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2014年11月20日木曜日

巨星逝く⁉

 銀幕のスター高倉健さんが亡くなり、連日TV番組の中で特集をされています。私自身にも高倉健さんとの思い出があり、時代が変わったことを実感しています。

 最初に高倉健さんとお会いしたのは今から40年ほど前になります。大学を卒業して社会人になり、学生時代ズ~と続けていた運動する機会も無くなり、体に歯がゆさ(表現は間違っているかもしれません)を覚えていた時に先輩に勧められて、スポーツジム通いを初めた時になります。

 当時はプライベートなスポーツジムは殆どなく、大半の人々もその存在を知らなかった頃です。アメリカ人が経営するそのジムは麻布の当時私が勤めていた会社のすぐ近くにありました。

 週何回か早朝5時から使用ができるそのジムに朝5時半頃から通い、一時間ほど体を動かし、当時としては珍しかった健康的な朝食(主に野菜ジュースとサラダそしてヨーグルト)をとり、7時半頃には出社をしておりました。

 ある時いつもと同じように、ロッカー前で着替えをしていた時です。
『後ろを失礼します。』
と、渋い声がして何気なく声の方向を見ると見たことのある人だなぁ・・と思った瞬間です。
『アッ、高倉健だ』
思わず心の中で大きな声を上げつつ、
『アッ、すみません。どうぞ』
と、平然さを装い、すれ違ったものでした。

 其れから何度かお顔を拝見する機会があり、ある時
『これから、お仕事ですか?』
と声をかけられ、緊張のあまり、
『はい、お疲れ様です。』
と訳の解らない返事をしたものですから、思わず苦笑いをされてこちらを見ていたのが印象に残っています。その後何度か会釈をする機会がありましたが、その後は会話をすることもありませんでした。

 当時は今ほど俳優さんがフランクに外を歩いていたり、プライベートを公開することはなく、我々が出会う事のない存在で、銀幕のスターそのものでしたから貴重な時間を過ごさせてもらったと感じています。

 その後私はアメリカに渡り、お見かけすることもなくなったのですが、ある時にロサンゼルスにある日系の映画館で高倉健さんが主演の映画があることを聞き懐かしさもあり、思わずその映画館ロサンゼルス松竹に足を運びました。

 その映画は『幸せの黄色いハンカチ』というタイトルで、何よりびっくりしたのは私の故郷である北海道の夕張が舞台だったことです。当時実家は時計店と土産物屋を二店営んでおり、画面の中にその2軒のお店が映った時には思わず、ホームシックにかかったことを覚えています。

 画面の中の高倉健さんは刑務所帰りの中年の役を演じたいたのですが、その前にお会いしていた時の姿とかぶさり、思わず目頭が熱くなるのを覚えました。

 何よりも高倉健さんはよく言われることではありますが、日本男子はかくあるべしといった存在で、日本では富士山のような存在そのものだったように感じています。つくづく残念でなりません。

 品格と存在感まさにその事に価値のあるような俳優さんでした。我々は大事な宝物を失ったのかもしれません。

 実直さと品格と優雅さ加えて存在感と我々の扱っている宝飾品や商っている者に正に必要な物を全て持っていたのではないかさえ感じてしまいます。高倉健という商品価値を究極まで高めて逝ったのではないかと思います。

 いずれにしても心よりの冥福をお祈りします。

 

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