最近TVを見ていると中東問題や国内政治さらにニュージーランド地震さらにというか忘れかけられた
九州の噴火・・。
人間って不思議なもので新しく事件が起きるとすぐに前の事は当事者以外は忘れかけるが、それは人間だからなのかもしれない。
常に変化をすることが良い状況になるような気がしたり、幸福になるような気がするのでしょう。
しかし、人間は変化という名のもとに繰り返しを行う事が多いような気がします。
中東問題では民主化を叫び政権を崩壊させても、そこには混迷が待っている。リビアにしてもチュニジアにしてもイランにしてもイラクにしても・・きりがないけれど前政権を民主化を叫び崩壊させて
独裁になる事によりそこに安定が生まれ、それが不満になると再び民主化を叫び混沌が生まれる。
日本の政治にしても今起きている事は中東と無縁ではないような気がします。長い間の自民党の
独裁政治が崩れ、民主党になり今の混迷を迎えています。これは歴史の中の人類の繰り返しかも
知れない。
今は今回の中東の例にあるようにFaceBook等のネットによる広まりがキッカケになっているけれどここに少し疑問というか不安が生まれるのは私だけでしょうか?
本来、人間というものはそれぞれの生まれた環境や状況といったローカル的な影響によって物事を解決して歴史をうまく創ってきたと思います。そして、それらの違いを無視した時に戦争やもめごとが起きています。
今回の要因の多くはインターネットといったローカルではない新たな環境によって起きている事が
不安というか、首をかしげたくなることなのか自分でも良くは解りません。
つまり、人間は知らない事や覚えなくてもよい事があって当り前のような気がするし、だからうまく
行くこともあるのではないかと思います。日光に『見ザル、聞かザル、言わザル』というのがありますが世の中丸く収めるにはその方がよい事もあるのでは・・・・・。
勿論、変わることも大事だし、変える事も大事だと思いますが変わらない物を起点として物事を
考える事も大事だと思います。文化は一定のスピードで全てのローカルが進む訳ではありません。
インタ―ネットはある程度の進化をした文明の中で出来た第二段階目のもしくは第三段階目の環境だと思います。それが色々な場面で環境(未発達な)を扇動するような事に不安を覚えます。
新たな情報が正確に伝わり、誰が何処で見ても、聞いても同じ判断を出来る環境でなければ、
現状のインターネットの進化や変化に『本当にこれで良いのか?』といった疑問を持ち宅なるのです。勿論全ての人が同じ判断をすることなどあり得ませんが最低限の共通認識があっての判断と
いう意味ですが。
ダイアモンドの話になりますが何千年も人々の前にあり、何の変化もしないダイアモンドですら
見る人によって評価はまちまちです。しかし、最低限美しくて、硬くて、希少性がある事を皆が
認識しています。
ダイアモンドにはパーフェクトは存在しません。それはそれを見る人間がパーフェクトではないから
です。しかし、間違いなくダイアモンドは何ら変わらず存在します。
人間の環境には100%の人が受け入れることが出来なくても変えない方が良い物事を自覚し、
三ザルになることも時には必要ではないか。勿論、インターネットも人が作り出した物でもあるし、
進化の中では必要なものかもしれない。しかし、そこから得る情報は人によっては必ずしも正しい
とは限らない。
地球には今の人類以前にものすごく進んだ文化が存在したというような説がある。もしかしたら
それは真実で今の世界は滅びた文化への過程にいるのかもしれない。
人類の繰り返しの愚かさは歴史が証明をしている。しかしダイアモンドのような真実が人類には
必要な気がします。つまり『とどまる事』も選択値にあっても良いのではないでしょうか。
『戦争と平和』、今の常識で言っても戦争イコール不幸で平和イコール幸福ではない事は皆も
感じているはずです。人間に感情がある限り対立がなくなる事はありませんがそれを絶対条件
として変わらない物としてとらえることが平和への近道かもしれません。
変化をしないダイアモンドさえそれぞれに一致しては見えません。ましてや変化を続ける人類の
思いが一致する事などあり得ないでしょう。だからこそローカルが必要であり、その反対側にある
インタ―ネットの使い方には慎重でなければならないと思います。
民主化に次に来るのは独裁です。だからこそ変化には慎重でなければなりません。マイクロソフト
の独裁があったからこそ色々な勢力が出て民主化に向かっています。しかし、裏ではやはり独裁
の道を歩みつつある無国籍メガ企業があることも見ておかなければなりません。繰り返すんですから・・・・。
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