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2014年11月24日月曜日

生業⁉

 またまた、健さん話題になりますが、著書の中で『生きていくために俳優を始めたが難しいもので何事も生業にしようと思うと簡単ではない』と述べているそうです。

 その中で『俳優は映画という短い旅を繰り返すもので、一つの物語という旅を終えるごとにどれくらいの生き様と感動を見ている人に与えれたかといつも考える』と言っていたそうです。

 我々、ダイヤモンドや宝石を生業とする人間は何を価値として伝え、見合った報酬を手にしているのかどうかという事をついつい考えてしまいました。

 ダイヤモンドというものを掘り出すという作業をするものにとっての報酬は当然あり、研磨をする人間にとっての報酬もあり、それを仕分けして送り出す人間の報酬も見合った率の報酬はあると考えます。流通の川上から、川下に行くほど利益というものは大きくなっていくのですが、結論から言うと小売業では取っている利益ほどの価値を消費者に伝えているのだろうか?

 物作りをする人間は作るという作業とその技術に対しての報酬があり、その材料が木材だとするとその木材を切り出す人間の報酬も当然ある訳です。

 ダイヤモンドは掘り出された時点ですでに実質価値がある訳ですが、それ以上の価格に乗るものは付加価値なわけです。それぞれの段階で見合っただけの価値感、つまり歓びや誇りといった付加価値をちゃんと消費者に提供しているのだろうか?

 特に小売業というものは利益の享受が一番多いところです。つまり、流通の段階でいえば一番付加価値を消費者に提供をしなければなりません。得ている利益に見合ったプライドや歓びを消費者に与えるだけの努力をしているのだろうか。自らも含めて疑問に思う事があります。

 生業とは自らが人生を送るうえで必要な物を手に入れる業という事になる訳で、つまり、生計を立てる手段という事ですからプロフェッショナルという事とイコールでもある訳です。

 理屈っぽくなりましたが、簡単に言うとダイヤモンドや宝石というものは素材そのものに頼り過ぎていて、各々がダイヤモンドや宝石の実質的価値に利益を乗せて販売する事に見合った考えを持って消費者に提供をしているのかどうかという事です。

 素材の価値があり、それにデザイナーがいて、さらに枠付けをする職人がいてこれらの人々が手間賃として利益を取ることは理解が出来る事です。製品になり、それがブランドとして広告やディスプレー等の環境づくりに対して利益が発生するのもわかります。

 単純に生業という言葉に触れて、現在の小売が得ている利益に見合った努力をしているのかどうかを省みる機会に恵まれたような気がしたのです。宝石業界が不振であるという言葉を聞くにつれ、そこが気になり、過去の多くの販売方法である値引き販売や現在の展示会販売が不振の要因としてあるのではないか・・と考えてしまうのです。

 なぜなら、価値を高めるための手段として、また努力として見合った行動をしている人々には、なかなか出会えないでいるからです。消費者は何にお金を出すのかは明白です。それは付加価値です。

 宝飾業界は付加価値を作り出すことを生業としている事をもう一度考えても良いのではないかと思います。その付加価値に嘘があってはいけないし、まやかしがあってもいけないのです。

 消費者が手に入れた付加価値を購入後も高めていく努力をしなければいけないのです。それを考えると同時に、生業と呼ぶにはまだ何かが足りないと考える気分です。

 得る利益に見合った業を成し、努力をしているかどうか? 

 もし、不振であるのならそれらが不十分なのではないでしょうか?

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