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2014年12月31日水曜日

似非(えせ)????

 今年はSTAP細胞やら偽盲目作曲家やらなにやら怪しい地方議員やらとすべてを一緒くたにはできないけれど似非っぽさが記憶に残る一年であったような気がします。

 『似非』とは平安時代から使われている似てはいるが・・・とか、実態にそぐわない物とか状態を指す言葉ですが今年は正にこの言葉があってはまる一年だったと感じます。

 政治にしても社会の様相にしてもバーチャルといえば耳あたりは良いのですが、いわゆる実体のない物や状態がデジタルが進むことにより一層に拍車をかけているような気がします。過去の進化は、バクテリアが動物になってきたように自然による進化であったわけですが、現在の進化は人間によるもので、それについていく人とついていけない人に分かれてきます。

 自然が創り出した事実を受け入れる事やそれをいじらないことが本来の進化であり、本物なのではないだろうかと感じる訳です。人間の都合により行う進化は最小限で人類の生活に貢献出来得るかどうかがポイントなのではないでしょうか。

 
勿論今の進化を全面否定するつもりはありませんが、過ぎたるは及ばざるがごとしではありませんが、現在のSNS]にしてもゲームにしても人間の生活に必須であるのかどうか?逆にそれが中毒として必須になっている麻薬のような気がするのは私だけでしょうか?

 似非は麻薬のように常態化するとそれが必須になっていくことが恐ろしいのです。つまり、麻薬でもなんでもそうですが楽であり逃避である訳で、そこにどんな理由を付けようと結果的には生産性もなければ、実体もなくなり究極、廃人化していくような気がします。

 宝飾業界においても似非は蔓延っています。今年もいくつかの祭事に参加をさせてもらい、更にプロの方達へのセミナーを開かせて頂いて感じたことは、明らかに間違った販売方法をとっていても既に常態化しており、それを変える事が現実的ではないと思い込んでいる点です。

 お客様を見くびっている訳ではないのです。多くの宝石を商っている中堅どころは宝飾業の何なのかを分からずに、バブルの終わった後に入って来て、後始末のような苦肉の策で行っていたその場しのぎの販売を行ってきたところに入り、それが楽な方法なので常態化をしたところで身につけてきた知識経験なのです。

 現在多くなされているディスカウント商法は先人たちが作り上げてきた価値を切り刻むことにより出ている結果だという事に気が付く人々は少ないのです。自然の創り出した価値を磨き上げながら創り出してきた付加価値を再度構築することが出来なければ、切り刻むことの出来る価値自体がなくなってしまう訳です。

 宝飾業というものは自然の価値をさらに磨き付加価値を付ける作業を行う事で消費者の欲求を呼び起こす仕事です。腹の減った猛獣の前に餌を出せばすぐに食いつきます。しかし、お腹の一杯になった猛獣の前にはいつも食べさせられている物をおいても食べてはくれません。

 もう腹いっぱいの状態を作り上げてしまった(うんざりする様なディスカウント商法)状態では、いくらまやかしてみても食欲は起きません。もう一度、めったに食べる事がない興味を持つような盛り付けが必要なのではないでしょうか。

 過去には沢山の安売り店が潰れていきました。しかし、本物を守っている老舗は数百年と続いています。数百年を超えたビジネスをわざわざ潰す序章を続ける必要はありません。

 楽な道はいずれ楽をした体力では越せないいばらの道に行き会います。すでに出来上がっている道の上をさらに歩きやすくする様に尽力する方が明らかに現実です。似非で永代はあり得ないのです。

2014年12月26日金曜日

御用納め⁉

 本日、27日は多くの官公庁や事務方や工場関係の会社は御用納めです。無論、小売業や一部の特殊な業種のところは明日だったり、30日までというところもあるでしょう。大晦日もあるかもしれません。

 40年ほど前、まだ土曜日も半ドンの頃の話ですが、土曜のその日が丁度御用納めにあたり、私が勤務をしていた会社もその日が御用納めという事で仕事後御餅つきをやろうという話で盛り上がりました。

 当日、先輩の一人が千葉の大農家の息子という事もあり、臼と杵ともち米を蒸かすための鍋などをトラックで持ち込み、私自身も先輩から四斗の樽酒を用意しておくように言われ手配をしておりました。

 問題が起きたのは其れからです。実は届けが総務部にも上司にも行われておらず。その日は初売り商品の発送のために仕事が終わらない状況にありました。そこへ樽酒が届き、私自身が見つかってはまずいと思い、応接間に取りあえず、おいておきました。

 また、もち米の方も蒸す準備もあり、宝石部がいち早く仕事が終わったという事もあり、裏側の駐車場で準備にかかっておりました。しかし、間が悪い事に年末の挨拶に来た取引先を専務が応接室に案内をし、ドアを開けてビックリした専務は『なんだこれは誰の仕業だ?』というになって持ち込んでいた姿を目撃した人間が私が持ち込んでいた事を報告したわけです。

 私を探すようにと言われた、総務部の人間が餅つきの準備をしていた私を見つけて、
『専務が探しているよ。何をやっているのここで?』

『餅つきの準備です。』

『それはまずいんじゃあない?』

傍らで聞いていた宝石部の先輩が『とりあえず専務のところに行って納めて来い』という事で、何とか理由を言って、怒られはしましたが無事コモ樽をを奪還し、餅つき現場に持ち込みました。

 しかし、総務部の人間から話を聞いた総務部長が来て
『宝石部の皆さんこれは社長に見つかったらまずいので早々に片付けてください。』
と言いに来たのですが、一人の宝石部の主任が
『直ぐにやめますから、部長も樽酒を一杯いかがですか?』
と勧めると、決して嫌いではなかったその部長が
『そうですか。それでは形だけと・・。』
といってマス酒を受け取り飲み干してしまったのです。呆気にとられる私の横をそそくさと引上げ、しばらくすると先程来た総務部のスタッフが現れました。
『早めに止めてもらうように部長から言われてきました』とやってきたのです。
しかし、宝石部の餌食になったこのスタッフは諸先輩から勧められるままにやはりマス酒を飲み干してしまったのです。

 ここからがさらに悲劇です。1時間半ほどすると総務部長が慌ててやてきて
『皆さん直ぐに撤去をしてください』と真っ赤な顔をして怒っています。
話しを聞くと先程のスタッフが酔ったままそのまま帰宅の途につき、その途中の品川駅で泥酔の上失禁をして保護をされているという事でした。まして会社の名札を付けていたためにすぐに品川駅から連絡があったそうです。

 しかし、その頃には全社に知られる状況にあり、その後宝石部員が始末書を提出したことは想像がつくと思います。勿論、ここでは書けないことも同時に起きていたこの年の御用納めの日の事は生涯忘れる事はないでしょう。

 平和な日本であった高度成長期のとある会社の一場面ですが、この会社の宝石部は勢いがあったことは事実ですが特殊であったことは否めません。

2014年12月25日木曜日

クリスマス事情⁉

 昨日みえられたお客様の話です。もともとの当方のお客様の娘さんなのですが、以前から当店の事は知ってはいたけれど入る勇気がなかったのだそうで、今回はお母さまもよくみえていると聞いたので来店をしてみたという事です。

 商品を物色中に電話をどこかになさっていたのですが、電話が終わると
『この商品が良いと思って、主人に電話をしたらそんなので良いのかと言われました。』
と振り返りながらこちらに笑顔を見せると

 『本当はこちらの高い方も良いなと思っていたのですが、ちょっと価格が張るので手が出ないなと思っていたんです。』との事

 私が
 『それではお母さまにはいつもご贔屓にして頂いていますので、私の方も少しばかりのお手伝いをさせて頂きます。』

 『えっ‼本当ですかうれしいです。』
と満面の笑顔をこちらに向けていました。
『あまり大きなお値引きはできませんが・・・。』
と言ってお値段を提示すると
『もう一度主人に聞いてみます。』
と再度の電話・・・。

 『ありがとう』
と御主人に答えながらこちらを振り向き
『それではそれをお願いします。』

 お話を伺うと、6歳の息子さんがサンタさんをまだ信じていて、クリスマス・イブの夜には皆のプレゼントを居間のクリスマスツリーの下に置いてくという事を続けているのだそうです。しかし、だんだんと息子さんが自分のプレゼントしかないと不思議に思うので、ご主人や彼女のプレゼントを一緒に置いておくのだそうです。そして、ジュエリーが今回のご主人様からのプレゼントだそうです。

 この話を聞き、この家庭をの温もりを感じるとともに、お母さまが彼女に注いだ愛情が感じられるような彼女の人柄がクリスマスの聖夜をより温かなものにしているなぁ・・と感じたわけです。

 今から18年ほど前の12月の24日に私はデンマークのコペンハーゲンにいました。当時とは言わず北欧のクリスマスは日本ほどの華やかさもなく、地味で出張中の孤独をより一層味わうようなトラブルを感じていた私にはクリスマス・イブというよりは24日の夜という感じしかなく、遠くに見える世界最古の遊園地であるチボリ公園の灯でさえわびしく感じたものです。

 そのせいか私は皆さんほどクリスマスを楽しいとは思ったこともなく、当店のある自由が丘でさえ沢山のイルミネーションが飾られているのですが、終わった後を考えると・・・・。

 人はなにを経験してきて物事に対する考え方が決まるのかはわかりませんが、私にとってのクリスマスは仕事が忙しい事とあまり楽しい事ではないという印象があり、情けないものです。

 人様のクリスマスを楽しむ様相を外から見ていている事がよほど喜びを感じるような気がします。
 

2014年12月24日水曜日

内包物⁉

 本日はクリスマス・イブ、正確には日没から午前零時までということになるのですが、今年もではありますがなかなか盛り上がりません。盛り上がるものではないのですが・・・・。

 それはさて置き一昨日お越しになったお客様が、
『友人の指輪を見るとやけに光っているので、話を聞いたら意外と求めやすいお値段で、こちらのお店で求めたという事だったんですが・・。』

 そのデザインは0.7ctを3個並べたものだったんですが彼女はさらに
『あれは色が良いから光っていたんですか?』

私が
『お色は多少あったんですがテリが強い物だったんですよ』
と答えると
彼女は
『それじゃあ、キズがなかったんですね。』

 これらの疑問に答えながら、キズではなく内包物と言って人間でいえば個性みたいなものであるという事と内包物には色々な特徴があることを説明をしました。

 内包物には色々な形や特徴に合わせて名前がついていてそれを見る事で内包物が色々な物にも見えてくることはダイヤモンドに携わっている人間ならわかっている事ですが、一般の消費者は拡大をして見る機会がなかなかないので説明をすることになりました。

 フェザー、クリベージ、クラウド等々形に合わせて名前がついている事やそれぞれが見方によっては色々な動物や者に見えることや、内包物がある為にダイヤモンド自体が輝いて見えるものがあることを伝えると、
彼女は
『内包物があると品質が落ちるんではないんですか?』

 確かに品質が落ちるといった表現は間違いではありません。しかし、パーフェクトなものはそんなに存在しません、人間と一緒で個性というものがあります。テリというのもその一つで経験から言うと全体の三割程度がそれに当たりますが、それが全部美しわけではありません。また、内包物がないからと言ってテリや美しさを感じる訳でもありません。

 つまり、目に見える美観という物を満足させる要素が揃っていれば、必ずしもグレードのこだわる必要はないという事です。勿論、其々に予算がなければ完璧な物をもとめれば良いのですが、そうはいかないし、お金があったとしても必ずしも思うものが手にはいる訳ではありません。

 内包物は物によっては煌めきを多くし、物によってはダイヤモンドの中に色々な物語を作ってくれ、何よりもテリを出してくれるものもあり、ダイヤモンドの個性そのものです。フェザー(羽の形をしたもの)の構成によっては、それこそクリスマス・ツリーに見えるものやイルカに見えるものもあります。

 人間でいえばパーフェクトはそのものが欠点でもあると考えています。受け入れられる個性は必ずしも欠点ではない事をダイヤモンドは照明をしてくれています。

2014年12月22日月曜日

STAP細胞⁉

 STAP細胞が有るや無しやでメディアが騒いでいますが、最近では小保方さんを詐欺罪で告訴すべきではという内容の報道も出ています。本当に情けないと考えるのは私だけでしょうか?

 確かに彼女は科学者として未熟であったかもしれないし、軽率であったかもしれない。だとしたらその責任は理研の上層部にあると考えるべきで、彼女をユニットリーダーに選任したのは誰あろう理研そのものなのだから・・。

 有りもしないSTAP細胞なるものをでっち上げて2000万円以上の税金を投入したという事であるのなら、ほとんどの科学者は日本からいなくなってしまう事になるし、ノーベル賞が二度と日本人の手に渡ることはなくなってしまうでしょう。

 科学の研究というのは言うまでもなく事象を解明するために、仮想をして研究を進めていくもので結果的に正しかったという事もあるかもしれないが、解明出来ないこともある訳だからそれを責めていたならば、誰も研究をしなくなってしまうのではないでしょうか。

 暗黒というものは目が慣れてくれば見えてくるようになるかもしれないが、自然の現象は解明していかなければ進化にはつながらない。過去の進化は時間が進化をもたらしてくれたものですが、ここまで人間が進化をすると人間自身が解明をしながら結果を出さなければ進化はしない。

 しかし、これ以上の自然を無視した進化は必要なのだろうかと考えはしますが、今回の騒ぎの方向は明らかに間違っています。見えているゴルフの穴に一発でボールを入れるだけでも大変なのに仮の想定をして結果を出す作業をいたずらにニュースの材料にすることは如何なものかと思います。

 我々のように変化をしないダイヤモンドを扱っている者たちには、扱い方の変化はあってもダイヤモンドそのものが進化や変化をすることはありません。しかし、その変化は良い方に転がることはあまりありません。何故なら人間が扱っているから欲の方が優先するのでやむを得ないのかも知れません。

 科学者たちも中には名誉欲や金銭欲でやっている人もいるかもしれませんが、多くの人は研究をし、人間の役に立つことを前提とした研究をしているのだと考えます。時間が掛かり、成果が出ないかもしれない事に時間を費やするという事は生半可では出来ないだろうと思います。

 ダイヤモンドにSTAP細胞は存在しません。人間の色に染まる価値と変化だけです。それゆえに真面目に取り扱ってきたいものです。決して扱っている人間のまやかしの材料にはなってほしくはないし、それがダイヤモンドを永遠に輝かせる源になると信じています。

リフォーム⁉

 昨日、ショーケースを覘きながら店内をうかがっているようなご婦人がおり、声をかけると
『こちらに2カラットくらいのエメラルドカットのダイヤモンドはありますか?』
と答えてきました。

 ショーケースに並んでいるダイヤモンドの裸石をご覧になって立ち止っていたようです。
『実は宝石の展示会に行ってリフォームをお願いしたのですがそこに出ていた宝石やさんがいなくなったという事なんです。』

 お話しを伺うと展示会に行ったのだが欲しいものがなかったので、勧められて身に付けていたダイヤモンドのペンダントを指輪にリフォームする事になり、お願いをしたとの事です。
『しかし、ちゃんと警察なりに届けるか、主催をしていたところにクレームをすれば良いのではありませんか?』と私が訊ねました。

 ご主人に内緒だったので引き換えの券を目立たないところにと思っていてなくしてしまったようだという事でした。つまり、ご主人に気が付かれる前に同じようなものを用意をしなければならないという事でした。

 にわかには信じがたい話ではありましたが、リフォームでのトラブルはよく耳にすることではありますが、大方はオーダーしたものとは感じが違うけど、『しばらくの間してみてください』と言われたとか、『いやオーダー通りですよ』と言いくるめられたといった類のことでほとんど消費者が泣きを見ているという事が多いようです。勿論そのあとは消費者は二度とそのお店には戻らないのでしょうけど。

 当店も90%がオーダーという事もあり、お客様が思ったより良く出来たといって頂く機会が多いのですが、たまにちょっと違うような気がするという事もあります。その為に作成途中をご覧になるようにお勧めしたり、一度仮合わせをするようにしています。

 しかし、多くの宝石店さんや百貨店の宝石サロンではその場で制作をしたり、造りの解る担当者がいませんので、クレームを怖がり、リフォームそのものを受けないとか、積極的ではないところが多いようです。

 宝石そのものは耐久性が強い物で劣化や破損がしにくい(処理をしていない物)という前提にありますから、経年劣化をする周りの造りがある以上はリフォームは避けて通れないことなのです。

 リフォームに関してはお預かりするときの確認や出来上がりの時に無理に押し付けないという事は勿論の事、過程の納得や結果の納得が何より必要な事です。これ以上とうんざりされるくらいでも過度ではないと思っています。それが信用に繋がり評判になっていく基本の基であると思います。

 ましてや、持っていなくなるなんてとんでもない話ですが、お客様にご用意をしますと言ってお見せしたものはご予算が合わなかったようで、改めて無くなったダイヤモンドに思いが強くなったようでした。

 リフォームは宝石店の必須事項ですが、取り扱いをするのは販売をする以上に気を使います。しかし、業界の活性化には是非というものでもあり、それぞれの宝石店さんが真剣に取り組む必要のあることだと改めて考えます。
 

 

2014年12月21日日曜日

朔旦冬至⁉

 明日は19年7か月ぶりの朔旦冬至という事で、なんでも旧暦の19年に一度めぐってくる新月と冬至が一緒に来るという事で、新月は勿論満月に向かっての始動の時で当時は一年で一番昼間が短く、これから昼間が長くなっていくときのスタートという事で、どちらも躍進を目指すという時を差すという事だそうです。

 つまり、月は満月へ向かって、太陽は一番短くなった陽が伸びていくという復活の日になる訳です。昔からこの日に政や国家の繁栄を願って祝宴を行っていたそうです。神道の祭事などはこれらの宇宙物理学的な見地から色々なことが決められていた事は知られていますが、現代では忘れがちです。

 何事も力をためて飛び上がった方がより飛び上れるという事でしょうから理屈としては合っているので昔から仕事などや事業を思いついたとしたら非常に良い日だという事です。朝方が一番良いという事ですが明日であれば思い立ったことはやってみるには良いのかもしれません。

 占星術から言うと(私はよくわかりませんが)来年は思い立ったことをやるにはより良い年だそうで、スピーディーに何事も行う事が吉という事だそうです。これも今回の朔旦当時と重なっているのかもしれません。

 飛び出そうとか、やってみようと思う時にはジャンプが如く屈み込むことも重要な要素となりますよね。これは何事も準備が必要という事で、何かを目指すのであれば来年という事で、そのための準備を今からすると良いという事でしょうね。

 三段跳びではないけれどホップ、ステップ、ジャンプとどれも重要な要素ではありますがホップがなければステップはなく、ステップがなければジャンプもないという事ですから、仕事であれ、運動であれ、何事に関してもこの『朔旦冬至』のような時が必要で、昔から当たり前の原理を基本として、大事にしているのが良くわかります。

 明日が何かのきっかけとなり何かを成し遂げられることを祈ってやみません。
 

遠来の友⁉

 昨日、米国から20数年来の友人が娘を連れてやってきました。以前米国を主市場としてビジネスをしていたころに米国を彼に任せていたものです。

 彼は日本人なのですが、米国人の女性と結婚をし、現在も米国で暮らしているのですが、本当はその奥さんである米国人女性が友人であり、その女性から今度のこの人と結婚をしますと、彼とは奥さんの紹介で知り合いました。

 3人の娘を持ったのですが残念ながら離婚をしてしまいました。しかし、双方とも付き合いがあり、ましてや娘たちが慕ってくれていますので、ほぼ毎年日本にきたり、私が渡米したりと関係が途絶えたことがありません。

 人の運命とは解りません、双方を知っており、更に娘たちを生まれた時から知っているので複雑な気持ちですが、米国らしいというのか娘たちは両方の家を行ったり来たりしています。長女は母親の母校でもあるスタンフォード大学で脳医学を目指して勉学に励んでおり、次女も近くのカレッジに通っており、今回父親と来日した3女は頭も良く、末っ子らしい性格で、どの子も私にとっては可愛い娘たちです。

 父親は仕事をしながら、日本式のパン屋の開業を目指しており、その機会をうかがっているようですが、彼自身もプログラマー出身の優秀な人間で私自身の仕事を手伝ってもらうにあたり悩んだものです。彼自身の希望もあり、一緒に仕事を仕事をしておりましたが、残念ながらリーマンショックの際にやはり、ファンドが関与していた取引先が倒産し、それをきっかけに米国での仕事に幕を閉じました。

 彼は優秀であり、私との再度のビジネスを冗談ながら口にすることもあり、私自身も米国市場というのはまだまだ魅力的なところもあり、チャンスがあればと考えないでもありません。

 刺激を受けます。遠来の友というものは彼に限らず、時として自身に良い意味での刺激を与えてくれます。国内で求めているものが見つからなければ海外へと単純に考えてしまうほど新しい刺激を運んでくれます。彼自身も50歳という年齢を迎えても米国という事もありますが、未だに次のチャンスを狙っています。

 仕事というものは慣れ過ぎると、感性を鈍らせ、特に我々の仕事である宝飾品にとっては大敵です。とてつもなく希少な価値を持つものを、安易に取り扱う事に慣れ、いかに価値のない物かという印象さえも消費者に与えてしまいます。

 人間だけではなくダイヤモンドさえ遠来の友と呼べる事さえあります。以前にリサイクルジュエリーの査定を頼まれたときに、見覚えのあるダイヤモンドに出会いました。私自身が20十年前ほどにデザインをしたもので、多量な注文があったために手持ちであった1ctサイズのダイヤモンドを使用しました。そのダイヤモンドというのは中央に特徴的なガーネットと思われる、赤い内包物があったものです。

 見たときにデザインがそうであることもありましたが、すぐに解り、なんとなく遠来の友と久しぶりに出会ったような気がしました。勿論その時も刺激を受けそのデザインの復刻をしてみようと考え、新たなチャンレンジを試みたりもしました。

 いずれにせよ、刺激を受けるという事は気持ちにスイッチが張り、自らを震え立たせてくれるものだと遠来の友人には心よりの感謝であります。

2014年12月19日金曜日

格差の差⁉

 自身はそうではないのですが、仕事柄もありますが格差社会と言われる現状でその両方を見る立場にいると考えています。昨日、さるゴルフコンペに参加をし、感じたことなのですが、多くの参加者やそのゴルフ場に来ている人々の会話を昼食中に聞いていると、フェラーリの3台目を注文したとか、アストンマーティンの新しいのが来たから見てみないとか普通の会話として聞こえてくるのです。

 ゴルフコンペ自体は東京のすぐ隣の名門コースではあるのだけれど、それにしてもと感じました。更に前夜は以前通っていたスポーツジムが閉鎖をし、そこに通っていた人々との忘年会だったのですが、やはり諸先輩たちの会話はこの夏2ヶ月かけて、息子たちがいるヨーロッパを回ってきましたとか、今の楽しみはゴルフと海外旅行かな・・といった内容がほとんどです。

 ゴルフコンペの打ち上げは年末という事もあり、私は所用で参加をしませんでしたが横浜の水上レストランを借り切ってのパーティーでした。

 これらの人と接してみて、現在を景気が悪いと感じている人々との格差を感じ、この人々の下で多くの人々が働き、格差と収入の不満を感じているのかなとも考えました。現実には株高で一部の富裕層の懐が温まっている事の事実でしょうし、その株価というものが過去も日本という国を豊かにし、危うくさせたこともあります。

 しかし、国単位で考えると日本の豊かさは国を軟弱にするくらいのものがあります、勿論他の国では想像を絶する生活をしているところもあります。そして、戦争を継続している国もあります。しかし、それらの国はに日本より不幸なのかと考えると必ずしもそうも言えません。

 戦争とは平和という言葉は決して反意語ではありません。平和がイコール幸福なのかどうかという問題は、また別の話なのだろうと考えます。見た目で幸福かどうかを考えることはできないし、このいまある格差が必ずしも不幸とも限らないとも考えます。

 アベノミクスとは正に其処をついているのでしょう。一部の富裕層が裕福になることがあれば必ずその下の人々もそのうち裕福になる。韓国のように財閥経済ではないので独り占めはできないという事を前提にしているのでしょう。

 考え方には色々とあるでしょうし、どちらの面から物を見るかによっても違うでしょうが、私達のビジネスはそこを見定めながら行わなければなりません。やはり、宝飾品は色々な意味での成功者であり、さらにその感性を持っている人々のものです。残念ながら富裕層であっても車やゴルフ、投資に興味を持っている人々は経験上宝飾品を積極的には好みません。どちらかというと優先順位は低くなります。

 贅沢というものは決してお金をかける事ではないし、無駄遣いとは意味が違います。また、エレガントとは身に付けているものではなく、その人自身であることは皆も理解はしているとは思いますが、やはりお金があることは大前提となります。宝飾品はそういった方に向くものだと考えています。

 それゆえ、その演出が絶対条件であり、宝飾品の将来を考えるとステイタスを踏みじるようなものではなく、富裕層に対して、また次に来る富裕層に対して少しばかりくすぐる様な演出がある習慣を創造することが大事であると考えています。

 格差には色々な格差があります。やはりそこにも差があります。皆が皆お金を持ったからと言って宝飾品の方を向いてくれはしません。表面上では解らない富裕層の中にある最大公約数を求めての仕掛けも必要なのだと考えます。


 

2014年12月17日水曜日

イルミネーション⁉

 12月も半ばを過ぎ、街中がイルミネーションで賑やかさを演出しているようにも見えます。ただそこら中が明るくなると明りの有難みにかけるような気がしてきます。

 40十年ほど前に新宿の高層ビルラッシュが起き、それまでは暗いイメージのあった駅の西口側に高層ビルが立ち並ぶことにより、一躍副都心ブームがあり、そんな中三角ビルと呼ばれ脚光を浴びているビルがありました。

 1階のフロアにジュエリータウンと呼ばれる宝飾街が作られ、今では考えられない十数件の宝石店が軒を連ねておりました。連日、日本中から人々が訪れTVなどのメディアも来ない日はないのではというような状態でした。

 そんな中で一際目を引き話題になったのが、全長3メートルのクリスマスツリーでした。それは飾り付けが各店が持ち寄った宝石をあしらったもので、ジュエリータウンの中ほどの広場に設置をされておりました。

 総額5億円(当時の新社会人の給料が7万から8万円)のこのツリーは一番トップに20ctsのダイヤモンドをあしらい、ルビーやサファイアなどの宝石を各店が競って出店したものを飾ってありました。勿論全国から人々が押し寄せただけではなく、連日のニュースの話題でもありました。

 その中の一店舗に私が入社した会社のショールームがあり、トップに飾られた20ctsもそのショールームからの物で、華やかさが今でも目に浮かびます。多くの子供達が目を輝かせていたのは勿論の事、大人たちもカップルも同じように憧れの視線を送っていました。
 

 宝石が憧れであったことは、今でも変わらないし、宝石自体も何ら変わっているわけではないのです。ただ取り扱っている人々の考え方や接客の仕方が時代とともに変わり、展示会場の周知の中でクレジットを組み、テーブルの上に計算機を出し、大きな声で値引き説得をする姿は以前とは違ってきました。

 以前はクレジットを組み方が少なかったという事もあり、それらは別室の目立たないところにあり、交渉はいかにも優雅に、値引きの声は小声かテーブルの下で数字を出しておりました。つまり、憧れの宝飾品に似合わない状況はその場に表さないようにお客様に配慮を第一に考えていたような気がします。

 しかし、現在は、お客様の考え方も変わってきています。そんな特別な物とも考えていないでしょうし、それほど憧れているようにも見えません。結果的には多くのお客様の手の宝飾品が渡り、業界にとっても首の皮を繋いでいる環境もあることも事実です。

 これらの変遷がイルミネーションのように有難みを希薄するようになるのか、どうか?また、宝石の輝きを曇らせるのかどうか?結果は現実なのかもしれません。しかし、光の有難味は少ないほどあるような気がします。
 

2014年12月16日火曜日

ブラジル産ダイヤモンド⁉

 先日も書きましたが、ファンシーカラーダイヤモンドの価格の高騰が続いていますが、多くの場合、新しものより以前からあるものがオークションへという事になっているのですが、最近やけにファンシーカラーが出回っている印象を受けます。

 元々日本市場では価格は高くても評価が受けにくい物でした。ここ数年日本で売り出されたファンシーカラーが流失を続けていましたが外国人は日本での低評価を知っていましたからかなり安い値段で手に入れ海外での販売を行っていました。

 既に時効だと思いますので一部お話をしますが、30年少し前になりますが皆さんもよくご存じの予備校の理事長がファンシーカラーばかりを集めておられました。当時にして、約5億円ほどのファンシーカラーダイヤモンドを10個前後お持ちだったと記憶をしていますが、今の価値にして10億円前後で、なんだ2倍くらいかというなかれ、当時の為替相場が1ドル300円前後ですから、今の為替で計算をすれば6倍くらいになる計算です。ましてや当時はオークション価格ではなく小売価格です。

 最近では日本においてもファンシーカラーや大きいサイズを集めて将来を見据えている方達も増えてきましたが、日本のお金持ちも国際化してきたという事でしょうか?特に中東方面の資産家たちは将来の子供たちの為に(石油が枯渇時)グループを組んでファンシー買いを行っており、香港の市場を熱くしています。

 しかし、そんなにファンシーカラーは何処からくるのかというと実は多くの人々が枯渇をしたと思っているブラジルです。あまり多くのニュースにはなりませんが、それには理由があります。

 1725年ブラジルでダイヤモンドが発見をされるのですが、当時ブラジルを統治していたポルトガル王室が独占宣言をしており、一時はダイヤモンド発見により値下がりを恐れ、その前の主産国であったインドより輸出をしておりましたが、その後、改宗ユダヤ教徒を中心に移民が始まると、アントワープに向けて原石が運ばれるようになり、ダイヤモンドの主産国として名を挙げていきます。

 主な産地はミナス・ジュライス州、マヒア州、マットグロッソ州とあるのですが、特にミナス・ジュライス州は現在でも宝石の取引のメッカとしてブラジルの中心をなしています。その中のジアマンチナはDiamontinaと書きますがダイヤモンドそのままの地名が付いているくらい過去にはダイヤモンドラッシュの中心だった訳です。

 現在では宝石の鉱山や採掘は国からの免許制になっていますが、ダイヤモンドを目的とした採掘業者たちはアレキサンドライト等の採掘申請を行ってダイヤモンドの採掘を行っています。しかし、そのほとんどが違法です。それゆえ多くの場合は秘密裏に原石はエクアドルやパナマなどへ密輸され、インドやイスラエル等研磨地に運び出されます。ここにも多くのインド人やユダヤ人が活躍(暗躍?)している訳です。つまり、公になっていない理由がそこにあります。

 ブラジルでは勿論一部の白いダイヤモンドも採掘をされていますが、ピンクなどやブルー・グリーンイエローなども産出をされているようです。いずれにしても、ファンシーカラーのダイヤモンドヒーティングはさらに続く様子を見せています。ダイヤモンドである限りはバブルになることは考えにくいのです。何故なら耐久性がほぼ永遠だからです。他の資産を考えてみてください決して永遠のものはありません。

 これから再びブラジルがフォーカスされる機会が増えるかもしれません。
 

2014年12月15日月曜日

格差再来⁉

 選挙も終わり、自公の圧勝という書き方をしているメディアもあります。街頭のインタビューを見ていると、特に若い層が『投票に行かないのも政治に対する表現だ。』とか言っている事が気にかかる。

 確かに若いうちは格好をつけるのもあるけれど、これで一党独裁的な社会主義化が進むかもしれないとも危惧しています。勝ち組と、負け組とか格差社会という表現を現代は使っているが、今考えると私自身が社会に出た頃にはまだ今ほど情報もなかったといこともありますが、投票率も低く、常に自民党が勝利し、官僚たちが次々と政治家に鞍替えをしてした時代でした。

 あの頃の格差は考えてみると今以上の格差があったのだと考える事が出来ます。学生から最初に入った世界ですから当たり前のように考えていましたが、今になってみるとそうだったのかと考えます。

 日常的に数百万、数千万円の宝飾品が、そして時には数億円の宝飾品が売れる事が特別な事とは考えてもみませんでした。当たり前だったのです。しかし、一方で庶民が婚約指輪に0.1ct以下の指輪を購入するのも目にしていたものです。

 現状がこのまま進むと、この頃の再現がやってくるような気もしますが、今の宝石店には其れくらいの品物を集める力はないでしょう。高級時計の数千万円の物が売れているのはその前兆なのかもしれません。

 その前提としては、どこかにお金が偏らなければいけません。平等に分配という考え方にはならない方が宝飾業界には良いのでしょう。格差社会こそが業界の運命を左右するのかもしれません。
 

 負け組の人々が戦わずして、負けた今回の選挙は投票をした一部の団体の勝ち組に今後は社会が委ねられるのでしょう。業界にターゲットがはっきりしてきた今回の選挙だったような気がします。

 宝飾品は綺麗ごとを言わなければやはり成功者や金持ちのものです。多くの人々の手元に少しでもダイヤモンドを・・という考えでやってきたつもりもありますが、やはり価値のあるものは有償になることは当たり前の事で、そこにたどり着こうと努力をした人のみが得られるものが宝飾品なのです。

 勿論、心の底からそれを望んでいるわけではありません。

2014年12月14日日曜日

究極⁉

 昨日、リフォームの仕上がりを取りにご来店をして頂いたお客様と御来店のきっかけとなった話となり、彼女が
『存在は知っていたけれど、入りにくいお店と思っていました。』
と多くのお客様が口にする言葉を発し
『本当は私、色石のほうが好きなんですよね。でもこちらの店頭には色のついたダイヤモンドが沢山あるじゃあないですか。其れでついついお邪魔をしたんですよね。』

 お年のことを言っては失礼ですが、30歳前後の彼女はカジュアルな格好がお好きで
『私はいつも汚い恰好でふらついているので、どちらの宝石店さん行っても、百貨店に行ってもあまり、相手をされないんですよね。』
と大して気にはしていないけどと言いたげにお話しを続けました。

 彼女は色石が好きで、むしろ曇っているくらいの色がはっきりと出ている石が好きだと言っていたのですが、
 『こちらに伺って、ファンシーカラーのダイヤモンドをみていると。ダイヤモンドの輝きが色をさらに鮮やかに見せてくれるんだと感じました。』
と私自身がしてやったりと心で声を出しそうな言葉を繰り出してきました。

 自然の物は何かの対比があって更に彩が鮮やかになるものだと説明するとともに、ダイヤモンドのその典型で色があるから輝きが落ちるというよりむしろ輝きが究極のダイヤモンドの色を演出してくれるということを話をすると
 『私はダイヤモンドが輝いているだけでむしろ色をごまかしているものだと思っていました。』
と彼女、
 『そうではなくて人工的な光は確かにダイヤモンドの反射が強すぎてという部分もあります。けれども、自然光は本当の色を示してくれるし、自然の強い光はむしろダイヤモンドの力強さをアピールしてくれます。』
と私が言うと
『宝石の究極は輝くということが基本で色は二次的についてくるものだということですか?』
と彼女
『色は感性に訴え、輝きはときめきを与えてくれます。つまり、イルミネーションみたいなものでまずは輝きがあり、興奮をし、色を見て落ち着いてきます。』
と小生の持論の展開ですが
『ファーストコンタクトには輝きが究極で、色はその後好みにも影響をされるものです。だから輝きよりも色が重要というわけでないんです。宝石は・・・。』

 その後もしばし、年末オーストリアに行きオペラを観るという話や北欧のオーロラの話をし、最後には美術館よりも自然博物館のほうが好きという話になり、私自身もそのほうが好きですよと言うと
 『人工的なものより自然が好きなんですね。それでお互い頭を使うものより本能で感じるものが好きなんですね。』となり、年末の挨拶をしながら彼女は店を後にしました。

 実は前日にご来店を頂いたお客様とも同じような話があり、同じく百貨店の宝石サロンでは失礼な応対をされるといっていた方がおりましたが、それなりの経済力をお持ちで共通することは興味を持っている方向が違い、華やかのジュエリーよりも自然な宝石の姿が好きということでそれ以外にはあまり価値を感じないという方たちです。

 長い間このビジネスをしていると石好きの人はすぐにわかります。ついついお持ちになってほしくて利益を全くではありませんが、考えずに販売をして周りからヒンシュクを買うこともあります。

 本能で感じることの出来る感性は動物の原点だと考えているので、宝石を本当に好きな人には悪い人がいないと言う事と、必ずそれなりの価値がその方たちの周りに集まるという風に感じています。

 派手だけが好みの人の周りにはどうかと思うジュエリーが沢山集まっています。宝石は本能で感じ見ることが究極だと改めて考えさせられました。
 

2014年12月13日土曜日

税金⁉

 今年の注目ポイント一位は『消費税』だそうですが、年金資金や社会福祉に目が向いて、止むを得ないと多くの国民が思っているわけですが、前回の3%引き上げの資金の90%が公務員の賃上げと国会議員の歳費再引き上げに使われたことを考えるとさらに2%を上げて、何かの役に立つのかと考えます。更に公務員の年末のボーナスが16万円ほど上乗せという事です。

 確かに1000兆円を超える債務があることは十分に解っています。しかし、資産に触れてこないのは何故だろうと考えます。一説によると約850兆円の国家資産が我が国にはあります。それゆえに日本の円は未だに信用がある訳です。

 さらに言うと民間を含めた海外資産が200兆円、これは世界第一位です。さらにこの二年間だけで考えると円安によりこれらの資産は50兆円前後は増えたことになります。勿論、米ドルで換算をするとそうはなりませんが。

 その上でここまでの負債はなぜ増えたのだろうと考えてください。1000兆円越えの借金は過去のもので未来に対するものではないので、消費税を上げる事により、将来の年金資金になる訳がありません。勿論社会福祉にも回りません。それ以外で絞り出したほうがよっぽど利口です。

 前にもふれたことがありますが、借金の殆どが税金の無駄遣いとは言いませんが、政策の失敗によるものでリーマンショックでの損失の9兆円やグリーンピアの失敗の1兆何千億円を代表するように、役人や政治家の怠慢が多いのです。

 一方、世界でナンバーワンの相続税は50%からさらに上がって55%になろうとしています。欧州の一部の国にも相続税はありますが、あの米国では0%です。更に所得税の税率に関しても世界トップクラスの37%にもなります。その他法人税に関してもアメリカに次いで世界第2位の高さです。

 つまり、多くの資産家が海外に拠点を移すべく理由が整っているという事になります。以前大手サラ金の御曹司が資産を香港に移したという事で脱税騒ぎになりましたが、理解が出来るような気もします。

 庶民には関係ないと思わないでください。働いたり、日本に住所がある人々にとっては何らの形で持っていかれているお金です。消費税という本当はあまり大きな問題では無いところに目を向けられて最小限の批判で抑えられているように感じます。

 トータルからすると世界でも最も大きな税金を払っているのに恩恵が政治家と役人と公務員にしかないのです。さらに言えば政治家なり、役人と特別に近い関係のある人々という事になります。

 今回の円安においても株高においても増えた国家資産については一切触れていないのも気に入りません。不安を煽りながらお金を集める手法はツボ売りの宗教商法と一緒です。展示会でのパワーストーン売りなぞは可愛いものです。

 しかし、宝飾業界はやはりお金を持っている人々へのビジネスであることには変わりはありません。生臭い言い方になるかもしれませんが、お金を持っている人々にいかに価値のある物を理解して頂き、購入してもらうかに切磋しなければいけません。

 選挙が明日に迫りましたが、これ以上の格差を望むのか(宝飾業界に関してはこちらの方が良いが)、将来の国の姿を改めて考えるのかを決める時期なのかもしれません。

 これ以上政治家、特に役人にドラえもんのように、金の出る打ち出の小づちを預ける必要なないような気がします。

 ちょっと言い過ぎましたが宝飾業界の人々にはぜひこの意味を理解して頂きたいと思います。

2014年12月12日金曜日

市場開拓⁉

 1940年代に始まったシンジケートによるキャンペーンは1960年代に入り、日本にも広まり定着をしました。それは米国では給料一ヶ月分、日本では給料3ヶ月分という相場でした。これは当時の為替差による換算です。

 お解りだと思いますが、ダイヤモンドの婚約指輪の相場でした。このキャンペーンでもわかる通り、ダイヤモンドの価格は常にUSドルベースで考えられていた事を示しています。これらのキャンペーンは高度成長とも重なり、日本の文化ともなりました。

 この事がダイヤモンドの市場を押し上げ定着させていきましたので、当時の宝石商の名誉職というものは国会議員どころか大臣まで誕生をさせました。結果的にはそれなりの地位なりレベルの人々との交流も多くなり、市場の多くは富裕層に集約をされていました。

 現在よりも格差は大きかったのかもしれませんが、憧れのダイヤモンドには一般の人々も興味を持ち、さらに、成功をしたらとかボーナスを手にしたらとか一つの証としてダイヤモンドや宝飾品を見ていたことが宝飾業界の発展の要因でした。

 昨今では婚約指輪をダイヤモンドでと考える人も少なくなり、下手をすると婚約指輪さえも考えないという若い人が多く現れてきたという事を耳にします。

 本当でしょうか?

 実は結婚をしたくてもお金がないとか、他に使いたいとか、それこそ別れるかもしれないのに・・といったネガティブな気持ちが男性の中にあることが大きな要因だと考える人もいます。私自身もその事に関しては同感です。

 それでは今後という事になりますが、実際には多くの女性が宝飾品を持つことに対しては憧れを持っています。ただ現在の宝飾品そのものにはそのレベルの物が少ないように思われます。最初から高年齢を狙ったもの造りとかTPOを考えずにデザインをされたものとか、言ってみれば畑を作らずに種をまき、蒔いた種以外の実を収穫しようとしているように見えます。

 つまり、市場に文化を造り、使用場所を造り、そしてTPOにあったデザインを起こし、提案をするといった工程はやはり必要なのです。しかし、以前のシンジケートほど圧倒的な力を持った組織は存在をしませんので、これも難しいとなる訳です。

 現在格差があるといっても実際には勝ち組に所属をしている人々は大なり小なり存在をしています。例えば多くの金融機関や輸出産業のOL、そして何よりも公務員と定期収入と高所得が安定をしている人々も宝飾業界を活気付けるだけに十分な人々もいます。

 実際にこれらの人々へのアプローチは出来ているのかというと必ずしも出来ているとは言えません。まずはこの人々の習慣なり、関心事なりを分析するなりして、そこに対する企画なりがもっと必要なのではと思います。

 数十年前であれば今と環境の違うお医者さんや資産家はかっこうのターゲットでしたから、常にそちらを向いた企画が行われていました。例えば海外にご招待をしたりとか東京で普段では出入りの出来ないような迎賓館的な建物でのお食事会にご招待をしたりとか、宝飾業界も力を持っていましたのでそれなりのことが出来たわけです。

 その頃のようなパーティーや晩さん会的な事とは言いませんが、現在の時節にあったような企画はまだまだ沢山あります。まずは手を抜かずに市場造りをすることが大事なのではと考えます。多くの業者さんや催事屋さん達は市場を創造した経験がありません。過去の遺産にぶら下がったような事を続けていてはと危惧をしています。

 
 

2014年12月11日木曜日

数学の答え⁉

 今、数学少年の高橋広翔(ひろと)君が日本数検2級に受かり話題を集めています。君というより『ちゃん』と言った方が良いようなまだ7歳ですが、彼がこう言っていました。
 
 

 『数学は間違った数を入れても答えは出てくる。新しい数学を考えることが出来れば最初その数が間違っているかどうかが解ると思う。』
と無邪気に言っていました。

 最初意味が解らなかったのですが、明治大学の斎藤教授が
『算数や数学は日常生活にあり、数字はその代わりに過ぎない。』
と言っているのを聞いて、『アッ、なるほど』と感じた訳です。

 つまり、日常的に言われる結果が良ければそれで良しという考え方がありますが、視点を変えれば結果が出ていても、必ずしも正解ではないということを差しているのでしょう。

 7歳の少年ですから、日常的なその辺の大人の事情を分かっているわけではないのですが、斎藤教授の解説を聞いていると理解がしやすいと感じました。

 先日、私も参加をさせて頂いてる地方の展示会のお客様が将来オーストラリアに移住をしたいという事で、私が参加を予定していたオーストラリア大使館でのクリスマスパーティーに主催者の許可を得てお誘いをし、参加をしていただきました。

 すでに事業に成功を収めている方とは知っておりますが、運の強さにはビックリさせられました。彼女は一枚の参加者についてくるラッフルを片手に
『社長、私は運を試したいんです。だから、この一枚で私の欲しいあのオーストラリア産の高級シャンパンが当たれば良いんです。』
彼女の目の先にはラッフルの景品である高級シャンパンが一本燦然と輝いておりました。

 多くの参加者は入場券に付いてくる一枚のラッフルチケットの他にチャリティーを兼ねたラッフルチケットを購入し、人によっては30枚も40枚も手に入れる方も多くいらっしゃいました。因みに一枚500円でした。

 ラッフルの抽選が始まり進む中、順番に他の参加者が景品を手に入れるたびに『私は他のものはいらないから気にならない』と言い聞かせながら、とうとう最後のシャンパンになりました。

 『最後の高級シャンパンは・・・・。』と進行役をを務めていた俳優の柴俊夫さんがこちらの方を見ながら
『せっかく北海道からの参加ですから当たると良いですね。』と言いながら笑顔を彼女の方に向けておもむろに抽選箱の中に手を入れて引いた数字は
『64番です。どなたかな?』
彼女は満面の笑みを浮かべながら
『私です‼』
と大きな声。柴さんは思わず
『えっ、本当に?』
と大きな声。

 運というものは呼び込むことが出来るのか、どうかはわかりませんが何とも言えぬ気分でした。2百数十名の参加したパーティーでのことでした。

 こういったことも実は数学で答えを導くとこが出来るという事ですが、それを解くのが新しい数学という事になるのでしょう。

 彼女がそのあと言った言葉が気になりました。
『社長、宝石の展示会はああいう売り方でなければいけないんですか?』
『どうゆう事ですか?』
『私たちも商売をやっているので解ります。』
つまり、彼女曰く、わざわざ高い価格を付けて大きく値引きをしている事への疑念です。

 『お客様にはそれを喜ぶ人がいるかもしれないけれど、私は馬鹿にされているみたいで嫌だわ。』と最後の言葉。

 これは冒頭に書いた答えは合っているけど元の数字が間違っているという事に当てはまると思いませんか? つまり、売れるという答えは正解かもしれないけれど元の売り方という数字が間違っていると求める真の答えが出てこないという数学です。

 数学というのは検証するもので、答えを出すものではない。冒頭の広翔君の言葉はそれを差し、斎藤教授の解説はその考え方を説いたものです。それにしても身の回りに多くの数学があるものだとういう事と算数はそれ考える基礎を学び、数学でその考え方を学ぶ事で、決して数字を学ぶ事ではないと感じさせられた昨今でした。


 
 

2014年12月10日水曜日

値上がり⁉

 昨日、大手牛丼チェーンが値上げを決めました。食料品等も次々と値上がりし、これが政府の狙っているデフレ脱却というシナリオであるとしたら少しおかしいのではと思います。

 つまり、インフレに向かう事自体が悪いとは言えませんが、今回の値上げに関しては、多くの企業努力の結果で耐え得ることが出来なくなった結果なのです。それはコストが上がり利益を圧縮した中での値上げですから、何処も潤う事がない訳です。

 前回も書きましたが、以前であればこの理屈もあっていたかもしれませんが、それは日本に多くの製造業が残っていた時の話です。どのような形になっても国内の中での値上がりですから、国内のどこかが潤っていきます。

 簡単に言うと物価全体に上がった時に率を保っている分には利益の金額自体は上がります。しかし、今回の値上がりは企業努力の結果、利益率を減らしながらやってきた訳ですから余裕のある値上がりではなく生死をかけたものです。

 今回の値上がりがデフレ脱却の要素になっていると思っていたら大きな間違いだと考えます。つまり以前は材料や燃料のコストアップではありますが、加工費や付加価値益分は残り、利益率が同じ限り利益額は残ります。しかし、現在は完成品の輸入が多くなっていますので、円安にしても国内には一切の利益が残りません。

 値上がりは消費者を苦しめ供給者を苦しめ、挙句の果てに国を苦しめる結果にならねければと思います。かの財務大臣の言う『ほとんどの企業は潤っている』という言葉はないを差しているのだろう。自分尾知っている大手の企業を差しているのなら、もう財務大臣を辞めた方が良いのではないだろうか。統計で今回の円安で潤った企業はわずか3%にも満たない大手だけという政府機関の発表があったばかりなのに・・・。

 昨日のニューヨークで円が121円から一挙に117円まで上昇をした事を考えてほしい。決して日本の政策のせいではなく、他国の政策の方がより影響をすることを物語たっています。

 現在のダイヤモンドの値上がりは一部の特殊サイズとカラーだけですが、特徴として為替相場で考える事はやめた方が良いでしょう。あくまでの世界プロダクツと考えるべきで、以前であれば国内市場の8割近くを占めていた婚約指輪ですが国内相場での販売であり、為替相場は大きく国内メーカーの利益を左右していましたが最終市場にはそれほどの影響はありませんでした。

 現在は婚約指輪市場は大きく後退をし、市場全体としても収縮状態にありますが、前述のダイヤモンドに関しては財産保全やある種の投資を目的としたものですから、為替込ではなく取引通貨であるドルで考えておいた方が良いでしょう。

 ある意味では円安のために外国人バイヤーが以前より高値を出して、国内で買い付けを考えていますので、現時点では国内のダイヤモンドビジネスに良い風のように感じますが、実際には国内市場にダイヤモンドが少なくなっています。

 少なくなっているといってもやはり誰もが欲しがらないところに関しては余っています。これも以前のまやかしグレードのせいで実際に見て綺麗ではない物が多く残っています。改めて目で見て綺麗なものが一番良いという当たり前の事を感じます。そして、綺麗であれば値上がりはあまり関係がないといっても良いでしょう。

 なぜなら必ず欲しいという人が現れるからです。

 

2014年12月9日火曜日

総選挙⁉

 今月の総選挙も盛り上がらない中、またまたやってくれた感のある麻生太郎財務大臣。
以前から失言癖のある人ですが、今回の失言に関してはあきれ返ってしまいます。第一の矢『年金年金ってゆうけれど、子供を産まないことが問題だ。』第二の矢『金融緩和、円安で日本の殆どの企業が潤っている。もし、そうでないのなら経営能力がよっほど無いか、運が悪い。』さて第三の矢はどうなるのであろうと考えます。

 この人の脳味噌は何処についているのだろうといっても、この人を選んだ国民がいる訳ですが、本当にこの人が良いと思って投票をした人はどれくらいいるのだろうか?生まれながらの財閥育ちで初立候補で関連企業や取引関連だけで票を集めてきた人です。資本主義の典型的な政治家です。

 彼に幾ばくかの政治能力があれば別ですが、総理大臣にまでしてしまう国民の責任はやはり大きいのではと考えます。投票率が下がり、利権を前提とした人が中心に投票をしているのですから、いくら良心を持った選挙民が投票をしても結果に結びつきません。

 彼らが相変わらず当選するようであれば、このまま円安は進み、外資が多くを占める株価が上がり、日本の財産はさらに海外流失をし、国内でも資産家の資産はさらに増え続け、格差が広がり、多くの国民は役人と政治家のための税金を納めるために働くことになりはしないだろうかと考えます。
 

 私見ではありますが、一番言っている事がまともな野党は日本共産党だとは思いますが、彼らも本気で政権を捕ろうとは微塵も思っていません。思っているのであれば共産党の看板を下ろすでしょう。ロシアや中国などの共産主義の看板は既におろし、実質的には覇権主義であり、それこそ帝国主義的な彼らが対峙をしてきたはずの形式をとっています。古いイディオロギーを捨てる事が賢明でしょう。

 そう言っていると投票をするところがないという悲劇になり、諦めがちになりますが、方法として自民党が一番嫌がるのは共産党の躍進です。共産党が政権を取ることはひっくり返ってもあり得ませんから批判票として共産党を選ぶのも一つの投票意義があるかもしれません。

 AKBグループの総選挙は投票用紙をCDなどの購入により手に入れ、投票をします。此処こそが原点です。多くの国では600億を超えるといわれるような選挙費用は掛かりません。それはボランティアにより国民の参加により選挙が行われるからです。つまり、日本国民は自らの財布からCDを何枚も買うのにそれについている投票用紙を活用しない無駄遣いをしているようなものです。

 選ばれる人はダイヤモンドでなくてはなりません。ダイヤモンドに見えるブランドに付いたクリスタルガラスを購入している人たちばかりでは中身のない価値と見かけ倒しの見栄だけになってしまいます。ダイヤモンドには完全なものはありません。しかし、ダイヤモンドとしての価値は間違いなくあります。

 今世に出ているダイヤモンドは選挙で選ばれるよりも稀有な存在として市場に出ています。しかし、それを手に入れる事により間違いなく人に幸せなり満足感を与えてくれています。政治家はそんな存在でなくてはならないと思います。

 優秀な政治家は清廉潔白だとは思っていません。人間なのだから当たり前だし、政治家としての能力があれば良いのです。歌舞伎役者として素晴らしくても人間として如何なものかという人もいます。しかし、彼のジャンルは歌舞伎役者として皆を喜ばせることです。政治もそうです。

 ダイヤモンドもいい加減なグレードは影を潜めつつあります。それはグレードで販売をするところが減って来て、ダイヤモンドそのものの価値で販売をするようになったからだと考えています。

 政治は総論です。そして各論が行政です。各論に合わせた政治を行ってきた日本ではありますが過去の行政には総論がありました。皆の投票により、総論としての国の在り方を考えても良い時期ではないでしょうか。

 明日の日本を変える準備が出来るのは若者たちです。

 明日の準備は今日しかできません。

2014年12月8日月曜日

円安とダイヤモンド⁉

 小生の好きな言葉に以前にも書きましたが
『今日は昨日の明日、今日は明日の昨日。』
という言葉があります。

 これは別に4次元の意味でもなければ5次元の意味でもありません。単純に準備について語った言葉です。現在は過去の結果で明日は現在に過ごし方で決まるという事になるのです。

 現在円安が続いていますが、これは勿論先日の日銀緩和や年金資金の投資が大きな要因ですが、過去には円安により日本の経済が伸び、高度成長を遂げたことも事実ですし、円高によるデフレが起きていたことも事実です。

 しかし、現在はそうなのだろうか?  何のための円安なのか?

 輸出企業が良くなるといっても、現在は多くの企業が海外生産であるし、実際には国内でも架空の財務内容が少し良くなるだけで、グローバル企業となった大手にとってはあまり大きな影響はないはずです。

 ましてや実際にはここ1,2年で円の価値が海外的には2~3割減っているわけですから、誘導による円安ではなくて既に日本売りが始まっていると思った方が良いのではないかと思います。裏にはもっと姑息な意味があるのではないかと勘繰ってしまします。

 ここ数年、増え続けている海外資産。これは良い事ですが、一方で日本の資産家たちが資産を海外に移しにくくいなっています。これは封じ込めではないかとさえ思ってしまいす。

 ダイヤモンドに関しても以前の1ドルが80円前後の時には投資用としてのダイヤモンドを買い時として皆さんにお勧めをしてきました。現在ではその後考えると決して諸手を挙げてお勧めをするわけにはいきません。

 勿論ある程度の時間を考えたり、そのほかの対処を前提に考えるのであればまだまだダイヤモンドをお勧めしますが、今がその時かどうかは日本売りが始まった感のある現状ではちょっと待った方が良いような気がします。

 いずれにしても、現在の政治家や官僚のレベルで悪戯に相場をいじってほしくはないと考えます。今、国が変わろうとしているが、外的要因によって変わるのではなく自らの手によって変わっていく選択が必要です。

 将来の日本をどうするか?過去の選挙への無関心が現在の日本を創っています。
以前
 『投票に行かないのも意思の表現だ』なかなんといっている輩も多かったし、現在も多いのであろうと思うのですが、それは間違いです。

 現在の日本の姿は明らかに過去の国民の政治への無関心が作った姿であり、将来の姿は今の我々の政治への関心によって創造されるわけですから、増税による将来への備えも大事ですがそれ以前に将来を任せる政治家を選ぶのも大事なことです。

 選挙に行きましょう。意思を示しましょう。自分たちの未来は自分達で決めましょう。

 選挙に行きますか?
 

 国民辞めますか?
 

 将来を捨てますか?
 

2014年12月6日土曜日

年末のダイヤモンド⁉

 ダイヤモンドの値下がりが続いていています。
と言っても国内においては為替が円安の為にむしろ、上がっているように見えますが、それ以上に問題は現在の国内に本当にお金を持っている人にとっての買いたい物がないという事です。

 勿論、世界のマニュファクチュアの工賃が上がり、研磨を控えている事もあるのでしょうが絶対数が足りないはずなのに価格が弱い訳です。何故かというと以前のようにシンジケート一社が価格をコントロールしているわけではないことは何度も書いていますが、市場原理の行き過ぎた現象があるのだと考えられます。

 つまり、ダイヤモンドに関してはグレーディングシステムを見てもわかるように、シンジケートの作ったロジックで価格が構成されており、グレーディングシステム自体もそれに比例をしておりました。それゆえ、上がる時は全体的に上がり価格が停滞するときには全体的に停滞をしておりました。

 しかし、現在は多くのサプライヤーが参加をしているために、市場原理が働いており、必ずしもロジックが成り立っているわけではありません。つまり、需要の多いところは高くなり、需要が少ないところは価格が弱くなります。

 その結果、金持ちが望むところは少なくなり、庶民が買える範囲のところは経済の悪い時期は価格も弱くなります。つまり、現在のように格差が広がる状況にある環境が成立すると現在のように3cts以下が価格が弱くなり、5ctsUPや特殊なファンシーカラーのところは価格が強くなります。

 つまり、以前は多少のお金を持っている人も多くいたので3ctsと言えば十分な金持ちの持ち物でしたが、現在の金持ちにはスーパーが付きますから3cts以下には興味がないという事で、その結果として半端に値が上がったダイヤモンドのところには購入層の谷間が出来たといことでしょう。

 お金持ちは、将来のありそうなダイヤモンドにはお金を出しますが、半端なところにはお金を出さないという事です。しかし、庶民にとっては高根の花ですから価格が下がっているとはいえ手が出ないところなので結果的には価格が下がるという事です。

 クリスマスシーズンに入った米国ですが、売り上げは好調ですが利益を減らしています。感謝祭以降も以前ほどの急激な売り上げの伸びはありません。ブラックフライデーと言われるクリスマス商戦の初日は何時になく静かなスタートになりました。

 アメリカは伝統的にクリスマス商戦で売り上げの半分近くを売り上げますが(特にジュエリー業界)、今年は売り上げは上がっていますが、ディスカウントを含めた過剰な市場サービスのために
利益を減らしているところが多くみられます。

 値引きを前提と出来ないブランドや有名店においても設定プライス自体を下げたシーズン商品を提供し、やはり利益を下げています。一見好調に見える米国の経済状況ですが、ウオール街で働く、友人の話によるとリーマン前夜の予感がするそうです。

 現在の自動車セールの好調さの陰には、あのプライムローンが存在し、以前は住宅で行っていたクレジット方式を車に当てはめているようです。資本主義の元祖であるアメリカであるからこその環境ですが、慎重さが要求されます。日本においても最近の株価の値上がりは外資によるところが大きいので、巻き込まれることは十分に考えられます。

 結論から言うと、もしリーマンの再現が起きるとしたら、ダイヤモンドと地金は値が上がることになりますが、価格差はさらに広がりを見せる事になるでしょう。年末は過去にも何度かダイヤモンドの異常な値上がりが起きています。

 もう少しの注視が必要になるでしょう。
 

2014年12月4日木曜日

過程と結果⁉

 勝負の世界で『勝負には勝ったが、試合には負けた。』といった言い方がありますが、これは結果は良かったが、内容が良くなかった。つまり、過程が良くなかったという事になる訳ですが、ビジネスの世界では結果が全てという考え方をする人も多々います。

 勿論その考え方を否定をする訳ではないですが、ブランド品にも長く携わっていると『売れれば良い』という考え方は馴染みません。長い間業界においてもダイヤモンドに関してはグレードが出ていればよいという考え方をしていた人々も多かった為に怪しげなグレードも多く横行をしてしまい、結果的に大手の鑑定機関が閉じる事になったり、百貨店からはじき出されたりしてきました。

 ブランドについて述べた時に二つのブランドの話をしました。一つには米国型のシンボルマークとしての大手ハンバーガチェーンやフライドチキン系のブランド、あとは欧州や日本型の長い間時間を掛けて創り上げてきた『ノレン』としてのブランドです。

 つまり、本来のブランドはそこまで来た結果としての過程が認められてのものと先にマークとして創り上げ、広告宣伝やメディアを使ってのものとに分かれます。つまり過程と結果を区別したものです。勿論結果求めたものとしても過程として創り上げた先駆けがあってのもので、そこへ照準を合わせたものであることは間違いがありません。

 市場でいえば前述したように売れれば良いといい考え方から、危ない売り方をしているところもままありますが、宝石のように長い時間を考えるものには合わない売り方といっても良いでしょう。

 京都の老舗を例にとれば、漬物作りを長い間こだわりもって、同じ過程を経て、同じ材料を使い、手に入らなければ作らないといった哲学が消費者に認められて、数百年の歴史を築き、ノレンとして成り立ってくるのでしょう。

 これらをどのように考えるかは其々の生き方でしょう。しかし、結果オーライの仕事の結末のあおりを食うのが消費者であれば、いずれその結末のしっぺ返しが来ると考えます。その場限りや、でまかせ、まやかしの商売が全てとは言いませんが、結果だけを求めるビジネスはそういった類のものが伴います。

 スポーツの世界は結果が全てで良いでしょう。しかし、ブランドや宝石のビジネスは信用の構築の上に成り立っています。現在危ない宝石の売り方をしているところも過去に構築された信用の上に成り立っています。それを食いつぶしながらのビジネスはいずれボロが出ます。

 それまでに稼げば良いと考えるのも生き方だし、厳しくても頑固に哲学を守るという考え方も生き方です。どちらも肯定も否定もしませんが、結論としては『ノレン』というブランドは過程を大事にしてきたものであることを否定はできないだろうと考えます。

 一方、結果だけを求める手法は時短、合理的といった考え方ができる反面、大事なものを忘れなければいけないという面もあります。勿論、それぞれですが・・・。

 結果が全てという考え方は少なくても私には難しいかもしれません。

 

2014年12月3日水曜日

ダイヤモンドで伝えたい事。

 昨日、展示会場にて、先日お求め頂いたダイヤモンドのペンダントが出来上がり、お渡ししました。前回お会いしたときにお悩みが色々とあり、伺っているときにお顔が暗く感じたので、

 『ダイヤモンドは心のスイッチですから、気持ちを切り替える意味でもダイヤモンドを身につけることを考えてみてください』といった類のことをお話をしました。

 色々とお話をした結果、オーバル型のダイヤモンドをお求め頂き、プチペンダントを作成する事になり、その時はお喜びになり、お帰りになりました。

 今回出来上がりを取りにおいでになったのですが『来るまでの間購入したことはうれしいけれど初めてのダイヤモンドで高額品を自分で買うのは初めてなのでドキドキしながらきました。』とおっしゃっていました。

 普段はパートをしながら過ごしていらっしゃる方なのですが、収入に見合う事なのかどうかを悩んでいたようです。

 出来上がりのペンダントを手にされたお顔はいきなり輝き初めて、私に促されて試着をしてみると
『ワ~、すごい気持ちが盛り上がります。』
と言いながら鏡に見入っていました。

 実は彼女と前回お話をさせていただいたときにお顔が曇り、なやみを抱えているような雰囲気をしておりました。実際にダイヤモンドはお顔のレフ効果がありますので、その事には触れずにお勧めをしてみたのです。

 『社長、実は私、この間来た時には親戚のことで悩んでおり、どうしようかと思っていたんですけど、社長に勧められたので買ったんですけど、買ってよかったです。』
とのこと。

 前回お勧めしたときに感じたことを話し、今身につけたときのお顔とは雲泥の差ですよと伝えると、すごく喜び、
『支払いの心配をしていたんだけれど、今はサアー頑張って働こうと言う気持ちです』
とお話になり、晴れ晴れとしたお顔をなさっていました。

 『身に着けてみるとテンションがあがり、何で悩んでいたんだろうと言う気持ちです。』
と高揚をしっぱなしで
『実はダイヤモンドは購入したときの喜びよりも,その後のほうが益々上がるというお客様が多いんですよ』と伝えると首を立てに振りながら満面の笑顔を浮かべておりました。

 その場限りの言葉ではなく、裸石のままでお求めになる方たちは実際に購入後に喜びを伝えていただくことが多く、そのことも私の喜びのひとつになっています。

 たった一つのエピソードですが、私がダイヤモンドを通して伝えたいことの意味をご理解していただき、私自身が幸せを感じた一場面でした。

2014年12月2日火曜日

本質と擬似!?

 物事には本質と擬似があります。言葉としての表現としてはあってはないかもしれませんが、今度の衆議院選挙を見ていてどうしても合点がいかないものを感じます。

 何故だろうと考えると政治家が変わって国政が変わるかどうかということです。戦後の復興の際にはとてつもない原動力となった行政の力が変質をしてしまっているのではないだろうか?

 多くの国民が思っていることではありますが、政治家変わっても日本は変わらないという感覚です。これは悲しいことですが政治家は表面上の現象で、本質的には役人が日本を動かしているということです。

 そして、留まっている水は必ず腐ります。行政改革が叫ばれて数十年になりますが、いつも改革半ばにしてなし崩しになります。何故だろうと考えたときにやはり役人が国を動かしているからだろうと考えます。そして、それがわが国の本質であり、その本質が変質をしてしまったということでしょう。

 一見政治家が色々な政策を出すごとに政治が動いているような気がしますが、実際には先送りにしたり、廃案になったとしても大きく日本が変わった意識はありません。政治が本質的な改革の役に立ってはいないからだろうと考えます。つまり、今の政治は単なる疑似なのです。

 現在の多くの業種にも感じることですが、表面上の結果を求めるあまり、それぞれの業種の本質的な役割を忘れたり、その業種であるからこそやってはいけない手法を使用したりといったことが目に余ります。

 
 宝石の価値観はいつも書いていますが、大半は付加価値観です。その付加価値観を演出するのが宝石商の役割であり、信用ですが、業界に多くの祭事屋さん達が参加をするようになると擬似宝石商が展示会場に多く現れてきているような気がします。

 保証の出来る内容ではないことに保証という言葉を使用したり、絶対という言葉を連発したり、消費者の決定要因に左右するような言葉に根拠のない一言を多用したりと傍で聞いていてハラハラするやら怒りを覚えるやらで、嫌気さえ感じます。

 本質については『ノレン』(ブランド)について、述べたように本質的なこと、つまり変わっては本来の価値が無くなり、意味が無くなる内容を変えてはいけないのです。宝石に関しては信用が全てですから疑似的手法を使ってはいけないのです。

 二重プライスなどもその典型的な例ではありますが、セールストークの内容次第では詐欺にも値するようなことになります。実用的に使うものではないだけに慎重でなければなりません。

 国のあり方にしても。仕事のあり方にしても、目指すものは本質に沿っていなければそのこと自体に意味が無くなります。つまり、各論は総論に沿っていなければいけないということですね。

 
 

2014年11月30日日曜日

格差!?

 以前にも書きましたが、格差が止まりません。日銀の金融緩和と年金資金のバズーカ2連発はますますの格差を生み出しています。場所にも寄りますが不動産と株を持っている人だけに向いたこの政策はお金がお金を増やすという結果になっています。

 あのリーマンショックで年金資金を9兆円、あのグリーンピアで1兆数千億円失ったことは誰が責任を取るともなく過ぎあったことを忘れてしまったのでしょうか。今、米国では第二のリーマンの前夜といわれているときに、考えられない愚行なのです。

 円安は輸出にとって良いといっていますが、あくまでも数字上のものですが現金で持っている人は日本円の価値がそれだけ無くなったという事も忘れてはいけませ

 安陪政権が誕生以降1000万円以上の所得者が17万人増え、200万円以下の所得者が30万人以上増えた結果をどう捉えたらよいのだろう。母子家庭の6割が190万円以下の所得であることも疑問になるところですが、教育を受ける事の出来ない子供の数も増えています。

 皆が中流家庭と思っていた過去はもう夢の夢で先進国の中では最下位の子供の状況は単に政治の問題だけではないのですが、基本的には国の考え方が今のような若い親や戦後世代の考え方を作ったことは間違いがありません。

 勿論、資本主義の社会ですから勝者、敗者が出来ることは仕方がないことですが、社会主義的な運営もしてきたわが国ではバランスが良かった時代にはそれが機能をし、世界でも自慢の出来る国であったことは間違いがありません。

 役人が世界の中の日本を考えていた時代、政治家が自治をきちっと理解し、情熱を持っていた時代は本当に伸びたと感じた時代でした。今は役人も政治家も私利私欲で動き、責任をとることは微塵も考えてはいなく、公僕と呼ぶにはあまりにも愚劣な人種であるような気がします。

 勿論、官僚、役人は勝ち組ですが、これも変な事で、資本主義の中にいながら責任を取ることのないものが勝ち組で、これではまるで社会主義の国と同じで、いずれ滅びるということになるのではないかと思わざるを得ません。

 それでも今の若者たちは政治に参加をしようと思わず、不満と不信とストレスを社会に向けています。それを向ける先は選挙であり、まずは国民としての責任を果たすことでしょう。民主党の悪夢があるとはいえ、国民の参加で政権を変えた事実を忘れてはいけません。

 ダイヤモンドの世界でも、同じような現象が起きており、庶民用のダイヤモンドは値が弱く、資産家用のダイヤモンドに関しては以前にも書きましたが天井知らずです。

 本業はダイヤモンドですのでダイヤモンドに関して言えば、上手な扱いを日ごろからアドバイスをしているつもりですが、実際にはその方達が売ることを目的に購入をしているとは考えられません。結果的に損をしたと感じず、やはり買っていて良かったと思っていただけるところをご購入して頂いているつもりです。

 現在のダイヤモンドの世界の格差は短期的に見た場合であり、長期的に見れば総合的に購入をして頂いて損のないものをアドバイスさせて頂いています。それは経験と歴史、データーで考査をするとおのずから出てくる答えがあります。

 格差は自由主義、資本主義を是とする以上はやむを得ない経済を人間は創ってしまった訳で、それをどのようにハンドリングをするかです。

 例えば、分配方法を考えるとかいった政治力を創る民衆の力とか、知性と理性と責任といった当たり前のことを当たり前に考える力が今必要な気がします。

 ダイヤモンドビジネスを考えるとこのバランスはうまく取れていて、多くの金融がダイヤモンドの仕組みから出来上がったことを忘れないでほしいのです。このことに関しては近いうちに書きたいと思います。

2014年11月29日土曜日

ボジョレーヌーボー⁉

 昨日、一週間遅れのボジョレー・パーティーを店内にて行いました。多くの客様が入れ代わり立ち代わりお出でになり、早い方は3時半頃からで最終的には9時を回る頃まで皆さんには楽しんでい頂きました。

 ヌーボーワインを少し多めに頼んでいたのですが、ボジョレー・ヌーボーの中でもボジョレーの評論家でもあるGEORGES DUBCEUF(ジョルジュ・デュブッフ)氏のチョイスのものが好みでいつもそれらの中から選んでいます。

 ボジョレーには際立ったワイナリーが少ないのですが、その年の収穫したブドウの出来具合を確認するための試飲用ですから正直ワインとしてあまりおいしいとは言えませんが祭り好きの日本人にはちょうどクリスマスまでの繋ぎに格好のイベントかもしれません。

 特にバブルの時に盛り上がったイベントではありますが、当方のように顧客相手の商いをしているところには格好の機会であると利用をさせてもらっています。お客様にとってもお求め頂いたジュエリーを身に付けて頂く良い機会でもあり、それぞれが見せ合い、自慢しあい、褒めあいと和気あいあいとするには丁度良い機会だったと思います。

 最近では、お客様のライフスタイルもカジュアルになり、なかなかこのような機会がないと参加して頂いた方達の中からも声が上がっており、できる限りはこのような機会を増やたいと考えています。

 また、一年に一度のストックショーを行っていた最中はいえ、数人のお方が勢いもあったのかもしれませんが、ご購入をして頂いたという予定をしていなかった余禄もついてきました。

 お客様から
『普段はあまりお値引きがないから以前から狙っていたものがある時は良いわね。』
といった声もあり、良い機会だったと思っています。

 当店では一年に一度だけ商品を入れ替える前に、欧米風に常連さんを相手に軽食を出しながら全商品を対象にお値引きをさせて頂くストックショーなるものを開催しています。今年はたまたまボジョレーと重なり、別々のイベントではあったのですが結果喜んでいただいた良かったと思っています。

 クリスマスの前であったこともあり、本物のモミの木でデコレーションをしたクリスマスツリーが雰囲気を盛り上げてくれました。

2014年11月28日金曜日

奇跡⁉

 今度の日曜日に『ハヤブサ2号』が打ち上げられ、52億キロの旅に出かけます。直線距離にして約3億キロの旅は、前回のハヤブサ1号のような物語と奇跡をもたらすのでしょうか?それとも人類の計画通りに何気なく帰ってくるのでしょうか?

 人類というより生命の起源を探し求めての旅立ちですが、果たして何かを持って帰るのでしょうか?生命の起源は他の惑星から来たアミノ酸であるという説が多くを占めていますが、もしそうであるならば、アミノ酸が将来に宇宙へ自力で旅経つという事になりますが、それを実証した時点で起きうるべくして起きたことになりますから奇跡と言われた人類の誕生は奇跡ではないということになります。

 広辞苑では『奇跡』とは既知の自然法則を超越した不思議な現象で常識では考えられない神秘的な出来事となっていますので、人類が解明したことは如何なることでも奇跡とは呼べなくなります。しかし、時系列を追っていけば殆どの事が奇跡ではなくなっていくことでも、過去に起きていない現象や確率的にゼロに近い現象が起きることはやはり奇跡と言って良いのでしょうか。

 ハヤブサ2号は52億キロの旅に出てわずか900mの直径しかない惑星に着陸をする訳です。これが一般人の常識的から考えれば奇跡というほどの100メートル先から0.01mmの的に矢を射るようなものですが、プロたちからすると90%以上の確率を前提としているので奇跡でもなんでもありません。

 しかし、それらの理論の展開ではすべてが可能なように感じますが、不可能なことは確かにないのでしょうが、実際には確立として低い物を奇跡と呼ぶのでしょう。

 そこでダイヤモンドの話ですが、現在世界に宝石質のダイヤモンドで1ct以上のものは200万個ほどあるといわれていますが、これを多いと考えるべきでしょうか?世界人口が間もなく70億人に達するといわれている地球上では3500人に一人の割合で1ctが当たることになりますが、実際に購入可能な人という事になると約254,000人に一人の割合になります。

 これが、好みとかそれぞれのジャンル(形、品質、サイズ等)で分けると多分1千万人に一個くらいの割合になるでしょう。そうするとLOTO7で八億円が当たるような確率です。これが好みの物を手にするという事になるとまさに奇跡です。

 ダイヤモンドとの出会いは『一期一会』と常日頃言っているのはこのような現象を考えての事です。非常に屁理屈な展開ではありますが、それくらいの奇跡を導いていること考えて販売を心がけたいものです。奇跡の地球からの贈り物ですべての人の手に届くわけではないのですから・・・。

 何はともあれ『ハヤブサ2号』が奇跡とならないように祈っています。

 

2014年11月27日木曜日

ブルーダイヤモンド記録⁉

 先日、9.75ctsのVVS‐2、ファンシー・ヴィヴィット・ブルーのペアシェプがオークションのレコード価格で落札をされました。ペンダントになっているもので価格はUS$32,645,000(日本円約38億5千万円)もしくはUS$3,45,205/ct(日本円約4億円/ct)での落札です。

 過去最高の落札価格ですが、昨年5ctsの同じ内容のものが9億5千万円で世間を騒がせた事を考えると、わずか一年でのこの価格は驚異的と知ってよいでしょう。

 いつも書いている通り、一般的なダイヤモンドの5cts未満の値動きから考えるとかけ離れた話であると同時にダイヤモンドの世界の特殊な物のバブルは当分落ち着きを見せそうにありません。

 背景にあるものは先日も書いたように中国のバブルでしょう。社会主義の国である中国では不動産等の資産を所有することはできませんが、携帯可能なもの、昨今話題になっている赤サンゴやダイヤモンドのようなものは真に的を得ている訳です。

 特に海外の不動産や債権、証券を所有することは今の中国の資産家たちのトレンドにもなっているのは承知の通りです。基本的には不動産にお金がかかりませんからその資金がそれらの物に向かう事も理解が出来ます。

 基本的に自国の政府を信用していないという事もあるでしょうが、現在の似非資本主義は我が国の社会主義的な資本主義の大型版と言えるでしょう。それを考えるとしばらくこの状況は続くのかなという感じもします。

 特にダイヤモンドに関してはファンシーカラーを中心に彼らの標的になっていますので、大きさ問わずグレーディングレポートのカラーの最後がブルーだったりグリーンだったりするとダイヤモンドそのものを見ずに購入を決めているようです。

 勿論、中東の資産家たちも黙ってみている訳ではありませんから、ますます過熱をしていくことは想像がつきます。彼らの狙いは日本国に内在するそれらの特殊ダイヤモンドですが、日本の資産家たちも負けてはいません。

 富豪という人々は中国や中東の国々を抜いて、米国に次いで世界第2位の我が国ですから、簡単には手放しはしないでしょう。しかし、日本の資産家たちには本来のダイヤモンドの価値を理解が出来ていないので相変わらず時計等のブランドが作り上げた物に走っています。

 勿論、日本にもその事に気が付いている人々はいます。10億20億円の単位の物を探している人も幾人かいることも事実です。しかし、お金を持っているからと言って手に入らない物がダイヤモンドです。少なくなってくると今後はさらに記録を更新したダイヤモンドの落札価格が話題になるでしょう。

ダイヤモンドと日本刀と自尊心⁉

 数年前に東京国際宝飾展(IJT)において、セミナーを依頼され、『今後の日本の宝飾業』というタイトルでお話をさせていただいたことがありますが、内容からいえば今後は外需ですよという事です。

 内容的には日本の地金を扱う技術の高さや細やかさを海外に輸出をする時代だという事ですが、現在においてはリサイクルや真珠を中心に外需を行っているところが多くなってきてますが、その事自体は海外に目が向き始めたという意味ではよいのですが、意図とはちょっと違います。

 古い話ですが種子島にポルトガル人の手を経て、鉄砲が渡って来て500年ほど経つわけですが、それから数年で国産の鉄砲が生産されます。何故そんなことが出来たのかというと我が国には日本刀という優れた鉄鋼技術があったからです。最初に製作に携わったのも刀鍛冶でした。

 それゆえに、鍛造技術や切削技術が他国に比べて群を抜いていたのです。勿論当時は他国との交流が少なく、その技術が海外に流れることはありませんでしたから独自の発展を遂げたのです。

 これらの歴史的背景もあり、日本の地金製作技術は他国と比べても劣るものではないという事もあり、外需の勧めとして日本の優秀な技術を海外へという意味でセミナーではお話をさせて頂きました。

 ここで日本刀ですが、玉鋼と呼ばれる材料を何度も鍛錬をし、不純物を取り除く作業をする訳ですがその際に余分な炭素や鉄を飛ばすという作業をするのですが、それと同時に硬く結びつきの強い純粋炭素を凝縮させることにもつながります。それにより硬く切れ味が鋭いあの美しい日本刀が出来る訳です。

 他国のような単純な鋳造した刀を磨いただけの『なまくら刀』との違いはそこにある訳です。勿論他国の場合はそんなにのんびりと武器を作っている暇はないという事もあったでしょうが、相手を切るというよりたたき切るといったイメージだったのでしょう。

 ここで気が付いた方もいるかもしれませんがダイヤモンドは炭素の結晶で高温で何度も大きな圧力が掛かる事であの美しい輝きと硬さが生まれてきています。つまり、日本刀の製作に通ずるものがある訳です。

 ある種日本人の趣向に通じるものがダイヤモンドにはあるのかもしれません。地球の鍛錬の結果ダイヤモンドが出てきたのですから、手間隙といった日本人が是として認める作業が価値として
認められているのかもしれません。

 一方、最近の日本人の自尊心は海外に比べて非常に低いというデーターがあります。米国57%、中国42%と比べて日本人は7%程度の認識だそうです。バブルの頃の日本人の自尊心は
正確なデーターはないそうですが、30%を超えていたそうです。自尊心というのは決して自己中心的という意味ではなくオンリーワンの意識ですからこれを失っているという事は問題です。

 我々の扱っている宝飾品は顧客に自尊心の意識があって初めて成り立っています。それが、現状の低迷につながっているのかもしれません。自尊心というのは不安や不信といった不純物を心の中から取り除くことにより自信が生まれ、自尊心を育みます。つまり、これも心の鍛錬が必要という事につながります。

 普段業界側が消費者の不安や不信を招く行動をとっていたとしたら、当然その業界の売り上げは低迷をします。むしろ自尊心を育ませるような言動や行動が販売側には必要なのです。そうすればおのずから結果が出てきます。

 因みに、単なる鋳造による大量生産のジュエリーはなまくらとは言いませんが強度や造りの細かさには問題が出てくることは多いのですが、鋳造でも日本刀と同じように800度前後の温度に数回掛けるとか、それに耐えうるだけの質量を使用することによりそれは解消をされます。実際に付けてみるとその出来上がりの違いはすぐに分かると思います。

 『ダイヤモンドと日本刀と自尊心』これらは鍛錬により生まれます。鍛錬とは外国人がどうでもよいと思うような手間隙を差す言葉なのかもしれません。しかし、それが日本の心であり、優れたところなのだと思います。

 自尊心は販売側にも、購入側にも必要な心です。これがないと価値は単なる実用価値だけになります。宝飾業は特に必須要因ですから、お客様の自尊心を増幅するような対応と不信感を持たれないような接客を心がけることで結果が変わってくるのかもしれません。

 例はあっているかどうかわかりませんが、ウオッシュレットのような外国人にはどうでもよい、お節介を商品化できる国は他にはない特徴だと思っています。(失礼‼!お節介ではく気遣いでした。)

2014年11月26日水曜日

ブランド⁉

 最近では理解の出来ない事が多々あるのですが、一つには《アイドル》という言葉であります。本来であれば人気が出てきて他人の表現として使われる言葉だと認識をしていたのですが、最近では見たことも聞いたこともない若い子たちまで『アイドルをやってま~す。』なんてわけな解らない事を言っています。

 誰があなたをアイドルと言っているの・・と問いかけたくなるのは私だけでしょうか?

 それと同じようにいきなり何の才能も実績まない人間が『今度、デザイナーとしてやっていきます』
とか。自分が表現をするわけではなく他人がデザインを認めて一般的に認知をされて初めてデザイナーと他人が総称するものだと認識をしておりました。

 多くの実績のあるデザインをしている知人たちの口から『デザインを担当しています』という言葉を聞くことはあっても自らデザイナーですと名乗っている著名人を聞いたことがありません。

 同じようにブランドも同じようなことが言えます。ブランドには大きく分けて二つあります。一つには目印としての他との違いを表す、いわゆるマークとしてのものでこれは米国を中心に構築をされたものです。もう一つはヨーロッパや日本を中心に生まれた、いわゆる暖簾(のれん)です。

 暖簾としてのブランドは長期に渡り、同質の物を提供することによりエキスパートとして世間が認識をしたものです。つまり京都を代表するように同業同種の商いを長く継続する事により大衆の評価を受け、受け継がれてきたものです。

 最近ではプラスチックの値札やカタログを作ることによりブランドを名乗る似非ブランドが横行をしていますが、これら多くの場合は暖簾としてのブランドを気取ったものが多く、冒頭にある《アイドル》と同じようなニュアンスがあります。

 ハンバーガーチェーンや唐揚げチキンのチェーン店のようにあくまでもマークとしての他社との差別化とは違い、暖簾としてのブランドは一貫性を貫かなければならないリスクが伴います。しかし、結果としてその姿勢を消費者は評価をする訳です。

 つまり、過度な変化があったり、過度な値引きを行う事は購入していただいた人々の評価を裏切ることになるので、変わらない価値を常に意識をしなければなりません。どれと同時に時代に合わせたアレンジは必要になります。ただし、基本的なものが変わってはいけないのです。

 なぜなら、消費者は単なる見栄で購入するわけではなく、購入することの安心感やどこにお金を使っているかという自らの主張もそこには存在しますので、余程の理由がない限りは姿勢を変えてはいけないのです。

 取り扱う側は不変な価値を取り扱うという事に関してはダイヤモンドと相違はないのですが、不変の価値とお客様に対する姿勢を理解することを要求されます。それは誇りと安心とを商う勤めであります。

 歴史が証明をした本物を扱うことであり、その継続を勤めとする事であり、そして何よりもそのブランドの消費者に対して忠誠を尽くすことでもあるのです。

 ブランドは創る物ではなく、出来上がってくるものですから簡単に失してはいけない物なのではないでしょうか?

ダイヤモンド事情⁉

 人生は四季のごとく巡りめくわけですが、ダイヤモンドの市場も同じことが言えます。1940年代から1990年代にかけてはシンジケートが価格の調整やコントロールを行ってきましたが、1990年代の半ばより色々なサプライヤーが現れ(実際にはその前から存在はしますが)ダイヤモンドの供給を始めました。

 現在ではシンジケートの若干の影響はあるとはいえ大方がそれぞれの市場原理により価格が変動をしております。単純に言えば需要の多いところは値上がりをし、そうでもないところの価格は弱含みとなります。これは健康な経済現象だといえるでしょう。

 ただ、現象でけを言えばという事で、実際にはダイヤモンド其々に特徴もあり、個性もありますので4Cのグレードで括った時のデーターであり、現実には4Cの中身だけではない事は賢明なダイヤモンドマンであれば皆が知っている事です。

 近年、ずーっとダイヤモンドの値上がりについて書く機会が多かったのですが、最近では価格の低迷について述べることが続いています。これが現象であり、今後も形を変えながら繰り返すという事だと思います。

 今年に入って全体的に価格は弱含みであり、特に1ctのサイズに関してはその現象が顕著です。しかし、そのサイズの中でも低品質のところ(SI3等)は若干強めなわけですが、それぞれのサイズによっても品質ごとにその強弱は変わっています。ただ全体的に言えることは3ct以下に関しては取引所の取引価格を見る限り弱含みです。

 勿論、これは長い目で見ると1現象にすぎず、冒頭に書いた人生が如くで、今までの歴史の中でも様々なことを繰り返し、特に我が国は為替の影響もあり、他国とはちょっと違った現象も生まれていますが、ある一定の期間を過ぎる事により価格の上昇は生まれるとは思います。

 現実に現在も価格が弱含みと言ってもこちらが望むような内容のものが手に入るかと言えば、なかなか探すことも難しい状況です。特にファンシーカット、ファンシーカラーに関してはもともと手に入る可能性が低いとはいえなかなか入手は困難です。

 現在では中国においてファンシーカラーの価格に大きな動きがあり、ダイヤモンドそのものを見るというより、レポートを見てグレーディングの結果がどうかという事で中国独特の値動きをしているようです。

 現状マーケットが弱い状況で、動くことが良いのかどうかはそれぞれの判断によるとは思います。多くのまともなダイヤモンドビジネスを行っている人々は必ずしもグレードだけでは手を出しません。言葉で表現をすることは難しいのですが印象の良いダイヤモンドを望みます。

 多くの国の小売店を見ていると消費者の話をよく聞き、その人に見合ったダイヤモンドをお勧めしますので、やみくもにグレードだけではお勧めしません。人によって好みが違うし、考え方も違いますので、ある人には若干色のついたものを進め、ある人には大きさを重視しお勧めをしているようです。

 当店のお客様でもこちらがお勧めをするまでもなく若干イエロー系のダイヤモンドをあえて選ばれるお客様もいます。ダイヤモンドの市場や価格と言っても実際には千差万別でそれぞれの物により、状況が変わるといったことが現状のダイヤモンド事情なのです。

 四季が様々な彩を装い、春には芽吹き、夏には葉が生い茂り、秋には果実が実り、そして冬を迎え、同じ事の繰り返しのように見えるが決して同じ営みが行われることはありません。それはまるで我々の人生のように感じ、そしてダイヤモンドの歴史のようでもあります。

 ただ言える事は、ダイヤモンドは不変であるという事です。

2014年11月25日火曜日

ダイヤモンドの個性⁉

 ダイヤモンドは一般的に違いを表す方法としてグレーディングなる表現を使用していますが、毎度のことですが現時点でのグレード表示だけではダイヤモンドそのものを表すことはできません。

 同じように見えるダイヤモンドに興味を持つかどうかは、そのものが優れているかどうかではなく、感性にピッタリ当てはまるのかどうかが本当は重要であると考えます。

 昨日、友人たちとアメリカのヒットメーカーであった『マンハッタン・トランスファー』のライブを六本木のミッドタウンにあるライブハウスで堪能をしてきました。グラミー賞なども受賞をした1970年代を代表するジャズコーラスグループですが、残念なことにリーダーでもあったティム・ハウザーが先月亡くなったという事で急きょメンバーを補充しての来日でした。

 もちろん素晴らしいハーモニーと歌の数々だったんですが、やはり何か違う感じがしたのは、やはりオリジナルではない違和感があったような気がします。メンバー4人のうち3人はオリジナルなのですが微妙なニュアンスを感じたのは私だけではないと思います。

 つまり、感性というのは素晴らしいという事とそれぞれの人の琴線に触れるという事は別の事なのです。ダイヤモンドに関してはほぼ同じように見える丸いダイヤモンドが素人である消費者にさえ比べてみると違って見えるのです。

 ただ多くの場合は其れに気が付く機会に恵まれていません。なぜなら、沢山見ているはずの販売員も実際にはよく見ていないからその説明が出来ないのです。ましてやファンシーカットダイヤモンドになるともっと解りやすいのですがこちらは見る機会が少ないのです。

 もっとダイヤモンドをよく見てもらい、ダイヤモンドの個性を知らしめるにはどうしたらよいのだろうと考えると、枠にはまったグレードという物よりは表現に限界のないソムリエ的な存在が必要なのではないでしょうか。

 ダイヤモンドの知識を浅く持っているダイヤモンド鑑定士なる人より、ダイヤモンド・ソムリエなる人材の育成を行ったらどうなのだろう。本来のダイヤモンドの魅力を消費者の理解の出来る部分での表現であったり、目で理解の出来る表現であったりをできる人を育てることが急務な気がします。

 ダイヤモンドのグレードはいくら説明しても販売員ですら理解が難しいのですから、消費者にはもっと難しいし、購入の機会はあまりありません。そこで消費者が理解できる表現でダイヤモンドを説明することが出来ればもっとダイヤモンドが理解をされるのではないかと考えます。

 実際に興味を持って見ている人にはよく解ると思いますが、ダイヤモンドの個性は多種多様です。カットが整っていても光らない物やものすごく光っているのにル-ぺを通してみると、エッと驚くような物まで様々です。

 昨夜の経験は自らの中にある感性と違和感こそあったのですが、1960年代70年代80年代と耳に聞き覚えのある曲を心地よい気持ちで聞くことが出来ました。しかし、素晴らしい歌を聴くこととオリジナルへの郷愁とは別なのだとつくづく感じました。

 やはり、個性という物は一寸ずつの違いが構成をするもので、それを堪能することが一つの楽しみなのだと改めて感じました。そこにビジネスに置き換えることのできる付加価値があるのだと感じる訳です。

2014年11月24日月曜日

今、必要な事⁉

  工場で作ったものはどんなに優れていても売れる訳でない。売るためには消費者にとって必要な物でなければならないわけです。

 需要と供給の中には実質的物と価値のものと観念的価値のものがありますが、実質的に必要なものは理解しやすいのですが観念的に必要な物とはここによっても違うので非常に難しい訳です。

 宝飾品はその間にあり、着飾るという実質的な価値と美的感覚やプライド、満足感といった観念的な価値がある訳です。これは強みなのかもしれませんが厄介でもあります。

 実質的、観念的なものに共通するものがあります。それはプロモーションとマーケティングです。実質的な物にはモニニタリングだったり、リサーチといった調査という手段がありますが、観念的の物にはそれがあてになりません。

 必要性と趣向性を作り出しプロモーションをかける事により市場を作り出す作業が観念的な市場には必要になります。言葉としては当てはまるかどうかが疑問ですが、ツボ売り商法がこの典型ではないでしょうか。

 つまり、精神的に追い込み、それから逃れるにはツボを買うしかないという思考に追い込むわけですが、インチキ宗教がよく使う手です。しかし、前にも書いたことがありますが、TVショッピング等で掃除機を売る時にも同じような手が使われます。

 プレゼンで布団やカーペットを掃除するとダニが何万と取れました。あなたの布団やカーペットにおいても同じよなものです・・といったようなプレゼンをし、不安がらせて購入動機を起こさせる訳です。これは実質的な物にもつながる訳ですが一つの例です。

 宝飾品は両方の特徴を有するわけですが、精神的にというより実質的必要性、つまり使用機会を増やしてあげたり、装着方法のアイディアを提供したりといった事が必要になります。その為にも販売側が多くのその類の知識や経験を持つことが必要で、自分が経験をしたこともない者をお客様には提案ができません。

 一番にパーティーや集会等の機会を作り出すことやそのきっかけを作り出すような作業としては販売側には必要な行動なのではないでしょうか。自分が必要と思ったこともない物をお客様に販売するような仕業はなかなか出来る事ではありません。

 買いやすさを提案することも重要なことですが、それ以前に必需性を創り出すことがその前提にある訳です。冒頭に書いたように優れているかどうかとか、安いかどうかではなく必要かどうかが重要なのです。商いの基本なのです。

 実質必要でなくて、高価で、小さくて綺麗なだけの宝飾品を必要だと思ってもらえるにはどうすれば良いかを常に考える事が現在必要なことではないでしょうか。間違ったことを追求してみてもその場限りになることは目に見えています。

  誰もが手に入る方法で、誰もが手に出来るものには既に宝石としての価値はありません。その様なものを我々は商っています。それを忘れてはいけません。

 そして、それが我々の生業なのですから・・・。

生業⁉

 またまた、健さん話題になりますが、著書の中で『生きていくために俳優を始めたが難しいもので何事も生業にしようと思うと簡単ではない』と述べているそうです。

 その中で『俳優は映画という短い旅を繰り返すもので、一つの物語という旅を終えるごとにどれくらいの生き様と感動を見ている人に与えれたかといつも考える』と言っていたそうです。

 我々、ダイヤモンドや宝石を生業とする人間は何を価値として伝え、見合った報酬を手にしているのかどうかという事をついつい考えてしまいました。

 ダイヤモンドというものを掘り出すという作業をするものにとっての報酬は当然あり、研磨をする人間にとっての報酬もあり、それを仕分けして送り出す人間の報酬も見合った率の報酬はあると考えます。流通の川上から、川下に行くほど利益というものは大きくなっていくのですが、結論から言うと小売業では取っている利益ほどの価値を消費者に伝えているのだろうか?

 物作りをする人間は作るという作業とその技術に対しての報酬があり、その材料が木材だとするとその木材を切り出す人間の報酬も当然ある訳です。

 ダイヤモンドは掘り出された時点ですでに実質価値がある訳ですが、それ以上の価格に乗るものは付加価値なわけです。それぞれの段階で見合っただけの価値感、つまり歓びや誇りといった付加価値をちゃんと消費者に提供しているのだろうか?

 特に小売業というものは利益の享受が一番多いところです。つまり、流通の段階でいえば一番付加価値を消費者に提供をしなければなりません。得ている利益に見合ったプライドや歓びを消費者に与えるだけの努力をしているのだろうか。自らも含めて疑問に思う事があります。

 生業とは自らが人生を送るうえで必要な物を手に入れる業という事になる訳で、つまり、生計を立てる手段という事ですからプロフェッショナルという事とイコールでもある訳です。

 理屈っぽくなりましたが、簡単に言うとダイヤモンドや宝石というものは素材そのものに頼り過ぎていて、各々がダイヤモンドや宝石の実質的価値に利益を乗せて販売する事に見合った考えを持って消費者に提供をしているのかどうかという事です。

 素材の価値があり、それにデザイナーがいて、さらに枠付けをする職人がいてこれらの人々が手間賃として利益を取ることは理解が出来る事です。製品になり、それがブランドとして広告やディスプレー等の環境づくりに対して利益が発生するのもわかります。

 単純に生業という言葉に触れて、現在の小売が得ている利益に見合った努力をしているのかどうかを省みる機会に恵まれたような気がしたのです。宝石業界が不振であるという言葉を聞くにつれ、そこが気になり、過去の多くの販売方法である値引き販売や現在の展示会販売が不振の要因としてあるのではないか・・と考えてしまうのです。

 なぜなら、価値を高めるための手段として、また努力として見合った行動をしている人々には、なかなか出会えないでいるからです。消費者は何にお金を出すのかは明白です。それは付加価値です。

 宝飾業界は付加価値を作り出すことを生業としている事をもう一度考えても良いのではないかと思います。その付加価値に嘘があってはいけないし、まやかしがあってもいけないのです。

 消費者が手に入れた付加価値を購入後も高めていく努力をしなければいけないのです。それを考えると同時に、生業と呼ぶにはまだ何かが足りないと考える気分です。

 得る利益に見合った業を成し、努力をしているかどうか? 

 もし、不振であるのならそれらが不十分なのではないでしょうか?

2014年11月22日土曜日

付加価値⁉

 一般的に付加価値とは本来、物が持っている価値に対して何らかの手を加えて出来上がった価値との差を表すものです。例えば木材を机や椅子に加工をし、木材が本来持っている価値ではなく違う価値になった時との差という事になります。

 その付加価値の優劣により付加価値の差が出る訳ですが、手作りと大量生産にはおのずから差がでてきますが、手造りが必ずしも大量生産に勝る訳ではありません。手作りの熟練度だったり、そのオリジナル性があるかないかが重要であり、またそれを認めることが出来るか否かにもよります。

 技術とはそんな中にあって、付加価値の差を非常に解りやすくするものであり、単に使い我勝手だけではなく、独自性やアイディアが詰まっている事によりその価値の差も出てきます。

 場合によってはアイディアであったり、形に関してはデザイナーの存在があり、技術者との融合によるものもありますが、一番大切なことはそれらを消費者にいかに伝えるかというマーケティングだという事です。

 宝飾業界の場合、宝石という素材そのものに既に希少性という価値があり、その上で研磨という技術が加わり、付加価値が生まれているのですが、それを打ち消すような枠づくりも存在している事も事実です。またその付加価値の伝え方が未熟である販売側の技術もまた、宝石の輝きを曇らせている部分があります。

 ブランドというのは付加価値の典型みたいに思えますが、実際には広告やメディアの露出技術の上に成り立っている場合も多くあり、現代ではそれのみみたいなブランドも多くあります。勿論その位置に来るには良質な品物であったり、独自性を持ち、なおかつ消費者に支持を受け続けた結果なのです。

 つまり、付加価値を作り上げる事はある意味、そのジャンルでの成功というゴールに向かうには欠かせない要素であり、付加価値を唯一貶めるものが、品物に対する扱いです。例えば大幅な値引きだったり、誇張や虚偽の多い販売方法です。

 販売方法を見ていると日本で1,2位を争う職人が手掛けたものですと言いながら値引きを行うといった矛盾の典型のような販売方法だったり、作った職人を愚弄するような販売方法が宝飾業界には目につくことが多いように思います。

 付加価値というものは実質的な実用品に仕上がった付加価値と感性として支持を受ける付加価値とがありますが、これら両方の付加価値を持った品物を取り扱うにはある種の経験や知識が要求されます。

 一方、ダイヤモンドのように人々が何の前提条件がなくても美しいと感じる物もあります。それらは何の説明もいらないのですが、現代のようにグレード等の少し間違った概念から入ると本物を見失う事も多いように思われます。

 概念とはある意味恐ろしいもので先入観として入り込んだ知識はある意味目隠しをするようなものですから、それを解き、まっすぐに対象物を見る事に誘う事が現代の販売員に求められることかもしれません。

 販売員が消費者が望むからとして安易にその場限りの値引き等の販売を試みる事により、更に販売を難しくすることとなり、付加価値という絶対的な品物の武器を失う事になるでしょう。

 価格は付加価値によって高低が付いている事を忘れてはいけません。価格を減じるという事はイコールその商品の価値を減じるという事になりますので、以降における販売がもっと難しくなることに例外はありません。

 付加価値というものをもう一度考えるには良い時代かもしれません。実用品以外の価格競争は決して新しい文化を創りません。文化を葬り去るのはそろそろやめにしなければならないでしょう。

2014年11月21日金曜日

王道⁉

 小田剛一、もしかしたら最も優秀なセールスかもしれない。
亡くなられた高倉健さんの本名ですが、高倉健という商品の価値をよく知り、その価値を不変のものとして、亡くなられてより価値を高めて逝きました。

 高倉健という変わらぬ姿勢と価値と品格をず~っと続けてこられた事は正に高倉健という俳優の価値を知っていたからでしょう。前科者やヤクザ物を多く演じてきた役者さんに何故か品と嗜みを覚えます。

 それはどんな役をやっていても高倉健という価値の方が役に勝っていたのかもしれません。つまり、小田剛一なる人間が高倉健という俳優の価値を不動不変な姿勢と人間として価値を極める事に、その場限りの手法や妥協を許さないといういわゆる王道を歩むことを選択したのではないかと感じます。

 実際に若者たちも高倉健さんの映画を直に見たことのある人も少ないのかもしれませんが、TVなどのインタビューを見ていても、ある種のカッコよさや憧れを感じているようでした。

 近頃では銀幕のスターであった人達がバラエティーに出たり、プライバシーを切り売りしている姿がTV上でもよく見られますが、彼らの価値を下げる事はあっても上げることはないのではないかと思います。ほとんどの若者は一タレントであって俳優としての価値を感じている人は少ないのでしょう。

 我々の宝石ビジネスにおいても同じことが言えます。ダイヤモンドは基本的に不変の魅力と価値を持っています。バラエティーで売るのか、王道で売るのかは扱う人間の価値に比例をします。

 結果としてダイヤモンドの価値を下げる事になることも理解を出来ていないように感じます。いつか宝石ではなくアクセサリーというバラエティーの世界へ貶められるのかもしれません。

 不動、不変の価値はダイヤモンドにはあります。しかし、小田剛一のようなセールスが少なくなってきたのも事実です。少なくなってきたけれど王道を誰かは守らなければいけないのではないでしょうか。

2014年11月20日木曜日

巨星逝く⁉

 銀幕のスター高倉健さんが亡くなり、連日TV番組の中で特集をされています。私自身にも高倉健さんとの思い出があり、時代が変わったことを実感しています。

 最初に高倉健さんとお会いしたのは今から40年ほど前になります。大学を卒業して社会人になり、学生時代ズ~と続けていた運動する機会も無くなり、体に歯がゆさ(表現は間違っているかもしれません)を覚えていた時に先輩に勧められて、スポーツジム通いを初めた時になります。

 当時はプライベートなスポーツジムは殆どなく、大半の人々もその存在を知らなかった頃です。アメリカ人が経営するそのジムは麻布の当時私が勤めていた会社のすぐ近くにありました。

 週何回か早朝5時から使用ができるそのジムに朝5時半頃から通い、一時間ほど体を動かし、当時としては珍しかった健康的な朝食(主に野菜ジュースとサラダそしてヨーグルト)をとり、7時半頃には出社をしておりました。

 ある時いつもと同じように、ロッカー前で着替えをしていた時です。
『後ろを失礼します。』
と、渋い声がして何気なく声の方向を見ると見たことのある人だなぁ・・と思った瞬間です。
『アッ、高倉健だ』
思わず心の中で大きな声を上げつつ、
『アッ、すみません。どうぞ』
と、平然さを装い、すれ違ったものでした。

 其れから何度かお顔を拝見する機会があり、ある時
『これから、お仕事ですか?』
と声をかけられ、緊張のあまり、
『はい、お疲れ様です。』
と訳の解らない返事をしたものですから、思わず苦笑いをされてこちらを見ていたのが印象に残っています。その後何度か会釈をする機会がありましたが、その後は会話をすることもありませんでした。

 当時は今ほど俳優さんがフランクに外を歩いていたり、プライベートを公開することはなく、我々が出会う事のない存在で、銀幕のスターそのものでしたから貴重な時間を過ごさせてもらったと感じています。

 その後私はアメリカに渡り、お見かけすることもなくなったのですが、ある時にロサンゼルスにある日系の映画館で高倉健さんが主演の映画があることを聞き懐かしさもあり、思わずその映画館ロサンゼルス松竹に足を運びました。

 その映画は『幸せの黄色いハンカチ』というタイトルで、何よりびっくりしたのは私の故郷である北海道の夕張が舞台だったことです。当時実家は時計店と土産物屋を二店営んでおり、画面の中にその2軒のお店が映った時には思わず、ホームシックにかかったことを覚えています。

 画面の中の高倉健さんは刑務所帰りの中年の役を演じたいたのですが、その前にお会いしていた時の姿とかぶさり、思わず目頭が熱くなるのを覚えました。

 何よりも高倉健さんはよく言われることではありますが、日本男子はかくあるべしといった存在で、日本では富士山のような存在そのものだったように感じています。つくづく残念でなりません。

 品格と存在感まさにその事に価値のあるような俳優さんでした。我々は大事な宝物を失ったのかもしれません。

 実直さと品格と優雅さ加えて存在感と我々の扱っている宝飾品や商っている者に正に必要な物を全て持っていたのではないかさえ感じてしまいます。高倉健という商品価値を究極まで高めて逝ったのではないかと思います。

 いずれにしても心よりの冥福をお祈りします。

 

2014年11月18日火曜日

販売と接客⁉

 前回に私が接した接客について記していましたが、その事を考え始めて少し気になっている事があります。それは接客と販売がイコールのような誤解をしていたように思うわけです。

 過去、一兆円を超えるスーパーマーケットで、今では見る影もないDスーパーについてですが、当時アメリカでは当たり前であった、セルフサービスを持ち込み価格を下げ、接客を大幅にコストダウンし、営業をしておりました。当初は珍しさもあり、アメリカ流にあこがれを持っていた世代や、実質的にその方が合理的だよねと思っていた民衆心理もそこにはありました。

 時が過ぎてくると民衆は買い求める商品の内容や使い方の説明を店員に求めるようになり、結果的にはセルフサービスの看板を落とし、店員を増やさざるを得なくなりました。しかし、一度安売りをした結果求められる物は価格の安さです。結果的には今の状況になってしまいました。

 スーパーは接客業ではなく、販売業なのですが、日本ではやはりそれが受け入れられる可能性は低く、都内でもありますが農家が通りに野菜を販売している光景が良くみられますが、それは見た目に農家の余ったものを販売するという理解をすることのできるセルフサービスです。

 一方、コンビニセンスストアは、販売業ですが店員の数も少なく元々は安売りではなく便利と時間を売っているというコンセプトがあり、誰もが説明のいらない実用品だけを取り扱っています。

 そもそも論になりますが、付加価値を商うという事は付加価値を高めることによりさらに価格に信憑性が増してくるわけですが、日本人はさらに理解が出来ない物には当然説明をする人間が必要不可欠だと思っているところがありますので、TVショッピングなぞは解りやすく説明が明確であることを求められます。更にMCたちの感じの良さ要求されます。

 どんなに美味しい料理であっても、従業員の態度が悪ければ二度と行こうとは思いません。もちろんこれには価格の問題もからんできますし、消費者の必須物であれば状況は変わります。しかし、我慢のできる範囲を超えたり、他に同じような金額で店員の感じが良ければすぐに其方に変わります。

 宝石は実用品でもなければ、価格の正当性も説明するには難しいものがあります。お客様にとっては必須な実用品でもありません。何が決め手かというとやはり接し方だと思いますが、宝石商いは基本的に接客業であり、消費者を馬鹿にしたような販売はいずれ賢明なる消費者に葬りさられる運命にあるでしょうし、それがあってはいけない業界であります。一時のグレードを表に出した安売り合戦は結果的に姿をけしつつあり、高級志向でお客様を神様扱いにするお店のみが生き残っていくことになるのではないでしょうか。

 神様扱いとはその場の言葉遣いや態度を言っているわけではありません。お求め頂いた物の価値を高めたり、プライドを保つための努力をしつつ、お客様が『あのお店で買ったのよ。』と自慢が出来るような店づくりを心掛けなければなりません。

 購入するたびに安くなっているようなお店の価格を信用しろといっても無理があります。もう買うまいとするでしょう。価格を保つという事はお客様への奉仕でもある訳です。

 接客とはお客様のプライドであり、夢を演出する事でもあります。そして、それが心を豊かにし、生活に活力を与えることになり、それが感性の付加価値でもある訳です。宝石とはまさにそれを扱っているのではないのかなと感じます。

 販売とは単なるお金と物の交換ではありますが、接客とは単なるお金と物の交換ではありません。商いをしている側の高尚なレベルと知識、誇りがあって成り立っており、消費者それに時には憧れ、時には敬い、そしてその中に身を委ねる事に至極の喜びを感じ、其れに代金を支払うものなのです。

 過去のスーパーブランドはそれが出来てい多のだと思いますし、宝石というものはそれを踏み外しタラ、何の意味もなくなります。つまり、お金を払う人がいなくなるという事です。
 
 

2014年11月17日月曜日

接客⁉

 昨日はテニスをし、その後、普段から付き合いのあるの車のディーラーの新車の発表会に招待をされ行ってきました。ホテルで行われたので会場に到着するとお出迎えが何人かいて、自分の名前を告げると一緒に受付まで行ったスタッフは私に受付の手続きをさせることもなく、フルネームと住所を代わりに記入をしてくれました。

 正直驚きました。そこまでの段取りを取っている事も驚きましたが本来であれば本人が記入をするべきものですがきちっと顧客の管理がされていることを感じさせるものでした。後ほど尋ねるとナンバープレートを駐車場まで出迎えることで確認をするという事でした。

 会場に入ると来年販売が開始されるモデルが5台ほど色ごとに展示をされており、その後、開発責任者のプレゼンテーションがあり、その後ゆっくりと見て回り、運転席に座り居住性を確認後、接客テーブルに座り、話を聞きました。

 新車は何をコンセプトにしているか等々の話の他に特徴としてジュエルライトなるレンズをヘッドライトに採用をしている事やその後試乗会のスケジュール等の話となっていったが一度も価格の話になることもなく進み、
『興味はあるけれど、幾らくらいするの?』
と問いかけると、
傍らに持っていたファイルから一枚の用紙を取り出すと、私の名前を書いて見積書があり、幾通りかの支払方法を含め、勿論新車なので値引きはないけれど、オプションのいくつかを追加しますとの事でした。

 一見当たり前のような接客ですが、宝飾業界にいて、展示会等ではなかなか出会わない事のように感じました。

 接客という事では30年ほど前に都下の有名百貨店に展示会と売り出しの事務局と立ち上げを依頼された時の事でした。各業者が社員さんに同行し、宝石の販売をするものですが、その時に一番売り上げていた社員さんは25歳の女性で売り場にもそんなに来ることもなく、同行販売をしている様子もありませんでした。

 不思議に思い、売り場を訪ねてみるとネクタイ売り場で小柄な女の子といった風情の女性がおり、名前のタッグを見るとその本人でした。

 いろいろ話をして
『外販もせずどうやって売り上げているの?』
と単純に尋ねると
『特別なことはしていません。ただお客様が売り場の前をお通りになった時に、お声をかけさせていただいています。』
という事だったのですがそんなことだけでは結果が出る訳はありません。

 詳しく話を聞くと、ノートにネクタイをお求め頂いたお客様のお名前と詳細を購入していただいたネクタイの特徴と似顔絵とともに書いているそうで、売り場の前を通るお客様をお名前でお呼び止めをして前回買って頂いたネクタイの感想を聞くようにしているそうです。

 その上で現在宝石フェアをしている事を告げ、『奥様に如何ですか?』といったお声がけをしていたようです。男性からすると百貨店のネクタイ売り場を通っただけなのに名前で呼ばれて、呼び止められて、購入したネクタイの事を若い女の子に尋ねられては嫌な思いはしません。

 結果的には売り場の電話を使ってもらい、ご自宅に連絡を取ってもらい奥様の御来場を促していただくという事です。勿論宝石サロンに来ていただいた奥様達は担当者を知りませんので、売り場で呼び出しをして、初めて対面をするという状態でした。

 前述の車のセールスをはじめ、後述の若い販売員にしても。当たり前の事を当たり前にやっているといえば、そうなのかもしれませんが、何か接客販売業の原点の話のよう気がします。

 宝石は特にそうだと思いますが、商品そのものの魅力も勿論ですが、接客の意識が購入決定の大部分を占めることは間違いがなさそうです。
 

2014年11月15日土曜日

ダイヤモンド・グレーディング⁉

 今週のダイヤモンドレポートに面白いレポートがありました。グレードは何がスタンダードなのかというものです。

 ヨーロッパのメジャーグレーディングラボとGIA(アメリカ宝石学会)のグレードの違いを示したものです。3から4段階のグレードの違いがあるという事で、その何が問題なのかという事です。

 つまり、グレードというものは公のものではないので、各鑑定機関によって基準の違いがあっても仕方がなく、その結果消費者に不利益が起きているかどうか?という問題です。

 過去数年でも何万個というダイヤモンドがグレーディングがされて市場に出回っているわけですから、総合するとどれくらいの利益の差が生まれているかという事になります。

 各鑑定機関によって同一ダイヤモンドのグレードの内容が違っても道徳の問題だけという結論付けをしていますが、価格を比べる時に同一の鑑定機関のグレードであれば問題はないと思いますが、違う鑑定機関のグレードを価格の比較対象にするのであれば各鑑定機関によって基準が違う事を公開していなければなりません。

 細かい事を言うのであればGIAにおいてもDカラーと出ていても、Dカラーの上のカラーも存在しているわけですから、基準としてDカラー以上という表現も用いていますが同一鑑定機関によっても差があることを示しているわけです。またそれがタイプⅠなのかタイプⅡなのかにおいても価値の差が出てくるわけですから明らかに同一グレードでも価値に違いがある訳です。

 結論として、ダイヤモンドのグレーディングというものは倫理上の基準であるプライべートなものであるという事です。

 日本の場合でも推定100近い鑑定会社があり、主なところでも20以上の鑑定会社がありますからその基準で統一と言っても、前提として解釈の違いがあるという基準ですから、消費者には理解が出来ない世界なのだと思います。

 その事は販売に不利とか不利じゃないとか言った問題なのではなく、販売の時に付け加えなければならない説明であることは言うまでもありません。保証というものはあくまでも販売しているところが責任を持つもので、鑑定会社が持つものではありません。価格を決めているのも販売しているところで決めていて決してグレードのより価格を決めている訳ではないのですから。

 しかし、この仕事に携わっている人間にとっても言えることですが、もしその事実を知らないといえば罪は軽いかもしれませんが、知らない事自体もプロとしては問題であろうとも思います。

 最近ではグレードに偏った商売も減ってきたように思いますが、グレードの本来の意味は販売する人間の能力の補助という前提がありますから、グレードによって判断を消費者に委ねることは販売する側の職場放棄に近いものがあるかもしれません。

 グレードは販売員の補助、つまり子供が自転車に乗る時の補助輪みたいなもので、補助輪が取れないで販売をしている人はその事を理解する必要があるのかもしれません。

 以前にも書きましたが、グレーディングレポートは保証書でもなんでもなく、単なるカタログみたいなものですから、車でいえば性能や仕様を書いているだけで本体の乗り心地とは別の問題です。

 とにもかくにも日本と同様な問題が世界でも起きている事にショックを受けるとともに、販売側は第三者の判断という逃げ道を作らずに自らの判断と責任でダイヤモンドを提供できるようになりたいものです。

2014年11月14日金曜日

街の風景⁉

 最近お店の正面にあるショーケースを覗いている若い男性が目につくようになってきました。そして季節を感じるのですが『もうすぐクリスマスだなぁ∼』と思うわけです。

 つい先日、仮装をした200人ほどの子供たちが『御菓子を下さいなぁ』と言って店内に入ってきたハロウインが随分と時が過ぎたような気がしていましたが、まだ半月ほどです。

 同伴をしていた親たちも店外から子供たちの様子というよりも、普段じっくりと見ないジュエリーをのぞき込むように眺めており、父親たちは近づかないようにしていたのが印象的でした。

 間もなく、わが町もクリスマスのイルミネーションで飾られる予定ですが、当店では店内に本物のモミの木をさりげなく飾っておく予定です。

 町の様子は一年を通して著しく変化をし、その姿、形を変えていきますが、まだこの一年を語るには早すぎるかもしれませんが、新しくお客様として加わって頂いた方達の顔を思い浮かべると季節が消費者を誘導するのが良くわかります。

 思い浮かべると気候の良い日に店頭にあるグリーンダイヤモンドが夕日に照らされ、神秘的な光を感じ、思わず入ってこられた方は、もう何年も店舗前の通りを車で通っていても歩いてこの通りを歩いて通ることはなかったそうですが、天気も良いので車を止めて歩いてみたかったそうです。

 店舗が街の風景になることは悪い事ではありませんが、過ぎると皆の意識の中から遠ざかっていきます。一定の変化を常にしていきながら季節季節の変わり目に思い出が作れるようなお店づくりが理想だと思っています。

 近くの遊歩道に桜が咲き、花弁が散る頃に日差しが強くなり、帽子をかぶり始めた子供たちの声が聞こえてくるようになると夏を迎え、街並みが白い色で映し出されるようになると暑い夏のまっただ中になります。

 白い装いの中にきらりと光るダイヤモンドを見つけると、やはりダイヤモンドの存在感は物というだけでは表せない物があり、昔の人たちも価値で計り知れないものを感じていたのだろうと思います。

 少しづつ装いの彩が濃くなっていくと同時に秋が深まり、紅葉を迎え、そしてまた子供たちの声が店内に響くハロウインが訪れます。

  多分今日も若い男性たちがショーケースを除き、今年の予算を組み立てるのでしょう。未来のお嫁さんになるのか、ただの思い出になるのかは解らない彼女の為に・・・。

2014年11月13日木曜日

展望⁉

 昨日ご来店を頂いたお客様は呉服の展示会の後でお寄りになったという事で展示会話に花が咲きました。

 お客様曰く
『びっくりしたは、ただ平台みたいなものに呉服や反物みたいなものを並べていて、呉服のショーと言っても何を言いたいんだかちっともわからない。挙句に何%OFFで特別価格でご提供しますといってもねえ~。』

 といった内容でしたが付け加えられた言葉でちょっとギクッとしました。
『どっかの宝石の展示会みたい。』
という事で、小生はその言葉を受け
『今の宝石の展示会も元々の呉服の展示会の延長にあって、宝石の催事屋さんたちは元々呉服の宝石の展示会から来た人たちが多いですからね。同じようになるんじゃあないですか。』

 『でも消費者を馬鹿にしているわね。高い値段を付けて大きく値引きをするなんて、買う方は解っているのにね。』

 現実には多くの宝石に携わる人々が口をそろえて言う言葉は『今は展示会じゃあないと数字になりませんからね』ということです。本当にそうだろうか?

 『現実』という言葉と『各論』という言葉は時として事実で正しいように聞こえますが短視眼的にみればあっているように見えますがOUTLOOK(展望)したときにはどうでしょうか?

 宝飾業界は1980年代には3兆円越え、現在は実際には5千億から6千億円程度で呉服業界は1990年代には1兆1千億あったものが現在は2千億円程度とそれぞれの売り上げを落としています。時代の流れや社会の環境によるという人もいます。確かにその側面もあるでしょう。

 しかし、展示会販売のような形が顕著なのは呉服と宝石だけみたいなもので、実際には他の業界ではあまり聞きません。私見として取ってもらっても良いのですが現在の展示会のように形になってからの業界の信用や売り上げは著しく落ちたように感じます。

 呉服業界にも同じような事が言えます。ご近所にも老舗の呉服屋さんがありますが展示会等には乗らずに専門店としてじっくりとご贔屓さんとのお付き合いを続けていますが、落ち着いた雰囲気を醸し出し、ゆっくりとした空気感があり、けっして慌てているようには見えません。

 宝石店に関しても、じっくりと専門店として営業をなさっているところは、もろ手上げてというわけにはいかないかもしれませんが、決っして悪い状況にはあるとは聞きません。勿論、元々の展示会を否定するものではありませんが・・・。

 どの状況を取ってみても、大きな目で見ると現在の売り方が決して正しいようには見えません。現実にはとか各論としてはとかいった言い訳は今までも随分聞いてきました。例えば他に置き換えてみてもらえば解りやすいかもしれません。

 現在政治も混とんとしていますが、その元凶を見れば無駄な税金お使い方であったり、誰も責任を取らない官僚政治にある訳で、将来のための増税というが使うのは今で、前回の増税のように90%は公務員と政治家の手当てに充てているような現実です。

 年寄りが増えて子供が減るといっても子供が税金を納める訳ではなく、子供に使っていた文科省の予算は何処へ消えたのか。そして、20年後には多くの年寄りは自分も含めてこの世にいる訳ではないし、そんなことよりどこまで役所の計算を信じて良いのか。百年安心の年金はたった5年で崩壊したことを忘れてはいけない。

 つまり、現実として耳に解りやすいような理屈はOUTLOOK(展望)で見ればその場限りのツギハギみたいなものです。根本的な事として行政改革をやりながら、役人の責任を明確にする仕組みが出来れば、すぐに無駄な税金を使わなくなるでしょう。つまり根本的なところを改革しなければその場限りのことをいくらやっていても何も治らないという事です。

 話しがややこしくなりましたが、その場の売り上げも勿論大事ですが根本的な改革はもっと大事です。ただ気が付かないだけかもしれませんが、気が付いた人から一歩づつ変えていかなければなりません。ましてや宝飾業界は過去に手本と見本があります。

 その日食べる事も大事ですが、その日の飯だけでは将来も食べていける訳ではありません。

 いつも使う言葉ですが、
『今日は昨日の明日、今日は明日の昨日。』
今の結果は過去の過ごし方の結果で、将来結果を残したいのならその為の現在でなくてはなりません。今、準備が必要です。

2014年11月11日火曜日

商い手⁉

  希少性、耐久性を備えた美しい宝石は既にそれだけの価値があることは言うまでもないが、それだけではない。商う者が宝石の豊かな付加価値に気付き、高い感性を身に付けたときに購入者は商う者に敬意を払い、そこで購入動機が生まれる。

 特に嗜好性の高い宝石を扱うビジネスにおいては。売り手が消費者の精神的豊かさを創造する力を持たなければない。だからこそ宝石を商う者には、豊かな感性、インテリジェンスが求められる。

 あとは誠意とプライドの保証だけである。

 これは私自身の著書『宝石がたからものになる時』の中の一部を抜粋したものです。宝石自身や商う者それ自体の価値を下げることは難しくはありません。この内容の逆であれば良いのです。

 宝石は不要不急の商品で、あってもなくても良いようなものですが、物販は売り手と買い手の商品に関する価値観が共通認識を持った時に売買が成立するわけですから、宝石が売れるという事は消費者がその価値を感じ、求めるという事になります。

 不要不急のものがなぜ必要なのかは、有形、無形にかかわらず人間は付加価値の高い物を生み出すことによって豊かな文化を作り上げてきました。逆に言えば、嗜好品を求めたいとする欲求が社会の文化と進化を促してきたといえるでしょう。

 それゆえに商う者の知識と創造性や誠意による付加価値の構築が絶対条件となり、宝石に対する価値観が生まれてきたのだと思います。消費者は基本的に宝石の価格は解りませんから商い手のプレゼンテーションが大きな影響力を与えます。

 但し、そこに偽りやまやかしがあってはいけない事は勿論の事です。嗜好品というもの現実的に一般の消費者が価格を理解しにくいものです。それゆえに消費者の判断を誤らせるような販売方法は法律で禁止されているわけです。サギが法律で認められることがないようにです。

 それゆえに前述した内容が求められるわけですが、現実には二重価格であったり、疑念を持たれるような販売方法が横行しているのも事実です。

 例えば、ディスカウントショップのようにいつも値引き販売をしているところは其れが正価になりますが、その場で値引きをするために高い価格を付けておいて値引きをするといった方法は法律に触れる販売方法であることは言うまでもありません。残念ながら一部の宝石の展示会においてはこの手法がとられています。

 値引きが悪い訳でも一年中同じディスカウントを行っている事も悪い訳ではありません。宝石の価値観ではなく、その値引き率や虚偽により購入動機を持たせることが問題なのです。

 出来れば商う者が敬意を表され、宝石に対する共通価値観を持ち、購入者が買い求めたものに後悔をしないように価値感を販売後も保つ誠意とプライドを持つようになれば良いと思っています。

 ブランドもそうして構築をされてきたのですが、現在のブランドは残念ながらその本意を忘れかけてきたいるようにも見えます。
 

2014年11月10日月曜日

販売員⁉

 展示会や店舗の於いて、売れるお店と売れないお店があり、売れる販売員と売れない販売員がいますが、いくつかの定説があることを先輩から教授されたことがあります。

 最近、その先輩(先輩と言っても70歳を過ぎた方ですが)とお会いする機会があり、最近自分も小売り現場に立つこともあることを伝え『ご教授頂いた事を確認をしている事があります』と伝えました。その内容とは

⊡売れる販売員は『こんにちわ⁉』と言い、売れない販売員は『いらっしゃいませ⁉』言う。

⊡売れる販売員は使い勝手や感動を伝え、売れない販売員は価格や商品情報を伝える。

⊡売れる販売員はお客を無視し、売れない販売員はお客を直視する。

⊡売れる販売員はお客に近づかないが、売れない販売員はお客から離れない。

⊡売れる販売員は店外にいる時から観察をするが、売れない販売員は店内でのみ意識をする。

 等々、多くの有能な販売員が口にしたことをメモしていたものを先輩はよく口にしていたものです。私自身が小売りの現場に度々立つようになり、首をかしげる内容もあるように感じたのですが、振り返ってみると通ずるものがあるとつくづく感じます。

 まだ、他にも沢山お教え頂いたのですが、特に印象にあった5個を上げてみました。それぞれの理由がちゃんとある訳ですが、この事を理解が出来る販売員さんは既に自然に実行をしているように思います。

 勿論、販売員の中には禁じ手の連続で結果を出している者もいますが、何らかの形で上記している事を行っているように思います。禁じ手を使わなくても結果を出せるのにと思う事も多々あり、悲しくさえなることもあります。

 販売員は商品を売る事は勿論ですが豊かな人生へのナミゲーターでもあります。その事は肝に銘じておきたいと、特に最近は思う場面に多々遭遇しています。

2014年11月9日日曜日

ダイヤモンドと金融バズーカ(2)!?

 
 前回の続きになりますが今後のダイヤモンドが今回の金融バズーカによってどうなるのか?

一般的なダイヤモンドは売れなくなることは十分に考えられることです。さらに円安背景に外国人バイヤーのダイヤモンド買い漁りに拍車が掛かることも考えられます。これは買い取り市場には良い影響なのかもしれません。

 さらに依然にも書いたように現物である地金の一部や大粒ダイヤモンドの値上がりに関しては投機筋の現物確保や利益保全を目的としたものでした。株券や証券が活況を呈し始めたことのより普通であれば売りが入ると考えられるのですが、現在の格差は想像以上と考えられますので現物を手放すほどのことではないと思いますので、ここしばらくは価格が下がることは考えにくいと思います。

 結論から言うと大粒ダイヤモンドは高値安定であり、国内においては当初円安による輸入ダイヤモンドの高値はあるかもしれませんが消費税や物価高による市場不況による安売りやデフレ現象が起きる可能性があるでしょう。

 さらに中期的に見れば今購入したダイヤモンドが国内においては円高期を迎えたときにはダイヤモンドの値下がりが起きる可能性が出たわけです。

 勿論、長期的やドルベースだけであみればある一定の条件を満たしたダイヤモンドは値上がりをすることは想像に値します。ただし、一般的な小粒ダイヤモンドに関しては相変わらずの価格の上下を経済状況に影響されながら恒常的に続けると考えられます。

 いずれにしても今回の金融バズーカ砲の2連発は、もし消費税の際値上げをしたとしたとしたら国内経済を直撃することは間違いがありません。

 政治家がやることは無駄遣いの元凶でもある行政の責任の明確化と自らの身を切ることで財務の安定と政治の質を上げることではないでしょうか。

 ダイヤモンドには以前と違う側面が格差という形で出てきています。金融や経済を無視することはできないという本来の価値とは違うものではありますが、もしかしたら歴史は繰り返すということで金融商品になっていくことも視野に入れておく必要があるのかもしれません。

ダイヤモンドと金融バズーカ(1)!?

 以前にも金融緩和とダイヤモンドについて書きましたが、予想以上の危険な緩和になりそうな感じになってきました。

 日銀の金融緩和のほかに年金資金を使った株の運用が10兆円投下という爆弾があり、効果はてきめんなのは良いのですが、30兆円の日銀による国債の買付が同時ですから株の高騰と円安が重なってきたわけです。

 
 これは国債を安心して手放し、株を買ってくださいという政府からのメッセージですから外資を含め皆が円を売っても株を買おうということになります。まさに日本政府によるバズーカ砲です。

 今後、何が起きるのでしょうか?

 単純な疑問がですが、考えられることは輸出産業が伸びることは間違いがありません。また、金融機関による運用利益が増大します。これは実際には良いことですが、それでは逆に負の部分では何が起きるのでしょう。

 まずは消費税の上がったばかりの市場を円安による輸入物価がさらに負担としてのしか掛かってきます。物価が上がりますが所得は15ヶ月間減少を続けています。これは台所を直撃するだけではなく、石油が値上がりし、地方の交通手段や運送代についても値上がりを続けます。

 大手輸出産業は利益が膨れ、中小輸入産業は長きに渡り続いたデフレ対策として製造の大半を海外生産にしておりますから、赤字転落は防ぎようもありません。ましてや現国会では法人税の引き下げと同時に赤字法人からも税金が取れるように法整備中ですから輸入企業にとっては二重苦です。つまり、輸出にやさしく、輸入に厳しくという結果になるわけです。

 円安による輸入産業の利益は計算上のものですが、輸入決済による円安は実質的なマイナスです。さらに低層家庭を救済のために行おうとしていた食料品や実用品を中心にした減税策はどこぞへ消えた気配です。

 つまり、格差がさらに進むということになりますからダイヤモンドにおける影響はとても大きくなります。それではダイヤモンドに何が起きるのでしょうか?

 

2014年11月8日土曜日

ダイヤモンドの展望⁉

 今年に入ってダイヤモンドの値動きが特徴のあるものとなっているますが、相変わらず1ctサイズの値動きは悪く、ここ一年で6%前後の下落を続けています。しかし、0.3ct、0.5ctサイズの関してはここ数か月動きは悪くなってきましたが、それぞれ3%前後、5%前後と価格は上昇をしております。

 勿論、ダイヤモンドは長い目で見れば価格は上昇をしているわけですが、株価の秒単位とまではいきませんが短期間での値動きが顕著になり、経済状況をある程度反映するものとなっています。

 小粒サイズの1ctを含めたポインターに関して言えば市場の動きに敏感で中国の一般層まで景気が波及してきたここ数年は強い動きになってきていますが、1ctサイズの需要までは届かないのかここに関しては弱い動きがみられます。

 1ctサイズの需要が大きかった日本や米国の需要が減ってきた事が大きいのだと考えられます。以前であれば1ctサイズは売りやすいという事になっていましたが、現在の日本では購入できる層の人々は既に持っており、大きな需要はありません。

 また、婚約指輪の需要には届くサイズではありませんし、現代の若者はそこまで婚約指輪を重要視している様子もありません。つまり、ジュエリーのサイズには大きく、他の目的として持つには小さすぎるサイズという事になるのでしょう。

 3ctsサイズに関しては、やはり値動きは鈍くなってきていますが1ctサイズほどではありませんし、5ctsサイズより大きなものになると値も強く絶対量もないので需供バランスから言うと供給が少ないとも言えます。

 ここで大きな焦点としてファンシーカットダイヤモンドの動きですがラウンドブリリアントに比べ形の好みも出てきますので、多くの人々の共感をする形に関してはやはり強めの価格になっていますがそれ以外になるとかなり価格が弱めになっています。

 特に日本ではファンシーカット文化が浅いので下手に買い取り屋さんにもっていくととんでもない価格を付けられますので要注意となるのですが、プロの間においてもラウンドに比べ弱い価格が付けられる傾向があります。

 このようにダイヤモンドの価格はかなりのロジックが出来上がっており、絶対量は少ないかもしれませんが株や証券とは違う、現物での実体としてのなんらかの市場が現れるかもしれません。

 

2014年11月7日金曜日

ディスカウント⁉


 倒産セール、閉店セール、改装セール、セール、ディスカウントそれぞれが消費者にインパクトの強い言葉の羅列ですが一番インパクトの強い倒産セールに関しては品の無さを感じるわけですが、言葉の違いがあれ、どの言葉もそれなりの要素が入っているので消費者には効果があるのでしょう。
 

 しかし、昨今はあまりにもこれらの言葉が氾濫をしていて、消費者は慣れっこになっているようにさえ感じます。ディスカウントで通じなければより一層の強い言葉をということになるのですが、最後に倒産セールという言葉を残して倒産をするのでしょうか。

 いずれにしてもディスカウントという言葉はDISという言葉は差し引くとか欠如、奪うなどの否定の強調語なわけですが、COUNTの語源に価値という言葉も入っていることを考えると、価値を差し引くということになりはしないでしょうか。

 値引きという言葉は消費者には魅力的ですが、それに魅力を感じる人とそれをハスから見る人と何ら自分の価値観に値引きを影響させない人がいます。値引きは小さければ小さいほど元の価格に信憑性を持つわけですが、それを勘違いしている販売側もいます。

 つまり、値引きと二重価格を間違って解釈をして、値引きは法に触れないと思っている人たちもいる訳です。値引きは勿論、法に触れるものではありません。しかし、二重価格は大きな問題なのです。

 いずれにしても、商売というものは価値を上げ、利益を追及することが必須であり、それを消費者に認められるかどうか、さらにその価格を通し続けることができるかどうかが基本ですから、それらを認められないところはディスカウントをし、最後は倒産セールという道筋を歩むことになるのでしょう。

 実用品であれ、食料品であれ、時代遅れや賞味期限切れ間際などの価値を損ない始めて、初めてディスカウントを行うわけですがちゃんとした理由があります。語源の通りに価値を差し引くという事になる訳です。

 二重価格ではない本来の値引き関しては、迷っている消費者の背中を押してあげたり、その価値を感じたりするものでありますから良いことも多いわけです。但し、過ぎたるは及ばざるがごとしではありませんが必要以上の事は相手に疑問や疑念を持たせたりするのではないでしょうか。

 つまり、値引きによって購入意欲を掻き立てるものと、価値を感じている人に購入を促せる為の値引きとあるわけですが、これらと二重価格は明らかに違うものなわけです。

 本来の価値が認められずに価格を下げるものがディスカウントの語源でもあるわけですが、価値を下げに行く販売方法がいつまで続くのかはわかりませんが、宝飾品に関しては販売している人の信頼とその宝飾品の持つ付加価値をいかに高めていくかというビジネスですから、値引き、特に二重価格は最もなじまない販売方法なのでないでしょうか。

2014年11月1日土曜日

金融緩和とダイヤモンド⁉

 今回の黒田日銀総裁による金融緩和のタイミングは絶妙であったとの見解もありますが、果たしてそうだろうか? といった疑問があります。

 確かに一時的に株価が上昇し、円安にも向かい一時的には市場にとって良いように見えますが、実際のマーケットはどうであろうか。実質小売価格を押し上げ、実体経済という意味では危うさを感じます。

 米国の株市場も反応し、史上最高値を付けたように、単純に日本の実質経済市場に照らしてみてはたして良いのだろうか?

 つまり、現在の金融経済はバーチャルな部分が多く、利益を上げた人間のお金が市場に出回るかどうかが心配です。なぜなら、ここ数年実質的利益を上げている企業や投資家のお金はほとんど市場に還流されていないといって良いでしょう。

 それらの多くの人はマネーゲームだったり、必要以上の蓄財にあて、市場に還元をすることはほとんどないと言っても過言ではありません。ここ数年多くの利益を上げている金融機関の資金のほとんどは金融市場に回り、本来の役割である一般市場に資金を回すという役割はなされていません。

 低金利でお金を預かり、高金利で市場に資金を回し、実質的には金融緩和という内容では市場に反映はされていません。その証拠に10年定期を組んだとしても1%前後の金利ですが、ここ10年だけでもデフレとはいっても4%前後の物価上昇があります。つまり、現金のままに銀行に預けておくと3%の目減りを起こすわけです。

 金融機関は黙っていてもその分の利益が還元されるわけです。さらにグループ子会社化からキャッシングなどの高金利で融資をしておりますので、実質的に一般市場に金融緩和は効果が及んではいません。むしろバーチャル経済の後押し状態になっています。

 ダイヤモンド業界においても同じことが言えます。地金やダイヤモンドは現物資産として、保全に使われ、それ以外の資金を株や債券市場での投資に回しておりますので、地金やダイヤモンドは早々に価格が下がりません。もちろんダイヤモンドに関してはある程度の大きさと品質が条件にはなりますが・・。

 現状でも3cts以下のところに関しては大きな価格上昇を招いておりませんが、一定の大きさと付加価値を前提とした物は価格が下がりません。それではよかったではないかと思いますが、実質的にはジュエリーの範囲を超え資本家達の資金の逃げ場所になっていますので、経済状況が影響する小さなサイズは低価格に、そして大きなサイズは現実離れした価格になっています。

 これらの現象は格差が生んでいるものですが、金融緩和自体は資金の豊富なところにとっては確かに有効かもしれませんが一般市場に関してはいかがなものかと懸念をしています。

 今回の金融緩和が実体経済ではなくバーチャル経済に有効なだけで終わらないように祈るばかりです。実体経済より大きすぎる金融市場はいずれ大きなを痛手を我々に充てるような気がします。

 数年前のリーマンショックはそのためとは言いませんが金融至上主義が生んだ波乱であったことは否めません。少なくても実体経済であるダイヤモンド業界がバーチャル金融に巻き込まれることだけは避けたいものです。

 実体経済である地金のマーケットが動くときには必ずと言っていいほど過去のダイヤモンドの市場は動いています。注視したいものです。今はまだ高値安定ですが今後はどうなるのでしょうか?

 ただダイヤモンドに関しては1980年のようなバブルのような高騰とイコールではないと考えています。暴落に関しては考えにくい状況であることは確かだと思います。

責任⁉

 最近、政治資金の問題で国会が紛糾をしているのですが、本当に不思議です。国会の役割とはと考えると、政治資金の問題は法律ですから司法がやる問題であって国会が行う問題ではないと思うのです。

 元経産大臣に関しては、大きな問題であることは理解をしますが現経産大臣の地方秘書の領収書の問題なぞは、一般の会社であれば社員が経費の仕分けを間違った程度の事かもしれません。その事で社長が責任を追及される事は考えられません。

 そんな事を高い税金が使われている国会で野党議員が追及をしている事を考えると、その方が役割の責任という事を考えると、むしろ考えてほしいと思うのは私だけでしょうか?

 以前、問題になった『グリーンピア』で1兆数千万円の無駄遣いというか、税金を消滅させた責任追及の方がはるかに大きいのに政治家がだれも追及をしないのも納得が出来ません。トップの大臣が判を押している事を考えると下手に責任を追及すると自らに降りかかるとでも思っているのでしょう。

 それこそ、一般の会社であれば総責任は社長にあり、部署の責任は部課長にあるというふうに最初から規則ではないかもしれないけれど暗黙のルールになっているでしょう。店舗の売り上げの責任は店長にあり、部署の売り上げの責任は部課長にあり、会社全体の業績の責任は社長にあります。

 当たり前のことが出来なければ結果は出ないと思います。つまり、役人たれども、それぞれの業務の責任を取る規則さえあれば税金の使い方に慎重になるし、業務への結果報酬を加味しなければならないでしょう。

 行政の一番まずいと感じるところはそれぞれの省庁の最高責任者は大臣となっているけれども実質的なことは役人のトップである事務次官が判断をしている事が多いのだから、役人が責任を取ったり、ペナルティを与えられたりすることに関しては規則が決められることはないでしょう。

 国会議員が本質的な議論せずに重箱の隅をつつくような追求しかしないのは総括的な役所の改革がなされなければいけないのでしょうが、『行革』を掲げてから早何十年とたっていますが、一番進まない改革でしょう。政治家が役人におんぶにだっこでは仕方がないのかもしれませんが・・。

 日本の多くの組織の責任は不明確なところがあります、感情や雰囲気で責任のやりどころが決まるケースも多々あります。例えば、上司は指示を出す立場にあると勘違いをして結果が出ないと部下の責任と思う事が多いのですが、実際にはその上司の責任である事を理解していない事が多いように思います。

 指示が明確であるかどうかを含めて上司の責任の取り方が明確になっていないことが日本の仕事の遅さ(海外からよく指摘をされる)があるのだと思います。その上、最終的には担当者が移動して終わりという事が多くあります。本来であれば同時に上司の処分と結果責任が問われるわけです。

 競馬と同じでどんなに良い馬に乗っていても騎手の手綱さばきがまずければ勝つことが出来ないのです。

 もし我が国の役人たちが北欧の政治家や役人のように質素な佇まいで仕事を行うことが出来たなら、日本はもっとも豊かな国になるでしょう。明確な目的を持った国の運営ができているという事でしょう。その為に果たす国民の責任もはっきりしているわけです。

 会社でも国でも明確な目的と責任の所在をはっきりさせることが結果に近づくという事ではないでしょうか。
 

2014年10月31日金曜日

ダイヤモンドに変化⁉

 さる大手の鑑定会社とのやり取りで不思議に思ったやり取りがありました。

 5年前ほどにお客さんが購入(他店から)していたダイヤモンドをリフォームのために再鑑定に出したところクラリティーがワンランク下がり、事情を説明したのだが現段階でこのグレードですという事でした。勿論、変わることがあること想像がつくわけです。

 そこでの会話なのですが『グレードの有効期限が2年となっています。』という返答です。これは不思議な事を言うなと思ったのは、もし2年ごとの基準なり、見直しを行っているのなら毎日基準が変わらなとおかしい訳です。

 なぜなら、毎日たくさんのグレーディングが行われているわけですから、それぞれのダイヤモンドに2年ごとの見直しという事になるのならとても不可能だし、何より何の根拠もないことになります。

 また、2年ごとに基準を見直しているというなら、その見直し時期の1ヶ月前のグレーディングは1ヶ月しか有効ではないという事になります。つまり、ダイヤモンドが外的要因があってグレードの変化を想定しているのなら、グレーディング時のみに有効なものであることを前提にしなければなりません。

 グレーディングレポートに時と場所と人によってはグレーディングの誤差があることは周知の事実ですが、グレーダー側の理屈はそうであっても販売員や消費者はグレードが絶対的なものだと思っている人も多い訳ですから、注釈としてと『時と人と場所によってはグレードの誤差があります』と表記をしておかなければいけません。

 注釈を書くと自らの存在意義に意味がなくなると思っているのであれば、それは違います。なぜなら、研究機関として中立な立場で学術的な解明をしたうえでより付加価値が高まるような鑑別書の作成を心がければよいし、そこに存在意義もあると思っています。
 

 基本的に目星でしかないグレードは変化もあり、範囲もある訳ですが、ダイヤモンドが変化をするわけではないので、何事も人間の感性で行うものには絶対という事はありえません。しかし、市場がその様な勘違いをしているのであれば、そのために注釈を書き足すことが本来の中立という立場になるのではないかと思います。

 いかがでしょうか?


 

2014年10月30日木曜日

過去の栄光⁉

 『過去の栄光』という言葉がありますが、言葉通りにとると通り過ぎた幻想のようなニュアンスがあります。勿論、時代は動いていますからその時代時代に合った行動なり、考え方があると思います。

 この言葉通りであれば、過去のデーターそのものも幻想の一部という事になります。しかし、多くの場合はデーターを使いながら分析をすることも多いのですが、データーは未来の目的のために積み上げていくものであって、今起きている事やその場のしのぎに使用するものではありません。

 つまり、過去の状況を繰り返すことは結果の疲弊を繰り返すだけで良い結果が出ることはあまり考えられません。つまり、変化を起こそうとしたり結果を出そうとするには同じことを繰り返してはいけないわけです。

 繰り返さない為には新たな形への準備が必要であり、準備なくして結果はありません。多くの失敗を繰り返す人々は過去の良かった結果に頼ろうと(二匹目のドジョウ)を狙おうとします。

 しかし、以前であればそれで得られる結果もあるかもしれませんが、現代は二匹目を追う時には既に誰かが捕っていますので、時間の流れが同じことを繰り返させない速さがあります。

 なにごとも結果を求めようとするなら、文化を作る必要があります。
『文化はオリジナリティーにより創られ、オリジナリティーのない者によって葬り去られる。』
言葉が差すように結果は新しい文化により創造されます。

 結果を求めるにはデーターを踏まえたオリジナルな創造と準備が必要です。データーは単なる
『過去の栄光』にしてしまっては意味がありません。

 しかし、『過去の栄光』から得ることも多くあります。それはポジティブな心理の『成功体験』を植え付けることです。勿論、語っている方は気持ちが良いだけかもしれませんが、聞く方は初めての事ですから真摯に受け、どのように活用するかを考えればよいだけです。

 結論を言えば年長者の話は決して無駄にはならないし、それを使いこなせる者だけが文化と成功体験が出来るという事です。悲劇は周りに『過去の栄光』を持っている人がいない場合です。
もしいるのなら大いに活用することです。

 『過去の栄光』が良いのか悪いのか解りにくい話になりましたが、それはどう捉えるかその人次第だという事になりますが、その場だけの場当たり的仕事は結論が出ないという事だけはお解りいただきたいですね。

2014年10月29日水曜日

どちらが重要!?

 『有能な上司は部下の仕事を疑い、無能な上司は部下の人間性を疑う。』

 先日、友人より部下の評価方法について相談があり、私が以前とある会社の顧問をしていた時の言葉を引用し述べた言葉ですが、これは仕事というのは誰もがミスをするもので有り、そのミスに対してどのような対処を取るかがその部下の能力であるので、その事は自身の問題でもあるのではないかという意味を述べたものです。

 本来、上司は部下の仕事を信頼するという言葉を吐いたとしても、その仕事に対しては常に注視をしたいなければならないものです。それが上司の仕事であり、もし人間性を疑うのであればそれ自体が仕事という事にならないのだから辞めてもらうべきです。

 しかし、そんなことをしていたら仕事にはなりません。仕事というのはミスをどれ位に止めるかという事もありますが、その後の対処やそれが起きたことを前提とした仕事をしているかどうかで評価をするべきであり、決して人間性で評価をしてはいけないという事だと思います。

 どんなに人が良くても、仕事を出来ない人はできないし、その部下に情をかけるなら上司自身の能力を疑うべきだと考えます。情をかけることにより満足をしているとしたら、その上司自身が自らの仕事を省みる力がないという事であり、その部下も悲劇ではないでしょうか。

 なにより
『上司による部下の評価より、部下の上司に対する評価の方が会社にとってはより重要だと思うよ。』
と付け加えておきました。

 上司の能力は自らの指導者としてのを評価できるかどうかですが、私が知っている限り、数が少ないと感じています。なぜなら、業績そのものが指導者としての結果ですが、結果が思わしくない事を部下のせいにする傾向があるように思います。

 それはオーナーという意味ではなくそれぞれの部署の長という意味ですが、多くの場合は部下たちが上司に不安や不信感を持っている事が多いように思います。その結果が思わしくないように思います。

 つまり、部下の評価をするという事は上司自身が自らの評価をするようなもので、指導者としての自らを加味したうえで部下の評価をするべきだと思います。

 彼自身は熱意のあるタイプで、部下たちにも情熱をもって接するタイプですが
『熱意は時として人の気持ちを冷まさせる。熱意はほどほどが丁度良いが、無関心は時としてあらぬ方向で、人を熱くする。』
 

 部下と上司の関係は永遠のテーマですが、優秀な上司のところには優秀な部下が出来、もし部下を評価できないなら、自分を見つめなおす必要があるのかもしれません。部下の行動は自分の鏡なのですから・・。

 何事においても給料に合わせて責任があるという事になるのでしょうか。それらを踏まえて評価をするべきでしょう。

2014年10月27日月曜日

神の存在⁉

 ユダヤ人はよく
『神の存在は我々の存在があって意味がある』
 という事を口にする人間が多いのですが、他の宗教が唯一無二の存在を主張することから考えると多少の違和感があります。勿論我が国固有の宗教である神道は八百萬の神を真としているので少し違いますが・・。

 確かに我々がいなければ神という存在は意味がないような気がします。しかし、こう考えてみたらどうでしょうか。

 『自らの存在を先に意識するより、他の存在を認めることが自らの存在意義である』
というふうに。

 何に付けても他の価値を認めるだけの度量があって、もしくはその存在にあって自分の価値があるという事だと考えます。

 絵画を認めるにはその心を持たなければなりません。その価値を認めることが出来なければどんな名画も何の価値もありません。認める人がいるから価値があるし、その対象物を認めることが出来るのが己の存在価値だと考えます。

 ダイヤモンドに関しても我々がいなければただの宇宙の石ですが、我々にそれを評価できるだけの文化や進化が出来たからこそそこに価値がもたらされているわけです。人類になる前の類人猿でさえ光る物に興味を持ちある種の価値を持っていました。勿論それ以前となるとそれはただの石なわけですが・・・。

 つまり、ダイヤモンドを評価できない人はほとんどいません。ただその価値を危うくしたり、評価する方法を目くらましたりしているだけのような気がします。

 普通に色眼鏡が掛からないように見ている人の評価に沿って説明をすればダイヤモンドは正しく価値を感じてもらえるものだと思っています。

 ダイヤモンドに関してだけではなく、あらゆるもの価値はそれを評価する能力を持っている存在があって価値があります。人間関係においても誰かを無視したり、誰かを恨んだり、誰かを避けたりすることは簡単ですが、それは自分の存在価値を減らしめるように感じます。

 逆に言うと対象物(人)の存在価値を認めることが出来るのなら、それが自分の度量としての価値であり、能力でもあると思います。

 消費者という存在をもっと強く意識することが出来れば業界はもっと存在意義があるのではと考えます。消費者を軽んじるとそのような評価の自分しかそこには存在しないのではないでしょうか。

結果と準備⁉

 ここに三つの言葉があります。
1.目的という結果が明確であれば準備が合出来る。つまり、準備がなければ結果は出ない。

2.準備とは情報という学習と経験がなければ出来ない。それは情報がなければ準備が出来ない       
  という事である。

3.体験と学習は与えられるより臨む方が中身も濃く、楽である。

 これらの言葉はそれぞれの場面で使われた言葉ですが、ロスチャイルドをはじめ多くの著名はユダヤ人が『情報は利益である』と言っています。

 ロスチャイルド家の創設者と言っても良いマイヤー・ロスチャイルドは5人の息子をロンドン、フランス・ドイツをはじめ世界各国に配置し、情報を誰よりも早く手にし、それらを使い財を手にしたことは有名です。

 情報は誰かの手により公開された時点で風化を始めるものです。情報は自らが学び、経験したことが一番強いし、間違いがない訳です。そして、それを使えるのは本人のみです。

 これらの言葉を聞くと特殊な事と思われがちですが、普段の仕事の中にも沢山の自らが手に入れることのできる情報があります。例えば小売業であれば消費者の情報は観察と分析により得ることが出来ますが、何げなく過ごしていては何ら情報は得ることが出来ません。

 つまり、売り上げという結果を求めるのであれば、準備が必要でその準備をするのであれば、消費者を学び、分析をすることが大事で消費者から得られる何気ない情報を無視していては結果には結びつかないという事です。


 回りくどい言い方をしておりますが、消費者は以前から宝飾業界に対してある種の信憑性を持っていなかった事は多くの業界関係者は知っていたはずだし、働いている人間も業界から出たらほとんど戻らないということを考えれば明確です。

 今、業界の一部のアカデミックな方たちの間で、色石鑑別に原産地証明を付けようという動きがあるようです。そして、すでにダイヤモンドでは少しづつですが、グレードの共有をはじめ正確さを合わせようという動きもあります。これらの事は関係者は皆色々な意味で懸念をしていたことを形にしていこうという事だと思います。つまり、宝石の信頼をより戻そうという事です。

 今までは消費者の懸念を払拭しようという動きが少なく、結果業界の業績の低迷というところが続いてきました。しかし、今後は消費者に正しい情報を開示するという業界からすれば準備の部分をきちっと行い、さらなる進化と結果に向かってい進むようになれば良いなと考えています。

 自らが行動を起こし、自らしか持たない情報をフルに生かし、それを結果に生かしたいものです。

2014年10月23日木曜日

法則⁉

 先日のセミナーを受けた方からの質問があり、
『売れない展示会というのは何か原因がありますか?』
という質問がありました。

 売れない展示会というよりも、宝飾品の展示会の創設期に、叩き込まれた基本として、

1.展示会の全貌を入口で見せないようにする。
2.展示会の動線は会場の左回りにする(時計の逆回り)
3.動線を長くする。
4、動線の途中に障害を作る。
5.スタッフはスーツの着用。
6.女性販売スタッフはパンツスーツおよびビジネススタイルは避ける。

といったようなことを指導されました。これらをどれくらい踏まえているかという事になるのかもしれません。また、前回書きましたが其れについてどれくらいの準備ができているかという事だと思います。

 一つ一つの理由として人間は日常から離れたときに装飾品等の購買意欲を掻き立てるといったものが 1.の理由の一つになるのですが、外の日常から見えない処にアプローチをする期待感と驚きの高まりにより日常と違う世界に入る演出をし、会場に入った瞬間に非日常を感じるのです。また、感じてもらわなければなりません。

 次に 2.に関しては人間は心理的に心臓側から回るようになっているそうで、確かに左周りは違和感を感じてしまいます。その為に動きが鈍く滞留時間が長くなるわけです。勿論、販売確率は高くなります。

 3.に関しても2、と同じ理由で滞留時間を稼ぐといった意味ですが 4に関してはそこに興味深いものがあるかどうかを凝視する時間を創出するといったことになります。

 5.は信頼性を高めるといった狙いがありますが、車のこない交差点で赤信号の際にスーツで渡るとカジュアルな服装で渡る人の3倍以上の人が誘導されるというデーターがあるそうです。つまり、人間は心理的にカジュアルな服装よりもスーツ姿に権威を感じ、信用と信頼をするという事です。

 6.に関しては多くのお客様は女性なので販売をするスタッフに着用をイメージするという事です。つまり、アパレル等ではよく行われている事ですが、そこのブランド品や販売品を身に付けることにより商品をイメージしやすくするという事ですので、その演出が出来る服装という事になります。

 そのほかにも売れない展示会の多くは結果としてトレーの上に多数の商品を乗せたり、関連性のない商品が乗っていたりしますが、これは商品の価値を下げるだけではなく、商品を傷め結果的にはお客様の迷いを誘うのですからもっともやってはいけない販売方法でしょう。

 つまり、多くの場合は販売員の経歴のなさや知識の浅さからくるものなのですが、販売を大きく妨げている事は間違いがないでしょう。

 また、以前から述べてもいることですがグレードの問題です。多くの顧客は女性である訳ですが、
女性脳と男性脳というのがあることはご存知方も多いのですが、男性脳はデーターやスペックに反応し、女性脳はイメージに反応をします。

 つまり、以前は男性が婚約指輪を中心にダイヤモンドは男性が購入することが多かったので、
スペックであるグレードや地金の金商の説明をするというものが販売ツールとしては向いていたのですが、現在は女性が決定をする機会が多くなっているために混乱を招くことになったとしても有効にはなりません。

 現実に現代の女性はブランドやイメージで購入をしているケースが多いと思います。つまり、グレードというのは、ただ販売員が説明義務として満足するための手法でしかありません。

 また男性はプライス価格よりもプレミヤがついて高くなるものを欲します。女性はついている価格より安く買う事を望む傾向がありますが、それは日本中が同じ価格であることが前提にはなります。逆に販売側から安い価格を提示されるとさらに要求をする傾向もあります。

 現在の傾向である、高級時計や高級車が売れている現実は男性脳の典型でデーター、スペックが満載で限定というプレミアが付きその上で、オプションを付け実売価格より高くなることをステイタスとして感じる男性にはもってこいの商品ということになります。

 まさにデーター通りの心理という事になる訳ですから。これらから外れてくると販売確率が低くなってくるわけです。

2014年10月22日水曜日

準備⁉

 昨日、以前私のところ一緒に働いていた人間から連絡があり、今までやっていた買取が不調で廃業をするという旨の話でした。彼は米国に渡りGIAの資格を取り、帰国をしたときに当時私が兼務をしていた会社に入社をしてきました。その後、転職をしており、時折々に連絡を取り合っておりました。

 彼は
『人生をやり直す意味で、一から他の仕事をしようと思っています』
と言っておりました。

 しかし、私は
『人生はリセットがきかないんだよ』
と答えました。

 これは意地悪でいっているのではなく、人間の思考は同じことを繰り返すようになっているので、やり直すのではなく、自分の考え方を知り、その対策を考えることが必要で、過去の経歴や行動を誤っていても、正かったとしても受け入れて準備をしなければという意味合いで話ました。

 前回のも述べましたが準備のないところで成果を出すことはできません。訓練をしてない兵士がいくら良い武器を持って戦場へ行っても、よほど運が良くなければ勝利することはできません。

 『世の中なるようになるさ』といった思考の人でなんとなく世の中を上手く渡り、成功をしている人もいます。この人たちの多くはもともと備わった準備が出来る思考を持っています。逆にいくら努力をしていても結果が出ない人もいます。この差は意識してなくても準備が出来る人と、準備の方向が間違っている人の差です。

 それでは準備をどのようにすれば良いかという事になりが、それこそが過去の自分の経験や行動を踏まえるという事になります。

 思考というのはそんなに簡単に変わるものではありませんから、必ず同じことを繰り返します。
つまり、うまくいっている人はうまくいっている思考を繰り返し、過ちを犯した人はどんなに慎重にやっても過ちを犯す可能性が高いのです。

 準備の質を変えることを意識する事は需要です。例えば自らの判断だけではなく他人のアドバイスを考慮するとか、データーを考慮してみるとか、普段自分が行わない行動をとってみるなどの変化を付けてみることです。

 準備というのは決まりきったことを行う事ではなく、想定をする作業がまずあり、対策を練ることから始まる訳ですが、何より大事なことは情報の収集でしょう。多くの人は同じことを繰り返す作業を準備だと考えている事が多いようでです。

 私が知る限りでも、お客様から不平や不満があっても、少数意見として見過ごすことが多いように思います。もしくは見過ごしたほうが余計な仕事を増やしたくないと考えるか、最悪はそんな客は来なくても良いと考えるような横暴さを見せるところさえあります。

 つまり、準備というのは何事にも必要なことであることは間違いがないのですが、其れを実行する者の性格や思考が大きく作用するので、準備というのは多数の意見を吸い上げ、検証する事が同じ過ちをくり返さない一番重要な行動だという事になります。

 一人の思考は同じことは必ず繰り返します。


 
 

2014年10月21日火曜日

結果⁉

 自分にとって大事な言葉として以前にも書いたことがありますが、

今日は昨日の明日、今日は明日の昨日

という言葉があります。

 多くの現在起きている事は過去に何が行われ、何が行われなかったかによって決まっています。また、将来何が起きるかは現在どう過ごすかによって多くの事が決まってきます。

 現在に不満や不安があるという事は必ず繰り返します。将来それを変えようと考えるのであれば、現在をどう過ごすかという事が大事になります。

 多くのプロスポーツ選手は練習方法により試合での結果が変わります。それは練習時間なのか場所なのかはたまたコーチなのか、選択が上手くいくことにより結果が出てくるわけです。

 全米オープンテニスで活躍した錦織選手がコーチをマイケル・チャンに変えることにより、より良い結果を残すことが出来たことは既に有名です。勿論、才能があってのことですが・・・。

 これは日々の過ごし方に関しても言えることですし、ビジネスの上でも言えることです。

 売上や集客という事も含めて今の結果は過去の行動の結果であることを、素直に感じなくてはならないし、同じことを繰り返さないためにも今、何をやらなくてはならないかという事を考えなければいけません。勿論現実も踏まえなければなりませんから並行してという事になりますが。

 電車に乗るには切符を買うように、そして家に入るにはドアを開けるように、普段の生活のごとく準備というのは常に行わなければ結果は出ません。

 以前のダイヤモンド業界には売る為にプロモーションが存在し、その結果ダイヤモンドが普及をしたという、実績があります。今結果が出ていないのはシンジケートも日本への興味も薄れたと同時にそれなりの力もなくなったという事になるでしょう。

 ましてやプロモーションを行ったとしても、シンジケート以外から出てきているダイヤモンドも市場には多くあり、前ほどの意味がないという事もあるでしょう。

 しかし、個別の企業にとっては独自の販売方法もあり、囲い込みのプロモーションも出き、まだまだやれることも多くあるでしょう。今出ている結果はその方法の良し悪しの結果なわけですからその辺も踏まえて将来を考えるべきでしょう。

 今出ていない結果は過去の手立てが十分ではなかったという事ですから、同じことを繰り返さない為にも手立ては十分に必要でしょう。誰のせいでもない訳ですから自らの検証が必要なのかもしれません。(自戒の念を込めて)

打つ手が同じであれば、同じ結果しか出てきません。

理屈ではないのです。

行動なのです。

それが結果です。

行動を起こさずに結果に不満、不安を抱くことはキリギリス(童話)みたいなものです。



 

2014年10月18日土曜日

財産の保全⁉

 昨日、ご来店いただいたお客様から財産の保全のご相談を頂いて、ダイヤモンドの話になり
『換金する際にはどの様にすればよいのですか?』
という質問になりました。

 『基本的にはちゃんとしたダイヤモンドビジネスを行っているところに相談するか、販売の依頼をすることになるでしょうね。』と答えると

 『それはどのように見つけるとよいのですか?』
との質問。

 基本的にはもしダイヤモンドで財産保全を考えるのであれば購入するときが大事です。つまり、購入先にいざ売りたいとなった時に購入保証か販売依頼の契約をすることです。

 しかし、それだけでは十分ではありません。取り次ぐ際の手数料や購入方法もしくは入金方法を証書にしておく必要があります。

 また取り次ぐ方も経験のある人間である必要があります。つまり、価格が上がってもグレードが変わってしまっては元も子もありません。ダイヤモンドの事を知り、その後のグレードの変化の起きにくいものを選ぶ必要があります。

 ダイヤモンドのグレードというものは時と場合によっては変わることがあることは常に述べておりますが、その確率が極めて低い状態にしておかなければなりません。それは基本的にはDカラー、インターナリフローレス、もしくはフローレスでトリプルエクセレントである必要があります。

 つまり、グレードとして変動比の低いものという事になります(あくまでG.I.Aという事になりますが)。VVSなりVS,もしくはそれ以下となるとグレードのぶれる率が高くなります。無疵もしくはそれに準ずるとなるとかなり狭い範囲になります。但し、Dカラーとなると、下がる可能性もありますので、例えばTYPEⅡaを基本にかなりDからでも上の物を選ぶ必要があります。

 カットに関してもエクセレントとなっていてもプロポーションマシンがどの部分を計ったかによって1%未満であっても違いが出て、ベリーグッドになる物もありますので、その辺の変化が起きないものを選ぶ必要があります。カット基準のど真ん中かどうかという事のチェックが必要となる訳です。

 仮にグレードの対応が出来たとしてもサイズの問題が出てきます。10ctsオーバーの物であれば問題はないと考えますが、3ctsなり5ctsレベルの価格の変化はどのようなものであるか。これに関しては過去のデーターに頼るしかありませんから値下がりの起きていないサイズもしくは値下がりの起きにくいサイズを取り扱う必要があります。

 サイズに関しては1ctsに関しては現状価格が不安定という事を考えると選択をすべきではないでしょう。また、3ctsに関しても十年レベルで考えると値上がりをしていますが、ここ一年を考えると若干価格は弱めです。

 しかし、5ctsオーバーでD,IF、3EXとなるとやはり半端な価格ではなくなりますから、どの辺のグレードをお勧めするかもちょっと厄介な元だと考えますが、サイズが大きくなればなるほど財産保全としての確率は高くなることは確実ですが、品質のどの辺を取り扱うかは大きな問題でしょう。

 特に日本の場合は為替の問題が絡んできますので、あくまでもUSドルを前提とした話になりますでのその辺も考慮が必要になります。

 ゆえに経験が必要となるのですが、そのようなビジネスをしている方も国内には数名おりますがなかなか出会う機会はないとは考えます。彼らをつかまえている人々はここ数年で大きな利益を上げた事は言うまでもありません。但し、ここ数年のという事でもあります。

 そのような人々はあまり大きな声をあげてビジネスを行ってはおりませんので、本当に財産の保全という事をお考えであれば、お声をおかけください。ご紹介をしますとお客様にお答えすると、
『ぜひ、考えたいと思っていますのでその時はよろしくお願いします。』
と述べられて、お店を後にしました。

 ファンシーカラーについては延べはしませんでしたが、ギャンブル性を伴うものであるので特には述べることはしませんでしたが、投資としては面白いとは考えてります。
 

2014年10月16日木曜日

不信、不安⁉

 昨日、セミナーが終わり一部アンケートを拝見をし、感じたことは多くの販売員さんが何らかの不安なりを感じ、何らかの不信を抱いていたような気がします。

 
 グレードに頼らないダイヤモンドの販売方法という事をベースにお話をさせて頂いたのですが、流れから言うとダイヤモンドの歴史と時代背景を説明するとともに、何故ダイヤモンドが価値を持つようになったのかという事を中心にお話をさせて頂きました。

 日本のダイヤモンドビジネスには前提となるこのダイヤモンドの背景がないので、いきなりグレードの説明をすることになります。しかし、グレードの説明はダイヤモンドの説明ではなく評価の手順の説明ですからお客様はなんとなくわかったような気がして、実は理解をしていないという事が多くあります。

 先日も書きましたが、小売り部分には正確な情報や知識はよほど興味があって知る以外は手に入りません。多くの販売員さんは何を知らないのかを知らないわけです。

 参加された方達も催事関係からブランド、ブライダル関係の方と分野も分かれているわけですが、多くの場合正確な情報をお待ちではないという事が実感として感じたわけです。

 リクルートの調査によるとジュエリー関係に販売に携わった人たちが離職後再度ジュエリー業界にもどることはほとんどないというデーターがあるそうです。その内容的にはやはり業界への不信感という事だそうですが極度な値引きや天然と処理石の線引き等色々と疑問い思う事も多々あるようです。

 勿論以前にも書きましたが、販売員の方たちが思っているのですから、当然消費者も同じような疑問を持っているわけです。多くの場合催事関係の無茶な売り方が要因であると感じる訳ですが其れだけではなく、異業種、特に呉服の催事関係から参入した業者による販売方法には体質上移動をして歩くのでその場で売れれば良いというようなものがあるのでしょう。

 しかし、宝石店の場合はその土地で商売を続けているわけですから無責任な販売方法をとる訳にはいきませんが、催事屋さんたちは確かに真偽は別にして、お客慣れをしていますからその方法に頼ることにもなりますから結果的には消費者を失っていく販売方法に巻き込まれていくことになります。


 宝石の接客というものは宝石なりジュエリーの説明をし、その上で消費者が判断をして購入という事にある訳ですから、どれだけの価値の説明と内容をディスクローズ(開示)をしていくかという事が重要になります。決して値引き等で追い込んでいくものとは合致するものではありません。

 現代の消費者は情報を沢山持っています。一般社会では有り得ない販売方法を理解してくれることはありません。しかし、消費者は沈黙という武器を持っています。それが火を噴いた時にはすでに遅いのだと思います。

 私も、展示会場にいて消費者の方達からそのような話を耳にします。消費者が耳打ちをしてきている間はまだ良いのかもしれませんが、来場しなくなるようになったら、すでに手遅れだと考えるべきでしょう。やはり殆どの会場で来場率が減ってきています。

 それを景気や増税だけのせいにするにはあまりにも顕著な現象が宝石業界には出ているような気がします。自らが購入者側になってみてください。信用できますか?

2014年10月14日火曜日

ダイヤモンドの背景の違い⁉

 前回までに日本での流通の問題点や実体的なものを書いておりましたが、基本的に日本においては海外とのダイヤモンドを販売するうえで、また購入する上での違いを感じる場面が多くあります。

 ダイヤモンドが実質発見をされたのは紀元前600年頃のインドであるとなっていますが、ビジネスとして利用されていたといっても、実質カットをされるようになったのは14世紀頃です、日本でいえば鎌倉時代くらいでしょうか。

 16世紀頃にはポルトガルとスペインがインドとの貿易の主導権争いをしていたのですが、この頃貿易の拠点として、ダイヤモンドのカット技術の拠点としてアントワープが国際ダイヤモンド都市へと変貌をしていきます。この頃ローマカトリック教会の迫害を受けていたユダヤ人たちは自由のあるアントワープやアムステルダムに向かいます。

 それ以前からギルド(商工業者、手工業者の団体で11世紀頃から)に入れなかったユダヤ人たちは高利貸し等の当時卑しい商売として見られていた職業に従事していたのですが、同じくギルドに参加が出来なかったダイヤモンドの研磨工の仕事に従事をする人々が出てきたのが丁度この頃で16世紀から17世紀にかけての事です。つまり、この頃からユダヤ人たちは好むと好まざるに関わらず、金融とダイヤモンドに接していたのです。日本の鎖国時代くらいだと思います。

 当時ポルトガル領であったブラジルでダイヤモンドが発見されたのは17世紀後半から18世紀前半の頃で、その後財政難でポルトガルが資金の調達をしたはロンドンで金融業を営んでいたユダヤ人ロスチャイルドからで、この時の担保がダイヤモンドであったあのです。その後このロスチャイルド子孫の後ろ盾によりダイヤのンドのシンジケートは形作られていきます。

 この頃にはダイヤモンドも現在の58面体の原型がベネチアで開発がされ、金融担保としても重要なものとされ始めたのです。そのころの日本はまだ江戸時代でダイヤモンドの『ダ』の字も知らない頃でわずかに実態は別にしても『金剛石』として一部の商人が知っている程度でした。

 日本では日清戦争後の明治期を描いた尾崎紅葉の『金色夜叉』の中で金持ちの象徴としてやっとダイヤモンドという固有名詞が出てきたくらいで、単なる金持ちの比喩にすぎませんでした。

 その後外交官を中心にダイヤモンドの需要が増えるのですが、その頃の庶民は見たことも聞いたこともないものですから、その後ダイヤモンドというものが知られるようになっても、ジュエリーについた贅沢品としてだったり、シンジケートのプロマーションにのった婚約指輪として重用されるようになった程度です。

 つまり、海外とわが国ではダイヤモンドへの考え方が基本的に違うという事もありますが、日本のバブルの時代を経て主流ダイヤモンド消費国になった我が国のダイヤモンドの取り扱い方が一部世界のダイヤモンドに影響を与えてしまった事(グレード商売)は事実ですが、大きな意味ではダイヤモンドに対する考え方が違うという事になります。

 しかし、現状は世界が繋がっています。ダイヤモンドに関してもグローバルな見方をするとともにダイヤモンドの扱いを考える時期に来ているとも思っています。そうなると世界のようにお金が関わってきますので慎重にならざるを得ません。その一部を垣間見たのが現在のダイヤモンド買取業でしょう。

2014年10月13日月曜日

ダイヤモンドの変遷⁉(下流編)

 ノーベル平和賞を受賞した17歳の少女マララ・ユスフザイさんのスピーチは衝撃的でメッセージ性の高いものであったなあと感心をしました。世界中の多くの子供が教育を受けることが出来ていない。その事が暴力を生み、戦いにもなっていくという内容でしたが、まさにその通りで内容が違いはすれど教育の不十分さが偽りを生み、そして互いの信用を失っていくという事でもあるでしょう。

 ここでは多くの述べることが出来ませんが、結果的には利害を前提とした洗脳や真理を理解しない知識が広がっていったりもするのでしょう。

 ダイヤモンドそのものが変化をしなくても扱っている人々の情報だったり知識により市場は変化をしていきます。特に消費者と接している販売員たちはある種の被害者でもあるのかもしれませんが販売員の説明により消費者はダイヤモンド理解し、また迷走へと向かうのです。

 過去にはダイヤモンドを扱う多くのメーカーが独自のグレーディングレポートを発行し、無印のダイヤモンドに関してはと特にグレードが付くこともなく、単純にいえば大きさだけで売っていた部分もありましたが、小売店自体が信用をされていた時代だったので何の問題もなく商売は行われていました。

 しかし、メーカーブランドのダイヤモンドがシェアを占め始めるとグレードが付いていないという事が売りにくさをともない、そこで登場してきたのが鑑定会社です。当初は圧倒的にメーカーオリジナル(GIAベース)のグレーディングが強かったのです。メーカー各社は自社グレードを他からの批判を避けるために多少厳しく判定をしておりました。

 
 日本の国民性のせいでしょうか、第三者鑑定が中立で市場はそうあるべき、という空気が広がってくるとともにオリジナルグレードを行ってきていたメーカーも第3者に委託をするようになってきたのです。どちらかというとその方がメリットがあったのです。つまり、無理に厳しくジャッジをする必要がなくなり更に社内的な事務量を削減が出来るということになったのです。

 つまり、グレードは目安ですから、大体を見てくれればよい訳ですし、何かあっても鑑定会社に責任を押し付けようという魂胆もあったのでしょう。しかし、鑑定会社は鑑定会社でグレードは絶対的なものではないのですから責任も保証も何ら必要のある物ではないので、シェアを取る意味でもある程度は依頼者の意向に沿ったグレーディングをするようになってきたのです。

 知らない間に誰も責任を取らないような体質が業界には蔓延ってきたのでしょうが、下流である小売等の販売員にはそのような情報や知識は流れませんからグレードは絶対的なものと信じ、消費者に告げていたわけです。今ではそのように考える人は少なくなってきているといえ、まだまだセミナーを行っているとそれを前提とした質問も多くあります。

 
 過去の経験から多くの色石が希少石と言われ、その数年後に多量に出回るという事を繰り返す歴史であったことを知っています。シトリン(黄水晶)をトパーズと呼び、本当のインぺリアトパーズが出てくると間違って販売をしていましたと百貨店が新聞を使って謝罪をし、ブルートーパーズは希少石であるという事で5CTS位のものがダイヤを取り巻いて40年ほど前には100万円を超える価格で販売をされておりましたが今では・・・。

 アクアマリンの自然の青は限りなく美しいと謳っていたものが10年後には色が薄れ、黄ばんできたとか処理石であれば仕方のない事ですが、小売りの販売員の方達は上流からの情報を信じるしかありませんからそんなことはつい知らずという事で、やむを得ないと言えばやむを得ないのですが・・・・。

 以前このブログでの紹介をしたことがありますが、宝飾品のハイブランドは決して処理石を扱いませんでした。それは歴史のあるブランドとして歴史の浅い処理技術で変色をしたり、劣化することになると顧客に対する背信行為になるからです。しかし、ファンドが背景につくようになると信用より売り上げという事になりますから、さすがに貴石は取り扱ってはいないでしょうが、半貴石はかなり取り扱っているようです。

 前述のマララさんが言ったように教育がないと一方的な情報や知識に支配をされてしまいます。それは戦争や人を殺すことに疑問を抱かなくなったり、人を意図的にではないにしろだます結果になったりもします。

 処理石等では決して価格が上がるとか品物が無くなってくるといったような根拠のないことは言ってはいけないというのが業界の常識でもあったのですが現在では、小売りでよく用いられているようです。確かに、消費者を不安がらせて販売をする方法もあります。

 実験で何千匹のダニが捕れましたと言って布団専用の掃除機を売る方法もあります。しかし、これには根拠なりもありますが、不安がらせて売る壺は根拠がありません。不安がらせる占いや宗教には必ず物販が伴います。この場合ほとんどが根拠がありませんが、根拠ないという証明もありませんからお好きなようにという事になります。

 しかし、正しい情報や知識を持つと、宝石に関しては言ってはいけない事もあります。ダイヤモンドですら100%の確率で価格が上がりますとは言えません。それでも、一定の条件を根拠としての確率は70~80%近くはあるでしょう。しかし、処理石である半貴石が長期的に価格が上がる確率は10%あるかないかではないでしょうか。また、宝石にそのような販売が向いているかどうかという事もありますが、それを口に出せるのはほんの一握りのプロだけです。

 今人気のパライバトルマリンもそうです。

 処理加工のできるものは生産が出来るという事ですから過去とは違う事を理解し、言葉を選ぶことの大切さを学んでほしいと思います。知識と情報という教育はトラブルを回避する意味でも必要なことではないでしょうか。

 何度も言いますが現在は過去とは違います。1社や2社の会社をつぶすだけの破壊力は言葉の真偽の中にあります。エビ業界の二の舞になった場合、実用品ではないジュエリー業界はひとたまりもありません。だからこそ教育が必要なのです。
 

2014年10月11日土曜日

ダイヤモンドの変遷⁉(中流)

 前回の一部が解りにくかったという事でしたので解説がてら流通の中流について触れてみます。

 シンジケートがヨハネスブルグ(南ア)の株式市場から上場廃止にしようと思ったのは、自らの株価が正当に評価をされていないと考えたからですが、その背景は勿論他の鉱山からの原石買付資金が足りなくなったこともあります。シンジケートの試算では少なくとも市場株価の倍以上の価値があっても当然と考えていたのです。

 しかし、投資家たちの考えでは、在庫であるダイヤモンドの原石の評価は自分たちで行っている評価であって市場の評価額ではないという思惑がありましたので、当時の株価は正当なものと思っておりました。

 そこで、シンジケートは市場が評価をした価格が必要だった訳です。その市場が評価した価格とは小売価格の実態から追いかけたものですから、その状況を作り出す必要がありました。その為にはいったん上場を廃止し、小売り環境を作りその上で再度上場をすることを考えたわけです。

 それがLVMHとのジョイントでした。それは小売そのものですから、そこで販売実績を付けることは市場価格を立証することになる訳です。しかし、シンジケートのシステムを構成をしているのは株主でもあり、当時のサイトホルダーであるカッターたちです。当然、立場を飛び越えての小売りへの進出ですから反対が出ることは解っておりましたから内密に進められました。

 しかし、それらを実行するためには株をすべて買い戻す必要があったのです。大株主のL,G社や
S,N社等にはミレニアムダイヤモンドの規格の優先権やダイヤモンドのアワーグラスの販売権と低価格にて原石を供給し、株式を買い戻す条件ともしました。

 結果2000年を迎える前の数年はミレニアムダイヤモンドやダイヤモンドのアワーグラスが日本をはじめ各国で販売が行われたわけです。しかし、多くの部分は日本での販売でしたから、我が国はいい面の皮なわけでした。シンジケートの思惑はその後結果的には実ることはありませんでした。

 多くの海外取引所からダイヤモンドが買い付けられるのですが、現状は殆どがグレーディングレポートが付いておりますので素人でも買い付けが可能になってきました。嘆かわしい事ですが、多くの場合は日本の悪しき販売習慣が発端になっており、それが悪い意味で影響を与えております。

 以前はプロのバイヤーたちが自らの判断でジャッジをし、価格のオファーを行ってきたのですが国内事情であるグレードが優先されるようになると日本の鑑定会社の支店が取引所にできたりもし、日本に輸入前であるにも拘らず日本のグレードが付いていますからバイヤーは計算機があれば買い付けが出来る訳です。

 当然売り手である人々は少しでも良いグレードにしてもらおうと鑑定会社に働きがけをします。多少グレードが甘くてもグレードが出ているからOKという事になる訳です。

 また国内においてもグレーディングがビジネスの鑑定会社からすると大量にダイヤモンドのグレーディング依頼が来る会社には俗に甘くなりますから当然後日取り直した時には違う結果も出る訳です。これはグレードというのは同条件での差異ですから一社からの依頼の中で行う分には問題がないという建前はありますが・・。

 このようにグレーディングはあくまでも目安なので、卸屋さんたちは鑑定会社によってグレードの結果が変わることは知っていますので、そこら中の鑑定会社を巡り、自らが欲しい結果を探して歩くわけです。ひどいときには同じ鑑定会社でも支店によって結果が変わりますのでわざわざ地方の支店の方にグレーディング依頼をする輩も多く出てくるわけです。

 結果的にはスキャンダルに紛れた鑑定会社が現れ、まじめにやっている人々を貶めるという事を繰り返してきたのです。しかし、このことは卸屋さんたちの常識であり、現在でも行われているわけです。

 勿論、鑑定会社にも良識はありますのでそれらをフェアな方向にもっていこうとの努力はありますが、根本であるグレードは単なる目安であって、時と場合によっては結果が違う事があるということを消費者に示さなければ何も解決をしないのだと思います。

 これらが実体と言っても良いのですが、下流である小売店さんや販売員の方達がこの現実を知らない人が多いのも事実でしょう。

2014年10月10日金曜日

ダイヤモンドの変遷(上流)

 ダイヤモンドが金融商品として登場してからも300年余りになります。その間にシンジケートが現れたり、G.I.A(米国宝石学会)が現れたりとダイヤモンドそのものをマニュアル化していく動きと相場化していく動きがめまぐるしく展開されてきました。

 目まぐるしくと言ってもダイヤモンドの歴史や地球の歴史から考えるとチョンの間という事であって実際に人間社会の歴史から考えると結構な時間を費やしているとも言えます。

 ロスチャイルドがダイヤモンドをポルトガルから担保として受け融資をして以来、ダイヤモンドと言えばロスチャイルドの名前が挙がっていたことは皆さんもご存知の事と思います。セシル・ローズの作ったシンジケートを引き継いだオッペンハイマーの名が出てきたのはそれからのことです。

 オッペンハイマー自身も元々は金などの取引にしていたブローカーでもありましたが、シンジケートの倒産により、因縁のあったシンジケートに乗り込んで、ダイヤモンドのシンジケートの礎を作ったわけです。

 しかし、1990年代にはシンジケートであるデビアス社も凋落の兆候が表れます。ダイヤモンドの値下がり等を抑えるべく支出が大きくなりすぎることによって土台が崩れ始め、上場廃止をはじめ起死回生を狙ったのですが、やはり上手くはいかずその座を譲らざるを得なくなったわけです。

 当時のソ連をはじめ採掘技術の進歩した各国の鉱山からの原石を買い続けられなくなったデビアス社はあらゆる手段をもって対応をしたのですが、多くの手段は失敗に終わりました。LVMHグループと行ったブティックのデビアスもその一つです。そしてミレニアムダイヤモンド、ダイヤモンドのアワーグラスこれらは全て生き残る為にシンジケートが打った手段の一部であり決してプロモーシャンなどではなかったのです。(詳しい内容はいずれ)

 現在のシステムは勿論デビアスをはじめロシアのアルロッサ、リオティント社、NWT(カナダ北部の鉱山公社)等をはじめとする多彩なダイヤモンド採掘業者の供給による市場化がされてきました。これはダイヤモンドには良い事ではあります。

 シンジケート一社で行われてきた価格調整は危ういものがありましたが、市場原理で動く現在の価格はある意味では健康的なものですが、一方では価格の急激な変化を特に大きなサイズでは起こす可能性があるのです。

 多くの原石が供給をされてきたことにより、以前であれば一つの目標であった1ctサイズはポピュラーなサイズとなってきたので今後は経済の動き次第では本年のように値下がり傾向を示し、小さなサイズのように需要が増すと価格が上がるという現象が顕著になる訳です。

 ただし、絶対的な希少性である大きなサイズここでは5cts以上とか特殊なファンシーカラーに関してですが、今後ともに市場原理が働くほどの量はないので下がる可能性は低いと言っても良いのですがイコール値が下がるという事ではありません。ただ、大きな値上りはあり得ますので気を付けなければなりません。

 金融商品として300年余りたちますが我が国日本では未だにその認識が低いのはシンジケートの行ったプロモーションがこの国ほどはまったケースはないのでしょう。その後遺症が現在の市場ではまだくすぶっており、その変化に対応すべく努力は関係者が尽力をする以外にはないのではないでしょうか。

 小売りのマーケットの混乱や不調はそんなところにもあるのではと考えております。

 下流編に関しては次回にでも述べたいと思います。

 

2014年10月9日木曜日

人それぞれではあるけれど⁉

 ダイヤモンドのルース(裸石)の商売をしていると人間の感性の違いを知らされることがあります。

先日での展示会においても出来上がりのリングをお渡しする際に

『社長のところのダイヤモンドは本当によく光りますね』
とお渡ししたピンクゴールドに留まったダイヤモンドを見ながらポツリとつぶやきました。

 このお客様は白いダイヤモンドより若干色がある物が魅了を感じるという事でTTB(Top Top Brown)の物を使用したものでテリの強いものです。

 多くの人々は白いダイヤモンドが好きというケースが多いのですが、実はそれは思いこみでもあり、販売側も白いダイヤモンドが良いという風に教育を受けているので説明がその様になりがちです。

 しかし、小売りの場面に立ってみて感じたことは多くの場合、輝きと煌めきが一番のポイントで色に関しても、何も言わなければブラウンであったり、イエローであったり、勿論白色であったりと様々なカラーに反応をします。

 つまり、多くの場合は販売する人々の先入観が消費者の指向を左右させており、其れが販売の妨げになっている場合が多いことを感じます。

 また、色々と奇異な場面に遭遇することも多いのですが今回もダイヤモンドの鑑別書の件でお客様が必要ないと言っているにも拘らず販売員が
『ダイヤモンドが本物かどうかを示すものなので付けておいた方が良いのでは…。』
と理解に苦しむ言葉が出てきたのです。

 自分が販売している物に自信がないのか自分の会社が販売している物を疑っているのか・・・。
もしそうだとするなら最初からダイヤモンドを販売することをやめた方が良いのではと感じる次第です。

 これが色石であるとか、対面販売ではない通販やネット販売であれば販売側に信用の根拠や
実際に呼び名が違ったりする色石もありますから理解もできますが、鑑別書の本来の意味を理解していないように感じます。これは過去の体験から業者が持ち寄る意味不明な半貴石等で痛い目にあったという事なのかもしれない。

 これらを繰り返していると会社の経費という事も考えると馬鹿にならない問題で、自分の腹が痛まないから取りあえず付けておこうという事だろうと思います。しかし、意味が分かれば自身の販売方法や確認だけで済むことであり。お店の保証書だけで済むことであり、お客様もお店の保証と購入代金の証明があれば良い事であります。

 総じてですが、最近の人たちは会社のリスクにより仕事をしているように感じることが良くあります。仕事というのは自らのリスクも取るつもりがなければただのぶら下がりになりますから、会社にとってもどちらでもよい存在という事にあるでしょう。

 何をすべきかを理解していても自分の負担や評価を前提に動くようではすでに仕事ではなく、作業の域です。そんな社員だったり、中間管理職だあったりしたら会社は悲劇であります。

 前述したようにお客様の指向は様々です。自らのリスクとも言えないようなことまでも他力本願になるようではお客様の選択値を狭めてしまいますし、販売に支障をきたします。自らを守ろうとすることがお客様に誤解を与えたり、会社の利益の妨げになったりという事になります。

 勿論リスクを回避することは必要です。しかし、リスクではない事をリスクと勘違いし、本来のリスクを見失うことは大きな損失を生みます。

 仕事の本来の意味を知ることは全てにおいて結果だったり、目的をはっきりします。そして同時に明快な行動をとらせます。その為に心掛けることは

・会社のリスクで仕事をしている限りは結果は出ない。自らのリスクを土俵にのせることが仕事の 
基本である。

・ガソリンの入っていない車は安全であるけれど、ガソリンを入れなければ何の役にも立ちません。

難しい表現だったかもしれませんが、要は仕事は責任を持ってやりなさいという事でしょうね。

 責任回避のために自分のマニュアルの中にお客様を当てはめて売ろうとすることは、お客様が持っている常識とかけ離れることが多いのでお客様からの信頼を得ることにはならないという事だと思います。

 例えば見積もりですが、
『本来は100万円になりますが、お値引きをして50万円という事にします。』
これはたまに耳にする言葉ですが、常識的に考えれば見積もりとはその言葉通り工賃や材料費などを積み重ねていって出てくるお値段です、それがいきなり金額出てきて、それを値引きしますと言ってしまう無神経さにはあきれ果てることがあります。

 これは世の中の常識、ましてや自分が他の職種でそのような見積もりを出せれて、それを信用できるかどうかを考えればわかります。当たり前の人間であれば二度とそこには現れないでしょう。

 自分の身に置き替えて仕事をする事を心がけてほしいものです。