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2013年12月29日日曜日

今年のダイヤモンド!?

 今年はサザビーにしてもクリスティーにしても歴史的に残るような結果を出しています。特にダイヤモンドに関しては1CT当たりの価格のレコードを更新し続けました。

 最近では11月のジュネーブでのクリスティーのオークションでは14.82ct、VS-1、fancy vivid orangeのペアシェイプが約$240万/ct、つまりトータル$3554万(36億円)で落札されたり、同じくサザビーでは59.60ct、Internally Flawless、Fancy vivid Pink でタイプⅡのオーバルカットのものが約$140万/ct、トータル約$8320万(84億円)で決まったり、この夏には5.3ctのブルーダイヤモンドが約9億5千万で落札されたりと記録づくめな1年でした。

 勿論その背景には経済状況があり、お金の行き場所としての様相が多くみられ、リーマン以降の金相場等にも見られるように金融商品への不信感も反映していると考えられます。つまり、お金の余っているところが沢山あり、それで手に入れたものがさらに値上がりし、さらに貯まるといった状況です。

 それでは、一般的にダイヤモンドにもそれが言えるかというイコールでは必ずしもないと言っておきましょう。勿論値上がりしている部分と硬直状態が続いている部分があり、一般的な市場に供給される物はやはり経済状況の反映が多くありますので必ずしもという事になる訳です。

 前回にも書きましたがダイヤモンドビジネスには色々な視点があるという一部ですが、本来に希少性が前提となる部分においては大きなダイヤモンドや珍しいダイヤモンドはこのような経済状況の時には価格が上がりやすいと言えますし、オークションという公な部分での価格設定がそれに拍車をかけています。

 勿論、希少性が前提といっても他の絵画や芸術品と違って耐久性が前提にありますので、保管がしやすく、後年になってもそのままで存在が出来、さらに記録としての価格が存在しますからオークション等に掛かるダイヤモンドは価格が下がる可能性は極めて低い訳です。

 但し、お金があるから手に入るというものではありません。そのダイヤモンドに出会う幸運があり、さらにその情報を提供してくれるルートがあるかどうかというのも大きな要因になります。オークションで取り上げられた時点では既に遅いという事もあります。余分な資金が必要になりますから。

 前述したダイヤモンド等も最近発見されたものでは必ずしもありません。どこかに存在し、今が売りどころと考えたオーナーが出したものか、事情があり出展された物というふうに考えられます。

 5.3ctのブルーダイヤモンドに関しても私が提示されていた金額は約一億円ほど下の価格でした。勿論そんな余裕も市場もありませんからそれを見るだけでしたが、日本に市場にいては買う事ができる人がいるであろうという事で問い合わせがあったものです。

 なぜなら、今年は結構日本人が買った大物が多く、海外の業者達はそれをよく知っている訳です。それゆえのコンタクトだったんですがそこまでの力は私にはありませんでした。来年も日本人が手に入れる大物が出てくるような予感がします。

 財産投資としての視点もダイヤモンドビジネスにおいては必要な事なのです。その事に関して特に今年は顕著な年と言えるのでしょう。今年のダイヤモンドは金融の象徴となったと言えるでしょう。

 来年も多くのブログ更新ができるように頑張りたいと思います。今年一年の御購読ありがとうございました。

ダイヤモンドへの視点!?

 今年も押し迫り、色々な事があった様な気もします。特にダイヤモンドは大きな岐路に立っているような気もします。

 ダイヤモンドの小売りに携わるようになって2,3年が経ちますが、今年はダイヤモンドのビジネスとは色々な視点があると感じるような一年でした。

 消費者でダイヤモンドに興味のある人は幾種類かに分ける事が出来ることも残念な事に最近気が付き始めました。

 キラキラととにかく光るダイヤモンドが好きという人と、ダイヤモンドのジュエリーが好きという人、
ファンシ―カラーのように誰も持っていないものを探し求める人、そして何より周りに一番多いのがダイヤモンドそのものの魅力にはまっている人とダイヤモンドに対する視点が各々違うのですが、一般的にはその違いが無視され販売をされることが多いような気がします。

 ブライダルに関してもダイヤモンドにこだわりがある訳ではないし、ダイヤモンドというよりブランドが欲しいという人も多くいます。其々の価値観があって良いのですがダイヤモンドのビジネスに携わる物としてはダイヤモンドを理解した上で手に入れてほしいと思ってしまいます。ブランドだからダイヤモンドが綺麗とか造りの良い物があるという訳ではありません。

 一方販売する側にも小売り、卸、輸入バイヤー、ディーラーとどのレベルで従事しているかでダイヤモンドへの視点が変わってきます。私はダイアモンドのディーラーとして携わってきましたが、バイヤーとの違いは原石取引や輸出代行等を多くの仕事としてきましたが、バイヤーは注文や自社の在庫を買う事が主な業務になります。

つまり、ダイヤモンドのビジネスと言っても三者三様でどの位置で携わるかで、ダイヤモンドに対する視点が変わるのは販売側、購入側どちらにおいても起きることだとつくづく感じました。

 私は展示会等においても店頭においても裸石で販売をする事が90%以上なので製品になったものを売る事は苦手な方です。また、デザインで選ばれたお客様は飽きることが多いような気がしますが、ダイヤモンドそのもので選び加工をしたお客様はダイヤモンドそのものが好きでお選びになっているのでデザインにはあまり固執しないような気がします。勿論、裸石をそのままお持ちになる方も多くいられます。

 そのスタイルによってはまだまだダイヤモンドビジネスといっても細分化される物という事を感じますし、以前にも書きましたが新たなダイヤモンドビジネスの夜明けが近いという感じもします。

2013年12月24日火曜日

300回!?


 ブログを書き始めてから早300回目となりました。最初は単なる自らのダイヤモンドと共に歩んできた、知識や経験を日記的に書き留めておこうと思っていた事がここまで書いてきました。

 まだまだ、ダイヤモンドを理解して頂くためや少しでも皆の周りにダイヤモンドが存在し、何らかの人生の役に立つものである事を理解してもらえるように書き続けたいと思っています。

 先日、ある百貨店の商品部の方とお話しをする機会があり、ダイヤモンドの話になり

『私どもの百貨店は色はHカラー以上、クラリティーはSI以上、カットはグッド以上という事に
 なっているんですよ』
『何故ですか?』
と小生が尋ねると

『百貨店はトラブルを嫌いますので、トラブルを起こしそうなグレードは避ける必要があるのです』

傍らにいた知人が
『髙木さんのところではほとんどレポートを付ける事はないんですよ』

というと
『それで売れるんですか?』

『それこそ、後でのトラブルにならないようにダイヤモンドに対する情報をなるべく多く示して
お客様に選んで頂くようにしています。4Cだけの説明ですと後々トラブルのもとですからね。』

 『えっ、そうなんですか?』

先日、他のデパートで十年前に販売した2ctのダイヤモンドが再鑑定に結果グレードが変わり、
トラブルになった話をすると、
『そうなんですよね。グレード違いはたまにあるんですよね。』
と了解はしているとの事。

 つまり、色々な意味でグレードは絶対的なものではないという事を説明しておけば問題が起きない事がらな訳です。

『髙木さんはどの様に説明をしているんですか?』

『難しくはありません。肉眼で綺麗であれば予算の中で一番大きなサイズを購入する事ですよ。・・と説明をするだけです。4Cだけですとお客様が理解をするには難し過ぎますし、それしか判断材料がなければ他と比べて歩くことになりますし、比べて歩いても意味がない事を続けて、やがて面倒になって何でもいいやという事になり、取りあえずブランド物にでもしておこうという事になります。』

『なるほど、そうすれば選び方が違ってくるという事ですね・・』

 ダイヤモンドの価値を説明する事は本当に難しいのかもしれません。不変性説明をしてもその単位は億年ということになりますし、希少性といっても想像を超えた率になります。特に大粒はお金があるからと言って手に入る訳ではないし、ブルーやピンクなども人生で一度も目にする事もなく終える人がほとんどな訳です。

 その感覚を理解をするには人間の人生は短すぎるし、狭すぎます。価値を理解してもらうには余程の説明が必要になります。ダイヤモンドが一代、二代で使う訳ではない事を理解してもらう訳です。


 しかし、その価値観はヨーロッパでは根付いていますので、日本にもそれが根付かない訳はありません。そうなれば日本のダイヤモンドビジネスも変わってくるでしょう。

 来年からも書き続けて是非皆さんにダイヤモンドの事を少しでも理解して頂きたく思っています。

忘れていました。

Merry Chritmas!!

今年もまだ終わってはいません。

2013年12月18日水曜日

ダイヤモンドの中心!?

 ダイヤモンドの歴史が古い事は多くの人が知っていますが、実質的現代マーケットに近づいたのはまだ、600年ほどしか経ってはいない訳です。ダイヤモンドの近代的カットは14世紀頃に現在のベルギー・オランダを中心に広がってきたものです。

 紀元前600年頃にインドでダイヤモンドが発見されてからは原石そのままや表面を研磨した程度の物が永い間取引されていました。主にヨーロッパ諸国、特に上記の地域を中心にダイヤモンドの取引が行われてきました。

 インドのダイヤモンドが枯渇をする頃には18世紀初頭のブラジルでダイヤモンドが発見をされ、19世紀には南アフリカでダイヤモンドが発見される頃には現代のダイヤモンドビジネスへとどんどん変貌を遂げていく訳です。

 多くの人々がダイヤモンドの中心はベルギーなりニューヨークだという認識がある訳ですが、むろんそれも事実ですが、現代の様子は少し違っています。

 最近の統計ですと取扱金額の一番多いのはイスラエル、そして取引量としてはインドが一番多い訳です。これらの国はダイヤモンドに元々縁のある国ですから理解が出来ると思いますが、はたして現代のトレンドとしてはどうなのか。

 最近の高値傾向にも現れていますが、1CTあたりの金額の高騰が続いています。それでは1CTあたりの金額の取引が一番高いところはどこかというと実はスイスなんです。勿論オークションの台頭が大きいのですが。

 つまり、ダイヤモンドの中心となっている場所の傾向が変わってきている訳です。これは今後のダイヤモンドビジネスの形が変わっていく事の前兆であり、今まで何気にダイヤモンドの中心地はどこそこといっていた事とは違ってくるのだと思います。

 つまり世界標準であるダイヤモンドは経済状況により、中心地がどんどん変わっていくのではないかと思います。世界第二のダイヤモンド消費国であった日本があったからこそ、日本は都市鉱山といわれるほどのダイヤモンドを輸出が行われていたり、ダイヤモンドに全くと縁のなかった中国がダイヤモンドの消費中心国になったりと以前とは全く異なった状況になってきている訳です。

 数十年前には日本はほとんどダイヤモンドに縁がなかった訳で、高度成長とともに世界第二位のダイヤモンド消費国になり、そして今は一部ではありますが投資対象のダイヤモンドに目が移りつつあり、ブライダル市場は縮小に向かっています。

 投資対象になるとやはり海外、特にスイスや香港から購入する事になるだろうし、勿論現代はネットもあるので益々形は変わっていくでしょう。

 生産地や研磨地が大きく変わる事はないでしょうがダイヤモンド取引の中心は間違いなく様変わりする事でしょう。

2013年12月16日月曜日

ダイヤモンドの値上がり!?

 最近は香港やヨーロッパでのオークションでの大粒やファンシ―カラーのダイヤモンドの価格が天井知らずのように高騰している話題が多い中で、食料品で言えば卵のような存在だったメレーサイズのダイヤモンドの値上がりが目を見張ります。

 勿論日本円での価格に関しては3,40年ほど前から価格があまり変わらなかったと言っても為替が360円から現在の100円に至る事を考えれば3倍以上になっている事にはなるのでしょう。しかし、その中でも品質の幅広さもあり、また供給量の多さもあってさほどの値上がり感もなく推移してきました。

 その優等生の値上がりまで来たかという感じではありますが、事情もあります。リーマンショック以降地金の値上がりもあり、ジュエリーのリサイクルやダイヤモンドの買取屋も増え、市場からダイヤモンドが逆流をし、一時は日本の事を都市鉱山とまで言われるほど海外の特にインドの業者がメレーサイズのダイヤモンドを買いあさりました。

 古くからインドではメレーサイズのダイヤモンドは子供たちを使い安い労働賃金で研磨されてきました。しかし、日本での買取ブームが起きると、子供達に研磨させているより、さらに安く、時間的にも手間が掛からなくなり、インド国内での研磨を縮小してきた事実もあります。その間に国連での児童憲章が厳しくなり、児童に労働をさせる事はとんでもないという事になった訳です。

 結果的には日本での買取ブームも下火になり始め、ダイヤモンドの逆流もなりをひそめ始めると、ダイヤモンドの品不足がおき始めたのです。景気の状況もあり、需要が伸びてはいなかった事が幸いしてきたのかそれほどは目立たなかったのも事実です。

 ダイヤモンド値上がりに関してはアベノミクス効果はさほどの影響はないのですが、やはり国内的に需要が高まり始めると、その値上がりにの影響が出ない訳ではありません。海外でのダイヤモンドの値上がりに関しては、資金の行き先がなくなった影響が出ているだけだと思いますが、お金があるからといって買える訳ではないダイヤモンドは今後もしばらく続くでしょう。

2013年12月10日火曜日

内胞物!?

 ダイヤモンドの内胞物に関してはマイナスのイメージを持っている人たちが多いようですが、何故でしょうか?

 小生から見ると品質という評価基準で考える事自体が間違いでは無いけれど、横道のそれた基準だと考えます。なぜなら、以前にも述べたのですが宝石の条件には品質の良悪しは入っていないのですから。再度となりますが宝石の条件は希少性、美観性、耐久性、携帯性そして換金性です。

 強いて言うなら条件である美観を備えているかどうかがあれば十分な訳で、実際には内胞物は自然を表現してくれたり、歴史を教えてくれたり、何よりも条件のひとつである希少性の証しである存在だという事です。ダイヤモンドは天然である事が絶対条件な訳ですから、その証である存在がマイナスのイメージになる事はひとえに取扱者の知識の不足で、間違いではないけれど事実の一面に過ぎない訳です。

 品質を美観の条件としているところがありますが、これは間違いではありませんが宝石という事を考えると正しいということにもなりません。つまり、希少性という条件との頃合いがあるという事です。

 ファンシーレッドのダイヤモンドは品質が悪くても希少性という条件を重要視されますので、決して安く手に入る事はありません。それと同じように内胞物も考える部分があっても良い訳です。

 最近取り扱った3ctほどのダイヤモンドはI-1というクラリティーでしたが、真中にハートの形をした内胞物があり、それを見たお客様がどうしても欲しいから2,3日後に返事をさせてほしいという事だったのですがご返事が1日遅れた為に他の方の手元に渡った事がありました。どうしても欲しいから同じような物を探してほしいとの事でしたが、それは99%無理な話である事は誰にでも解ります。

 その人によって希少性の捉え方は違うかもしれませんが、永年ダイヤモンドを見てきた立場で言える事はDカラーのIFなどは何度も見てきていますが、他の宝石が内包されていたり、特殊な形をしてる内胞物が存在したものに関しては遭遇をする事は稀です。

 いつも言う事ですが、美観を損ねないことを前提にして考えた場合内胞物こそ希少性という条件を満たす存在である事も少しでも理解をして頂きたいと考えます。勿論、何のイメージの出来ない内胞物というのも存在はしていますが・・。

 ダイヤモンドのクラリティー(清澄)はクオリティー(品質)ではないという事も思い返して欲しいと考える訳です。

 美観という条件評価の一部として4Cグレーディングが存在している事は目安として便利です。しかし、それはダイヤモンドという宝石の絶対的評価基準ではないという事は広く市場に広がればもっと販路も開け、ダイヤモンドの価値も上がってくると考える訳です。

2013年12月6日金曜日

真偽!?

 ここのところの誤表示、偽表示については以前にも述べましたが、先週のとある展示会にて、お客様からものすごく安くリサイクル屋さんからダイヤモンドを手に入れたとのお話しがあり、聞くと輸入価格よりも安い金額で手に入れたという事で
 『社長、見てみてください。鑑定書も付いているし、綺麗でしょ!!』

 一寸肉眼では違和感を感じたので
 『きれいな石ですね。ルーペでのぞかしてもらってよいですか?』

 どうぞ、どうぞという事でルーペを使用して見てみると、やはり違和感を感じる気がして、グレーディングレポートの内容を少し聞いてみるとIカラーでVS-2カットはエクセレントという内容でした。

 少なくてもVS-2の内容ではない。もう少し上の内容でカットに関してもエクセレントの内容には首を傾げる要件が見えるという状況で、環境的にも断言をする事も出来ないしお客様には
 『良い石ですね』とは告げましたがそれ以上の事は発言をしませんでした。

 内容や状況的にそれを告げる環境ではないと判断をしました。一つにはケチを付けている様に感じられたり、その価格に対してやっかんでいる様に思われても良い事はないと判断をしたからです。

 後に展示会の担当者にはその内容を告げ、後日問題になった時にその場での問題を記憶していてもらう為でした。内容的な事をお客様に告げるべきかどうか、その上で鑑定をして問題なければそれで良いのですが、その事自体が別の問題をおこす可能性があるので躊躇したことも告げました。

 このような問題は過去にもあり、買取屋さんはプロではないので万が一を考え、安く買い取るという事になり、またダイヤモンドテスターを使ったとしても必ずしも正確な判断をするとは限らないのでリサイクルショップが必ずしも悪意を持って何かをやっているとも限らないのです。

 つまり、リサイクル市場を批判するつもりも、否定するつもりもありません。ただ、一方で被害を受けるのは消費者です。善意の第3者という事で片づけるには少し度を越しているかもしれません。
それゆえにシステムとチェック機構をきちっとして、確かな業界になってほしいという事なのです。

 宝石や感性の物に関しては扱う人間の知識と経験そして良識が絶対条件となる訳ですが、その感覚が薄すぎたという事のなるのかもしれません。自らがそれを律する事が出来なければやがては淘汰されていく事になるのでしょう。

 真偽という物は必ずしも誰かの意図によって行われるとは限りません。ある程度の人間に都合が良いからそのままにしておこうという背景もあります。ダイヤモンドに関しては偽物はありません。その価値に関しても嘘はありません。ただ、それを述べる時にその扱い者のレベルが反映されてしまうのです。

2013年11月29日金曜日

継ぐ!?

 2日前にいらしたお客様は母娘連れで知人の紹介で足立区よりいらっしゃいましたが、当店のある自由ヶ丘からみると東京の端から端にご足労を頂いた事になります。

 御商売として呉服屋さんを営んでおられるという事で、お母様の方はやはりメーカーと協賛でジュエリーの販売にも携わってこられたということでした。

 『何故、当店で?』
と単純な質問をさせて頂くと知人である紹介者に以前から当店の事を聞いていたので一度
来店をしてみたかったということでした。

 『本日はどの様な物を?』

 『実は、この娘が来年の春には結婚をするので彼女に私から指輪をあげたいのですが、
ただあげるのではなくそれまでの間、私が身に付けていた物を彼女には上げたいんです。』

 御商売が三代続いた呉服屋さんですが、昨今の呉服離れであまり娘さんに満足な事が出来ていなかったという事。本来は指輪等は娘さんの婚約指輪があるのですが、普段使いの指輪で自分の思いのこもった物を身に付けてほしいとの事でした。

 つまり、昨今の事情から商売は今の代で終わる事になるのですが、自分達の思いを娘さんに継いでほしい、それにはやはりダイヤモンドが良いのではないかと思われたとの事です。

 これから、半年間母親が身に付けていたもの娘さんに渡すという事で娘さんも気に言った物が良いという訳です。

 自分が身に付けていた物を子供に身に付けてほしいという事は多くの親が思う事でしょう。しかし、現代においては多くの部分で難しと思います。服やその他の装飾品では劣化やトレンドもあり、その時代、時代にそぐわない物がありますから。

 お母様の経験からダイヤモンドがやはりその役割を担って継いでもらうには最適だと思われたようです。本来のダイヤモンドの役割の一つはその事ズバリなので私自身もうれしい気持ちになりました。

 呉服というお仕事も本物の技術で作られた物が少なくなってきた事が、現代の衰退につながってきたとお母様は仰いながら色々は事を思い浮かべられているようでした。

 呉服生地も以前は機械織りではなく、一本、一本糸を紡ぎながら織り上げていったものという事でお話しされていました。

 社会のように人と人が一本の糸となり、紡ぎあげていった人間模様が出来あがる事が理想なのでしょうが、機械織りのような現代社会はやはり少し違うような気がしてきたひと時でした

2013年11月22日金曜日

凡!!

 常日頃というより、ある程度の人生を送ってきて日々感じる事は『平凡ほど非凡な事はない』
という事です。

 確かに才能を発揮し、異才を放つ事は素晴らしいと思うけれど、多くの場合他の事に関しては一般的ではない人が多いと感じてしまいます。しかし、たまたまそれが時代や条件に受け入れられた人は才能を持った人となりますが、受け入れられなかった場合は只の変わった人という扱いになるだけです。

 私が考えるのは、平凡に何事もなく人生を送ってきた人はほんの一握りで、サラリーマンにしても何処の総務部にでもいそうなごく一般的な人というのは意外と少ないと感じます。一介の経理マンと思っていた人が多額な使い込みをしていたりと、意外と平凡そうな人はいそうでいないというのが実感です。

 つまり、多くの人は何らか変わっていて当たり前だし、何らかの環境の変化を受けて人生を変えざるを得なかった経験を持っていると思います。故に、何の変哲もなく人生を送りきるお父さん達やお母さん達は色々な事に瀕してもそのポジションを変えずにきたという事になりますので、これはもう如何に非凡なことかと考える訳です。

 地球であれ歴史であれ、進化や変化というのはつきものです。またそれがあって歴史が創られ。環境も変化や進化をしてきました。

 ある種それは普通の事なのです。

 そこで、変わらない事の価値という物を、見方を変えれば極希少の価値という事になるのではないでしょうか。ダイヤモンドに関しては変わらない事の価値が前提となっていますが、それは皆が理解をしているようで実は理解をしていないような気がします。多くの人はその魅力的な外見に価値を見出しているのだと思います。

 何か人と変わったり、ものすごい事を考えついたりすることだけに注目しがちですが、本来は長い目で見るとそれなりの才能人は定期的に表れ、何らかの形で歴史を変えていくのでしょうけれど、その結果の弊害はその後に必ずくることは歴史が物語っています。勿論その問題に対しても人類はクリアをするケースもある訳ですが・・・。

 多くの進化や変化を認めたくないという事ではなくて、変わらなく普通である事の大事さにも眼を向けても良いのではないでしょうか。色々な意味で。

 こじつけのようですが、ダイヤモンドが不変であるという事の価値が感覚的には皆さんも解っている訳ですが、それを実質的に価値としての理解をしている方は少ない様に思います。

 なぜならそれを理解するには、対比としての人類の歴史はあまりにも短すぎるのでしょう。それも了解の上での見解なのですが、変わらない事や変えない事にもっと価値観を見出してみても良いのではないでしょうか。

 自然破壊や環境へ変化をその時の経済の為だけに行う事はもしかしたら、その後の結末を早くしているだけなのかもしれません。

 変わらないでいる事、平凡でいる事はある種の安心感でもあります。人々にとって安心感こそが究極の価値と考えています。

 “凡”とは普通で変わらない事と捉えられていますが、それは難しい事だと日々感じています。

 

2013年11月20日水曜日

ダイヤモンドの買取問題!?

 先日、とあるお店で二十年ほど前に求めたダイヤモンドを一寸物入りということで、買取業者に持ち込んだところ購入した頃の10分1の査定をされたという事で相談がありました。
 
 数軒の買取業者を回ったところでとても落ち込んだという事で、内容を確認したところ2ctアップのライトイエローでペアシェイプとの事、その時点で私はなるほどと感じた訳です。

 一般的にはほとんどの買取業者は古着屋だったり、リサイクルショップの、いわゆる副業に近い形でやっているところが多く、さらにここのところのブームで急きょ採用された従業員達がほとんどと考えて良いでしょう。

 つまり、素人がほとんどですから、まともな査定はあり得ません。故にグレーディングレポート等を持っているとミスジャッジさえしてくれます。先日も2年ほど前に70万円で買った2ctを70万円で引き取ってもらったという話もありました。さらに、違うレポートを間違って持っていったらそのまま引取ってくれたという話までありました。

 簡単に言うとファンシーカットだったり、ファンシーカラーというのは買取業者本人達もほとんど見た事がないので幾らで引き取って良いのか解らないのです。看板を掲げているからとそこにはプロがいるという事は他の業種も含めて、必ずしもいえないわけです。

 リサイクルダイヤモンドというのは基本的にあり得ない訳ですが、リサイクル業者が行っていたので、多分その呼び名が多くなったのでしょう。しかし、名のあるダイヤモンドのほとんどがそれに当たる訳で、 基本的にダイヤモンドがリサイクルされる訳ではなく人間の方がリサイクルされていると考えた方が良いでしょう。ダイヤモンドが変わる訳ではないのですから。

 もし、ダイヤモンドを何らかの形で買取を希望するのであれば、信用の出来る宝石店(チェーン店のようなところは除外)に持ち込む事が一番のお勧めです。なぜなら、普段販売もしているので馬鹿な査定はしないでしょうし、何軒かにはちゃんと価格を査定する事の出来るお店もありますのでお勧めをします。

 ダイヤモンドの買い取りの基本は枠代やデザイン料等の付加価値は除かれるのが普通で、勿論販売時の小売店の利益等も除かれます。それは何の業種でも当り前の事ですがダイヤモンドや貴金属に関して言えば洋服や家具等とは違い相場があり、価格が付かない事はあり得ません。

 現に金に関してもダイヤモンドに関しても買った時の価格やそれ以上の価格で売る事が出来たという例も沢山あります。他の業種ではまずあり得ない事だと思います。

まず業者側が色眼鏡で見られないようにちゃんとプロの説明が出来るように期待したいものです。

 そういえば、昨日のキャロライン・ケネディ駐日大使が身に付けていた二連の真珠のネックレスに対して、今朝のTVでドン小西なる怪しげなファションアドバイザーなる人間が数十年前の大使の母親のジャクリ―ヌが真珠のナックレスを着けて写っていたファンション誌を待ちだして『大使の身に付けている真珠のネックレスは母親譲りの物で母親に対するい想いが強い事を感じますね』などと自信を持ってコメントしておりました。

 実はジャクリ―ヌ・ケネディがしていたのは南洋真珠で、キャロラインが着けていた物は明らかにサイズが違います。普通に考えれば大使の物は見た限りでは日本のアコヤ真珠で間違いがないと思います。ましてや礼儀としても当り前だと考えますが、著名なるF・アドバイザーはそれが理解できなかったのでしょう。多くの視聴者は『そうなんだ』と感心をしていた事でしょう。

 看板だけで信じてはいけないという事ですが、判断をする事は確かに難しいですよね。

2013年11月16日土曜日

ジョン.F. ケネディ!?

  昨日、新たな駐日大使としてキャロライン・ケネディが米国より来日しました。我々の世代でなくとも彼女の父親を知らない人は少ないでしょう。

 小生も小学生の頃御多分にもれず大変憧れていました。多くの政治家が立候補のたびに『東北のケネディの・・・・。』とか『難波のケネディ・・・・。』などと形容詞を使っていたのを覚えています。多くの政治家も当時のJFKには憧れていたのでしょう。

 1070年代中頃アメリカにいた小生はあるアンティークショップで、まだアンティークと呼べないような貴重な物を発見しました。それはJFKが1961年の選挙キャンペーン中に資金集めの為に使っていたバッジです。選挙中は米$で5ドル(当時$1=360円)を寄付し、このバッジを手に入れていたそうです。

 小生はこのバッジを目にした時に価格は$25となっており、当時乗っていたFiatの5回分の給油代に匹敵していたこのバッジを思わず購入してしまいました。

 現在でも彼の知名度と神話は続いており、JFKクラブなる物が日本にはあるそうで、その事自体もびっくりします。ケネディー家の人々は常に不運な運命にさらされているようですが、それもアメリカ人にとっては特別なファミリーである事の証しでしょう。

 因に、後にJFKとマリリン・モンローが不倫関係にあった事を知った時には若輩者であった小生にはいささかショックであった事を覚えています。その後、モンローゆかりのダイヤモンド『バローダの月』の解説をしたりするようになった時にも特別な思いを持ったのを覚えています。

 ジョンが今回来日をしたキャロラインの母親であるジャクリ―ンに贈った婚約指輪はエメラルドと角ダイヤモンドののセットになった物で、ジョンの父親が選んだ物と言われています。意外と小さな当り前の物で多少ビックリします。両方合わせても2ctとちょっと程度のものだそうです。後にジャクリーンがギリシャの船舶王オナシスと再婚した際にオナシスは彼女に40ctのマーキースカットのダイヤモンドを贈ったそうです。

 しばらくは、ケネディー旋風が続きそうですね。

2013年11月12日火曜日

ダイヤモンドのグレード!?

 本来グレードなる物とは何ぞやという事のなると、段階を本義とした目安という事で、数値でもなければ絶対的な仕分けでもないという事を前提としています。

 つまり、便宜的に一括りにしている目安という事で状況に応じて流動的であるということにもなります。

 ダイヤモンドのグレードに関しても同じ事が言える訳でして、10倍のルーペを通して熟練したグレーダ―がグレーディングをする事が基本となっている事は業界人であれば誰もが解っている事です。つまり、その熟練をしたという事にも条件はありませんのが、私の経験から行くと若い人の方が良いような気がします。

 10倍がルーペではなく便宜上顕微鏡になっていくと段階的に15倍になりそれが20倍になって内胞物を確認する事もあるでしょう。しかし、実際にはそれは既に前提を履がしている訳です。現に多くの鑑定会社は顕微鏡を使用していますが、より見やすく倍率をあげている事は想像が付きます。

 まずはカラーについてですが、D~Zカラーという事になりますが、これはG.I.A(米国宝石学会)
のカラーグレード方式ですが、其々のカラー基準はG.I.Aのマスターストーンという事になりますが、これも其々絶対的に同じものをそろえる事が出来ませんので、例えばG+なりG-なりといった同じGでもFに近いかHに近いかといった表現になっている事多くあります。つまり、同じカラーであっても同じではないのです。

 また、クラリティー(清澄度)に関しても、あえてクオリティーQuality(質)ではなくClarityを使用していることもその意味がありますが、中には勘違いをしている方もいるようです。
 この事も10倍のルーペを基本として考える訳ですがFlawlessに関してはグレードが重要視される事は必然的と思われます。現在のように投資も前提になっている世の中ではそれは大きな意味を占める事は理解できます。しかし、それ以外のVVSやVSそしてSI,Iクラスになると主観が大きな要因になる事は否めません。

 クラリティーに関してはカラー基準よりもっと大きなアローアンスがありますから特にSI,Iクラスに関しては本当に目安に過ぎないような各鑑定会社のグレーディングになっている事が多いようです。

 カットに関しては現在ほとんどの鑑定機関が寸法を確認の上G.I.Aのファセットウェアなる基準値を使用しているので大きく狂う事はないと思いますが、フィニッシュ(仕上)などに多少の差が出る事に関しても大きな問題はないのでしょう。

 重さや、カットに関しては多くの場合測定器を使用しますので大きな差はないという事になりますが、色やクラリティーに関しては時と場所と人によっての誤差がある事はやむ得ないという事はベテランのジュエラーであれば理解している事です。

 重要な事は常に誤差がある事を消費者に告知をせず、業界の常識という事で流してしまうと現在世間を騒がしている誤表示、偽装問題と同じとこになってします訳です。

 実際には消費者にルーペを使用した上で見てもらい、色も実際に見える色な訳ですから確認をしてもらい、その上でそこの環境によって見え方が違うと事をアドバイスをした上で、予算に応じて大きさなのか、色が大事なのかなどをよく話あった上でご購入頂く事が大事なのだと思います。

 色などは特にダイヤモンドそのものの特質により、色がグレードより白く見えたり、大きくも見えたりもします。また、マウンティング(石留)によっても見栄えが違ってくるということも説明をする事が大事です。

 ダイヤモンドに関わらずグレードという物は業界側が目安として消費者に示し、それに対して消費者は自らの感性で選ぶ事が大事だという事だと思います。

2013年11月9日土曜日

ダイヤモンドへの想い!?

 ダイヤモンドへの考え方は色々ありますが、多くの場合は知識がないばかりに限定をされています。例えば多くの方はダイヤモンド・イコール・ジュエリーという事になると思いますが、かつての私にとってはビジネス上のツールということでした。

 勿論、現役のバリバリの時には原石であったり、光学機器の部品としてであったり、時には財産としての需要という前提でのビジネスツールでもあったのですが、やはり多くはジュエリーの材料としての部分でした。

 しかし、現時点のように、展示会のお手伝いをさせて頂いたり、店舗での消費者のお相手をさせて頂くようになると、一寸勝手が違ってきました。

 以前にも書きましたが、ダイヤモンドを眺めていてストレスを発散する方もいれば、想いを馳せて涙する人もいる訳です。そして何よりもプライドを与えてくれます。

 単なるジュエリーについている材料と捉えると、経済状況の良くない時には贅沢の極みで無駄な物と考える人が多くいる中で、そうではなく捉える人々にとっては贅沢品ではなく心の必需品だったり、優越感の対象であってりする訳で、贅沢品とは違った想いがあります。

 先日も小さなサイズのファンシーグリーン・ブルーイーブンなるダイヤモンドをご購入頂きましたが、白い同サイズのものから考えると、数百倍の価格になる場合がありますが、その価格の問題ではなく、この地球上でそれほど多くの人が所有できないものを手にする歓びと、やはりその魅力を手に入れる事を考えると、ジュエリーの価値に置き換えたものとは決して同じにはならないのです。

 私自身が、それらの方達に教えられたような気がします。多くのジュエリービジネスに携わっている方達はその価値と意味が解らなく、販売方法に四苦八苦している訳です。

 ダイヤモンドは決して一つの顔ではなく多くの顔を持っています。早くそれに気が付く事によりマーケットが広がり、宝石という物がそう簡単に手に入る物ではなく、希少なものだという事に気が付いてもらえるのではないでしょうか。

 そうすれば、贅沢品としてではないダイヤモンドのマーケットがそこには広がってくるでしょう。

2013年11月3日日曜日

大前提!?

 またぞろ前回に述べたような事例が沢山出て来ました。多くのホテルがこの際とばかりに誤表示なのか偽装なのか、はたまた誇大表示なのかは別にしてレストランにおいての材料の内容や産地の違いを反省を込めてなのか、どさくさにまぎれてなのかは解りませんが謝罪の会見を開いております。

 なぜこのような事が起きるのかと考えてみると、消費者が物を評価する基準が他の国とちょっと違う事がうかがわれます。つまり、ある種の権威付けをするとそのまま鵜呑みにしてくれるというありがたい性格があるのでしょう。

 プロ側もそれをよく知っているのでその権威付けに合わせて表現すると価値を消費者が勝手に上げてくれるのでその手段を用いています。しかし、多くの場合それは限定のある希少性を表わす事が多いので沢山売れるとそれに近い物を準備するようになります。プロ側にとっては嘘ではなく只の過大解釈に過ぎないと考えます。

 つまり、マグロで言うと大間の漁師が上げた物はブランドとして高値を呼びますが、その隣の漁師が上げたマグロは只のマグロになる訳です。それは同じものだという事を知っているプロ側はそれを表示してもあまり罪悪感はないし、その事に関しての罰則もありません。

 これらのグレーの部分を利用しているのがプロ側であり、他人が付けた評価に値するブランド名だったり、皆がいいと言っているからといった自らが評価をしない国民性が根底にある訳です。

 それなりに権威がありそうな機関や人なりメディアが取り上げ評価したものを盲目的に信用し、疑わない素直な性格が大前提としてあるのは決して悪い事ではないのですが、その事を利用し悪用(本人達はそこまで考えてはいないけれど)するプロ側がそこにいる訳です。

 勿論、消費者が判断する事が難しい物に関してはそれなりの基準を管理し、評価する機関なりが必要な訳ですが、味覚や視覚といった感性で判断する物に関しては其々の個人が判断をするぐらいの大人であって良いような気がします。

 ダイヤモンドに関してもグレーディングレポートのような第三者の判断は素人が評価できない部分に関しては消費者保護の観点からも必要だと思いますが、それが絶対的な物のような表現やその事を利用して利益を上げようと考えるプロ側の輩がいる事も否定できません。最近は少なくなってきたような気がしますが中立であるべき第三者が提供側に立っているなんという事は本来許されるべき事ではないのですから。

 上記の事がイコールとは言いませんが、大前提としてブランドや権威に弱い国民性がどちらも要因にあると考えたほうが良いと思うし、だからこそプロ側はエリを正し、プロとしてのプライドを持った仕事をしてほしいのです。その国民の素直さを利用してはいけません。

 大なり小なりどの業界にもある事でしょうが、黒毛和牛が良いとなればそこらじゅうに黒毛和牛が出てきて、中国産のウナギの稚魚を育てて国産のウナギとして販売したり。何々産とはあくまでもそこで生まれた物を指しますが、ウナギ業界では養殖した場所で判断していると訳のわからないl事を言っていた事件もありました。

 やはり、サプライヤー側が出来るだけ正負を含めて消費者が理解をしやすいような方法で情報を提供し、消費者は自らが自分の価値観で判断をするようにする事が大前提となるのでしょう。

 ブランドバックや衣類でも造りが悪い物は沢山あるし、名が知られていなくても良い製品は沢山あります。信用とはプロの高い知識と技術とその継続性にかかっています。それを裏切ってはいけません。

2013年10月30日水曜日

インターネットビジネス!?

 現代はインタ―ネットビジネスが華やかですが、勿論これにも陰の部分も沢山どうしても伴い、一見合理的なようで実際にはそれほどでもないと考えています。

 自身もやはりネットでの買い物もしますが、物によっては失敗の方が多いかもしれません。この処理に関しても返品等を考えると決して合理的ではないと考えます。

 インターネットビジネスのスタートは記憶が正しければ1977年頃の米国ユタ州が最初だと思います。勿論その頃はインターネットという言葉が使われていなくパソコン通信という言葉で、扱われていたのはダイヤモンドでした。

 その頃のダイヤモンドは4Cグレードが持ち込まれてそれ程の年月が経っていた訳ではありませんからあまりその事は日本でも知られていませんでしたが、ダイヤモンドに眼を向けていた富裕層には知られており、文字だけでその大方のダイヤモンドの品質を知る事が出来ました。

 当初のパソコン通信は文字だけでしたからネットで販売するには最も向いていたのがダイヤモンドでした。何故にこの事を知ったかというと当時我々も日本ではまだ沢山の人になじみのなかった電話回線とテレビの画面を利用したデビットシステムなる物が日本でも試験的行われており、日本のやはり富裕層が投資の情報や相場を見る為に使っておりました。

 国内では30万世帯ほどの普及でしたが富裕層向けという事でありましたからダイヤモンドの情報をそれに乗せて販売と買取を計画しておりましたので、たまたま情報を集めている中で米国で既にダイヤモンドのネット販売が行われている事を知った訳です。

 当時はGIA(米国宝石学会)のみが一般的でしたのでグレード評価にも大きな差がなく、また沢山の情報を持っていなかったのでグレードの文字のみで問題はなかったのですが1979年から80年にかけての暴落でこの会社は姿を消していきますが画期的な事ではありました。

 我々は準備をしている間の事でしたのでそれほど大きな損害を被る事は無かったのですが日本橋に設立したダイヤモンド取引所を閉じる事となった訳です。

 現代のインターネットビジネスにおいても多くのリスクがはらんでいる事は昨今の情報で解り過ぎているほどのことだとは思いますが、情報を伝えるツールが扱う人間によってどの様にでもなってしまう時代です。

 せめてダイヤモンドに関して売る方は見て感じて説明をして、購入する方は見て感じて理解をして、デジタルではないアナログな感性で売買をしてほしいものです。

 決してインターネットビジネスを否定するものではありませんが、一見合理的に見える事は操る事が出来るという事も頭に置いておいて方が良いのではないかと考える訳です。

2013年10月29日火曜日

偽装、誤表示!? ダイヤモンドは??

 今、関西方面の有名ホテルチェーンのレストラン部門での偽装なのか誤表示なのかでもめているようですが、シマウマをポニーですと言って動物園で見せたらこれは笑い話のレベルだと思うし明らかに誤表示の類いでしょう。
 
 数年前にもタイだったと思いますが、ワニとか象に白ペンキを塗ってパンダワニとかパンダ像とか言って喜んでいた事ともレベルが違うと思いますが、では何故こんな問題になったのでしょう。

 一つには消費者側が判断を出来る材料を持っていないところで行われたという事が問題な訳ですが、前述のような内容であれば普通の常識を持った人たちが見れば極端な間違いかジョークで収まることですよね。

 プロ側の常識を持って意図的に行われた事は消費者が判断をする事は難しい訳で、今回の事は、さらにプロ側の常識として考えてもおかしい事です。つまりこれは解らないのだからという前提があって行われた事と考えると、やはり偽装と言われてもしょうがないでしょうね。

 完全なまやかしでなくとも真実の一部を使った表現は誇張と偽装の分かれるところです。ですからプロの意識をきちっと持って対応しなければいけないのです。

 ところでダイヤモンドの4Cに関しては同じような事が言えます。グレードに関しては絶対的な物ではなく時期、場所、人によってはグレーディング結果が違うという事がありますが、それはディスクローズ(開示)されてはいない訳で、販売員によってはそれが絶対的目安のような説明をしている事もままあります。

 確かに、ここ最近ある程度の基準にある目安を大手の鑑定会社が共有するようになりましたが色と清澄度に関しては誤差というか差があって当り前の事に関しては完全な一致はしない訳で、これらは一般の消費者が理解をしていない事です。

 過去においては違う鑑定会社の違う時期のグレーディングを比べて価格競争の売り出しなんて事はよくやっていましたが、さすがに最近は少なくなってきたようにも思います。

 これらの事も、グレーディングレポートに『時期と場所と人によってはグレーディング結果に差が出ます』とレポートの見やすい所にコメントしておけば何の問題もない事ですが、それをやると権威でもなくなると思っているのか今まで何度も提案する機会がありましたが『市場に混乱を招く』と訳のわからない理論で逃げられてきました。

 今までどれくらいの混乱が生じ、どれだけ信用を失ってきたか解りません。それもこれもごまかしごまかしやってきた事の結果です。

 今回の問題でも小さなエビは全て等レストランでは“車エビ”と呼んでいますとメニューにコメントしておけば何の問題もなかった事です。我が業界の例で考えるとやはりそこには意図があったと考えられても仕方がないと考えますね。

 どこの業界にもある事ではあるけれど消費者が自分で判断し、結果を出せる事以外はプロのコメント義務と開示義務は現代においては避けられない事だと考えます。他の業界の方達も思い当たる事があるのであれば今のうちだと思います。

 言い訳はまやかしで得る利益以上にエネルギーを使います。これは歴史が物語ってります。

如何でしょうか?  御同輩!!

2013年10月23日水曜日

分類違い!?

 『わぁ~、感動しますわ!!』
先日お買い上げ頂いた3CTのプリンセスカットのリングが出来上がり、早速ご来店を頂いて、ご覧になっての最初の一言でした。

 『私は出来上がった物のイメージも湧かないし、デザインも考えられないので最初はどうしようかと思っていたんですけど友人が髙木さんに任せておけば大丈夫よと言っていたのでお任せしましたけど想像以上でした。』

 『ありがとうございます。喜んで頂いて嬉しいです。』

 多くの場合オリジナルの宝飾品を造る事はないので喜んで頂く事がほとんどですが、ほとんどのお客様が言われる事は衝動買いや強く勧められて購入したけど結局飽きてしまいますという事です。

 私は、元々基本的な考えをしていたい方なので、石が先に有りきといった考え方をします。つまり、本来のジュエリーとは著書にも書いていますが生活の中からの実用品として生まれています。それが豪華な贅沢品となってきたのです。昨今のデザインとか意味の解らないテーマが優先する物とは少し考えを異にしています。

 宝石いわゆるGEMは本来美しさの不思議や希少な物として時には宗教的であったりもしますが多くの場合は権威や誇りの象徴として存在してきました。それを身に付ける方法としてジュエリーと合体しました物が現在のジュエリーになっています。

 それが、いつの日からか小さな宝石が単なるジュエリーの素材としてしての存在になってきた事もあり、粗悪な物が使用されたりするようになると単なる色付けの存在でしかなくなりました。

 何が言いたいか言うと裸石で選んだ物は石で選んでいるので飽きが来ないという事です。多少のデザイン性があったとしてもダイヤモンドそのもの魅力に飽きはないという事です。

 今回のデザインに関しても一見奇抜に見えるようですが3CTという大きさも加味し高さが出ないもので、角のあるカットなので当たりが出ないようにと合理的考えた結果できたデザインです。上部から見るとほとんどダイヤモンドしか目立たないという石を生かした物になっています。

 『今まではお高いものですから、これなら車が買えるわ・・とか、マンションが買えるわ・・・とか思っていたんですけど、おなじ土俵でダイヤモンドは考えてはいけないという事が良く解りました。こんなにうれしく思ったり感動したりする上に、車や家みたいに古くなったり、修理代が掛かったりという事もなく、ましてや株や証券みたいに紙屑同然になったりする事はないですものね。それにいざという時には・・・・うふふふふ・・・。』

 彼女が言いたかったのは今後は良い意味での財産保全になるという事を考えていたみたいで、真にその通りだと思います。昨今のダイヤモンドの値上がりや少なさを考えると彼女の考える事をより実感する時期が早く来ると思います。

 3CTのプリンセスカットは国内でもそう多くはありません・・・というより見つけることも難しくなってきています。良い時期に良い物を御紹介できたと思っています。

 そして、同じ高額品でもただの贅沢品ではなく実用性のある物である事を御理解いただいた事が非常にうれしく思っています。既に大きなサイズのダイヤモンドは分類が違うのです。

 

2013年10月18日金曜日

ダイヤモンドグレードの不思議!?

 ダイヤモンドグレードに関してはグレーゾーンが多い事はほとんどの業界人であれば知っている事とはいえ不思議で厄介なものであると思っています。先日改めて取引先の若い方から『ビーカンて何ですか?』という質問がありました。

 『B鑑定の事だけれども何故?』
『取引先の人から価格に対応するなら(ビーカン)のものならありますよって言われたんです』

 つまり、B鑑定とは依頼人の希望グレードに対して理由の付く限り、要望通りにグレードを出す鑑定会社の事で、対してA鑑定というのは日本鑑定協会に加入していて協会内の一定のマスターストーンに合わせてグレードを出している鑑定会社を指す事を示すものです。

 ただ多くのメジャーの鑑定会社を始め、名の通っている鑑定会社にしてもB鑑定と同じような経緯を通りながら現在に言ったっているところも多く存在している。つまり、ビジネス上は顧客が必要ですからその作業を行ってきましたが大きくなるとその影響が大きくなる事を恐れてエリを正す訳ですね。

 グレードの基本は画一的なものではないという事と公的認定のある物ではないという事が前提ですから、本来は販売する業者側のものであり、消費者側と言う言葉は最近使われてきた言葉です。

 しかし、原則を言うなら消費者側に立ちようのないもので、もしその条件をクリアするなら同じ鑑定会社が同じ時期に同じグレーダーによるグレードを一斉に行わなければならない。勿論そんな事が出来る訳ではないのでおおよそという事が前提になる訳です。

 つまり、目安にはなるけれど絶対的なものではないし、価格を比べる道具として使うものではありますが絶対条件ではないという事ですね。販売者が未熟で消費者に十分に説明が出来ない時に使用する為のものですからおおよそで良い訳です。そのおおよそでよい事を利用してる訳です。

 十店小売店があれば十店とも価格は違いますから、結局はどのお店の価格を信用するか言う事に言及されてしまいます。逆に言えば信用があればグレードは必要がないという事も言える訳です。

 しかし、日本の市場の不思議なところで、例えそうであっても文字に起こされた結果が気になる訳で自分の眼を信じようとはしないところもあります。例えば絵画も号幾らという表現がありますが、これも日本だけの現象だと聞きます。画家によって得意なサイズがあるのですから、確かに号掛ける幾らというのは変な話ですよね。

 実はグレードが不思議なんではなく日本の市場が不思議なのかもしれませんね。消費者も販売する側もグレードの意味が解らなくても取りあえず安心をするという事ですね。

 だからと言ってグレードを奔放に取り扱ってはいけないのは当然で、前提が信用という事になればそれも意味のない事ですが、業界が何時までも首をかしげられるのはそういった輩がまだまだ沢山いるからでしょうね。

 付け加えると、グレードの取り扱いは扱う人間が悪魔にも天使にもなるという事です。あなたはどちらをの顔を持っていますか?

2013年10月15日火曜日

眼に映る物!?

 先週のとある展示会場で母娘連れのお客さまの事です。

 数か月前に初めて当方の裸石のコーナーにお越しになり、それまでにそこまでの興味を持っていなかったダイヤモンドの裸石に興味を持つようになったのは前回の展示会の事でした。同じく興味のなかったというよりあまりそのように見た事のなかったダイヤモンドの裸石に興味を持たれたのは娘さんでした。

 娘さんが、前回買い求めたのは小さなファンシーイエローと小さなハートシェイプの詰め合わせで数万円のものでした。彼女に効くと毎晩それを眺めていると小さな幸せを感じる事が出来るという事で、その為にベッド用のLEDライトを購入したそうです。

 それらの話を傍らで聞いていた母親の方が
『その話をしょっちゅう娘がするようになり、私も欲しくなったみたいです。』
ケースに並んでいるファンシーカラーを見ながら眼を潤ませていました。

 彼女が眼に留めたのはブルーの小さなダイヤモンドでした。大きくはないのですがやはりブルーですからそれなりの価格にはなります。
 『多少お高いようですがなかなか手に入らないものなので買っといたの方が良いのかしら・・。』
と彼女、

 『勿論、その方が良いと思いますが、よくご覧になってよく考えてみてくださいね。それから会場内で見るのと外で見るのは相当な違いがありますよ。外で見てみますか?』

 会場の外で見たそのブルーのダイヤモンドは会場内で見た多少のグリーンがかったものではなくあくまでも碧く、青色とは表現がしにくいような素晴らしい色で、私自身も驚くような存在感がそこにはあり、母親の驚き様は尋常ではありませんでした。

 ダイヤモンドは眼で見て、心で感じるものです。

 私自身は宗教を否定もしないし、肯定もしないつもりです。しかし、もともとは自然の眼から入った情報を心で感じ、それを解説する者が現れてきたのが宗教だとざっくり思っています。

 つまり、素直な眼で見たものを感じる心を持つ事が、癒しであり、励みであり、夢を持たせてくれるのです。一寸、宗教というものは極端な方向に走る癖がありますが、ダイヤモンドを愛でることで感じる心の広がりは一番自然に近い感情だと思っています。

 もともとグレードが付いていた訳ではありません。手にした人間が魅了され感動をした事により価値を得たものであります。その素直な心にこそ本来の恩恵が与えられるのだと思います。

 高額な買い物である事は間違いのない事実ですが、人によってはそれにも勝る価値なのだと思います。ブルーのダイヤモンドを手にした母親はそれを見ながら眼に涙を浮かべていたのが印象的でした。

2013年10月11日金曜日

ダイヤモンドとダイアモンド!?

 ここ数年ダイヤモンドに対する消費者の考え方が変わってきた事の一因に国内外でのオークションの価格高騰がある事は否定できないと考えています。最近は事あるごとにニュースで流れるダイヤモンドの落札価格に対するコメントを求められます。

 ダイヤモンドとは和風呼び名で、私は本来ダイモンドと発音する事が正確かなぁとどうでも良いかもしれない事にこだわっています。なぜなら多分和風はトランプなどのダイヤと呼ばれたり菱形のマークをダイヤ、時刻表などのダイヤなどの日本人に発音のしやすい延長になっていると思っています。

 直接は同じような事ではありませんが、西洋と日本ではダイアモンドに対する認識の違いがあり、宝石のダイアモンドとして考えるのか、宝飾品等の素材ダイヤモンドとして考えるのかという違いがあります。

 本来は宝石のダイアモンドがあり、それを宝飾品の素材に使ったダイヤモンドがあると考えた方が良いのかもしれません。つまり、デザインや意味を主とした宝飾品のダイヤモンドの使い方と宝石であるダイアモンドを着用する為に出来た宝飾品とは基本的に違う事を認識するという事です。

 小さくても品質の最良なものをと考えるのは宝石の身に付け方としては一寸違っています。なぜなら以前にも書きましたが宝石の条件の中には品質という事は謳われておりません。美観を損なわない程度の品質で良いのです。

 勿論日本人独特の考え方の潔癖性からくる考え方として婚約指輪等に条件として考慮する事は否定しません。それは宝石としてではなく、メモリーとしてのものだからです。

 希少性という考え方は美観の次に来る条件でもあります。故に宝石の条件としては大量に手に入る可能性のある小粒の高品質ダイヤモンドよりは美観を損なわない品質で大粒の物が希少性の条件を整えるのです。

 冒頭にもつながるのですが、最近はテリの強い大きめのダイアモンドを求められる事が多くなってきました。また、文字によるグレードにあまり関心を持たなくなってきました。これらは日本人特有の概念が少しづつ変わってきたのかもしれません。

 本能で求めるようになるという事は人間が古代に宝石に価値を感じた原点に回帰してきたということにもなるでしょうし、造られた既成概念に今の時代ははめられる事がなくなったのかもしれません。   

 良い意味でも悪い意味でも・・・・。

2013年10月3日木曜日

ダイアモンド都市鉱山!?

 先日、TVで日本がダイヤモンドの都市鉱山化しているという特集があったそうですが、内容は既に過去の物・・。

 ここ数年の地金価格高騰により全国に買取屋さんなる物が数千件の数で現れました。時にはブランド品や時計、その中には勿論のことダイヤモンドも含まれています。

 多くの場合は雨後のタケノコのレベルまでに達していないお店が多く、勿論鑑定眼などはありませんので、民間卸オークションで現金で売れるレベルを想定して買い取っているだけですから、中にはものすごく安く買い取られた物も多く存在します。

 特にダイヤモンドに関しては見る眼のあるところはほぼ90%はありませんから、損をしないような値段を付けています。時には数百万円の価値ある物を数万円で買い取っている事もあります。しかし、彼らが沢山の利益を取っているかというとそうではなく、それに眼ざとく手を出すプロが沢山いる訳です。

 つまり、全国の買取屋さんから集められたダイヤモンドが卸のオークションに出展され、それを海外のバイヤー達が買取に来る訳です。これを一部では都市鉱山と言っている訳です。

 特にインドのバイヤーが多いのですが、彼らはダイヤモンドビジネスの歴史は古く、鉱山が枯渇してから数百年を経ていますが、研磨産業は脈々として生き残っていた訳です。しかし、以前は子供たちを研磨の仕事に従事をさせ低賃金で一部の業者が利益を手に入れるという構図でしたが、
既に研磨をされたダイヤモンドを安く手に入れる事の出来る鉱山は彼らにとって魅力な訳です。

 しかし、実際にはピークを過ぎを過ぎた日本市場からはそれほどのダイヤモンドは入手困難になってきたのですが、既に研磨を縮小していたインドでは働き手がいなくなっており、。特に子供に違法労働させる事は世界的にも御法度になってきている為に、ダイヤモンドの流通在庫が減り、さらにロシア以外の産出国からは産出量減のニュースが入り現在の値上がりにつながっています。

 勿論、全てのサイズが値上がりをしている訳ではなく、小さなサイズは物によっては値が下がっている物もあります。但し、数%のレベルで、トタール的にはやはり値上がり基調です。

 一時の都市鉱山ブームで多くのバイヤーが海外からきて大手を振っていました。日本の業者はむしろ縮小傾向にある中、特にインドからの業者は特に目立っており、国税の競売にまで参加をし、ダイオヤモンドを落札し、海外で利益をあげています。

 本来であれば日本でおとされるべき利益が日本の業者の知識や経験の少なさから海外に持っていかれている訳です。勿論、彼らのダイヤモンドの歴史は古いのでダイヤモンドが何よりも換金性があり、目減りが少ない事を熟知しているので出来る事です。

 ここで言える事はダイヤモンドはやはり価値があり、換金性も高く、価値がゼロにはならない事を示してくれたという事です。今後の日本の市場に関しては意味のある事でしょう。

 そして、都市鉱山といわれる事のないようにしなければいけません。決して尊敬や羨望の目で見られている訳ではありません。むしろ日本の市場の幼さに皮肉を込めての言葉なのですから・・。

 TV局も良く考えて、中身を吟味してほしいと願います。

2013年9月30日月曜日

ダイヤモンドは変わらない!?

 二週間連続で同じような感覚を懐きました。先週末ご来店頂いたお客様が2ctのラウンドのダイヤモンドをお探しで、店内のダイヤモンドをご覧になっていたところ3ctのプリンセスカット(スクエア)が気になったようで
 
『こちらはなんていうカットなんですか?キラキラしてとっても綺麗ですね。』

 多少カラーのあるプロポーションの綺麗なものだったのですが、テリが強く、展示品の中でもひと際目を引くものだったので結果的にはそれをお求めになっていったのですが白い、円(マル)のダイヤモンドがお希望だったのですが、ローカラーではありましたがテリの強い大きな物になった訳です。先々週は多少色がありますがやはりテリのある1ctをちょっとかけるハート型のダイヤモンドが当初の円の白いものから変更された事は前回書きましたが今回もという事です。

 1978年、春 ロサンゼルス

 私が日本から渡米をして数カ月経った頃、ポンコツのフィアットを手に入れて、やっと自由にロサンゼルス市街を走れるようになった頃。『シアーズ』という大型安売り店に入りビックリした事がありました。

 店内に入ってすぐにアクセサリーやインテリアと一緒に宝石売り場があったのです。真にスーパーの延長みたいな売り場の中にです。もっとびっくりしたのは2ctとか3ctのダイヤモンドがその中にはゴロゴロと飾られていた事です。

 よく見ると黄色めなものではありましたが、日本で学んできたダイヤモンドの概念を取っ払わなければいけない瞬間でした。日本では婚約市場が大きかったこともあり、小さくて品質の良い白い物が主流であったし、大きくても2ctか3ctでしたが小さいものと同様に白くて品質の良いものばかりでしたので高額な上に誰でもが手に入れる事の出来るものではありませんでした。

 しかし、ショーケースに入っているダイヤモンドはどれもこれも綺麗に輝いており、一種の迫力を感じた事を覚えています。業界に入った頃から一種の宗教のように小さくても白く品質の良い物をと教えられていた私はそんな種類のダイヤモンドを見る事もなかったのでビックリしたのを覚えています。

 アメリカに暮らすようになると、多くの人が大きなダイヤモンドをしていて、アメリカの経済力の凄さをまざまざと見せられた思いでした。ある米国人の友人に尋ねると
『大きなダイヤモンドに限らず、大きな車や大きな家は成功のシンボルだからね。』
といわれ、なるほどと思ったのを覚えています。

 さらにダイヤモンドの輸出をしていた彼は
『日本人は小さなダイヤモンドを欲しがるし、実際に当社から輸入する日本の会社もほとんどが0.2ctか0.3ctしか買わないからね。理解が出来ない事の一つだね。ダイヤモンドは大きい方が価値がある事は解っているよね。』

 『勿論解っているけど。日本では一般的な考え方ではないね。』
と私が言った事を覚えています。

 当時の米国では余程のダイヤモンドでなければグレーディングレポートはついておらずその事はあまり重要な事でもなかったのです。なぜなら自らの価値観で求めるものであって第三者の価値観で求めるものではなかったからです。

 前述の例のような事を見ていると日本も変わったなぁ・・とつくづくと感じます。何よりもそれらのダイヤモンドを見ている顔が笑顔で幸せそうであり、見ているこちらもホッコリとした気持ちになります。自分の価値観で物を見るという事は心が素直であり、幸福を手に入れる第一条件だと考えています。俗世に生まれた現代人の中でその事自体を感じれる仕事をしている事は幸せです。

 拝!!
 

2013年9月26日木曜日

ダイヤモンドビジネスの新時代!?

 ダイヤモンドが日本で本格的に根付いてどれくらいだろう。勿論小生が身を置かせてもらってからでも40年を経過しようとしていますので50年はゆうに経つでしょう。

 丁度、40年ほど前にグレードという物が認識され始めて4Cグレードが歩き始めた頃でその頃はまだ完全ではなかったけれど、ダイヤモンドのビジネスを行うには十分でありました。

 何故十分かというと販売に関してはブランドが出来、価格が先行していたので、グレードは添物であり、大きな要因でもなかったのです。つまり、幼児の自転車の補助輪みたいなもので販売の経験の浅い販売員のみに必要なものだったからです。

 ここ十数年でその補助輪がついている事が当たり前になり、その事を自慢げに売る人々も随分増えた訳です。しかし、最近では補助輪の基準が一定ではないという事や自転車の性能の方が大事である事に気がついて来た消費者が多く現れてきた訳です。しかし乗り手は相変わらず幼児のままなのですが・・・。

 補助輪を外してみたら意外ときちっと走る自転車は少なくなってきた訳です。それは何故かというと補助輪が自転車にとって必要ではないと思っている海外へどんどん逆流してしまったという事があるからです。

 回りくどい言い方をしましたが、補助輪が必要のない消費者が沢山増えてきたので、販売側も補助輪なしで自転車に乗れるようにならないといけませんよという事ですが・・。

 ダイヤモンドは本来の魅力や価値はグレーディングレポートがついていなかった時代から認められたものであった事に回帰する状況というか、市場は成熟してきていると考えた方が良いのでしょう。

 つまり、高度成長の何も解らなかった時代から浮かれお金に任せていた時代、それを悪用とは言わないが、利用し、膨らんできたダイヤモンドビジネスは縮小から定着に向かい、成熟が始まったのです。

 もう、マーケットをあおってくれるようなシンジケートもありませんし、消費者の認識も違います。これからのダイヤモンドビジネスは文字や数字といった補助輪に頼るのではなく本来の感性や価値に基本をおいたビジネスとなっていくのでしょう。もう一つの時代は終わった事に気が付いている人は多いと思います。新しく、そして本来の姿に挑戦をしましょう。

 温故知新・・・。

2013年9月24日火曜日

不思議!?

 昨日、友人の娘さんが来ていた、話をしているうちに将来について迷っているとのことですこし話をしました。彼女は美大を卒業後目指していたテキスタイルの仕事をすべく、タイの繊維工場に数カ月とどまったりと活発に活動を行ってきました。

 『何故に迷いがあるの、今まで一生懸命にやってきたのに…。』
と私、

 『そうなんですけど、予定では26歳までにはきちっとした仕事にしたいと考えていたんですけど後4年間では難しいかなぁ・・と思って』

 彼女曰く、色々と知れば知るほどまだまだ知らなければいけないことが多いと考えるようになって、基本的には好きだけではだめでビジネスにならなければいけないと考えるようになってきたらしい。

 基本的にすべてを知る事は難しく、経験や知識で何を生み出せるかが基本的なビジネスマインドである事とを話し、物であれシステムであれ創造する事が基本で、その創造したものが世間に受け入れられるかどうかだと思うよと話すと

『髙木さんのお仕事はやはりデザインとか造り方でですか?』
と聞かれ、

 『天然のダイヤモンドは人が造れる訳でも、進化させる事が出来る訳でもないし、販売に関わるシステムもほとんどやりつくされてきたので、難しい事をしているとは思っているよ』
と話しながら、私自身も首をかしげる思いでした。

 人にとっての必需品である事が前提でビジネスは行われている訳ですから、精神的にであれ物理的にであれ、何らかの必要とされる価値がそこになければビジネスにはならない訳ですが、皆がマネをし、過剰になったり、使い古されたものには誰もお金を払わない訳です。

 ダイヤモンドは創造できるものではありませんが、マネが出来たり、過剰になったり、使い古されたりする物でもありません。しかし、ビジネスのチャンスとしては非常に狭い範囲のビジネスである事も事実です。

 物理的な将来は限りなくないビジネスでありながら、何故か疲弊、消耗するビジネスでもない事も事実です。それは過去の歴史が証明しています。

 物理的には変わらないダイヤモンドですが、世界観という観念的価値が消える訳でも創造できない訳でもありません。しかし、そこに物が存在する分厄介なビジネスである事も事実です。

 若い女性のものすごく単純な疑問が自らのビジネスを振り返るきっかけになり、如何にも不思議なビジネスに自分が就いているような気分を感じた一日でした。

2013年9月17日火曜日

心の眼!?

 真に台風一過とでも言いたくなるような朝を迎え、気分も良く迎えた週明けでした。
先週末にとある女性が来店をし、その一週間ほど前に彼と来店をし、選んでいった婚約指輪の最終確認にいらっしゃったものでした。

 目的は勿論、先日見定めていった0.5ctのラウンドを決めにいらっしゃったのですが、話をしている最中に傍らのハート型のダイヤモンドが気になっている様子。

 私自身もそれに気がついていましたが、0,5ctの話を進めている最中に
『私、ちょっとこのダイヤモンドが気になっています。』と
傍らにあったハート型のダイヤモンドを示しました。

 そのダイヤモンドは若干バイオレットぽい色のあるテリの綺麗な形の良いものでしたが、人によっては色があるからと敬遠をするかもしれないものですが、彼女は
『この色が何となく気になっています』
との事。

 最初は色々なお店で、下調べをしてきたようで、やはりグレードとかを気にしているようでしたが、話しているうちに素直な目でダイヤモンドを見て頂く事が出来たのでしょう。この事は私自身が一番うれしい事です。

 ダイヤモンドはいつも言っている事ですがグレードや価格が決まる前から価値がある物ですからそれらを基準に決めるものでも、人間が作ったものでもありません。つまり、心の感じるままに選ぶ事が必要とされるものです。

 全ての人間の価値基準は基本的には心の感じたままに決める事が自然なのです。男女の間でも打算的に選んでも決して幸福を手に入れる事は出来ません。何事においても・・・。

 彼女は一番自然のままで心の眼でダイヤモンドを選んだのです。それは彼女が如何に素直で素晴らしい人かという事を感じさせる場面でした。

 気持ちの良い台風一過の朝の気分です。

2013年9月14日土曜日

2020年!?

 東京オリンピックが2020年に開催が決まり、取りあえず目出度し目出度しといことですが、これらを今一賛成しない人もいますが、何処の世界にも一言を言いたい人はいます。それは人と視点が違うという事で解決です。

 ところで、視点違いで言えば2020年もう一つの人類の記念があります。それは35年前に地球を旅立った宇宙ロケット『ボイジャー』です。つい最近太陽系を飛び出したニュースを目にした人も多いかと思いますが、木星や土星の写真を送ってくれた『ボイジャー』はいよいよ太陽系を飛び出し、2020年には地球との交信の限界を迎え、人類の技術を超えた宇宙の彼方へと去っていく年なのです。

 勿論、天体望遠鏡ではその先まで確認をする事は出来るのですが、人類の創造した物体が太陽系を飛び出した事を凄いと思うかどうかはこれまた色々な人がいると思います。銀河系を飛び出した訳ではないのですから、ビルを飛び出した位で日本を飛び出した訳ではない位の事にもならないのですから。

 でも、数億年前には微生物みたいだった人類がロケットを作って、打ち上げてる事を考えたらこれはもう奇跡以外の何物でもないのですよね。その人間が作ったロケットが人間のコントロール外に飛び出していく記念の年が2020年なんです。これはやはり凄い事です。もしその外に生物が存在したらという事を前提に36言語が収められたテープが運ばれているという事です。勿論日本語もです。

 ダイヤモンドで出来ている星が存在しますが、何百光年先で発見されていますがこれを手に入れる事が出来たらという方もいますが、これを手に入れた瞬間にダイヤモンドはタダの石になります。それは希少性がなくなるからだという事はお解りいただけると思います。

 人類が発見をしたダイヤモンドが珍しい訳ではなく希少性は人類側で、ダイヤモンドは既に存在をし、大きく言えば人類よりダイヤモンドの方が存在としては大きいのです。ダイヤモンドは人類と違って絶対的存在として君臨している訳です。自然の中の絶対的存在とはその存在なくして、自然はあり得ないという事で、ものすごく大げさに大きく判断するとしたら、ダイヤモンドの存在が無ければ人類の存在はあり得ないという事に将来関連付けをされるかもしれません。

 昨年、イギリスのTVの特集でナノ技術を使ってダイヤモンドで癌を抑制するという仮説がたてられたという事を報道しておりました。案外本当かも知れません。人間もダイヤモンドも元は炭素という元素なのですから。

 一寸、飛躍しすぎましたか? 

2013年9月6日金曜日

良識!?

 昨日、ご来店をされたお客様から
『ファンシ―・イエローとベリーライトイエローはどう違うんですか?』
という質問を受けました。

 質問の趣旨はファンシー・イエローは高価で、ベリーライトイエローは安価な印象があるけれどどう違うのかということでした。

 このような質問をよくされる事がありますが、常々書いている事ですが改めて、説明すると基本は業界側が販売をしやすくする為に高価である事の基準に近いニュアンスを表現方法とし使用している為の誤解であります。

 本来ベリーライトイエローという表現はファンシーイエローのトーン(色合い)の低い物を表現する言葉でしたが、何時の日かグレードをDカラーから始まるメジャーの色合いの低い物を表現する言葉として使用するようになりました。それはDカラーがNO1として始まるとL、M,Nカラー等になるとグレード的な表現方法としてネガティブなイメージがあると勝手に思い込んだ人々が前述のような表現方法でそれを逃れようと目論み、たまたまそれが大手といわれる企業と鑑定会社が主体となっていたので一般化した訳です。

 いわゆる世界的に表現方法としては使用される事のない日本独自のグレードとして独り歩きし、経験少ない販売員たちがその表現方法を広めたという事です。

 以前にも書きましたが真珠の品質を表わす『花玉』という表現は本来、浜揚げした状態で手を加えていない上級品で入札などの基準になる物を表わす言葉ですが、今ではネックレスなった物や通販等で良く見かける表現となってしまいました。それ自体すでにその評価の範疇外である訳で
車の免許を持っていない人をF-1レーサーと言っているようなものです。

 また、ルビーの最上級品の色を表現する『ピジョン・ブラッド』というのも本来はミャンマーのモゴック地区の鉱山で採掘された物を前提としていましたが、現在はその近隣のものも含めております。
しかし、いずれにしても非加熱処理である事が前提ですが現在は加熱処理をしている物も一部の鑑定会社や業者は最上級品を表わす『ピジョン・ブラッド』という表現を使用しています。

 これらはいずれも国際的には認知されているにしても公的な表現ではないという事を逆手にとった表現方法であり、意図的である事は間違いがありません。そのような事を続けることは将来的にマイナスになる事が多いのですが、最近では海外の業者が活躍している事もあり、国内の将来を懸念するような事はないのでしょう。勿論、国内の業者も多いのですが、どちらにしても良識の問題という事になるのでしょうね。

 これを良しとするかどうかはあなた次第という事ですね。

2013年9月5日木曜日

北風と太陽!?

 商売というものは、物を必要としている人に必要としている物を販売するとい事ですが、単純にお腹のすいている人に食品を提供すればそれが商売になるし、頭の痛い人に薬を提供すればこれも商売になります。

 これらは当り前の事ですが、上手くいかない商売は扱っている物に必要性を感じてもらえていないからと単純に考えればよいのです。じゃあ、本当に必要とされていないのか?しかし、他では売れている・・ということのなると何かが足りないという事です。

 例えば、ダイヤモンドが売れない。当り前ですね・・普通に考えれば実用品のようにも見えないし、取り急ぎ必要なものとしても感じられない。では、今後ダイヤモンドの商売は無くなるのか・・という事になると、そうではないでしょう。

 必要と思ってもらえれば売れるという事になる訳ですが、以前は『婚約指輪はダイヤモンド』『給料の3ヶ月分が妥当な相場』というようにシンジケートを中心に業界が通説を作っており、それが出来ることが結婚を出来る条件といったような常識があった訳です。ですから婚約やプロポーズをしようと思ったらダイヤモンドは必須品だった訳です。昨今のチープ思想により若い男性は『そんなことに執着するような女はダメだ』みたいな自分の甲斐性のなさを押し付け、それに反応する女性はその事を口に出さなくなってきました。

 では今後どうすればよいのか?

 童話の中の『北風と太陽』にその答えはあります。つまり、北風が吹いて寒くなればセーターもコートも欲しくなる訳で、その反対に太陽が出て暑くなれば帽子も欲しくなれば冷感商品も欲しくなる訳です。

 ではどうすればダイヤモンドが欲しくなるのか?

 その為にはダイヤモンドとは何ぞや?という事と何故に必要かという事を理解して頂かなければなりません。ダイヤモンドというのはあくまでも感性としての商品ですから絵画や彫刻とも重なる部分があります。つまり素晴らしさの啓蒙があって感動を感じてもらう事が出来ます。生まれながらの感性でそれを感じる方は勿論いますのでそこには説明はいらないと思いますが。

 ブログをご購読頂いている方からご連絡があり、地方に住んでいるいるのでその地区の推薦できるお店を紹介して頂けないかといお問い合わせが以前ありました。勿論日本中のお店を存じ上げるわけがないので、『グレードや価格を中心に説明をするようなお店は避けた方が良いかもしれません』とお答えしました。なぜならお客様はそんなところに本当の必要性を感じてはいないからです。『良い品質でなければ』と言う御客様は確かにいます。しかし、これは本当に理解をしている訳ではなく過去の販売側のセールストークに乗って売るだけで希望の物を探したら、想像を超えた価格になり、買うのはやめたという例は良く聞きます。

 本質である『北風と太陽』の力のないお店はその力を付ける必要があるでしょうし、その力をつけれないところは説明をしなくても売れる商売に転身をした方が良いのかもしれません。その力を付けるのはプロフェッショナルの意識と努力があれば出来る事だと思います。

 商売はあくまでも高い所から低い所に流れる水のようなものです。その状況が作れなければ何事も難しいのです。

2013年9月3日火曜日

長所、短所と価値!?

 世の中に完璧なものがあるとしたら、その事が欠点になる事もあります。つまり、完璧なものはそれ以上の価値を創り出す事が出来ないので、そこに価値観というか興味をを持つ人は少くなくなると言えます。

 人類という自然の創作物は勿論完璧ではない故に価値を持ちます。というより人間以上に完璧なものを自然が作り出すことは不可能に近いと思います。ただし、今はその完璧な自然の創作物である人類の視点での価値観の話をしたいと思っています。

 物というものは長所と短所が組み合わされて、その物が本来持つべき本質に照らし合わせて価値が決まります。単純に言うとダイヤモンドは綺麗で希少性があり、耐久性があるという本質を損なわなければそこに完璧さは求められないという事です。つまり、短所としての認識がある内胞物であれ、それが長所である美観や耐久性を損なわなければ問題はないのです。

 世の中の物は長所と短所で出来あがっており、その割合によって価値が上がったり、損なわれたりするものです。

 私自身は長所、短所を併せ持つ事が物事の完璧だと思ってります。つまり、そのバランスで世の中は回っているのだと思っています。ゆえに冒頭に有る完璧なものはその事が欠点であるという考え方になっています。

 ただ、そのバランスが本来の価値を生み出しているのだと考えているという事です。その中で何が重要かというと地球上に存在するほとんどの物が変化なり、進化なりするという価値の中で不変であるという絶対的価値な価値も存在するという事です。そこには長所、短所の存在はありません。

 地球が存在する前から存在し、地球が破滅してもなお存在するであろう価値というものがあります。それは勿論ダイヤモンドで人類という奇跡の存在の後のダイヤモンドは研磨がされ、その前のダイヤモンドは自然が創りだしたままのダイヤモンドであり、人類が滅びたとしても研磨されたダイヤモンドは人類の存在を証明してくれます。

 その価値の大きさは正直想像を超えるものであると考えますし。書いている私自身ですら頭で解っていてもそれを測る手段を持ちません。なぜなら、この価値には人類にとっての長所も短所もないからです。つまり、人間の存在を超えた価値のなのです。

 人間がグレーディングによる価値をダイヤモンドに見出していますが、それはあくまでも各論的価値であり、総論的価値とは存在そのものであるという事を綴りたいのです。各論的価値をセールスポイントにしていても本来の価値を説明する事になりません。

 物を売るという事は購入者が必要性なり、価値を感じなければその衝動にはなりません。各論的価値というものはトレンドや時代によって変わり、実質的価値を持たなくなります。もし、説明をするのであれば総論的価値の方がより可能性を増す訳ですが、それは本当に難しい永遠の課題でしょう。しかし、驚いた事に経験からすると興味を持った人はそれを想像し、頭に浮かべる事も出来るのです。

 つまり、感性とは想像とか理解を超えた事を感じる事が出来るのですね。

 ダイヤモンドはその事を超えている価値がある事を述べたいのですが、うまく伝わったでしょうか?  また続きを書きます。

 

2013年8月28日水曜日

確率!?

 ダイヤモンドには希少性という顔がありますが、果たしてどれくらい希少性があるのかという事を簡単に比べる材料として宝くじを当てはめてみました。宝くじは一般的に500万分の1から1000万分の1の確率と言われますが確率の低いもので1000万分の1として考えてみました。

 私達が業界に触れた頃は、5トントラック5台から6台分の鉱石に対してダイヤモンド1ctと言われていました。勿論1ctは0.2gですからトラック5台としても5トンx5台=25トンに対して0.2gとい事になります。つまり、2千5百万グラムに対して0.2gという事になりますから1億2500万分の1の確率になる訳です。

 現在では採掘方法も進み確率的には上がってきていますが、仮に5トントラック1台分としても2千5百万分の1という事になりますが、実際にはダイヤモンド全体の確率ですから宝飾品質という事になりますと約3割といわれていますが綺麗だという事を考えれ2割から2割5分くらいでしょう。

 さらに個体あたり1カラットを超えるとなると多分その数万分の1という事になるのではないでしょうか。

 最近話題のダイヤモンドのタイプⅠ型、Ⅱ型の分け方をしてみてブルーダイヤモンドという事になると、ブルーはタイプⅡに存在しますから、ダイヤモンド全体の2%未満がタイプⅡという事で考え、その1.8%未満にブルーは存在すると言われていますからとてつもない希少性がある事になります。

 単純に1ctの宝飾質のものとなると2千5百万分の1の3割つまり約8500万分の1で宝飾質全てのダイヤモンドですからその数万分の1、つまり5万分の1としても4兆2千5百万分の1の確率という事になりますから、そこからタイプⅡやブルーの確率をひも解いてみてください。

 単純に宝くじの確率と比べる事は出来ませんが、1ctを手に入れる事の難しさと考えると
本当はとてつもない事である事は想像がつきます。我々においては経済的に恵まれている事により1ctのダイヤモンドを目にする事は稀ではないけれど、それは宝くじを何枚も買える環境にいる事とも照らし合わせる事が出来ます。

 宝くじが当たりやすく考えてしまいそうな内容ですが、たまにはこんなくだらない事を考えてみるのも良いのではないでしょうか。

2013年8月26日月曜日

感動!?

 昨日、24時間テレビが終わった。恒例のこの番組にはいつも感動するところがあり、ずっと見ている訳ではないのですが、気になってはチャンネルを合わせます。

 喜怒哀楽という言葉がありますが、勿論人間の感情を表した言葉ですが感動という感情はどの部分に当たるのだろうと思います。感性が動くという言葉の意味だけ言えば全てに当てはまるのでしょうけれど、今や感動とは独立をした感情のようにも感じます。

 番組上で披露されたパフォーマンスの時には『凄いなぁ~』頑張っているなぁ~』という感じだけれど、実際にその舞台裏のドキュメントをみると、それこそ感動し、ウルッとくるようなものがあります。

 つまり、感動とは表面上の感情ではなく、意味を知った上でのこみ上げてくる物のような気がします。勿論素晴らしいパフォーマンスを見て、感動し、驚く事もあります。しかし、それはプロや天才が見せる技や表現に対してであり、その部分はまた別のものであると感じます。

 感動には尊敬が前提に有る物とちょっと上目線的になるのかもしれませんが、慈愛が前提となり、得る感動があると思います。

 話は変わりますが、ダイヤモンドに関しても同じような事が言えます。単純にお見せしたダイヤモンドに関しては、『わぁ~綺麗ね』『可愛いわねェ~』といった表面上の感情が披露されますが、ダイヤモンドのセミナーやトークショウの後でのダイヤモンドへの反応は明らかに変わります。

 人間は過去の経験や知識の中で感情が生まれ、表現されます。そして、経験や知識の創造の範囲の中の最高の事に関しては感動や驚きを表します。しかし、その範疇をはるかに超える事に関しては幾らすごい事であってもほとんど感情に表す事はありません。

 前回にも書いた、樹齢千年の松に関しては感動しますが四十六億年経ったダイヤモンドにはその場の目に入っている物以上の感情は持てません。つまり、想像の範囲外なのです。
 
 そこで、ダイヤモンドの身近なものに例えた話をお聞きになった後のダイヤモンドに対する感じ方が目に見えるもの以外の感じ方をしてくれるのではないかと思います。

 感動とは表面ではなく、そこに意味するものを感じた時に得る物ではないかと感じた24時間でした。ダイヤモンドのその素晴らしさを伝える事はちゃんとした知識を持った人が、ちゃんと伝える事が大事である事は言うまでもありません。価値はそこから認識されるのですから・・。

2013年8月24日土曜日

時空を超える!?

 昨日、知人が逝去しました。
ほとんどの地球上に有る物は終末を迎え、次代へと移りゆく、それが進化であり、進歩なのであろうと思います。

 有機質であれ無機質であれ変わり続けた故に現状があり、それが進化に向かうのか、破滅に向かうのかは誰も解る訳ではありません。しかし、大きな意味では終末へ向かっている事は間違いがないのです。それは数十億年後の事とされていますが、それは変えられない事実です。

 つまり、宇宙の膨張の中ですべてがコントロールされている訳ですが、地球規模で考えても月が徐々に地球を離れていっている事は知られています。それは地球上の全てのバランスを失う事を意味している訳ですが、それまでには人間が何かを考えつくのでしょう。

 多かれ少なかれ、物には終わりがあり、始まりは奇跡的な必然性であっても終わる事は現実的な必然性なのです。その繰り返しが地球上で起きている当り前なのです。

 それではダイヤモンドはどうでしょうか。地球創世記に誕生をした訳ではなく、その前に宇宙においては既に存在をしていたと見られています。現実に六十億年位前に生成されたとみられるダイヤモンドが発見をされています。この事は地球という我々の生きている星が誕生する前に存在した物質がその事実を現代に伝えてくれた事になります。

 時空を超えその事実を伝えてくれるものは身の周りの物質としては、私が知る限りダイヤモンドしか知りません。人類どころか地球誕生前の事実を進化も変化もせずにメッセージを伝えてくれる稀有な存在のダイヤモンドをもっと認識しても良いのではないでしょうか。

 知人の死が、改めて自然の必然性とその中で奇跡を考える機会となりました。
ダイヤモンドは自然の必然性であり、人類の存在こそが奇跡なのでしょう。

 奇跡は時空を超える事は出来ないのです。人類の存在は宇宙時間では瞬間的に起きているその時だけの現象なのです。                                             

 改めてご冥福を祈ります。

2013年8月23日金曜日

ダイヤモンドとグレードの入れ替え!?

 先日、さる百貨店の担当の方から連絡が入り、
『社長のところに2ctのHカラーでVS1のところはありませんか?』
との問い合わせ・・。
 
 『今のところファンシーカットしかありませんね』
と答えると
 『何とかなりませんか。どうしても一両日中にはほしいんですけど・・。』

 事情を訊ねると十年ほど前に販売したもので、お客様がリフォームをお望みで、ついでにお嫁さんに渡すので鑑定書を取り直してほしいとの事だったらしいのですが、再鑑定を行った結果カラーがJカラーになったとの事での大騒ぎらしいのです。

 『お客様が変えてくれといったのですか?』
と聞くと

 『いいえ、まだなんですが、大事なお客様なので石を入れ替えたんじゃあないかと疑惑を持たれるとまずいという事になりまして・・・。』

 『それを入れ替える為の代替品という事ですか?』
 『そうなんですよ。』

 『それでは本当に入れ替えになってしまうじゃあないですか。』
 『……。』
 『グレード結果は時と場所と人によって変わる事は常識です。石が変化をする訳ではないですよね。』

 『そうなんですけど、当時はそういう説明をしていないので・・。』

 『どちらにしても手持ちはないので、他をあたってください。』

その後どうなったのかはまだ訊ねてはいないのですが、このような問題はこれからも多く起きる可能性はあります。

 売らんが為の捏造という訳ではありませんが、今後も今話題の真珠の花球問題や加熱処理後のルビーのピジョンブラッド表記問題は明らかな販売者の捏造として捉えられかねないのです。これら表記を良しとした場合に宝石の条件である『希少性』という大前提を無視することになります。

 基準が変わったとか時代が変わったと幾ら言い訳をしても、花珠は加工前の評価であり、ピジョンブラッドはミャンマーのモゴック産で非加熱処理を前提としたものです。

本来の基準や基本を都合に合わせて変えていく事も、本質に対しての価値の信憑性をあげていく為のものであれば異論はありませんが、価値に対して誤解を招くような方法論は明らかなごまかしです。

 本質から言うと宝石のビジネスは誰にでも出来るものではありません。ゆえに誰もがやれるように説明のツールとして表記方法やグレード表記があります。しかし宝石は変化しない事が前提としてあり、その表記方法やグレード表記は絶対的なものではありません。その事実を多くの宝石を扱っている人々は消費者に伝える義務があります。その義務を遂行してさえいれば前述の問題や後述の問題に関しても、後で問題になる事ではないのです。

 ただし、意図的に消費者が誤解を招く様な表記をする事は、あってはならない事だと考えますが、如何でしょうか?某有名百貨店のTVショッピングを行っている方々・・・。  

2013年8月20日火曜日

ダイヤモンドの価格とグレード!?

 よく質問される事でもありますが、ダイヤモンドのグレードと価格は一致しない事もありますか?という質問ですが、まず前提として価格を前提としてグレードが当てはめられていった事が、スタートではありますが、現在に置いては国際的なプライスリストがはびこってきた事もあり、信用性が高い上で、さらに国際的シェアを持っているグレーディングレポートを前提としてグレードを価格の決定要因にする場合が高品質、大型サイズの限っては増えてきています。

 しかし、あくまでも価格の裏付けとしての本質はそこには存在している訳で、決してグレードが先にありきで価格が決まっている訳ではありません。とくに中程度の品質に関してはとてもではないけれど基本となっているシステムの中では消化をしきれません。

 例えば、色に関しても以前はイエローを前提としたカラーのグレーディングでしたが、現在はブラウンに関しても色の濃淡によりカラーのグレーディングをしています。しかし、同じグレードであったとしてもイエロー系のUnder-Nカラーとブラウン系の同カラーではやはりブラウン系の方が価格としては下に見られる傾向にあります。勿論それもバイヤー次第ではありますが・・・。

  クラリティーに関しても同じような事が言えます。中程度のグレードのところにおいては、例えばSI-2クラスで言えば価格に2~3割の価格の差が出る事さえあります。つまり、ついているグレードにおいて価格が決まってくるというよりもバラツキのある中程度のグレードのところに関していえばバイヤーの感性によるところが大きくなってきます。

 故にという事になりますが、高品質でバラツキのない所のグレードに関しては信用の出来る機関の保証のような形でグレーディングレポートも必要ですが(勿論、絶対的保証ではありませんが)
それ以外のところではバイヤーの感性によるところが大きくなるので冒頭の質問に関しては流通も前提とすればグレードと価格が一致する事はほとんどないと言ってよいのではないでしょうか。

 店頭を比べて見てもグレードと価格が一緒のところはほとんどないと思います。(但し、ブランド等で社内的に一致をさせているところは別ですが)

 特に、ファンシ―カラー、ファンシーカットに関しては、色、形ともに絶対的に感性ですから比べる事自体も難しくなってきます。

2013年8月16日金曜日

パワーの源!?

 昨日、早く起きて富士山の麓にある北口本宮富士浅間神社というところを訪ねて来ました。そこは富士の樹海の中に有り、森林浴をしているような気持ち良さを感じ、しばし本宮の周りを回っていたところ太郎松と二朗松というひと際は大きな松があり、その間に本殿が建てられている感じでした。

 荘厳な感じがしたその松の間を通りながら、その裏手にある富士山信仰をしている団体の初代を祭っている祠に近づくとなにかゾクッとしたものを感じ、今までの爽快感が薄れていくのを感じました。

 仕切り直しのつもりで再度先程の巨大松の間に位置するとやはりエネルギーがみなぎるというか、荘厳な気持ちになりました。ふと周りを見ると沢山の松があるのにその2本の松がひと際大きな事に気づき、そこから離れるほど松が小さくなっていく事を不思議に思い、再度そこに書いている説明書きを見るとこれらの松は千年の時を過ごし、現在に至っているということでした。

 自然というのは不思議なもので環境や条件の良いところのものは生命力も強く成長も早いものですが、これらの松はこの地の地場か条件が良いのか寿命と成長を遂げている訳です。それを考えるとこの場所こそがパワースポットなのかなとも考えてみました。

 つまり、自然は全ての条件が均等ではないので栄える所も寂れる所もあるのですが、真に此処はその力を与えてるれるところだなぁ・・・と感じ、エネルギーをもらった訳です。

 そうは言っても地球四十六億年から言えば、たかだか千年です。ほぼ地球誕生とともに存在をしてきたダイヤモンドという地球上の自然は何時か滅びる物とは違い、永遠の存在である事を考えると、やはりその存在感を再認識します。

 自然の中で生き延びる物にはその強さとエネルギーを感じます。有機質、無機質の違いと言ってしまえば、そうなのですが大きな自然という事で考えればその違いは大きなものではありません。無機質であっても劣化し、滅び行くものは沢山あるのですから・・・。

 スピリチュアルを感じるとともに何かちょっと方位学とか風水といったものを信じる人の気持ちが少し理解したような気がします。ちゃんとそこには証拠があり、実証が済んだ統計学が存在をしている事を。

 自然は皆に平等ではない。だからこそ場所、時、物というものが大事であり、それはあくまでも自然が指し示した物である事が前提であるが、自らをそれらの近くに置く事が大事なのだなぁ・・と感じるのです。

 勿論、それが全てではないけれど時を経た自然の物を見るとそれが実証されている事を感じ、無いよりマシだという程度であっても試してみる価値はあると思いませんか・・。

2013年8月14日水曜日

小さな幸せでも・…!?

 『暑い、暑い』といっても、そろそろ慣れてきたような気がしますが、暑さ対策としていつもは健康対策の為に駅まで歩いているのですが、今朝はバスに乗ってきました。

 朝からの日差しの中で多少汗ばみながらバスを待ち、やっと来て乗り込むとなんと誰も乗っていないではないですか。おもむろに座席に腰掛けると上部についているエアコンの吹き出し口を自らの方に向け涼み始めましたが、まだ足りずに誰も乗っていない事を良い事に後部座席のエアコン口も自分に向けてみました。

 その涼しさに思わず『幸せだなぁ~』とつかぬ間の幸福感を感じていている時に、長くは続かない小さな幸せだけど、こういう事が繰り返されれば幸せなんだろうなあなんて思っていました。

 先週、北海道でゴルフをしていた時にキャディーさんがダイヤモンドが欲しくて仕事をしているという話をしており、ご主人からダイヤモンドが欲しければ自分で稼いで買いなさいと言われ昨年からキャディーさんのお仕事を始められたそうです。

 最初は展示会で知り合い、是非ゴルフにきてくださいというお誘いに乗り伺ったのですがプレーの最中もダイヤモンド談義に花が咲き、私が
 『なんでそんなにダイヤモンドが好きなんですか?』
と尋ねると
 『だって、見ているだけで幸せじゃあないですか。それにそれを持っている事が誇らしくおもえるし・・・。』

 しばらくすると
 『欲しいのは2ctなんですけど、まだそこまで貯まっていないんですよね。でも好い方法を考えてんですよ・・・足りない分社長が安くしてくれるというのはどうですか?』
と茶目っけのある笑顔で私の方を見ており、私が

 『勿論、お手伝いはしますが最低限は自分の手で手に入れないと意味がないじゃないですか』
というと
 『そうですよね・・・。』
 と言いながら
 『アッ、あそこはOBです。』
と同判者の取引先の部長に告げておりました。

 彼女は一昨年まで専業主婦で、昨年からキャディーさんの仕事を始められたそうですが、去年の分でハートの1ctのリングとペンダントをお買いになり、今年は目標の2ctが欲しいそうですが小さな幸せを感じる為に働くなんて、ストレートな答えが凄くチャーミングに感じました。

2013年8月13日火曜日

自然の賜物!?

 ここ数日の猛暑には正直疲労感が募ります。昨日は高知県で41度という日本記録を更新する気温で、暑いイメージがなかった四万十川が一挙に暑い場所だと知らされたものです。
 四万十川と言えば自然の恵みの多いところとして有名だったのですが自然の与える試練もまた厳しい所であることを知る良い機会でもあったような気がします。

 自然は人類が生きていく上で与えてくれるものと、その真逆に試練を与える部分と両方がありますが、圧倒的に生きていく上で与えてくれる恩恵が多い事は皆が自覚をしていなくても確かな事です。しかしながら、人間の愚かさというか生きていく上で必要なものは全て自然から与えてもらっているのにもかかわらず、さらにその上の快楽を求めるあまりに、自然を変貌させる作業を行っています。

 原子力、家電等々上げるときりがないくらい、それがなければ生きていけないのかという位に快楽を求めています。その結果、自然が変調をきたし、さらなる試練を人間に与えています。物理的、精神的に人類が必要なものは自然がちゃんと与えてくれています。

 人間の利己主義的な行動は既に利己主義的に見えない位に人々の生活に入り込んでいます。宝石に関しても自然がくれたままのもので十分なのですが、ほとんどの宝石に関しては何らかの処理をしています。その事により経済活動が行われている事も十分に承知をしているのですが、そろそろ考えどころではないのかなと感じる今日この頃です。

 自然は無限ではないのです。だからこそ、その使い方が人類に与えられた作業なのですが人類にはその自覚が足りないようです。

2013年8月2日金曜日

想い出のダイヤモンド!?

  一月ほど前にご来店を頂いたご婦人のオーダー品が上がり昨日お越しを頂きました。オーダーといっても全ての材料をご提供した訳ではなく、最初にお持ちいただいたのはお亡くなりになった妹さんのダイヤモンドのプチペンダントでした。

 ご自分ではアイディアがないので、何時も身に付けていられる物を作ってほしいとの事でしたので、ご相談の上で小指用のピンキーリングをお造りする事となりました。デザインは小生におまかせ頂くという事でご了承を頂いたものです。

 昨日それが上がりお渡しする事になったものですが、普段は控えめの方なのですが大層お歓びになり、日ごろとは違った面をうかがわせて頂きました。

 出来上がったものはデザインがオーバーなものではありませんでしたが、完成品に当方の女性スタッフの手による洋彫り(フィレンツエ彫り)を施し、趣のある物となりました。

 その後、お友達と御食事に行ったのですが、食事後そのお友達からお電話があり、ご婦人はその指輪を見ながら『妹の思い出がこんな風に甦るなんて』と涙を流していたとの事でした。

 その話をお聞きし、まさにダイヤモンドの役割とジュエラーとしての役割を果たした様な気がしてまさに本望な気持ちでいっぱいでした。

2013年8月1日木曜日

ダイヤモンド・・・アゲイン!?

給料の為に働くのはただのサラリーマン。仕事の為に働くのはただのビジネスマン。そして自分の利益の為に一生懸命働くのがただの役人。いずれにしても働く事に想いがあるかどうかという事に価値があると考えます。

 ダイヤモンドに想いがなければタダの石かというとそうではありません。想いがあるからこそダイヤモンドに価値がある訳です。勿論経済的価値以外にという事ですが・・。

 以前にも書いた事があるかもしれませんが、ある時突然訪ねてきた初老のご夫妻が

『ダイヤモンドの専門店という事を聞いて尋ねてきたのですが・・。』

もう4~5年前の話になるのですが、聞くところによりますと御主人が大病を患い、最近二度目の手術を受けたとい事でした。その際にお医者様には成功の確率は10~15%位だと言われ、選択を迫られた結果手術を受けて成功したのだそうです。

 手術の際に麻酔が効き始めていたご主人が無意識の中、奥様に
『アゲイン』
 といって手術室に入られたそうです。

 ご来店の折のお聞かせ頂いたストーリーですが、ご来店理由がまたロマンチックで

 『ダイヤモンドは不変だという事を聞きましてお尋ねしたんです。というのは大病で指も細く  
なり外していた結婚指輪をなくしたと思い、お電話をしたのですが今日出がけにひょんなことから見つかったのです。でもご連絡をしていた事もありサイズも変わっているからとりあえず行こうという事で来たんです。それにダイヤモンドに願いをかけたかったものですから・・。』

 と経緯をお話しいただき、結果的には新しく結婚指輪を造る事になりました。
出来あがったものは出てきた指輪を新しくつくった指輪の横にくっつける形でお二人の歴史を大事にして頂こうという思いから製作をさせて頂きました。その上で指輪にはメレーダイヤでお二人にとっては大切な言葉『アゲイン』を描かさせて頂き、ご希望のダイヤモンドを使用したものとさせていただきました。

 その後、もう一度手術を受けることになり、やはり成功をして船で世界一周をするまでに回復をされたそうですが、船中どこででも指輪を褒められ、そのストーリーを皆にお話しされていたそうです。

 不変なダイヤモンドに込めた想いが心の支えになり、その後のお二人の人生を充実させたのかもしれないと考えると小生も感動を覚えたわけであります。

 人の行動、物と全ての物はそこに想いがあって価値があります。ただし想いという事は必ずしも目の前にある訳ではありませんが、想いがあってこそ働く事や物事に意味があるのだと思います。

 何への想いがあるかということが人生や物事の価値を決めるという事だと思いますが、価値は満足感と充実感があってこその価値だと考えます。

2013年7月29日月曜日

幸運のダイヤモンド!?

 先週,、今回私が買付をしてきたダイヤモンドの内見会を兼ねてフレンチレストランでランチパーティーが行われましたが、シャンパンに美味しい料理と大変にご好評をいただいたようです。

 シャンパンを飲みほしながらあるご婦人が
『髙木さん、以前頂いたマーキースのダイヤモンドのペアになるようなものが欲しんだけれど・・・。』
と・・・。

 以前お求め頂いたマーキース型のダイヤモンドはほっそりとした普通のものよりは細身のもので、普段買付をしていてもめったに見る事がありません。

 『勿論、簡単に見つからないのは解っていますけどね。ぜひ欲しいので半年でも一年でも待ちますわ。』

 『それはお約束できませんね。すぐにあるかもしれんせんが、一年になるのか十年になるのかは…。』

 『やはりそうなのかしらね。私がこれを手に入れたのはついていたんですね』

 『その通りです。』

 『このダイヤモンドは私に出会う為に数億年かけて地球が作ってくれたものといつも髙木さんが言っているものね。』

 『正確には、ダイヤモンドの方が先ですから。このダイヤモンドを身に付ける為に貴女が生まれてきたんですよ。』

 『そんなものが沢山あるわけないですよね・・。』

 『幸運とは心のあり様』ですからダイヤモンドはその一助になるものと考えていますが、結果的には後から出てくる人類の幸福感を満たす為にダイヤモンドは創造されていたと考えようもありますね。

 その為に変化する人の心の幸福感を満たすものはその都度違いますが、ダイヤモンドに関しては不変のものですから、いつの時代でもどの様な時でも一定の幸福感を与えてくれる大事なものであるがゆえに簡単には手に入るものではないのでしょう。

 『確かにダイヤモンドを見ていると幸せな気持ちになるし、手に入れたいという気持ちが物を手に入れたいという気持ちとは少し違うような気がしますね。』
 と既に手に入れている片側に付けたピアスを鏡越しに眺めながら満足そうな顔をしていた事が妙に印象に残る会でした。

2013年7月22日月曜日

ダイヤモンドの3拍子!?

 先週イスラエルから帰国し、土曜日には昨年亡くなった友人の散骨をしに海に出てありし日の思い出に浸っていました。
 
 亡くなった彼女は私よりも若く、まだ50代も半ば前で若い頃は日本中が話題騒然となった某車メーカーのCMでヒロインを務めていました。

 勿論美貌もでありますが、性格も良く、育ちの良さが全面出ているような女性でした。今で考えると少し飲み過ぎのきらいはありましたがダイヤモンドのような女性でした。

 ダイヤモンドは家柄(重量、質)と育ち(研磨)と容姿(プロポーション)と三つが揃う事が基本です。さらに学歴という事は後付けのグレードみたいなもので人間関係の中ではあまり多くの意味をなしません。

 多くの人間の人間格みたいなものにダイヤモンドは当てはまっているような気がします。勿論全てが揃う事は稀有なのでしょうが、性格が良い事が一番だという方もいるでしょうし、イヤ、やはりまずは容姿でしょうという方もいます。

 ダイヤモンドも同じようなもので、全てが揃う事はやはり稀有な事で、勿論お金があってさらには縁があれば全てが揃ったものを手に入れる事が出来るかもしれないけれど、そんなに簡単ではありません。

 ダイヤモンドの3拍子は必ずしもグレードなどと一致はしないかもしれないけれど、それはGIAのファセットウエアーなどでも立証されております。グレードなどに惑わされず、自分の志向で選ぶ事が大事だという事を考えます。

 亡くなった彼女を思い出すと3拍子の揃った良い女性であった事と本当に残念な思いがこみ上げて来ます。ダイヤモンドと彼女の唯一の違いはダイヤモンドの場合は永遠だという事です。

2013年7月15日月曜日

買付の難しさ!?

 買い付け2日目になりますが、今回の目的であるファンシーシェイプの少なさにはあきれ果てました。ファンシーでもラジアントやクッションカットのような原石から歩留まりの良いものやエメラルドカットのように原石から比較的とりやすい四角系のものは多くみられましたが、ハート、ペアシェイプ、マーキースといった比較的原石が特定されてしまうのもに関しては特に少なく、さらに自分のテーストに合うようなモデル(形)やカットがしっかりしているものとなると驚くほど少ない。

 特に大量のロットから自分好みのものを探そうと思うと価格的にも高くなり、日本のマーケットに合わせようと思うとかなり難しいのが現状です。

 意識をして形を優先すると石目が中途半端になり、さらに難しくなります。もちろん。ファンシーシェイプに関しては見た目が優先になりますのである程度石目を無視するしかありません。

 そのうえでライフ(テリ)の強いものとなるとどう考えても大きなマーケットには向きませんのでニッチな市場と割り切って買い付けをするしかありません。買い付けをしていて改めて希少性のマーケットに首を突っ込んだものだなあ~とちょっと首をかしげています。

 消費者の皆さんはそこに揃ったものを見ますのでそれがいかに希少性が高いかを理解してほしいといってもそれはこちらの言い分で理解をしてもらう努力も相当に必要だと感じています。

 今後もっと理論やグレードではなく現実の希少性を市場に理解をしてもらえるように努力をしつつ仲間内にももっとダイヤモンドの現実を解くように働きかけていかなければとブルサ(取引所)に座りながら考えてしまう時を過ごしています。

2013年7月13日土曜日

旅の途中で・・。

 今、イスラエルへのトランスファーの為に6時間もの暇を持て余しながらも今度の買い付けのことが頭をよぎっています。確かに大粒のダイヤが動いているといってもそう簡単に手に入るものではありません。

 通常はファンシーカットを中心に組み立てるのですが、今回は帰国後にそのお披露目のための内見会をフレンチレストランで予定をしていますのでチョイと大粒も頭に入れておかなければなりません。
 ダイヤモンドについてはいろいろと見解の相違がある部分もありますが、見た目のライフ(テリ)と大きさは世界共通です。グレードはあくまでも価格の比較を説明するための道具ですから、ファンシーカットのように形の好みがあるものに関してはあまり用をなしません。
 
 
 このような表現ですら業者間では説明を必要としますが、消費者の場合は素直に受け取ってくれます。グレードの誤解は販路や売れ行きの手助けになったことは否めませんが現状ではかえって障害になります。
 などと徒然なるままに考えながら、今度の買付と内見会でのスピーチ内容を組み立てていますが買付経験のある方には解って頂けると思いますがラウンドはファンシーカットほどの神経は使わないのですが、ファンシーカットは自らの好みや消費者が好みそうなものを見つけることは容易ではありません。
 自分が気に入っても消費者が好まなければアウトですし、ましてや形は千差万別です。つまり、テリと重さは選べますが形は経験の中から80%の消費者が好むであろうと思われるものを探すしかありません。今回は期間も短いので多少の不安もありますが全力を挙げるのみです。
 買い付けの途中でまた報告を書こうと思っています。

2013年7月4日木曜日

インドと中国の影!?

 先日、香港のショーを訪れた事は有意義な事ではあったのですが、その結果と言ってはなんですが、近い将来を予想する事の出来る材料にも遭遇をした訳です。それは、必ずしも良い兆候とは言えませんでした。

 大方の印象通り、今回の展示会で良い結果を残せたところはわずかで、大方の出展者は必ずしも期待をした結果ではないようでした。

 ここ数週間のダイヤモンドの動きに関しても0.3~1%程の値が下がり始めた兆候が見えます。と言っても大半は1~2ct以下の中型から小型のサイズの物の話ですが、これらのサイズは以前から経済の動きには敏感で驚くような事ではありません。

 これらの多くの要因はインドと中国の不調が響いている事は否めません。ルピーの値下がりや中国国内の需要の低迷が主な原因ともとらえられますが、インドに関しては経済政策や外交政策を見ていると焦りも感じられるという事とかつてのカースト制度ほどではないにしろ依然と残る名残と近代化のバランスが悪くそこにIT産業と近代経済の波(バブル金融)がそれに拍車をかけている。

 また中国に置いても内政問題をないがしろにし、覇権主義を前面に出す現在の政府とバブル経済を利用し、国内では持てない資産を海外に所有し、海外への移動を考えてきた人々の時代が終盤を迎えてきたような気がします。

 日本でのバブルもほぼ十年続き、中国でのバブルもそろそろ十年を迎えようとしています。またインドに関してもルピーの下落に見るように終盤を迎えようとしている。

 勿論現代では他国との境が少なく日本ほどのダメージを受けるとは考えにくいとは思います。しかし、人口の多さの規模は無視をする事は出来ません。ダイヤモンドの今後を占う意味では良い兆候とは言えません。

 かつての日本がそうだったように今後は両国でも流通在庫をはく為にディスカウント合戦で急場をしのぐことになるでしょう。そうすれば過去に日本市場が世界各国へ迷惑をかけたような値下げ競争がはじまり結果ダイヤモンドの価格下落という場面が出てくるかもしれません。

 しかし、これはあくまで流通在庫の問題であり、原石が大きな値下がりをする事を示している訳ではなく、あくまでも一時的なマーケットでの価格動向である事は間違いがありません。

 長期的にはダイヤモンドの価格は右肩上がりであり、過去の日本のバブル当時と違い今はデビアス一社が大きな影響力を持っている訳ではありません。市場が価格を決めているからこそのデメリットとメリットが共在し、大きなサイズに関しては逆の動向を見せる事が十分に考えられます。

 しかし当分は弱含みの展開になる事は間違いがないでしょう。

2013年7月3日水曜日

価値の中のダイヤモンド!?

 宝石の条件としての五つ(美観、希少、耐久、携帯、換金性)は宝石のみならず価値そのものを表わしています。消費者が対価を払う価値というものはこれらの条件のいずれかを満たしているのです。

 しかし、実際には消費者は物やサービスに価値を見出してくれるのかというと、必ずしもそうではありません。消費者にとっての価値というものは人それぞれで、必ずしも一致はしていません。物が良いかどうかではなく、自分の欲求を満たしてくれるかどうか?そして、その欲求は・・・?

 つまり、提供側がどんなに良いと思っているサービスをしていようとそれが望まれているかどうかは別です。物がどんなに良くても必要がどうかという事でもあります。

 確かに、ホテル等はサービスを売っているようにも見えますが実はそうではなく、利用客が望んでいる物がそこにあるからです。例えば、そこに出入りしている自身に対する満足感とか・・。

 人それぞれの欲求と満足感は其々の環境や時代によっても変わってくるということにもなります。
それはおなかの痛い人にどんなおいしい物が用意されてもその人に必要なものはまずい薬と硬くても良いからベットなのです。

 多くの書籍に『如何にして売るか」とか『売る販売員はこうだ!!』などの類いの物が出版されていますが『宝石はこうすれば売れる』といったものは決してありません。それは非常に特殊なものと思われているのと生半可な方法論つまりサービスや物で売るものではないからです。

 ここで言いたい事は普段から消費者が必要性を感じる様になる啓蒙活動が行われているかどうかが大きな問題です。消費者がこれは必要だと思えるような判断材料の提供があって購買行動に移る訳です。それはあくまでも前述の条件に沿ったものでなくてはいけませんが・・。

 以前、シンジケートのキャンペーンで婚約指輪はダイヤモンド、その価格は給料三カ月分といった物が広く行き渡っていましたが。その節には婚約はダイヤモンドを買えるようになってからなどの比喩もあった位です。しかし、昨今、結納や式も上げないといった時代背景になってくると状況は変わりダイヤモンドにそれほどの意味が持たれなくなってきました。

 それは安売りやグレードの不誠実な表記なども原因に有った事は事も否めませんが、それ以上に宝石の本質的な価値、つまり前述した条件でもある価値というものを理解して頂いていたかという事になります。

 ダイヤモンドは価値の中では究極ともいえる不変の価値な訳で実用的に結果の出るものではありませんが価値ともいえる条件を全て満たしている訳です。実質的にも現在は高額なものに関しては財テクといった結果も出ています。

 消費者の価値観を1から作り上げる事は出来ませんが、その材料を提供しうる事が購買にうながって行くのかなと考えています。

2013年7月1日月曜日

価値を売る!?

 宝石の価値というものをどう捉えるか?

 多くの宝石販売員が直面し、悩んでいることではあると思いますが、現況での販売方法について真偽と言いますか、どの販売方法があたっているのかという事が一つあります。

 過去にもシトリンがトパーズと呼ばれて販売していた物が、ある日突然にそれは間違いで本来のトパーズとシトリンは違うものですという事になったりと、その都度の業界の都合に合わせて販売をしていた為に、本来の価値とは異なるインフォメーションを消費者に届けていたりしてきました。

 その上で明確ではなかった為に誤ったイメージを消費者に与え、消費者の疑念を生んできた事も事実です。以前のように物がなく景気の良い時であればどの様な方法で販売してもある程度の許容は出来たのかもしれませんが、現況に置いては致命的な事になりかねません。

 ダイヤモンドの4Cにしても絶対的なものであるような印象を与えていた為に失われた物も随分あります。時と場所と人によってグレードに差異がある事を明確にしておけば問題のなかった鑑定会社のグレード問題はその典型です。

 現代においても私が懸念しているのは真珠の「花珠」(華珠といったりもするらしい)であります。
本来の花珠はとは真珠の入札会の折に基準になるとっぴんで手を加えていない浜揚げ珠のものという事になっていたのですが、現代に置いては加工済みの手の加わった品質ではなく巻厚や色の種類等で其々の鑑別会社の独自基準で決めている物が多い、確かに品質の良い物が多いのかもしれないが消費者に誤解を与えるような拡大解釈は以前のダイヤモンドのグレード問題と同じ事が内在している。

 花珠鑑定がついていない某真珠ブランドのMの方がよっぽど品質が良い物もあります。ダイヤモンドと同じ様に、物ではなくグレードの文字で販売していると大きなもな題になる事を指摘しておきます。

 それでは本来の間違いのない価値とは何なのかといえば宝石の条件そのものです。希少性、美観性、耐久性、携帯性、換金性といった当り前の事を価値として説明(これに関してはちゃんと勉強しなければなりませんが)した上での付帯事項としてグレードやデザインを説明する事は否定をしませんが、小さくても品質の良い物とか、お似合いですよとか、お買い得ですよ等の意味不明な説明の仕方は当然、冒頭の販売員の悩みに繋がってくるのだと思います。

 つまり、前述した花珠やグレードについては付帯事項であって価値ではないという事です。それを主に説明をしていたら当然、矛盾も出て来ますし、問題も内在し、信用の出来ない業界にもなります。宝石の不変の価値が説明されずに変化の激しい付帯事項を中心に説明に販売をしてきた事は、その都度の折には楽な販売をさせてもらいましたが、それは問題を拡散させていた事に他なりません。

 半貴石や雑石に置いては条件や環境が変われば価値も変わる事は頭に入れておかなければなりませんし、目先の事をセールスポイントにする事は宝石に置いては不誠実である事を販売する側は頭に入れておかなければならないのでしょう。本質的価値を販売する事が消費者に対する誠意であり、販売側の理屈を通す事は消費者側の疑念を増すだけの事だけと考えます。

2013年6月24日月曜日

ダイヤモンドと文化!?

 香港から帰国をし、何気にショーを振り返って気になる事が幾つかあり、その一つはジュエリーのサンプルの事です。華やかに見える物が多い事は展示会ですから当り前の事ですが、以前であれば日本向けのものとしても見る事が出来たのですが、今の日本のまーけっとを考えるととてもではないけれど適しているとは思えない。

 それでは、それらのサンプルはどこ向けなのかと考えた時に中東にしては小さすぎるようにも思え、またホワイトゴールドという事を考えるとやはり中東向けではないなと思ったりする訳です。

 結論を言うとここ数年の市場は混とんとしており、各出展者達も迷いがあるのであろう考えられます。日本市場は調子が悪いとはいえ香港の業者からみると今回のショーでもやはり日本の業者は多い方ですから取り急ぎ、以前日本市場で売れていた物にしておこうという事なのだろうと思います。

 また、パールのコーナーでも中国の雑然と積み上げているブースよりもやはり日本のブースに沢山の人が集まっており、日本の業者に対する信用みたいなものが中国や隣接のバイヤー達にはあるのであろうと思います。また、売れている物も真円に近い、白くテリの良い物を手に取っていたように思われます。

 特に中国人達にとってはダイヤモンドあれば、ある程度の大きさで品質の良い物、真珠であれば白くて丸くてテリの良い物、金は純金で99.99%以上のものと、明らかに財産性を重視したものを選ぶ傾向があります。

 それは、文化の違いからくるものでしょうが一つには以前の日本人のようなマニュアル建前社会が横行しているような気がします。つまり、土地を所有できない彼らは動産主義でその象徴が金であり、ダイヤモンドであり、その他の宝石なのです。但し、問題は今多くの食品やもので問題になっている贋真問題です。

 日本でも多くの問題になったグレードの中身ののことですが、特に中国の業者の表示が正確かどうかという事です。日本からの輸入品に関しては地金の検査にはとりわけ厳しく、特に金商はPT900を0.1%でも割っていれば不合格となります。またPT850はほとんどが相手にしません。

 当然、消費者はダイヤモンド等でも確認をする力がありませんから表示を信用するしかありません。よって純度の高い物や宝石として価値の高いものといった前提がある物を好みます。中国の消費者にとっては半貴石はおもちゃに過ぎず、翡翠に関してもグリーン以外は興味も示しません。

 ダイヤモンドの本当の価値というよりも表示をされているグレードや文字を信用するのも以前の日本市場と変わりません。しかし、財産という前提にあっての文化からくる物の見方は真剣ですし、それゆえに表示を前提にするという買い方をしますが、物を見れない分だけ、値引きを要求して買っておこうという考え方も生まれて来ます。

 矛盾をしているようですが、表示で買い、それが違っているかもしれない事を前提に値引きを要求して買うという文化は不動産文化からは生まれないものなのではないでしょうか。

2013年6月20日木曜日

ダイヤモンドの現状!?

 本日、一日中香港ショーのダイヤモンドディビジョンを見ていて正直大きなサイズのものも結構展示されているなぁという感じがしました。

 
 急に背中をに手の感触を感じて後ろを振り返ると旧知のイスラエルの仲間の顔がそこにありました。 

 『一人で来ているの?』
の問いかけに
 『ただの視察だよ』と言うと
彼も同じような感触を持っていたようで大きなサイズのものが多いと感じていたようです。
しかし、共通して思った内容は大きなものに品質の良いものがないということでした。

 『やはり、品質の良いものはなかなかマーケットに出てこないね』
 と言うと

 『マーケットに出ることなく売買がされることが多いからね。通常の品質だとどうしても見解の相違が出てくるので価格が多少違ってくるからね。』

 『見解の差が少ないD IF EXのところはもう相場が決まっているからね。』

 
 品質の高いところは相場の差もあまりなく取引をされることが多いので面白味にも欠けます。実際に数件の出展者に確認したところGカラーからKカラーの所でVS、SIクラスの所だと20~30%の誤差がありました。ゆえに面白いということになるのですが・・・。
 

 大きさやライフはTPOかかわらず見解の相違はあまりありませんが、やはり、品質のグレードになると見解の相違が出ますので価格にも差が出てくるわけです。しかし、ダイヤモンド本体の品質はいつも述べるように変化をするわけではありません。

しかし、予算があって手に入れたいと思った時には安く購買するチャンスが出てくるわけです。香港のショーは今度の日曜日まで続きますが、スタートとしては大方の出展者はよさそうです。

 ダイヤモンドは今大きな転機を迎え財産保全用と(投資も含んで)宝飾用にはっきりと分かれてきましたが財産用の動きがここ数か月数億円単位のもので国内でも動いているようです。しかし、大きさがあれば必ずしも最高品質ではある必要はありません。

 手軽なもので楽しみながら実質的なものも追いかけてみてはどうでしょうか?今ダイヤモンドはやはり、熱いようです。   

2013年6月18日火曜日

ダイヤモンドの捉え方!?

 ダイヤモンドには工業用、光学用そのほかに宝飾の素材として用いるほかに、最近では投資用というか財産として見られるようになってきましたが、宝石としてのダイヤモンドが基本だと考えています。

 本来は見て美しい石として捉えられ、以前には色がはっきりした色石の方がより価格的にも価値としても重用されていましたが、研磨技術が進化してくるとその立場が逆転してきた訳です。

 いずれにしても、本来は感性の部分を価値とした分野の物が宝石であった訳ですが、いつの頃か宝飾品の素材として重要なものとなった訳です。勿論メインに使用する事によりその存在は際立っていたのですが、脇石として使用されたり、小粒だけを使用したパヴェ留などが出てくるようになると益々もって素材としての印象が強調されてきました。

 そのパヴェ留に関しても最近ではダイヤモンドという名前と重さを強調したまがい物的売り方が横行し、一般の消費者をより誤解させる方向へ導いたような気がします。本来の価値はダイヤモンド一粒一粒の魅力であり、その為にはある程度の大きさを条件としていいるとは思います。

 勿論、誤解をして頂きたくないのはパヴェ留のデザインで留めも綺麗に出来ているものにはそれなりも魅力もありますし、素晴らしいと思います。ただ、私が言っているのは響きだけで販売しようと綺麗でもない小粒のダイヤモンドをいい加減な造りをし、ダイヤモンドという名前と重さでだけで誤魔化そうとする販売方法です。確かに中国などで製作をすれば安価に出来るし、安売りも出来るでしょうが、造りとか品質に置いては・・・要は程遠いんですよね、宝飾品とは・・・。

 私個人としてはダイヤモンドを宝石として扱いたく、また消費者の方たちにも単なる身を飾るものではなく、大事な伝えるものとしてだったり、自らを鼓舞するような精神的な価値として所有してほしいとも思っています。

 現代のような景気の動向だと贅沢品として最初にはじかれそうなジャンルの商品になってしまっていますが、宝飾品はそうかもしれませんが宝石はこんな時だからこそ必要なものとして手に入れてほしいのです。

 なんら確かな証拠がある訳ではありませんが、経験値から何らかのスピリテュアルな力はあるのかもしれないと思っています。巷にあふれているパワーストーンなる雑石にパワーがあるのであればダイヤモンドはその比ではなくパワーがあると実感しています。

 ダイヤモンドの価値は心理的なものから始まっているのですが、現在でもそれは変わらない価値だと考えています。

 

2013年6月15日土曜日

エレガントとダイヤモンド!?

 最近、いくつかの展示会に参加をさせて頂いて、思う事は展示商品の低レベル化です。単純に価格の問題ではなく展示の仕方や内容ですが、同じようなディスプレーに同じような商品群。

 一言で言うと消費者を馬鹿にしているのか、売っている人たちの問題なのか、解りませんが基本的にジュエリーというものを理解しているとは思えないという事です。

 『誰もが手に入る方法で、誰もが手に入れる事の出来る価値にはジュエリーの価値はそぐわない』

 値引きし、さらにディスカウントをするような販売方法は将来に市場を失う事になります。電化製品のような製造できるものですらそれらの販売方法を間違い、苦労をしています。我々の取扱い商品はその辺が違っているのです。

 自然の物がゆえに、もしくはその技量の高さゆえにそこにはストーリーがあり、「ジュエリーの意味」があります。昨今の展示会に飾られているものは全てとは言わないが、大量生産の産物的な物や値引きをする為に外見を誤魔化したようなものが多いのが残念であり、それを理解せずに一生懸命消費者に進めている販売員さんを見ていると少し哀しくもなります。

 消費者も何かの勘違い(これは販売側に多くの責任があるのですが)をしていて、重くて大きな物が得だからという思いで購入動機にする方も多いように思います。

 ダイヤモンドというものは外見を飾るものではなく、心を飾るものである事を理解をして頂ければ本来のジュエリーの意味も解って頂けるのではないかと思います。

 エレガントとは身に付けるものではなく、その人そのものの事であるは理解が出来ると思います。意味を感じたら、その価格ではなく、価値を第一に考えたらよいのです。それが価値というものではないでしょうか。

 安く買えたからという価値は本来にジュエリーの価値としては異なものであると思います。そして華やかになるからという理由もやはり違うような気がしませんか。

 ダイヤモンドは人間より先に存在をしています。勿論他の宝石もそうですが何故そこに価値があるか。先に存在する物により人々の価値感や感性は育まれてきた事を考えると後天的な経済的価値や外観を気にする事に違和感はありませんか。

 ダイヤモンドを適正に身に付けるとエレガントに見せてくれるくれるのは、その人たちの内面がエレガントなのだと思います。透明感があり、やさしさと上品さをエレガントというならまさにダイヤモンドはエレガントの象徴ではないでしょうか。

2013年6月7日金曜日

共通するもの!?

 ここ3ヶ月間の間に釧路と函館を訪問する機会があり、双方ともほぼ40年ぶりの訪問でありました。当時の両市の駅前は華やかでそれこそ毎日がお祭りのようでした。

 今回の驚きというのは駅前の衰退ぶりでした。人は少なく、特に釧路に至っては昼間でもあまり人影が見えないような状況でした。その中で気がついた事は郊外型のショッピングモールの台頭や大型飲食店の郊外型化、そして駅前にはつきものであったパチンコ店の郊外への異動でしょう。

 これらはこの両市に限らず、多くの地方都市で起きている現象でしょう。さらにはその郊外型ショッピングモールのゴーストタウン化も見逃す事は出来ないでしょう。

 これらの現象も見ていてジュエリービジネスとの極似具合です。ジュエリー業界も最初は時計店から始まったような小さな町の駅前商店街の宝石店が基本でしたが、いつの日からか百貨店が台頭し、やがては異業種を中心にした展示会が中心になり、その展示会もゴーストタウン化をし始め、そこから抜け出せずにどんどん安価になる平均単価に我慢をしながら続けている現状です。

 しかし、両市の中のたまたま訪問をした両店は決して繁華街でもなく、恵まれた立地でもないところでの奮闘具合です。特徴はある程度の客層に絞り込み、商品も価格帯も絞り込み顧客に提供をしているところでしょう。

 このところの他業種の状況を見ていても同じ様な現象が起きています。必ずしも立地条件も良くなく、単価もさほど低くはない。これらは家賃原価を抑え、経費を削減することで良いサービスと内容を提供する事に特化をし、なるべく顧客と身近になる事により生産性をあげているという事でしょう。

 これらは車社会になった事で起きた現象ですが、その後の立地条件良くないところでもビジネスが出来るというのも、これまた車社会になったおかげでしょう。

 つまり、大きな商圏を対象にした市場の時代は終わり、それらはネットビジネスに任せ、本来のアナログ市場を見直す時が来た事を物語っているのでしょう。商品を特化し、価格帯も特化し、その上で中身の濃い商品内容と身近な接客をするという事に濃縮されるのでしょう。

 ダイヤモンドのビジネスは得にこの業態が向いているビジネスと言えるでしょう。ブライダル市場商品を外せば、同じような物もなく、実用品商売ではない以上、仕入れの技術と経験、知識により特化をし、特別な物だけを提供する。まさにダイヤモンドビジネスであろうと思います。

2013年5月31日金曜日

ダイヤモンドのブログ!?

 小生がこのブログを書いている意味を誤解をしている方も多い様に思いますので、改めて自らの肝に銘じる意味でも振り返ってみると、このブログを書くきっかけになったのは還暦を迎え、ダイヤモンドのビジネスや社会に対する自分の思いを再認識する為でした。

 毎回、自分の感じている事や思いを手記のように書き留めていたい、その上で自分が携わってきたダイヤモンドに対しての認識とその変化を綴っておきたかったからです。

 もし、自らの考えや経験してきた事により、偏ったダイヤモンドビジネスの見方により小さくなっていったダイヤモンドの市場が少しでも広がってくれればという思いです。

 確かに、今までの市場を否定をしてり、卑下するつもりもありませんし、ある部分都合のよい事もあり、その結果市場が広がってきた事も事実です。しかし、都合が良すぎた部分行き過ぎた事もあったのです。その結果、市場に誤解を招くことになった事もあるわけです。

 グレード市場主義は日本という市場にマッチしたことは否めません。しかし、グレードというものが唯一の物に適用できない事を失念し、全てを一様の中に入れ込もうといた結果ビジネスが難しくなってきた事にまだ気がついてもらえません。

 現役時代であれ、引退後であれ長嶋氏と王氏をグレード評価できる訳はありません。つまり、比較対象になっている様に見えて、実は其々の個性から来る好き好きであって、それが彼らの実績を損なうものではありません。

 ダイヤモンドは極端な例をあげるとそういう事で、二軍の選手をグレードで分ける事はある部分までは可能かもしれません。しかし、ある種のダイヤモンドという前提で考えるとグレードだけでは、というよりグレードで分ける事は出来ませんので個性を売りにした市場もあるのです。

 市場の新たな可能性だったり、それがダイヤモンドのビジネスの発展形だと考えるので、あえてこのようなブログを書いております。

 今後とも、お気に召して頂いておりましたらご購読ください。また何かコメントがありましたらお願いします。

2013年5月28日火曜日

ダイヤモンドの本分!?

 当方の販売するダイヤモンドの3割くらいはルース(裸石)のままです。勿論、多くの人はルースで選んだ後に製品にするのですが、ルースで買われた方達の多くは男性のコレクターであったりもするのですが、それ以外の女性客の方々そのまま持っていたいという方です。

 通常でも書いている事ですが、ダイヤモンドが経済的価値を持ったのは中世から近代になってからの事です。自らがビジネスをしていて恥ずかしい話ですがダイヤモンドの本当の価値というものを理解したのはここ数年の事のような気がします。

 展示会に参加をするようになり、ルースの販売をするときにほとんどの場合説明が要りません。というのはお客様がダイヤモンドを見て反応して綺麗と感じた時点で説明をする事はほとんどありせん。ダイヤモンドが綺麗に見えるという事に置いてはプロもアマチュアもないのです。

 本来にダイヤモンドの価値というものは見て美しいと思う事で、その点においては風景を見て美しいという感覚とほとんど変わらないのだと思います。そして、その美しさは其々の感性なので説得するものでも解説をするものでもないのでしょう。裏を返して言うと其々のもので比べようもないという事になります。

 その上での解説や説明はあると思いますが、それはあくまでもダイヤモンドの存在価値であったり経済性の説明で、その上で販売員さんとの間での価格交渉であり、支払方法です。

 先日の展示会でのこと二十代前半と思われるお客様がじっと一つのケースを見ており、販売員がお勧めをして、商談コーナーにお持ちになり、一緒にいたお母様と何かお話しをしておりました。

 時間が空き、そのお席にお邪魔をするとその娘さんは
『ダイヤモンドってこんなに美しいものなんですね。今までこんな気持ちでダイヤモンドを見たことはありませんでした。大体はジュエリーを見てデザインがどうのこうのという事だけでしたからね。』
とウットリとするような眼でそのケースを眺めていました。

 私はその中に入っていたピンクとイエローそして白いハートの其々の説明をすると、他のお客様に呼ばれてその席を立ちました。

 一時間ほど経ってみるとその親子はまでその席におり、一時間前と全くそのままの景色のままでおりました。その席に近づき
『如何ですか?かなりお気に召したようですね。』

お母様が
『この子のこんな事は初めてです。私もそんなこの子を見ていると何故幸せな気持ちになっているんですよ。来年この子はお嫁に行くので名残惜しいという事もあるのかも知れませんね。』
というと
『こんなに癒される物があるなんて、ビックリです。時間が経つのも忘れていました。』
と娘さんが言った時には既に2時間が経過をしようとしていました。

お母様が
『欲しいの?』
と尋ねるとコクリとうなずき、何故か恥ずかしいそうに・・・。
『それじゃぁ、そんなにほしいならお母さんが買ってあげる。その代わりお姉ちゃんには内緒よ。』
とニコリ・・・。

 結果的にはお求めになっていったのですが何故か私も幸せな気持ちになりました。現代ではグレードだとか安い高いなどという事が前提に有るようなビジネスになっていますが、ダイヤモンドの本分がそこにはあり、その上でビジネスが組立てられてきたのです。

 しかし、現在は逆になっており、本来に価値を前提にしないビジネススタイルが業界そのものを苦しめているのだと思います。勿論、反論のある方達も沢山いるのでしょうけれど、ダイヤモンドの本分という事に置いては美しさという価値が前提に有る事には異論はないと思います。

2013年5月25日土曜日

ヴァージン・ダイヤモンド!?

 先日、久しぶりにIJK(神戸国際宝飾展)を訪ねました。場所柄かやはり真珠屋さんが多く出展しており、ある種の特殊性というかローカル色を感じました。

 その中でも異彩というか以前とは違うなあと感じたのがリサイクル業者さん達の出展でした。昨今どちらの宝飾展にも多く出展をしておりますが、規模から考えると随分多く出展をしているなあという印象でした。

 その中でも日本で有数の買取業者のブースには沢山のインド人業者やダイヤモンド業者が検品の為に列をなして整理券をもらっておりました。印象的にはやはり国内でのリサイクルダイヤモンドが随分とシェアを占めているんだなあ・・といった印象でした。

 最近ではすっかりと海外の取引所では日本のバイヤーを見かけることはなくなり、中国人バイヤーが多いといった感は否めませんでしたが、国内でのリサイクルダイヤモンドがその裏付けをしてくれる感じがします。

 多くのインド人はインドや他の国でりカットをしては再輸入をしたり、他国へ販売をしたりしており、日本の業者は国内で再販をかけたりとしており、さらには御徒町界隈での『市』と呼ばれる会での売り買いをしており、それが国内での流通に回ったりしている訳です。

 昨今の地金の値上がりや不景気で買取屋さんが多く街角でのぼりを立てていますが、これらから買い取られたダイヤモンド逆流をしている訳ですが、ダイヤモンドが再版され利用をする事が出来るという証明みたいなものです。これできちっとした買取基準が出来れば(実際にはプロが買取をしている訳ではないので難しい)、もっと利用価値が高くなり、資産性も注視されるのではないかと思っています。

 さてと、そこでそのような再販ダイヤモンドは嫌だなと思う方達も実際にはいらっしゃると思うのですが、多くは御徒町などの流通を通して小売店頭に並びますのでそれを見分けることはほぼ不可能な訳です。

 私自身は原石を研磨し、取引所で直接買付をする事に有る部分でこだわっており、販売する物に関してはストレートに消費者に届くように尽力しております。それは国内での再販ダイヤモンドの方がその分価格的には安いかもしれませんが、市場にまだ出ていないもの、そして他者と比べる事のないダイヤモンドを届けたいと思っているからです。

 買付けた物に関しては比べる対象がないのでグレードを付けることはあまりありませんが、ご希望の方には対処しておりますが、理解をされた多くの方達はグレーディングレポートは希望をしません。グレードはあくまでも比べる対象がある場合にだけ必要であることは明晰な方達にはすぐ理解できるからです。

 このように取引所から(周りの買付事務所ではなく)直接買付をしている小売店や販売方法は稀事ですが、長年の取引所生活の中で出来た人間関係で少量(小売店レベル)の取引を許してくれているユダヤ人仲間のは感謝をしています。

 私はこれら原石から研磨をされ直接市場に出るダイヤモンドをあえて『ヴァージン・ダイヤモンド』と呼んでいます。勿論、国内の流通も通っていないことも前提としています。一般的には国内流通を通しているものでも良いと思いますが、前述のように再販の物も含まれる可能性がありますからあえて自分で前提を作っております。

 ただ誤解があってはいけませんが再販ダイヤモンドを否定している訳ではありません。再販が出来ることがダイヤモンドの強みであり、オークションのほとんどは再販です。

 ただ、孤高の一品として持ちたいと思われる方には『ヴァージン・ダイヤモンド』である事にこだわりのある方達もいらっしゃるので、その方達の一助になりたいと考えますし、誰もが出来ることではないので、その職に携わっていた私が天職と考え、続けたいと思っている訳です。

2013年5月24日金曜日

株とダイヤモンド!?

 昨日は1100円を超える株の暴落で一時はブラックチューズデイ果という騒ぎでした。しかしNYのダウもそれほどの影響もなく終わり、多くの投資家達は胸をなでおろしている事でしょう。

 以前にも書きましたが現在の株は情報戦+ソフト+衝動です。勿論、以前から情報戦であった事は間違いがありませんが、そのポジションによってのアンフェアが起きないようにインサイダー取引等々の法律も整備され公平さが出てきようにも見えますが、そうではありません。

 豊富な資金だけではなくIT技術の駆使ソフトの開発等々本来の株の取引とは関係のない分野が相場のある部分をコントロールしています。

 その事は決して良い事ではありません。健康的な市場原理とは言えないからです。強いて言うならラスベガスのマシンカジノはコンピューターによって制御されており、たまたまその機械の前にいた人が幸運を手に入れるといった構造ですがまさにその構造です。

 本来の株式市場というものはそういうものではない事は皆が知っている訳ですが、今後はソフトの開発力がある人が株式市場でも活躍することになるのでしょう。

 現在のダイヤモンド市場は以前の株式市場に似ています。情報量を持っている人が利益を得ることになるのです。今どこにどういった物があるのかを知っていて、それを手に入れるコネクションがあるかどうかに寄ります。決してソフトの開発によってコントロールされることはありません。

 今月に入って国内でも数億円のダイヤモンドが2個ほど売れています。しかしこれはとある百貨店を通しての販売ですが当然、国際市場で買うより高くついています。それは販売店の利益が入っているので当然のことです。しかし最終的に購入した消費者はもっと安く手に入れることは当然出来るのですが、その販売店がなければその情報も確認することも出来なかった訳ですから止むをえません。

 いつも言う事ですが金持ちよりダイヤモンドの方が明らかに少ないのです。もう一つ基本的な事ですが世界の金融でダイヤモンドが最初に担保になったものである事も覚えておいた方がよいでしょう。

2013年5月21日火曜日

ダイヤモンドの4Cとグレード!?

 『ダイヤモンドの価格は4Cで決まります』という言葉をよく聞きます。
確かにダイヤモンドの価値はカラット、カット、クラリティー、カラーといった内容で判断されますが。ここで勘違いも多く生まれます。

 確かに4つの仕分けで価値を決めますが価格はあくまでも市場が決めます。ここでの勘違いが価格を比べたり、値引きの引き金になったりといった買い方、売り方になるのだと思います。

 つまり、グレードというものは価値が決まった後に何故そのか価値になったのかを仕分けするものです。ましてや価格を決める物ではありません。なぜなら、そのグレード結果は鑑定機関三者三様なところもあり、時期によっても変わってくるからです。

 このような内容は再三再四述べていますが、未だに理解をしてくれない方達が業界には多くいます。価格は売り方や業態によって、または地域によって変わってきます。同環境の同条件が揃って初めてグレードというのは意味を成します。

 もっと言うなら同一性の近い物のないファンシーカットとかファンシ―カラーに関してはグレードで比べる対象がない訳で(一寸極論ですが)グレードで価格をうんぬんすることはあまり意味がない事です。

 日本の鑑定機関ではファンシーシェイプのグレード評価をすることはあまりありません。グレードを超え高らかに言う割には不都合なことは避けて通るという日本独特のご都合主義が余計にグレードに関する誤解を大きくするのでしょう。

 4Cイコールグレード評価ではない事をもっときっちりと説明をしなければ、今のダイヤモンドビジネスの部分ではビジネスそのものが難しくなっていく事でしょう。

 もうダイヤモンドは一つのジャンルで括る事が出来ない時代に入ったのだと思います。ジュエリーの材料としてのダイヤモンドと資産としてのダイヤモンドは明らかにビジネスの基準を変えています。

2013年5月20日月曜日

ときめき!?

 昨日、今話題のシルク・ド・ソレイユの『マイケル・ジャクソンワールドツアー』を横浜アリーナへ見に行ってきました。

 パフォーマンスも素晴らしく本当のM・Jのワールドツアーに参加をしていたミュージシャンの演奏も素晴らしかったと思います。

 ただ何か物足りなさを感じたのですね・・。

 それは多分ラスベガスや国内でもシルク・ド・ソレイユのショーを今までも何回か見てきてそのパフォーマンスが頭の中に有ったせいか、音楽中心であった今回のショーは別にシルク・ド・ソレイユじゃなくても良かったのではと思ったのです。

 シルク・ド・ソレイユと言えば超人的な体を使ったパフォーマンスが売りものですから、それを期待していた分だけ・・・という感じです。

 確かにパフォーマンスも素晴らしく一流のショーだとは思ったのですが『トキメキ』がなかったのです。

 先週の展示会での事、ある若い女性がジ―ッとダイヤモンドのルースの入ったケースを眺めていて言った一言を思い出します。
『ダイヤモンドを見ているとトキメキますね。』

 その時に話した内容は
『数々の色石を見てきて綺麗な色石は沢山あるし、その事は綺麗だとも思うし、良いなあとも思います。でもダイヤモンドにはその先のキラメキに対するトキメキが有るんですよね。』
 ということでした。

 その言葉が観賞しながら頭に浮かんできました。つまり、魅力というものはトキメキがあって初めて感じるもので、その事により無になれる。そのことこそが感動であり、スピリチュアルなのであろうと思い、さらにストレスの解消にもなるのであろうと思う次第です。

 ダイアモンドを見ていてストレスの発散になるという方も今まで何人も出会いました。それがダイヤモンドが本来、価値を持った原点なのかもしれません。

 『人の心の琴線』という言葉があります。琴線は環境やDNAによって育まれていくものですがその環境やDNAにプリントされる材料としてダイヤモンドのようなキラメキがあったのかもしれません。

 勿論、マイケル・ジャクソンをメインにいった方達には十分に堪能できたショーであった事は間違いありません。

2013年5月18日土曜日

株高とダイヤモンド!?

 アベノミクスの影響もあり、株高、円高が続いていることを懸念をしている向きもおおいにあると考えますが、私もその一人です。

 つまり、現代の株式市場というのは既にラスベガス状態にあると思っているのです。なぜなら金融市場は既に実体経済の枠組みをはるかに超えていると考えているからです。

 難しい話は別にして、本来経済というのは等価交換による物々交換が原則でのその交換の便宜上貨幣が存在をしているという原則があります。つまり、実態以上の金融が存在している事はそれ自体が異常な事な訳です。

 勿論、付加価値を前提とした投資や保険といった、あえて言うと余剰実体経済が存在するのが現代の経済です。

 100の価値に対して100の別の価値があり、その介在としての100の貨幣があるのが基本で、それは漁師が農民と其々の産物を交換し、それがその場で不釣り合いの場合その差額を貨幣で埋めるという原始的経済の始まりだと心得ています。その貨幣用立ての部分が金融な訳です。

 現在は実態以上の金融がそこにはあり、そこの中心にデリバティブが行われ実際には存在しない価値に対して貨幣が動いている訳で、その失敗がリーマンショックだった訳で、ふくらました外見に保険をかけたり、投資をしたりしていた訳です。

 現在の株式投資に関しては本来の投資ではなく、造られた価値に対しての投資であり、それはギャンブルそのものな訳です。現実に米国では1000分の1秒単位で株の売り買いをするソフトが多くのデイトレーダーの間で使われていると言います。

 つまり投資対象の会社が育つのを待っている訳ではなく、何時でも売り買いされるので設備投資などはなかなかその資本で行う事が出来ません。

 価値が100億だった物が50億になったと思ったら今度は150億になる訳ですから危なっかしくてという感があります。昔から株は千に三つと言って確率的にはほぼ儲ける事が出来ません。出来るとしたら資金豊富な人が永く一つの投資対象に対して保ち続ける以外はありません。それでも難しいかもしれません。勿論、運についている人間が売り逃げをして儲ける事もあるでしょうが、前述のようにあらゆる手段を講じての事ですから一般の投資家はまず無理です。

 そこでです。実体の伴って間違いのない投資対象はという事になるとある条件下のダイヤモンドという事になります。昨今のオークションでは高値連続です。物があり、相場が経ち、自分でコントロールでき、何より供給が需要を超える事はありません。なんせとてつもなく限りある資源で金持ちよりある条件下のダイヤモンドは少ないのですから。

 皆さん真剣に考えてみませんか?

2013年5月9日木曜日

ダイヤモンドへの投資!?

 昨夜、久しぶりに取引所仲間の友人と食事をしましたが、その際に最近オークションへの大きなダイアモンドの出品が増えてきた事が話題になりました。

 ここのところサザビーやクリスティーにおけるファンシ―カラーダイヤモンドや大きめな石の落札価格が上昇をしているのは確かであり、以前はこれほどの出品数があっただろうか、という事は確かに気になります。

 最近の出品内容を見ても大粒の出品は100~200点に及びます。ここ数年3ct~5ctのところの最上級品に関しては2~3倍の価格上昇(ドルベース)をしておりましたが、10ctアップに関してはあまり動きがありませんでした。それは市場に数も少なく売りに出すものも少なかったので相場が立たなかったという事でもあります。

 しかし、昨今のオークションへの出品数は、今までダイヤモンドに逃げていたお金が他に動くべく、ダイヤモンドの放出が始まったのだろうかとさえ勘繰りたくなるような多さです。しかし、その割には価格の上昇を招いているのでこれもまた理解に苦しみます。

 『今後はこんなに出てくるとダイヤモンドの価格はどうなるんですかねェ。』

 投資を前提として考えるのであれば、答えはイエスであろうという事から話が展開をし、

『以前と違うのはシンジケート等のコントロールの影響が小さくなり、市場の原理がはたらいている。現在では等しての市場がもっと注目を集めるようになるかもしれないね』
と答えると

 『これだけどんどん出てきてもやはりそう考えるべきですかね?』
と質問

『大きな物が目に触れるようになってきてはいるけれど、埋蔵量が枯渇に向かっている事は事実だからね』

 以前とは違う市場が出来つつある事は感じるところでありますがそれがどのような形になるのかはここ一、二年の事だろうと思います。それはもっと一般の人々にオークションや投資の実態が伝わるようになると後は業界の人々がその事に対応が出来るかどうかだと考えます。

 つまり、ジュエリーとしてのダイヤモンドと投資用のダイヤモンドとは明らかに扱いが変わるであろうし、普通の業者が投資用に対応する事はほとんど不可能ですが、それらとの価格差で不都合が出てくることも事実です。そのうえでの商売は極めて難しくなるでしょう。

 現実に私の先輩で我が国のダイヤモンド業界での先駆者である人が投資用にダイヤモンドを専門に始まられた事も、シンジケートの価格コントロールがほぼ壊滅し、GIAのグレーディング能力が進歩したことが大きな要因であると言っておられました。

 飲みながらのダイヤモンド談義はアッというまで久しぶりにダイヤモンドを堪能したような気がしました。まだまだ夢はあります。    ダイヤモンドには・・・・。

2013年5月8日水曜日

ダイヤモンドのそもそも!?

 ダイヤモンドの価値の考え方については今までも色々と述べて来ましたが、販売員の多くがダイヤモンドを進める時に4Cのグレードを使って説明をする事が多くあります。しかし、単純に4Cを理解したとしても、何故に小さくて実用性のない物が何十万も何百万もの価格になるのかという事についての説明はほとんどされる事がありません。

 実は昨日お客様に指摘をされた
『4Cのグレードの説明を何処でも受けてきて、価格に違いについては理解をしたのですが
 だけど、何故にこんなに高いのかという事には理解のできる説明が無かったんですよ』
ということでありました。

 『なるほど、それでは一緒に考えながらご説明しましょう』

とダイヤモンドの採掘状況や流通量、宝石の条件を含めて色々と一問一答の形で話をしました。

 『なるほどそれなら価格が高い事も理解できますね。ただ、何故に価値があるのですか?
 何の利用方法もないのに・・。』

とまともな疑問をぶつけられ、一寸当惑しましたが

『価値というのは各々にとっての価値あるものと、広く一般的に価値のある物がありますが、
 前者は多くの場合価格に置き換えられないものもありますが、後者は換金が前提と
 なっている物という事になると思います。』

『ダイヤモンドはどちらになるのですか?』

『そこがダイヤモンドの理解しにくい部分でもあると思いますが、結論から言うと後者です。しかし
婚約指輪や遺品のように前者の要件も満たす場合があるのです。ゆえに誤解がされやすいのだと思います』

『つまり、換金性がある事が前提になっているので小さくて実用性がないようでも単価は高いのです。但し、価格の違いを述べている訳ではありませんが最低限タダではない再利用が何度でも出来る材料であるという事です。その上で大きなサイズになればより希少性が故の換金性が増します。』

 『なるほど、綺麗でより多くの人が好む物の割には採れる量が少なくてという事で元々が値の高い材料だという事ですね。さらに希少性が高くなればより価値が増し、結果何らかの資産にもなるという事ですね。』

『そうですね。市場原理の申し子のような存在がダイヤモンドなんです。つまり誰もが興味をもたねければ何の価値も価格も上がってきませんが市場が価格をつける以上はその価値があるという事になるんですね。』

 『なるほど。』

『ただ、何故人々がダイヤモンドにそれほどの魅力を感じるのかは、人それぞれだと思います。
 単純に綺麗だから、人に自慢がしたいから、資産の運用に使いたいから、そして自己満足をしたいから・・と過去にも色々いましたが、一番は光の魅力と言っていた人が一番多かったと思います。』

 ダイヤモンドはそもそも何故価値があるのかという事を説明するつもりではなく、何故価値を見出されたのかをお話しするつもりだったのですが、『イセエビはなぜ高いのか?』といったような説明になり、ふと振り返るとそもそも論とは美味しいから綺麗だからといった単純な感覚の世界に市場原理が働くだけなのでしょう。

2013年5月4日土曜日

ユダヤ人のダイヤモンド歴その2!?

 前回はユダヤ人が何故ダイヤモンドに関わったかという事ですが、今回はもっと近代で皆さんが知っているシンジケートを中心に話を進めます。

 18世紀に入り、ポルトガルも財政も底をつく頃になると王族たちはロスチャイルド家などのユダヤ人高利貸しより資金を借り入れする事が多くなり、ユダヤ人高利貸したちはダイヤモンド担保に取り始めます。それが近代のダイヤモンド資産化の始まりではないかと思っています。

 19世紀に入り、ブラジルのダイヤモンドが底をつき始めると、南アフリカでダイヤモンドが発見されます。もともと大英帝国領であった南アフリカにはイギリスから渡った二人のイギリス人バニーバナートとセシルローズなる人物が歴史に現れて来ます。ダイヤモンドを生業にする人間であれば勿論知っている名前だと思いますので詳しくは其々で・・・。

 この二人の争いに幕引きをしたのがロスチャイルド家でした。ロスチャイルドはユダヤ人のバナートではなく、ローズの方につき資金援助をします。これが決定的になって1881年に設立されたデビアス鉱山会社が世に出て来ます。当時のローズは南アフリカ評議会の議員でもあり、英国王室に近い立場にあったと思われます。その為にロスチャイルドは割り切っての決断だと思われます。

 その後運営がおもわしくなくなってきた時にアーネスト・オッペンハイマーなる人物が現れます。金鉱山の中心にアングロアメリカン社を立ち上げたアーネストは1927年ローズ亡きデビアス社を傘下に収めます。そこからは皆さんがご存じのシンジケートの妄想が始まります。

 しかし、ユダヤ人であったアーネスト・オッペンハイマーは改宗しキリスト教徒になっており、実際に皆が思っているシンジケートはユダヤ資本ではなくキリスト教系だといえます。その後はシンジケートの支配が永い間続きますが、この間にも多くのユダヤ人はシンジケートに反目しながらでもダイヤモンドビジネスを続けていきます。

 シンジケートのサイトホルダーの多くはやはりユダヤ人であったし、そのユダヤ人達もいつもシンジケートに属さない原石を模索しておりました。1990年頃になると状況は変わり。シンジケートの時代は終わりを告げることになります。

 状況、システムは変わってもユダヤ人がダイヤモンドのビジネスの中心にいた事は事実で、恵まれない環境の中から扱わざるを得なくなって現代に至るのですが・・・お解りいただけたでしょうか?

 勿論歴史的背景から私自身が想像したことや見聞きしたことを中心に書きましたが、細かくはしょっていますので大体こんなところと理解をしてください。もっと、詳しくとなると歴史学者に任せなければ難しいかなとも思いますので、取り合えずは経験の中から知ったことだけです。

2013年5月1日水曜日

ユダヤ人のダイヤモンド歴!?

 ダイヤモンドを永く取扱い、イスラエルに三十数年通っていると、必ず聞かれるのがダイヤモンドは何故ユダヤ人なのか?・・・という事であります。

 以前にもこの話のきっかけとなったユダヤ人友人の父親からの話をかるく描きましたが、5月に入りGW中という事もあり、時間に余裕のある時に簡単に述べてみたいと思いますが、細かい事を書くと長くなるのでそこそこにしますけど。

 ユダヤ人は皆さんもご存じのとおり2000年前ほどにディアスボラ(離散)という事で国を失い世界中に離散をしていったという大雑把な事はご存じだと思います。それはキリスト教徒からの迫害という形で記憶をしている事が多いのかなと思います。

 しかし、現実にはキリスト誕生以前からその特殊性の上ゆえにユダヤ教徒達は迫害を受けていた歴史もあります。しかし、その特殊性ゆえに、それを利用にしていた権力者たちもおり、カエサルを始め、アウグストゥウス、アレキサンダー大王などもユダヤ教徒達の特性を利用する為に重用しておりました。それゆえディアスボラの前から世界各地にユダヤ人達は根ざしていたといえます。

 勿論その特殊性ゆえに嫌われ、迫害も受けていたのは歴史で繰り返し、それゆえに後のナチスの迫害、人種浄化の理由にもなったのでしょう。

 さてと近年に近づいてですが、世界中に広がっていたユダヤコミュニティーはシルクロードに沿った国々に勿論のこと存在をしており、インドと西欧との貿易にも多く関与をしていたのです。それゆえにインドで紀元前から発見をされていたダイヤモンドにも関わっていた事は想像がつきます。

 しかし、ヴェネチアの商人達が活躍する十二世紀頃になるとキリスト教徒の十字軍などによりユダヤ商人たちは東西貿易からどんどん排除され、迫害を受け始めます。その後当り前の職業につけないユダヤ人達は高利貸しなどの卑しいといわれる職業に就かざるを得なくなっていきます。ここに一つのポイントがあります。

 その後大航海時代(十五世紀頃)の幕開けと共にポルトガルの改宗をしていたユダヤ人達がブラジルに多く渡っていきます。

 その頃はヨーロッパ各地で迫害を受けていたユダヤ人達は比較的差別もなく、当時の商業の中心になっていたアントワープやアムステルダムを目指します。その後インドのダイヤモンドが枯渇する頃になると当時のポルトガル領であったブラジルで大量のダイヤモンドが発見されます。

 当時、ギルドに参加を出来なかったユダヤ人達はそれに所属をしないダイヤモンドの研磨職人という職業に従事する者が多くおりました。十七世紀のこの頃に現代のダイヤモンドの研磨に近い物が存在を始めます。勿論その前から簡単な研磨技術は開発されておりましたが・・・。

 ブラジルで発見されたダイヤモンドは改宗ユダヤ人達により、本来の同胞であるアムステルダムのユダヤ人達にどんどん送り出されるようになると、それまで中心であったアントワープを抜いてアムステルダムがダイヤモンドの研磨の中心となり、ギルドの規制のかからないユダヤ人達の力が増していくようになります。ここがもう一つのポイントです。

 長くなるのでこの続きは次回・・・。近代のダイヤモンドビジネスの目覚めです。

2013年4月26日金曜日

気持ちよい!?

 昨夜知人のジャズピアニストが横浜のライブハウスで今年のグラミー賞のトロンバーン奏者と共演をするので・・という事で行ってきました。

 久々のライブでしたが横浜馬車道の一角にある小さなライブハウスは非常に心地よく音楽を聞かせてくれるところでした。

 閉店後、すぐに横浜へ向かい約30分後にライブハウスへ到着。道すがら初めての行くライブハウスであったので周りを見ながらの散策は非常に心地よく、ちょっと異国観のある馬車道は昼間見る光景とはちょっと異なり、迷う事すら心地よく感じました。

 到着後、軽い食事をとり演奏が始まるとラテン・ジャズを中心とした構成はとても心地よく、大きな音の中で軽い眠気さえ誘われました。

 ダイヤモンドを見ているうちにダイヤモンドの中につい誘われて気分的にさまよう事がある方が時々いらっしゃいますがまさにその気持ちです。一瞬その世界に染まり身を置く事の心地よさは何物にも代えがたい幸福感です。

 特に、ピアニストの彼女は昨年出産をし、ほぼ一年育児に追われる毎日で音楽的に枯渇状態になった時に愛娘の寝顔を見て、突発的に書いたというオリジナル曲は素晴らしかったですね。

 昼寝顔という事で仮のタイトルは『シェスタ』ということでしたが、まさにスペイン語で『昼寝』。私もその音色につい誘われて上下の瞼がコラボレーションしそうになり、気持ちの良い空間に誘われていきました。

 二時間半程のライブが終わり、外に出た時には日付の変わる手前という事もあり、気持ちよく酔った中年サラリーマンや酔っぱらって意見を交わす若者達が馬車道でたむろをしており、その背景となっている昔ながらの建築様式を残したビル群はさらに異国情緒を演出していました。

 久々の気持ちの良い夜でした。

2013年4月23日火曜日

何故にダイヤモンド?

 一昨日、長年のテニス仲間と久しぶりに食事をし、中には始めて席を同じくする仲間もいました。
その仲間から急に

『以前から髙木さんと食事をしたいと思っていたけど、なかなか機会がなかったし、共通の話題もなく、髙木さんはしょっちゅう海外で仕事をしているイメージがあってお誘いしにくかったんですよね。特にダイヤモンドの仕事をなさっていると聞いて、より自分とは縁がないと思っていたんですよ。だからいつか機会があったら何故にダイヤモンドは価値があるのかを聞いてみたかったんですよね』

と唐突に。
 普段ロッカールームなどで軽口をたたいている仲間がそんな風に私も見ていたなんて一寸驚きました。

 『何故にダイヤモンドに価値があるか?はっきり言うと私にもよく解らないですね』
『エッツ!?』

 つまり、美しいだけでは他にも幾らでもあるし、美しいけど他の価値があるものである事が前提なのでしょうから。その価値というのもある条件の元、人間の役に立つ物という事が条件になるでしょう。砂漠で喉が渇いた時に役に立つのはお金ではなくお水でしょうから。

 ある種の条件に対しての汎用性が高いという事が価値の高さを表わすのでしょうから、絵画が何故価値があるのかと言われたら、色々な条件が付加をされ人々が価値を認めるのでしょう。

 ダイヤモンドにどういう条件が付加されて価値が高くなったのかを説明することは出来るのですがそれが何故ダイヤモンドだったのかを説明しろと言われると解らないと答えるしかないのです。

 最初にダイヤモンドを商売にしようとした人は何故にそう考えてのかが解らなければ説明が出来ないのです。その事の説明が出来るとすればダイヤモンドのビジネスに携わっている人間でなくとも出来るのだと思います。

 発見当初のダイヤモンドは必ずしも美しいものではなく、どちらかというと硬さが優先されたものです。そこで研磨技術が開発をされ、初めて美しさが認められたのです。故に何故ダイヤモンドに価値を見出したのかと聞かれると『解らない』と答えるようになるのです。

 勿論、現在何故価値があるのかを説明をする事は難しい事ではありません。人間によって価値を裏付けられるようになってからの事であればという事ですが・・・・。

 ただひとつ言える事は人間にとって本能的に綺麗だと思わせるだけの魅力が原石状態でもダイヤモンドにはあったという事であろうと思います。

 現代においては換金性や投機性が裏付けられており、はっきりとした価値があるのですがその起源を考えると小さな女の子が河原で綺麗な石を探して大事な宝物にするようなことなのでしょう。

 何事もそうでしょうけど一部の人間が発見をした価値を多くに人間が共有し始めて公の価値になっていくのでしょうからダイヤモンドの価値に関しても同じような事が言えるのであって皆が綺麗だと思っている事が一番の価値なのでしょう。

2013年4月22日月曜日

大きなピンクダイヤモンド!?

 先日のサザビーNYのオークションで久しぶりというか、相変わらずというか、目を見張るダイヤモンドが落札されました。

 Princieダイヤモンドと言ってゴルコンダ産のピンクダイヤモンドですが、重量が35.65ctsで落札価格が3932万ドル(日本円39億32100万)という途方もない金額でこの種のオークションは未だに健在というか高騰を続けております。

 金の価格が急落し、お金の移動が始まった感もありますが、ダイヤモンド市場は未だに人気があるといえるのでしょうか。

 ダイヤモンドの市場でも今回の日本の内閣が進める経済政策には興味を示しており、今後の成り行き次第では今だ世界のダイヤモンド市場の10%を占める日本の市場の復活が期待されると評価をしています。

 現在のダイモンド市場にはファンドマネーも参入しており、価格の頭打ちは考えられない状況にあります。但し、いつも書いている様にジュエリー素材の市場に関しては経済状況の影響を受けやすいのでその限りではありません。

 今回のサザビーのオークションに関しては総額で53億円を超える出来高でしたが、その中で前述のピンクダイヤモンドの他に74.79ctsのD VVS TYPEⅡa のペアシェイプが14億円で落札をされましたが、両方でほぼ90%の売上高を占める事を考えると、以前大半の売上を占めていた絵画がなりを潜めて、ダイヤモンドがその主役の立場に入れ替わった事を感じます。

 投資市場ではダイヤモンドがより安全で効率の良い対象である事を認識しているようです。

2013年4月20日土曜日

ダイヤモンドの買付!?

昨日、俳優の柴俊夫さんのチャリティーイベントに顔を出す際に、たまたまニューヨークから帰っていた柴さんの御友人を車でピックアップしていきました。

 彼女の御主人は国連の方でお仕事をされている方で時々帰国をなさるそうです。数年前まで毎年のように仕事で訪れていたNYの話などで車中盛り上がり、NYのダイヤモンド街に時々足を運ぶというお話しをしていて

『沢山の黒い服を着たジュイッシュ方達が歩いていますよね』

と言う話の広がりからダイヤモンド買付の話題にもなりました。

 もう、三十数年ダイヤモンドビジネスに携わり、いつも不思議なことは完璧と思った買付になる事は100%あり得ないという事です。

 私自身の買付は裸眼でチェックをして、照りの強い物を再度ルーペで品質をチェックをするという順序で作業を進めますが、毎度チェックをしたダイヤモンドと価格のバランスやその時の市場価格とのバランス等々買付の決め手を見つけるまでの時間との闘いです。

 妥協をしなければ買付は出来ないし、妥協をしていれば自分の思う良い物を提供できないと考える事の兼ね合いが何時も難しいのです。勿論、無理してまで妥協をする事は期待をしている消費者に対する裏切りにもなるし、そのしっぺ返しは必ずくることも経験の中から身についています。

 勿論、価格を気にしないで完璧なものを買う事は簡単なことではない買付の中でも、そう難しい事ではありません。しかし、消費者にとっての購入意欲をそそる条件というのは様々ですから、品質なのか大きさなのか価格なのかがはっきりとしていない要素の中で最大公約数を見つけることはそう簡単なことではありません。

 多くのバイヤーは大手のメーカーの注文の物を買付するという作業ですが、私の場合は直接のマーケットですから自分のアイディアの中で買付する物を決めていかなければなりません。その上で新たに提案する物を探していく訳です。

 大きな流れを説明するとこういう事ですが、実際には一つ一つグレードのついていないものを自分の目でチェックをしていくという作業は色や内胞物のチェックだけではなくカットのバランスやジュエリーに製作された時の状況を想像しながらの作業は好きでなければ出来ないだろうなとも感じます。

 結論から言うと人間と同じようにダイヤモンドには一つ一つ個性があります。人間に似合う衣類やヘアスタイルがあるようにダイヤモンドにも似合うジュエリーのデザインや留め方があります。それを瞬間的にイメージをする事が買付の一番のだいご味であり、楽しみなのです。

 但し、女性客の多くはダイヤモンドの素材そのものに関心を寄せる事が多く、今まで裸石のままで提案される機会が少なかっただけで、女性の方がダイヤモンドの買付には向いているのだろうと私自身は思っています。

2013年4月16日火曜日

ダイヤモンド・カットの変遷!?

 最近、欧米諸国ではクッション・カットがはやり始めています。この大きな要因としては過去数年原石の値上がり等もあり、プリンセス・カットと同じような原石から若干の歩留まりの悪さがありながらも実質的に高値で取引されるという理由もあります。

 クッション・カットについては昨今に開発されたものではありませんが、しばらくの間あまり取扱いが増えてはおりませんでしたので日本のマーケットでは稀な存在と言えるでしょう。

 原石からどの様な形にカットをされるかは原石次第という事になりますが、一般的な八面体のものであればラウンドにカットされるより歩留まりも良いという事で、スクエアでありながら、エメラルドカットやステップに比べて面も多く、キラメキの多いプリンセス・カットに研磨される事が多くありました。日本でも一時は大変な人気もあり重宝されていたものです。

 しかし、マーケットが成熟してくるとラウンドに比べて効率の良い事を知っているマーケットはプリンセス・カットにそれほどの価値を見出してはくれなくなりました。そこで歩留まりがあまり変わらずカット面も多いクッション・カットの登場となってきた訳です。

 まだまだ日本ではそこまでの需要はありませんが欧米諸国の雑誌を見ると随所に目にする事が出来ます。もし、このまま景気が上昇を続ける事があるのであれば明らかなダイヤモンドの新しい戦力にはなってくると思います。

 プリンセス・カットは登場してまで40年前後だったと思いますが、私の友人が開発に携わっていたという事もあり、格別の思い入れがあり、TVショッピングでも積極的に採用をした思い出があります。その友人も数年前に他界し、色々な思い出が走馬灯のように駆け巡る半面ダイヤモンドのカットの変遷を感じます。現れては去りといった事を繰り返しているカットの中ではやはりラウンド、ハート、マーキース、ペアシェイプ、オーバルなどのメインになる形にはやはり魅力があります。

 原石の状況と人間の経済性を組合わせた形の決定は常にダイヤモンドの原石に軍配が上がります。人間の欲による状況でダイヤモンドは自由にはなりません。原石の形による、その後のあり方はまさに人生そのものを感じます。

 亡くなった友人モティ・イスラエルに思いを馳せながら今度はどんなカットが開発をされるのだろうと楽しみにしておりますが多くの場合、前述をした形に収まっていく事は想像がつくのです。

 まだまだ、多くの人がダイヤモンドのカットを見ていない事は数年の小売活動で知る事が出来ました。少しでも多くの人たちに多くの形をお見せできるように努力していきたいものです。

2013年4月15日月曜日

ダイヤモンドの評価基準!?

 この世にある物や想定されている物は全て人間が考え出している評価によって規定されています。良い、悪い、高い、低い、醜い、美しい等々の形容的な表現の対象になっているのもは全て評価基準になっています。しかし、それらには個人差があり、国や地域、時代や人種、宗教によってもその差が出て来ます。

 価値という物は個別差が少ないものほど高くなっていることに気づいているでしょうか?
時々、例に出す事の多いミスインターナショナルですが、一番多くの人が総合的に美しいと思った人がグランプリに輝きますが全ての人が同調している訳ではありません。しかし、同調しなかったそれらの人であってもグランプリに輝いた人を美しいと思っている事には間違いがりません。

 ダイヤモンドの価値に関して同じことが言えます。ほとんどの人の美しいという評価があり、その価値を確定させています。但し、そこに向き合う機会を持つ人と持たない人の違いがある事は明白です。

 我々ダイヤモンドビジネスに携わる者の役割はその機会を創造することであると思っています。ところが現代の宝飾業界ではダイヤモンドの価値を評価すべき機会というより、さらに幻想的な表現をする機会を多くしています。

 具体的に言うとダイヤモンドそのものというよりはデザイン的な補助のものとしてだったり、ダイヤモンドそのもののバリューを利用して大きく見せる工夫をしたりと、ダイヤモンドそのものの美しさを裸にして見せるといった事ではなく名前だけを利用してダイヤモンドの完全ではない部分を隠してそれ以外を強調する様な事が多くあります。

 ダイヤモンドの美しさは宝飾品の素材や飾り物としてのものだけではなく、精神的なサポートさえしてくれるような部分もあり、その事自体は非常に大きな価値だと思っています。

 ダイヤモンドにおいての評価というものは人間がする訳ですが、その基準というのは多くの人が共通して持っているものですから少しでも多くの人に見てもらう事により、、さらに価値が高まるのだと思っています。もっと多くの人にダイヤモンド自体を見てほしい、その為にデザインされたジュエリーの中にあるダイヤモンドだけではなく、裸のダイヤモンドを見て欲しい・・・。

 そんな事を考えています。