ハードとソフトという言葉があります。
彼のスティーブ・ジョブスは『多くのコンピューター業界はスペックを争うがその時点
その争いは終わっている。ハードを争う事は次に何も生まない』と言っています。
その意味は良く解りますね。
彼の開発してきた物はソフトが引っ張ってきた物ばかりです。パソコンにしてもそれ
まであった物を如何に身近において生活の中に取り込めるかといった生活に同調す
る為のデザインをしただけであり、他の製品もソフトから考えられた物が多いと思い
ます。
そこでです。ダイアモンドですが、究極のハードの原形ですがそこにソフトが加わる
事により人類によって価値を高められてきたのです。
つまり、ダイアモンドは人間に必要な事を全て付加されてきた典型的なソフトの塊
ですからダイアモンドを造り出すといった人造ダイアモンドは工業用以外は意味をな
さないのです。
最近ペットやなくなった方の骨をベースにしてダイアモンドを造るといったビジネスが
話題になっていますが、この事に関しては如何なものかと考えるのはソフトを基にそ
のハードを造るという事においては、本来のダイアモンドの位置とは違うような気がし
ます。つまり、墓石をダイアモンドに仕上げましたといったダイアモンドという長年に渡
って創られた歴史を冒とくされた様な気さえします。
ダイアモンドは其々の人間の中にある情緒が価値として創造されたものです。それ
故にソフトというものは時代とともに解釈が変わるものではあるけれどもソフトという物
が人間の生活の中では欠かせないものであることも事実です。
ソフトは人類の進化の中では絶対的なものであるからこそ大事にしなければならない
物なのでしょうね。
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