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2014年10月10日金曜日

ダイヤモンドの変遷(上流)

 ダイヤモンドが金融商品として登場してからも300年余りになります。その間にシンジケートが現れたり、G.I.A(米国宝石学会)が現れたりとダイヤモンドそのものをマニュアル化していく動きと相場化していく動きがめまぐるしく展開されてきました。

 目まぐるしくと言ってもダイヤモンドの歴史や地球の歴史から考えるとチョンの間という事であって実際に人間社会の歴史から考えると結構な時間を費やしているとも言えます。

 ロスチャイルドがダイヤモンドをポルトガルから担保として受け融資をして以来、ダイヤモンドと言えばロスチャイルドの名前が挙がっていたことは皆さんもご存知の事と思います。セシル・ローズの作ったシンジケートを引き継いだオッペンハイマーの名が出てきたのはそれからのことです。

 オッペンハイマー自身も元々は金などの取引にしていたブローカーでもありましたが、シンジケートの倒産により、因縁のあったシンジケートに乗り込んで、ダイヤモンドのシンジケートの礎を作ったわけです。

 しかし、1990年代にはシンジケートであるデビアス社も凋落の兆候が表れます。ダイヤモンドの値下がり等を抑えるべく支出が大きくなりすぎることによって土台が崩れ始め、上場廃止をはじめ起死回生を狙ったのですが、やはり上手くはいかずその座を譲らざるを得なくなったわけです。

 当時のソ連をはじめ採掘技術の進歩した各国の鉱山からの原石を買い続けられなくなったデビアス社はあらゆる手段をもって対応をしたのですが、多くの手段は失敗に終わりました。LVMHグループと行ったブティックのデビアスもその一つです。そしてミレニアムダイヤモンド、ダイヤモンドのアワーグラスこれらは全て生き残る為にシンジケートが打った手段の一部であり決してプロモーシャンなどではなかったのです。(詳しい内容はいずれ)

 現在のシステムは勿論デビアスをはじめロシアのアルロッサ、リオティント社、NWT(カナダ北部の鉱山公社)等をはじめとする多彩なダイヤモンド採掘業者の供給による市場化がされてきました。これはダイヤモンドには良い事ではあります。

 シンジケート一社で行われてきた価格調整は危ういものがありましたが、市場原理で動く現在の価格はある意味では健康的なものですが、一方では価格の急激な変化を特に大きなサイズでは起こす可能性があるのです。

 多くの原石が供給をされてきたことにより、以前であれば一つの目標であった1ctサイズはポピュラーなサイズとなってきたので今後は経済の動き次第では本年のように値下がり傾向を示し、小さなサイズのように需要が増すと価格が上がるという現象が顕著になる訳です。

 ただし、絶対的な希少性である大きなサイズここでは5cts以上とか特殊なファンシーカラーに関してですが、今後ともに市場原理が働くほどの量はないので下がる可能性は低いと言っても良いのですがイコール値が下がるという事ではありません。ただ、大きな値上りはあり得ますので気を付けなければなりません。

 金融商品として300年余りたちますが我が国日本では未だにその認識が低いのはシンジケートの行ったプロモーションがこの国ほどはまったケースはないのでしょう。その後遺症が現在の市場ではまだくすぶっており、その変化に対応すべく努力は関係者が尽力をする以外にはないのではないでしょうか。

 小売りのマーケットの混乱や不調はそんなところにもあるのではと考えております。

 下流編に関しては次回にでも述べたいと思います。

 

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