GWに久しぶりに映画を見ました。『プラダを着た悪魔』です。
ハリウッド映画の醍醐味を十分に満喫できる映画でした。20年ぶりの第2作なわけですが、主演のメリル・ストリープにしてもアン・ハサウェイにしても20年も時が経ったのかと思うほど色あせておらず、昨今のCGを使った作品とは違い、永遠のハリウッドを感じた作品でした。
作品の中では沢山のブランド品を着こなした出演者たちの立ち振る舞いやそれぞれのブランドがここぞとばかりに協力を惜しまない商品提供や演出の協力があり、皆がこのファッションのあふれた作品に何かを託しているようでした。
考えるに高度成長期からバブルにかけて、日本でも多くのOL達が仕事終わりのディナーに出掛けるためにブランドのスーツやドレスを着こなし、華やかな社会をそれぞれが演出をしていたような気がします。
現代のようにファストファッションがあふれかえり、彩もくすみ若い女性たちも何故かくすんだような社会を感じていては経済も回らないだろうと感じています。
以前であればジャージで街を闊歩し、ブランド店にそのまま入店するなどのエチケットを欠いたお客は殆どおらず、ブランドやお店に対してのリスペクトもありました。
一つの例がジャージを着てセカンドハンドのブランド品を持つという文化がいつ芽生えたのかを分かりませんが、大きな意味では現代の標語のSDG’sに一見即しているようにみえますが、本来のブランド品やTPOというものを理解をしていないまねごとのように見えます。
作り手や売り手の心を買い手が理解し、初めてブランド品というものの意味があります。作り手は決して想像をするような使用方法にはなっていないはずです。
しかし現実には多くのブランドにはファンドが付き、本来の作り手の製作意図や状況を無視し、売上主義に徹し、ブランドの製品も良いものだけとは限らない状況にもあるのです。
バブルの頃はOL達がブランド品を身に纏い街中を闊歩し、現代は欧州車が街中を走り回り、一見似たような現象にも見えますが、経済を一部決まった場所でしか動いていないことも感じています。
今回『プラダを着た悪魔』を見て感じたことは、やはり生活の中にあるお洒落さであり、昨今のお金の回り方にない華やかさを感じ、はるか昔の記憶が呼び戻されたような気がしました。
ブランドのステータスというものは、本来ステータスを持ち合わせた人々に寵愛され始めてブランドにステータスが生まれるものであり、ブランドを持つ事がステータスではありません。