ページビューの合計

2013年10月11日金曜日

ダイヤモンドとダイアモンド!?

 ここ数年ダイヤモンドに対する消費者の考え方が変わってきた事の一因に国内外でのオークションの価格高騰がある事は否定できないと考えています。最近は事あるごとにニュースで流れるダイヤモンドの落札価格に対するコメントを求められます。

 ダイヤモンドとは和風呼び名で、私は本来ダイモンドと発音する事が正確かなぁとどうでも良いかもしれない事にこだわっています。なぜなら多分和風はトランプなどのダイヤと呼ばれたり菱形のマークをダイヤ、時刻表などのダイヤなどの日本人に発音のしやすい延長になっていると思っています。

 直接は同じような事ではありませんが、西洋と日本ではダイアモンドに対する認識の違いがあり、宝石のダイアモンドとして考えるのか、宝飾品等の素材ダイヤモンドとして考えるのかという違いがあります。

 本来は宝石のダイアモンドがあり、それを宝飾品の素材に使ったダイヤモンドがあると考えた方が良いのかもしれません。つまり、デザインや意味を主とした宝飾品のダイヤモンドの使い方と宝石であるダイアモンドを着用する為に出来た宝飾品とは基本的に違う事を認識するという事です。

 小さくても品質の最良なものをと考えるのは宝石の身に付け方としては一寸違っています。なぜなら以前にも書きましたが宝石の条件の中には品質という事は謳われておりません。美観を損なわない程度の品質で良いのです。

 勿論日本人独特の考え方の潔癖性からくる考え方として婚約指輪等に条件として考慮する事は否定しません。それは宝石としてではなく、メモリーとしてのものだからです。

 希少性という考え方は美観の次に来る条件でもあります。故に宝石の条件としては大量に手に入る可能性のある小粒の高品質ダイヤモンドよりは美観を損なわない品質で大粒の物が希少性の条件を整えるのです。

 冒頭にもつながるのですが、最近はテリの強い大きめのダイアモンドを求められる事が多くなってきました。また、文字によるグレードにあまり関心を持たなくなってきました。これらは日本人特有の概念が少しづつ変わってきたのかもしれません。

 本能で求めるようになるという事は人間が古代に宝石に価値を感じた原点に回帰してきたということにもなるでしょうし、造られた既成概念に今の時代ははめられる事がなくなったのかもしれません。   

 良い意味でも悪い意味でも・・・・。

0 件のコメント:

コメントを投稿