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2014年12月14日日曜日

究極⁉

 昨日、リフォームの仕上がりを取りにご来店をして頂いたお客様と御来店のきっかけとなった話となり、彼女が
『存在は知っていたけれど、入りにくいお店と思っていました。』
と多くのお客様が口にする言葉を発し
『本当は私、色石のほうが好きなんですよね。でもこちらの店頭には色のついたダイヤモンドが沢山あるじゃあないですか。其れでついついお邪魔をしたんですよね。』

 お年のことを言っては失礼ですが、30歳前後の彼女はカジュアルな格好がお好きで
『私はいつも汚い恰好でふらついているので、どちらの宝石店さん行っても、百貨店に行ってもあまり、相手をされないんですよね。』
と大して気にはしていないけどと言いたげにお話しを続けました。

 彼女は色石が好きで、むしろ曇っているくらいの色がはっきりと出ている石が好きだと言っていたのですが、
 『こちらに伺って、ファンシーカラーのダイヤモンドをみていると。ダイヤモンドの輝きが色をさらに鮮やかに見せてくれるんだと感じました。』
と私自身がしてやったりと心で声を出しそうな言葉を繰り出してきました。

 自然の物は何かの対比があって更に彩が鮮やかになるものだと説明するとともに、ダイヤモンドのその典型で色があるから輝きが落ちるというよりむしろ輝きが究極のダイヤモンドの色を演出してくれるということを話をすると
 『私はダイヤモンドが輝いているだけでむしろ色をごまかしているものだと思っていました。』
と彼女、
 『そうではなくて人工的な光は確かにダイヤモンドの反射が強すぎてという部分もあります。けれども、自然光は本当の色を示してくれるし、自然の強い光はむしろダイヤモンドの力強さをアピールしてくれます。』
と私が言うと
『宝石の究極は輝くということが基本で色は二次的についてくるものだということですか?』
と彼女
『色は感性に訴え、輝きはときめきを与えてくれます。つまり、イルミネーションみたいなものでまずは輝きがあり、興奮をし、色を見て落ち着いてきます。』
と小生の持論の展開ですが
『ファーストコンタクトには輝きが究極で、色はその後好みにも影響をされるものです。だから輝きよりも色が重要というわけでないんです。宝石は・・・。』

 その後もしばし、年末オーストリアに行きオペラを観るという話や北欧のオーロラの話をし、最後には美術館よりも自然博物館のほうが好きという話になり、私自身もそのほうが好きですよと言うと
 『人工的なものより自然が好きなんですね。それでお互い頭を使うものより本能で感じるものが好きなんですね。』となり、年末の挨拶をしながら彼女は店を後にしました。

 実は前日にご来店を頂いたお客様とも同じような話があり、同じく百貨店の宝石サロンでは失礼な応対をされるといっていた方がおりましたが、それなりの経済力をお持ちで共通することは興味を持っている方向が違い、華やかのジュエリーよりも自然な宝石の姿が好きということでそれ以外にはあまり価値を感じないという方たちです。

 長い間このビジネスをしていると石好きの人はすぐにわかります。ついついお持ちになってほしくて利益を全くではありませんが、考えずに販売をして周りからヒンシュクを買うこともあります。

 本能で感じることの出来る感性は動物の原点だと考えているので、宝石を本当に好きな人には悪い人がいないと言う事と、必ずそれなりの価値がその方たちの周りに集まるという風に感じています。

 派手だけが好みの人の周りにはどうかと思うジュエリーが沢山集まっています。宝石は本能で感じ見ることが究極だと改めて考えさせられました。
 

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