宝石を何故持つのかというと他の人が持っていないものをという前提は神代の昔から変わってはいないはずですが、事婚約指輪となると宝石の概念と違うようです。
何故にブランド品を持つのかという問いに多くの人が『皆が持っているから』、『皆が知っているから』中には『高価だから』という答えが返ってきます。本来の婚約指輪は宝石である必要はないのですが、いつの世からか宝石の付いた指輪が常識となり、そしてデ・ビアス社のキャンペーンにより、ダイアモンドが常識化しました。
つまり、婚約指輪として宝石が使われた時代が長く、現代に於いても当たり前と言って良いでしょう。そして、なぜに宝石かと改めて言うと、他の人とは違うものという証であり、象徴であるという事もあります。
しかし、現代の社会においては他人と同じものが安心であり、人と同じ状態でいたいという欲求が強いようです。日本人の特徴とも言われた右へ習え精神というか完全に昔に戻ったような気がします。
高度成長の後では人は皆同じじゃあない。他人と違って当たり前でむしろ個性を大事にしようという時代が続いたような気がします。しかし、現代においては各々勝手なことをしたいという欲求が社会に蔓延する割には他人と同じでいたいという指向が見受けられます。
この仕訳は何処からくるのであろうと考えることも有りますが、やはりSNSを始めメディア等の影響なのだろうと思います。SNS等でエゴ・リサーチをしたり、自分だけ仲間外れになっていないだろうかとグループラインをしょっちゅうチェックしたりとあまりにも自分に対しての自信の無さを気にしたりする反面、勝手気ままな振舞いをする現代人の多さは情報のミスリードが起因だろうと思っています。
宝石業界においても間違った知識や常識を前提とした宝石の説明は多くのお客様に誤解を与えています。先日の展示会においてもある年配のお客様が
『この鑑定書が中宝研なんだからもう少し安くなるだろう』と何の根拠で何の理屈なのかも理解をしていないような発言があり、根っこにはGIAが絶対的な物であり、他の鑑定機関はいい加減であるという前提なのだろうと思いました。それは彼にアドバイスをした販売員自体がフェイクなのでしょう。
いつも書くようにGIAはビジネスでグレーディングをしているだけで善意の第三者でもなければ中立的な立場の物でもありません。(勿論装ってはいますが)
ダイアモンドのグレーディングレポートには鑑別書は付きません。それはグレーディングレポートは天然が前提であるがゆえに付かないのです。それはGIAそのものが培ってきたものです。しかし、現状のGIAでは人造ダイアモンドにグレーディングレポートを発行しています。彼らは平気でグレーディングをするビジネスだからと言います。つまり、グレーディングレポートに合わせたダイアモンドを後で大量に造る事が出来るのにです。
この事実を皆がどの様に捉えるのか?
皆がそれでも良いと言っているからそのままで良いと考えるのか。さすがにこれはまずいと考え他の選択をするのかはそれぞれだと思います。因みにグレーディングの結果が変わってもダイアモンド本体に変わりはありません。そして原価も変わらないのです。上代を変えるつもりでなければ何の意味のないことです。
ただし、ダイアモンドを説明するツールとしては有効な手段であり、価格を説明する技術の無い販売員には必要なものでもあります。ただし、同じ条件の下でという事です。同じ鑑定機関で同じような時期等々条件がそろっているという事です。
つまり、違う鑑定機関や違う時期のグレーディング結果同士を比べることは基準の違いを説明するだけでダイアモンドの説明をすることにはなりません。
まったく違うものを皆がそうだからと言って右へ習えをすることは大きく違う道を歩むことになります。それぞれに違いがあっても良いのです。そして、違いがある方がより人間的だと考えます。
同じものは、実はおなじ物ではないことが普通なのです。
https://ameblo.jp/diamonrow
何故にブランド品を持つのかという問いに多くの人が『皆が持っているから』、『皆が知っているから』中には『高価だから』という答えが返ってきます。本来の婚約指輪は宝石である必要はないのですが、いつの世からか宝石の付いた指輪が常識となり、そしてデ・ビアス社のキャンペーンにより、ダイアモンドが常識化しました。
つまり、婚約指輪として宝石が使われた時代が長く、現代に於いても当たり前と言って良いでしょう。そして、なぜに宝石かと改めて言うと、他の人とは違うものという証であり、象徴であるという事もあります。
しかし、現代の社会においては他人と同じものが安心であり、人と同じ状態でいたいという欲求が強いようです。日本人の特徴とも言われた右へ習え精神というか完全に昔に戻ったような気がします。
高度成長の後では人は皆同じじゃあない。他人と違って当たり前でむしろ個性を大事にしようという時代が続いたような気がします。しかし、現代においては各々勝手なことをしたいという欲求が社会に蔓延する割には他人と同じでいたいという指向が見受けられます。
この仕訳は何処からくるのであろうと考えることも有りますが、やはりSNSを始めメディア等の影響なのだろうと思います。SNS等でエゴ・リサーチをしたり、自分だけ仲間外れになっていないだろうかとグループラインをしょっちゅうチェックしたりとあまりにも自分に対しての自信の無さを気にしたりする反面、勝手気ままな振舞いをする現代人の多さは情報のミスリードが起因だろうと思っています。
宝石業界においても間違った知識や常識を前提とした宝石の説明は多くのお客様に誤解を与えています。先日の展示会においてもある年配のお客様が
『この鑑定書が中宝研なんだからもう少し安くなるだろう』と何の根拠で何の理屈なのかも理解をしていないような発言があり、根っこにはGIAが絶対的な物であり、他の鑑定機関はいい加減であるという前提なのだろうと思いました。それは彼にアドバイスをした販売員自体がフェイクなのでしょう。
いつも書くようにGIAはビジネスでグレーディングをしているだけで善意の第三者でもなければ中立的な立場の物でもありません。(勿論装ってはいますが)
ダイアモンドのグレーディングレポートには鑑別書は付きません。それはグレーディングレポートは天然が前提であるがゆえに付かないのです。それはGIAそのものが培ってきたものです。しかし、現状のGIAでは人造ダイアモンドにグレーディングレポートを発行しています。彼らは平気でグレーディングをするビジネスだからと言います。つまり、グレーディングレポートに合わせたダイアモンドを後で大量に造る事が出来るのにです。
この事実を皆がどの様に捉えるのか?
皆がそれでも良いと言っているからそのままで良いと考えるのか。さすがにこれはまずいと考え他の選択をするのかはそれぞれだと思います。因みにグレーディングの結果が変わってもダイアモンド本体に変わりはありません。そして原価も変わらないのです。上代を変えるつもりでなければ何の意味のないことです。
ただし、ダイアモンドを説明するツールとしては有効な手段であり、価格を説明する技術の無い販売員には必要なものでもあります。ただし、同じ条件の下でという事です。同じ鑑定機関で同じような時期等々条件がそろっているという事です。
つまり、違う鑑定機関や違う時期のグレーディング結果同士を比べることは基準の違いを説明するだけでダイアモンドの説明をすることにはなりません。
まったく違うものを皆がそうだからと言って右へ習えをすることは大きく違う道を歩むことになります。それぞれに違いがあっても良いのです。そして、違いがある方がより人間的だと考えます。
同じものは、実はおなじ物ではないことが普通なのです。
https://ameblo.jp/diamonrow
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