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2014年10月14日火曜日

ダイヤモンドの背景の違い⁉

 前回までに日本での流通の問題点や実体的なものを書いておりましたが、基本的に日本においては海外とのダイヤモンドを販売するうえで、また購入する上での違いを感じる場面が多くあります。

 ダイヤモンドが実質発見をされたのは紀元前600年頃のインドであるとなっていますが、ビジネスとして利用されていたといっても、実質カットをされるようになったのは14世紀頃です、日本でいえば鎌倉時代くらいでしょうか。

 16世紀頃にはポルトガルとスペインがインドとの貿易の主導権争いをしていたのですが、この頃貿易の拠点として、ダイヤモンドのカット技術の拠点としてアントワープが国際ダイヤモンド都市へと変貌をしていきます。この頃ローマカトリック教会の迫害を受けていたユダヤ人たちは自由のあるアントワープやアムステルダムに向かいます。

 それ以前からギルド(商工業者、手工業者の団体で11世紀頃から)に入れなかったユダヤ人たちは高利貸し等の当時卑しい商売として見られていた職業に従事していたのですが、同じくギルドに参加が出来なかったダイヤモンドの研磨工の仕事に従事をする人々が出てきたのが丁度この頃で16世紀から17世紀にかけての事です。つまり、この頃からユダヤ人たちは好むと好まざるに関わらず、金融とダイヤモンドに接していたのです。日本の鎖国時代くらいだと思います。

 当時ポルトガル領であったブラジルでダイヤモンドが発見されたのは17世紀後半から18世紀前半の頃で、その後財政難でポルトガルが資金の調達をしたはロンドンで金融業を営んでいたユダヤ人ロスチャイルドからで、この時の担保がダイヤモンドであったあのです。その後このロスチャイルド子孫の後ろ盾によりダイヤのンドのシンジケートは形作られていきます。

 この頃にはダイヤモンドも現在の58面体の原型がベネチアで開発がされ、金融担保としても重要なものとされ始めたのです。そのころの日本はまだ江戸時代でダイヤモンドの『ダ』の字も知らない頃でわずかに実態は別にしても『金剛石』として一部の商人が知っている程度でした。

 日本では日清戦争後の明治期を描いた尾崎紅葉の『金色夜叉』の中で金持ちの象徴としてやっとダイヤモンドという固有名詞が出てきたくらいで、単なる金持ちの比喩にすぎませんでした。

 その後外交官を中心にダイヤモンドの需要が増えるのですが、その頃の庶民は見たことも聞いたこともないものですから、その後ダイヤモンドというものが知られるようになっても、ジュエリーについた贅沢品としてだったり、シンジケートのプロマーションにのった婚約指輪として重用されるようになった程度です。

 つまり、海外とわが国ではダイヤモンドへの考え方が基本的に違うという事もありますが、日本のバブルの時代を経て主流ダイヤモンド消費国になった我が国のダイヤモンドの取り扱い方が一部世界のダイヤモンドに影響を与えてしまった事(グレード商売)は事実ですが、大きな意味ではダイヤモンドに対する考え方が違うという事になります。

 しかし、現状は世界が繋がっています。ダイヤモンドに関してもグローバルな見方をするとともにダイヤモンドの扱いを考える時期に来ているとも思っています。そうなると世界のようにお金が関わってきますので慎重にならざるを得ません。その一部を垣間見たのが現在のダイヤモンド買取業でしょう。

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