東北太平洋沖地震が起きて早くも11日が過ぎようとしています。毎日TVを見るたびに
無名が痛みます。
自然の恐ろしさとともに凄さを感じますが、一方でこれらの災害や被害も大きな意味では
自然の中の営みの一つなのであろうと思います。
人間や動物は自然の中で進化をしていますが、それは常に環境に順応すべく変化する
のであって、自然の掟といったものに逆らってはいけないのでしょう。
動物の多くは生きていく為に進化しますが、人間は快適になる為に進化をしますが、
それは本来の進化ではないような気がします。以前にも書きましたが生きていくため
以上のものを手に入れようとするときに、自然は大きな打撃を人類に与えます。
戦争もそうでしょう。交通事故もそうでしょう。そして。原爆もそうだとうと思います。誤解が
あってはいけませんが、生きていく頃あい良く進化する分には被害も少なく済んでいるような
気がするという意味です。
槍で戦争をしている分には一度に何千人も殺せません。駕籠で動いている分には大きな
事故にもなりません。勿論これは極端な例ですが、この進化には何らかの制御が必要なの
でしょう。
人間には寿命というものがありますが、その中での個々の変化は成長ということになり、
それが人類になると進化という事になります。人間の生きている意味とは大きな意味では
自然な中で進化し、次の世代に繋ぐという事なのだと思います。
つまり、リレーのようにある種の成長をし、それをベースに次の世代に繋ぐ、この繰り返しが
人類の進化なのだと思います。ひと世代ひと世代の中での成長は頃あい良く繋げれば良い
のではないかと思います。
結論を言うと、進化と制御が一体となっていなければ自然に勝つことはできない。つまり、
「過ぎたるは及ばざるがごとし」といった進化は何事においても『負』のバトンしか後世には
渡せない。
自然は常に偉大です。人間の想像を超えたことを簡単に起こします。だからこそ過ぎたる
ことをする場合にはその手当も同時に行わなければなりません。
原爆が良い訳ではありません。しかし、原爆を考える時にはその手当になる事も同時に
考えなければなりません。そうでなければその被害を後世にリレーすることになります。
我々人類はリレーする物を選択しながら進化しなければならない時代にいるのでしょう。
それは自らに過ぎたもの保持しないことだと自然は教えてくれているような気がします。
そうすれば、買いだめにしても、災害での金儲けをその理に反している事が解るでしょう。
退化する物を少なくしながら進化する方法を後世にリレーしたいものです。
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