、そこから得る情報は人によっては必ずしも正しい
とは限らない。
地球には今の人類以前にものすごく進んだ文化が存在したというような説がある。もしかしたら
それは真実で今の世界は滅びた文化への過程にいるのかもしれない。
人類の繰り返しの愚かさは歴史が証明をしている。しかしダイアモンドのような真実が人類には
必要な気がします。つまり『とどまる事』も選択値にあっても良いのではないでしょうか。
『戦争と平和』、今の常識で言っても戦争イコール不幸で平和イコール幸福ではない事は皆も
感じているはずです。人間に感情がある限り対立がなくなる事はありませんがそれを絶対条件
として変わらない物としてとらえることが平和への近道かもしれません。
変化をしないダイアモンドさえそれぞれに一致しては見えません。ましてや変化を続ける人類の
思いが一致する事などあり得ないでしょう。だからこそローカルが必要であり、その反対側にある
インタ―ネットの使い方には慎重でなければならないと思います。
民主化に次に来るのは独裁です。だからこそ変化には慎重でなければなりません。マイクロソフト
の独裁があったからこそ色々な勢力が出て民主化に向かっています。しかし、裏ではやはり独裁
の道を歩みつつある無国籍メガ企業があることも見ておかなければなりません。繰り返すんですから・・・・。
2011年2月24日木曜日
ダイアモンドが与えてくれたもの。
前回、ダイアモンドとの出会いと自分の仕事を選んだ理由を述べました。
なぜ、何十年間もダイアモンドを通して同じ仕事が出来たんだろうと考えてみると、ダイアモンド
があった故に学んだり、行動したことが如何に多いかを実感しました。
ダイアモンドのビジネスを知りたくて、アメリカに渡り、これが後のアメリカでのビジネスに
繋がり、ダイアモンドのビジネスの中心に行こうとイスラエルにも渡りました。
イスラエルという地はダイアモンドという仕事に就いていなければ、行かないかもしれないし、
考える事もないだろうと思います。そして、そこでは沢山のユダヤ人と知り合い、彼らを通して
世界中の仲間を紹介してもらいました。
勿論、苦手であった英語も通じる程度には話せるようになり、自分自身でどこの国に行っても
自ら人の間に入っていくようにもなった事は人生においても大きなことだと思っています。
ダイアモンドの事をもっと知りたくて物理にも挑戦し、勉強をする癖もちょっとであるけれども
つきました。
ダイアモンドをキッカケに色々な事を学び、色々な人々とも会いましたが、何よりも自分自身
が与えられたものは情緒でもあったと思うのです。
ダイアモンドは単一結晶であり、無機質な物のように感じますが、実は限りない個性があり、
その感じる印象は人それぞれによって違い、全ての感性、情緒の起源になっているのが
ダイアモンドではないかとさえ思う訳です。
ダイアモンドを覗き続けて色々な感動や驚きを感じましたが、これは沢山のダイアモンドを
見る立場だからこそと思っていました。しかし、実際には一般の人たちの中にも単純に色々
な事をダイアモンドから感じる人が多くいるとも思っています。以前にも述べましたが手に持
って感じたり、見入ってしまったりする人の多い事には驚かされます。
ダイアモンドビジネスを行っていると、為替相場は勿論のこと経済情勢や世界情勢なども
関心を持つようになります。なぜなら、我々のビジネスは投機という側面も多くあり、元々
ダイアモンドビジネスの原点がファンドである事を考えると何ら不思議な事ではないのです。
もし、ダイアモンドのビジネスに接していなければ、多分ここまで色々な事に興味を持つ事
はなかったのではないかと思います。
実際にダイアモンドにまつわる話がある事は何度も述べました。私自身だけではなく、色々な
人々に影響を与えた単一結晶の個体はもしかしたら歴史の原点なのかもしれません。
ゆえに、なんの機能的価値や物理的価値がないダイアモンドが人類の横に常にあるのか
なと思います。ダイアモンドを知れば知るほど不思議なんです。ホントに・・・・。
なぜ、何十年間もダイアモンドを通して同じ仕事が出来たんだろうと考えてみると、ダイアモンド
があった故に学んだり、行動したことが如何に多いかを実感しました。
ダイアモンドのビジネスを知りたくて、アメリカに渡り、これが後のアメリカでのビジネスに
繋がり、ダイアモンドのビジネスの中心に行こうとイスラエルにも渡りました。
イスラエルという地はダイアモンドという仕事に就いていなければ、行かないかもしれないし、
考える事もないだろうと思います。そして、そこでは沢山のユダヤ人と知り合い、彼らを通して
世界中の仲間を紹介してもらいました。
勿論、苦手であった英語も通じる程度には話せるようになり、自分自身でどこの国に行っても
自ら人の間に入っていくようにもなった事は人生においても大きなことだと思っています。
ダイアモンドの事をもっと知りたくて物理にも挑戦し、勉強をする癖もちょっとであるけれども
つきました。
ダイアモンドをキッカケに色々な事を学び、色々な人々とも会いましたが、何よりも自分自身
が与えられたものは情緒でもあったと思うのです。
ダイアモンドは単一結晶であり、無機質な物のように感じますが、実は限りない個性があり、
その感じる印象は人それぞれによって違い、全ての感性、情緒の起源になっているのが
ダイアモンドではないかとさえ思う訳です。
ダイアモンドを覗き続けて色々な感動や驚きを感じましたが、これは沢山のダイアモンドを
見る立場だからこそと思っていました。しかし、実際には一般の人たちの中にも単純に色々
な事をダイアモンドから感じる人が多くいるとも思っています。以前にも述べましたが手に持
って感じたり、見入ってしまったりする人の多い事には驚かされます。
ダイアモンドビジネスを行っていると、為替相場は勿論のこと経済情勢や世界情勢なども
関心を持つようになります。なぜなら、我々のビジネスは投機という側面も多くあり、元々
ダイアモンドビジネスの原点がファンドである事を考えると何ら不思議な事ではないのです。
もし、ダイアモンドのビジネスに接していなければ、多分ここまで色々な事に興味を持つ事
はなかったのではないかと思います。
実際にダイアモンドにまつわる話がある事は何度も述べました。私自身だけではなく、色々な
人々に影響を与えた単一結晶の個体はもしかしたら歴史の原点なのかもしれません。
ゆえに、なんの機能的価値や物理的価値がないダイアモンドが人類の横に常にあるのか
なと思います。ダイアモンドを知れば知るほど不思議なんです。ホントに・・・・。
2011年2月23日水曜日
ダイアモンドとの出会い。
昨日、北海道にいました。
いつものように30年来の取引先であり、友人である人物といつものように食事をともにして
いました。その人物が
『高木さんはなぜダイアモンドの仕事をする事を決めたの?』
彼は多角経営をもっとうとし、実際に成功を治めている。
もうダイモンドと出会って40年間経とうとしている。
学生の頃、実家が時計、メガネそして宝石を営んでいた事もあり、学生時代のアルバイト
として一時宝石の問屋の仕事を手伝っていた事があります。その頃は宝石に対してはこれと
いった感情もあこがれもありませんでした。
大学を卒業して縁あってH貿易という、当時知らない者はいないというくらいの輸入時計や
輸入宝石の会社に偶然にも受かり、勤める事となりましたが実家が同じようなものを扱って
いましたので、格別に興味を抱く事もなく当初は新人が皆配属される商品部に配属され、毎日
時計の名前と特徴、そしてベルト付という毎日でありました。
ある朝、いつものように七時半ころ出社すると同じフロアの反対側の宝石部に何やら人影
があり、近づいてみると宝石部の主任のW氏がダイアモンドを並べて、いわゆるグレーディング
をしておりました。
『おはようございます。』
『ああ、おはよう。ずいぶん早いね』
『ええ、ヒマなものですから。ところで、今日は早くに何のお仕事ですか?』
『今日午後から海外出張なので、これを片づけていかなきゃならないんだ』
『そうですか、大変ですね』
こんな会話をしながらその場は終わり、それから2週間後
『おはよう、高木君』
いつものように7時半ころ出社するとW氏がニコニコしながらこちらに声をかけてくださいました。
『あっ、おはようございます。お帰りになったんですか?』
『うん、昨日ね。ところで、髙木君は毎朝早く来ているの?』
『そうですね。ヒマですから・・・。』
と前回同様の返事をすると
『それなら少しダイアモンドの勉強をしてみない?』
『えっ、どういう事ですか?』
『実は、今回結構買付をしてきたんだ』
W氏は買付分のダイアモンドのソーティング(見極め)をしなければならないのでしばらくの
間、早く出社をしなければならないから一緒にダイアモンドを見てみたらという事でありました。
『ありがたいですね。そろそろ時計の事もほとんど覚えて、次は何をしようかなあ・・・と
思っていたところです。でもいいんですか?』
『就業時間外でやる事だから、キミが良ければ一応上司に言っておくよ』
『ありがとうございます』
その数日後から輸入されたダイアモンドが入ってくるまでは毎朝基礎勉強としてアメリカ
宝石学会(G.I.A)のドリルとにらめっこをしながら過ごし、入ってきてからは毎日のように
ダイアモンドを見て過ごしました。
その半年後、宝石部に呼ばれる事となり、本格的にダイアモンドを見始めたある日W氏が
『キミは目がいいね。もしかしたら天職かもしれないよ』
と言われ、何の事を言っているのか解らないままに照れていると
『このダイアモンドを見てごらん』
そこには始めてみたピンク色に輝くダイアモンドがW氏の手のひらにのっていました。
『これはね、わが社の財産で名前が付いているダイアモンドなんだ』
『エッ、そうなんですか?』
『そう、《アフリカの夕焼け》という 6.12ct あって、フローレス(無疵)でアイデアルカット
(理想的カット)なんだよ。』
『へ~、すごいですね』
『これを見てみたら? 実はこれ規定の見方では無疵なんだけれど倍率を上げるとあるところに
ピンポイント(小さな点)があるんだよ。私もふざけ半分で顕微鏡で見たら発見したんだよ』
本来ダイアモンドのグレーディングは十倍のルーペで熟練のグレーダーが発見しうる範囲と
なっていますから、その中では無疵という事ですから発見する事は非常に難しい内胞物という
事になります。
『実は私もピンポイントのある場所を特定してみたらルーペでも見る事が出来たんだよ。
ここん所キミを見ているともしかしたらキミにには発見できるかもしてないと思って出してみたんだ』
『そうなんですか、是非見せてください』
それからというもの昼食もとらずにその神秘のダイアモンドにくぎ付けでした。二日目の
お昼時間の事です。ずーっとダイアモンドを見ていて一点に微妙な違和感を感じそこを中心
にピントを合わせ続けている時でした。
(アッ、見えた!?)
私は興奮しながらその事とその位置をW氏に報告をしました。
『間違いない、その場所だよ。良く見つけたね』
『ありがとうございました。』
この『ありがとうございました』には沢山の意味がこもっていました。この間ダイアモンドを
みている間にダイアモンドに入って泳いでいるような錯覚に陥ったり、凄さを感じたり、美しさを
感じたり、何よりオーバーに言うと語りかけられているような気になったり・・と色々な経験を
させてもらい、この例えようのないサーモンピンクの美しいダイアモンドは短期間に色々な
経験をさせてくれたような気がしました。
本当は仕事としてどうなんだろうと思っていた私に決意をさせてくれた瞬間であり、未だに
この石を超える石には出会った事のない私にとっては《奇蹟の石》でした。
いつものように30年来の取引先であり、友人である人物といつものように食事をともにして
いました。その人物が
『高木さんはなぜダイアモンドの仕事をする事を決めたの?』
彼は多角経営をもっとうとし、実際に成功を治めている。
もうダイモンドと出会って40年間経とうとしている。
学生の頃、実家が時計、メガネそして宝石を営んでいた事もあり、学生時代のアルバイト
として一時宝石の問屋の仕事を手伝っていた事があります。その頃は宝石に対してはこれと
いった感情もあこがれもありませんでした。
大学を卒業して縁あってH貿易という、当時知らない者はいないというくらいの輸入時計や
輸入宝石の会社に偶然にも受かり、勤める事となりましたが実家が同じようなものを扱って
いましたので、格別に興味を抱く事もなく当初は新人が皆配属される商品部に配属され、毎日
時計の名前と特徴、そしてベルト付という毎日でありました。
ある朝、いつものように七時半ころ出社すると同じフロアの反対側の宝石部に何やら人影
があり、近づいてみると宝石部の主任のW氏がダイアモンドを並べて、いわゆるグレーディング
をしておりました。
『おはようございます。』
『ああ、おはよう。ずいぶん早いね』
『ええ、ヒマなものですから。ところで、今日は早くに何のお仕事ですか?』
『今日午後から海外出張なので、これを片づけていかなきゃならないんだ』
『そうですか、大変ですね』
こんな会話をしながらその場は終わり、それから2週間後
『おはよう、高木君』
いつものように7時半ころ出社するとW氏がニコニコしながらこちらに声をかけてくださいました。
『あっ、おはようございます。お帰りになったんですか?』
『うん、昨日ね。ところで、髙木君は毎朝早く来ているの?』
『そうですね。ヒマですから・・・。』
と前回同様の返事をすると
『それなら少しダイアモンドの勉強をしてみない?』
『えっ、どういう事ですか?』
『実は、今回結構買付をしてきたんだ』
W氏は買付分のダイアモンドのソーティング(見極め)をしなければならないのでしばらくの
間、早く出社をしなければならないから一緒にダイアモンドを見てみたらという事でありました。
『ありがたいですね。そろそろ時計の事もほとんど覚えて、次は何をしようかなあ・・・と
思っていたところです。でもいいんですか?』
『就業時間外でやる事だから、キミが良ければ一応上司に言っておくよ』
『ありがとうございます』
その数日後から輸入されたダイアモンドが入ってくるまでは毎朝基礎勉強としてアメリカ
宝石学会(G.I.A)のドリルとにらめっこをしながら過ごし、入ってきてからは毎日のように
ダイアモンドを見て過ごしました。
その半年後、宝石部に呼ばれる事となり、本格的にダイアモンドを見始めたある日W氏が
『キミは目がいいね。もしかしたら天職かもしれないよ』
と言われ、何の事を言っているのか解らないままに照れていると
『このダイアモンドを見てごらん』
そこには始めてみたピンク色に輝くダイアモンドがW氏の手のひらにのっていました。
『これはね、わが社の財産で名前が付いているダイアモンドなんだ』
『エッ、そうなんですか?』
『そう、《アフリカの夕焼け》という 6.12ct あって、フローレス(無疵)でアイデアルカット
(理想的カット)なんだよ。』
『へ~、すごいですね』
『これを見てみたら? 実はこれ規定の見方では無疵なんだけれど倍率を上げるとあるところに
ピンポイント(小さな点)があるんだよ。私もふざけ半分で顕微鏡で見たら発見したんだよ』
本来ダイアモンドのグレーディングは十倍のルーペで熟練のグレーダーが発見しうる範囲と
なっていますから、その中では無疵という事ですから発見する事は非常に難しい内胞物という
事になります。
『実は私もピンポイントのある場所を特定してみたらルーペでも見る事が出来たんだよ。
ここん所キミを見ているともしかしたらキミにには発見できるかもしてないと思って出してみたんだ』
『そうなんですか、是非見せてください』
それからというもの昼食もとらずにその神秘のダイアモンドにくぎ付けでした。二日目の
お昼時間の事です。ずーっとダイアモンドを見ていて一点に微妙な違和感を感じそこを中心
にピントを合わせ続けている時でした。
(アッ、見えた!?)
私は興奮しながらその事とその位置をW氏に報告をしました。
『間違いない、その場所だよ。良く見つけたね』
『ありがとうございました。』
この『ありがとうございました』には沢山の意味がこもっていました。この間ダイアモンドを
みている間にダイアモンドに入って泳いでいるような錯覚に陥ったり、凄さを感じたり、美しさを
感じたり、何よりオーバーに言うと語りかけられているような気になったり・・と色々な経験を
させてもらい、この例えようのないサーモンピンクの美しいダイアモンドは短期間に色々な
経験をさせてくれたような気がしました。
本当は仕事としてどうなんだろうと思っていた私に決意をさせてくれた瞬間であり、未だに
この石を超える石には出会った事のない私にとっては《奇蹟の石》でした。
2011年2月20日日曜日
今ダイアモンドに異変が・・・。
ダイモンドというものは実質の値下がりをした事がない。
1872年、シンジケートの基礎となる鉱山会社南アフリカにできて以来シンジケートが価格のコントロ
ールを続けてきました。それは原石の時点での価格のコントロールではありますが実質的な値下げをした事はありません。
1950年代以降、オーストラリアや当時のソ連、そしてカナダとあらゆるところで鉱山が発見され
開発が進んでもシンジケートは豊富な資金をバックにそれら新興の鉱山から原石を買い続けて
きました。
1980年以降になると崩壊したソ連をはじめとした新興勢力がどんどん原石を掘りはじめ、シンジ
ケートは原石の全てを買い支える事は難しくなり、半ば強制的に原石のある部分を買取、それ以外
は直接マーケットに売る事を認め始めましたが価格に関しては一応の強制力をもっておりました。
1980年代後半になると米国や欧州の独禁法のターゲットとなり、実質独占的価格コントロール
の時代に終止符を打つことになります。
各新興鉱山会社はそれを機会にあらゆるプロモーションを始めますが必ずしもうまくはいって
いませんでした。シンジケートも消費者マーケットにダイレクトに働きかけ始め、LVMHなどと組み
独自の路線を歩み始めます。
シンジケートにしても各鉱山会社にしても原石が値下がりすることは望んではおりませんので、
実質的な自由競争に入る事もなく、次々と新たな組織が出来上がり始め、原石の取り合いも始
まり必ずしも消費者に良いイメージを与える事ばかりではなくなりました。
レオナルド・ディカプリオ主演の『ブラッドダイアモンド』(紛争ダイアモンド)など2000年
に入ってからは原石の取り合いが表に出て来るようになり、 《キンバリープロセス》なる国際法
が国連により採択され日本も2003年より批准適用をしております。
《キンバリープロセス》というのは紛争に絡んだダイアモンドはそれぞれの国が扱わないように
しようというものですが、日本でも小売店の店頭に「当店では紛争ダイアモンドは取り扱っては
おりません」という張り紙が一時張られておりましたが、法律上輸入することが出来ませんので
扱いようがないのでちょっと滑稽ではありました。
さて、リーマンショック以降日本では不況に拍車がかかり、宝飾業界も大打撃を受けております
が、海外ではすでに新興国をはじめ米国なども上昇気流が見え始めるようになりました。先日も
米国のビジネス仲間が 『昨年は何とかリーマンのリカバーが出来た』 といっておりダイアモンド
ビジネス忙しくなり始めたと言っておりました。
現在でもダイアモンドは値上がりを続けております。日本では為替の状況もありますので過去
値下がりを経験したことがありますが、実質ダイアモンドは希少性の物ですから世界的に景気の
良い場所があれば常に品物は足りなくなります。売行きが落ちれば供給が絞られますので人為的にも量的にも事足りる事はまずないのです。
今の日本では市場原理が働いておりますので一見色々な物が安くなって見えますがダイアモンドに関してはその例外です。日本で売れなければ海外で売れますので、現在では海外のバイヤーが
日本の流通在庫を買いにきて、一時の不動産の日本買い状況になっています。
勘違いしてはいけない事はダイアモンドにはデフレスパイラルは世界規模で見ればまず起きないのです。其々の国内事情によって一時的に値下がりをしているように見えますが世界市場では
値下がりするほどの量はないのです。(一定の条件下では)
1872年、シンジケートの基礎となる鉱山会社南アフリカにできて以来シンジケートが価格のコントロ
ールを続けてきました。それは原石の時点での価格のコントロールではありますが実質的な値下げをした事はありません。
1950年代以降、オーストラリアや当時のソ連、そしてカナダとあらゆるところで鉱山が発見され
開発が進んでもシンジケートは豊富な資金をバックにそれら新興の鉱山から原石を買い続けて
きました。
1980年以降になると崩壊したソ連をはじめとした新興勢力がどんどん原石を掘りはじめ、シンジ
ケートは原石の全てを買い支える事は難しくなり、半ば強制的に原石のある部分を買取、それ以外
は直接マーケットに売る事を認め始めましたが価格に関しては一応の強制力をもっておりました。
1980年代後半になると米国や欧州の独禁法のターゲットとなり、実質独占的価格コントロール
の時代に終止符を打つことになります。
各新興鉱山会社はそれを機会にあらゆるプロモーションを始めますが必ずしもうまくはいって
いませんでした。シンジケートも消費者マーケットにダイレクトに働きかけ始め、LVMHなどと組み
独自の路線を歩み始めます。
シンジケートにしても各鉱山会社にしても原石が値下がりすることは望んではおりませんので、
実質的な自由競争に入る事もなく、次々と新たな組織が出来上がり始め、原石の取り合いも始
まり必ずしも消費者に良いイメージを与える事ばかりではなくなりました。
レオナルド・ディカプリオ主演の『ブラッドダイアモンド』(紛争ダイアモンド)など2000年
に入ってからは原石の取り合いが表に出て来るようになり、 《キンバリープロセス》なる国際法
が国連により採択され日本も2003年より批准適用をしております。
《キンバリープロセス》というのは紛争に絡んだダイアモンドはそれぞれの国が扱わないように
しようというものですが、日本でも小売店の店頭に「当店では紛争ダイアモンドは取り扱っては
おりません」という張り紙が一時張られておりましたが、法律上輸入することが出来ませんので
扱いようがないのでちょっと滑稽ではありました。
さて、リーマンショック以降日本では不況に拍車がかかり、宝飾業界も大打撃を受けております
が、海外ではすでに新興国をはじめ米国なども上昇気流が見え始めるようになりました。先日も
米国のビジネス仲間が 『昨年は何とかリーマンのリカバーが出来た』 といっておりダイアモンド
ビジネス忙しくなり始めたと言っておりました。
現在でもダイアモンドは値上がりを続けております。日本では為替の状況もありますので過去
値下がりを経験したことがありますが、実質ダイアモンドは希少性の物ですから世界的に景気の
良い場所があれば常に品物は足りなくなります。売行きが落ちれば供給が絞られますので人為的にも量的にも事足りる事はまずないのです。
今の日本では市場原理が働いておりますので一見色々な物が安くなって見えますがダイアモンドに関してはその例外です。日本で売れなければ海外で売れますので、現在では海外のバイヤーが
日本の流通在庫を買いにきて、一時の不動産の日本買い状況になっています。
勘違いしてはいけない事はダイアモンドにはデフレスパイラルは世界規模で見ればまず起きないのです。其々の国内事情によって一時的に値下がりをしているように見えますが世界市場では
値下がりするほどの量はないのです。(一定の条件下では)
2011年2月17日木曜日
内胞物!?
ダイアモンドの4Cグレードの中にClarity(清澄度)をあらわすものがありますが、
これは俗に言う瑕の度合いです。
しかし、正確に言うと内胞物は俗に言う《キズ》ではありません。表面にある瑕は《キズ》
であることは一部を除いて間違いではありませんが・・・・。
内胞物はダイアモンドの生成過程で閉じ込められたもので、場合によっては数億年前の
物語を運んできたとも言えるのが内胞物です。
ダイアモンドの中にガーネットやぺリドットまたは他の結晶が内包されているものもたまに見かけます。 と言っても我々のような沢山のダイアモンドを見ているプロにとってという意味なので一般の方たちは意識しなければ見る事まずはありません。
クラリティーグレードで言えば品質が落ちるという事になりますが、果たしてそうなのでしょうか?
宝石の条件には以前にも述べましたが希少性という条件もあります。美観を損なわない事を前提としたときに、内胞物が特殊であった場合には希少性という価値がそこには
あります。
4Cグレードを中心に考えると色が白くてキズがなくてカットの上質の物、これが最良であるとされますが、宝石という事を考えるとイコールではありません。
なぜなら、カットは人為的なもので小さいサイズであれば白くてきれいなものはそれなりに
存在します。簡単に言うと4Cというのは宝石としての価値をイコールとするものではありません。
一部のダイアモンドを評価する材料ではあります。
内胞物は時として太古の歴史を感じさせることもあります。欧米では人によってはそちら
の方をむしろ価値として考える人もいるくらいです。
ダイアモンドの内胞物は基本的には後天的なものではありません。つまり、宝石本来の
魅力を何かということにもなりますが・・・。
以前にも何度か述べましたが、宝石を手にして興奮したり、落ち着いたりとかする方たち
もいらっしゃいますが、共通して『自分に合ったダイアモンド』という言い方をされます。
実は色も正確に言うと内胞物ですが、粒子が細かいかどうかという事になります。つまり、
総合的に言うとダイアモンドはそれ自体を楽しんだり、感じたりすることが本来の価値で
あると考えた方が説明がつく事が多いように思います。
例えば婚約指輪とかのダイアモンドは小さくても条件の良い方がよいというのも考え方です。
つまり、ダイアモンドというより婚約という特殊な条件で使うものとしては是だと考えます。
ダイアモンドの個性は人間に色々な接し方をしてきます。以前『ホープダイアモンド』について
述べましたが、4Cグレードで評価したらアウトです。しかし、その範疇ではない事は皆さんにも
お解り頂けると思います。
ダイアモンドには個性があります。その個性と自分の感性が合うかどうか。また、それに
出会えるかどうかを楽しむ事も悪くはないと思います
これは俗に言う瑕の度合いです。
しかし、正確に言うと内胞物は俗に言う《キズ》ではありません。表面にある瑕は《キズ》
であることは一部を除いて間違いではありませんが・・・・。
内胞物はダイアモンドの生成過程で閉じ込められたもので、場合によっては数億年前の
物語を運んできたとも言えるのが内胞物です。
ダイアモンドの中にガーネットやぺリドットまたは他の結晶が内包されているものもたまに見かけます。 と言っても我々のような沢山のダイアモンドを見ているプロにとってという意味なので一般の方たちは意識しなければ見る事まずはありません。
中央部にある赤い結晶が ルビーと思われるものです |
宝石の条件には以前にも述べましたが希少性という条件もあります。美観を損なわない事を前提としたときに、内胞物が特殊であった場合には希少性という価値がそこには
あります。
4Cグレードを中心に考えると色が白くてキズがなくてカットの上質の物、これが最良であるとされますが、宝石という事を考えるとイコールではありません。
なぜなら、カットは人為的なもので小さいサイズであれば白くてきれいなものはそれなりに
存在します。簡単に言うと4Cというのは宝石としての価値をイコールとするものではありません。
一部のダイアモンドを評価する材料ではあります。
内胞物は時として太古の歴史を感じさせることもあります。欧米では人によってはそちら
の方をむしろ価値として考える人もいるくらいです。
ダイアモンドの内胞物は基本的には後天的なものではありません。つまり、宝石本来の
魅力を何かということにもなりますが・・・。
以前にも何度か述べましたが、宝石を手にして興奮したり、落ち着いたりとかする方たち
もいらっしゃいますが、共通して『自分に合ったダイアモンド』という言い方をされます。
実は色も正確に言うと内胞物ですが、粒子が細かいかどうかという事になります。つまり、
総合的に言うとダイアモンドはそれ自体を楽しんだり、感じたりすることが本来の価値で
あると考えた方が説明がつく事が多いように思います。
例えば婚約指輪とかのダイアモンドは小さくても条件の良い方がよいというのも考え方です。
つまり、ダイアモンドというより婚約という特殊な条件で使うものとしては是だと考えます。
ダイアモンドの個性は人間に色々な接し方をしてきます。以前『ホープダイアモンド』について
述べましたが、4Cグレードで評価したらアウトです。しかし、その範疇ではない事は皆さんにも
お解り頂けると思います。
ダイアモンドには個性があります。その個性と自分の感性が合うかどうか。また、それに
出会えるかどうかを楽しむ事も悪くはないと思います
2011年2月16日水曜日
ナチュラルカラー
最近、ナチュラルカラーを手に入れました。
小生はダイアモンドが好きな事は勿論ですが、そこにおきる現象や物語が特に興味の対象に
なっています。
最近NHKで紹介をされた『ホープダイアモンド』の謎はその典型で、ダイアモンドとの出会い
そのものも稀有なものであることは今までも書いてまいりましたが、あの『ブルー』の色は何故
にあの色なのか・・。
番組の中でも『ホープダイアモンド』に小さな穴をあけて成分分析をしておりましたが、これは
勿論、プロであれば皆が知っている(ホウ素)なる物が成分に入っており、それが発色要因で
あった訳であります。
しかし、成分がわかったとしても何故その現象が起きたのかはまだ解明を出来ておりません。
白いダイアモンドに関してはある程度の生成要因は解ってはいますがこれら有色、特にブルー
やピンクなどの生成要因は奇跡と言ってよいのでしょう。
それらの価値は白くてパーフェクトのダイアモンドとは違い、色がはっきりしている事が価値で
ある訳です。つまり、白いダイアモンドは如何に白く内胞物がないかが価値になりますが、有色
ダイアモンドに関しては如何に色がはっきりとしているかが価値なのです。
勿論、前提として美観、希少性が伴っていることがありますが、ブラウンや黄色などの一部に
関しては美観も含め希少性という意味合いでもこれを満たしてはおりませんので価値がそれほど
高いとは言えません。
その上で、それらがペアになる事はさらなる希少性を生む訳です。ですからダイアモンドの特殊なものをイヤリング等に使用しようとしてペアを探すとその単一の価値を2倍にしただけではない
価値になる訳です。
これらの価値はダイアモンドの多面的な価値のやはり一部なのです。現在は4Cグレードが
価値に主流になっていますが、それはダイアモンドの価値の一部の見方な訳です。
小生はダイアモンドが好きな事は勿論ですが、そこにおきる現象や物語が特に興味の対象に
なっています。
最近NHKで紹介をされた『ホープダイアモンド』の謎はその典型で、ダイアモンドとの出会い
そのものも稀有なものであることは今までも書いてまいりましたが、あの『ブルー』の色は何故
にあの色なのか・・。
番組の中でも『ホープダイアモンド』に小さな穴をあけて成分分析をしておりましたが、これは
勿論、プロであれば皆が知っている(ホウ素)なる物が成分に入っており、それが発色要因で
あった訳であります。
しかし、成分がわかったとしても何故その現象が起きたのかはまだ解明を出来ておりません。
白いダイアモンドに関してはある程度の生成要因は解ってはいますがこれら有色、特にブルー
やピンクなどの生成要因は奇跡と言ってよいのでしょう。
それらの価値は白くてパーフェクトのダイアモンドとは違い、色がはっきりしている事が価値で
ある訳です。つまり、白いダイアモンドは如何に白く内胞物がないかが価値になりますが、有色
ダイアモンドに関しては如何に色がはっきりとしているかが価値なのです。
勿論、前提として美観、希少性が伴っていることがありますが、ブラウンや黄色などの一部に
関しては美観も含め希少性という意味合いでもこれを満たしてはおりませんので価値がそれほど
高いとは言えません。
その上で、それらがペアになる事はさらなる希少性を生む訳です。ですからダイアモンドの特殊なものをイヤリング等に使用しようとしてペアを探すとその単一の価値を2倍にしただけではない
価値になる訳です。
これらの価値はダイアモンドの多面的な価値のやはり一部なのです。現在は4Cグレードが
価値に主流になっていますが、それはダイアモンドの価値の一部の見方な訳です。
2011年2月14日月曜日
ドネーション(寄付)
今朝ほどTVを見ていたら・・・・・。
本日はバレンタインデーですが、義理チョコをはじめ本命チョコのシェアが30%を
割っているという事で男性としてはさみしい限りかもしれませんが、それを差し引いても
心温まる話がありました。
ある女子高生がボランティアで養護施設に訪問をしている際に子供たちがお菓子作り
をしたいという希望を聞いて、何とか子供たちにその経験をさせるべく資金集めを考えま
した。
それは、有名パティシエ達に声をかけて八個入りのチョコレートBOXに七個のチョコを
入れてもらい、その一個分をお買いになったお客様に子供たちのお菓子づくり資金の
一部として寄付をしてもらうというものでした。
この企画には都内某百貨店のグループが参加し、その売場でドネーションチョコを販売
するといものでしたが、発案者の女子高生も売り場に立ち一生懸命販売を手伝っている
姿を見て何となくほのぼのとした物を感じました。
高校生が社会との結びつきを考え、学ぶ時に大人から与えられたものではなく自分達
からこのような参加をするという事は非常に良い事ではないかと(当たり前すぎる反応?)
と思います。
仕事として社会に参加をするよりも社会貢献から参加する事は世の中を普通に見ていく
事が出来るのだろうと思います。そして、当り前の事を普通にとらえていくんだろうと、
一寸いい話だなと・・・・・・。ついつい紹介したくなりました。
本日はバレンタインデーですが、義理チョコをはじめ本命チョコのシェアが30%を
割っているという事で男性としてはさみしい限りかもしれませんが、それを差し引いても
心温まる話がありました。
ある女子高生がボランティアで養護施設に訪問をしている際に子供たちがお菓子作り
をしたいという希望を聞いて、何とか子供たちにその経験をさせるべく資金集めを考えま
した。
それは、有名パティシエ達に声をかけて八個入りのチョコレートBOXに七個のチョコを
入れてもらい、その一個分をお買いになったお客様に子供たちのお菓子づくり資金の
一部として寄付をしてもらうというものでした。
この企画には都内某百貨店のグループが参加し、その売場でドネーションチョコを販売
するといものでしたが、発案者の女子高生も売り場に立ち一生懸命販売を手伝っている
姿を見て何となくほのぼのとした物を感じました。
高校生が社会との結びつきを考え、学ぶ時に大人から与えられたものではなく自分達
からこのような参加をするという事は非常に良い事ではないかと(当たり前すぎる反応?)
と思います。
仕事として社会に参加をするよりも社会貢献から参加する事は世の中を普通に見ていく
事が出来るのだろうと思います。そして、当り前の事を普通にとらえていくんだろうと、
一寸いい話だなと・・・・・・。ついつい紹介したくなりました。
2011年2月9日水曜日
八百長!?
昨今、相撲の件で八百長という言葉が話題になっております。
八百長とは江戸時代の八百屋の長兵衛なる人物が囲碁仲間である相撲部屋の
力士に食材の納入を沢山してもらう為にわざと負けていて、それがのちの囲碁大会で
長兵衛がとってつもない強さを見せ、わざと負けていたことがバレて、それ以降わざと
負ける事を八百長と言うようになったとか・・・。
さて八百長ですが、わざと負ける事は別として勝てる可能性があったのにあえてそうしなかった
事はどうなんでしょう。
例えば、7勝7敗で千秋楽を迎え一方がもう負け越しが決まっており、相手はこれに負けると
引退しなければならないとういう時に仮に情けが出て全力を出さなかったとすると・・・。
でも、そういう事は日本人の中では暗黙の了解というか、その中に美徳も感じていたり
するのかもしれませんね。
思い出すのは1984年のロサンゼルスのオリンピック決勝で柔道の山下康裕選手と
エジプトのラシュワン選手の一戦です。二回戦の当時の西ドイツの選手との試合でケガを
して右足を引きづっていた山下選手にラシュワン選手は右足への攻撃を封印して、結果的
には山下選手の勝利となりました。これなどもラシュワン選手が勝とうと思えば、勝てたので
はないかと思います。
八百長とは何を前提としているかによって見方が分かれるような気がします。
つまり、受け手が何かを前提とした許容範囲内であれば、それを裏切るような行為でなければ、
必ずしも良い事とは取られないにしても・・・というような気がします。
だまされる方がそれに嫌悪感を持たなければセーフなのでしょう。しかし、これも受け手次第
ですから難しいですよね。
宝石に関しても同じようなことが言える場面が多々あるような気がします。例えば最近
話題になっているキュービックジルコニアという人造石があります。ダイアモンドに非常
に酷似しているところから、ダイアモンドの代用品として販売される事も多くあります。
最近、心配している事はキュービックジルコニアにダイアモンドと同じようなグレードが
あり(品質はありますが)、18金に入れて如何にも知らない方がダイアモンドと勘違い
するような売り方をしている業者が見受けられます。
私が見たコピーは『K18,1カラット Dカラー VVSクラス (ダイアモンド)相当 ペンダント』
なる物でした。なかなかキュービックジルコニアの文字が出てこぬまま最後にQZとキュービック
ジルコニアを現わす文字が書いてありました。
これなどは嘘は書いていないのかもしれませんがグレードがダイアモンドの物という前提を
うまく(?)利用したまやかしのような気がします。受け手が前提のない条件を提示して、
如何にも受け手の知っている前提の物のような提示をする。これは何なのでしょうか?
また、某クリスタルメーカーのように如何にもダイアモンドより美しいガラスであるかのような
戦略が功を奏しているところもありますが、これは美しさの許容範囲は人それぞれですし、
クリスタルである事は明示している訳ですから問題はないと思います。あとは受け手がクリス
タルはダイアモンドよりすごいんだと思うのは受け手の勝手というところもあります。
これらをイコール八百長というのは言いすぎかもしれませんが、八百長という言葉にあたる
ものは多分日本の文化の中にしかないかもしれません。今回の相撲の八百長とは裏切り
行為であって個人的には八百長と呼んではほしくないような気がします。
八百長を肯定する訳ではありませんが最低限、後で皆が理解をする・・・と思う訳です。
勿論、人の其々のとり方にもよりますが『嘘も方便』の範囲であってほしいような・・・。
八百長とは『嘘以上で詐欺未満』かな・・・?
八百長とは江戸時代の八百屋の長兵衛なる人物が囲碁仲間である相撲部屋の
力士に食材の納入を沢山してもらう為にわざと負けていて、それがのちの囲碁大会で
長兵衛がとってつもない強さを見せ、わざと負けていたことがバレて、それ以降わざと
負ける事を八百長と言うようになったとか・・・。
さて八百長ですが、わざと負ける事は別として勝てる可能性があったのにあえてそうしなかった
事はどうなんでしょう。
例えば、7勝7敗で千秋楽を迎え一方がもう負け越しが決まっており、相手はこれに負けると
引退しなければならないとういう時に仮に情けが出て全力を出さなかったとすると・・・。
でも、そういう事は日本人の中では暗黙の了解というか、その中に美徳も感じていたり
するのかもしれませんね。
思い出すのは1984年のロサンゼルスのオリンピック決勝で柔道の山下康裕選手と
エジプトのラシュワン選手の一戦です。二回戦の当時の西ドイツの選手との試合でケガを
して右足を引きづっていた山下選手にラシュワン選手は右足への攻撃を封印して、結果的
には山下選手の勝利となりました。これなどもラシュワン選手が勝とうと思えば、勝てたので
はないかと思います。
八百長とは何を前提としているかによって見方が分かれるような気がします。
つまり、受け手が何かを前提とした許容範囲内であれば、それを裏切るような行為でなければ、
必ずしも良い事とは取られないにしても・・・というような気がします。
だまされる方がそれに嫌悪感を持たなければセーフなのでしょう。しかし、これも受け手次第
ですから難しいですよね。
宝石に関しても同じようなことが言える場面が多々あるような気がします。例えば最近
話題になっているキュービックジルコニアという人造石があります。ダイアモンドに非常
に酷似しているところから、ダイアモンドの代用品として販売される事も多くあります。
最近、心配している事はキュービックジルコニアにダイアモンドと同じようなグレードが
あり(品質はありますが)、18金に入れて如何にも知らない方がダイアモンドと勘違い
するような売り方をしている業者が見受けられます。
私が見たコピーは『K18,1カラット Dカラー VVSクラス (ダイアモンド)相当 ペンダント』
なる物でした。なかなかキュービックジルコニアの文字が出てこぬまま最後にQZとキュービック
ジルコニアを現わす文字が書いてありました。
これなどは嘘は書いていないのかもしれませんがグレードがダイアモンドの物という前提を
うまく(?)利用したまやかしのような気がします。受け手が前提のない条件を提示して、
如何にも受け手の知っている前提の物のような提示をする。これは何なのでしょうか?
また、某クリスタルメーカーのように如何にもダイアモンドより美しいガラスであるかのような
戦略が功を奏しているところもありますが、これは美しさの許容範囲は人それぞれですし、
クリスタルである事は明示している訳ですから問題はないと思います。あとは受け手がクリス
タルはダイアモンドよりすごいんだと思うのは受け手の勝手というところもあります。
これらをイコール八百長というのは言いすぎかもしれませんが、八百長という言葉にあたる
ものは多分日本の文化の中にしかないかもしれません。今回の相撲の八百長とは裏切り
行為であって個人的には八百長と呼んではほしくないような気がします。
八百長を肯定する訳ではありませんが最低限、後で皆が理解をする・・・と思う訳です。
勿論、人の其々のとり方にもよりますが『嘘も方便』の範囲であってほしいような・・・。
八百長とは『嘘以上で詐欺未満』かな・・・?
2011年2月7日月曜日
遭遇!?
昨日久しぶりにゴルフに出かけました。
ゴルフ場でのローッカールームでの事です。ロッカーの同じ並びの向こう際でこちらを
見ている紳士が一人。見慣れた御顔なので何げに会釈をしたけれど・・・。
ハタとその人は誰だろう?・・・と。
向こうの方でも会釈をしたけれど・・・・・?
お互いに言葉を交わすことなくロッカールームを出て行った。
コンペの集合場所でいつものメンバーに声をかけられ
『今回、知り合いに声をかけて連れてきているんだけど、その人があなたの事を
知っているといっているんだけど』
彼の後方には先ほどの紳士が立ち、先ほどよりもはっきりとした会釈でこちらを見ている。
私は近づきながら
『どこかでお会いしていますよね?』
『私も先ほどからそう思っていたんです』
とその紳士。
『それも結構お会いしていますよね?』
『そうですよね。それも長年にわたって』
とい言った会話をしながら探り合うも全然会話が先に進まない。
結局、住まいが近い事は解ったのですが、近所で顔を見た訳ではないことも
お互いに納得し、さらに迷路に・・。
『詳しい事はこれ以上探るのはよしましょう。今度何処かでお会いした時の
楽しみにしましょう』
とお互いに其々のプレーに向かいました。
何故お互いに詮索をやめたのかわかりません。それは特に興味がないから
といった意味ではない事は理解しました。
ただ言える事は性急な結論を出すことだけが物事が解決し、万事おさまるのではなく、
たまには何かを楽しみにしながら、その過程のない結論をある日突然決着するという事も
楽しいではないか・・と思った訳です。
全くの遭遇であったこの出会いは、またいつの日かの楽しみにと思いながら今日も
(どこでだろう?)と考えながら一寸間に気分転換をしております。
遭遇は何か生活ののアクセントになります。また時として人生の変わり目になることも
あります。
ダイアモンドとの遭遇も色々な事の節目になっていると思いますので、お持ちの方は
思い浮かべてみてください。何かのきっかけになっているはずです。
そんなことに思いを馳せながら一時の時間を楽しんでみませんか?
ゴルフ場でのローッカールームでの事です。ロッカーの同じ並びの向こう際でこちらを
見ている紳士が一人。見慣れた御顔なので何げに会釈をしたけれど・・・。
ハタとその人は誰だろう?・・・と。
向こうの方でも会釈をしたけれど・・・・・?
お互いに言葉を交わすことなくロッカールームを出て行った。
コンペの集合場所でいつものメンバーに声をかけられ
『今回、知り合いに声をかけて連れてきているんだけど、その人があなたの事を
知っているといっているんだけど』
彼の後方には先ほどの紳士が立ち、先ほどよりもはっきりとした会釈でこちらを見ている。
私は近づきながら
『どこかでお会いしていますよね?』
『私も先ほどからそう思っていたんです』
とその紳士。
『それも結構お会いしていますよね?』
『そうですよね。それも長年にわたって』
とい言った会話をしながら探り合うも全然会話が先に進まない。
結局、住まいが近い事は解ったのですが、近所で顔を見た訳ではないことも
お互いに納得し、さらに迷路に・・。
『詳しい事はこれ以上探るのはよしましょう。今度何処かでお会いした時の
楽しみにしましょう』
とお互いに其々のプレーに向かいました。
何故お互いに詮索をやめたのかわかりません。それは特に興味がないから
といった意味ではない事は理解しました。
ただ言える事は性急な結論を出すことだけが物事が解決し、万事おさまるのではなく、
たまには何かを楽しみにしながら、その過程のない結論をある日突然決着するという事も
楽しいではないか・・と思った訳です。
全くの遭遇であったこの出会いは、またいつの日かの楽しみにと思いながら今日も
(どこでだろう?)と考えながら一寸間に気分転換をしております。
遭遇は何か生活ののアクセントになります。また時として人生の変わり目になることも
あります。
ダイアモンドとの遭遇も色々な事の節目になっていると思いますので、お持ちの方は
思い浮かべてみてください。何かのきっかけになっているはずです。
そんなことに思いを馳せながら一時の時間を楽しんでみませんか?
2011年2月5日土曜日
蕾(つぼみ)!?
本日も暖かく花のつぼみが膨らんでくる様子が見られます。
前回、梅の花が咲き始めた事を書きましたが、花が咲く前の蕾(つぼみ)が可愛らしい
ですよね。実は宝石の事を英語でGem Stoneと言います。
Gemとはもう一つの意味で蕾(つぼみ)を指します・・・。というより蕾の事を英語でGEM
といます。むしろ、宝石のGEMの語源が蕾のGEMなのです。
硬くて可愛らしいという共通項がその意味合いだと思います。宝飾品がジュエリーで
宝石がジェム、たまに口語的に宝石の事をジュエルという言い方をするときもあります。
世俗的にではありますが『大事な人』を指して、欧米人は『Jewel』(ジュエル)という言い方を
することもあります。
それではJewelの語源という事になると諸説ありますが・・・。
一つにはユダヤ人を『Jew』と言いますが彼らが宝石に大きくかかわっているところから
それが語源であるという説もあります。
しかし、これは彼らが宝石のビジネスに関わる前から言葉として存在する事を考えると、
少し首をかしげざる得を得ません。
また一方、ジョーク(Joke)とかジョーカー(Joker)という説もあります。これは冗談だったり
人をたぶらかしたり、といったジュエリーを揶揄する説でもあるわけで、逆にある種の共通
部分があるような気もします。
どちらにしても宝石という言葉が人類にとって掴みどころのない特殊な意味合いではある
ような気がします。
Gemとは自然からの贈り物であり、Jewelyは人間が作り出した物で、個々の好みを
見ていると宝石派(Gem)の人と宝飾品派(Jewely)の人が存在します。
勿論、其々の人々がそれを意識している事はないのですが私たちのビジネス側から
見るとその違いは明らかです。ビジネスをなさっている方たちの中にもそれを理解
していない方は沢山いらっしゃるのかもしれません。
いつも書く事ですが蕾(つぼみ)に興味を持たれる方は感性の強い方が多くいらっしゃる
ような気がします。つまり、まやかしではなく本能で感じている本物志向の方という言い方は
言い過ぎでしょうか。
また、ジュエリーに関しても優れたデザインと技術に裏打ちされた物も多くあります。ただし
それは絵画などと同じように本当に理解をする事は沢山の物を見る必要があるでしょう。
そして、ジュエリーをお好みになる方はおしゃれさんな女性らしい方が多いような気がします。
宝飾品の中には量産される物に『優』や『良』の物がそんなに多くありません。勿論、普通の
物はありますが、やはり宝飾品ですから多少高額でも良い物を選び、造る事だと思います。
思い出と共に長く愛用する物ですからね。
いずれにしても、もうすぐ春です。『蕾』を身に着けて外へ飛び出してみませんか?
前回、梅の花が咲き始めた事を書きましたが、花が咲く前の蕾(つぼみ)が可愛らしい
ですよね。実は宝石の事を英語でGem Stoneと言います。
Gemとはもう一つの意味で蕾(つぼみ)を指します・・・。というより蕾の事を英語でGEM
といます。むしろ、宝石のGEMの語源が蕾のGEMなのです。
硬くて可愛らしいという共通項がその意味合いだと思います。宝飾品がジュエリーで
宝石がジェム、たまに口語的に宝石の事をジュエルという言い方をするときもあります。
世俗的にではありますが『大事な人』を指して、欧米人は『Jewel』(ジュエル)という言い方を
することもあります。
それではJewelの語源という事になると諸説ありますが・・・。
一つにはユダヤ人を『Jew』と言いますが彼らが宝石に大きくかかわっているところから
それが語源であるという説もあります。
しかし、これは彼らが宝石のビジネスに関わる前から言葉として存在する事を考えると、
少し首をかしげざる得を得ません。
また一方、ジョーク(Joke)とかジョーカー(Joker)という説もあります。これは冗談だったり
人をたぶらかしたり、といったジュエリーを揶揄する説でもあるわけで、逆にある種の共通
部分があるような気もします。
どちらにしても宝石という言葉が人類にとって掴みどころのない特殊な意味合いではある
ような気がします。
Gemとは自然からの贈り物であり、Jewelyは人間が作り出した物で、個々の好みを
見ていると宝石派(Gem)の人と宝飾品派(Jewely)の人が存在します。
勿論、其々の人々がそれを意識している事はないのですが私たちのビジネス側から
見るとその違いは明らかです。ビジネスをなさっている方たちの中にもそれを理解
していない方は沢山いらっしゃるのかもしれません。
いつも書く事ですが蕾(つぼみ)に興味を持たれる方は感性の強い方が多くいらっしゃる
ような気がします。つまり、まやかしではなく本能で感じている本物志向の方という言い方は
言い過ぎでしょうか。
また、ジュエリーに関しても優れたデザインと技術に裏打ちされた物も多くあります。ただし
それは絵画などと同じように本当に理解をする事は沢山の物を見る必要があるでしょう。
そして、ジュエリーをお好みになる方はおしゃれさんな女性らしい方が多いような気がします。
宝飾品の中には量産される物に『優』や『良』の物がそんなに多くありません。勿論、普通の
物はありますが、やはり宝飾品ですから多少高額でも良い物を選び、造る事だと思います。
思い出と共に長く愛用する物ですからね。
いずれにしても、もうすぐ春です。『蕾』を身に着けて外へ飛び出してみませんか?
2011年2月3日木曜日
本能!?
今朝、バス停で何気なく塀の向こうの梅の木を眺めていました。
(この寒い中でも花がもう芽吹いているんだなア・・)と思いながらボンヤリとみていると
二羽のメジロがその花びらを一生懸命についばんでおりました。
メジロは誰から教わるでもなく、梅の花をついばむという行動はいつのころから
始まったのだろうと考えながら、人間であっても生きる為に何かの行動を誰からも
教わることなく永遠と当り前のように続けてきている事に不思議に思い、考えるとも
なく、想いを馳せていると
『本能』という言葉が頭に浮かんだ。
広辞苑で『本能』をひくと生まれつき持っていると考えられる行動の様式や能力、
動物が外囲の変化に対して行う、生得的でその種に特有な反応形式。
・・・・と書いてある。
実際には生まれつきというよりも代々受け継いでいる遺伝子による行動、反応
という事なのだろうと思います。
本能とは人間にも勿論あるだろうけれども、それに代わる道具や仕組みがあると
その本能はどんどん退化をしてしまうのだと思いながら、人それぞれにその度合い
も違うのかなと思っているとバスがやってきた。
バスに乗り、車窓からジョギングをしている人を眺めているとついつい(この人は
走る事で基本的な本能を維持しているのかな)とか考えたりしてしまいました。
以前、ダイアモンドが人間にとってなぜ魅力があるのかという事を述べようとした
時にも答えは出ませんでした。
ただ言える事は過去の経験から『ダイアモンドが好き』という方を思い起こしてみると
なにかに秀でている人が多いような気がします。
感性が豊かというか芸術家、デザイナーや芸能人に多いような気がします。それは
何かの本能が優れているいるからなのか・・・・。
本能とは基本的に原生能力の感性なのでしょう。
ダイアモンドは原始その物でそこに魅力を感じるという事は原生能力を兼ね備えている
といことなのでしょう。
イチロー選手は『プレーには野生の能力を引き出すことが重要』と言っていた事がありました。
優れているという事は本能をどれくらい研ぎ澄ませるかという事なのでしょう。
そして、研ぎ澄ます能力のある人にはダイアモンドの何かを感じる事が出来るのか
もしれません。
バスが目的の停留所に着くころには一人納得して『基本的感性の刺激がダイアモンド
にはあるんだ』と妙な納得をしながら、駅の階段を上っていました。
(この寒い中でも花がもう芽吹いているんだなア・・)と思いながらボンヤリとみていると
二羽のメジロがその花びらを一生懸命についばんでおりました。
メジロは誰から教わるでもなく、梅の花をついばむという行動はいつのころから
始まったのだろうと考えながら、人間であっても生きる為に何かの行動を誰からも
教わることなく永遠と当り前のように続けてきている事に不思議に思い、考えるとも
なく、想いを馳せていると
『本能』という言葉が頭に浮かんだ。
広辞苑で『本能』をひくと生まれつき持っていると考えられる行動の様式や能力、
動物が外囲の変化に対して行う、生得的でその種に特有な反応形式。
・・・・と書いてある。
実際には生まれつきというよりも代々受け継いでいる遺伝子による行動、反応
という事なのだろうと思います。
本能とは人間にも勿論あるだろうけれども、それに代わる道具や仕組みがあると
その本能はどんどん退化をしてしまうのだと思いながら、人それぞれにその度合い
も違うのかなと思っているとバスがやってきた。
バスに乗り、車窓からジョギングをしている人を眺めているとついつい(この人は
走る事で基本的な本能を維持しているのかな)とか考えたりしてしまいました。
以前、ダイアモンドが人間にとってなぜ魅力があるのかという事を述べようとした
時にも答えは出ませんでした。
ただ言える事は過去の経験から『ダイアモンドが好き』という方を思い起こしてみると
なにかに秀でている人が多いような気がします。
感性が豊かというか芸術家、デザイナーや芸能人に多いような気がします。それは
何かの本能が優れているいるからなのか・・・・。
本能とは基本的に原生能力の感性なのでしょう。
ダイアモンドは原始その物でそこに魅力を感じるという事は原生能力を兼ね備えている
といことなのでしょう。
イチロー選手は『プレーには野生の能力を引き出すことが重要』と言っていた事がありました。
優れているという事は本能をどれくらい研ぎ澄ませるかという事なのでしょう。
そして、研ぎ澄ます能力のある人にはダイアモンドの何かを感じる事が出来るのか
もしれません。
バスが目的の停留所に着くころには一人納得して『基本的感性の刺激がダイアモンド
にはあるんだ』と妙な納得をしながら、駅の階段を上っていました。
2011年2月2日水曜日
ダイアモンドの4C
昨日、来訪した旧知の知人が
『ダイアモンドって4つのCで価格が決まるって聞いたんだけど、4つのCって
何ですか?』
4つのCというのはCarat(重さ)、Color(色)、Clarity(清澄度)Cut(形)の4っつ
を指し、其々のダイアモンドのグレードを現わすものだと説明しましたが
私自身がビックリしたのは自身が当り前と思っている事が以外と一般の人が
知らないという事でした。
『でもその基準というのはあるんですか?』
と知人
『勿論ありますが世界共通なものは重さと形ですね』
つまり、重さと形は機械的に測る物ですからどこでも同じですが、ある一定の基準が
あるとしても色と清澄度は人為的に判断しますので当然バラツキがあります。
ここで確認をしておく事は4Cで価格が決まる訳ではなく、価格の違いを説明する為の
目安が4Cだという事です。多くの宝石店や消費者の方にもそれを誤解している方がいます。
ダイアモンドの価格の決定要因の多くは原石(未研磨)の価格をベースに、研磨し終わった
状況での目視があり、取引所での取引価格があります。その上で日本であれば為替の変化
があり、さらに取り扱う会社がどのように販売するかがあり、さらに市場の状況があります。
その結果価格がついて同じように見えるダイアモンドの価格の違いを説明する為に
考え出された物が4Cグレーディングです。つまり4Cは後付けの理由ですので他店と
価格を比べても絶対的な価格比べにはなりません。もし、なったしたら有名ブランドの
ダイアモンドはとてつもなく高くて買えた物ではありません。
『4Cを書いて値段を書いたチラシを良く見ますけどあれはあまりあてにはならないと
いう事ですか?』と知人
『目安にはなりますが鑑定機関も沢山あり、どこのという事もありますよね。ただし、
グレードの表記がどうであれダイアモンドの品質が変化する訳ではありませんので
自分の目で見て綺麗であってその価格が納得できればそれが一番良いでしょうね』
『でも素人には何を納得して買えばよいかわかりませんよね』
と食い下がる知人
『それはやはり何軒も見て歩く事ですね。其々のお店の説明もあるでしょうし、印象も
あるでしょう。絶対的とは言えませんがやはり4Cグレードが一つの目安になることは
間違いがありませんからね』
『つまり、目安は目安として自分が納得した物を買えという事ですね。』
『そうです。素材としての要素もありますが、やはりダイアモンドは情緒的価値が
占める割合が大きいですからね』
『そうかア。人間関係も学歴、職歴ではなく人間性で選べというのと一緒ですね』
『そういう事です!!』
『ダイアモンドって4つのCで価格が決まるって聞いたんだけど、4つのCって
何ですか?』
4つのCというのはCarat(重さ)、Color(色)、Clarity(清澄度)Cut(形)の4っつ
を指し、其々のダイアモンドのグレードを現わすものだと説明しましたが
私自身がビックリしたのは自身が当り前と思っている事が以外と一般の人が
知らないという事でした。
『でもその基準というのはあるんですか?』
と知人
『勿論ありますが世界共通なものは重さと形ですね』
つまり、重さと形は機械的に測る物ですからどこでも同じですが、ある一定の基準が
あるとしても色と清澄度は人為的に判断しますので当然バラツキがあります。
ここで確認をしておく事は4Cで価格が決まる訳ではなく、価格の違いを説明する為の
目安が4Cだという事です。多くの宝石店や消費者の方にもそれを誤解している方がいます。
ダイアモンドの価格の決定要因の多くは原石(未研磨)の価格をベースに、研磨し終わった
状況での目視があり、取引所での取引価格があります。その上で日本であれば為替の変化
があり、さらに取り扱う会社がどのように販売するかがあり、さらに市場の状況があります。
その結果価格がついて同じように見えるダイアモンドの価格の違いを説明する為に
考え出された物が4Cグレーディングです。つまり4Cは後付けの理由ですので他店と
価格を比べても絶対的な価格比べにはなりません。もし、なったしたら有名ブランドの
ダイアモンドはとてつもなく高くて買えた物ではありません。
『4Cを書いて値段を書いたチラシを良く見ますけどあれはあまりあてにはならないと
いう事ですか?』と知人
『目安にはなりますが鑑定機関も沢山あり、どこのという事もありますよね。ただし、
グレードの表記がどうであれダイアモンドの品質が変化する訳ではありませんので
自分の目で見て綺麗であってその価格が納得できればそれが一番良いでしょうね』
『でも素人には何を納得して買えばよいかわかりませんよね』
と食い下がる知人
『それはやはり何軒も見て歩く事ですね。其々のお店の説明もあるでしょうし、印象も
あるでしょう。絶対的とは言えませんがやはり4Cグレードが一つの目安になることは
間違いがありませんからね』
『つまり、目安は目安として自分が納得した物を買えという事ですね。』
『そうです。素材としての要素もありますが、やはりダイアモンドは情緒的価値が
占める割合が大きいですからね』
『そうかア。人間関係も学歴、職歴ではなく人間性で選べというのと一緒ですね』
『そういう事です!!』
2011年2月1日火曜日
訂正と蛍光
先日、お知らせした『ホープダイアモンド』の放映時間を間違えてお知らせをしました。
1月29日の午後9時とお知らせしたのですが8時の間違いでありました。失礼をいたしました。
因みに再放送は2月8日の午前1時15分からといことなので録画でもしてみて頂きたい
と思います。
昨日ご来店なさったお客様から放映をご覧になり、「感動をしました」という御意見を伺いました。
一番の驚きはダイアモンドに蛍光性があるという事でホープダイアモンドに関しては「赤い色」
の蛍光色であった事にさらにびっくりしたということでした。
ダイアモンドの全てではありませんが蛍光性があり、その色は皆さんが御存じの「青色」を
中心に黄色、オレンジ色、緑色場合によっては赤色などの蛍光色がままある事があります。
ダイアモンドは他の物質と同じように原子から成り立っています。その原子核の周りには一定量の電子が回っています。その姿は小宇宙のようであり太陽にあたる原子核の周りを地球等の
惑星のように電子が回っている訳です。
その事にもびっくりなさっていましたが、簡単な理屈はX線や紫外線等が照射されると
電子がエネルギーを得て原子の外へ飛び出そうとしますが、物質が安定するために電子
が元々回っていた場所に戻ろうとします。その際にエネルギー発光を起こします。それが
蛍光色です。
ダイアモンドだけではなく他の鉱物も蛍光を発色するものがいくつかありますがダイアモンド
のように無色透明な鉱物で多色発光する物は稀だといえます。
ダイアモンドは以前にも書きましたが地球生成時に結晶してから変質しておりません。
他の物質は植物や生物が化石になったり石油や石炭みたいになったりと地球環境の
変化により変質をしておりますが、ダイアモンドは一定の状況を維持しております。
一番永く変化もせずに人類とともに歩んできたダイアモンドは大きく言えば何の役にも
機能的には立っていません。しかし、なぜ人類とともに現在まで存在し、ある一定の
価値を維持しているのかだれにも説明が出来ません。
そのミステリーの一端を見るという意味でも今度の放映をぜひ見てください。
1月29日の午後9時とお知らせしたのですが8時の間違いでありました。失礼をいたしました。
因みに再放送は2月8日の午前1時15分からといことなので録画でもしてみて頂きたい
と思います。
昨日ご来店なさったお客様から放映をご覧になり、「感動をしました」という御意見を伺いました。
一番の驚きはダイアモンドに蛍光性があるという事でホープダイアモンドに関しては「赤い色」
の蛍光色であった事にさらにびっくりしたということでした。
ダイアモンドの全てではありませんが蛍光性があり、その色は皆さんが御存じの「青色」を
中心に黄色、オレンジ色、緑色場合によっては赤色などの蛍光色がままある事があります。
ダイアモンドは他の物質と同じように原子から成り立っています。その原子核の周りには一定量の電子が回っています。その姿は小宇宙のようであり太陽にあたる原子核の周りを地球等の
惑星のように電子が回っている訳です。
その事にもびっくりなさっていましたが、簡単な理屈はX線や紫外線等が照射されると
電子がエネルギーを得て原子の外へ飛び出そうとしますが、物質が安定するために電子
が元々回っていた場所に戻ろうとします。その際にエネルギー発光を起こします。それが
蛍光色です。
ダイアモンドだけではなく他の鉱物も蛍光を発色するものがいくつかありますがダイアモンド
のように無色透明な鉱物で多色発光する物は稀だといえます。
ダイアモンドは以前にも書きましたが地球生成時に結晶してから変質しておりません。
他の物質は植物や生物が化石になったり石油や石炭みたいになったりと地球環境の
変化により変質をしておりますが、ダイアモンドは一定の状況を維持しております。
一番永く変化もせずに人類とともに歩んできたダイアモンドは大きく言えば何の役にも
機能的には立っていません。しかし、なぜ人類とともに現在まで存在し、ある一定の
価値を維持しているのかだれにも説明が出来ません。
そのミステリーの一端を見るという意味でも今度の放映をぜひ見てください。
2011年1月29日土曜日
ダイアモンドの楽しみ方
本日は楽しみな日です。
彼女のダイアモンドとの出会いは大学時代に母親からもらったダイアモンドの指輪
だったそうで、何気なく好きだったものが私との出会いにより、より身近な存在となった
時なり、その都度の大変な時期をダイアモンドに元気づけられながら乗り切ってきたと
言っております。
彼女曰く『ダイアモンドはアドレナリンをあげてくれると同時に、いつも一緒にいてくれる
感覚がある』のだそうで、ブランドのジュエリーをつけるのも良いけれど基本は自分の
ジュエリーをつける事が大事だと思っているそうです。
それは真にその通りで、ブランドのジュエリーにしても本来はオリジナルを造ることであり
ないしは自分の気に入った一点ものを求める事が価値で、それが出来ない人々が安価な
出来合いと言っては失礼ですが置いてある物を求めるという事だと思います。
ジュエリーは思い入れがあることが一つの価値であり、それは出来合いであれ、
オリジナルであれ、同じことが言えますが、オリジナルの方が思い入れが込められ
るのは間違いがありません。
実はダイアモンドがものすごく大好きな女性建築家であり友人のオリジナルネックレス
が上がります。
彼女はすごく楽しみにしていて約一カ月の期間で3~4回請求の連絡があり、
「まだ、上がりませんか?」、「早く上がることはないですか?」、「本当に楽しみ
にしているんです」等々の繰り返しでした。
彼女はいつも自分でアイデアを持ってきては一緒に考えて、オリジナルのジュエリー
を造るのが好きで、何よりもダイアモンドが大好きです。
今回は彼女のアイデアでステーションネックレス(チェーンの間にダイアモンドを
シンプルに止めた物)を少しマルチに使えるようにして、誰も持っていない物を造りたい
との申し出でした。
沢山のアイデアの中からブレスレットに使え、シンプルなチョーカーにも使え、そして
Yチェーンとしても使える物を彼女のアイデアにより完成させました。
だったそうで、何気なく好きだったものが私との出会いにより、より身近な存在となった
時なり、その都度の大変な時期をダイアモンドに元気づけられながら乗り切ってきたと
言っております。
彼女曰く『ダイアモンドはアドレナリンをあげてくれると同時に、いつも一緒にいてくれる
感覚がある』のだそうで、ブランドのジュエリーをつけるのも良いけれど基本は自分の
ジュエリーをつける事が大事だと思っているそうです。
それは真にその通りで、ブランドのジュエリーにしても本来はオリジナルを造ることであり
ないしは自分の気に入った一点ものを求める事が価値で、それが出来ない人々が安価な
出来合いと言っては失礼ですが置いてある物を求めるという事だと思います。
ジュエリーは思い入れがあることが一つの価値であり、それは出来合いであれ、
オリジナルであれ、同じことが言えますが、オリジナルの方が思い入れが込められ
るのは間違いがありません。
彼女のようにダイアモンドに思いを込め頑張っている姿を見ていると少しでも良い物
を提供しようとプロフェッショナルとしての本能に火がつく思いです。
勿論、其々のお客様に思い入れもあります。それは、当方のお客様がジュエリーを
本当に大事に思ってくれ、オリジナルを所望される方が多いからだと思います。
ダイアモンドを真に楽しんで頂ける方法は色々とありますが、ご自分でアイデアをお持ち
になり、御相談頂ける事が一番で、一緒に最初から最後まで製作に参加されることが
本当のジュエリーの楽しみ方だと思います。
何かの真似でもいいんです。
まずはそこからのスタートです。
大事なことは真の自分のオリジナルも持つ事の心地よさです。
さあー、エンジョイしましょう。
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