ページビューの合計

2019年9月13日金曜日

9.11と文明、文化⁉

 2001年9月18日、あれから18年、私はニューヨークのグラウンドゼロ(当時はまだその名はなかったが)に立っていました。勿論、あの9.11テロ攻撃の1週間後でもあります。現場はまだアスベストの焦げた匂いが充満し、粉塵がいまだに蔓延をしていた状況でした。

 ここで見聞きをしたことは以前も書いたことがあるので割愛をしますが、最近の現状を見たときに考えることがあります。それは現代の文明と文化の乖離の象徴的テロだったのではないだろうかと。

 つまり、文明が進むにつれ文化とのギャップがどんどん起き、この差を埋める事が出来ない状況が起きてきているのではないかという事です。技術革新やAIを筆頭に文明が進むことは喜ばしい反面、人間生活を豊かにする両車輪であった文明は金もうけの手段として、その反面として精神的豊かさを追求するはずの文化は宗教を通してテロへと変貌をしていく様が垣間見られるのです。

 日本においても職人の世界が消えかけ、日本の文化というものが失われつつあります。必ずしも文明の進化を否定するものではないのですが、開発者たちの自己満足が文化と融合していた限界線を越え、文化を大事にしていた人々との間の温度差が広がった結果ではないのだろうかと考えるのです。

 そして、その象徴的テロが9.11だったのではないのだろうかと考えるわけです。18年後の現在においては更にその差が広がり、文化を大事にしていた人々までが偏った文明に身を置き始めた様な気がします。例えばお賽銭、ご祝儀、香典までも電子マネーという時代。

 『AIが進むことにより人間は要らなくなるのではないだろうか?そして、その先には何があるのだろうか?』よく耳にする言葉です。

 そして、人々の融和を掲げ、人々の生活を豊かにするはずの宗教がどんどん争いをする火種ともなっている現代。

 "文明を象徴するAI、そして文化の象徴でもある宗教”
共に考えなければならないことはどちらも人間がいなければ何の意味もなさないものであるという事です。

 9.11の当時の映像を見るにつけ感じることは現代の矛盾の象徴的な出来事だったのではないだろうかとついつい考えてしまう訳です。
https://ameblo.jp/diamonrow

0 件のコメント:

コメントを投稿