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2019年6月3日月曜日

物事には要因があるが⁉

 またまた起こった引きこり家庭での事件ですが、今回の容疑者が元高級官僚だったという事もあり話題になっています。メディア等でもその要因を分析するようなコメントも多く目立ちます。

 親としての子供の育て方や子供から見た時の親へのコンプレックスだったりと要因はどれもあるのだろうと考えます。しかし、それが全てではないし、それぞれの環境や能力そして社会のシステム上の問題だったりとかどれもが要因になるのでしょう。

 よく片親の家庭の子は問題があるようなこといわれますが、すべての子供に問題があるわけではないし、中にはとても立派に社会人となった例も沢山あります。先の川崎の小学生相手のテロに関しても引きこもりや子供の頃の差別による問題という指摘もありますが、実際には血がつながっているとはいえ実子でもない子供を数十年と育てたわけですから里親からすれば世話をしてきたのにという気持ちもあるでしょう。

 冒頭の事件に関しても親である前に子供を自分のように出世街道を歩ませようという無理があったのかもしれません。人は血がつながっていようと皆んな個体としての個性を持っています。出世というゴールもそれぞれによって違うわけです。

 当初ベストと思っていた行動が実際にはその行動が原因となって物事が失敗もしくは苦境の要因になることは沢山あります。つまり一つ一つの要因が誰の、何時の、どの事にとって適当であった中は難しい問題です。

 業界においてもダイアモンドの4Cというものはダイアモンドというものを広めるという事に関しては大いに役に立ったのでしょうが、結果的には業界の闇の部分を露呈させてしまったりという事もあります。

 今起きている様々な事件の要因を指摘することは難しくはないのかもしれませんが、その指摘が正しいという事は断言もできないわけです。間違いではなく正解ではないという解決の仕方が今は主流になっています。それ故にそれぞれの正論とする意見の対立があるわけです。

 物事には要因というものが有るでしょうが起きてしまったことを定義づけすることは難しいことではありません。しかしこれから起きようとすることは必ずしも予想をできるわけではありません。占いはだからこそ成り立つのだろうと言えるわけです。

 冒頭の話に戻りますが要因は様々あるでしょうし、この事件のケースは過去にもまま起きてはいます。しかし、それを防ぐことは出来ないのです。ここは倫理観や判断力に任せるしかありません。

 つまりは子供の頃からの倫理観や道徳といったものが有る意味勉学よりも大切であり、国や家庭はまずそのことに注力することにより多くの問題を解決できるのではないかと考えるわけです。

 物事の要因を精査し、考える力こそが多くの事件を未然に防ぐ唯一の方法なのだろうと思いますし、それを軽視し教育の中から倫理や道徳を何の役にも立たないと考える国の方針に首をかしげる次第です。

 人の世話をし、面倒を見、教育することは本当に難しいことです。引き受ける人間はそれ相応の覚悟と生き様を見せなければならないのでしょう。
https://ameblo.jp/diamonrow

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