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2014年12月2日火曜日

本質と擬似!?

 物事には本質と擬似があります。言葉としての表現としてはあってはないかもしれませんが、今度の衆議院選挙を見ていてどうしても合点がいかないものを感じます。

 何故だろうと考えると政治家が変わって国政が変わるかどうかということです。戦後の復興の際にはとてつもない原動力となった行政の力が変質をしてしまっているのではないだろうか?

 多くの国民が思っていることではありますが、政治家変わっても日本は変わらないという感覚です。これは悲しいことですが政治家は表面上の現象で、本質的には役人が日本を動かしているということです。

 そして、留まっている水は必ず腐ります。行政改革が叫ばれて数十年になりますが、いつも改革半ばにしてなし崩しになります。何故だろうと考えたときにやはり役人が国を動かしているからだろうと考えます。そして、それがわが国の本質であり、その本質が変質をしてしまったということでしょう。

 一見政治家が色々な政策を出すごとに政治が動いているような気がしますが、実際には先送りにしたり、廃案になったとしても大きく日本が変わった意識はありません。政治が本質的な改革の役に立ってはいないからだろうと考えます。つまり、今の政治は単なる疑似なのです。

 現在の多くの業種にも感じることですが、表面上の結果を求めるあまり、それぞれの業種の本質的な役割を忘れたり、その業種であるからこそやってはいけない手法を使用したりといったことが目に余ります。

 
 宝石の価値観はいつも書いていますが、大半は付加価値観です。その付加価値観を演出するのが宝石商の役割であり、信用ですが、業界に多くの祭事屋さん達が参加をするようになると擬似宝石商が展示会場に多く現れてきているような気がします。

 保証の出来る内容ではないことに保証という言葉を使用したり、絶対という言葉を連発したり、消費者の決定要因に左右するような言葉に根拠のない一言を多用したりと傍で聞いていてハラハラするやら怒りを覚えるやらで、嫌気さえ感じます。

 本質については『ノレン』(ブランド)について、述べたように本質的なこと、つまり変わっては本来の価値が無くなり、意味が無くなる内容を変えてはいけないのです。宝石に関しては信用が全てですから疑似的手法を使ってはいけないのです。

 二重プライスなどもその典型的な例ではありますが、セールストークの内容次第では詐欺にも値するようなことになります。実用的に使うものではないだけに慎重でなければなりません。

 国のあり方にしても。仕事のあり方にしても、目指すものは本質に沿っていなければそのこと自体に意味が無くなります。つまり、各論は総論に沿っていなければいけないということですね。

 
 

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