宝飾業界においてはビッグイベントであるスイスのバーゼルフェアーが終わり、次に控えるのは米国ラスベガスのJCKショーです。
大きさでは世界最大ともいわれるこのショーは2010年以来再びサンズEXPOに戻り、『べネシアンホテル』でとともに行われます。
私自身このショーがパシフィックジュエリーショーとしてロサンゼルスで行われていた頃からの付き合いになりますので40年近くになるのでしょうか。当初は日本でのエージェントとして活動もしておりましたが1995年から10年ほどは出展者として参加をしておりました。
最初の頃は日本も高度成長期からバブルに向かう頃でしたから『アメリカのジュエリーなんて』とヨーロッパ全盛の日本ジュエリー業界では鼻であしらわれたものです。それから十年ほども経つと参加も難しくなるような宝飾展になり、日本からの出展は殆どなく私自身も米国に事務所を持っていたいた事とエージェントであったことを生かし、参加をしたものです。
当時はラクシュアリーエリアは世界から90社のみの参加しかできなく、来場者は米国上位200社のみという厳しい条件もありましたが、取引条件は何処も優良保証ですから当社としては大変助かったという経験があります。
その際には多くのバイヤーが取引先を紹介してくれ、大いにアメリカでの取引先を増やすことに役に立っていただいたのを覚えています。
現在は日本からも団体で参加をできるようになりましたが多くは日本にある外国籍の会社で純粋な日本の会社は殆んどいないと聞いています。多くの問題は取引条件であったり、集金の難しさでしょう。しかし、世界に目を向けようとすればそんな事でめげていればないもできません。ぜひ頑張ってもらいたいものです。
この季節のラスベガスはとても暑く40度を超える毎日ですから会場内の温度との温度差は半端ではりません。しかし、会場につながる駐車場は殆どがカジノの中を通っていきますのでそこまでは問題がありません。ただ、その距離が半端なく同じ建物の中にいながら約15分ほど歩きます。
出展の際は毎朝カジノの中を通って会場入りをするのですが、その途中にあるフードコートではなじみのある顔の出展者たちが朝食をとりながら当日の作戦を話し合っています。我々も最大8名ほどで参加をしておりましたから毎朝そのフードコートでミーティングを行っていました。
アメリカ特有のフードコートの香りは今でも思い出すことがあります。昨今は香港ショーで殆ど用を足すことが多くこの数年ラスベガスは訪れていませんが、青春時代を過ごし、ビジネスとしても20年近く訪れていたラスベガスは私にとってはとても思い出深い場所であり、再び訪れたい場所でもあります。https://ameblo.jp/diamonrow
大きさでは世界最大ともいわれるこのショーは2010年以来再びサンズEXPOに戻り、『べネシアンホテル』でとともに行われます。
私自身このショーがパシフィックジュエリーショーとしてロサンゼルスで行われていた頃からの付き合いになりますので40年近くになるのでしょうか。当初は日本でのエージェントとして活動もしておりましたが1995年から10年ほどは出展者として参加をしておりました。
最初の頃は日本も高度成長期からバブルに向かう頃でしたから『アメリカのジュエリーなんて』とヨーロッパ全盛の日本ジュエリー業界では鼻であしらわれたものです。それから十年ほども経つと参加も難しくなるような宝飾展になり、日本からの出展は殆どなく私自身も米国に事務所を持っていたいた事とエージェントであったことを生かし、参加をしたものです。
当時はラクシュアリーエリアは世界から90社のみの参加しかできなく、来場者は米国上位200社のみという厳しい条件もありましたが、取引条件は何処も優良保証ですから当社としては大変助かったという経験があります。
その際には多くのバイヤーが取引先を紹介してくれ、大いにアメリカでの取引先を増やすことに役に立っていただいたのを覚えています。
現在は日本からも団体で参加をできるようになりましたが多くは日本にある外国籍の会社で純粋な日本の会社は殆んどいないと聞いています。多くの問題は取引条件であったり、集金の難しさでしょう。しかし、世界に目を向けようとすればそんな事でめげていればないもできません。ぜひ頑張ってもらいたいものです。
この季節のラスベガスはとても暑く40度を超える毎日ですから会場内の温度との温度差は半端ではりません。しかし、会場につながる駐車場は殆どがカジノの中を通っていきますのでそこまでは問題がありません。ただ、その距離が半端なく同じ建物の中にいながら約15分ほど歩きます。
出展の際は毎朝カジノの中を通って会場入りをするのですが、その途中にあるフードコートではなじみのある顔の出展者たちが朝食をとりながら当日の作戦を話し合っています。我々も最大8名ほどで参加をしておりましたから毎朝そのフードコートでミーティングを行っていました。
アメリカ特有のフードコートの香りは今でも思い出すことがあります。昨今は香港ショーで殆ど用を足すことが多くこの数年ラスベガスは訪れていませんが、青春時代を過ごし、ビジネスとしても20年近く訪れていたラスベガスは私にとってはとても思い出深い場所であり、再び訪れたい場所でもあります。https://ameblo.jp/diamonrow
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