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2011年6月27日月曜日

周りに見えるもの。

美しさを哲学的に考察すると、善であり、快さであると以前にも述べましたが、それは
心の問題であるという事なのですが、美しい物や景色を見ると心が安らぎ、気持ちが
豊かになるという事です。

なにが言いたいかというと目に映っているものが美しいと心が安らぎ、醜い物や乱雑
な物を見ていると心までそうなってしまうと先人が伝えてきました。
震災後の瓦礫を100日以上たった今もそのままにしている事がどの様な結果になる
のかという事を国や行政、特に官僚には考えてほしい。

まだ今は心をおらずに頑張っている精神で支えられているものがいずれはあきらめ
や心の荒廃に繋がらないだろうかと心配しています。

美しい景色や物を見る事は現代の日本でさえ忘れがちであり、心の荒廃が始まって
いるように感じるのはつらいものです。自然を見る事を忘れ人工的なデジタルグッズ
ばかりを見ている日本人は心が美しくなれるのだろうか・・。

現代の日本人の目に映っているものは、知らず知らずに快楽だけを求めた無秩序な
社会ではないのだろうか。

欧米諸国のメディアが日本の『スーパークールビズ』についてのコメントをしているが
現在日本で進められているそのファッションについてあまり肯定的ではない。
米国紙の2紙では過ぎたカジュアルさには抵抗があると書き、英国紙に至っては節
電の名を借りた堕落だと書いています。

過去の日本から見た米国などのカジュアルなフランクさはたまにマユをひそめざるを
えない格好だと思っていた。しかし、今その米国からさえも今の日本のフランクさとい
うか、堕落は如何なものかと映っているようです。

私達は、女子高生のアニメ的化粧や男子高生のだらしない服装に慣れ過ぎてはいな
いだろうか・・。それが当り前になり、それが目に映る事により心の中も本来の心の置
場がずれていないだろうか・・。

ダイアモンドを美しく感じる事が純粋にできる事と持てるかどうかという事を同じレベル
考える人が多い。しかし、それは違う美しいとは必ずしも経済的価値と同レベルには
ない。美しいと考え、その先に経済的価値があると思うのです。

目に映る物を美しいと思う心の大切さを改めて感じ、早く被災地の瓦礫を撤去してもら
うように願う次第です。

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