よく宝石やジュエリーを実質的な役に立たない無駄のようにいわれる方もいます。
確かに、無くても困らないとか、必要ではないとかいわれますが、本当に無駄なの
でしょうか?
もし、無駄なのであれば何千年も社会に存在しないし、高価な価格もつかないの
ではないでしょうか?
日本の文化で無駄のようなものは沢山あり、その視点が日本をここまで発展させ
来たのではないかと、私自身は思っています。
日本の茶道や華道の中や礼儀作法は典型的な無駄の世界であると考えますが、
その中の所作や雰囲気が心を和ましてくれたり、新たな気持ち持たしてくれたりと
人間生活に欠かせない何かを、そこに必要だからこそ生まれた道なのではと考え
させられます。
茶道などの動きや道具は正に無駄の権化みたいなものですが、それがもし本当
に無駄なのであればとっくに存在はしていないし、誰も興味を持たないと思います。
しかし、多くの場合その所作や流れに作法や礼儀を感じ人々にストレスを感じさ
せない行動に繋がっているように感じます。
確かに、アメリカンスタイルはファーストフードをはじめ合理的な面も多々あると思
います。しかし、立ち食いや歩き食いがはたして、周りの人々に不快感を与えてい
ないかというと必ずしもそうではありません。
T(時)P(場所)O(場合)を踏まえていれば、勿論どの様な行動も関係ないかも知
れませんが、残念ながら現代の日本にはT、P、Oを教える場所があまりなく自分も
全てを理解しているわけではありません。
無駄の文化はきちっと活用できれば人々に不快感を与える事もないだろうし、
人生その物に潤いも与えるだろうと思っています。日本の産業もその無駄な文化を
実用化し、製品に生かしてここまで伸びてきたのではないかと思います。
一見必要のない様なもの(多々ありすぎて)、例えばアニメだったり、フランス料理
にも取り入れられた食事のコースメニューだったりと生活に実質必要のなさそうな
ものが日本からは輸出されています。
無駄が如何に必要かという事を説くときりがないのでこの辺にしておきますが、
宝石やジュエリーどれぐらい人類の生活や進化に役に立ってきたかという事は口で
説明するより、歴史を振り返ってきた方が良いくらいだと思います。
無駄を理解することはイコール人生や生活の潤いであり、その理解度が文化度
を表しているのでは・・と思う今日この頃です。
それには経済的な余裕が必要なのかもしれませんが・・。
ジュエリーの発祥は実用品だった事も付け加えておきましょう。
0 件のコメント:
コメントを投稿