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2013年5月1日水曜日

ユダヤ人のダイヤモンド歴!?

 ダイヤモンドを永く取扱い、イスラエルに三十数年通っていると、必ず聞かれるのがダイヤモンドは何故ユダヤ人なのか?・・・という事であります。

 以前にもこの話のきっかけとなったユダヤ人友人の父親からの話をかるく描きましたが、5月に入りGW中という事もあり、時間に余裕のある時に簡単に述べてみたいと思いますが、細かい事を書くと長くなるのでそこそこにしますけど。

 ユダヤ人は皆さんもご存じのとおり2000年前ほどにディアスボラ(離散)という事で国を失い世界中に離散をしていったという大雑把な事はご存じだと思います。それはキリスト教徒からの迫害という形で記憶をしている事が多いのかなと思います。

 しかし、現実にはキリスト誕生以前からその特殊性の上ゆえにユダヤ教徒達は迫害を受けていた歴史もあります。しかし、その特殊性ゆえに、それを利用にしていた権力者たちもおり、カエサルを始め、アウグストゥウス、アレキサンダー大王などもユダヤ教徒達の特性を利用する為に重用しておりました。それゆえディアスボラの前から世界各地にユダヤ人達は根ざしていたといえます。

 勿論その特殊性ゆえに嫌われ、迫害も受けていたのは歴史で繰り返し、それゆえに後のナチスの迫害、人種浄化の理由にもなったのでしょう。

 さてと近年に近づいてですが、世界中に広がっていたユダヤコミュニティーはシルクロードに沿った国々に勿論のこと存在をしており、インドと西欧との貿易にも多く関与をしていたのです。それゆえにインドで紀元前から発見をされていたダイヤモンドにも関わっていた事は想像がつきます。

 しかし、ヴェネチアの商人達が活躍する十二世紀頃になるとキリスト教徒の十字軍などによりユダヤ商人たちは東西貿易からどんどん排除され、迫害を受け始めます。その後当り前の職業につけないユダヤ人達は高利貸しなどの卑しいといわれる職業に就かざるを得なくなっていきます。ここに一つのポイントがあります。

 その後大航海時代(十五世紀頃)の幕開けと共にポルトガルの改宗をしていたユダヤ人達がブラジルに多く渡っていきます。

 その頃はヨーロッパ各地で迫害を受けていたユダヤ人達は比較的差別もなく、当時の商業の中心になっていたアントワープやアムステルダムを目指します。その後インドのダイヤモンドが枯渇する頃になると当時のポルトガル領であったブラジルで大量のダイヤモンドが発見されます。

 当時、ギルドに参加を出来なかったユダヤ人達はそれに所属をしないダイヤモンドの研磨職人という職業に従事する者が多くおりました。十七世紀のこの頃に現代のダイヤモンドの研磨に近い物が存在を始めます。勿論その前から簡単な研磨技術は開発されておりましたが・・・。

 ブラジルで発見されたダイヤモンドは改宗ユダヤ人達により、本来の同胞であるアムステルダムのユダヤ人達にどんどん送り出されるようになると、それまで中心であったアントワープを抜いてアムステルダムがダイヤモンドの研磨の中心となり、ギルドの規制のかからないユダヤ人達の力が増していくようになります。ここがもう一つのポイントです。

 長くなるのでこの続きは次回・・・。近代のダイヤモンドビジネスの目覚めです。

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