今回の災害の画面を見て、津波の恐ろしさや地震の凄さを改めて感じた方も多いと思う。
何人かの方に尋ねられたのは
「財産の全てが流される様子を見て、瞬間的に持って逃げれるものはそんなにないと
思ったけれど、ダイアモンドはどうなんですか?」
勿論、この質問が多い意味も解ります。家などの財産が一瞬で消えてなくなる訳ですから、
不安にもなると思います。それに今回は何故か立てたばかりとか引っ越した翌日という人々
も何人かいました。
私がこの業界に入った頃1970年代に二つの大きな衝撃がありました。それまでは宝石は
単なる、装飾品の贅沢なものという感覚でした。
その一つはヒスイのリフォームです。その多くは
「満州から引き上げる時に持って逃げるれる物がなかったので必死でこのヒスイを持って
逃げたものよ」
といった満州から引き揚げてきた御老人達からのお話でした。
つまり、終戦直後ソ連軍の南下や中国軍の反撃により、日本へ命からがら逃げて来た時に
持って逃げることが出来る財産は限られていたし、逃げるのに目立つ物は持って逃げれる事
が出来なかった時にヒスイを懐に忍ばせ日本に帰ってきたという事で、その際ヒスイを
売って日本での生活の資源にしたという事です。
「これは、その時の残ったものなんだけど思い出がいっぱい詰まっているので作り変えて
持っていたいのよね」
これらの話題は決して稀なことではありませんでした。
もう一つは1970年代半ばから米国に渡っていて時の事ですが、渡米当初しばらく語学
学校に通っていた時の事です。
同じクラスにひと際年齢の高い老人がおられて、その老人がある日
「KAZは日本でダイアモンドの仕事をしていたんだってね。」
「はい、そうですけど…。」
この頃、ベトナム戦争も終わり、多くの南ベトナム難民が海外に流失しておりました。
「私は、ベトナムではそこそこのビジネスをしていたんだけれど、国から逃げる時に
持っていたダイアモンドを全部隠して船に乗り込みアメリカに渡って来たんだよ。」
「ヘエ~。そんなんですか。」
「アメリカに渡ってそれらのダイアモンドを換金して小さなお店を買い息子達と商売をして
いるんだ」
その頃日本でビジネスをしていた私にはダイアモンドを換金という感覚は知識程度でしか
持ち合わせてはいなかったので一寸驚いた事を覚えています。
以前はフランス領であった南ベトナムの人々にはとくにその感覚が強かったようです。
現在、日本では地金(金、プラチナ等)の値上がりに伴い、それらの換金とともにダイアモンド
の売買も多く行われるようになってきました。
ダイアモンドの換金度はまだまだ少ないのかもしれませんが昨年換金されたダイアモンドは
数百億円にものぼります。
色石に関しては地域性や時代性もあるかもしれませんが、ダイアモンドに関しては
世界中がほぼ統一価格を持っています。勿論米ドルが前提ですが・・。
現在の日本は円高も伴い世界でも量と質が伴いなおかつ価格が安いといった状況に
あります。投資になる場合もあるでしょうし、財産の保全にもなるかもしれません。
災害にあった時にその力を存分に発揮してくれる国境なき財産である、ダイアモンドは
想定外の最悪が起きた時には強い味方になってくれるという事も頭の片隅に入れておいて
ください。
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