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2019年12月27日金曜日

年末年始のダイアモンド⁉

 米国の好況を反映してか今年のアメリカ歳末セールは小売りが軒並み好調であり、ダイアモンド業界にとっても良い状況にあるようです。ダイアモンドディーラーたちは年末に向かいその結果を整理している最中のようでもあり、その結果に対してワクワクしていることでしょう。

 一方では中国の信念に向かい販売チャンスを窺う準備も進めており、2020年に対しては明るい見通しを立てているディーラーも多くいます。

 しかし、現在研磨ダイアモンドのメッカともいえるインドムンバイは決して良い状況にはなく、必要なアイテムは少なく、決して業績等の状況も良くはないと言えます。それはデ・ビアスをはじめとしてサプライヤーの原石供給削減の方向性が影響をしているとも言えます。

 そんな中今年のクリスマスセールの顕著な部分はファンシーカットの需要が増え始めたところでしょう。特に1.5ctアップのところのD以外の物は市場にも在庫が少なくなり、その中でオーバルカット、エメラルドカットが堅調な動きを見せています。特に2.5ctアップのところは著しいと言っても良いでしょう。これは日本での中の状況とは異な状況になっています。

 これらの状況は日本国内の状況とはかなり違っている印象を持たれる方も多いでしょう。世界的にはアメリカを始め、経済は決して悪い状況にはないのです。日本も数字上は決して悪いという訳ではありません。しかし、日本の特殊な状況はアベノミクスにより極端な格差社会を構成してしまったという事も要因あるのでしょう。

 日本国以内でいえば決して宝石の小売り状況は良いとは言えません。特に卸業は業界の変質もあるのでしょう。明らかに10年前とは変り果て、現状の結論でいえば決して良くはありませんが、長い目で見れば業界の良い方へ回るのではないかと感じています。
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2019年12月25日水曜日

ダイアモンドをどう見るか⁉

 先日の京都での展示会の事です。ある意味『目から鱗』ではありませんが先入観からくる見方の違いを感じました。

 ダイアモンドの資産性についてお話をしているときにお客様が
『土地や家を財産として考えることは普通だけれど、貴方の説明を聞いていると家は賃貸で財産の保全という意味ではダイアモンドの方が良いというように聞こえますね。』
という言葉がありました。

 私自身それを意図して話をしていたわけではないので、私自身も考えたことはなかったので少し驚きました。つまり、多くの人々は不動産を財産という考え方をしますが家であれば修理保全、マンションであれば修繕費の積み立て、更には双方ともに固定資産税等々、更には財産としての目減りは今後一部を除いては避ける事が出来ません。

 一方、ダイアモンドはというと修理保全、積立金、固定資産税等々にかかるものはないうえに過去の歴史の実績だけでいうと目減りすることはありません。勿論、大きさや内容にもよりますがアベレージとして十年レンジで見た時に値下がりはしていません。

 考え方としては間違いではありませんが、日本という国の価値観からすると少し飛躍しているように感じます。日本の税制、税法が創りだした感覚もあるのでしょうが、このお客様の考え方自体はグローバルであるともいえるのではないでしょうか。

 誤解が有ってはいけませんが、あくまでも購入場所や購入方法もありますが、一定の大きさ(私自身は5ct以上としています。)以上で審美的に優れているものであることが条件という事です。

 ダイアモンド自体は価格はグレードというよりも如何に大きく美しいかという事が基準で決まります。大粒のダイアモンドに関してはグレードを言ってみても比べるものがない以上はあまり意味がありません。

 比べる物がないし、相場がないと言っても人工的な物とは違いその前後、上下のものが有りますので一定の評価が常にあります。それ故に資産としての有用性は海外では当たり前と言って良いです。

 このお客様のようにダイアモンドを資産として捉える方が多くなってことも事実です。宝石を扱われる方の認識という物が変化をしなければならない時代に入ったのかもしれません。勿論一般的なジュエリーは別ですが・・。
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2019年12月21日土曜日

世界の基準⁉

 世界の幸福度ランキングの常連は北欧ですが、多くの国は物価も高く資源もありません。バイトの職種によっては時給3~5万円というのもざらです。勿論サラリーも高いわけですが、資源のない国としては当たり前のことです。

 一方、殆ど北欧と似たような条件の日本、むしろ日本の方が条件が良いかもしれません。しかし、幸福度は世界の中盤であることを考えると何が違うのか?という事を考えます。

 日本は資源がない訳ですが、貿易という事を考えると北欧から比べるとかなり地理的条件は良いと考えられます。更にはバブルの頃は高収入ではありましたが物価も世界一住みにくいと言われる位に高かったのです。しかし、皆楽しそうで浮足立っていました。幸福度も今よりは高かったような気がします。しかし、今の日本は格差という事もありますが決してサラリーは高くはありません。

 確かにその頃の外国人や観光客にとっては不都合で訪れにくい国だったでしょうし、住みにくい国だったと思います。しかし、当時の日本人はエネルギッシュで幸せそうでもありました。

 幸福度の高い北欧においても観光客になると世界ランキング上位どころかほとんどが下位に低迷しています。幸福度ナンバーワンのフィンランドに関しては直近で世界の70番台にいます。

 つまり、幸福度を求めると物価が高く観光客が訪れにくいという事はある意味仕方のない事であり、特に日本の場合は内需を高めようとすると物価は当然上がっていきますが、皆に仕事が分配され、幸福度も上がるという事も十分に考えられます。

 そして、観光客世界ナンバーワンのフランスは治安が乱れ、失業率が高くなり移民問題も恒常的なものになっていることも見逃せません。

 先日の世界経済フォーラムでも発表をされた男女格差世界121位というイスラム圏や同じアジアの中国や韓国よりも下位という日本ですが、基準が女性の社会進出、および政治への進出という基準が最も大きく取り上げられています。

 日本において女性の幸福度という物も計ってほしいものです。日本女性の場合他の国に比べて政治に進出を考えるより個々の生活を重んじる傾向があるという事と社会進出においても母子家庭を始め、生活の為に社会に出ているという女性も多くいます。本来であれば家庭生活を充実させていたいという意思とは別にであってもそれが女性の社会進出の地位を上げているというデーターになることに不自然さを感じます。

 そろそろグローバリズムという物をもっと理解をしても良いのではないかと感じます。決して世界が同じ基準で測ってはいけないという事をです。文化や習慣が違うもの同士を世界ランキングにして何の意味があるのでしょう。

 貧困率など実質的な事を上げ、世界に知らしめることには意味があると思いますが考え方の違う事例をランキングすることは誤解を招きます。政治家においても自分たちの都合の良い時は海外の例を挙げ、税金等が如何に日本は低いかという事を説明する事がありますが、都合の悪い議員の給料や待遇に関しては触れようとさえしません。しかし、これも所詮は比べる基準が違います。

 それぞれのローカリズム(地域性)という物をもっと理解をしなければならない時代だとつくづく感じます。https://ameblo.jp/diamonrow

2019年12月15日日曜日

白と黒⁉

 私は以前から社会というものは白でも黒でもない99%の灰色からなっているという持論を述べることが多くありました。それは座右の銘でもある『Better is Best!?』という何事もほどほどが最良という考え方にもつながっています。

 先日、アルピニストの野口健さんがスウエーデンの環境活動家のグレタ・トゥーベリさんがスペインで行われたCOP25での演説後に電車の車窓からと思われるものをSNSでアップしたものに対して『あれ?馬車ではないんですか?』とツイートしたところ非難ゴーゴーだったという事です。

 野口さんも大人げないとは思いますが、彼の皮肉も分からないではないのです。つまり、世の中というものは矛盾が成り立つことにより回っているという事なのです。武器があることにより戦争も起きるが平和も成り立っているし、経済も回っているという大人の理屈がそこにはあります。

 日本の石化燃料発電に対しての批判も、それでは原子力発電所を増やせばよいのかという事にもなりますが、そうではないのです。

 典型的なのは二酸化炭素の増大が問題になっていますが、二酸化炭素は酸素を生み出す植物にとっては必要不可欠なものでもあります。そしてその酸素は人間が必要としているものであることは言うまでもありません。

 つまり、全てにおいて『頃合い』といういものが必要で白か黒かというものではありません。勿論こんな理論は大人になればわかることですが、子供の頃は純粋に白か黒かという理論を学びそれを大人が教えることも否定できません。

 よく私は『AIも神も人間がいなければ意味のないもの』という表現をしますが、今後どんなに進化を遂げても人間が不要になることはありません。現実社会においてはAI化が進み仕事が奪われるという理屈が闊歩していますが、もしそうだとしたらそれは明らかに間違った選択なわけです。人間を脅かす存在は既に不要なものであることなのです。AIを仕上げてはならないということを言っているのではなく、完成形というものは『程々がベストである』という事を言っているのです。

 世の中はそんなバランスが崩れてきているので子供たちの表現なり発言を無視してはいけないのです。善悪、白黒ではないのが世の中であり、その理屈は国や地域によっても、宗教によっても違います。そんな頃合いを測るために腹の探り合いという大人の論理があるわけです。

 それは日本のお家芸とも言ってよい腹芸、忖度という物を正しく使う世の中になればよいと思っていますが、現実は黒寄りの灰色が多くなってきていることも事実です。ある程度の年配になると欲が薄れます。そうすると今度は子供の理論をオブラートを包んだような理屈を理解し始めます。それが年を取るという事なのでしょう。https://ameblo.jp/diamonrow

2019年12月4日水曜日

希少性⁉

 宝石の希少性について考えると実質的に数量はあるがそれ以上に人気があるという物と数量が元々ないという場合があります。前者はカラーで後者は大きさ(重さ)であり、クラリティーという事になるのでしょう。

 本来、希少性を付加価値と言うかというと人工的に造られた価値を付加価値というのですからダイアモンドの場合天然が創ったとはいえカラーに関しての構造は人為的な物ですからある一定の大きさまでのカラーに関しては希少価値というよりは付加価値といったほうが良いのでしょう。

 つまり、色だけでいえば白い色に関しては量はありますが需要も多いという意味では希少性と言えるのですが本来の宝石の条件の希少性とは異なるものです。

 宝石の条件である希少性というものは大きさが前提となるという事が理解できます。また、それに伴う内包物の有無に関しても希少性と言えるでしょう。

 希少性とは世の中の需要や周知の物に対して数の少ないものを指しますので、ダイアモンドであっても小粒の物であれば需要に対して量がありますので希少性という条件には入りません。つまり、宝飾品の材料としてのダイアモンドであっても宝石という事にはなりませんが、これも自然界という大きな枠組みで考えれば希少性という事が出来ますが、人間の社会の中の価値感としては希少性があるとは言えないのです。

 現代に売れていると言われる限定品の高級腕時計に関しては心理的な希少性ということは出来ても本来の希少性とは違うのです。つまり、限定品という言葉は心理的な希少性であるという事です。

 宝石というものはその上での美しさや耐久性であり、さらに携帯性ですから換金性というある意味の付加価値が創られたものです。

 希少性というものは需要が絶対条件になる訳ですから、皆が周知の物でなければなりません。それ故に安易に昨日今日現れた半貴石を『希少性石』とか宝石というべきではないのです。勿論石好きの人が価値を見出しお金を払う事に関しては文句はありませんが、いかにも宝石であるような説明は誤解を招きます。まずは周知をする事と換金性が生まれ始めて宝石と名乗る事が出来るのです。https://ameblo.jp/diamonrow

2019年12月2日月曜日

責任は何処に⁉

 誘拐や誹謗中傷といった内容でSNSが話題になっていますが、一見SNSが悪いような風潮がありますが、それは如何なものでしょう。

 女子中学生の事件を始め誘拐事件となっていますが、私自身の見解は親の保護責任だと思っています。米国であれば児童虐待で親の即逮捕という事件です。特にカリフォルニアでは13歳まで家に一人で置いていただけで即逮捕、そのほか多くの州では17歳未満の送り迎えは保護者責任です。

 勿論米国の特殊な環境という事もありますが、現在の日本ではSNS、つまりスマホを与えた時点で自室にいようが外をふらついているようなもので、米国の環境よりさらに危険な状態です。

 外の世界というものは子供にとって実に興味深い世界ではありますが、現実世界ではありませんから余計に大胆になりますし、より踏み込んでしまいます。それを管理監視するには親しかいないのです。結果何が起きても保護者責任という事になります。

 一方でSNS上での誹謗中傷ですが、特に最近では韓国のタレントがネット上の誹謗中傷が主な要因となり、自殺をしたという事件がありましたが韓国ではネット上で成功者に対して妬みや辛みをぶつけることが多いという事です。これは国の事情と国民性という事ですが、ネット上での大胆さは日本でも同じことが言えます。妬み辛みという事を考えると昨今の日韓関係がまさにそれなのだろうと感じます。日本への妬みや辛み国民性という事で根底にあるとすれば改善はされても解決をすることはないのだろうと言う事です。

 つまり、SNSが悪いというよりそれぞれの人間性だったり、根本的責任の問題だったり、社会の仕組み等々の問題があるわけで決してSNSというツールが悪いわけではありません。昨今小学校の親の連絡ツールがSNSだったりするらしいですが、これも問題があるようで学校の連絡事項以外でも自分のランチだったり、日常生活をアップしたりと本来の用途とは違う内容で使用をする勘違い父兄をいるようです。

 SNSは一つのコミニュケーションツールではありますが、使っているのが100%善人とは限りませんし、100%悪人という事もありません。更には本人が悪気があっての事とも限りません。となると
法律なりルールで規制をするしかありませんが、それを行うには日本の行政や政治のレベルがあまりにも低すぎます。

 そうなると一次的には子供に関しては親が守らなければならないという事です。更にはスマホを子供に与える自己責任というものを親は感じなければなりません。それは何事にも言えますがビジネスにおいても物を販売するという事はその責任というものは必ず発生するし、買った物を使用する上での使用者責任というのも発生します。

 今回のSNS等による問題や事件を踏まえてもう一度責任というものを考えてみたらどうでしょうか?https://ameblo.jp/diamonrow

2019年11月27日水曜日

皆と同じもの⁉

 宝石を何故持つのかというと他の人が持っていないものをという前提は神代の昔から変わってはいないはずですが、事婚約指輪となると宝石の概念と違うようです。

 何故にブランド品を持つのかという問いに多くの人が『皆が持っているから』、『皆が知っているから』中には『高価だから』という答えが返ってきます。本来の婚約指輪は宝石である必要はないのですが、いつの世からか宝石の付いた指輪が常識となり、そしてデ・ビアス社のキャンペーンにより、ダイアモンドが常識化しました。

 つまり、婚約指輪として宝石が使われた時代が長く、現代に於いても当たり前と言って良いでしょう。そして、なぜに宝石かと改めて言うと、他の人とは違うものという証であり、象徴であるという事もあります。

しかし、現代の社会においては他人と同じものが安心であり、人と同じ状態でいたいという欲求が強いようです。日本人の特徴とも言われた右へ習え精神というか完全に昔に戻ったような気がします。

 高度成長の後では人は皆同じじゃあない。他人と違って当たり前でむしろ個性を大事にしようという時代が続いたような気がします。しかし、現代においては各々勝手なことをしたいという欲求が社会に蔓延する割には他人と同じでいたいという指向が見受けられます。

 この仕訳は何処からくるのであろうと考えることも有りますが、やはりSNSを始めメディア等の影響なのだろうと思います。SNS等でエゴ・リサーチをしたり、自分だけ仲間外れになっていないだろうかとグループラインをしょっちゅうチェックしたりとあまりにも自分に対しての自信の無さを気にしたりする反面、勝手気ままな振舞いをする現代人の多さは情報のミスリードが起因だろうと思っています。

 宝石業界においても間違った知識や常識を前提とした宝石の説明は多くのお客様に誤解を与えています。先日の展示会においてもある年配のお客様が
『この鑑定書が中宝研なんだからもう少し安くなるだろう』と何の根拠で何の理屈なのかも理解をしていないような発言があり、根っこにはGIAが絶対的な物であり、他の鑑定機関はいい加減であるという前提なのだろうと思いました。それは彼にアドバイスをした販売員自体がフェイクなのでしょう。

 いつも書くようにGIAはビジネスでグレーディングをしているだけで善意の第三者でもなければ中立的な立場の物でもありません。(勿論装ってはいますが)

 ダイアモンドのグレーディングレポートには鑑別書は付きません。それはグレーディングレポートは天然が前提であるがゆえに付かないのです。それはGIAそのものが培ってきたものです。しかし、現状のGIAでは人造ダイアモンドにグレーディングレポートを発行しています。彼らは平気でグレーディングをするビジネスだからと言います。つまり、グレーディングレポートに合わせたダイアモンドを後で大量に造る事が出来るのにです。

 この事実を皆がどの様に捉えるのか?

 皆がそれでも良いと言っているからそのままで良いと考えるのか。さすがにこれはまずいと考え他の選択をするのかはそれぞれだと思います。因みにグレーディングの結果が変わってもダイアモンド本体に変わりはありません。そして原価も変わらないのです。上代を変えるつもりでなければ何の意味のないことです。

 ただし、ダイアモンドを説明するツールとしては有効な手段であり、価格を説明する技術の無い販売員には必要なものでもあります。ただし、同じ条件の下でという事です。同じ鑑定機関で同じような時期等々条件がそろっているという事です。

 つまり、違う鑑定機関や違う時期のグレーディング結果同士を比べることは基準の違いを説明するだけでダイアモンドの説明をすることにはなりません。

 まったく違うものを皆がそうだからと言って右へ習えをすることは大きく違う道を歩むことになります。それぞれに違いがあっても良いのです。そして、違いがある方がより人間的だと考えます。

同じものは、実はおなじ物ではないことが普通なのです。
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2019年11月26日火曜日

お客様はプロ⁉

  先週末2日間にわたり大阪の帝国ホテルでの展示会にてお客様への対応をして参りましたが、その際に大変お詳しいお客様がおり、販売員での対応は難しいという事で接客させて頂きましたがそのお客様がいきなり
『このダイアモンドは原石から違っておったろう』
と関西独特の言い回しでお話になり、最初はこの人は何者だろうと怪訝に思っていましたが、お話をするうちに今までもいくつもお求めになり、照りの良い石とそうでないものが有ることに気が付いたとの事でした。やはりお金を払って勉強をしたお客様はプロ裸足である。

 年配の紳士だったのですが、お客様のご理解も早いという事でお話は楽しく続き、『これを外の光で見てみたいものだ』という事で外商に外でご覧いただくようにお願いをして、私自身は席を立ちました。

 その後10分ほどで室内の戻られ、外商の方に
『さあ、商談や。商談や』
という言葉を残して自ら商談席の方へ行かれたそうです。

 その後は私の関知するところではないのですが、私自身も販売員よりもダイアモンドに詳しくて私が意図をして選別をした内容を理解され、ご指摘をされたことはディーラー冥利に尽きる思いでした。勿論数千万円の物ですからそう簡単には商談は進まないとは思いますが、意図を理解されたことにはただただうれしいばかりでした。

 また今回は各店舗の多くの外商の方がお客様を当社のブースの前にお招きいただき
『こちらのブランドは大きさとテリを中心に資産性の有るダイアモンドを中心に取り揃えています。』
と徹底してご紹介を頂き、何時も起きるようなグレードのつまらない論議にまきこまれることもなくスムースな接客をさせて頂きました。

 改めて単純な説明は一番消費者に響き、本来のお求め頂くつもりのお客様は突っ込んでそこから説明を求めますが、これらが本来の販売方法で、まず見た目の大きさが一番でそして美しいという事が重要であることを再認識した次第です。

 因みに前述のお客様は『鑑定書なんか当てになるかいな。』
都もおしゃっていました。
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2019年11月21日木曜日

若きエネルギー⁉

 香港の騒ぎも留まるところを失ったようにも見えます。十代の若者たちのエネルギーは正直羨ましいところもあります。また、若き環境活動家のスウェーデンの16歳のグレタさんといい若者たちのエネルギーは何処からくるのだろうと考えます。

 私達の時代はと考えるとやはり学生運動の時代であり、そのエネルギーは今の香港やグレタさんにも勝るとも劣らずという感じだったように思います。

 若いうちは白と黒という絶対的に善悪というものが有り、それに素直になれていたと思います。決して彼らは間違ってはいないのですが、現実はいずれ一国になるだろう香港は中国の共産主義に、そして絶対的に気候変動が二酸化炭素のせいであろうことも多くの人々は感じているはずですが、それ以上の恩恵が人類にあるという現実は年齢を経るごとに自覚をしていきます。

 つまり、大人の理屈から言うとやむを得ないという現実を前提に物事を判断をしていますが、実際にはやはり変えていかなければいけないのです。そして人類の為にも将来に向けて変わっていかなければならないのです。

 短期間的に考えると大人に理屈が正しく見えて、長期的にみると若者は本能的に危機感を感じているのでしょう。それ故にいつの時代も若者のエネルギーが必要となってくのです。しかし、現実は一昔前であれば若者が時代の先頭に立ち歴史を変えてきたのですが、近代はそれ以上に進歩が複雑になり、中々若者の主張が通る時代ではないのかもしれません。

 現実は黒いものが時々正義であり、白いものが時々厄介者になることも経済上の損得という条件の元有り得るのです。それだけ経済という変幻自在の化け物は歴史というものを変えていきます。

 しかし、現代の日本との中では是非とも現れてほしい若者のエネルギーなのですが、政治も無関心、一国の総理が悩ましいことをしていても殆ど自分に関係のない事とし、関心を示しません。日本の若者はすでに経済という化け物に飲み込まれているのかもしれません。

 若いエネルギーというものは歴史には欠かせないと感じる今日この頃です。
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2019年11月19日火曜日

自覚のない日本人⁉

 日本人の悪い癖なのかもしれない。

 特に変わらなければそれで良いという考え方です。現在の日本の政治に関しても言えますが、安定しているように見えて実に危なっかしいことを行っている安倍政権です。なぜに安倍政権が長持ちなのか?

 すでに常識化している事を敢えていじくりまわすことはないという考え方なのでしょう。しかし、実際にはアベノミクスは本当に成功したのでしょうか?殆どの有識者は失敗なのだろうと感じていますが口にはしません。戦争に向かってはいないのだろうか?現在幕張メッセで日本初の国際武器見本いてゃ行われています。国内からも60社ほど出展をしていますが本当に日本が向き合う姿勢なのだろうかこれも疑問です。

 『桜を見る会』に関してもモリカケ問題にしてもやはりおかしいと多くの国民は思っていますが、特に大きな動きは見られません。

 我々の業界においてもGIA(米国宝石学会)という組織に多くの人々は疑問に思っていませんが常識的に考えておかしい事であっても敢えて疑問を呈することはしません。

 ダイアモンドのグレーディングというシステムの構築には確かに大きな貢献をしたと思っていますが間違いを起こしてしまってもビジネスを前提に訂正をすることを拒み続けている団体でもあり、多くの国ではGIAに疑問を呈していますが日本ではやはり盲目的です。

 一丁目一番地とも言ってよいグレーディングシステムに対する姿勢は何をかいわんやでもあります。つまり天然であるからこそ意味のあるグレーディングに対して、ある意味自由に品質調整の出来る人造ダイアモンドに対してグレーディングレポートを出すということ自体が自殺行為での有るにかかわらずこれをやってしまう。

 しかし、多くの人は特に揉め事が起きていないことも有り、むしろ都合がよいという事なのかもしれませんが疑問を持たないようにしています。他の国とはこれも違います。

 日本国民というのは島国という事もありDNAとして揉め事を好まないところがあります。しかし、これが将来大きな痛手となって降りかかってくることは間違いがないでしょう。

 ダイアモンドの業界の事だけであればそれほど大騒ぎをする問題でもないかもしれません。しかし、政治というのは直接国民生活に響きます。もう少し真剣に政治をウオッチしても良いのかもしれません。間違いなく適正な方向に向かっていないことを自覚した方が良いかもしれません。
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2019年11月8日金曜日

美しいことが前提⁉

 GIA (米国宝石学会)のダイアモンドの評価方法として前段には大きさという説明があるにもかかわらず後段には大きさよりも美しさを求めたカットが重要であると矛盾をした内容が書かれていますが、これはGIAのビジネスセンスにおける勘違いで本来宝石を前提としているダイアモンドは美しいことが前提となっています。

 つまり、後段の説明に関しては自らのビジネスの必要性を肯定化するための文章のようにも解釈が出来ます。

 4Cというのは本来宝石質のダイアモンドを前提としていますので美しいという前提のもとにその価格の違いを説明するために存在するシステムであり、元々美しくもないダイアモンドを評価するための物ではないはずです。

 GIAというのは本来AよりBを選んだほうが良いですよというアドバイザーという性格ではなく、粛々とグレーディングをし、消費者がその上で自らの環境を鑑みて好みも含めて選ぶものであってどちらが良いという立場ではないはずです。

 私自身はGIAの評価方法が決して正しいと思ってはいない方なので差し引いてお読みいただきたいのですが、色は好みもありますので白い色が好きという人が多いのは理解がでいますのでDカラーが高いのは解ります。しかし、依然のGIAはいかにも希少性が高いようなイラストの描き方をしていました。(現在は改められています。)Dカラーでマッチングを創るより色甘の物でマッチングを創ることの方がよほど難しいことです。つまり、Dカラーが必ずしも希少性が高いわけではなりません。

 しかし、現実には黄色が好きな人もいればブラウンが好きな人も会います。それ故に美しいという事を前提とすれば最終評価は消費者がするものです。決して第3者が立ち入るべきではないのです。

 現在ルカラ鉱山会社はブロックチェーンを利用した原石の供給を試みています。これは大きく分けたダイアモンドの品質とその取引価格をブロックチェーンにより管理し、将来的にもダイアモンドの価格を安定させようという試みです。過去にはデ・ビアス社のようにミックスの原石を供給してそれぞれの価格をある意味グレード任せにしてきたところがありますが、一貫管理をし、過去も現在も将来も一定の中で価格の管理をしようというものです。

 これであれば小売価格は別にして取引所価格というものは第三者のグレードに左右されることがなく価格を安定させる事が出来るでしょう。GIAにしても他の鑑定機関にしても善意の第三者の名前のもとに自らのビジネスを前提としたミスリードが多すぎます。

 美しいことが前提のダイアモンドの好みというものは皆それぞれが違います。感性なのか、経済面なのかは其々消費者によって異なります。その裏の姿はラボグロンダイアモンド(人工ダイアモンド)のグレーディングという暴挙により垣間見れます。

 天然の物の偶発性を前提としたグレーディングという意味のあるものを人工という品質をコントロールする事の出来る物にグレーディングレポートを発行するという事はビジネスとして割り切るにはあまりにもご都合主義ともいえることです。

 美しいという事を前提とした場合に後はお客様の好みであり、どう使うのかという問題です。価格に関しては単純に言えば販売者と購入者の見合いが合えばよいという事でしょう。

 勿論その手助けとしてグレードがあることは賛成ですがアルファベットや紙が価格の評価をするべきではないのです。

2019年11月7日木曜日

価格差⁉

 先日最近のお客様でダイアモンドをお求めになった方がご来店をされ、
『こちらで頂いたダイアモンドをネットで調べたらこちらのお店の方が安かったので本当に良かったです』
というお言葉を頂きました。

 私自身この言葉により多少の不快感を覚えましたがやむ得ない事とし
『小売りの価格というものは一概に比べることが出来ないんですよ。何故なら販売環境によりそれぞれのかかるコストが違ってきます。』

 つまり、銀座の真ん中で営業をしているのか地方で営業をしているのかでも違うし、更に言えばブランドとしてなのかノーブランドとしてか、路面店なのかネット販売なのかにもよります。

 究極を言えばダイアモンドは類似的なものが有るにしても、小さなサイズにおいては加工賃やそのデザインによっても価格差は随分と違い、大きなサイズに関しては同じような内容といっても価格に関しては比べるものはありません。ましてやファンシーシェイプとなると感性も含まれるので違う作者の絵画を比べて価格差を述べているようなものです。

 4Cグレーディングというものが長く間違った解釈で使用されていたためにこのような勘違いが横行をしてきたのも事実です。また、多様な鑑定機関が存在をしてきたのも事実です。しかし、この結果フェイクなグレーディングが存在をしたり、それを使用した通販が横行といった市場を混乱させるようなことが長く続いてきました。

 衣料品においても同じような素材を使ったものが価格差が何倍もあることは誰もが知っていることです。ダイアモンドだけが特別ではないという事です。勿論ダイアモンドが昔も今も特別なものという事は理解が出来ますが基本的には商品としてみた時にはほかの商品と変わりはありません。

 ただ量産の工業品ではありませんので同一同質のものは存在しませんので価格を比べる事自体がナンセンスと言って良いでしょう。また、そのことは取扱店に対して礼を失した行為という事を消費者は認識をしても良いのではないかと感じるのです。

 お客様にはお客様である為のマナーも必要です。ドレスコードとは言わないまでも高級店に下駄履きやサンダルで出入りすることは最低限のマナーとして良いことではありません。日本人の若者がヨーロッパの高級店にジーンズで出入りして顰蹙を買っていた時期もありました。消費者にも最低限のマナーが必要であることは認識をするべきなのでしょう。
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2019年11月4日月曜日

お客様の選択⁉

 昨日は名古屋での百貨店の展示会にお邪魔をしてきました。その中で当社の大粒ダイアモンドをブランドとしてお取り扱いをして頂いている理由を尋ねると
『独自の観点から本来のダイアモンドをロジックをもってとり扱っていることの独自性から』というご説明をいただきました




 

 非常にうれしいお言葉であり、本来のダイアモンドを取り扱う事の意味を全てではないにしろご理解を頂いているのかなと嬉しく感じました。

 大粒であり、更にはコマーシャルカラーを中心に取り扱っている理由としてはDカラーIFといったものに比べ安価であることはもちろんの事大きさという希少性を前提にお話をしていくと最もご理解のしやすい説明が出来るからです。

 一定の数量がある物の中のD,IFといった物の価格というものは景気によって暴れやすく、景気が良ければ一挙に価格は上がるが、一旦景気が悪くなると価格が下がるといった現象は過去にも多くあります。一方コマーシャルカラーを中心とした物は極端な付加価値が付きにくい反面価格の下落も少なく、一定の期間内では間違いなく価格は上がってきます。

 勿論、ほとんど一点物に限って言えばその限りではなく、グレードも関係なくその個体の希少性により価格は決まっていきます。

 今回の展示会においてもその辺の周知が徹底しているようにも見え心強く感じた次第です。以前であればローカラーのダイアモンドは百貨店では扱わないとされてきましたがそれは理屈の合わない事でもあることが鮮明になってきたような気がします。

 大量にある小粒サイズのダイアモンドであればそれも理解が出来ますが10ct、20ctの物をローカラーだから扱わないという理屈は成り立たないという事です。

 今後は更に低価格帯のファンーシカラーを始め、売る側の理屈ではなく、お客様の選択によりダイアモンドを選んで頂く事がベストであり、本来のダイアモンドの販売の仕方でもあるという事をご理解いただいていることが今後の糧にもなると感じた展示会でした。

2019年11月1日金曜日

時代の変化⁉

 『Forever 21』が撤退をし、ファストファッションの最終章になったような気がします。勿論スタイルとしてアメリカからやってきて、日本ではユニクロというファストファッションが流行し一世代を築いたのは間違いがないでしょう。

 コンビニのおでんも撤去をするところが増え、これもまた一つの時代の変化であることは間違いがありません。しかし、それぞれの背景にあるものはというと考えされるものが有ります。

 『捨てるファッション』ともいわれた安価で良質ではないけれどその場では楽しめるものとして出現をしたアパレルではありますが、実は経済の後退期の兆候ではあったのです。つまり、景気が良ければ良質で個性的なファッションが流行るわけですし、景気が良ければコンビニのおでんで済ますことはないという事だと思います。

 それでも利便性や経済的という言葉を背景に成長をしてきたのですが、それはまだそれでも余裕があったからでしょう。しかし、現在のように経済が後退をし、政治家が勘違いをするほどのバーチャルな経済が広がった現在では実質的には我国は貧困国の仲間に入り始めているわけです。

 7人に一人が貧困という国になると誰が想像をしたでしょうか?

 消費者はファストファッションよりもさらに安価で身近なものを望み、コンビニというポジションから採算の合わなかったおでんというものを扱っていたのでしょうがそれを続けるほどの体力もコンビニにはなくなったのでしょう。

 明らかにアベノミクスの失敗ではありますが、それを認めようとはしないのは当然ですが、その政権をまだ多くの人が支持をしているという現実は日本の将来を考えると末恐ろしささえあります。

 安倍政権に代わるものがないという我が国の将来を憂いてしまいますが、支持をしている人も積極的な支持ではないという事も理解をしています。食べる物がないので泥の中ではあるけれど拾って食べなければならないという事なのでしょう。

 明らかに変化をしている日本は外的防衛をしている時ではないのです。まずは国内を支えていかなければなりません。早く時代の変化に政治家が気が付くように祈ります。
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2019年10月25日金曜日

ダイアモンドの盗難⁉

 一昨日から横浜で行われている国際宝飾展で50ctのダイアモンドが盗まれていることが分かったそうですが、理解に苦しむのはその管理です。

 飾ってあったショーケースから壊されることもなく盗まれたそうで鍵が掛かっていなかったのかどうかも疑問ですが、それ以前に飾ってあったショーケースの位置ですが通行客が容易には入れる場所であったのかどうか。更にはそこに管理の人間がいたのかどうかを含めて首を傾げることが多くあります。

 普通に考えると内部の犯行という事になるのでしょう。そうでなければ展示者がよほどダイアモンドの価値を理解していないというほかありません。

 50ctというと1ctサイズのダイアモンドの数億分の一という確率の発生と言われています。ゆえに単純に価格が1ctの50倍という事ではありません。

 昨今資産性が増し、現物でもある大粒のダイアモンドは需要は増しています。昨今のヴァーチャルマネーのような危険性もなく国際基準の貨幣ともいえる大粒のダイアモンドは多くの場合国際的鑑定機関などで登録がされており、仮に盗難にあっても現物を売買しようとした時点で発覚をする可能性が非常に高く正規品のダイアモンドほど換金は容易ではありません。

 大粒のダイアモンドは資産家よりも存在が少なく価値が下がっていくことは極めて可能性が低く、今後もさらにその需要は増していくと考えられますが、絶対数が少なく市場性はそれほど大きくなるとは考えにくいものでもあります。

 但し、価格がどこまで上がっていくかは未知数であり、総額としてはかなりの大きなものとなる可能性は想像がつきます。何故なら40年ほど前に1億5千万円ほどであったピンクダイアモンドが今日では想像もしていなかった10億円を超える価格がついているからです。これは長くこの業界に携わり大粒のダイアモンドに接してきたゆえの経験からくる実感でもあります。

 つまり、現在では数億円という価格は現実としてはこれ以上はそんなに上がらないだろうという推測は過去の時点でも考えておりました。しかし、実際に現実で目の前で起きているのです。

 金は過去のデーターを見ても必ず値下がりもしています。しかし、ダイアモンドは過去のデーターで値下がりをした例は一部の特殊な例を除けばその例はないのです。

 盗難にあったダイアモンドが早く見つかることを望みます。
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2019年10月22日火曜日

4Cの概念⁉

 4Cの重要さの順番を理解出来ていない人が意外と多いことに気が付くこの頃のセミナーです。最近も数件のセミナーを行うたびに同じ質問をすることがありますが一番多く私自身が口にするのは
『4Cの重要性を順番に述べてください。』

 多くの受講する方たちの答えは様々です。

 ダイアモンドの価格は基本的には大きさで決まります。つまり、大きなダイアモンドの結晶が採掘をされる可能性はその大きさが増すごとに低くなりますので当たり前のことですが大きくなればなるほど高価になるのは理解が出来ると思います。

 次に大きくなればなるほど結晶に内包物や瑕疵が多くなる可能性が高くなることも理解が出来ることです。

 次にカラーに関しては取れる鉱山や鉱脈の種類によって変わります。つまりその近辺に含まれる
鉱物によるところが大きいのです。例えば白い色のダイアモンドがなぜに高いかというと需要が高いからであり、必ずしも希少性には一致しません。勿論タイプⅡであるならば別ですが・・。

 タイプⅠを前提とすればEカラーが必ずしもDカラーより多いという事にもなりません。何故ならこのアルファベットの順番は見る人の決めた基準によるからです。一般的にDカラーのボトムラインの上はすべてがDカラーになりますが実際にはその上の色も存在します。

 つまり、カラーの価格に関していえば希少性とも需要ともどちらともいえるのです。これは自然の創った理屈ではなく、扱っている人間の理屈ともいえるのです。

 カットに関しては人工的な物であり、どの様な歩留まりが一番利益を生むかという事を前提にした内容ですので必ずしも重要とは言えません(美しさを保っている前提としてですが)。

 結論言いますと自然界の創造物として宝石を考えた場合
1.カラット
2.クラリティー
3.カラー
4.カット
ということは容易に考えられることです。

 文字のグレードというものはある意味前近代的なものであり、一定の役割は終わったものと考えたほうが良いのかもしれません。プロが増えればグレーディング自体が必要がなくなる可能性も有るのです。https://ameblo.jp/diamonrow

2019年10月15日火曜日

自分ファーストの驕り⁉

  トランプと習近平どちらも自分ファーストの典型的人物が現在の大国のリーダーを務めていますがここで何が起きるのかを考えると、現代社会において自分ファーストは決して自らの為にはならないという事を理解する事が出来るでしょう。。

 トランプが中国への貿易戦争を仕掛けてからは混乱は起きても彼の望む対中赤字はほとんど変化はないばかりか中国を頑なにさせているだけです。一方で習近平も弱い姿勢を国内的にも見せたくないと思いだけで対応をしているような気がします。

 彼らの性格からして国という単位よりも自分という事が最優先をする性格ですから、今後もさらにこの展開を続けるでしょう。今現在ダウなども高値で推移をしていますが、このまま続くと2~3年後には株価の大暴落という羽目に合うような気がします。

 過去にも自分ファースト的な考えが歴史上何度も見られました。しかし、結果は経済だけではなく国すら滅ぼした例はいくつもあります。今世界で起きている紛争の殆どが一部のリーダーたちの自分ファーストが要因です。更に言えばナチスのヒットラーを始め、古くはシーザーの時代と日本を含めても良いのですが、大なり小なり要因は自分ファーストです。

 冒頭の二人に限らず、現代社会においてファンドを含めて自分さえ良ければという考え方が蔓延をし、経済にとっては最も怖い前夜のような状況にあります。

 一番身近な例を挙げるとアベノミクスです。一見うまくいっているような数字が上がり、安倍政権も自慢げにお得意のシャンペンタワー理論展開しておりましたが、実際には見た目とは違い経済の状況が極めて不味い状況になっているのです。これはさすがに景気の落ち込みは政府も認めています

 現代のシャンペンタワーの一番上のグラスは大きすぎて下のグラスにこぼれていくことはないのです。それは安倍政権が如何に現代の文明、文化を理解をしていないかという事です。経済の理屈というものは社会の仕組みのというよりも文化、文明で動きます。つまり、仕組みを作っているつもりの政治や行政では後れを取るという言ことです。

 本来であればラグビーのノーサイド精神のようなものが理想ではありますが、人間には欲望と感情というものが有ります。ただし、その典型のような人間がトップに立つと社会が崩れ始めるのです。

 今後2~3年後には未曽有の経済状況、つまり、多くの投資家は財産を失い、経済から遠く離れて生活をしていた人以外は経験をした事の無い状況になるような気がします。これは著名な投資家ジム・ロジャーズ氏も指摘をしています。

 人間の創りだした金融はそれだけ危ういものなのです。自然が創りだしたものへの投資を怠ると今回のような大災害を引き起こしたり、将来を危うくする要因でもあるのです。

 氾濫をする川の濁流が何故に泥まみれなのか?それは山林を始め一次産業の衰退によるものです。AI化が叫ばれている現代ですが、驕りは必ず達成する前に崩壊をするのです。
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2019年10月14日月曜日

資産価値の変化⁉

 今回の台風によって改めて感じたのですが、日本の治水行政の課題でもありますが、実は意図的に氾濫や水害が起きるところを想定しているという事です。下流の大都会に被害が及ばないように上流にダムを建築しているという事は知られていますが一部に川幅の狭い部分を残し、あえて氾濫を起こさせ下流の被害を最低限に抑えるという方策をとっているという事です。

 勿論ハザードマップではその部分は示されているのですが、土地の購入時の不確認や田んぼ等の仕事に従事をしているとそのリスクは避けられません。それは何も川の上流だけの話ではありません。

 今回多摩川下流の今話題で人気のある武蔵小杉のタワーマンションで水が出て慌てている場面がTVで流されていましたが、ここもやはりハザードマップ上では水害の可能性を示しています。しかし、購入時はタワーマンションという事もあり、水害を前提には考えないのはやむを得ません。
更には水際は地震に対して脆弱であることは東日本大地震の時に証明されています。

 都心のタワーマンションに比べ水際のマンションは価格的にも安く、タワーマンションという事もあり、人気があります。多分デベロッパーは土地の安いところを開発し、それなりの価格で販売を出来る物として考えているのでしょう。勿論オーシャンフロントも含めてです。

 昨今では外国人の投資もあり、人気があるのですがそれらの外国人が積立金を払わないという事もあり、問題も定義されています。

 ましてや今回のような災害が起き、水でも出ようならば一挙に資産価値としても問題があります。更には、実際には人気の割には割り当て分の資産価値はそれほどないという事は認識をしておくべきなのでしょう。

 日本では土地というものは以前から戦争で国境の変わる外国に比べ神話的に信望をされてきました。しかし、温暖化も手伝い、災害も大型化してきた現在では日本の地政学的にも土地に対するやみくもな信用は終わりを告げ始めているような気もします。

 過去には動線や土地付けが変わって土地の価格が下がった例はいくつでもあります。更に現代では災害だけではなく、過疎化や社会の変化により土地の価格の下落はそこいらじゅうに起きています。東京に関してもここ十数年後の変化を指摘されています。

 貨幣の電子化やマイナンバー等のプライバシーの流出危機といった以前では考えられなかったことが起きています。資産という意味を本格的に考える時期が来ているのではないでしょうか?

その最右翼がダイアモンドだと思っています。
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2019年10月11日金曜日

ダイアモンドのカラーグレード⁉

 『ダイアモンドの4Cの重要度の順番を言ってみてください。』
これは私がセミナーの時によく質問をする事項ですが多くの人の場合には勘違いをしています。つまり、ダイアモンドの場合価格の基準は重さですが、何故に重さかというと大きく結晶となることの方が小さな結晶よりも稀だという子供にでも解る理由からです。

 特にラウンドブリリアントの場合、正八面体の結晶から採ることが基本的には多く、正確な正八面体で大きく成長をすることが稀なので、多くの大粒ダイアモンドは変形のものが多くあるのです。勿論、大きさが基本ですから歩留まりを追った結果です。変形の原石からでも内容によってはラウンドをとることも有ります。

 更には大きくなれば内包物や瑕疵が入りやすくなるという事もありますのでクラリティーに関してはその次に重要という事になります。

 よく勘違いをされるというかGIAのミスリードもあり、Dカラーが価格が高いのは希少性があるからだという理屈もありますが、実際には希少性というよりも需要、つまり人気があるからだという事にあります。ダイアモンドをビジネスで行っている人であれば理解は難しくはないと思いますがDカラーのペアーを集めるよりもローカラーの色合わせをしたペアを集める方が難しいのは良くある話です。

 これは以前のGIAのカラーチャートがDカラーの幅が狭く、色がつくほどにカラーのアルファベットの幅を広く書いていたせいでもありますが現在ではGIAもカラーチャートは同間隔で書いていますが、いまだにそのコメントはGIAからは出ていません。

 カラーグレードに関しては誤解を招いてはいけませんが『宝石質の』という前提があります。以前TVで怪しいインド人が出てきて『ダイアモンドはそこいらじゅうにりますよ』というようなコメントをしていましたが、彼らが扱っている物の多くは宝石質とは言えないものも対象にしているのです。勿論司会のマツコ・デラックスはその辺は見抜いているようでしたが・・・。そう願いますが。

 あまりにカラーグレードの拘ると本来のダイアモンドの魅力を消費者に繋げることも販売のチャンスも失う事になります。扱う人々こそ本来のダイアモンドに目を向け、もっとダイアモンドの魅力を伝える努力が必要ではないのだろうかと考えます。ローカラーがイコール低品質ではないという事を理解をしてもらいたいものです。
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2019年10月4日金曜日

希少石⁉

 以前も書いたことはありますが、宝石の展示会等で色石を『希少石』と銘打って販売をする輩が増えています。

 『希少石』という言葉は本来皆が知っているけれどあまり目にしない宝石を指して言う言葉です。つまり、日本語での本来の意味としては一般の欲望に対して数が少ない、もしくは一般の認知はあるが見た事がないとか稀な物であって、誰の認知もなく、見たことも聞いたこともないものを希少というのは誤解を招くことにもなります。

 つまり、誰も見たことも聞いたこともない鉱物を宝石という言葉を使って販売する事の危うさを感じることがあり、更には後のトラブルの元にもなります。『宝石』という言葉の本来の意味を理解をしているのであれば使用をしない言葉でもあります。

 随分過去ではありますが、以前シトリンをトパーズという名で販売をしていて百貨店で大きな問題になったことがあります。しかし、当時の日本は宝石の知識も少なく、この種の宝石を総称して『トパーズ』と称してました。しかし、ある時に宝石学が広がり始めると実はトパーズというの別の種類の似た宝石であるという事が知られるようになり、その狭間で起きた騒動でした。

 その後も『ブルートパーズ』という一見希少石ぽい名前の宝石が現れトパーズという名前は知っているがそれにブルーがついたのは見たことがないという事で随分と高値で取引が行われていました。しかし、その後処理石も増え、結構普及をしてくるとあっという間に一般化し、手ごろな石の代名詞のようにもなりました。

 私自身もタイで色石を買い付けていた頃には『ブルー』と言えばサファイアだった時代に現地でグリーンのサファイアを見つけ、ブルーに比べ、相当安価だったこともあり、買い付けてみました。日本に持ってくると日本ではサファイアが高い石だという事もあり、ましてやグリーンのサファイアという事でもあり、非常に希少だという事で結構な価格で取引が行われました。

 しかし、自身の名誉の為でもありませんが、私は決して希少な石だという事を言ったことも有りません。『いくらなら購入をしていただけますか?』と問い合わせ販売を行い、それなりの利益を上げた事を覚えています。その後、大量に日本に入ってくるようになるとあっという間に価格が下がりました。逆に今はあまり見ることもなくなり、市場性がなくなったという事でしょう。

 つまり、新たに見つかったとか持ち出した鉱物を希少石と言って如何にも価値があるような販売はダメだという訳ではありませんが、評価の高い宝石というニュアンスで販売をする事への懸念です。

 宝石の条件である換金性とは一般に認知をされている必要性があります。認知をされていないような宝石に価値が付くことは稀です。つまり、後でトラブルを引き起こす可能性があります。

 本来の希少石とは広く認知をされているが見る機会の少ない『レッドダイアモナド』であったり、『ブルーダイアモンド』等の物を言うのであり、希少石という言葉の取り扱いには十分に注意をしたいものです。
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2019年9月30日月曜日

ダイアモンドを持つ理由⁉

 ダイアモンド業界の不振は根本的な所にあることは以前から述べているようにダイアモンドを持つ理由の根拠の曖昧さではないでしょうか。

 つまり、婚約指輪等のある意味持つ理由が明確であった時には4Cの説明とそれを理由とした広告や値引き販売で対応し、それはそれで機能をしてきました。しかし、婚約指輪というものの環境が崩れると値引きや広告だけが目立ち、購入する理由が曖昧になってきました。

 元々はダイアモンドはお金持ちのシンボル的な位置におり、更には婚約、結婚をするときには必需品としての位置があり、その上での販売でした。ダイアモンドの位置が明確であった時には販売方法を考えるだけでよかったのですが、その販売方法の間違いによりダイアモンドの位置が不明確になり、ただ美しいという理由だけで販売をする難しさを今体験しているのではないでしょうか。

 ダイアモンドには沢山の価値があります。美しさは当然でありますが、その他の宝石の条件を満遍無く備えているわけです。

 つまり、極論を言うと販売している人々が『宝石とは何ぞや?』という事を身に着けていないという事になります。これは人々にとって色々な定義が生まれるかもしれませんが、これは日本ジュエリー協会においても理解が出来ていないようでもあります。自らが決めた宝石の条件や命名方法等の物理的見地のみが羅列をされているだけで本来の宝石とは何ぞやという部分には触れていません。

 宝石を何故に、ダイアモンドを何故に持つのかという根本的な所を理解せずに販売をすることの難しさは私自身も自信がありません。何故なら哲学的部分も多く一つ間違えるとパワーストーン的な詐欺まがいの販売方法になりがちだからです。

 簡単に言うと『象徴』という言葉が当てはまるのでしょう。権威にしても、権力にしても名誉にしても結婚にしてもある意味成就というか成功の意味合いがそこにはあるのでしょうがその証こそが『宝石』であり、その頂上にいるのがダイアモンドという事なのでしょう。

 その象徴的な物を値引きという販売方法を駆使してきたのですから本来の価値を毀損する販売方法をとってきたという事になります。ここを再度意識することにより、もう一度ダイアモンドというものの価値の優先順位を持ち上げる『象徴』としての購入価値を構築しても良いのではないかと考えるのです。https://ameblo.jp/diamonrow

2019年9月27日金曜日

プロセスが経済⁉

 今朝TVを見ているとレトルト商品の紹介をしていましたが、何時ものように引っ掛かりがありました。

 紹介していたのはチャーハンで30秒温まり、その後点線に沿って袋を切るとそのまま食べる事が出来るというものでした。その時に女子アナのコメントで
『これだと油の付いた皿を洗う手間も省けて良いですね。』
という内容がありました。

 その時に引っかかったのです。一つには炒める手間があって自分味になって良いのではという事ともう一つは皿が必要なくなるという事は究極に皿を作る職人が要らなくなるという事ではというように考えたのです。

 物を創るというプロセスは実は日本の経済を支えてきたわけで、現在の日本はプロセスは無くなるものを便利で効率が良いと考えるところが多くあります。現状の日本は物を創るというプロセスを海外に頼り、一社一社の利益のみを追求することが正義という観点もあります。

 しかし、以前に書きましたが多くの店舗が無人化に向かっているという事は便利で経費削減をするにも良いのかもしれませんが、労働力というのは消費者でもあるわけです。労働力がいらないと言う事は極端な話が消費者が要らないという事につながってくるのではないだろうか。

 日本という国は資源がなく世界のプロセスという部分を担い、製品として世界にl送り出してきたことが我が国の経済いわゆるモノづくりの原点でもあったわけです。我国においてプロセス(過程)や
生産というものをとり辞めるという事は冒頭のレトルトの商品のように料理人も食器もいらないという事になれば日本のような国の必要性は低くなるという事にもなる訳です。

 またそれに付随をするような情緒や付加価値も理解する必要がなくなるという事でもあり、全てが平均化するという事はそこの優劣がなくなるのでお金の流れが難しくなるという事でもあります。

 過去の多くの物はプロセスの違いにより物の出来上りが違い、質が変わり、そこに価格差があり競争や物を流れが出来上がるものだと考えています。それが経済というものだと考えます。

 デフレが経済のある意味大敵であるという事は皆が理解をしている事だとは思いますが、価格競争がその大きな要因という事ですが、価格競争の根底にはプロセスをコストの安いところに委託をし一見良いように見えますが実は足元の経済を侵食しているという事にもなる訳です。

 勿論便利が悪いという事ではなく手間暇というものはそれなりに意味があるという事を言いたいわけです。『物づくり日本』がどんどん遠のいていきます。それは日本の経済が衰退をしていくという事を示したいるといっても良いでしょう。政治はそこに手を入れなければならないと思いますが。マイナンバー電子マネー化を含め実は日本の経済の衰退に拍車をかけているといってもいのです。

 『手間暇が経済を回すのです』
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2019年9月26日木曜日

ダイアモンドの自然⁉

 今回のイスラエル出張でめずらしい出会いがありました。それは一つの原石から5食のカラーグレードが出たというものです。

 勿論、これは非常にレアなケースでたまにバイカラー的な物が出ることはありますが、それは一部が内包物の色が反映をされているものです。今回の物にに関してはちゃんとしたGカラーからLカラーまでの物です。

 写真中央が一番大きな35ctがLカラーで端の一番小さなものがGカラーで1ctです。不思議なもので大きなものはカラーが低く小さなものが高いという自然が演出したものなのか誰かが意図したものかというと勿論自然が意図したものなわけです。

  自然から出来上がった人間社会の摂理というものをダイアモンドが改めて教示してくれているのかなとも感じる訳です。

 自然が育んだものを我々はビジネスとして確かな知識を持ち、確かな価値観を創造して一般の人々に普及をしなければならない責務があることを改めて感じたわけです。人が意図的に造った価値基準を意図的に利用したものは自然に対しては無意味であることをつくづく感じるのです。

 それが前回書いた事でもありますが、小売市場で価格競争をすることで川上である研磨業者や原石業者が業界を離れていってしまうという事です。結果的に困り、市場が劣化をするのは小売りレベルです。

 本当は比べることのできないものを如何にも比べることが出来るように説明をし、価格競争や値引きという形にして価値を下げ、自然からの贈り物を自ら劣化をさせ、自らの首を絞める行為は自業自得ともいえるのですがダイアモンド自体が変わるわけではありません。

 ダイアモンドは手を変え、品を変え我々に自然のすばらしさを提供してくれるのですが、そこへの扱う人間の想像力が伴わなければ価値はただの石ころになってしまうわけです。

 今回の出張は改めてダイアモンドという自然の素晴らしさとその扱いを間違った人間の愚かさを同時に感じた気がしました。
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2019年9月24日火曜日

永遠か?

 今回特にダイアモンド取引所の中で感じることはメンバーの変化です。一時は5000人はいたダイアモンドメンバーが今ではおよそ半数の2500人位しか残ってはいません。これは零細大手問わずということになります。一時は朝の9時から夕方の6時まで一杯だった取引所は今では午後3時前には閑散としてしまいます。

 ダイアモンド大手の多くは他の部門を持ち、他の部門への切り替えをするところが多くありますが、零細のところは跡取りが他の職業への就職を望む場合が多いようです。

原点は何かというと多くの場合ダイアモンドでは大きな利益が望めないということです。これには2つの大きな要因があります。一つにはダイアモンドの供給側も本来宝石ということを考えると大規模な組織は向かないということがありますが、これを無視して大量生産体制をとり、自らの利益を押し殺してしまったということがあります。

 勿論時代やマーケットがそうさせ、良い目を見せたのも事実です。米国、日本そして中国といった大量販売市場がその事実を作ったといってもよいでしょう。

 何より問題なのは多くの場合市場が劇薬である「値引き」という手段を用いたことです。本来治療に有効な劇薬を打ち続けて、自身を弱体化させたところに問題があるわけです。その場面その場面で見ればわかりにくいし、それぞれに言い分もあるでしょう。

 私自身川上から川下までの一連の流れを見る場所にいると明らかに感じることです。ビジネスの拠点であるべきダイアモンド取引所にはすでに人がいなくなってきているのです。この流れはいずれというかすでに市場にも影響が出てきています。しかし、事実は末端市場の販売方法がこの状況を作り出したといってもいでしょう。私自身も若き日々は気づかずにその一端を担ってしまったという部分もありますが。

 高級外車がなぜに値引き無しで高額で売れるのかということを考えると多くの場合、販売側に車好きの人々が募っているからなのでしょう。その高級外車のすごさを感じ説明をし、消費者に納得をさせているのでしょう。

 ダイアモンドの販売の場合本当にダイアモンドを理解し、ダイアモンドを好きな人々がどれくらいいるのでしょうか?単純にきれいだから好きということではなく好きだからこそ勉強をし、そのすごさを消費者に伝えようという人々です。つまり、販売に熱意があるかどうかということでもあります。

 川下の安易な販売方法が川上を食い尽くし、更には自らを苦しめる「劇役」をどこで断ち切り、どこで平常なビジネスに戻るのかが今後の課題であり、決して経済状況だけが今の不振を招いているわけではないことが川上を見ていて感じるのです。

今回のイスラエルはこんなことを感じた出張でした。
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2019年9月18日水曜日

金持ちはファーストクラスに乗らない⁉

 昨日、世界的オークション会社であるサザビーズの内覧があり、帝国ホテルへ知人と訪れてきました。その時のことですが、内覧そのものには高額品が並んでおり、印象的な事はエメラルドに関しては私自身の評価よりも高いという事でした。

 ダイアモンドに関しては自身の評価とはそれほどの開きのないエスティメートが付いており、サファイア、ルビーに関してはそれほどの評価を受けてはいないという印象でした。

 他の展示品に関してはそれほど大きな関心もなくそろそろかなと思っていた時に、知人が
『これらの価格の評価はどう考えれば良いんでしょうね?』
と尋ねてきました。

 『持つ意味はそれぞれ違いますが、自身の象徴として考える人もいるでしょうし、財産として考える人、更には子孫へという考え方もありそれぞれでしょうね。』
と答えると納得のいったようないかないような素振りをしておりました。

 その後、帝国ホテルのロビーにてお茶でもという事になり、席に着きお茶とケーキのセットをオーダーした時のことです。知人が
『ここのお茶のセットは2500円と結構よい値段しますね。ただ、ここの雰囲気と素材を考えれば相応の価格ですよね。』
私が
『雰囲気を含めたコストパフォーマンスが合えば相応という事ですね』
と言うと
『先ほどの宝飾品の数々ですがどう向き合えばそのコストパフォーマンスが合うんですか?』
というストレートな質問が飛び出してきました。
私が
『海外へ行くときにファーストクラスはお使いになりますか?私自身は数年前にルフトハンザ航空に搭乗した際にたまたまマイレージの都合でファーストクラスを使ったことはありましたが、十数時間のフライトの際に当時のジャンボジェットの二階部分にたった5席で2名のキャビンアテンダントがおり、非常に落ち着かなかった事を思い出します。』
知人は
『私は全くその必要性を感じませんね。NYだけで考えてもエコノミー10万円、ビジネスクラス50万円、ファーストクラスに関しては100万円くらいでしょうか。飛行時間を10時間として1時間10万円ですよね。そこまでの価値を感じませんね。』
という答えに私自身は
『つまり、自分の価値観に見合っているかどうかという事ですよね?』
『勿論、それなりの雰囲気はありますが、私にとっては環境的にもビジネスクラスですね。』
と知人が言い、突然に
『そうか‼ そういう事ですね。』と言葉を繋ぎました。

 顧客が満足のいくサービスをすることは勿論の事その環境により顧客はお金を払います。しかし、それが過ぎていたり、劣っていると顧客はお金を払う事を良しとはしません。これは資産の有無ではないのです。

 個々の価値観というものは其々違うといっても顧客の価値観を創出するのも、勿論の事提供側の環境づくりや提供品です。そしてそれがセールスというものの基本です。日常しか演出の出来ない場所では日用品しか売れないし、それなりのレベルの演出環境の中ではそれなりの人が集い、それなりの物が売れます。

 コストパフォーマンスとは経費を削ることしかアイディアの浮かばない意識とは相まみえないものであり、コストパフォーマンスこそが利益を生むのです。価格に見合う事こそがお金持ちの要求であり、決して無駄金を使う人がお金持ちではないのです。

 オークション会社もそれなりの演出はしているという事です。

 知人も資産数100億ほどの資産家ではありますが、決して見合わないところでの出費を見たことがないのです。

 庶民はこれらの現象を見て『金持ちはケチだ‼』と言いますが実はそうではないのです。
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2019年9月13日金曜日

9.11と文明、文化⁉

 2001年9月18日、あれから18年、私はニューヨークのグラウンドゼロ(当時はまだその名はなかったが)に立っていました。勿論、あの9.11テロ攻撃の1週間後でもあります。現場はまだアスベストの焦げた匂いが充満し、粉塵がいまだに蔓延をしていた状況でした。

 ここで見聞きをしたことは以前も書いたことがあるので割愛をしますが、最近の現状を見たときに考えることがあります。それは現代の文明と文化の乖離の象徴的テロだったのではないだろうかと。

 つまり、文明が進むにつれ文化とのギャップがどんどん起き、この差を埋める事が出来ない状況が起きてきているのではないかという事です。技術革新やAIを筆頭に文明が進むことは喜ばしい反面、人間生活を豊かにする両車輪であった文明は金もうけの手段として、その反面として精神的豊かさを追求するはずの文化は宗教を通してテロへと変貌をしていく様が垣間見られるのです。

 日本においても職人の世界が消えかけ、日本の文化というものが失われつつあります。必ずしも文明の進化を否定するものではないのですが、開発者たちの自己満足が文化と融合していた限界線を越え、文化を大事にしていた人々との間の温度差が広がった結果ではないのだろうかと考えるのです。

 そして、その象徴的テロが9.11だったのではないのだろうかと考えるわけです。18年後の現在においては更にその差が広がり、文化を大事にしていた人々までが偏った文明に身を置き始めた様な気がします。例えばお賽銭、ご祝儀、香典までも電子マネーという時代。

 『AIが進むことにより人間は要らなくなるのではないだろうか?そして、その先には何があるのだろうか?』よく耳にする言葉です。

 そして、人々の融和を掲げ、人々の生活を豊かにするはずの宗教がどんどん争いをする火種ともなっている現代。

 "文明を象徴するAI、そして文化の象徴でもある宗教”
共に考えなければならないことはどちらも人間がいなければ何の意味もなさないものであるという事です。

 9.11の当時の映像を見るにつけ感じることは現代の矛盾の象徴的な出来事だったのではないだろうかとついつい考えてしまう訳です。
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2019年9月7日土曜日

ダイアモンドは変わらない⁉

 先日仕事で百貨店を訪れていてたまたま接客中の場面に出会いました。若いカップル婚約指輪を探しているようで、販売員に色々と尋ねており、何気に耳を傾けておりました。

 『ダイアモンドって色々と品質があるんですよね?』
男性が尋ねると販売員が
 『ハイ、4Cのグレードが付いています』
と説明をしながら通り一遍の話をすると
 『鑑定機関よって若干の差がありますのでGIA付きの物だと多少価格がお高くなります。』
という説明を括りとしておりました.

 品質の説明をしているのかと思いきや価格の説明をする下りになっており、何故にその前の説明をしたのかを本人も気が付いていないのではと首を傾げてしまいました。

 つまり、グレードというものが鑑定機関により違いがあるのでGIAの方がよりシビアな判断をしているという事を理解をしていればそのような説明にはならなかったと思います。

 GIAが付いているから高いのではなく他の鑑定機関に比べて判定がシビアなので物が一緒でも評価が変わるという事を言いたかったんでしょうけれど説明をしている本人が意味を理解していなかったという事です。

 グレードが変わってもダイアモンドが変わらなければ大きな意味で価格も変わらないという事を理解していることが大事なのでしょう。

グレーディング・レポートにより『ダイアモンドは変わらない。』という当たり前のことが早く広がればよいなと思って時間でした。
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2019年9月4日水曜日

チョットした疑問⁉

 世の中AI時代と沸き上がり一見進歩をしているように感じますが、この先を考えると果たしてどうなんだろうと感じることがあります。

 一つに店舗の無人化への現実を考えるとその先には人がいらないという事になります。更に言うと車の全自動はタクシーの運転手やバスのドライバーが要らないという事にもなります。

 進歩というのは発展をする事とを指す言葉であり、進化は色々なものを吸収しながらより良く変化をしていくという事ですが、どちらも人間とってという事ですが、これらの変化は決して人間の為とは思えないのです。

 つまり、人が要らなくなり、人の収入は減るという事になります。また、人間の本能を鈍化させ既に起きている退化現象を考えると進化をしているとも言えません。

 人間生活の道具であるべきAIは既に道具ではなく人間社会をリードしているとも考えられるのではないだろうか?

 本来道具とは人間の進化により進歩をしてきたものです。それは人間の力不足なところを補う為に現れた便利に等しい存在なわけです。つまり、人間にとって便利というレベルで収まっていて初めて役に立つという事になります。

 今や進歩は人間の進化を超えていってしまったのです。

 人間はやがて老いていく訳ですがその老いを少しでも補うものであったり、障がい者が健常者と同じような生活が出来るようにそこを補うものであったりという範囲であることを前提に人間の至らないところを補う段階まで道具としての範囲であると考えるわけです。

 それが今の現状はやがて人間の役割をAIロボットが行い、AIにより人間生活が管理をされ、AIにより人間の行き先を決定されるような勢いです。

 『そこそこ』、とか『ほどほど』などという言葉がありますが、人間というものは不完全なものですが、だから人間なのでしょう。AI等を使い100%を目指すという事は人間を放棄することになるのではないでしょうか?

 今こそアナログが必要な時代なのであと考えます。

 中国がAI化を進め、今の思想のもとに運用をすることを考えてみてください。恐ろしいことになります。それがいま中国では起きているのです。
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2019年9月3日火曜日

ダイアモンドをどう見るか⁉

 ダイアモンドというものは価値の広がりすぎるところがあり、大雑把に言うと資産用、宝飾用、工業用と多種多様なわけですが、原点から言うと資産性と言えるでしょう。

 ダイアモンドというものはなぜに価値を持ったかというと単純に綺麗で丈夫で稀な物だったからです。つまり、権力や地位の象徴になりやすかった為にその地位は作られていったといっても良いでしょう。

 それ故にそれを身に着ける方法として宝飾品が誕生をしたわけです。ジュエリーに関しても本来は化身の道具としてというか手段として出来上がってきた化粧品や刺青の別の進化系なわけですが、そこに実用品も加わり、勲章や徽章の一環として変化してきた過程もあります。

 つまり、資産性があると認められた要因としては権力者層の象徴という位置についた為に起きてきた現象であり、通貨や証券のような代替手段としての資産価値ではない訳です。国や政府が認めた仮想資産ではなく、本質的資産といっても良いのですが、通貨等の使い勝手に比べると極めて難しい部分があり、それ故に一部の特殊な人々、つまり資産家の中での資産といっても良いでしょう。

 ダイアモンドを資産としてみた時には個体そのものの価値が価格に反映をされますが、ジュエリーとしての価値は素材であるダイアモンドにあるよりも工賃やデザイン料が時には価格の大きな部分を占める時があります。ゆえに換金する時にはその部分が査定より排除され、材料であるダイアモンドと地金の価格になるので購入した時よりは安くなるわけです。勿論、そのデザインや付加価値が認められたならばその限りではありません。

 ダイアモンドはジュエリーとしての部分が大きくなった場合には市場の動向に左右をされやすいもので、資産性よりも付加価値なりの方が大きくなっているのは上記した通りです。つまり、資産として大粒のダイアモンドを買った時には価格の殆どがダイアモンドの価格ですが、ジュエリーとしてのダイアモンドは価格の全体の1/2以下という事が多くあります。

 ジュエリーの素材としてのダイアモンドは素晴らしいと思っていますが、一方で大粒のダイアモンドをジュエリーのつもりで販売をすると、とてつもない価格を提示しなければならなくなります。

 個性という付加価値を前提としたジュエリーは販売リスクもありますのでそれなりの掛け率となることはやむを得ないし、ダイアモンドを前提としている訳ではないので高額で販売が出来るというのはその販売店の実力であり、信用でもあります。

 ただし、そこを明確にせずただやみくもに高額提示し、値引きをするということは一番やってはいけない販売方法で業界の足を引っ張る行為でもあるわけです。

 いかなる姿勢でいかなる販売方法をダイアモンドに対してとるかはそれぞれですが、情報の広がりの早い現代においては早急な対応が必要となるのでしょう。
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2019年8月27日火曜日

違和感⁉

 昨今騒がれている日韓問題は本来あまり触れたくわない問題ですが、一抹の違和感を感じています。

 つまり、今回の起因のでもあるレーダー照射問題を始め、慰安婦財団の解散、徴用工問題、そしてGSOMIAの破棄問題と、殆どの場合日本を挑発しているようなことが起きています。その上で『Boycott Japan』を掲げている姿は日本サイドからだけ見れば『煽り運転』に出会ったようにも感じます。

 勿論、韓国側には韓国側の過去を通しての積み重ねや教育の問題として日本とは沸点の基準が違う事も理解をしています。しかし、一連の流れを見ているとムンジェイン政権の仕掛けが気になります。

 つまり、レーダー照射問題をたまたまとしても、徴用工問題に関していえば今回の判決を下した最高裁判所の裁判長が文政権になってから下積みなしでの大抜擢、更には検事側にも文政権の樹立貢献者が採用をされ、明らかに文政権の意向を汲んでの判決だというのに司法と政治は別もの発言に終始している。この件に象徴されるようにあらゆることがある一定の方向へ向かうためのプロローグのように感じます。

 北との融和政策にしてもあまりに違和感を感じませんか。あれだけボロクソに言われても北を容認しようとする姿を見ていると北朝鮮出身の彼の父親の姿が浮かぶような気がします。

 アメリカを怒らせても破棄したGSOMIAは一見日本に対しての当てこすりのように見えるが北朝鮮に対する、忠誠の誓いのようにも見えます。

 最近両国で起こっている政治は嫌いだけど、それぞれの国と国民は好きという発言にも違和感を感じます。耳当たりは良い言葉だし額面通りに取れば素晴らしいことだと思います。しかし、本質的な所には領土問題や経済問題があります。政治を避けて都合の良いところだけでお付き合いをしようとしても結局は表面上の事でしかなく根本的な解決には至りません。

 勿論文化交流や相互交流は良いことです。しかし、政治を避けて本当の未来を掲げる事が出来るのでしょうか?

 一度韓国の若者に『竹島問題』を投げかけてみてください、相当しっかりした考えを持っています。決して日本側の考え方とは相いれないし、日本の若者がそこまでしっかりと領土問題を語ることもできないでしょう。

 昨今の異常なまでにも『安倍は嫌いだけれど、日本と日本国民は好きです』というSNS上での拡散やその逆に違和感を感じるのは私だけでしょうか?
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2019年8月26日月曜日

ダイアモンドグレードの不都合⁉

 ダイアモンドのグレードというものは『だいたい』『大よそ』というものが基本となっていることが精度を高めようとも現実です。これらの言葉を数字で表すことは難しいのですが約90%くらいの整合性と思っていればあまり問題になることではありません。

 つまり、ダイアモンドのグレードというものは公式なものでもなければ法律で縛られるものでもありません。だからと言っては何ですが『だいたい』『大よそ』で良いのです。

 つまり、天然の物ですから品質の100%の整合性をとることは不可能なわけです。もし、100%近い整合性をとろうとしたら例えばカラーをD~Zの範囲で表すことは難しくなってきます。

 もし、Eカラーの範囲を1センチメートルの幅の段階としたらKカラーだけでも大よそ10から15位の段階が必要となります。更にVVS‐1を1センチメートルとしたらSI₋1は40~50センチに分けなければなりません。

 つまり、それぞれを1センチの価格の範囲で置き換えるわけですからとてつもない組み合わせが出てきます。これがシンジケートが言う価格の決定には1万4千のポイントがあるという事になる訳です。しかし、そんなことをしたら煩雑になりすぎますので、良品質には厳しく低品質には甘くという発想から作られたグレードですから不都合が沢山あるわけです。

 しかし、時代や市場の状況により扱うものが変わってきましたので、購入者の嗜好というものも判断というものを加えなければならなくなってきているのです。更には国によってもその判断が変わるという事にもなります。しかし、価格に関してはある程度のコンセンサスは得られていますのでグレードの関係なく価格が決定されているのも事実なわけです。

 事情は色々あると言えグレード表記を絶体的な物として捉えていなければ何の問題もあることではありません。

 グレードには販売側の不都合とその運用の不都合がありますので現物を評価する力を購入者にレクチュアすることが大事なのです。
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2019年8月23日金曜日

ダイアモンドはどちらから見るか⁉

 プロ相手のセミナーにお伺いをして一番困ることは4Cに対する勘違いというのが多いという驚きます。それは何時ものように『ダイアモンドにとって4Cにとって一番重要なものはどれですかという質問に対してさまざまな答えが返ってくることです。これには少々戸惑います。

 つまり、質問に対して『カラットです。』という答えが当然返ってくると思っているのですが色々な答えが返ってくると先へは進めないからです。以前一般の方を対象に行った時には殆どの方が『大きさですか?』という当然のような答えが返ってきたのです。

 販売員の方を対象にすると知識が最も単純な知識よりも4Cのグレードからの知識が優先をするために起きている勘違いであることに気が付きました。ダイアモンドの価値というものは歴史的にグレードの使用前には単純に大きさという事と綺麗さという単純なもので決まっていたのですから素人の方の知識の方が自然だという事なのです。

 自然の中では鉱物の単一の結晶がに大きくなることは稀であることはある意味子供でも理解が出来ることでもあります。さらに大きくなればなるほど内包物が入ったり、毀損しやすくなることは容易に想像できることです。つまり、大きさの次にはクラリティーが重要であることになります。

 更に色に関しては何処でどの部分で採掘をしたかによって変わりますので、本当は其々の嗜好によって好まれるものなのですがローカラーになるとなぜか量が多いように表現をされていますのでハイカラーの方が希少性が高いような気がするわけです。しかし、実際にはEカラーよりKカラーの方が幅をとっていますので人工的な希少性とも言えるわけです。つまり、KカラーもEカラーと同じ幅にするとそれほど発生率は変わらないという事になります。

 カットに関しては人工的な物なので意図的にどうにでもなるものですが、個体それぞれの如何に生かすかという意味では勿論外観に影響は与えます。一つの例を挙げればローカラーにハイカラーのエクセレントカットを施すと決して美しくはありませんが、グレードから得た知識ではエクセレントが良いと信じていますので間違った選択になるわけです。

 勿論これらのこと大きさによっても価値基準は変わります。4ct位を境に価格に変化を起こします。瑕有り色無しは小さくなると瑕無し色有りに比べて高くなりますが、大きくなると色有り瑕無しの方が高価になります。これは前述した価値の順序が正しいことの裏付けでもあるわけです。https://ameblo.jp/diamonrow

 

2019年8月22日木曜日

ダイアモンドにまつわる⁉

 以前、当方でお求め頂いたダイアモンドにまつわる話題を書いたことがあります。それはハート形のダイアモンドをお求め頂いたお客様6人の方の寿が続いたという事でした。最初はうちのスタッフがたまたま私の買付けの際にハート形のダイアモンドを購入し『凄く愛らしい形ですね。何か良い事が起こりそうな気がします。』と言っていた数週間後にご縁が出来ました。

 その後そんな話をしていると『私もあやかろうかしら。』という方が出てきて、たまたま5人ほどそのご縁が続き、6人目の方が50代後半だったのですが『私がその都市伝説を終わらせてあげようかしら』とふざけ半分で2ctsの物をお求めになったのですが、その数か月後にご縁が出来、今では幸せにお過ごしでいらっしゃいます。

 実は先月当店でシャンパンパーティーなるものを行ったのですがそこに久しぶりにおいでになった方がおり『やはりこのお店に来るとパワーを感じますね』とおしゃっていました。その時には気にも留めていなかったのですが、先週末にご来店になリ、実はという事で先日ロンドンに行った時に日本で有名な霊能者(なんて表現して良いのかわかりませんのでとりあえず)江原さんという方がイギリスで占星術を取得した時の師匠という方と知り合う機会があったそうです。

 その場で『貴女のお爺様が貴女を守っています。』という事で、その爺様が宝石を好んで周りにおいて置いた方だという事でした。何か悩みがあるようですねと言われ、『周りに宝石を置きなさい。特に貴女にはダイアモンドが向いている』というお話をされたという事で、たまたま良い機会という事でシャンパンパーティーに参加をされたそうです。

 この方は以前当店でダイアモンドを購入した時に良い物件に当たり自宅を購入され、近所から日本橋に引っ越された方で、やはりダイアモンドには縁を感じているということは以前から仰っていました。

 実はこの先週末のご来店はもう一人いらして、その方もたまたまシャンパンパ^ティーにお越し頂いておりました。その際にやはり3ctsのダイアモンドをお求めになっていったのですが、その際には彼女は就活中で『仕事がなかなか決まらないんですよ。』と嘆きながら、『そういえば前回2ctsのプリンセスカットを頂いた時にも就活中だったわ。』と言いながら店内を見渡しておりました。

 私が『これ今一番私が気に入っているダイアモンド』と彼女に見せると『ワー、きれい‼』と言いながら見入っていました。しばらくすると『今度の退職金分で買えるようであれば前回の例もあるのでほしいなー。』と言いながら私の方を見ておりました。

 結果お求め頂いたのですが、その数日後『ビックリなんです。ほんとに就職が希望のところが決まったんです。』と早速のご報告です。当方もビックリ仰天という古典的な表現しかできないような驚きでした。

 同日でご来店を頂いたお二人でしたが、どちらも幸せを掴んでいただければ当方も幸せです。
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2019年8月19日月曜日

仮想価値⁉

 昨日ゴルフ帰りの車中で知人が『高級腕時計が売れているらしいですね。』という振りがあり、会話の中で資産としての価値を問いかけてきました。

 私が知っている限りの話として過去に資産として計上されていることはあまり聞いたことはありませんが、そのような勘違いした噂が出回っていることは知っています。しかし、これはあくまでもメーカーの仕掛けもありますが、即別なバージョンに関してだけのであって話であって実際には首をかしげる部分があります。

 一般的に資産とは財産を指す言葉ですが、公的には『換価性の有る物もしくは一定の目的の元利用性の有る物、そして個々にとって価値のある有形無形の物。』という括りになると思いますが、ここでの意味では換価性の有る物という下りになると思います。

 何らかの金子にはなると思いますが、多くの人はここで資産を投資になるものという解釈をしいていると思います。しかし、そう考えると過去のオークション等の中ではよほど歴史的価値を見出された物しか評価をされるケースは少ないと思います。

 一般的にはオークションにおいてもスタート価格は材料代つまり、貴金属が材料であればその重さと、ダイアモンドが付いていればその相場価格が基準であり、それ以上に評価をされることはありません。

 多分皆さんの勘違いは一部の限定商品がマニアの間で時には付加価値がついてネット上などで売られることがあるのでそれを勘違いしているのだと考えられます。現実には中古の相場がありますよと言われる某Rブランドの時計などでも実際にはその相場で引き取られることはまずありません。特にアメリカなどの質屋では雑貨のごとく山積みで売られています。

 確かに一部の特殊なものに関してはそのような現象は起きてはいますが、やはり大量生産をすることのできるものに関しては資産性という意味では首を傾げることが妥当であろうと考えます。

 知人は私のビジネスであるダイアモンドに照らしてそのような質問をしたようなのですが、根本的にダイアモンドと腕時計ではあらゆる意味で条件が違いすぎます。人間が一定の市場性を意識して創り上げた仮想価値と自然が創り有限性を持った実質的価値とでは比べるものでもないように思えます。私自身の回りにいる人間ですらまだまだダイアモンドというものを理解していないことを考えるとまだまだの努力が必要だという事を改めて考える車中でした。
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2019年8月16日金曜日

ダイアモンドを説く⁉

 お盆も明け、台風の爪痕がまだ残る状態ではありますが、まだまだ世間はビジネスモードという訳にはいきません。ニューヨークのダウも価格を下げ、東京の市場も揺れています。

 勿論、ジュエリー業界の方も中国を始め世界の経済の下降減少を受け、世界中のマーケットが冷え込み始めました。以前から言っているようにオークション市場の経過は良好であり、高額商品が動いていることに変化はありません。

 ダイアモンド業界も例外ではなく、他のジュエリー業界ともども良好であるとは言えませんが、こと高額になるとファンシーカラーを始め、D IF以外の大粒ダイアモンドは堅調です。ただし、絶対量がありませんから堅調といっても目に見えるほどの市場ではありません。

 盆に入る前に百貨店さんからの依頼により大粒ダイアモンドのミニセミナーを行ってきました。内容的には時間も2時間と短く、大枠として『ダイアモンドの価格の決まり方』という内容でした。意外にも多くの販売員の方たちがダイアモンドの価格の決まり方に関して知識が無いようでした。更に言えば4Cに対する解釈も勘違いが多く、終了後は皆さん頭を抱えていました。

 ダイアモンドの価格の決まり方は別にして、ある意味購入者に価格を理解するという知識を養っていただかなければなりません。そういった意味では多くの場合ジュエリーの一部としてのダイアモンドに接している場合が多く、ダイアモンドそのものを理解して頂くような説明というものはあまりされていないような気がします。

 例を挙げると絵画ですが、多くのコレクターはどのようにして絵画を理解し、購入動機となっているのかという事を考えると、多くの場合は画商からのレクイチャーがあり、更にはオークション上でよく名前の聞くもの。そして、勿論情緒的に自らの嗜好にあっているものという事になるのです。しかし、多くの購入者の価格に対しての理解はやはり画商からの情報や自らの購入体験による物であり、本当に価格に対する理解というものは『景気が良くなれば価格が上がり、悪くなれば下がる』といった大雑把な感覚でしかありません。

 絵画に関しては百貨店なども半額の値引きというものはざらにあるという事です。勿論絵画のコストというものは絵具代とキャンパス、そして作家の作業代ですから当然と言えば当然です。後の殆どは付加価値ですからお求めになる方が幾らという理解をするかどうかという事になります。

 ダイアモンドに関しては元々のコストが決して安いものではないので付加価値の率よりも圧倒的に実質的価値が占めているのですが、残念ながらそれを説明できるだけの販売員は非常に少なく
感覚的に消費者でも知っているような知識しか無いように見えます。小粒になればなるほどジュエリーの中での付加価値の率の方が高くなり、必ずしもロジックは必要ではないからです。

 画商の知識がどこまでの物を一流というのかはわかりませんが、少なくても購入者が自ら判断をするだけの説明と納得するだけの金額を提示するだけのことは出来ているような気がします。

 そこで現代の販売員には『ダイアモンドを説く』だけのロジックと知識を持つことが如何に大切かという事が求められるのだろうと考えます。それはあくまでも購入者が自ら判断をするだけの内容を説くという事であり、それなりの知識が必要だという事ですが、それが販売の幅を広げ、本来のダイアモンド購入者を増やすことにもなるのです。
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2019年8月3日土曜日

寛容⁉

 最近の日本で起きている事件や問題を考える時に『寛容』という言葉が頭に浮かびます。それは正誤は別にしてどちらの観点で物を見るかという事で物事の結論は変わるわけですから、自分とは異質な意見に対しての寛容さを持つことの重要性を感じるわけです。

 宗教、人種、言語あらゆる部分で混在を極めてきた日本で、それらを受け入れる寛容性を見せてきた一方で、『何故に日本は韓国や中国に対しては蔑視の意識があるのか?』という意見を目にすることがあります。その際に必ずしも他国の人々との関係性と一緒ではないという見方があることに気が付かされます。

 現在に日本ではスポーツ選手や芸人の台頭により外見や肌の色の違いでの偏見は少なくなったようにも思えるし、時代が人種に対する偏見を超えさせたともいえるように思えます。しかし、中国や韓国のように反日教育をしている国ばかりではないし、ある意味日本から離れた国であるが為に受け入れやすいという事もあるのでしょう。

 中韓に関しては過去の歴史の上での事と両国の文化と事も有るのでしょう。しかし、間違いなく一番近い国であることは間違いがありません。それだけに政治利用を常套手段に使う両国の文化が先へ進まない限りは解決をしない問題なのかもしれません。

 勿論、日本側の考え方も正さなければなりません。一部とはいえヘイトスピーチなどを行う輩は何処にでもいますが、それらの行動が相手国のメディアや政治に利用をされている結果になっていることも事実です。

 先日、高校野球であった話題にしてもそうですが、何故にエースを決勝戦で投げさせなかったのかという論議に関しても両方に正論はありますが、一方が圧倒的に正論とは必ずしも言えません。事実を一部しか知らない時点での正論は事が進むにつけ異論というものが出てきて正論のはずが気が付くと少数派になっていたという事はよくあります。

 先日も吉本興業の問題でタレントが会長、社長が辞めなければ自分が辞めるという事がありましたしたが、当初は正論としてその覚悟や心意気を買っていた視聴者も時間が経つと、一流かどうかは別にして一タレントが企業のトップに対して自分の首と同等というような要求をすることは思い上がりと捉えられられるようになります。

 これらの現象は現状のSNSを始めフェイクニュースと言われるものの台頭により、正誤は別にして広く拡散をされるようになったことが一因にあると思います。しかし、以前からメディアの報道がイコール嘘ではないが全てでは無いということは言われてきましたが、現状は全て以上の虚言、虚像までもが含まれた内容が広く拡散をされています。

 どの内容が事実か否かという事を判断する場合に自身で物事を判断する賢明さと、相手に対する『寛容』があって目明きとなるのだろうと思っています。

 勿論人間ですから自身の都合という事が前提にはなると思いますが、その都合がもっと大きな
視野を通して都合を考えるようになると多くのことが解決をするような気がします。
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2019年7月30日火曜日

価値への理解⁉

 今年の秋のテーマは
『付加価値の絵画、実質的価値の金、そして付加価値と実質的価値のダイアモンド⁉』
と銘打ってのイベントを百貨店との間で企画をしております。

 絵画の販売方法を聞いていると50%引き位は当たり前のように行われているそうですが、コストという事を考えるとキャンパスと絵具代そして一番高いものは額装代かもしれません。つまり殆どの代金は作者の能力による付加価値と言ってもよいでしょう。更には多くの場合作者の没後に価値が上がります。

 つまり、値引きをすると本来の価値というものはキャンパス、絵の具、額装とそれぞれのコストだけですから、値引きしようとしまいと本来の価値は購入者による購入価格でしかありません。ついている値札価格は単なる目安であり、価値は購入者もしくは販売者により下げられたことになります。
 
 付加価値とは興味のない人には何の価値もない物だが、興味を持っている人にはこの上ない価値のあるものとなるのです。
 
 金はご存知のように相場で万人がが認める相互交換できる価値ですからそこには一部の人間の嗜好性は入っては来ません。つまり、実質的価値と言えるでしょう。

 一方でダイアモンドというものは宝石という付加価値、つまり希少性、審美性、耐久性を主とした価値があり、更には携帯性、換金性といった実質的価値もあります。勿論程度による価値の判断というものはありますが、相互交換する事の出来る実質的価値があることは勿論の事、それ自体を愛でることのできる付加価値もあるわけです。

 ダイアモンドの過去には一般でいう生産過程で付加される付加価値というものではなく、人間の都合による付加価値というものをベースに販売をされてきたために大きな誤解を生み、実質的に遠回りをしてきました。更にはその間に大きな利益を上げたがために現在の苦境があります。

 今後は本来のダイアモンドの価値というものを理解し、販売に繋げることのできるように希望をしたいものです。

 ダイアモンドはサイズによりその販売方法や表現の仕方が違う事は前提としなければなりませんが・・・。
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2019年7月29日月曜日

にわか評論家⁉

 世の中色々なことが次から次と起きるもので吉本興業問題、京都アニメーション事件、更には大船渡高校の佐々木投手を決勝で投げさせなかった問題と世の中評論家やメディアのかっこうの材料になっています。

 吉本問題に関しては既に吉本興業の内部の問題ですが吉本が関わっている公的プロジェクトには100億円からの税金が投入をされていることを考えると吉本はいったんこれらの事業から手を引き会社内部の問題として処理をすべきでしょう。

 京都アニメの事件は以前にも書きましたがテロ事件です。これは単なる地方の事件で管轄の警察署の問題ではなく公安委員会を含めた国家としての対応を考える問題だと思います。来年にはオリンピックがあるわけですから必ずしも競技場という事ではなく、何処でどの様な理由でテロが起きるのかという事を対処しなければなりません。

 ゴミ箱やロッカーの撤去という単純のものではなくもし、もっとテロを理解していたら今回の事件の数日前から存在を認識されていた犯人を事件を起こす前に検挙をする事が出来ていたのではないかと感じるわけです。

 テロイコール宗教問題ということではありません。無差別殺人は皆テロ事件なのです。理由は哲学から宗教、対政府やオタク族の思い込みによるもの要因は様々です。以前にも起きた秋葉原の通り魔事件においてもあれだけの人々を巻き込んだ無差別殺人はテロ事件として扱うべきところを通り魔殺人事件としてしまいました。

 テロに対する意識の低さはいくらオリンピックや国際イベントで警戒をしなければといってもテロに対する本当の意識がなければ防げるものではありません。

 少し柔らかくはなりますが大船渡高校の佐々木投手の決勝戦投球回避の問題ですが、彼の先輩である大リーガーの投手たちも一応に今回の監督の処置を賛成し、一部に今回の処置に対して反対の声を上げている人々に対して非難をするような声明を出していますが、いかがなものでしょうか?

 私見ではありますが、高校野球の過密スケジュールは如何なものかという事は置いといて、高校球児はある意味甲子園を目指して野球をやっているものだと考えています。監督は何を懸念しての対処だったのかと考えます。もし監督が彼の将来性という事を考えていたとしたらそれは何かの力が働いたのかとさえ勘繰りたくなります。理由として前日129球投げ呼称の危険を回避したという事ですが、佐々木投手は決して納得のいったような顔をしてはいませんでした。

 過去には去年の現日ハムの吉田投手にしても前日まで400球を超える投球をしていましたし、まだまだ他にも沢山の例があります。4番打者でもあった彼をライトにでも守備で守らせるとか、何よりも彼を一回でも投げさせるチャンスを与え、高校生活に納得をするという機会を与えるべきだったのではと思うのです。何事も挫折を含め、あらゆる経験をするのも教育の一環ではないのかと考えるわけです。決して昭和の根性、気迫論を展開しているわけではありません。

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2019年7月25日木曜日

ダイアモンドの価格⁉

  先日、某百貨店の方から『社長がおっしゃる通りダイアモンドの価格は4Cで決まるわけではないですものね。』という言葉が出て違和感を覚え、私自身も4Cでダイアモンドの価格が決まるわけではないと事ある毎に言って来たので致し方ない部分もあるのかもしれません。

 皆さんが勘違いをしているのは4Cイコールグレーディングレポートという理解なのですが、言葉足らずになると大きな勘違いをするのだと自戒の念を込めて説明しますと4Cという事が価格の目安になることは間違いがありません。

 ただし、4Cの優劣により価格が決まる目安になるという事でグレーディングレポートがイコールではないと言う事です。つまり、グレーディングレポートとはその度合いをそれぞれのグレーダーが評価するという事であって、その事自体が同一評価ではないという事です。Aというグレーダーが3と評価したものがBというグレーダーが5と評価をする事があるわけで、そうするとAとBの同一評価は中身が違うという事になります。しかし、それは基準が違うという事でそれぞれの中での整合性があればよいわけです。

 車もベースとして排気量が価格の目安になり、これをダイアモンドの重さとした時にクラリティーを車でいえば素材という事になり、更にカラーはオプションの数であり、カットは性能といっても良いでしょう。つまり、大型車で素材が良く高性能でオプションが沢山ついているものは高額なのですがメーカーによって価格は違うということです。

 4Cで評価をされる事には間違いがないのですがそれぞれのメーカーの其々の取扱説明書で価格を比べること出来ないという事です。

 そして、仕入次期、販売会社、販売方法、規格品かどうかといった要素がくみ合わさり、価格といったものが決まるわけです。

 基本的には上記条件の前にダイアモンドの価格というものは取引所なり、研磨工場で、更に言えば原石の時点で価格が決まりますが、これも4Cをベースにしますがその物のテリであったり、研磨後のダイアモンドの歩留まりや評価により違いも出てきます。

 4Cで価格が決まらないというのはグレード表記で価格が決まるわけではないという意味でもあり、誤解を招く表現であったかなと反省しています。
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2019年7月22日月曜日

世間というものは⁉

 芸人の記者会見が大きな話題になっていることに多少なりとも違和感を持っています。それは参議院選挙の投票日と重なったことも有りますが、多くの社会人はそちらの興味を持っていたと思いますが、選挙のことはさておき報道をしているメディアに対しての疑問でもあります。

 裏を返して考えると多くの人の関心は参議院選挙よりもこれら芸人の動向という事になるのでしょう。

 そこでこの芸人たちの記者会見に関して考えてみると彼らは決して法律を犯した訳ではありません。しかし、彼らの倫理観というか世間の倫理観から言うと社会への影響は大きかったということの謝罪会見だったのでしょう。当然と言えば当然の行動とも言えます。

 森友・加計問題においては役人や国会議員等の明らかな国家公務員法違反になるのではないかという事も、そのことの検証どころか法律に触れていないという前提を創りだしてまで何の釈明会見すら行わない大臣や国会議員、そして役人たちは彼らの爪の垢でも少しは煎じて飲むと良いのではないだろうか。

 百歩譲っても法律に触れていないからという言い訳をよく国会議員がしますが、立法府である自らが創る法律に触れないからという理屈は通らないと思います。法律の前に倫理観というものが有ります。そして国会議員は高い倫理観があることが前提です。それを資格としたら今の国会議員のうち何人が残るのだろうかと考えます。

 少なくとも安倍総理や麻生総務大臣など存在するしてはならないような気がします。しかし、自らの組織を守るためとか、保身という事も含めて自らの立場を利用した行動をとることはある意味し方がないことなのかもしれません。

 今回の吉本興業の二人に大した態度もおそらくそんなところからきているのかもしれません。暫く頬かむりしていればいずれ世間は忘れてしまうとでも考えたのでしょう。そして事実今までも国会議員は何もなかったかのような顔をしていまだに国民の代表として国会に居座っております。

 そんな国の公表事は本当にどこまで信じて良いのだろうかと考えると現在も揉めている韓国との問題も果たしてどちら正しいのだろうとさえ思います。単純に国内の報道からだけだと明らかに韓国サイドも問題の方が大きいと考えますが、何故にあそこまで韓国は頑なに自分たちの立場を正当化しようとするのだろうかと考えると本当に日本の国内の情報が正しいのだろうかとさえ考えます。

  いずれにしてもメディアは真実を報道する前提としていますが虚偽でなければ真実を報道しないという事もハンドリングしているという事も忘れてはならないと思うのです。

 そして、私たちもう一度倫理観というものを考え直しても良いのではないでしょうか?

 決して聖人君子であれと言っているわけではありません。弱者に対してはもっと倫理観というものを意識してもよいのではないだろうかと思うのです。
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2019年7月19日金曜日

ダイアモンド暗黒の時代か?

 前回ダイアモンドのある一部分での価格の下落を書きましたが、一部分ではありましたがほとんどが付加価値性の高いところという事もあります。つまり、日本の政府が発表している国内の経済状況が堅調であるという言葉とは裏腹にリセッション(景気後退)状態にあることをダイアモンドは示しています。

 ダイアモンドというものは世界の経済状況の鏡の部分があります。一つの国の経済環境が悪いからと言って価格に影響が出ることはありません。世界の経済に連動をしているわけですが自民党がよく言う民主党政権下での日本の経済状況のお寒い中でもダイアモンドの価格は堅調でした。それはもちろん中国の経済の台頭です。

 高度成長下の日本とその後のバブル時代にもやはりダイアモンドの価格は上昇をしておりましたが、一方で一番価格が上がりそうなバブルスタートの頃は逆に価格が弱含みでした。それはそれまで迷信でダイアモンドは価格が下がらない。それはシンジケートが全てのダイアモンドを握り価格をコントロールしているからというものでした。

 しかし、1980年代その迷信は見事に崩壊をしました。その要因は日本市場への異常なまでの依頼心による供給過多でした。日本市場には歴史的にもダイアモンドの保有が少なかったことも有り日本からのバイヤーが連日のように世界各国の取引所に現れ買いまくっていたことも有り、週間ごとにダイアモンドの価格は上昇をしておりました。

 結果としてソ連のアフガン侵攻というきっかけを境に経済への不安や足踏み状況の中で過度な供給がたたり価格が下落状況に転じました。シンジケートは大量の資金を投じて研磨市場からダイアモンドを買いまくりましたが後の祭りという事がありました。しかし、日本はバブル真っ最中だったのです。

 現在の状況はその時の状況とは明らかに違い、マーケットにダイアモンドがあふれていることに加え、すでに多くの人々がダイアモンドを保持しているという事と供給元が複数あるという事が環境にあります。

 それ故に1ctサイズ以下のダイアモンドが売れないことは理由もはっきりとしています。しかし、大粒サイズはというと、どんなに掘り続けても絶対数がありませんから価格の下落はありません。しかし、付加価値の付き過ぎたところに関していえばやはり明らかな経済状況に起因をする価格ですから状況が悪くなればやはり下がるわけです。

 現状を考えると付加価値性の高いダイアモンドの価格を引き上げる状況にありませんからその下のところは下がらないといっても上がる状況にもありません。

 ダイアモンドに関わらず宝飾業界自体が低迷期に入り出口の見えない状況にあるわけですから今後は多くの業者が退出をすることになるでしょう。しかし、業界の強さはそこからです。

 つまり、業界を虫食いしてきたなんちゃって業者が退出をすることにより、正常化をしていく可能性があるわけです過去にも同じようなことがありました。宝飾業界自体は2000年以上の歴史を刻む業界ですから無くなることはありません。

 しかし、しばしの間は日本の経済状況に関わらず世界的に低迷期に入るでしょう。しかし、その反面を持っているのも宝飾業界の強さでもあります。ただ、ダイアモンドに関しては長期間で測ることが大事です。
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2019年7月17日水曜日

ダイアモンドの資産性⁉

 今年に入り1ct以下のダイアモンドの価格が下がっています。特に良質なものは顕著でもあります。更に言えばその上の10ctまでの物の最高品質の物の価格も同じく下がっています。(ファンシカラーのものはここでは含みません)

 以前から述べているようにこの事でイコールダイアモンドの価格が下がるという事にはなりません。つまり、付加価値性の高いものが下がっているという事でダイアモンド全体の価格が下がっているという事ではありません。

 1ct以下の物に関してはいわゆる宝石としての位置づけとしてはそぐわないという事も言えます。
それは宝石の条件でもある希少性の希薄さや、昨今の低品質の物の大量販売に伴い同じく宝石の条件である美観性というものに一般の評価が著しく欠如を始めたからともいえます。

 二段階で考えれば宝石としての価値観の下落が1ct以下のダイアモンドの価格を下げ、一方で3ct以上のダイアモンドは宝石の価値としてはあるけれど付加価値性の付き過ぎたものに関しては実質的な価値まで押し下げられたという事になります。

 グレードという魔物が着くと良質なダイアモンドは原石の価格から付加価値が付きます。一方で宝石の条件は満たしているものの普通品質の物に関しては原石からの実質的価値でしか流通をしませんから価格も下がらないという事になります。(取引所ベースですが)

 つまり、実質的価値であるダイアモンドとしてはある一定の条件を満たすまでの間は価格の上昇は大きくはありませんが、一定の条件を満たすと緩やかな上昇をします。そして、普通品質のものは購入価格においても付加価値の付いた物程は高額を出す必要もないという事になります。

 基本的には原材料がどんどん枯渇していく訳ですから長期の展望で考えて資産性という意味ではオークションにかかる3.5ct以上の普通品質から上の物であれば間違いなく価格は上がる訳です。

 因みにここ数カ月では3ctから10ctまでのものではVVS以上でFカラー以上の物に関しては価格が下落の傾向にありますが2ct前後の物に関しては最高品質のもの以外は価格が安定をしています。これは一定の流通が確保されているという事でしょう。つまり、以前の1ctの席が2ctになってきたという事です。

 2ctの国内での普通品質のものは小売価格で200万円から500万円の間での販売が可能でしょうから、これは以前の1ctの価格帯にも対応をしています。

 また、国内では業者間での『市』と呼ばれる生産性のない取引により価格がより下げられています。このからくりはお金のない業者がやむなく赤字で販売するものを買い上げる業者がおり、その業者がまた資金が底をつくとさらに安く売るといったおよそ宝石業界とは思えないような取引が横行していますので、国内においては1ct以下がさらに価格を下げる傾向にあります。

 しかし、このことはある時期終焉を迎えるわけですからい一時期の傾向ともいえるわけです。これらの『市』には海外の人間も参加をしていますので世界のダイアモンドの価格を下げる一つの要因にもなっているということにもなります。

 ある意味安くすれば確実に売れるわけですから裏の部分での資産性ともいえる側面でもあるでしょう。勿論ここではその部分を指しているわけでもありませんので負の部分としてご理解を頂きたいと思います。

 前述の部分どの様に考え、どの様に対処をしていくかでビジネスにも繋いでいくことも可能でしょうし、ダイアモンドの本質的な価値としては宝石であることが絶対的条件でもありますので道を誤りさえしなければ衰退をする他のビジネスとは一線を画しているといっても良いでしょう。

 今後の取り扱い方次第では更なる資産性へと駒を進める事が出来るでしょう。
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2019年7月16日火曜日

上っ面⁉

 先日、TVを見ているとハラスメントの話題の時に落語家の立川志らくが『落語家の修業は正にハラスメント。弟子が訴えたら大変だ』というと社会学者の古市が『なんで修行なんか必要なんですかね?YOU TUBEで十分練習が出来る時代に』といって他の出演者をあんぐりさせていたました。

 どこかで聞いたコメントだなと思ったら以前ホリエモンが『寿司屋の修業ほどわからないものはない。YOU TUBEで動画を見ればいくらでも握れるようになる。』といった発言をしていたことがあったことを思い出しました。

 しかし、どちらも年長者が首をかしげながらも明確な意見を述べずに『それはそうだけれど、目に見えない身に付くものが有る』といった理解しにくい説明があるだけでした。これは単なる例ですが現代の若者に共通する価値観なのだろうと思います。

 勿論そんな論理のままにしていたら日本の文化や文明が死滅してしまいます。『百聞は一見に如かず』という言葉がありますが、現代においては動画などを見るといっても体験ではありませんから聞く事と同意語でしょう。

 つまり、真似は出来るかもしれませんが、寿司でいえば季節や天気によって調理に仕方やシャリの握り方、炊き方が微妙に変わるわけですからそれは時間を掛けた体験でなければ身に付きません。所詮取扱説明書で出来る完成品は簡単な深みのないものでしかありません。

 我々のダイアモンドのグレーディングにおいても常に一定の場所や環境であるとは限りません。それ故ルーペを構えれればプロであるわけではありません。ダイアモンドの一つ一つの特徴や個性により見る場所も変わります。色だまりの出来るダイアモンドもあればそれが出来ないダイアモンドもあります。それは鑑定の勉強をしたから出来る物ではありません。やはり長年の経験や知識の積み重ねにより出来る物であり、通り一遍の事が出来るからと言ってプロとは言えません。

 鑑定機関のグレーダーにしても与えられた環境で与えられた道具があってのことですが、我々ディーラーの仕事は必ずしも恵まれた環境でソーティングをするわけではありません。しかし、間違ったジャッジをすると大きく損をすることさえあります。

 表面上が整えばといった発想の現代には少し疑問もありますが、そんな時代でもあることも間違いがありません。しかし、将来を考えることも必要だとつくづくと感じる次第です。

 それは基礎を学ぶ重要性です。
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2019年7月12日金曜日

韓国の不買運動⁉

 レーダー照射や慰安婦問題、そして徴用工問題と連続をして韓国政府の誠意のない対応の結果として日本の韓国へ対しての特恵扱いを取りやめるという事に韓国国民が日本製品の不買運動を行っているという事に憂慮をしています。

 つまり、米国でも1980年代に日本製品の不買運動が起き、結果的に多くの日本製品に従事をしている人が職を失うという事が起きました。今回の韓国に関してはもっと深刻な問題となる可能性が大きいと感じています。

 韓国の人々の中にも論理的にものを考える人も多いと思いますが、印象的には感情的な人が多くいます。更には韓国政府自体が不満の矛先を日本に向けるという事は散々やってきたことです。

 それ故に日本人の中にも感情的になる人々も多く出てくるでしょう。今回の日本政府の処置は珍しく相応だと思いますが韓国の人々自体が日本の恩恵の中で生活をしてきたという自覚を持っている人が少ないと思います。勿論韓国の識者の中には今回の件に関しては当然の日本の反応だとする人も多くいます。

 中には大学教授という立場にありながら『日本は過去の清算において1965年の条約の中で当時の韓国の国家予算の数倍という援助を韓国に与えた』という当たり前のコメントを出したがためにメディアから叩かれたというニュースが流れました。その中で彼は『漢江の奇跡』はそれが根拠として経済発展をしてきたとも付け加えています。

 日本はその後も色々な特権を韓国に与えてきました。あれほどの仕打ちを日本に対してきたにもかかわらずです。日本の大人の対応が韓国の人々に勘違いを起こさせたのかもしれません。

 今回の問題は韓国の国内問題です。それをいつものように日本へ矛先を向けることによる政府の支持率を上げようとした文大統領の計算違いでしょう。


 過去にも対日貿易赤字であることをやり玉に挙げてやはり不買運動を繰り広げた事がありました。しかし、実態は日本製の車のシャーシを使って現代自動車や他のメーカーが輸出を伸ばしておりましたから韓国が輸出が増えれば増えるほど対日御赤字は増えるのは至極当然の事でした。

 つまり、今回の問題に関わらず韓国の輸出の大半は日本からの部品や原材料で賄われている部分が多いので、日本が本腰を入れたら韓国経済はあっという間に泥沼となるでしょう。それ故にそこまでの状況にしてはならないのです。多くの識者はそれを恐れているのです。今の韓国政府は
その実態を把握していないのでしょう。

 今のうちに日本政府としてちゃんとしたアナウンスメントを韓国国民に流す必要があるのではないかと思います。決して韓国の経済にダメージを与えてしまうことは将来に向かっても良い選択ではないのです。韓国では反日教育を是としています。それでも日本を愛する人々も多く存在しています。何とかしなければなりません。
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2019年7月5日金曜日

数字が示すもの⁉

 最近高齢者の交通事故というか運転事故のニュースが良く流れています。私自身も高齢者側に入ると思いますが、私自身がニュースを見ていて首をかしげることがあります。

 現在、車の運転事故を起こしている高齢者の率は事故全体の18%に及びます。確かに多いように感じます。しかし、残りの80%以上の事故が非高齢者という事になります。更に言うと逆走運転の約40%は非高齢者という事です。

 免許保有者は現在八千万人を超えるという事ですが60歳以上の免許保有率は現時点で30%弱という事です。つまり、30%にも及ぶカテゴリーの人が起こした運転事故は18%という事になります。それは多いのでしょうか?という事ですが単純に考えると事故全体の30%であっても不思議ではないという事です。ましてや最近増えてきての18%です。

 数字というものは明示されている数字よりその逆の数字の方に真実なり本意なりが隠されていることがあります。

 取り上げられている事故そのものは高齢者の運転ミスの場合が多く報道されていますが、死亡事故や暴走による事故というものが実は圧倒的に多くは非高齢者という事です。

 報道というものは事実は伝えることは最小限ですが数字だけを見るともっと沢山の非高齢者の事故が目くらましにあっているような気がします。そちらの方が大きな問題ではないでしょうか?

 最近30~40代の女性のドライバーが多く見かけられますが、車同士の小さな小競り合いやこすり事故などを見ていても何故か女性ドライバーが多く見られます。だからと言って女性ドライバの事故が多いという事を言っているわけではなく、私自身の目に入る環境では例が多いという事です。

 つまり、報道だけを見ると高齢者の事故が異常に多いというように見えますが、数字だけを見ると決してそのようなことではないという事になります。また、高齢者というのはそれだけ長い年月を運転しているわけですから運転歴から考えると非高齢者よりも事故の割合ははるかに少ないと言う事です。

 勿論。年齢とともに運動能力や動体視力、とっさの判断力等々が衰えてきていることは間違いがありません。ただ高齢者でもそれを自覚しているかどうかも個人差があります。

 とにかく数字は事実を表しています、目に入る報道等の感覚だけでそちらの世論が動き過ぎることに関しては少し首をかしげる思いです。

 実は交通事故の要因を考えると免許制度そのものに問題点があるように思えます。車の運転が簡単になり、ある一定の運動能力がない人でも免許を取ることは難しくありません。以前のマニュアル車であれば一定以上の運動能力がなければ免許取得は難しい部分もありました。

 しかし、現在の免許取得に関していえば明らかに安易になり、ナビゲーターも含めて運転そのものが簡単になりました。事故はマニュアル、オートマ車関係なく外的要因も含めて起こります。つまり、車任せの運転をしてきている人にはその回避は困難な部分も多くあるのではないだろうかと思います。

 数字の陰にある物をもっと検証しなければ完全自動運転になった時にはもっと大きな事故が起きるような気がしてなりません。
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2019年7月4日木曜日

宝飾品と装飾品⁉

 そもそも宝飾品と装飾品はどう違うのかという事ですが,単純にジュエリーとアクセサリーはどう違うのかという事です。

 装飾品の事を英語でオーナメントとかアクセサリーという言い方をするのですが、現在では装飾品をジュエリーという言い方をしたりすることに誤解があるように感じます。

 本来宝飾品というものは実用品の延長であり、装飾品というものはファッションであったり、インテリアなどの趣味嗜好品で決して実用品ではありません。

 ここまで聞くと逆のような気がしますが、実際に例を上げるとブローチなどは古代北欧民族の防寒用毛皮や厚手の毛布を留めるピンが発祥と言われています。つまり現代で言えばボタン替わりであり、動物の骨だった小枝だったり、少し進化をして鉄や銅を使用して造られていました。

 それが地位や権力がはっきりしてくるとそこに貴金属や宝石をちりばめたものを使用するようになりそれがやがて宝飾品となってきたのです。またネックレスにしても中世の貴族が自らの家臣たちに配下である印として襟に施した家紋等の延長に勲章であったり、ネックレスとして進化をしたものです。現在においても皇室や王室の行事の時にその原型に近いネックレス型の勲章を見る事が出来ます。勿論、指輪においても古代ローマの印章等が源流にあります。

 一方、装飾品はというと実用性よりも装飾そのままに趣味嗜好のままの物であり、そこには実用性が存在する必要もないのですが現代においてはそこに一部の実用性が含まれることがあります。キーホルダー等が良い例でしょう。

 それでは現代のようにネックレス、イヤリング、指輪等の装飾品が存在をする時代においてはどのように考えるのが良いのかという事になりますが、私見として経験上、貴金属宝石等を使用しているものをジュエリー、それ以外の物をアクセサリー。つまり、宝飾品と装飾品として分けることが明確ではないのかなと思います。勿論宝石とはその条件を満たしている貴石の事です。

 現代においても資産性とか換金性や耐久性といった実用性はやはり宝飾品に関してはあるわけですが装飾品に関してよほどの芸術性でもない限りは換金性も実用性もありません。

 宝飾業界がプライドをもってちゃんとした宝飾品を販売する限りはこの業界がなくなることはありません。それは業界人が宝飾品の価値を守り、その定義を確立することこそが重要なのだと思います。

 儲けれればよいという考え方は本来の宝飾品考え方とは異とします。何故ならそれを守っていれば利益というものは自然に生まれてくるのです。その場の儲け主義に走り宝飾品の価値を切り売りすることは結局自らの命を絶つことに等しい訳です。

 ただし、その前提として宝石というもの理解しているかしていないのかでも変わりますが、多くの人々は宝石を理解しているからこそその傘の下でその場の利益を追ってしまったのでしょう。それは自戒の念を込めての事ですが・・。
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2019年7月3日水曜日

市場は何処に⁉

 昨今の日本の市場感覚とは裏腹に税収が60兆円越えという増収になり、更にはオークションでは高額落札が相次いでいます。

 5月のニューヨークのオークションではコンテンポラリー・アートのジェフ・クーンズの『ラビット』が100億円で落札され、それまでの高額落札記録を更新し、その後の香港でも3.5ctのパープリッシュピンクダイアモンドリングが約8億円で落札をされました。芸術や宝飾品に関わらず高額な投資を目的としたオークションでの落札が話題になっています。

 しかし、多くの庶民はその世情を遠目で見るような感覚を持っていることは否めません。何故なら実際の前述した内容は事実ではありますが一部の世界で起きていることだからです。つまり、1%の人間の行動の反映なので99%の人間の感覚にはないからです。

 1%の民というのは世界の人口でいえば約7千万人弱という事になります。7千万人というとそれほど小さな人数でもなく感じます。

 世界で最も平均所得の高い国はスイスの1070万円ですが、日本の平均所得は429万円ほどです。更に言えばスイスの平均納税率は21%に対し、日本は32%です。但し、スイスは物価が日本に比べて約1.5倍となっていますが消費者物価指数となると日本の100に対してスイスは99となります。つまり、スイスの方が貧富の差が少なく日本方が貧富の差が大きいとなるわけです。

 内容だけで見ると税金が高いわりに国民の生活水準は決して高くないということにもなります。平たく言うと税金の無駄遣いが多いという事ですかね?

 宝飾品に限って言えば決して悪い状況ではないという事にもなります。ただし、同じ宝飾業界でも業態がどちらに向いているのかという事も大きな問題でもあります。例えば一方で市場が良くないと感じると消費者に合わせた商品構成や販売方法をとることになります。そうなれば一時的には数字が上がりますが、宝飾品の命でもある個性や特殊性が失われていきます。

 一つの例として一時期流行るデザインを多用するとその場では売り上げが上がりますがある時期が過ぎるとそれらは場合によってはデッドストックとなり、さらなる挑戦をしにくくなります。そうなると売れないスパイラルに入っていきますので苦しくなりバーゲンセールの果てに、宝飾の価値というものが結果的には失われ更に売れなくなるという言ことになります。

 これらの売り方は宝飾品の売り方としては決して正解とは言いかねるわけですが99%の人々を相手にしようか?もしくは1%を対象にしたビジネススタイルを確立しようかとした時に答えは明らかです。しかし1%の人に出会うよりは99%の人と出会い方が簡単なわけです。

 そうなると1%の人を目指すビジネスをしながら、99%の人に対応をしていくというのが現実的なのだろうと思いますが、1%を目指さずに行うビジネスはやがて滅びることは歴史が物語っています。

 京都の暖簾はなぜ数百年も守られているのかそれは大衆に迎合をしなかったからだと思うわけです。
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2019年7月2日火曜日

資産としてのダイアモンド⁉

 以前は『ダイアモンドは財産ですから』と言って販売をする販売員もおりましたが、現在はそのような販売方法をする販売員はいないと思います。

 しかし、これは一概に間違いではありません。つまり、資産というものをどのように捉えるかによりますが換金が出来る物という意味では間違いではありません。しかし、皆が思うような『ザ・資産』という意味では少し違うのかなという気がします。

 現在ダイアモンドを資産と呼べるレベルで考えると大粒、つまり宝石質という事でいえば3ct以上の物という括りをする必要があるでしょう。

 皆さんが思い浮かべる資産という言葉で幾ら位を想像するのかにもよりますが、ここでは前提として約1000万円を想定した時にという事にします。。私自身が過去のデーターや経験を参考にするとここ40年で3ctは平均で2.5倍、5ctでは4.5倍相当になっています。(US$においての輸入価格)

 しかし、近年それよりも小さなサイズにおいては其れほどの大きな伸びを示していません。さらに言えば1ctサイズにおいては殆ど伸びていないどころか需要が供給に比べ縮小傾向にあります。

 現在の常識というと大げさではありますが宝飾品と装飾品というカテゴリーに分けるとしたら1ctサイズに関しては装飾品という方に入るのかもしれません。勿論今後もブライダルの一部としては残ってはいくのでしょう。

 資産としてのダイアモンドに関してはまだまだ一部の人々の中の物ではありますが、現在のようなバーチャルマネーの時代になると現物資産としての見直しが行われていきます。財務省から将来を危ぶむ様なアナウンスメントが出るとやはり現物資産である金やダイアモンドの方に目が向けられます。

 しかし、ダイアモンドに関しては現状換金をするシステムが他国程明確ではなくせいぜい買取屋さん程度の少しアンフェアな買取方法が主になりますが、事大粒ダイアモンドになると大手のオークション会社が取り扱いを行っております。

 ただし、これもまだ資産家たちの間では常識的な物ですが一般の人々の間ではまだまだ認知が遅れています。しかし、今後まだまだ電子マネー等の不安定は続きます。やはり最後は現物であることは間違いがありません。バーチャルマネーは誰でも造る事が出来る可能性はありますが、ダイアモンドに関しては地球しか作る事が出来ないのです。

 また日本政府は仮想通貨(バーチャル・キャランシー)を暗号資産(クリプト・アセット)と呼び名を変えようとしておます。これは以前否定的であった仮想通貨に対してあらたな財源として目を付けたという事にもなるでしょう。つまり、バーチャルマネーは完全に政府のコントロール下に入ってくるという事でもあるのでしょう。本来は其れも問題なのです。

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2019年7月1日月曜日

目に映る物⁉

 G20が終わり、その後板門店でのトランプと金正恩の再開とこの一週間の政治ショーは今の世情を如何にも表しているようです。

 安倍総理の思惑など何処へ行ったのかと思うような状況でした。彼の得意とした外交でも何の成果もなくロシアとも他の欧米諸国とも通り一遍の外交儀式で終わり、各国首脳も何しに来たのかわからない一方でトランプはとっとと板門店に行き、彼の得意な政治ショーの幕開けです。

 しかし、これもメディアの責任に負うところが多いと感じます。G20のすぐ後とはいえ、それらのリポートもそこそこに板門店での再開に目を向けてしまうのは如何なものでしょうか?

 俯瞰してみれば北朝鮮問題は世界の現状よりも重要なはずがありません。つまり、目先の目立つものだけを捉えて報道するというのは如何なものであろうかとか考えます。更にはトランプは明らかに安倍さんよりも金正恩との方が情が通じています。

 国同士が戦争をしていてもお互いの大将を認め合うという事はよくあることです。トランプと金正恩は悪童という意味で情が通じているところがあります。つまり『悪党同士利用できるところは利用しようぜ。』というところでの計算がお互いに立つのでしょう。

 今回のことは事前に組まれていおることは間違いがありません。しかし、お互いに急きょという芝居がかった形をとった方がより効果的だと双方ともに感じているのでしょう。つまり『悪童同士の感性のシンクロ』というのでしょうか。

 しかし、問題は目先で起きることへのメディアの反応とその後の対応です。今回もG20のことはさておき殆どが悪童同士の再開の報道と解説です。

 我々視聴者はメディアが報道することは必ずしも間違いではありませんがその報道の仕方によっては間違った判断をすることがあります。

 先日も香港の件を書きましたが香港で起きていることは事実です。しかし、実際に起きている事よりも報道の仕方で視聴者は拡大解釈をすることはメディアの人間であれば誰しもが知っていることです。香港の場合行政府のある一部での出来事であり、それ以外の部分であればほとんど平常でした。

 また、私がよく訪問をするイスラエルに関しても世界中のメディアがネガティブキャンペーンを行っているのではないかと思うくらいに多くの人々は危険な国だと思っています。しかし、長年私自身が訪イをしていて確かに一部ではいさかいが起きていることも事実です。しかし、多くの人が8割と思っていることは1割前後の事です。勿論全てではありませんが・・・。

 これらの要因の殆どがメディアが流した画面を見た結果です。人々は目に映るものを信じてしまう傾向があります。私自身も以前はそうでしたが学生として米国にいたころTVもなく生活をしていた時に友人から日本で革命が起きたと伝えられびっくりしたことがあります。それは成田闘争の真っ最中の画像でした。勿論それは一部の地区で起きていることは知っていますのでびっくりはしませんでしたが実情を知らない人が画面から見る情景は革命そのものなのです。

 メディアは確かに皆の眼でもありますが目に映るものが全てではないという事も肝に銘じる必要はあるのです。
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2019年6月28日金曜日

価値の伝え方⁉

 先日三井住友銀行がオフィスでのTシャツ、ジーンズの着用を認めるという内容なニュースがありました。私自身はこのニュースを聞いて頭の中で『日本は大丈夫か?』という思いが走りました。

 日本は侘び寂も含めてTPOで価値を高めてきた国です。昨今のデフレ現象というものはここに要因があると思っています。つまり、なんでもかんでもカジュアル化になることによりファストファッション的な物は良いかもしれませんがそれでは経済が回らなくなっていくのです。

 良い例がレストランでも家の中でもパーティー、どこでも同じ洋装で良ければネクタイもいらなければスーツもいらない訳です。カジュアル化は一見してエコだったり省エネに良かったりするような気がしますが決してそのようなことはありません。

 実質的な価値だけで良ければ世界中の8割の人が仕事を失うでしょう。それはAIの影響どころではないと思います。食べ物は食べれればよい、衣料品は着る事が出来ればよいという事であれば食べ物の品種改良もいらなければファッションデザイナーもいらないわけです。

 多くの付加価値というものは実質的価値ではないとは言うものの人類にとって必要であるからこそ生まれてきたわけで、更にはそれ故に経済が回ってきたともいえるでしょう。

 実質的価値に比べ付加価値には教育というものが必要です。つまり、必要だと感じる環境がなければなりません。結婚式とはこのような物ものですよ。だからこのような物が必要ですよという教育があってブライダル業界は回っていく訳です。皆が結婚式を挙げません。形式だけで良いですとなったらブライダル業界の殆どの人が失業をするでしょう。

 宝飾業界においても長い年月をかけて消費者の教育をしてきました。デ・ビアス社の『婚約指輪は給料三か月分』というキャンペーンを始め、宝飾品を身に着ける場所の提供やそのレベルというものを演出し、消費者も宝飾品の展示会に行くときにはそれなりにオシャレをし、ジュエリーも身に着け来場をしたものです。それ故に宝飾品を買う価値というものも有った訳です。勿論それに付随するパーティーや食事というものを提供してきたわけです。

 しかし、売り一辺倒になりバーゲン会場化をしていくと消費者はラフな洋装で来場する事となり、更にはジーンズや買い物帰りに来るような格好となり会場のレベルというものはさらに落ちていきます。そうなれば宝飾品というものの必要性を感じません。しかし、それはその会場を演出している側のレベルという事になる訳です。

 以前参加をしていた展示会場で消費者から煮つけのお土産を貰って喜んでいた業者がおりました。その会場にいた責任者は『それだけお客様と親密にお付き合いをしているんです』とほめていたのを聞いてあきれておりました。

 つまり、お客様から見れば自分で作った煮つけをもってきても良いくらいのレベルの会場という事ですから相当下のレベルと見られていることとなります。人情としては褒められたことかもしれませんが宝飾業としたら最悪の状況という事になります。町の小さな小売店の近所付き合いとは意味が違います。

 宝飾品に限らず、買いたいという欲求を促すには販売側の演出なり、価値を伝える方法が必要です。宝飾品が売れなくなってきたのも、その他の経済が回らなくなったのも殆どの要因が価値を伝える方法を失ったからであり、職人芸や付加価値性の高いのを残そうとするには販売側の価値を伝える力が必要なのです。

 世の中がカジュアル化すれば経済が回らなくなります。そうなれば極端な話金融は必要が無くなります。その金融機関がカジュアル化の先頭を走ってどうするか?ましてや日本人と西欧人は違います、ラフにしても決して効率は上がらないしょう。
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2019年6月24日月曜日

価値の創造⁉

 先週末、某百貨店のチーフバイヤーがおいでになり、秋のイベントへの出展の依頼がありました。その中で現況を含めどのような展開にすればよいのかというご相談がありました。

 欧州でも以前の日本の宝飾業界でも如何に取り扱いの商品の価値観を上げるかという事に注力してまいりましたが、ここ20~30年間は出来上がっていた価値観を取崩し、蝕む様な商法がとられてきました。しかし、時が経つにつれその価値観というものも消滅してくるとそのビジネスの意味が殆どなくなりました。

 例として19万円のダイアモンドは190万円のダイアモンドが存在するからこそ売れます。しかし、結果190万円のダイアモンドの価値が貶められることとなり、いずれは19万円のダイアモンドはその価格にも意味がないものとなります。今の現状はこのような事が如実に現れているわけです。
 それ故に今後の販売方法や展示方法というものが我々のビジネスの根幹となることが重要なのです。

 一方でスーパーブランドや高級時計の業界ではその価値観を高めるために広告宣伝を始め限定品などのマーケーティングを始め販売の教育にを力を注いできました。その結果現在のような差が出来てしまったのです。

 これからの宝飾業界は本来の価値観の創造という壮大なテーマに取り組まなくてはなりません。それは過去数千年という時間をかけて創り上げてきた宝飾品というものの価値を取り崩した結果として試練としての業界の使命でしょう。

 勿論それは簡単なことではありません。現実という名目のもとに足を引っ張る輩は沢山います。それは宝飾品に対しての愛情や興味もさることながらプロとしての自覚の無さからくるものですからやむを得ない部分もあります。

 しかし、地球が創造し、我々に与えしビジネスですが地球が造ったものをどう価値観をどう付けるかというのが我々に仕事でもあります。そしてここ数十年はその価値観を創ることなくむしろ宝石に対して疑念すら消費者の間に植え付けてきました。

 更にはその販売方法としても現状の催事のようなものが残念ながら主流でもあります。しかし、これもホスト商法のような販売方法や違和感のある手法でついには終焉を迎える様相すらあります。勿論百貨店等はそのような販売方法をとってはいませんが影響が出ているという事です。

 先週での香港での米国でのミーティングの事も含めてお話をさせて頂いた結果として当社が得意としている大粒ダイアモンドの展示方法や販売方法等を変えていこうという下りになりました。

 つまり、米国でもそうですが装飾品と宝飾品という境が無くなってきた現状ではその括りをはっきりさせる事に注力し、販売方法そのものも変えていこうという事です。

 現代においてはAIにおける全自動の問題点も多く指摘されており、GAFAにおいてもアナログの重要性を前提として今後の方針というか、すでに動き始めています。そのアナログの1丁目一番地のような業界である宝飾業界はその指針となるようなものにならなければならないでしょう。
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2019年6月22日土曜日

香港にて⁉

 ここ数日間香港を訪れてきました。ニュースでも取扱われていますが今の香港はデモも行われていて騒然としているのかと思いながらでしたが、拍子抜けするぐらい平静でもあり、異常なくらいの静寂なども入り混じっておりました。


 勿論、行政府の有るところは多くの人々が集まっていますから多変ですが、少し離れたところはむしろ静寂そのもので車一つ走ってはおりません。更に離れた周りは全くと言っていいほど普段と変わらずの雑踏が続いておりました。

 ただ、今回行われている香港国際宝飾展は初日、二日目と人の入りは今一つで中国本土からのバイヤーもそうですが西欧からの人々をほとんど見ることもなくやはり影響は出ているように思いますがその事だけが要因のようには思えません。

 今回はかねてからの友人でもあり、米国一の宝飾メーカーでもあるSTULLER社の副社長が当方のスペシャルカットに興味を抱いており、そのミーティングの為に香港で会うという目的もあり訪問をしたのですが、彼の印象も同じように香港だけではなく業界の変化を指摘しておりました。

 香港宝飾展のこの状況は今回のデモの事だけではなく、世界の宝飾業界の変化を如実に感じるということを言っており、これからはしばらくの間は低単価の物のシェア争いがアクセサリー業界と行われると同時に高額帯の市場の変化が流通システムの変化とともに起きてくるだろうという見解を述べておりました。

 私自身も同感であり、更には日本自体は西欧諸国とはもっと違った業態を持っていますのでさらなる強烈な変化が来るのだろうと感じています。

 市場の変化は勿論多くの人々が感じていますが、これからどの様に変化をしていくのかを感じることが大変重要であり、自身がその変化自体を起こしていくという事が必要になるのだろうと思います。

 過去のグレード導入期、直輸入ダイアモンド、通販等々いろいろな変化の時に携わってきたのですがこれらの変化はまだ市場が欲求を持っていた時代です。しかし、現代は若い世代も熟年世代も宝飾品を買うという欲望が枯渇に近い状態にあります。

 欲望を刺激の出来る物や印象をいかに創り続ける事が出来るのかが今後の課題でしょう。
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2019年6月14日金曜日

展示会⁉

 宝飾品の展示会という形式が出来てもう何年が経つのだろうか。記憶たどると日本での最初の展示会という形式は小生が務めていたところで催したものが最初だろうから40年以上が経とうとしているのかもしれない。

 ただ、最初の展示会というものは販売というよりもそれこそ新しい商品の展示目的だったり、それに加えてお客様の宝飾品を身に着ける場所の提供というコンセプトでありました。しかし時を経つにつれそれが販売会になり、それがやがてバーゲン会場化をしてきたわけです。

 勿論宝飾品は最もバーゲンとは不向きな商品ですから、この傾向は最も適した売り方とは言えないわけで、何とか騙し騙し消費者の反応を見ながら日本独特の販売方法を創り上げてきたわけです。

 これらは日本と西欧諸国の宝飾品に対する文化の違いから出来上がってきた方法ですから海外でこの販売方法を見ることはありません。つまり日本独自の業態という事ができるわけです。

 別に宝飾業界に限らず業態というものは常に変化、終焉を迎えるものですが、宝飾品のビジネスが終わることはないでしょうから、現状における宝飾品の展示会という業態自体はすでに終焉を迎えているような気がします。

 つまり、貨幣というものは有形無形問わず終わることはないのですが銀行が既に銀行のカウンター業務という形態を終えたようにいかなる業態においても時代とともに変化終焉を迎えるものなのだと思います。

 宝飾業においても消費税の投入に伴い一度目の変化があり、更には消費税の増税に伴い多くの異業種が参加をし、まさに業態の変化を及ぼしたのですが、それは必ずしも良い方向へとはいったとは言えません。本来宝飾業にはなじまない数倍掛けの値引き商法というものが導入されそれが当たり前のように思っている世代の業者が増えました。

 それがさらにはホスト商法なる呼び名が付くような販売方法がとられるようになり、これを受け入れるような熟女消費者の増加がそれを肯定する形になり、勘違いをする若い業者が増え、やがてそれは終焉を迎える導火線のように徐々に忍び寄り、いよいよその時が来たのでしょう。

 しかし、宝飾業が消えるわけではありませんから新な試みや、もっと言うなら宝石という古くからある商材を商ってきた正当な商法というものに戻っていくのも一つの試みかと思います、勿論アレンジは当然あるわけですがまさに『温故知新』という事でしょう。
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2019年6月9日日曜日

正論⁉

  時として正論は反発を招きます。
 
 結論がいくら正しくても伝え方が間違っていると相手の心には伝わりません。伝わらなければ正しいことでも意味を持たなくなります。

 正論とは直接的にぶつけると時として相手のプライドを傷つけ、心を閉ざしてしまうのです。つまり、反発を受けることとなるわけです。

 相手の立場を肯定し、こちらの言葉に心を開いてもらうことにより正論となり結論が伝わるのです。相手を否定せず興味を持ってもらうことにより結論を受け入れてもらう、それこそが正論といえるのではないでしょうか。

 さらには正論を解く人の日々の行動や実績は相手に結論を伝えるうえでは最も効率的といえるのです。逆に実績のある人が間違った結論を解いたとしても受け入れられてしまうケースもあるわけです。
 
 その例として合成ダイアモンドの呼び方です。当初はシンスティックダイアモンドもしくはカルチャア(養殖)ダイアモンドと呼んでいましたが何の圧力なのかはわかりませんがラボ・グローン・ダイアモンドと呼び名が変化をしたのです。

 つまり、シンスティックとはまがい物だったり、作り物といったニュアンスがあり、それはまずいという側からの要請がありました。カルチャア(養殖)というのはもちろん真珠業界側からの要請により却下され、結果的にラボ・グローン(研究所成長)といういかにも工業製品ではなく、「ダイアモンドですけど研究所で成長をしたものです。」といったいかにも大量生産ではありませんといったニュアンスになりそうな言葉になったのです。

 多くの人の合意を受けた結果、出た結論としてできた言葉ではあります。それはそれぞれの利害に基づくものであり、それ以外の人々には必ずしも正しいメッセージが届くとは思いません。

 GIA(米国宝石学会)はこれらの変遷の上でロボ・グローンという言葉を使ったうえでさらにその合成石に天然の証明であるグレーディングレポートを発行しているわけですから自らの過去の実績を否定し、更にはいかにも自らの利害のためのまやかしを行ったように感じます。

 冒頭の正論の伝え方には反して自らのネームバリューを使えば必ずしも正しいとは言えないことが既成の事実として伝わってしまうこともあるわけです。

 しかし、これらのことは過去の事実と整合性を欠くことにもなるのでやがては自らの地位を失うことにもなるのではないかと懸念をしています。さらにはそのことに対しての反発は伝え方ではなく、その結論の倫理観にかざして起きるものであることも理解をすべきなのです。
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2019年6月5日水曜日

合成ダイアモンドの現状⁉

 一般論として日本のジュエリー業界は合成ダイアモンドを宝石としては取り扱わないというスタンスであることは望ましい姿です。一方反論として業界を守るためのコンサバティブな考え方だというメディアもあります。

 しかし、この論争はあまり意味がないような気もします。何故なら宝石とは天然という条件が付いているからです。つまり情緒的な『心の宝石』といった形容詞で使う宝石という意味とは意を異にするからです。

 すでに日本では取り扱っている百貨店もあります。また小売店でも取り扱っているところもあります。日本の業界としては宝石としては認めないのですから当然日本お鑑定機関では鑑定書なるものは作製されません。ただ気を付けなければならないのは海外のGIA(米国宝石学会)やIGI(国際宝石学会)などはグレーディングレポートを発行しており日本での取扱店ではあえて海外の鑑定機関の物を付けているようです。その事自体でも伺われるのはそれらの取扱者たちの小手先誤魔化しや認識の無さが感じられます。

 GIAやIGIに関しては商売本位の機関なのでとち狂ったのかという人もいますが、当然と思っているのでしょうが後でのしっぺ返しは必ず来るでしょう。GIAにいたっては自らが定義したカラットは宝石の重量単位としていたことに反するばかりか宝石とは天然が前提であることも自らが広めた条件ではないかと一言いいたい。

 今の段階では日本の業界の方が珍しく正しい判断をしたと思っています。現にデビアスなどでも合成ダイアモンドを取り扱っていますがグレードの表示はしておりません。何故ならデビアスの合成ダイアモンド生成工場では過去品質の調整が難しいと言われた合成ダイアモンドの品質調整が可能になり、DカラーのVVSアップばかりを生成しているようです。また近々には年間この工場だけで50万カラットの生産が可能になるという事です。つまり中国や他の国の生産量を考えると間もなく月産100万カラット時代が来るという事です。

 現実に現在のデビアスの合成ダイアモンド1ct相当の大きさの小売価格は800ドルですが、国内での小売価格の相場は50万円とブランドよりも高価な価格での販売をしています。更にはその上の価格での販売をしていることろも京都の小売店ではあるようです。これらのお店は宝石に対する認識の欠如か瞬間的にでも儲ければよいという考え方でやっているかのどちらかでしょう。

 デビアスの800ドルは枠代を引くとほとんどコストは数千円という事になります。

 今後日本での販売価格も数万円から数千円になることは間違いがないでしょう。くれぐれも消費者の皆さんには注意喚起を業界としてすることが必要でしょう。

 

2019年6月3日月曜日

物事には要因があるが⁉

 またまた起こった引きこり家庭での事件ですが、今回の容疑者が元高級官僚だったという事もあり話題になっています。メディア等でもその要因を分析するようなコメントも多く目立ちます。

 親としての子供の育て方や子供から見た時の親へのコンプレックスだったりと要因はどれもあるのだろうと考えます。しかし、それが全てではないし、それぞれの環境や能力そして社会のシステム上の問題だったりとかどれもが要因になるのでしょう。

 よく片親の家庭の子は問題があるようなこといわれますが、すべての子供に問題があるわけではないし、中にはとても立派に社会人となった例も沢山あります。先の川崎の小学生相手のテロに関しても引きこもりや子供の頃の差別による問題という指摘もありますが、実際には血がつながっているとはいえ実子でもない子供を数十年と育てたわけですから里親からすれば世話をしてきたのにという気持ちもあるでしょう。

 冒頭の事件に関しても親である前に子供を自分のように出世街道を歩ませようという無理があったのかもしれません。人は血がつながっていようと皆んな個体としての個性を持っています。出世というゴールもそれぞれによって違うわけです。

 当初ベストと思っていた行動が実際にはその行動が原因となって物事が失敗もしくは苦境の要因になることは沢山あります。つまり一つ一つの要因が誰の、何時の、どの事にとって適当であった中は難しい問題です。

 業界においてもダイアモンドの4Cというものはダイアモンドというものを広めるという事に関しては大いに役に立ったのでしょうが、結果的には業界の闇の部分を露呈させてしまったりという事もあります。

 今起きている様々な事件の要因を指摘することは難しくはないのかもしれませんが、その指摘が正しいという事は断言もできないわけです。間違いではなく正解ではないという解決の仕方が今は主流になっています。それ故にそれぞれの正論とする意見の対立があるわけです。

 物事には要因というものが有るでしょうが起きてしまったことを定義づけすることは難しいことではありません。しかしこれから起きようとすることは必ずしも予想をできるわけではありません。占いはだからこそ成り立つのだろうと言えるわけです。

 冒頭の話に戻りますが要因は様々あるでしょうし、この事件のケースは過去にもまま起きてはいます。しかし、それを防ぐことは出来ないのです。ここは倫理観や判断力に任せるしかありません。

 つまりは子供の頃からの倫理観や道徳といったものが有る意味勉学よりも大切であり、国や家庭はまずそのことに注力することにより多くの問題を解決できるのではないかと考えるわけです。

 物事の要因を精査し、考える力こそが多くの事件を未然に防ぐ唯一の方法なのだろうと思いますし、それを軽視し教育の中から倫理や道徳を何の役にも立たないと考える国の方針に首をかしげる次第です。

 人の世話をし、面倒を見、教育することは本当に難しいことです。引き受ける人間はそれ相応の覚悟と生き様を見せなければならないのでしょう。
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2019年5月28日火曜日

プロ意識⁉

  2003年の初夏、丁度ラスベガスJCKショーの開催時期に出展をし、灼熱の外気に触れながら宿舎から会場に向かい会場に一歩踏み入れるとその中の冷気が肌に心地よく、私自身はその事自体が決して嫌いではなくむしろご機嫌でもありました。そんな時にある一通の招待状を貰いました。

 ラスベガスのJCKショーはリゾートホテルべネシアンにつながるサンズコンベンションセンターというところで行われていたのですが、その招待状のその場所とはちょっと離れた某ホテルの一室が会場となっておりました。私は灼熱の外気の中を駐車場に向かい車に乗り込むと外気より更なる暑さに迎えられエンジンをかけエアコンで少し車内を冷やし、会場へと向かいました。

 そのホテルの一室に顔を出すと長身の眼鏡をかけた男性が迎えてくれました。名前はもう忘れましたが人造ダイアモンドメーカーのGemsisのCEOでした。

 彼の話によるとJCKショーへに出展依頼を数年申し込んでいるが合成ダイアモンドという事で出展を許可されずにいるという事でした。結果的に同時期に近くに会場を設けてアピールをしているという事でした。話の内容は、彼のここまでのいきさつや活動について説明をされ、ぜひ協力をしてもらえないかという事でした。

 話の内容というのは彼は軍人でソ連崩壊の折にソ連に派遣をされ、その際に人工ダイアモンドの製造機に出会ったという事でビジネスになると考え除隊をし、製造機を手に入れGemsisiを立ち上げたという事でした。

 勿論、その前からその噂は耳にしておりましたし、興味もあったという事もあり、詳しく聞くと既に米国内では約40店ほど、さらには香港に法人を立ち上げているということでした。そして条件としてネット上で取り扱いを公表するという事で不正を防ぐという事もしておりました。しかし、当時の日本においてはまだまだ業界の知識不足という事もありましたのでその場での返答は控えました。

 実際には確認は取れておりませんがその前にすでに日本には入っていると確信をする事はできました。それというのはまだ旧ソ連崩壊前に日本にはソ連からにダイアモンドの輸入が行われていたのですがGemsisのダイアモンドの製造機械が旧ソ連製であったという事から結びついたのです。

 旧ソ連崩壊の数年前にある事件があり、その時に大量のダイアモンドが警察に押収され、そのダイアモンドの鑑別依頼を受けた事があります。その時にはまだ人造ダイアモンドの知識も余り無く、考えたもいませんでしたが経験上の肉眼ではそのダイアモンドに違和感を感じていたことがありました。

 当時の計器上ではダイアモンドであることは理解しつつも当時大量にダイアモンドを見ていた自身の経験が違和感を発していたのです。もちろん今となってはその確認をとる方法はありませんが、当時の鑑定機関はダイアモンドとしてグレーディングレポートを出しておりました。

 その後ディスクローズされた取扱店の中に当方の取引先でデトロイト郊外のお店も入っておりましたので後日訪問をし、確認をしてみるとそこの店主は
『何の問題もないよ、ちゃんと説明が出来るからね。』
と意外とも言えるくらいに簡単に返答をしておりました。

 つまり、アメリカの場合怪しげな業界という前提がないので、ちゃんとした説明をすれば何の問題もないことでした。私は反面羨ましさを覚えた記憶があります。

 当たり前のことですが説明をしにくいとか疑念を持たれるというのは販売側の問題であってお客様にちゃんとした説明が出来れば問題がないという事はある意味当たり前のことでそれが出来ないという方のレベルに問題があるという事を痛切に感じました。つまりプロ意識の欠如です。

 その後私の業界に対する考え方が変わってきたような気がします。
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2019年5月24日金曜日

扇動する輩⁉

 最近Y経済研究所によるセミナーが行わられ題材が『合成ダイアモンドの今後』という事であったらしいのですが、その中で数年後には宝飾業界の中でのダイアモンドの割合いの12~15%のシェアを占めるだろうという内容であったという事でした。

 参加をした方からのお話では合成ダイアモンドは今後の業界を左右するとさえ言及していたようです。

 以前から述べていますが合成(人造)ダイアモンドに関してはすでにある意味解決をしなければならないことですが、既に結論が出ていると言って良いでしょう。日本では今騒がれていますが米国では既に法律でも定義付けられている問題でもあります。なぜに今更ここまで大きな騒ぎにしようとしているのかが理解できません。

 Y経済研究所とな大手の機関ではありますが、事宝石業界においては胡散臭い事ばかりをあえて行っているのかいつも大騒ぎをしてはセミナー開き結局は何の解決策も示さずにぼやかしてしまうことが多い組織だと私は認識をしています。私自身も迷惑をこうむった過去があります。

 まずダイアモンドとは炭素の同素体であることは皆さんご存知ですが、他にも炭素の同素体はグラファイトを始め存在します。それをなぜダイアモンドというのかと考えると硬度や電気伝導率に優れさらには希少性が高く何より天然の鉱物であるという前提にあると思います。

 更には宝石というのは天然であることが前提で希少性があるという定義があります。つまり、天然でもなく希少性でもない炭素の同素体といっても良いわけです。本来であればダイアモンドというネーミングそのものがおかしいともいえるわけです。

 現在では全世界で月産50CTともいわれる現在では希少性も何もあった物ではありません。現在では天然の1/2~1/3の価格で販売をされているようですが、いずれ1ctサイズが数万円から数千円で販売をされるようになるでしょう。既にいろいろなところで価格の下落が進んでいるようですが量産品とはそういうものです。

 ましてや宝石ではありませんから重量表示に『CT』を使う事も如何なものかと思いますし、そのような販売をすることが問題なのでしょう。つまり、宝石業界がそんなものを取り扱わずに普通の売り方さえしていればなんの問題もないことです。業界自体が違うのですからそのようなものに宝石を扱っていながら混ぜ込ませようとする輩が問題なのであり、合成ダイアモンド自体が問題なのではありません。

 それを如何にも宝石業界の新しい流れのように講釈を述べる輩は如何なものかと思います。

 慌てないことが大事です。
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2019年5月22日水曜日

付加価値と実質的価値⁉

 先日、某百貨店での展示会の話ですが10ctのダイアモンドの展示の横に同じくスーパーカーが展示されておりました。たまたま同じような金額でもあったこともあり、ご夫婦で来場をしていたお二人が会話の中で
『僕は同じ金額であったら車がいいなぁ。』
とご主人が言うと奥様は
『私はやはりダイアモンドかしら。』
とありがちな会話なのですが、ご主人が私の方を振り向き
『どう思います?売っている方に聞くのもなんですが。』
という問いかけがありました。

 思わず私は本音に近いことをつぶやきました。
『こう言ってなんですけど、もし此方が震災になったら車を使用することは出来ません。その上財産として持っていくこともできません。勿論ダイアモンドは可能です。』
更に
『このような事を言っては何ですが、紛争ダイアモンドという言葉があるようにダイアモンドは武器との交換貨幣代わりに使われることも有りますが、車はその代わりにはなりません。つまり、車は付加価値ですがダイアモンドは実質的価値とお考えください』
と答えるとご主人は
『なるほどそういう考え方なんだ。』
と納得しておりました。

 勿論付加価値を優先するのか、実質的価値を優先するのかはその人ぞれぞれですが、一般的に西洋の人は合理的な考え方をしますので実質的価値あるものをまず手に入れておいて余裕をもって付加価値の物を手に入れるという考え方があります。

 根本的に日本人は情緒的価値を重んじる傾向にありますが、それは島国というある意味安全な国から生まれた情緒でもあるのでしょう。少しでもおいしいものが有るとどんなに並んでも手に入れて食べたいという考え方は西洋の場合それなりの富裕層の考え方(勿論、並ぶことはありませんが)であり、一般大衆の思考ではないと思います。

 又、大陸と島国の違いでもある木材という加工のしやすいが耐久性がない物の文化と石材という加工が難しいが耐久性の有る物の文化の違いでもあるのでしょう。

 ダイアモンドを説明するにあたり、現代のグローバル化の時代においては世界基準で物を考えても良いのではないか思う場面ではありました。

2019年5月21日火曜日

民主主義とは⁉

 戦争発言の丸山なにがしという国会議員が連日報道されていますが、極右議員というのは何処の国にもいます。更には海外の多くの国で現在は極右政党が台頭をしていますし、米国の大統領もその一部でしょう。それが民主主義というものではないかと思っています。

 その国会議員をやめさせようという動きはどうなのかと考えます。勿論彼の発言は論外だし、実際にはただの酒を飲んだうえでの失態であることは本人が一番よく知っていると思います。しかし官僚出身の彼にはそれを取繕おうとする体質があるのでしょう。

 彼の将来は池袋で交通事故を起こした元官僚の思考を連想させられます。自分のせいではなくあくまでも他に責任があると言わんばかりの言い訳は見ていて醜くさえあります。

 ましてや地元の選挙民やそれを推薦した政党までが一緒になって彼を攻めています。勝ち馬に乗ったように連日報道するメディアや他の国会議員に関しても首をかしげますが、一番は推薦をした政党の代表が一緒になって彼とツイート等でやりあっている姿です。代表の彼も若いのでといっても50代半ばでしょう。ひたすら責任を感じて陳謝すべき立場にあるはずです。

 この民主主義の国では基本何も言っても良いのですが、倫理観やマナーさらには決められたルールの中での話です。彼の今回の発言は多くの人々が不愉快に思う事でしょう。しかし、彼が国会を言論の府というのはチャンチャラおかしい話ですが、確かそこに哲学があれば通る話です。そして、それを認め国会に送り込んだ政党や選挙民がいることも確かです。

 ただ今回の丸山議員の発言はそんな哲学やその内容を選挙の公約にしたとも思っていませんが、その人となりや考え方のすり合わせを行ったうえで政党が推薦公認をしているはずです。それ故に公認政党の責任は重いもいのです。だからといって簡単にやめさせろというのかというとそうもいきません。それが民主主義であり、そういうリスクはあるという事を理解したうえで議員を選ばなければなりません。

 一連の中での心配は世の中が皆うち揃って彼への攻撃をしていることです。彼を擁護するという意味ではなく、メディアよ本当にそれでよいのか?、選挙民よ自らの選んだ議員に対してやることはないのか?公認政党よ責任の取り方というものをもっと考えなくてよいのか?という事です。

 SNSやネット社会の影響もあり、皆が一様に同じ方向に流れる危険性を感じています。もっと斜めに見てみてはどうだろうか。https://ameblo.jp/diamonrow

2019年5月20日月曜日

言葉の選択⁉

 先日とある百貨店さんの展示会のお邪魔をした時の事です。入口のメインに飾ってある大粒のダイアモンドをお客様に案内をしている若くもないと言える40代の外商員が
『こちらのダイアモンドは少し黄ばんでいますがテリも良く大粒ですので価値としても十分にあります。』
 私は横で聞いていて理解に苦しむとは言いませんが褒めたいのか蔑みたいのかと首をかしげるばかりです。

 勿論状況を見ればお勧めしているので蔑んでいるとは思いませんがダイアモンドを評価する言葉として『黄ばんでいる』という言葉を初めて聞きました。現実はこんなものなのだろうとダイアモンドのビジネスは勿論な事現代の言葉の選び方が偏向していることを改めて感じた次第です。

 最近というか現代において若者や一部の若作りな大人が良く口にする言葉として『ヤバい‼』と連呼をするような場面に出会います。過去には『都合が悪い』とか『危険』といった否定的な言葉として使われ更にはどちらかというと反社会的組織の人間が使った言葉ですが、現代においては『凄い』とか『信じられないとか』といったむしろ肯定的な言葉として使われることが多いのには驚かされます。しかし、現代の意味がそうであっても決してオフィシャルな場所やフォーマルな場所に適しているわけではありません。

 言葉というのは時代とともに意味も移り変わることは間違いがありませんが、語源が反意なものであれば使用する場所を考えなければなりません。冒頭の外商員も『黄ばむ』という言葉が否定的な言い方として理解をしていなければ論外です。

 普段の会話の中でも同じ言葉がを使うにしてもTPOがあることは多くの人が理解をしていますが、そのそれぞれの人が育った環境により使う意味合いや言葉の強さが違ったりもします。

 更にはその使い方と行動が一致していなければその言葉に何の意味を持たないことも有ります。よく後での言い訳ではありますが『そんな意味でいったわけではないのだけれど・・。』という事がありますが、誤解を与える言葉の使い方というのも話す側の言葉足らずだったり、聞く側の知識不足だったりします。

 話し上手な人は聞き上手ともいわれますが話し方というのは知識と経験そして理性というものが
その言葉の選択をし、人に話の真意を伝えるものだと感じるわけです。

 自戒の念も込めて『言葉の選択』はきちっとしなければと思います。
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2019年5月18日土曜日

責任の所在⁉

 昨今起きている交通事故の大概は安易に高齢ドライバーとか若者の暴走という結論になっているようですが、果たしてそうだろうかという気がします。

 確かに事象の表面に出ている事だけでいえばそうかもしれないし、それ以上の深読みは必要ないかもしれませんが、現代においては情報や検証が過去とは違い顕著に詳細や周囲状況が集められます。

 多くの現代の事故要因に関しては私自身は車の運転が簡単になり、そこに大きな要因があるように思っています。つまり、免許の取得が簡単になり、本来車の制御知覚能力のない人間までが街にあふれているような気がするのです。

 絵画でもなんでもそうですが基礎が出来ていて、それをくずし結果そこに芸術性が認められるわけですが車の運転も同様にまずはマニュアル車が運転出来てからAT車に乗るなり、マニュアル車に乗るようにすれば本来の車の制御性というものが理解が出来ると思っています。つまり、凶器になり得るという事の認識が出来るという事です。

 その裏には車産業や行政の事情や策略を感じてならないのです、薬に関してはあれ程厳しく規制をしているにもかかわらず車に関してはリコール問題が頻発しているように意外とずさんなわけです。つまり昨今の交通事故地獄の目立たない要因にはそんなところがあるような気がします。

 目の前に起きている事象に関してはどうしても目に見えることを要因としがちなのは何も交通事故だけではなく組織の悪化要因だったり、業界の業績不振に関しても同じようなことが言えます。

 会社の場合は責任者の責任というよりは従業員の責任になりがちであるし、多くの場合が中間責任者の能力の無さが要因であり、その責任を上層部にうまく報告をする能力にあります。
 最近も明らかに不振の要因の一部が責任者の方にあるにもかかわらず従業員がリストラをされるという不合理を目にしてきましたが、責任者本人は責任者であるにもかかわらず責任をとる様子も見られません。

 業界においても不振は安売りが大きな原因であり、努力不足が自らの将来を封じ込めているわけです。しかし当事者たちは目の前の要因を原因にしたがりがちです。その場で売れればよいという考え方が今の状況を作っているわけです。

 責任の所在というものは広がれば広がるほど見えにくくなります。しかし、ほとんどの場合ご都合主義で目先を追ってしまいがちな面が要員にあります。これほど情報化が進んだ時代でも、人の欲望や都合が責任の所在を簡単にすることには進化が殆どないという事をを改めて痛感をするわけです。

 『苦あれば楽あり、楽あれば苦ありです。』

都合の良い事だけを先にやっていれば、当然後にはそのしっぺ返しが来るのです。
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ごつごうすyぎで





















































































































 

2019年5月10日金曜日

保育児への交通事故⁉

 今回、滋賀県において痛ましい交通事故がありました。直進車と右折車の衝突事故のあおりを食って交差点にいた保育園児の列に直進車が突っ込み二名の園児を亡くした事故です。原因は右折車による前方注意ということでした。

 ここには問題点が二つあります。

 痛ましい事故ですが運転手の注意不足という事故は多く当たり前でうが、今回も問題の事故現場をTVで見ているともっと二次被害を食い止める事が出来た事故であることが解ります。つまり、ここの交差点では同じような事故が以前にも起きているという事ですが、二次被害が起きうるであろうという想定が出来るところにガードレールがなかったという事です。

 T字路の交差点で直進方向はスピードが出しやすく事故としたら右折車と直進車の衝突は十分に想定が出来ます。そして、衝突車が二次的な被害を及ぼすとしてら園児たちのいたコーナーでしょう。しかし、その想定は歩行者には当てはまりません。今回の保育士さんたちが横断歩道の何の落ち度もない法定の位置に立っていたのですから。

 しかし、びっくりしたのはその横断歩道の歩行者が待機する場所にガードレールの一つもついていないという事です。これは明らかに国のミスであることは間違いがありません。外国であれば明らかに国が訴えられるケースでしょう。

 そして、もう一つは今回の事故現場には両車両共に衝突後のブレーキ痕がなかったという点です。ぶつかって気が動転していたことは理解をしますが、もし運転能力がもう少し高い人であればどうであったでしょうか。ブレーキを踏んでいたのではないでしょうか?

 現代の車社会においてはオートマ車が殆どといっても良いくらいで、コントロールは極端な話ハンドル、ブレーキ、アクセルのみです。つまり、本来のマニュアル車のような車を制御する能力のない人も安易に運転が出来るという事です。

 最近の事故を見ていると老若男女関わらず、スピードの制御やハンドルの制御が出来ずに起こしている事故が多くあります。先日の池袋の元役人が起こした事故なども、もしマニュアル車であればと考えるとあそこまでの大きな被害にはなっていなかったでしょう。つまり、ギヤの連動がありますからあの状況ではエンストを起こし衝突前に停車をしていたでしょう。

 もう一度マニュアル車を運転する能力があるかどうかで免許の配布を決めてみたらどうでしょうか。その上でオートマ車を運転する分には構わないと思います。高齢者も年齢ではなく運転能力の不足において免許証の返納をするのであれば納得がいくのではないでしょうか。本来の車の制御能力というものは車任せであってはいけないのだと思っています。

 事故だけを見ていると勿論ドライバーに責任があるのですが、背景には安易な免許の配布であったり、車の性能の制御の問題であったり、国交省の交通インフラなバランスの悪さもあるのでしょう。ガードレールにしても本来なくても問題がないところに設置していたり、不必要な信号機が設置されていたりと予算の問題ではない別の理由がそこにはあるような気がします。
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2019年5月9日木曜日

留守情報⁉

 昨日某有名美容クリニックのT院長宅に泥棒が入ったというニュースが流れました。このニュースの際に当たり前だろうと思ったのは、この院長の家族構成や生活動向などはしょっちゅうメディア等でも流れているし、ましてや本人がSNSで今どこにいるかを配信していたということですから驚きです。

 起きて当たり前のことが当たり前に起きた事です。つまり、今自分は留守にしていて誰もいませんという事を同時配信しているのですから当然と言っても言い過ぎではありません。

 現時点ではスマホを使う限りGPSの確認情報をそれぞれのアプリを使用する際には必要になります(全てではありませんが)。そうなると本人がどこにいるのかという事はある意味駄々洩れ状態になっているわけです。

 特に皆が一生懸命発信をしているSNSは泥棒にとってはこれ以上ない情報源です。私自身もSNSを使用しますので海外にいるときでも時差をつけてあげています。つまり、SNSにアップした時には自宅に戻っているわけです。

 日本人は治安や危険に対して無関心とか鈍いという言い方を良くされますが、まさにこう言ったことを指しているのだろうと思います。私自身は南米や中近東、更には世界で一番殺人が多いと言われた頃のロサンゼルスにおりましたので一般の方よりはその辺の意識は高いと思っています。

 これは単に日本は平和だからという問題ではないように思います。何故なら世界的事件が国内で起きても日本人はあまり気にしないところがあります。ましてや事件そのものを他人ごとのように思っているところがあります。『オウムサリン事件』に関しても世界中では史上最大のテロ事件と報道されたいたにもかかわらず日本人はテロという認識はほとんど持っていなかったようです。更にはその後3,4年は世界で最も危険な国として米国の国務省の旅行者情報に挙げられていたくらいです。勿論ほかの国でも同様でした。

 私が知る限り日本赤軍が起こしたハイジャック事件の『よど号事件』やテロ事件の『テルアビブ空港乱射事件』は日本人が世界で初めて起こしたテロ事件です。つまり、この後にイスラム原理主義者やパレスチナ解放戦線、北アイルランド運動などにテロという概念が生まれてきたのだと思っています。

 つまり、日本人は大事を大事として捉えることを得意としないところがあります。これが良いのか悪いのかはわかりませんが、少なくとも現代においては異常な感覚と世界の人から思われても仕方がないという事でしょう。

 日本人は簡単に何でも信用しすぎると海外の人間はいいますが、オレオレ詐欺を筆頭に単純な詐欺事件で引っかかってしまうのは海外ではあまり耳にしません。それゆえに自分が留守ですよという情報を安易に外に漏らしてしまうのでしょう。勿論昔の日本ではそれも大丈夫であったのかもしれません。

 しかし、現代に日本には外国人を始めSNS時代に育った人間が沢山います。日本人の良いところを失くせとは言いませんが、もう少し時代が進むという事は善もあれば悪もあるという事を認識したも良いのではないかと思うのです。

 自分にとって便利なことは他人にとっても便利であるという事です。そしてその他人の中には必ず悪人がいるという事です。
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2019年5月7日火曜日

ダイアモンドの今後⁉

 前回に述べたように平成という時代は変化の多い時代だったという事はダイアモンドに関しても言えることです。

 4Cという単純な価値観からタイプ1タイプⅡ型といったいささか専門的なものに加え、鑑別技術の向上により原産地等の特定をする技術の進歩のより付加価値にさらに付け加えるというビジネスの始まりです。

 つまり、希少性の高いタイプⅡ型が付加され、更には既に歴史上の鉱山となり物語だけが語り継がれているインドのゴルコンダ鉱山産のようなダイアモンドであることが更なる付加価値となる
時代になったのです。現にオークション等では特定されることにより高額なハンマープライスなっています。最近ではマリリン・モンローで有名な『バローダの月』などもその例になります。

 しかし、これらの詳細なる付加価値がどこまで必要なのかは疑問なところではあります。それというのはダイアモンドのタイプにはⅠ,Ⅱ型とありますが、この中のⅠ,Ⅱの其々にさらにa,bそれぞれがあることはご存知の方も多いのですが、さらに細かくa,bの中に次なるa、bがあることまで知っている方は少ないと思います。

 更にダイアモンドにはエクロジャイロ型とペリドタイド型と別れていますのでこれらを網羅し付加価値性を高める事には果たしてどれくらいの意味があるのだろうと思っています。もちろんこれらの技術はダイアモンドの資産性を始め、希少性等を証明するための手段として出ていきましたのでイコール駄目だという事ではありません。

 しかし、ダイアモンドというものはそのものが希少性の高いものですからそこまでの希少性を追う意味があるのかという事です。勿論その証明手段を持っていることは今後のダイアモンドの資産性や市場性を考えると必要不可欠なことだと思います。

 販売に専門性は必要ですが消費者にそこまでの情報を流す必要があるのかという事と販売員がそこまでの知識を持ち、更にはそれを使うチャンスがあるのかというと答えは『ノー』という事になります。

 勿論知識として持っていることは必要だと思いますが鉱物学を専攻しているう訳ではありませんからそのようなことがあるという意味での知識があれば十分だと思います。過去には販売員の知識の無さから市場を壊してしまい、消費者から怪しげな目線を投げかけられるきっかけになったことは間違いがありません。それ故に最低限の知識が必要であることは否めません。

 多くの特に催事等に従事している販売員は知識の浅さというものを軽視する傾向があります。特殊なものなのでその場の誤魔化しがきくと思っているわけですが、多くの場合には興味を持っている消費者は知識を持っていますので冷ややかな目線でいることに気が付かないのです。

 ダイアモンドの今後というという事になるとジュエリーとしてのダイアモンドと宝石としてのつまり資産性を含めたダイアモンドという販売形態の違いを出していく必要があるのだろうと思っています。

 そして、それは間違いなく目の前にきているだろうと思っていますが、前回書いたような世の中の変化に合わせたものでなければならないと感じています。
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2019年5月6日月曜日

最後に残るもの⁉

 時代は平成から令和へと変わりましたが、『平成という時代に何が残ったか?』というより『何が淘汰されようとしたのか?』

 ビジネスというものが大きく変わり、電話が携帯へと変わり、そしてスマホへと変わりました。ここで何が起きたのかというと商売というものが路面店がショッピングモールへ変わり、そして通販からネット販売へと変わりました。つまり、待ちという商売から攻める商売へと変わったのが平成という時代でした。

 そして、令和という時代は更に変化をし、買うから借りるの時代になりつつあるのでしょう。例を挙げると車のシェアリングだったり、レンタルの多様化だったりするのでしょう。つまり、現代の若者は所有欲というものがなく必要な時に必要なだけ借りる事が出来ればそれでよいという事になるのでしょう。これは勿論経済的な背景もありますが、その背景から生み出された価値観なのかもしれません。

 現在は『億ション』が売れているという評判がありますが、これにはいくらかの業界の戦略的な物が見られます。しかし、一方で『億邸』が動き始めています。一定の所得のあるサラリーマンへは『億ション』という事になるかもしれませんが、若き資産家達にはイージーオーダーのマンションよりも自分の価値観で建てることのできるフルオーダーの一軒家の方が良いのでしょう。

 同じ億の金額を出すのなら場所や時間のフリーランスのある彼らには邸宅を建てる方がオーナーという性分にはあっているのかもしれません。

 この傾向を定義づけするならば昭和から平成になり価値観を変えざるを得なかった人々が先祖帰りのように一部の人が自らの価値観を顧み始めたという事なのでしょう。

 つまり、大量生産の実用品をこれでもかこれでもかと供給をされ、後れを取るまいと買い続けた時代に少し陰りが見え、それがデフレを起こし、その場で儲ければよいというビジネスが氾濫し、それにヘキヘキとしてきた人々はもっと自分らしい価値観を見つけ出そうとし始めようとしているように見えます。

 ただし、それは簡単に仕分けできるわけではありませんが、所有するものと借りるもの、更には安価で良い物とお金を掛けるべき物という変化でもあるのでしょう。

 これからもネット通販なるものやTVショッピング等は残っていくビジネスでしょう。これらは攻め続けなければ終わりますが、一方待ちの商売である店売りというものも淘汰されていくことでしょう。

 つまり、消費者は実用性や付加価値というものとどう関わっていくのか、更には実質的な資産というものとどう関わっていくのかという点を明確に分け始めています。それゆえに大量生産の物に対しては実質的な合理性を求め、自らにとって付加価値があり、更には皆が共有する資産性の高いものに対しては所有欲を掻き立てられ始めているのです。

 令和のビジネスというものはオンリーワンを目指すのか、はたまたスケールメリットを目指すビジネスを目指すのかをはっきり分けなければならない時代になるのでしょう。強いて言うなら、ここでもアナログ対デジタルの対決ではなく選択をしなければならない時代なのです。

 そして、現代の成功をした若者たちはそれを起用にこなしているように見えるのです。更にはその変化に置いて行かれている若者も多く見られるのです。むしろその下地を持っている熟年の人々の方がその変化にはついていっているように見えます。

 いずれにしても『平成』という時代に変化をしたものが『令和』という時代となって熟成し、そのビジネスが残っていくのでしょう。それはもしかしたら『昭和』という時代にヒントがあるのかもしれません。
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2019年4月28日日曜日

過ぎたるは及ばざるがごとし⁉

 最近高齢者と言われる人の事故が多いとなっていますが、これは必ずしも高齢者に限ったことではありません。実際にその率を見ても高齢者(70代以降)だけの事故に限ると10%前後もいかないくらいの割合でもあります。ただどうしてもメディアに取り上げられやすいという事もあります。

 ここで考えなければならないことは自動車の運転があまりにも簡素化されたことにあると考えます。つまり。だれでもが運転が出来るようにオートマ化が進み、本来の事故の回避ができる能力が携わっていない人も運転をしていると言えるからです。。

 いつの日からか遊園地のカート並みの運転技術で車は運単が出来るようになりました。運転が本来のマニュアルであったならばどれくらいの人がすんなり運転免許を取っていたのだろうかとさえ考えます。確か自動車が進化をし車に乗る人が増え、車もたくさん売れたのでしょう。

 しかし、ここが問題の根源となっているような気がします。何故なら高齢者にしてもマニュアル車の運転であれば難しくなりしょっちゅうエンストをしているようであればあきらめもつくでしょう。それに運転技術がおぼつかない女性ドライバーの率も減るかもしれません。

 その場の事だけを考えると車が売れ、運転免許証をとる人が増えれば自動車関連や教習所関係はビジネスに関しては良いかもしれません。しかし、何事も最後という事は遅かれ早かれ来るわけです。

 その場の経済や利益だけを追い求めることは理解もできますが、もっと大きな展望をもってなさなければならないことが多いような気がします。

 進化を絶対条件と考えてもその速度は人間がコントロールをするような状況でなければなりません。これは何も車だけのことではありません。デジタルの出現やAIの出現により人間のスピードではなくAIのスピードで物事を運ぼうとしています。

 これはついていける人が多分10%とはいないでしょう。時代が変わろうとしていますが、それは人間の速度での変化であり、決してAIやデジタルのスピードであってはいけないような気がします。これらと人間はうまく付きあっていかなければなりません。

 決して理解をせずに使用し進めることは道路交通法を理解せずに運転をしている様なもので運転が出来ればよいわけではありません。普段町中を歩いていると本当にそのことが気になります。

 多くの問題点は他に転換されているような気がしますが、実際には身の丈に合っていないことが原因だと考えられます。750ccのバイクは運転以前にそれを持ち上げ立て直せるかを第一に免許の前提としますが、それ位の事を他の事柄に関しても適応しても良いと考えます。

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2019年4月26日金曜日

昭和、平成そして令和⁉

 私自身は昭和の生まれですから『天皇陛下』というと昭和天皇の印象が非常に強く、ある意味天皇陛下という存在は理由なく畏敬の念をもって見ていました。戦前、戦中そして戦後と長きにわたり歴史と向き合ってきた存在であり、更にはその責任を負い平和に対して尽力をされた存在と感じておりました。

 私自身も幼き頃、わが故郷でもある夕張に来られた時にはひたすら大人の仕草に従い日の丸を振っていたような記憶があります。その時の印象で昭和天皇がお乗りになっていた車の周辺の煌きや、当時春真っ盛りという事もあり桜色に染まった風の中をゆったりと悠然として進まれる車列が蒔絵のような印象として強烈に残っています。

 多くの昭和中期以前に生まれた人々は『天皇陛下像』というものは特別な存在と考えていたような気がします。しかし、現平成天皇においては全くちがった印象を持つ人も多いのではないだろうか。

 東日本大震災の折避難民の人々を見舞われた天皇陛下は何の躊躇もなく床にひざまずかれ避難民の人々の目線に合わされ見舞いのお言葉をかけられていたのです。私自身だけではなく多くの人々には衝撃の場面ではなかったのかと感じます。

 天皇陛下が常々述べられていた国民と共に歩む皇室というものを目の当たりにしたような気がしました。多くの被災地を回られ多くの被災者に労いのお言葉をかけられている場面を私たち国民はどれ位見てきただろうか。そして、戦没者や周辺国への配慮としてどれ位の戦地をお回りになり多くの御霊の鎮魂の旅をなさっただろうか。

 間もなく『令和』という年号を迎え新たな時代を幕開けとなります。現平成天皇が見事に作り上げた国民に寄り添った皇室というものは我々日本人はもっと意識をしても良いのではないだろうか。

 メディア等でも取り上げられるテーマは『平成という時代はどういう時代だったのか?』という際に経済や流行などが多く目に留まりますが、もっと大きな目で見るべきだと思うのです。

 つまり、平成天皇明仁陛下は何千年と続いた中での天皇というものを鮮やかに進化させたのです。これは明らかに歴史創造者であり、皆がもっと目を向けても良いことだと考えます。

 これほど国民に寄り添った天皇が歴史の中に存在しただろうか?

 私の記憶の歴史の中には皆無だったと思います。

 世の政治家がもっと天皇陛下のような国や国民をもっと大切に思うようであればどこの国も日本には戦争を仕掛けてはこないだろうさえ感じます。

 歴史上の人物である明仁今上天皇には『ゆっくりとお休みください』と申し上げしたいのです。
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2019年4月24日水曜日

ジュエリーショー⁉

 宝飾業界においてはビッグイベントであるスイスのバーゼルフェアーが終わり、次に控えるのは米国ラスベガスのJCKショーです。

 大きさでは世界最大ともいわれるこのショーは2010年以来再びサンズEXPOに戻り、『べネシアンホテル』でとともに行われます。

 私自身このショーがパシフィックジュエリーショーとしてロサンゼルスで行われていた頃からの付き合いになりますので40年近くになるのでしょうか。当初は日本でのエージェントとして活動もしておりましたが1995年から10年ほどは出展者として参加をしておりました。

 最初の頃は日本も高度成長期からバブルに向かう頃でしたから『アメリカのジュエリーなんて』とヨーロッパ全盛の日本ジュエリー業界では鼻であしらわれたものです。それから十年ほども経つと参加も難しくなるような宝飾展になり、日本からの出展は殆どなく私自身も米国に事務所を持っていたいた事とエージェントであったことを生かし、参加をしたものです。

 当時はラクシュアリーエリアは世界から90社のみの参加しかできなく、来場者は米国上位200社のみという厳しい条件もありましたが、取引条件は何処も優良保証ですから当社としては大変助かったという経験があります。

 その際には多くのバイヤーが取引先を紹介してくれ、大いにアメリカでの取引先を増やすことに役に立っていただいたのを覚えています。

 現在は日本からも団体で参加をできるようになりましたが多くは日本にある外国籍の会社で純粋な日本の会社は殆んどいないと聞いています。多くの問題は取引条件であったり、集金の難しさでしょう。しかし、世界に目を向けようとすればそんな事でめげていればないもできません。ぜひ頑張ってもらいたいものです。

 この季節のラスベガスはとても暑く40度を超える毎日ですから会場内の温度との温度差は半端ではりません。しかし、会場につながる駐車場は殆どがカジノの中を通っていきますのでそこまでは問題がありません。ただ、その距離が半端なく同じ建物の中にいながら約15分ほど歩きます。

 出展の際は毎朝カジノの中を通って会場入りをするのですが、その途中にあるフードコートではなじみのある顔の出展者たちが朝食をとりながら当日の作戦を話し合っています。我々も最大8名ほどで参加をしておりましたから毎朝そのフードコートでミーティングを行っていました。

 アメリカ特有のフードコートの香りは今でも思い出すことがあります。昨今は香港ショーで殆ど用を足すことが多くこの数年ラスベガスは訪れていませんが、青春時代を過ごし、ビジネスとしても20年近く訪れていたラスベガスは私にとってはとても思い出深い場所であり、再び訪れたい場所でもあります。https://ameblo.jp/diamonrow