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2014年10月27日月曜日

神の存在⁉

 ユダヤ人はよく
『神の存在は我々の存在があって意味がある』
 という事を口にする人間が多いのですが、他の宗教が唯一無二の存在を主張することから考えると多少の違和感があります。勿論我が国固有の宗教である神道は八百萬の神を真としているので少し違いますが・・。

 確かに我々がいなければ神という存在は意味がないような気がします。しかし、こう考えてみたらどうでしょうか。

 『自らの存在を先に意識するより、他の存在を認めることが自らの存在意義である』
というふうに。

 何に付けても他の価値を認めるだけの度量があって、もしくはその存在にあって自分の価値があるという事だと考えます。

 絵画を認めるにはその心を持たなければなりません。その価値を認めることが出来なければどんな名画も何の価値もありません。認める人がいるから価値があるし、その対象物を認めることが出来るのが己の存在価値だと考えます。

 ダイヤモンドに関しても我々がいなければただの宇宙の石ですが、我々にそれを評価できるだけの文化や進化が出来たからこそそこに価値がもたらされているわけです。人類になる前の類人猿でさえ光る物に興味を持ちある種の価値を持っていました。勿論それ以前となるとそれはただの石なわけですが・・・。

 つまり、ダイヤモンドを評価できない人はほとんどいません。ただその価値を危うくしたり、評価する方法を目くらましたりしているだけのような気がします。

 普通に色眼鏡が掛からないように見ている人の評価に沿って説明をすればダイヤモンドは正しく価値を感じてもらえるものだと思っています。

 ダイヤモンドに関してだけではなく、あらゆるもの価値はそれを評価する能力を持っている存在があって価値があります。人間関係においても誰かを無視したり、誰かを恨んだり、誰かを避けたりすることは簡単ですが、それは自分の存在価値を減らしめるように感じます。

 逆に言うと対象物(人)の存在価値を認めることが出来るのなら、それが自分の度量としての価値であり、能力でもあると思います。

 消費者という存在をもっと強く意識することが出来れば業界はもっと存在意義があるのではと考えます。消費者を軽んじるとそのような評価の自分しかそこには存在しないのではないでしょうか。

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