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2019年8月3日土曜日

寛容⁉

 最近の日本で起きている事件や問題を考える時に『寛容』という言葉が頭に浮かびます。それは正誤は別にしてどちらの観点で物を見るかという事で物事の結論は変わるわけですから、自分とは異質な意見に対しての寛容さを持つことの重要性を感じるわけです。

 宗教、人種、言語あらゆる部分で混在を極めてきた日本で、それらを受け入れる寛容性を見せてきた一方で、『何故に日本は韓国や中国に対しては蔑視の意識があるのか?』という意見を目にすることがあります。その際に必ずしも他国の人々との関係性と一緒ではないという見方があることに気が付かされます。

 現在に日本ではスポーツ選手や芸人の台頭により外見や肌の色の違いでの偏見は少なくなったようにも思えるし、時代が人種に対する偏見を超えさせたともいえるように思えます。しかし、中国や韓国のように反日教育をしている国ばかりではないし、ある意味日本から離れた国であるが為に受け入れやすいという事もあるのでしょう。

 中韓に関しては過去の歴史の上での事と両国の文化と事も有るのでしょう。しかし、間違いなく一番近い国であることは間違いがありません。それだけに政治利用を常套手段に使う両国の文化が先へ進まない限りは解決をしない問題なのかもしれません。

 勿論、日本側の考え方も正さなければなりません。一部とはいえヘイトスピーチなどを行う輩は何処にでもいますが、それらの行動が相手国のメディアや政治に利用をされている結果になっていることも事実です。

 先日、高校野球であった話題にしてもそうですが、何故にエースを決勝戦で投げさせなかったのかという論議に関しても両方に正論はありますが、一方が圧倒的に正論とは必ずしも言えません。事実を一部しか知らない時点での正論は事が進むにつけ異論というものが出てきて正論のはずが気が付くと少数派になっていたという事はよくあります。

 先日も吉本興業の問題でタレントが会長、社長が辞めなければ自分が辞めるという事がありましたしたが、当初は正論としてその覚悟や心意気を買っていた視聴者も時間が経つと、一流かどうかは別にして一タレントが企業のトップに対して自分の首と同等というような要求をすることは思い上がりと捉えられられるようになります。

 これらの現象は現状のSNSを始めフェイクニュースと言われるものの台頭により、正誤は別にして広く拡散をされるようになったことが一因にあると思います。しかし、以前からメディアの報道がイコール嘘ではないが全てでは無いということは言われてきましたが、現状は全て以上の虚言、虚像までもが含まれた内容が広く拡散をされています。

 どの内容が事実か否かという事を判断する場合に自身で物事を判断する賢明さと、相手に対する『寛容』があって目明きとなるのだろうと思っています。

 勿論人間ですから自身の都合という事が前提にはなると思いますが、その都合がもっと大きな
視野を通して都合を考えるようになると多くのことが解決をするような気がします。
https://ameblo.jp/diamonrow

 

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