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2014年10月30日木曜日

過去の栄光⁉

 『過去の栄光』という言葉がありますが、言葉通りにとると通り過ぎた幻想のようなニュアンスがあります。勿論、時代は動いていますからその時代時代に合った行動なり、考え方があると思います。

 この言葉通りであれば、過去のデーターそのものも幻想の一部という事になります。しかし、多くの場合はデーターを使いながら分析をすることも多いのですが、データーは未来の目的のために積み上げていくものであって、今起きている事やその場のしのぎに使用するものではありません。

 つまり、過去の状況を繰り返すことは結果の疲弊を繰り返すだけで良い結果が出ることはあまり考えられません。つまり、変化を起こそうとしたり結果を出そうとするには同じことを繰り返してはいけないわけです。

 繰り返さない為には新たな形への準備が必要であり、準備なくして結果はありません。多くの失敗を繰り返す人々は過去の良かった結果に頼ろうと(二匹目のドジョウ)を狙おうとします。

 しかし、以前であればそれで得られる結果もあるかもしれませんが、現代は二匹目を追う時には既に誰かが捕っていますので、時間の流れが同じことを繰り返させない速さがあります。

 なにごとも結果を求めようとするなら、文化を作る必要があります。
『文化はオリジナリティーにより創られ、オリジナリティーのない者によって葬り去られる。』
言葉が差すように結果は新しい文化により創造されます。

 結果を求めるにはデーターを踏まえたオリジナルな創造と準備が必要です。データーは単なる
『過去の栄光』にしてしまっては意味がありません。

 しかし、『過去の栄光』から得ることも多くあります。それはポジティブな心理の『成功体験』を植え付けることです。勿論、語っている方は気持ちが良いだけかもしれませんが、聞く方は初めての事ですから真摯に受け、どのように活用するかを考えればよいだけです。

 結論を言えば年長者の話は決して無駄にはならないし、それを使いこなせる者だけが文化と成功体験が出来るという事です。悲劇は周りに『過去の栄光』を持っている人がいない場合です。
もしいるのなら大いに活用することです。

 『過去の栄光』が良いのか悪いのか解りにくい話になりましたが、それはどう捉えるかその人次第だという事になりますが、その場だけの場当たり的仕事は結論が出ないという事だけはお解りいただきたいですね。

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