昨日、早く起きて富士山の麓にある北口本宮富士浅間神社というところを訪ねて来ました。そこは富士の樹海の中に有り、森林浴をしているような気持ち良さを感じ、しばし本宮の周りを回っていたところ太郎松と二朗松というひと際は大きな松があり、その間に本殿が建てられている感じでした。
荘厳な感じがしたその松の間を通りながら、その裏手にある富士山信仰をしている団体の初代を祭っている祠に近づくとなにかゾクッとしたものを感じ、今までの爽快感が薄れていくのを感じました。
仕切り直しのつもりで再度先程の巨大松の間に位置するとやはりエネルギーがみなぎるというか、荘厳な気持ちになりました。ふと周りを見ると沢山の松があるのにその2本の松がひと際大きな事に気づき、そこから離れるほど松が小さくなっていく事を不思議に思い、再度そこに書いている説明書きを見るとこれらの松は千年の時を過ごし、現在に至っているということでした。
自然というのは不思議なもので環境や条件の良いところのものは生命力も強く成長も早いものですが、これらの松はこの地の地場か条件が良いのか寿命と成長を遂げている訳です。それを考えるとこの場所こそがパワースポットなのかなとも考えてみました。
つまり、自然は全ての条件が均等ではないので栄える所も寂れる所もあるのですが、真に此処はその力を与えてるれるところだなぁ・・・と感じ、エネルギーをもらった訳です。
そうは言っても地球四十六億年から言えば、たかだか千年です。ほぼ地球誕生とともに存在をしてきたダイヤモンドという地球上の自然は何時か滅びる物とは違い、永遠の存在である事を考えると、やはりその存在感を再認識します。
自然の中で生き延びる物にはその強さとエネルギーを感じます。有機質、無機質の違いと言ってしまえば、そうなのですが大きな自然という事で考えればその違いは大きなものではありません。無機質であっても劣化し、滅び行くものは沢山あるのですから・・・。
スピリチュアルを感じるとともに何かちょっと方位学とか風水といったものを信じる人の気持ちが少し理解したような気がします。ちゃんとそこには証拠があり、実証が済んだ統計学が存在をしている事を。
自然は皆に平等ではない。だからこそ場所、時、物というものが大事であり、それはあくまでも自然が指し示した物である事が前提であるが、自らをそれらの近くに置く事が大事なのだなぁ・・と感じるのです。
勿論、それが全てではないけれど時を経た自然の物を見るとそれが実証されている事を感じ、無いよりマシだという程度であっても試してみる価値はあると思いませんか・・。
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