クリスマス・イブの土曜日の昼下がり、颯爽とドアを開け店内に入ってきたのは
時々このブログでも登場する女流建築士の友人である。
『先日、展示会で見つけておいたペンダントを見に来ました』
今月の初旬に取引先の展示会に案内をして気に入っていた物をお取りし、改めて
見てみたいと来店をされた訳です。
『どうですか?髙木さん』
『いつもと雰囲気は違うかもしれないね』
とその際に同行をしなかった私が答えると
『デザインが変わっていて良いかなと思ったんですけどね』
『改めてみてみるとやはり、一つ石の方が良いかもしれないなぁ~』
とつぶやくと
『ところで、今回家の改装をしているんですけど、片づけていたら今まで買った
洋服についてくる予備のボタンがなんと靴箱の2つ分になっていたのよ』
『それはすごいね。それって何着分くらいなの?』
『数百着分にはなるわ』
『それはすごいね』
『そっこで私は考えたの。ストレス発散もあって買ったんだけれど着ていない物も
含めて、置く場所とか考えるとダイアモンドのコストパフォーマンスはすごい。』
『随分飛躍したね』
『いや飛躍じゃあないと思うわ。だって流行もないし、ずーっと使っている事が
出来るし、しまうのに場所はとらないし、後で造り変えだって出来るでしょ』
『確かにそうだけど、着るものも大事だからね』
『勿論そうですよ。でも娘にもあげる事が出来るし、いざとなったら価格は解らない
けど、売ることもできるでしょ。勿論売るつもりはないけど絶体的に価値があるわ』
『そう言ってもらえるとうれしいね。本来の価値を理解しているとお金を使うのだっ
ら何に使うかという事を頭において使うと良いからね』
『そうなんですよ。ストレス解消にお金を使うんだったら絶対にダイアモンドがいい
と思う。だって後悔がないから・・。』
『今まで使ったお金は相当になるなぁ~て、ボタンを見ながら考えていたら、ホント
に無駄遣いをしたな~と思いますよ。』
経験やキッカケで価値観が変わってくる事はままある事ですが価値が変わらない
物に価値を見出す事が成長なのかな・・と思いながら彼女の話を聞いていました。
価格を下げずに価値をあげる事は供給者が心掛けなければならない基本では
ありますが、消費者も経験を経る事により価値を理解し、価格を理解するという事
は市場や経済を潤滑に回る為には必要不可欠な条件である事を彼女の会話に
より大げさではありますが改めて感じた次第です。
価格を下げて市場を独占すれば結果的に勝利といった現代のグローバル経済の
まやかしにそろそろ社会も気がついても良い時なのかもしれない。グローバル経済
に向かっての規制緩和というものについては多くの経済学者も反省をしている現在
でもあります。
一人の勝利のために他の犠牲者はやむ得ないといった経済は決して健全ではあ
りません。未だにマーケットに支配率を目指す経済書を書いている若い経済エコノミ
ストもいますが内容を見てもあまりにも稚拙で出版社も良く出したものだと考えます。
価値を損なう市場理論はある部分では正解でしょうが全てではなくジャンルによっ
てへは市場原理が本来の価値を失わせることもあるのではないかと憂うこともあり
ます。
価値を守ることは価値を理解することから始まり、価値を守るためには市場原理
に身を任せるでけではだめだという事でしょう。
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