先日、取引先より新たなデザインの要請があり、コンセプトを離れない物を心掛け
ようとは思いつつも美しいと思えるようなものを創作したいと思いましたが・・・。
(最近美しいと思うようなものを見ていないなあ~)と考えながら街中を歩いてみると
自分が美しいと思うものが街中には全然見つからない事に気がつきました。
美しいという概念は哲学的には『善』であったり『快い』事を感じる心という事ですが
自分には美しさを感じる心がないのかなぁ…と思ったり。
しかし、今の街中に美しいと感じるものがあるのかな?・・とも思います。ましてや
皆もそれを感じるのかな?・・と思ったりもします。
機能的で合理的な綺麗なものはあるかもしれませんが、『美しい』と思うようなもの
はたして今の町中にあるのかなあ・・? 疑問符だらけです。
美しいと感じる心は皆それぞれだとは思いますが、昨日、旧来の友人でありお客様
でもある人が来店した機会にたまたま手元にあった5ctの2つのダイアモンドをお見
せしました。
彼女はダイアモンドが大好きで、決してグレード見てダイアモンドを買う事はありま
せん。自分が本当に美しいと思って心を動かされたものだけを購入します。
『大きくて綺麗だけど、心が動かないわね』彼女の言った一言は非常に胸に響きま
した。見た目の綺麗さではなく、心が動くものが『美しい』のだと感じ、哲学的にいう
『善』とか『快い』という事は心で感じるものであるのでしょう。
つまり、美しさを感じるには心にゆとりもなければならないでしょうし、感じる心が必要
なのでしょうね。
最近は忙しすぎたのかもしれないとつくづく反省しながらも、以前は忙しくても海外を
飛び回る機会は多かったので切り替えがもっとしやすく、其々の国に入る毎に見る
もの聞く物を素直に感じる心があったのかもしれない。心掛けなくてはと思う最近です。
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