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2011年6月18日土曜日

始まりと終わり。

震災以降、反原発、脱原発といった言葉を耳にする事が多くなりました。

反原発派はとにかく原発反対、脱原発には緩やかに原発廃止とか、次の時代の
エネルギーの開発を模索するイメージがあります。

物事は誕生する事がいわゆる死滅へのスタート、言葉は強烈かもしれませんが
地球規模であれ生物レベルであれ、人類レベルであれ、それが自然の摂理である
事を前提として考えるべきなのでしょう。

人類は進化の為に色々なものを開発してきました。原発においてもそうでしょう。
多くの場合は快楽を求めての結果で、生存する為の進化ではなくなってきている事
には振り向く時間も必要なのではないでしょうか。

地球が生まれて、その中で進化をしてきたものは多くありますが、それはイコール
終焉への道程であることは避けがたい事実あり、終焉を速めている事なのです。

快楽を前提とした進化は終焉への道程を早め、生存の為の進化は終焉を迎える
時期を遅くする事野のではないかという事を伝えたいのです。

原発がある事により、世の中は便利になり、それを否定するものではありません。
しかし、人類の歴史を、地球の歴史を少しでも長くするか、太く短くするかは其々の
考え方ではありますが、我々が乗っている船は一つです。そろそろ結論を出さねば
ならないのではないでしょうか。

個人レベルでは、おいしくうまい物を楽な生活をしながら、太く短く生きる事も自由
でしょうけれども、大きな意味ではどちらかを選ばなければいけないのでしょう。

いずれにしても終焉へのアプローチは変わりませんから、もし細く長く歴史を刻むの
であれば、脱原発でしょうし、太く短くても快楽を選ぶのであれば、原発推進でしょう。

反原発だけでは答えにならない事も認識しなければなりません。エネルギーが生き
ていく上では必要な事も事実で、極論ではありますが寒くて凍え死んでも歴史は短く
なります。

節制しても快適に過ごす事は出来ます。既に始まっている歴史は終焉の迎え方だけ
が課題です。其々の考えが将来の為に何を残すのかを左右する訳ですから、大きな
気持ちでこれを機会に考えてみたらどうでしょうか。

ダイアモンドには変化がありません。皆さんの歴史を伝えていく大きな意味での歴史
の伝承師でもあります。こじつけのようですが周りに象徴として置いてみませんか?

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