今朝、バス停で何気なく塀の向こうの梅の木を眺めていました。
(この寒い中でも花がもう芽吹いているんだなア・・)と思いながらボンヤリとみていると
二羽のメジロがその花びらを一生懸命についばんでおりました。
メジロは誰から教わるでもなく、梅の花をついばむという行動はいつのころから
始まったのだろうと考えながら、人間であっても生きる為に何かの行動を誰からも
教わることなく永遠と当り前のように続けてきている事に不思議に思い、考えるとも
なく、想いを馳せていると
『本能』という言葉が頭に浮かんだ。
広辞苑で『本能』をひくと生まれつき持っていると考えられる行動の様式や能力、
動物が外囲の変化に対して行う、生得的でその種に特有な反応形式。
・・・・と書いてある。
実際には生まれつきというよりも代々受け継いでいる遺伝子による行動、反応
という事なのだろうと思います。
本能とは人間にも勿論あるだろうけれども、それに代わる道具や仕組みがあると
その本能はどんどん退化をしてしまうのだと思いながら、人それぞれにその度合い
も違うのかなと思っているとバスがやってきた。
バスに乗り、車窓からジョギングをしている人を眺めているとついつい(この人は
走る事で基本的な本能を維持しているのかな)とか考えたりしてしまいました。
以前、ダイアモンドが人間にとってなぜ魅力があるのかという事を述べようとした
時にも答えは出ませんでした。
ただ言える事は過去の経験から『ダイアモンドが好き』という方を思い起こしてみると
なにかに秀でている人が多いような気がします。
感性が豊かというか芸術家、デザイナーや芸能人に多いような気がします。それは
何かの本能が優れているいるからなのか・・・・。
本能とは基本的に原生能力の感性なのでしょう。
ダイアモンドは原始その物でそこに魅力を感じるという事は原生能力を兼ね備えている
といことなのでしょう。
イチロー選手は『プレーには野生の能力を引き出すことが重要』と言っていた事がありました。
優れているという事は本能をどれくらい研ぎ澄ませるかという事なのでしょう。
そして、研ぎ澄ます能力のある人にはダイアモンドの何かを感じる事が出来るのか
もしれません。
バスが目的の停留所に着くころには一人納得して『基本的感性の刺激がダイアモンド
にはあるんだ』と妙な納得をしながら、駅の階段を上っていました。
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