自身はそうではないのですが、仕事柄もありますが格差社会と言われる現状でその両方を見る立場にいると考えています。昨日、さるゴルフコンペに参加をし、感じたことなのですが、多くの参加者やそのゴルフ場に来ている人々の会話を昼食中に聞いていると、フェラーリの3台目を注文したとか、アストンマーティンの新しいのが来たから見てみないとか普通の会話として聞こえてくるのです。
ゴルフコンペ自体は東京のすぐ隣の名門コースではあるのだけれど、それにしてもと感じました。更に前夜は以前通っていたスポーツジムが閉鎖をし、そこに通っていた人々との忘年会だったのですが、やはり諸先輩たちの会話はこの夏2ヶ月かけて、息子たちがいるヨーロッパを回ってきましたとか、今の楽しみはゴルフと海外旅行かな・・といった内容がほとんどです。
ゴルフコンペの打ち上げは年末という事もあり、私は所用で参加をしませんでしたが横浜の水上レストランを借り切ってのパーティーでした。
これらの人と接してみて、現在を景気が悪いと感じている人々との格差を感じ、この人々の下で多くの人々が働き、格差と収入の不満を感じているのかなとも考えました。現実には株高で一部の富裕層の懐が温まっている事の事実でしょうし、その株価というものが過去も日本という国を豊かにし、危うくさせたこともあります。
しかし、国単位で考えると日本の豊かさは国を軟弱にするくらいのものがあります、勿論他の国では想像を絶する生活をしているところもあります。そして、戦争を継続している国もあります。しかし、それらの国はに日本より不幸なのかと考えると必ずしもそうも言えません。
戦争とは平和という言葉は決して反意語ではありません。平和がイコール幸福なのかどうかという問題は、また別の話なのだろうと考えます。見た目で幸福かどうかを考えることはできないし、このいまある格差が必ずしも不幸とも限らないとも考えます。
アベノミクスとは正に其処をついているのでしょう。一部の富裕層が裕福になることがあれば必ずその下の人々もそのうち裕福になる。韓国のように財閥経済ではないので独り占めはできないという事を前提にしているのでしょう。
考え方には色々とあるでしょうし、どちらの面から物を見るかによっても違うでしょうが、私達のビジネスはそこを見定めながら行わなければなりません。やはり、宝飾品は色々な意味での成功者であり、さらにその感性を持っている人々のものです。残念ながら富裕層であっても車やゴルフ、投資に興味を持っている人々は経験上宝飾品を積極的には好みません。どちらかというと優先順位は低くなります。
贅沢というものは決してお金をかける事ではないし、無駄遣いとは意味が違います。また、エレガントとは身に付けているものではなく、その人自身であることは皆も理解はしているとは思いますが、やはりお金があることは大前提となります。宝飾品はそういった方に向くものだと考えています。
それゆえ、その演出が絶対条件であり、宝飾品の将来を考えるとステイタスを踏みじるようなものではなく、富裕層に対して、また次に来る富裕層に対して少しばかりくすぐる様な演出がある習慣を創造することが大事であると考えています。
格差には色々な格差があります。やはりそこにも差があります。皆が皆お金を持ったからと言って宝飾品の方を向いてくれはしません。表面上では解らない富裕層の中にある最大公約数を求めての仕掛けも必要なのだと考えます。
ゴルフコンペ自体は東京のすぐ隣の名門コースではあるのだけれど、それにしてもと感じました。更に前夜は以前通っていたスポーツジムが閉鎖をし、そこに通っていた人々との忘年会だったのですが、やはり諸先輩たちの会話はこの夏2ヶ月かけて、息子たちがいるヨーロッパを回ってきましたとか、今の楽しみはゴルフと海外旅行かな・・といった内容がほとんどです。
ゴルフコンペの打ち上げは年末という事もあり、私は所用で参加をしませんでしたが横浜の水上レストランを借り切ってのパーティーでした。
これらの人と接してみて、現在を景気が悪いと感じている人々との格差を感じ、この人々の下で多くの人々が働き、格差と収入の不満を感じているのかなとも考えました。現実には株高で一部の富裕層の懐が温まっている事の事実でしょうし、その株価というものが過去も日本という国を豊かにし、危うくさせたこともあります。
しかし、国単位で考えると日本の豊かさは国を軟弱にするくらいのものがあります、勿論他の国では想像を絶する生活をしているところもあります。そして、戦争を継続している国もあります。しかし、それらの国はに日本より不幸なのかと考えると必ずしもそうも言えません。
戦争とは平和という言葉は決して反意語ではありません。平和がイコール幸福なのかどうかという問題は、また別の話なのだろうと考えます。見た目で幸福かどうかを考えることはできないし、このいまある格差が必ずしも不幸とも限らないとも考えます。
アベノミクスとは正に其処をついているのでしょう。一部の富裕層が裕福になることがあれば必ずその下の人々もそのうち裕福になる。韓国のように財閥経済ではないので独り占めはできないという事を前提にしているのでしょう。
考え方には色々とあるでしょうし、どちらの面から物を見るかによっても違うでしょうが、私達のビジネスはそこを見定めながら行わなければなりません。やはり、宝飾品は色々な意味での成功者であり、さらにその感性を持っている人々のものです。残念ながら富裕層であっても車やゴルフ、投資に興味を持っている人々は経験上宝飾品を積極的には好みません。どちらかというと優先順位は低くなります。
贅沢というものは決してお金をかける事ではないし、無駄遣いとは意味が違います。また、エレガントとは身に付けているものではなく、その人自身であることは皆も理解はしているとは思いますが、やはりお金があることは大前提となります。宝飾品はそういった方に向くものだと考えています。
それゆえ、その演出が絶対条件であり、宝飾品の将来を考えるとステイタスを踏みじるようなものではなく、富裕層に対して、また次に来る富裕層に対して少しばかりくすぐる様な演出がある習慣を創造することが大事であると考えています。
格差には色々な格差があります。やはりそこにも差があります。皆が皆お金を持ったからと言って宝飾品の方を向いてくれはしません。表面上では解らない富裕層の中にある最大公約数を求めての仕掛けも必要なのだと考えます。
0 件のコメント:
コメントを投稿