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2019年5月6日月曜日

最後に残るもの⁉

 時代は平成から令和へと変わりましたが、『平成という時代に何が残ったか?』というより『何が淘汰されようとしたのか?』

 ビジネスというものが大きく変わり、電話が携帯へと変わり、そしてスマホへと変わりました。ここで何が起きたのかというと商売というものが路面店がショッピングモールへ変わり、そして通販からネット販売へと変わりました。つまり、待ちという商売から攻める商売へと変わったのが平成という時代でした。

 そして、令和という時代は更に変化をし、買うから借りるの時代になりつつあるのでしょう。例を挙げると車のシェアリングだったり、レンタルの多様化だったりするのでしょう。つまり、現代の若者は所有欲というものがなく必要な時に必要なだけ借りる事が出来ればそれでよいという事になるのでしょう。これは勿論経済的な背景もありますが、その背景から生み出された価値観なのかもしれません。

 現在は『億ション』が売れているという評判がありますが、これにはいくらかの業界の戦略的な物が見られます。しかし、一方で『億邸』が動き始めています。一定の所得のあるサラリーマンへは『億ション』という事になるかもしれませんが、若き資産家達にはイージーオーダーのマンションよりも自分の価値観で建てることのできるフルオーダーの一軒家の方が良いのでしょう。

 同じ億の金額を出すのなら場所や時間のフリーランスのある彼らには邸宅を建てる方がオーナーという性分にはあっているのかもしれません。

 この傾向を定義づけするならば昭和から平成になり価値観を変えざるを得なかった人々が先祖帰りのように一部の人が自らの価値観を顧み始めたという事なのでしょう。

 つまり、大量生産の実用品をこれでもかこれでもかと供給をされ、後れを取るまいと買い続けた時代に少し陰りが見え、それがデフレを起こし、その場で儲ければよいというビジネスが氾濫し、それにヘキヘキとしてきた人々はもっと自分らしい価値観を見つけ出そうとし始めようとしているように見えます。

 ただし、それは簡単に仕分けできるわけではありませんが、所有するものと借りるもの、更には安価で良い物とお金を掛けるべき物という変化でもあるのでしょう。

 これからもネット通販なるものやTVショッピング等は残っていくビジネスでしょう。これらは攻め続けなければ終わりますが、一方待ちの商売である店売りというものも淘汰されていくことでしょう。

 つまり、消費者は実用性や付加価値というものとどう関わっていくのか、更には実質的な資産というものとどう関わっていくのかという点を明確に分け始めています。それゆえに大量生産の物に対しては実質的な合理性を求め、自らにとって付加価値があり、更には皆が共有する資産性の高いものに対しては所有欲を掻き立てられ始めているのです。

 令和のビジネスというものはオンリーワンを目指すのか、はたまたスケールメリットを目指すビジネスを目指すのかをはっきり分けなければならない時代になるのでしょう。強いて言うなら、ここでもアナログ対デジタルの対決ではなく選択をしなければならない時代なのです。

 そして、現代の成功をした若者たちはそれを起用にこなしているように見えるのです。更にはその変化に置いて行かれている若者も多く見られるのです。むしろその下地を持っている熟年の人々の方がその変化にはついていっているように見えます。

 いずれにしても『平成』という時代に変化をしたものが『令和』という時代となって熟成し、そのビジネスが残っていくのでしょう。それはもしかしたら『昭和』という時代にヒントがあるのかもしれません。
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