先週のとある展示会場で母娘連れのお客さまの事です。
数か月前に初めて当方の裸石のコーナーにお越しになり、それまでにそこまでの興味を持っていなかったダイヤモンドの裸石に興味を持つようになったのは前回の展示会の事でした。同じく興味のなかったというよりあまりそのように見た事のなかったダイヤモンドの裸石に興味を持たれたのは娘さんでした。
娘さんが、前回買い求めたのは小さなファンシーイエローと小さなハートシェイプの詰め合わせで数万円のものでした。彼女に効くと毎晩それを眺めていると小さな幸せを感じる事が出来るという事で、その為にベッド用のLEDライトを購入したそうです。
それらの話を傍らで聞いていた母親の方が
『その話をしょっちゅう娘がするようになり、私も欲しくなったみたいです。』
ケースに並んでいるファンシーカラーを見ながら眼を潤ませていました。
彼女が眼に留めたのはブルーの小さなダイヤモンドでした。大きくはないのですがやはりブルーですからそれなりの価格にはなります。
『多少お高いようですがなかなか手に入らないものなので買っといたの方が良いのかしら・・。』
と彼女、
『勿論、その方が良いと思いますが、よくご覧になってよく考えてみてくださいね。それから会場内で見るのと外で見るのは相当な違いがありますよ。外で見てみますか?』
会場の外で見たそのブルーのダイヤモンドは会場内で見た多少のグリーンがかったものではなくあくまでも碧く、青色とは表現がしにくいような素晴らしい色で、私自身も驚くような存在感がそこにはあり、母親の驚き様は尋常ではありませんでした。
ダイヤモンドは眼で見て、心で感じるものです。
私自身は宗教を否定もしないし、肯定もしないつもりです。しかし、もともとは自然の眼から入った情報を心で感じ、それを解説する者が現れてきたのが宗教だとざっくり思っています。
つまり、素直な眼で見たものを感じる心を持つ事が、癒しであり、励みであり、夢を持たせてくれるのです。一寸、宗教というものは極端な方向に走る癖がありますが、ダイヤモンドを愛でることで感じる心の広がりは一番自然に近い感情だと思っています。
もともとグレードが付いていた訳ではありません。手にした人間が魅了され感動をした事により価値を得たものであります。その素直な心にこそ本来の恩恵が与えられるのだと思います。
高額な買い物である事は間違いのない事実ですが、人によってはそれにも勝る価値なのだと思います。ブルーのダイヤモンドを手にした母親はそれを見ながら眼に涙を浮かべていたのが印象的でした。
数か月前に初めて当方の裸石のコーナーにお越しになり、それまでにそこまでの興味を持っていなかったダイヤモンドの裸石に興味を持つようになったのは前回の展示会の事でした。同じく興味のなかったというよりあまりそのように見た事のなかったダイヤモンドの裸石に興味を持たれたのは娘さんでした。
娘さんが、前回買い求めたのは小さなファンシーイエローと小さなハートシェイプの詰め合わせで数万円のものでした。彼女に効くと毎晩それを眺めていると小さな幸せを感じる事が出来るという事で、その為にベッド用のLEDライトを購入したそうです。
それらの話を傍らで聞いていた母親の方が
『その話をしょっちゅう娘がするようになり、私も欲しくなったみたいです。』
ケースに並んでいるファンシーカラーを見ながら眼を潤ませていました。
彼女が眼に留めたのはブルーの小さなダイヤモンドでした。大きくはないのですがやはりブルーですからそれなりの価格にはなります。
『多少お高いようですがなかなか手に入らないものなので買っといたの方が良いのかしら・・。』
と彼女、
『勿論、その方が良いと思いますが、よくご覧になってよく考えてみてくださいね。それから会場内で見るのと外で見るのは相当な違いがありますよ。外で見てみますか?』
会場の外で見たそのブルーのダイヤモンドは会場内で見た多少のグリーンがかったものではなくあくまでも碧く、青色とは表現がしにくいような素晴らしい色で、私自身も驚くような存在感がそこにはあり、母親の驚き様は尋常ではありませんでした。
ダイヤモンドは眼で見て、心で感じるものです。
私自身は宗教を否定もしないし、肯定もしないつもりです。しかし、もともとは自然の眼から入った情報を心で感じ、それを解説する者が現れてきたのが宗教だとざっくり思っています。
つまり、素直な眼で見たものを感じる心を持つ事が、癒しであり、励みであり、夢を持たせてくれるのです。一寸、宗教というものは極端な方向に走る癖がありますが、ダイヤモンドを愛でることで感じる心の広がりは一番自然に近い感情だと思っています。
もともとグレードが付いていた訳ではありません。手にした人間が魅了され感動をした事により価値を得たものであります。その素直な心にこそ本来の恩恵が与えられるのだと思います。
高額な買い物である事は間違いのない事実ですが、人によってはそれにも勝る価値なのだと思います。ブルーのダイヤモンドを手にした母親はそれを見ながら眼に涙を浮かべていたのが印象的でした。
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