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2015年12月31日木曜日

大晦日の物語⁉

 もうどれくらい経つのだろう。開店をして間もない大晦日の事でした。その頃は通常の小売店よろしく、おおみそかも開店をしておりました。

 宝石の商売は毎月の売り上げも大事だけれど、大晦日の閉店間際に一年分の売り上げが上がる可能性もある商売だと諸先輩から聞いていたこともあり、師走の終わりのギリギリまでお店を開いていました。

 その年の12月の初めであったと思いますが、若い女性が店頭を除いており、スタッフに声を掛けられると何気に店内に入ってきました。

 『何かお探しの物でもありますか?』
スタッフの問いかけにその女性は
『ダイヤモンドの指輪を探しています。』
との事で
『どんなものをお探しですか?』
『実は私は間もなく結婚をするのですが、結婚式を上げない予定なので、その分ダイヤモンドの指輪にお金を掛けなさいと相手の方から結われているんです。』

 『どれくらいのものをお探しですか?』

『相手は年が離れているので、一緒に出かけたときに恥じをかかない程度のものにしなさいといわれています。』

『そうですか。其れでは1ctくらいでしょうか?』
とスタッフが言うと
『実はそれがどれくらいなのか私には解らないんです。其れで、店頭を除いていたんです。』

『本当はお相手の方がいらっしゃってお選びになった方が良いとは思いますが、店内を覗いてもし気に入ったものがあればそれをお相手に伝えたらいかがですか?』

このアドバイスに従い女性は店内を色々と見て歩き
『気に入ってのがあったんですが、ダイヤモンドってお高いんですね。』

『やはり、お安いものではありませんのでお相手の方のご予算にもよると思います。』

『また出直してきます。』
といって彼女は店を後にしました。

その後連絡もなく等々大晦日を迎え、午後の6時も過ぎそろその店じまいの準備にかかろうとした時です。
『まだ大丈夫でしょうか?』
その彼女が店に中をのぞきながらこちらをみていました。

 直ぐには彼女であることが解らなかったのですが、
『先日ダイヤモンドの指輪のご相談をさせて頂いた者です。』
こちらの合点がいき
『先日はどうも…。』

 やはりこちらのお店で頂きたいのですが彼にはまだどんなものが良いかいっていないという事で怪訝に思っているこちらの事を察したのか、
『彼が後30分くらいで来れるという事なんですが、お店の方は大丈夫でしょうか?』

『大丈夫ですよ』

 やがて30分を過ぎて
『夜分にすみません』
と彼女とは20才以上は離れているであろう男性がお店に入ってきました。

 『この女がこの店で気に入って物があるという事でしたので、彼女の気に入ったものを頂きたいんですが・・・。』

 彼に促されて彼女が指をさしたのは2ctsのたて爪を少し華奢にしたもののでした。私たちも何を選んだのかを知りませんでしたから多少ビックリをしましたが、一番びっくりをしたのは彼の方だったでしょう。

 『えっ、ちょっといいお値段がするね。』
という彼の声に彼女は
『アッ、それじゃなくてもいいんです。』
と慌てておりました。

私がすかさず
『ご主人になる方にお出かけになる時に恥をかかさない程度のものというかのじょのきづかいがありまして、私がそれならばとお奨めしたものです。申し訳ありません。』

 『そうですか。社長がお見立ていただいたのですか。私自身もそのような事を彼女に言っていたので、彼女もそう思ったのでしょう。でも年も離れていますから、他に一緒に出掛けて彼女に惨めな思いをさせたくないのでそう思ったんです。』

 『たぶん彼女も、そう思ったんでしょうね。お若いのにダイヤモンドというより貴方の事を前提に考えたんだと思います。でも少々私が出しゃばり過ぎたようです。』

 『いいえ、社長がご経験からそれをお勧め頂いたのでしたら。それを頂きます。』
傍らでホッとしたようなべそをかいたような様相でいた彼女の顔をまだ忘れることができません。

今では2児の母になり落ち着いた雰囲気になった彼女を時々街中で見かけることがあります。
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2015年12月27日日曜日

今年とダイヤモンド⁉

 年末も押し迫り、TVなどでも今年を振り返る番組が多いがやはりISIS問題やその関連の安保問題などが多くを占めています。しかし、これらを少し逆側からから見てみるといろいろと疑問に思うこともあるし、ダイヤモンドに与える影響も大きいと思っています。

 ISISに対する空爆が報道されていますが、これらを見ていると過去の日本の歴史を思い出します。日本が過去ISISと同じ立場で世界から見られていた時代があります。世界から追い詰められて日本は真珠湾という奇策に出てさらに追い詰められ、特攻隊という手段を取りました。

 特攻隊はテロリストと呼ばれ、その報復として空襲をされ、婦女子が多数死んでいきました。それが今は日本は空爆側のサイドに立っています。立場を逆にすると第二次世界大戦終戦間際の日本が今のシリアなのです。勿論、その要因は違いますが起きている現実は同じように見えます。

  現状、世界へ原発を売り込んでいる日本ですが、アジアに新幹線を売り込んでいる中国に対して多くの日本人が列車事故を起こし、列車ごと埋めてしまおうとする国の新幹線で大丈夫なのかと疑問を投げかける人々も多くいますが、震災に伴う原発事故を起こし、5年立とうとしていてもまだ処理もできていない国がその原発を売り込んでいるのですからこれも違う立場から見たらとんでもない話です。

 現状の世界を見ると国の形がなくなり、EUのように経済政策や政治の問題から意図的に国の形が変わったものから。ISISのように戦争の形が変わり国境が液化現象を起こし国の形をなさなくなったりと現在が未来のとって本当に良いのかどうかを考えさせられます。

 さらに原油価格が下がり、米国の原油輸出法案も通り、今後もその動きは止まりそうもありません。ここで何が起きるかというとまずは原油債の暴落による金融界の混沌です。中東諸国やロシアなどの産油国の問題も注視しなければいけません。

 ハイリスク・ハイリターンの原油債は日本の国債からも間接的に出資されていますで日本も巻き込まれる可能性もあるわけです。中東は収入が減ることにより更な混迷を続けることになるでしょうし、EUはロシアの原油が3割を占め、現状はロシアがEUに対してある程度の金融制裁に対しても強気に出ていたのですが、原油が下がり、EU諸国が米国からの原油供給を受けることになるとその影響力も落ち、さらにはプーチンの失脚にもつながりかねないことになるとさらに世界は混沌とするでしょう。

 これらの現象の中で起きてくることといえば、ダイヤモンドの価格の上昇が想像されます。

 中東の混迷がダイヤモンドの価格を上昇させることはすでに証明されています。さらにロシアに関しても現状ダイヤモンドは貴重な資源ですが原油等の収入の減少の穴埋めというわけではないがダイヤモンドに頼る部分が出てくるでしょう。しかし、現状が小さなサイズを前提としていますが、穴埋めとして大量に原石の販売をするような兆候が見られますので、その辺はしばし価格の下降が見られるでしょう。

 しかし、大きなサイズに関しては絶対量が少ないということと、絶対的動産としての世界通貨でもあるわけですから多くの混迷をしている国の支配層はこれらの収集を心がけることは容易に想像がつきます。過去の歴史がすべてを物語っています。

続きはまた・・。 http://ameblo.jp/diamonrow             

 

2015年12月24日木曜日

富の象徴、ダイヤモンド⁉

 この時期を迎えるといつも思い出すことがあります。

バブルの時代にダイヤモンドを扱いながら富という事を考えたことなどありませんでした。何故なら皆が潤い多くの人々が当然のようにダイヤモンドを買い求めていたし、自らの職に就いていた立場上ダイヤモンドが売れることは必然的なことであったし、皆が買えるものだと思っていました。

 ダイヤモンドであることは当然であり、いかに皆が持っていないような素晴らしい物を顧客の届けるかだけが課題でもあったような気がします。勿論私達だけではなくダイヤモンドを扱っていた人々の多くが潤っていたように思います。

 勿論ダイヤモンドだけではありませんが、特にダイヤモンドに関してはバイヤーの多くが海外では特別扱いをされていたように思います。私は当時アメリカから帰ってきたばかりだったのでこの業界の人はあまり知ることが無く、アメリカ時代の取引先がほとんどでしたのであご足つきで買い付け事務所に迎えられることなどなかったのでそれほどの良い思いはしてません。

 多くのバイヤーたちはそれぞれの買い付け国で空港までお迎えがあり、殆どの食事は支払う事などもなく、その国の通貨に交換する必要もなく出張を終えてていたように聞いています。

 一方、私は殆どが単独行動でしたから、何処の事務所に居つくこともなく、ほとんどのバイヤーが買い付け事務所からあまり出ないのとは対照的に、取引所内を闊歩しておりました。

 いずれにしても扱っていた人々もバブルを謳歌していたように思います。しかし、現在それらの人々の多くは国内の金融品市での買い付けをしており、あの華やかな時代の面影は殆どありません。むしろみじめでさえあります。

 同じくいえることが消費者マーケットです。多くの人々がクリスマスにはショーケースを覗き、気に入ったものがあればすぐにでもその場で手に入れていたように思います。高額品を求める人々も金に糸目をつけることなく人の持っていない物を手に入れるべくあらゆる要求を我々にしていました。

 年末の12月初めに気に入って頂いた100カラットのネックレスに対してお客様が
『せっかくだから他の人が持っていないようなものにして頂きたいわ。』
という要請に当時これを扱っていた百貨店にちなみ
『それではあと9カラットを足してトータル109カラットにしてお納めしましょう。』
と年明けの納品のつもりでお話をしたら
『あら、良いわね、今月中には間に合わせてほしいわ、元旦から海外へ行くので持っていきたいわ』
との事で、そうでなければいらないという事でした。
 このネックレスは5ctの角ダイヤモンドを中心にグラジュエーションのもので形色共に合わせており、私がロサンゼルスのマニュファクチュアから買い付けた物であり、そこに求めなければ手に入らないものでした。

 しかし、いかんせん一億円からのお代のもので諦める訳にはいかないという事で急きょ、0泊3日
でロサンゼルスに向かい、その後無事に納品をしたことを思い出します。

 今の時代多くの人々がダイヤモンドを手放し、町の買取屋さんに持ち込んでいますが、ほとんどの場合には逸品物が無く、時代を物語っているように思います。資産家たちは上質のものは手放すこともなく未だに所持をしており、よほどのことがない限り手放すことはないでしょう。

 それどころか更に手に入れようとしているようにさえ感じます。ありがたい事に私に接するお客様たちは未だにそれなりのダイヤモンドをお求めになることに躊躇はなく、お求めになっていってくださいます。

 私が取引所から買い付けをした大粒のものを中心に販売をさせて頂いておりますが、高額という事もあり通常の小売店さんの利益の半分以下での販売をしております。とくに買い付け要望の物に関しては事前い取り決めを行い、手数料だけを頂くという形です。それゆえに更なる特典が求める方達に与えられる訳です。

 バブルの時代にはそれほど感じなかったダイヤモンドの存在を改めて感じます。ダイヤモンドを手放さなければならない人、更に購入を続ける事の出来る人。
経済の状況に関係なく富める人々は何時でもダイヤモンドを買い求めることが出来るのです。そして、やはりダイヤモンドは富の象徴であり、さらなる富を呼び込む大事な象徴でもあるのです。

 ただ、今は金持ちよりもダイヤモンドの方が少ない事も忘れてはいけません。
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2015年12月22日火曜日

1グラムの塊⁉

 マイナンバーのクレジットカード化、携帯電話の値下げ要求等々、今の政府のやることは社会主義を目指しているのかと思わず疑いたくなるような政策をどんどん出してきています。

 携帯電話がお財布化してることは勿論の事あらゆる個人情報が携帯電話には内臓がされています。そんな携帯電話をもっと安くして効率化を図るとして需要を増やし、どうするのだろうか?

 安くなったとしても、ゲームやSNSさらには出会い系などというものがもっと普及するとともに、その低年齢化が進み、秩序という視点からも法制化が追い付かないという点からも現状の行政が出来ることの範囲は限界があるにもかかわらず何を目指しているのだろうか?

 当然に携帯電話の情報はマイナンバーと連動されるようになるでしょうから、個人情報の保護化などは夢の夢になるでしょう。現実に個人情報保護の法律が出来てどれくらいの情報が洩れ、其々の自宅にDMやチラシが来ることになっただろうか?さらにはメールに至ってはほとんど縁もゆかりもないところからのどんどん来るようになりました。

 『100年安心の年金制度』、『住基ネット』、その他もろもろのいい加減さやそれに対する無駄な税金下投入、これらを考えてみても明らかに行政の根拠にしている数字やデータのいい加減さはあきれるどころか、国民を不安にさえさせています。

 マイナンバーの配布に至っては11月中の全世帯配達は実質やる前から不可能な状態であったことを現場サイドは伝えていたそうです。つまり現状を殆ど踏まえずに立てている政策や方針がそこにあります。

 多くの国民は不安になるのは不満があるというより過去の経験から安心が出来ないという気持ちが大きいのでしょう。

 そんな中、特に年配の方達は将来の不安の対策として、色々な方策を練っているようですがその一つに金やダイヤモンドへの換金があります。これは将来の銀行口座閉鎖や個人情報の漏えいに対する対策として考えているからのようです。つまり、国を信用出来ないという点からの財産の保全も目的としている訳です。現実に国会議員の一部も対策に走り回っていると聞きます。

 先日、同じような理由から5ctsのダイヤモンドをお求めになったお客様が、今までのお客様がそのまま手元に置きたいといっていたのと異なり。自らも楽しみたいという事で指輪を制作し、それが出来上がり、受け取りにご来店をしました。

 高さを抑えたシンプルなものですが大変お喜びになり、
『こんなデザイン観たことがないわ。でも、シンプルだけど美しいわね』
と少し興奮気味でしたが
『この大きさの物を持ってきて初めてダイヤモンドの価値の意味が分かった様が気がします。』
と言葉をつづけ
『今までは小さなダイヤモンドが沢山入ったり、華やかなものが何かと嫌だったので、大きいダイヤモンドもどうかなと思っていたんですよ。でも将来の事を考え購入をしたんですけれど、こうやってみるとデザインによるのかもしれませんが、決して華美ではないけれど存在感があり、すごいですね。』
といたく感激をして頂いているようでした。
多くのダイヤモンドのデザインリングは大きなダイヤモンドを使えないために工夫をして華やかに見せている部分もあり、決してダイヤモンドの存在感を感じさせるものではありません。

 1ctは0.2グラムだという話をすると。
『5カラットというと僅か1グラムという事ですよね。へェ~…。』
と感心をしながら
『わずか1グラムの塊でこんなに存在感のある物が他にあるのかしら?』
と・・。
私が
『そんなふうには考えたことはないですけど、たしかに1グラムの塊でこんなに美しく存在感のある物はないかもしれませんね。』
というと
『ダイヤモンドは其れが故に価値があるんですね。今までは将来の為にと考えていたダイヤモンドですがもっと身に付けてみたいと思います。』と言葉を収めました。

 『1グラムの塊』
この存在がこれまでどれくらいの歴史や人生に影響を与えてきたのだろう。お客様の言葉から改めて実用的ではない価値の意味が理解を出来たように思います。現在はあまりにも実用性の価値ばかり追い、その挙句すべてが消費の対象で、大きな意味で地球を汚染しています。
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2015年12月19日土曜日

ダイヤモンドの値上がり⁉

 昨今、大粒だったりファンシカラーのダイヤモンドの値上がりが話題になることがありますが、常い上がるかというと必ずしもそうではありませんが、一定の期間を持った時には過去の例でいうと値上がりはしています。

 しかし、価格が上がり過ぎると不安も出てきます。そんなに高い値段になって買う人がいるのかどうかという事ですが、簡単に言うといる訳です。何故ならば、世界全体というか社会全体が貧困になっていくことがあっても必ずその分のお金は一部の人々に流れるのです。

 そして、常とは言いませんが『風が吹けばの桶屋が儲かる』といった結末にダイヤモンドを象徴とする希少性の高い、象徴物が有るのです。

 例えば、今後原油の価格は下がっていくでしょう。何故ならばクリーンエネルギーの影響を受け、石油の価格が下がることが考えられ、それに伴い原油の輸出が禁じられていたアメリカの原油が輸出許可になる気配があります。というより来年初めには議会で決まるでしょう。

 これは、シェールガスの台頭により、原油の需要が見込まれなくなる業界の働きかけによりはやめに売ってしまおうというアメリカ石油資本のメジャーの働きかけによるものです。そうなると原油の価格は益々下がり、原油を中心的産業にしている中東は貧富の差がますます大きくなります。そうなると中東が不安定になると多くの中東系ファンドは資産の換金や固定化を計ろうとするとどうしても金やダイヤモンドに集まりがちになります。

 勿論、他の金融商品いも流れるでしょうが、リスクヘッジという事を考えると、ダイヤモンドや金という事になるのですが勿論その需要を賄うほどの量はありません。しかし、その代替物としてはもってこいのものであることは間違いがありません。

 つまり、さらなるダイヤモンドの値上がりが考えられるという事になります。勿論断言が出来る訳ではありませんが。過去の歴史や例を見るとそうなることは十分に考えられることになります。

 近々の例では『中東に春』の騒乱の際には中東各地で混乱が起き、懸念をした王族をはじめ富裕層が準備の為に移動しやすいダイヤモンドに集中した結果、価格が高騰をした例もあります。勿論すべてのサイズや品質でそうなったわけではありませんが間違いのない事実です。
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 つまり、風が既に吹いてきた状態では桶屋が儲かることは自然に考えられるわけです。

 この間に中国等の経済成長や中国経済の特殊性もあり、一時ダイヤモンドに集中をしたということまりますが、今後はジュエリーとしてではないダイヤモンドといった次元の違うビジネスの時代に入る可能性があるので、以前から書いてはいますが、いよいよだなという感想を持っています。
 

2015年12月17日木曜日

ダイヤモンドの魅力⁉

 改めて書く話ではないのかもしれませんが、ダイヤモンドについて随分と書いてみて、更にダイヤモンドの奥深さを感じる訳です。実際にはダイヤモンドの奥深さというより、それを見いだす人間の感性というか感受性なるもの奥深さという事となるのかもしれません。

 先日、あるお客様がダイヤモンドの中心にカーボン(炭素)のあるダイヤモンドをお求めになっていきました。私自身はダイヤモンドが美しく、尚且つその単体における魅力があることが望ましいと思っていますので、今の日本のマーケットにおいてはグレードという疫病神に侵されている人々が多くいますので、ダイヤモンドの真中に黒い内包物が見えるなんてとんでもないというかもしれません。

 確かに醜く内包され、外観の魅力を著しく損壊しているのならば問題です。しかし、経験から多くのカーボンといわれる黒い内包物がある物の方がライフ(照り)が強く魅力的な石が多いのも事実です。

 今回販売をしたこのダイヤモンドはその魅力に長けていたのと、そのカーボンが珍しく丸く飛散したものではなく、お城のシルエットのような形をしていたのです。お客様はその不可思議な魅力に魅了され、一年近く通われて購入をされました。

 ダイヤモンドも人もそれぞれが持っているコンプレックスみたいなものがあっても、他人から見たらそれが魅力という場合もあります。それは人々の感性の違いや育った環境によるものも多くありますがこれこそが人間の奥深さだと考えます。

 人々は各環境によりその価値基準を変えていきます。ある国では女性が太っている事を口にするだけでハラスメントといわれ、南洋の国ではほめ言葉になります。現代の日本においても『デブ専』なる言葉があるように、ポッチャリ型の女性に魅力を感じている男性も少なくないようです。

 人間の凄さはそこにあると思うのですが、時代や背景により新たな感性の形成が行われ、ほぼ平均的に大半の人々が結び付くように自然に変化をしていくという事です。つまり進化という変化というか変化という進化をしていくわけです。自然は常に移り変わるようになっています。

 ここでダイヤモンドですが、それ自体は何の変化も起こさないのですが、変わっていく人間がどの時代に、どの環境で見ても魅力を感じる何かがあるのでしょう。冒頭に登場したお客様は私と同様なところに魅力を私以上に感じたのかもしれません。

 ダイヤモンドには移り変わる人間の感性のどの中にも存在をする価値観や魅力があるのでしょう。それが『ダイヤモンドは永遠に』が意図的にではなく生まれた背景なのかもしれません
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2015年12月15日火曜日

ダイヤモンドの硬さ⁉

 先日参加をした展示会でダイヤモンドの硬さを検証するためのンビデオが流されていました。内容的には1ctほどの低品質なダイヤモンドをハンマーで叩いて破壊をするというものでした。

 どのような意図をもって流していたのかは定かではないですけれど、宝石の展示会で行うのは如何なものかと感じました。実際には事実ではあり、地球上の天然鉱物で一番硬いといわれて久しくなりますが、それは条件基準があっての話です。

 硬さといっても硬度、つまりひっかく方の硬さであり、衝撃や靭性(ひねり)等に強い訳ではなく,銃で撃ってもやはり粉砕されるわけです。宝石の全般に言えることですが、一番硬いといわれるダイヤモンドがこの状態ですから他の宝石のもろさは如何なものかと想像をしてしまいます。

 硬度をあらわす指標としてモース硬度というものがありますが、ダイヤモンドがその最上級の硬度10であることはよく知られています。しかしこの率は物差しのように一定の幅ではありません。

 ダイヤモンドがの次に硬いサファイアやルビーのコランダムといわれる鉱物は硬度9となっていますが。エメラルドの硬度8に対しての幅が10センチだとしたら9と10の間は100センチとも200センチともいわれています。つまり、宝石の中でダイヤモンドは図抜けているわけです。

 自然な中の一般的条件を前提にしている耐久性においては間違いなくナンバーワンでしょう。そして、宝石の価値としての一条件にもなっている訳です。

 そこで冒頭の部分ですが、果たして販売を目的とした場所で一般的にはあり得ない状況で破壊をしてダイヤモンドのマイナスイメージを植え付けて何かの特になることはあるのでしょうか?

 もし、何事も正直に情報を伝えたいと思うのであれば、もっとありえる場面での正直さがもっと必要なのではないだろうか?今一般的に行われている展示会等での値引きを前提とした価格の設定や量産品を手作りであるがごとくの案内や改善し、ディスクローズすべき点はもっとあるのではないだろうか。

 物事にとらわれずに話せば、人間関係や物語においても人々に夢を持ってもらう意味でもすべてをディスクローズする必要があるのかといえば、それには同意をするつもりはありません。知らない方が精神的なメリットがあることも多いと思うのです。

物事を伝えるためには多少の誇張もあっても良いとは思いますが、それを過大解釈をして利用し、ビジネスに利用をするようになると、今度はそこに虚偽が生まれてきます。その境目は難しいのですが、そこが育ちだったり人間性だったりするのでしょう。

 基本的にはディスクローズすることに反対をしている訳ではありません。むしろ、政治や行政、食料品や情報に関してはもっと明らかにされても良いと思っています。気まぐれな正直さは周りを混乱させます。

 ダイヤモンドの硬さというものは美しさを保ち、人々の想いを伝えるためのものです。
ダイヤンドという物の硬さは自然体でいることの自信を教えてくれます。そして、ダイヤモンドの硬さは正直である事と潔さを教えてくれます。

 しかし、それはダイヤモンドの魅力の一部分でしかないのです。
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2015年12月14日月曜日

本物⁉

 今朝電車の中でつり革に摑まっている女性の手を何気なく見ていると小ぶりではあるが指輪が眼に入ってきました。

 婚約指輪なのだろうかと思わしきデザインで左手の薬指に収まっていました。しかし、なんとなく目に違和感があり、失礼にならない程度に凝視をすると何かが違う感じがしてよく見てみると、ダイヤモンドではなくいわゆるクリスタルか流行りのブランドアクセサリーであろうと感じました。

 過去色々とダイヤモンドの模造品が出てきましたが、物まねが如く本物に価値があるからこそのまがい品になる訳ですが、本物は何かが違うと思ってもしっかりとした定義がある訳ではなく、本物にしかない特殊な個性なり特質があるように感じています。

 勿論、感じるにしても、感じる側にそれなりの感性が無ければ感じないでしょうが・・。

 ダイヤモンドに限らず人間関係であれ、それぞれの職業についている人々であれ、本物かどうかを考えたときに何らかの違和感を感じる物です。

 昨今、与党間で決められた軽減税率なるもの内容で、谷垣幹事長が
『現段階での案としては最も良いところで合意が出来た』
といっていたのですが、誰にとって最も良いところなのかとっ感じました。自分たちの選挙にとっては最も良いところであって国民にとってではないとっ感じ、やはり裏を読みたくなるのはその事に自体に必然性や真義が無いように思えるのです。

 つまり、長年この国で国民をやっている訳ですから、スピーチに違和感を感じるのです。今朝ほどの指輪が如く、違和感を感じ、そしてそれが本物ではないことを感じてしまうのです。

 勿論、常々の仕事先の中でも、宝飾品を本当に好きでプロとしての考えを持ってやっているのかどうかはすぐに解ります。お金が儲ければ方法は問わない、もし不都合があってもたくさんの中の一つで、それをカバ-するだけの数字が出来ていれば良いと考えている業者も多く目にします。

 しかし、これが食料品であったならばそんなわけにはいかないわけで、あっという間に会社は潰れてしまうでしょう。今朝方のニュースでアメリカ西海岸のブランドが全店を閉鎖するという内容が流れていました。2000年に立ち上がり僅か15年の命であるけれどよくここまで短期間で成長をしたものだと考えますが、メディアなり一部の思惑で広がり、その肩棒を担いだのが日本御雑誌であろうと思います。

 一時は女性誌の付録として多くのエコバッグが配られていました。この時点で本物ではないわけで、単なる西海岸のこジャレた名前と雰囲気でしかなかったわけです。あれをブランドとして取り上げる日本の雑誌もどうかとは思いましたが、もしオリジナルがそれなりに評価されるものだったとしたら、戦略を間違ったのでしょう。

 いずれにしても何らかの経験を持った人々にとっては本物を見極めることはそんなに難しい事ではなりません。身に付けるものや行動、発言はメディアに流されたり、聞きかじりではなくじしんが経験し感じた物を信用することが望ましいのではないでしょうか。

 本物が何時の時代でも残るものであることを願います。http://ameblo.jp/diamonrow

2015年12月12日土曜日

虚像の土台⁉

 最近やっとマイナンバーの知らせが来ましたが、多くの場所では誤配や到着遅れをはじめ問題が山積しているような報道が流されています。

 ここまで問題が大きくなるような制度が本当に必要かどうかと疑問に思います。本音が隠れ一方向だけから見ているために起きている問題のように思えてなりません。

 過去どれだけ実態とかけ離れたこのような制度が試されたでしょうか?住基ネットをはじめ、100年安心な年金制度等々何を根拠に税金を投入してきたのかを含め、誰がその無駄遣いの責任を取ったのかも曖昧です。

 本当に今回のマイナンバーが国民のためになるとどれくらい本当に思っているのでしょうか?実際には財務省側からの見方だけで、実際に国民に向いた制度とも思えません。今朝ほどTVでもやっていましたが、マイナンバーが預貯金口座に連動するのは義務ではないといっておりましたが、それも実際にはクレジットカードなどの書き換えの時には必ず、カード会社が訊いてくるように金融庁なりが指導をするでしょう。つまり法律になっていなくても必ず、そうなると確信をしています。

 小さな政府は今の自民党が以前に打ち出した政策であるにもかかわらず、今のままでいくと政府が全ての情報を手にする大きな政府になり、その結果は国民の働く意欲をなくするといった悪方向に流れるような気がします。

 本来、税の不公平是正や、社会保険制度の改革という事でしたが、節税、脱税で失う税収とこれらの制度で失敗をして失う税金はどちらが大きいのだろうか?何事も人間が存在し、欲がある以上は完全な事が出来ないわけでどちらのリスクが大きいかという事に過ぎない筈である訳で、今回の制度や将来の危うさを考えると単なる無駄遣いになる様な気がします。

 今の政治家や官僚は実社会をどれくらい理解をしているのだろうと考えます。安倍さんが言っている事を理想として理解をする人もいるだろうし、その理想が間違っているという人もいるでしょう。どちらがあっているかどうかは解りませんが、過去を照らし合わせると官僚が出すデータや土台が違っていることがあまりにも多くあったのも事実です。

 『今回は大丈夫』といってまともだったことがどれくらいあるのであろうか。優秀な民間がその危うさを支えてきた部分が多くあることは多くの国民が理解をしています。国立競技場の件も含めて官僚や官僚あがり、政治家の成れの果てが起こした問題がどれくらいあったのであろうか?

 ここで立ち止まって、民間になるべく移譲をし、その運営に関しての制度の管理に関して官僚は専念をした方が良いのではないだろうか?やはり小さな政府を目指すべきではないだろうか?本当に多くの疑問が頭をよぎる昨今です。

 しかし、根拠となることが過去はことごとく虚像であったことを忘れてはいけない様な気がします。
その虚像を根拠に現実を知らなさ過ぎる人々が運営をするのですから危ういに付きます。

 もっと世界を見る機会を持った方が良いのではないだろうか?北欧の社会制度も決して最初の様には機能はしていません。社会主義も隣の大国のように成り立ってはいません。そして、資本主義も決して健康に成り立っているとは思えません。もっと足元を見た政治があっても良いのではないだろうか?
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2015年12月8日火曜日

ダイヤモンドの多面性⁉

 ダイヤモンドには色々な側面があります。先回参加をした展示会においても一つの試みとしてダイヤモンドの蛍光性をご覧になってもらいました。
 
 一般の多くの人はダイヤモンドは白く透明なものと思っていらっしゃる方も多くいると思います。
一寸ダイヤモンドを多くご覧になる方はそこに黄色が含まれる物もあるという事は理解をしていると思います。更にマニヤックな方はファンシーカラーしてピンクやブルーがあることに興味を持っていらっしゃる方もいます。
 
 しかし、多くの方はダイヤモンドに蛍光性はあっても多種多彩な色がダイヤモンドの蛍光色にあることはご存じないという事が解りました。多くの方は感動され、驚きの声を上げていらっしゃいました。私自身がダイヤモンドの魅力については一般の方達とは違う所に感じていますのでこのような事にご理解を頂くと非常にうれしく思います。
 
 多くのダイヤモンドを扱っている人々も実際には蛍光色がダイヤモンドには色々ある事とか、多くの特殊なダイヤモンドの希少性だったり価値を理解していないことがままあります。
 
 実は以前にこのブログで紹介をさせてもらったガーネットの原石と思われる内包物が有りましたが、日本ではクラリティーがあまり良くないと嫌厭されていたのですが、実際にはヨーロッパやマニヤの間では希少性の高い物としてそれなりの価格で取引されています。
 
 日本のバイヤーが避けて通る為に多くの特殊な宝石としての価値があるダイヤモンドが日本にはあまり入ってこなかったという経緯がありますが、そのために本当のダイヤモンドの魅力がまだまだ日本御人々には伝わっていないように思います。
 
 下記の写真はダイヤモンドの蛍光性の一部ですが、他にもまだまだいろいろな色があり、一般に思われているブルーだけではなくカラフルなものも希少ではありますが存在しています。
 
 今後もダイヤモンドの多面的な魅力をもっと伝えて多くの人に感動を与える事が出来ればと思っている次第です。http://ameblo.jp/diamonrow
 
 

2015年12月7日月曜日

杉原千畝⁉

 以前にも書きましたが、『日本のシンドラー』杉原千畝氏を題材にした実話を映画にしたものを先週末に観にいってきました。

 私自身は仕事柄というかイスラエルに行く事も多く、ユダヤ人の仲間が多いという事もあり、杉原氏の名前や功績は知ってはおりました。

 功績というか戦前リトアニアに領事として赴任をしていた時に欧州各地から逃げてきたユダヤ人たちを米国やその他の地区に逃がすべく、本国の許可なくに日本へのビザを発給し、更に次の赴任地に向かう列車の出発間際まで駅で発給を続けたというユダヤ人にとっては彼に勝る恩人はいないというほどの人物です。

 さらには世界を変えたいという思いから、諜報活動に近い事もやっていたように聞いていましたが今回の映画を見てなるほどといった腑に落ちた感じがしました。映画そのものは杉原氏の事だけではなく、ウラジオストックに着いたユダヤ人たちを杉原氏の想いを感じ、更に渡航をさせた領事の事や私もどことなく聞いていた現在のJTBの前身でもある亜東交通公社の責任者が本国の受け入れ拒否にも拘らず、多くのユダヤ人難民をウラジオストックから駿河に運び続けたことも描かれており、内容も濃かったと思います。

 戦後杉原氏は外務省を免職されるだけではなく記録からも抹消されていたのですが、イスラエル政府の働きにより、1986年に杉原氏は亡くなってはいたのですが2000年には外務省の中において復権をしております。

 沢山の映画を観てきましたが、エンドロールが完全に終わるまで誰一人として席を立たなかった状態を見たのは初めてでした。多くの人々が杉原氏の事を知り、その偉大さを知ってもらったことは他人ながらありがたいといった気持になります。年配者だけではなく若者たちも鑑賞していて、帰り際に『なんで、外務省はもっと早い時期に復権をさせなかったんだろうね』などと会話をしておりました。

 現在の外交官が少しでも杉原氏の想いを感じ取り、日本の為にという思いをもっとこの映画を観てもらいたいものです。世界中のお金だけをばらまいて、外交官や政治家、官僚が良い思いをするために税金がある訳ではないことを改めて認識をしたほしいものです。

 映画『杉原千畝』を見て、改めて世界に誇る偉人が日本にはいた事を再認識しました。以前私はイスラエルが世界で一番の親日国であると書きましたが、イスラエルでの切手で唯一図柄になっている外国人は杉原氏です。彼らが忘れまいとしていてくれることにも感謝の気持ちが湧いてきます。
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2015年12月5日土曜日

誰の為に⁉

 昨日ご来店を頂いたお客様が宝石の展示会に最近言ってこられたことをお話になり、
『驚きましたよ⁉ お盆の上に重なり合うようにジュエリーが積まれていて販売員が持ってお客様の後ろについて歩いているんですよね。』
と驚きを現わしていました。

 私自身も今どきまだそんなところがあるのかと驚きました。私が参加をさせて頂いている展示会も以前はそんなことがありました。最初は目を疑いましたが、現在ではほとんどがそんなバカな事をする販売員はいません。

 まず、一言を言うならば『ジュエリーを愚弄している』そして『品格に欠ける』といった言葉だけでは済まないような内容です。まず人は5つ以上の選択には無関心になり拒もうという心理が働くことは既に証明されています。選択を容易にできるのはせいぜい3点からで、宝飾品に関しては理想から言えば一点でじっくり考えて頂くことが決定を容易にします。

 多分に知識のない上司からの指示なのだと思いますが、販売員も自らが購入する立場になれば理解が容易な事だと思います。一生懸命にやっているというアピールがしたいだけなのか、少しでも買ってもらいたいという気持ちなのかはわかりませんが、どちらにしても、お客様の事は度外視的な発想です。

 先のお客様曰く
『まるで雑貨品がのせられているような感じで、私ならそこから買おうとは思わないわね』
と仰っていましたが、まさにその通りだと思います。実際に自分が高級洋品を買おうとブランドショップへ行って山積みにされたら買う気を失せてしまいそうです。それは皆が同じことだと思います。

 展示会でのパフォーマンスなどもお客様の為なのか、販売側の都合の為なのかをよく考えた方が良いでしょう。お買い上げを頂いた際に行うパフォーマンスなどは本当に気を付けた方が良いでしょう。

 後は販売時に業者が商品説明をした後にお支払方法になってもその場を立ち去らないという無礼もよく目にします。本来は懐具合を関係のない業者に知られたくはないことです。勿論販売員との仲は別ですが、商品説明の終わった業者が何時までもそこにいることはマナー違反である訳ですが、そんなことも理解しない輩が多いのも事実でしょう。下手をすると気を利かして立ち去った業者の後に入り込み商品をひっくり返していくゲスもいます。

 そんな内容では宝石に良いイメージを持ってもらう事も無理だろうし、怪しがられてもしょうがないと思います。前述のお客様が感じている事は多くのお客様が感じている訳ですが、そんなことはよほどでなければお客様は言ってくれません。ただ、立ち去るのみなのです。

 誰の為に行っている事なのかをよく考えてほしいものです。http://ameblo.jp/diamonrow

2015年12月1日火曜日

ユダヤ人の源!?

 前回イスラエル映画とユダヤ系ハリウッドスターの話を書きましたが、その後NHKでユダヤ人の歴史について、また、ハリウッドの歴史について流されていました。

 ロックフェラーをはじめJPモルガンの話などありましたが、ロシアのユダヤ人地区で虐げられていたユダヤ人たちはアメリカ大陸に渡り、やはりユダヤ人居住区に張り付いたまま恵まれた職に就けない彼らは隙間産業である映画館ビジネスを行っていました。当時発明王として名高かったトーマス・エジソンが殆どの映画館系のパテントを持っており、高額なロイヤリティーを要求したいました。

 ロイヤリティーを払えなくなった彼らはエジソンの目の届かない西部へ拠点を移していくのですが、その西部で作られた映画村が今のハリウッドです。パラマウント、21世紀フォックス等々名だたる映画会社がユダヤ系であることはそのせいです。

 これらのストーリーだけではなく、虐げられた環境からビジネスを起こしていくことは彼らのエネルギーの源です。歴史の中でもダイヤモンドに携わったのも、中世のギルドに加盟の出来なかった彼らの見つけたものであり、また、金融業に関しても卑しい仕事として誰もが付かなかった仕事であるものを彼らが引き受けた結果でもあります。

 まだまだ例を出してみると限りがありません。彼らのエネルギーの源が虐げられるところから始まり、人が卑しいことでも必要とすることであろう事をビジネスにしています。

 出エジプト記から始まり、彼らの歴史は虐げられて歴史です。人は困窮、枯渇をしたところからビジネスを見出していきます。その辺のところを考えると生まれながらにして彼らはビジネスを生み出していく運命にあるのだろうと考えます。

 人が必要としているものがビジネスになるという簡単明快なものが発明やクリエイティブティーに優れたユダヤ人を生み出しているのだろう。

 

2015年11月28日土曜日

イスラエル映画⁉

 皆さんが考えるイスラエルの印象は10人中8~9人は砂漠の戦争をしている国でテロの心配が何時でも付きまとうといった印象でしょう。私は最初にイスラエルに行ってから40年ほど経ち仕事としてからも30余年ほどになります。もちろん当初は皆さんと同じような印象を持っていました。

 度重なる渡イを繰り返すうちに東京の下町を思わせるような人情だったり、みるみる発展をする姿の中でも高層ビルや近代的なショッピングモールだったり、見違えるように変わっていくイスラエルや本来のリゾート地としての海岸や世界有数の医療技術だったリと皆さんが想像をしない様な姿を沢山見てきました。

 無論皆さんが想像する姿が全くないかというとそういう事でもありませんが、世界の人々が日本人が皆チョンマゲを結って刀を差していると思っているようなレベルではないかと思います。

 芸術や科学の世界でのイスラエル人つまりユダヤ人の活躍は目覚ましいものがあることは皆さんもご存じだとは思いますが、アインシュタインをはじめ多くのユダヤ人がノーベル賞をもらっている事からもその優秀さは計り知れます。

 特に映画の世界での映画監督のスティーブン・スピルバーグやオリバー・ストーン監督らの活躍は目覚ましく、ハリウッドスターとしても古くはポール・ニューマン、エリザベス・テーラー、チャールズ・ブロンソン、最近でもメリル・ストリーブ、ハリソン・フォード、ダスティ―・ホフマン等々上げれば枚挙の暇も無いような有名ユダヤ人俳優が多くの形で排出されています。

 意外と思われるかもしれませんがイスラエルの映画も結構有名なものも多いのです。最近というよりもこの11月28日に公開されたイスラエル映画『ハッピー・エンドの選び方』が話題になっています。ヴェネチア映画祭観客賞を受賞したことから話題になっていますが、エルサレムの老人ホームでのことなのですが、発明好きの老人が他の老人を楽しませたり、希望を持たせたりするために色々な発明をしていき、最後には同じ在ホームの苦しんでいる老人が自分の選択で死を選ぶという機械を発明して上げるという物語ですが、死に対する考え方が色々であることを考えさせられるものです。

 日本でも12月上映予定の『杉浦千畝』という日本のシンドラーといわれた杉浦千畝氏を題材にした映画が封切られます。杉浦氏は戦時中のリトアニアでユダヤ人6000人に数日間でヴィザを発給しナチスの手から逃げる手助けをし、当時ナチスドイツを手を握らんとしていた日本政府に背き、外務省から免職をされたという人物ですが、戦後はイスラエル政府が彼の名誉回復に全力を挙げたという事でも知られています。

 外国人で唯一イスラエル発行の切手の図柄になっているという杉原氏に関しては仕事柄ずーっと知ってはいたのですがここまでも杉原氏のことが知られるようになってきて少しうれしいような気もします。私の印象では世界一親日の国はどこかと聞かれたら迷いなく『イスラエル』というでしょう。

 最初のテーマでもありますが映画に関しても日本を題材にしたものも多く、今回の『ハッピー・エンドの選び方』も日本映画の『おくりびと』をモチーフしているといわれています。これを機会にイスラエル映画『ハッピー・エンドの選び方』と日本映画『杉原千畝』を見てみませんか?

 イスラエルの印象が少し変わるかもしれません。http://ameblo.jp/diamonrow

2015年11月26日木曜日

付加価値のダイヤモンド⁉

 最近とある知人から所有している30cts近いダイヤモンドの売却について問い合わせがあり、オークション等を含めての想定落札価格が知りたいという事でした。

 往年の有名ハリウッド女優にまつわるものですが、彼の希望というか想定価格と私が出した価格にはそれなりの開きがあり、多少の不満があるようで
『昨今のオークションでの落札価格を見ると高騰しているのでもっと価格が付くのではないか?』という事でした。

 もちろん最近の内容を見ると確かに高騰はしています。しかし、付加価値の部分をどう見るかによって内容は変わってくるのですが、絶対的ダイヤモンドの付加価値は大きさです。そして彼の望んでいる付加価値というのは其れにまつわる物語です。

 同じ付加価値でも中身が違ってきます。純粋にダイヤモンドとして見るのであれば付加価値はやはり大きさだし、歴史的、芸術的等の付加価値はそれをどれくらいの人間が評価をするかという事になります。

 現在のオークション市場でのダイヤモンドの高値は単純にファンシーカラーであれ、ホワイトであれ大きさでの価格です。勿論ファンシーカラーとしての付加価値はさらにという事になります。しかし、過去の有名人著名人が所有もしくは関わっていたという付加価値になると単純にダイヤモンドの実質的価格とその有名、著名人の現状での付加価値がどれくらいあるかという事になります。

 特に昨今の落札者を見るとオイル系のファンドであったり中国系の富豪であったりとどちらかというと合理的価値を追い求める人々が多く、情緒的価値で落札をしている人々は少ないように思えます。

 単なる過去の有名人でしたら、その名前を知っている世代で憧れであればそれなりの付加価値を付けるでしょうし、もう過去の人で、現代の世代に人々が名前を聞いたことがあるという程度であれば殆ど付加価値は付かないでしょう。無論その著名人が歴史的役割をはたして現状でも歴史を語る上で名前が挙げられるという事であれば別ですが・・・。

 例えば最近往年の銀幕大女優原節子さんが死去されたという事で一部マスコミで報道をされておりましたが、私たちの世代でも名前を知っているという程度でしょうが、諸先輩からしたら伝説の大女優で永遠の処女というタイトルが付いているくらいの神聖な価値ですが、我々の下の世代となると名前さえ出てこないし、更に今の2,30代になると名前さえ知らないでしょう。

 そこで冒頭の食い違いが出てくるのですが、仮に30ctsのダイヤモンドであって、その女優にゆかりがあったとしても現状ではダイヤモンドの価値とそのハリウッド女優の現状での人気だったり、知名度だったりで評価をした私の出した落札予想価格と、彼のその女優に対する思い入れの想いの差がそこになあるのだろうと思います。

 勿論それなりの付加価値評価をしたわけですが、50年以上前の銀幕スターをどこまで評価するかといえば落札者の想いがどこまで出展者との間で共有しているかという事だと思います。

 純粋のダイヤモンドの評価というものは過去現状を照らし合わせたデーターの上でしかないものですから、情に任せた評価をするべきではないと思っていますが、必要以上に臆病になって低い評価をするべきでもないと思います。http://ameblo.jp/diamonrow

2015年11月24日火曜日

負の連鎖⁉

昨日いらっしゃったお客様の娘さんが26歳になり、自分自身が想像をしていた26歳と現状の自分が違うといっていて嘆いていたわけではないけれど、ため息をついていたとの事でした。

 確かに過去の25歳はOL生活も3~4年を迎えアフター5にはレストランで友人たいと食事をしたり、観劇をしたりしてOL生活を満喫していたイメージがあります。勿論今でも一部のOL達はそのような生活もしているのでしょうけれど、多くの現実は違うようです。

 その娘さんは芸術とは言わないけれど、ある意味特殊な職種を目指しており、現在はバイト生活で毎日チャリンコ通いということです。しかし、彼女は芸大を出、海外へもその種の勉強に行きそれなりに充実をした生活を送っているように見えます。

 彼女のような例は別にしても確かに最近のニュースを見ていても若い女性の犯罪や考えられない様な事件が多くあります。本当であればそれなりの人生を送るのだろうと考えられる様な女性たちも多いように思われます。

 世の中のせいにするとすべてが解決をしないのでしょうが、現在の社会そのもののスタンダードが違っているように思えてなりません。コンサバティブな考えといわれてしまえばそれまでですが、もう少し、本質的な物の見方をしてみたらどうかと思うのです。

 世の中がそうだからではなく、本質的な事をとして原則論はどこの国にも法律としてあるのだろうとおもいます。『全ての国民は幸福になる権利がある』といった事はどこの国においても常識でもあるのだろう。しかし、現状はどうか?性善説、性悪説で物事が分けてしまえばそれまででありますが、『総論賛成、各論反対』ではないけれど『理想は解りますが、現実的にはそうではありません。』といった声がよく聞かれます。

 本音と建て前とい言葉があるように、本音ですべてを解決は出来ないし、建前という言葉はある種の縛りであり、法律でもあるのでしょう。ただ、法律にのっとっていればなにをしても良いかというのはそうではないとおもいます。

 単に人間が生きていく上で本音で生きていく事も良いでしょう。しかし、人間生活には社会というコミュニティーが不可欠です。そうなると、目安として十代であればこんな風、二十代であればこんな風、といったようにある種の尺度があっても良いのだろうと思います。しかし、現代は意外とフォーマルが否定をされ、カジュアルが人間らしいといった事で肯定的な見方がされがちです。それは楽だからかもしれません。

 どちらも丁度よい具合になれば良いのですが、人間は都合の良い方に流れます。特に集団になるとですが・・・。

 話は飛ぶように感じるかもしれませんが、先日のパリのテロに対する対応においても本質的はものの一致を見ずしての解決なくしては、フランスの報復攻撃が当たり前のように一般的には捉えられています。しかし、9月からのフランスのISIS攻撃とされているもので一般人が三百数十名が命を落とし、そのうち九十数名が子供だといいます。

 単なる報復が事を解決するのでしょうか?一定の建前をそこにはあるという事でしょうが、その建前が間違ってはいないだろうか?確かに現実なのであろうと思いますが、それが間違っていれば負の部分は無くならないのではないだろうか。

 前段の部分とは話が変わっているように感じるかもしれませんが、理解や感じることが容易な方だけを選択していて良いのだろうか?といったことを問いたいのですが、本音で生きることもあ大事、でもそこには社会という集団がある。

 集団に流されると間違っていても否定が出来にくくなります。しかし、本音だけで生きると社会から外れる事になり、場合によってはそれが法律を犯すことにもなります。

 これ等のバランスを上手く取れなくなってきているという事が負の連鎖を起こしているのではないだろうかと感じる次第です。全てにおいてです。

 『其れが人間だから』という事になれば人間は来てはいけないところまで来てしまっているような気さえします。
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2015年11月21日土曜日

ボジョレー・ヌーヴォ⁉

 昨日毎年の恒例行事になっているボジョレーヌーヴォのパーティ―をお客様にお声がけして行いました。例年はただ単純にフランスの著名醸造家の選んだものを飲んでいましたが、今年はワインエキスパートの資格を取った事もあり、ちょっと自分自身で選んでみました。

 実際に手に入り、皆様にのんでいただくまでは冷や冷やしていましたが、今年は出来が良い事もあり、皆さんにもご好評をいただき一安心をしました。しかし、本当に今年のボジョレーの出来が良く、余分に買い求めたものを数か月おいて飲んでみようと思っています。

 ところで、当店いいらっしゃるお客様はダイヤモンドに興味を持たれている方は多いのですが、今回初めて参加をされたお客様がダイヤモンドには縁が無く、今回ご友人に誘われて一緒にいらっしゃったとの事でした。ホロよくアルコールも入り皆さんと数時間を過ごされた後は、ダイヤモンドの虜になったということで指輪をお求めになっていきました。

 皆さんのお話しを聞いていると、実際にじっくりとダイヤモンドを眺め、ダイヤモンドの話を聞く機会が無いので興味が無いというより、縁が無いという言葉をよくお聞きします。『もっと宝石店さんがフランクに入ることが出来、もっと沢山のダイヤモンドが並んでいるとよいのに・・・。』とおっしゃった言葉が印象に残ります。

 確かに展示会であったり量販店などもいかにもといった姿で販売体制に入るので多少お客様が引いているような感じもします。展示会は本来もっと宝石を楽しみ、宝石に触れ、宝石に魅力を感じ、宝石をもっと知って頂く機会でなければいけないのですが、買わないと帰れない様な雰囲気があり、どうしても足が遠のくというお客様の声を多く聞きます。

 無論売る側はそのチャンスとして展示会などを開いているのですから、当然といえば当然と販売側は考えるのでしょう。しかし、あまりにもあからさまであることはどうだろうと展示会に参加をするたびに感じます。お客様にピッタリとつき、逃がしませんよといった感じさえすることもあります。

 トレイには言われてもいない商品が並び、お客様によく『私買わないわよ‼』などといわれている販売員をよく見かけます。売りたいことは本音なのですが、もう少しスマートに頭を使った方法を考えるという事はないのだろうかとさえ思います。

 買うとも言っていないお客様の値引きの話から入っては、お客様自体が引いてしまっている事もあるし、値引きを盾にしがみ付くような販売方法の時代ではないことも理解した方が良いのかもしれない。お求めになったお客様の何倍ものお客様がその為に来なくなってしまった事実を理解していないようにも見えます。

 キャンセルが多いのもそのためでしょう。結果的にはその時に少し喜んでも、あとでは大きな面倒が起きてくるわけですから・・・。

 もう少しお客様に宝石を楽しみながら、価値をを理解して頂き、無理なくお求めになる気持ちになってほしいものです。その過程失くして値引きだけでの販売は将来の崩壊にしかつながらないと考える訳です。
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2015年11月20日金曜日

1,111cts ダイヤモンドの発見⁉

 昨日、ボツワナにて大きなダイヤモンドの原石が発見をされた事がニュースになっています。これはボツワナの採掘会社ルカーラダイヤモンドの鉱山で発見をされたものですが、史上2番目の大きさであることで注目されています。

 一番大きな原石は1905年に南アフリカで発見をされたものですが、あの有名なカリナンダイヤモンドです。3,106ctsの大きさは今回発見された1,111ctsの原石のほぼ3倍になる訳ですが、当時英国領であったために当時のエドワード7世に献上され、アムステルダムのI.J,アッシャー社により9個の大きな石と、96個の小さなブリリアントに研磨され、ブリティッシュ・クラウン・ジュエルとして王室が私的所有をしており、一部は大英博物館で展示がされています。

 さて今回の大粒原石ですがすでにタイプⅡaと判断をされており、Dカラー以上の色であることは間違いがないでしょう。今回その他にも813ctsと374ctsの原石も発見をされており、洗浄が終わり次第発表がされることになっています。

 何故にこんなに大きな原石が続けて発見をされてきたかというとダイヤモンドリカバリーマシンというダイヤモンド発見機とでも言いましょうか、それらの進歩が挙げられるでしょう。すでに人工衛星探査によりダイヤモンド鉱脈の発見にはある程度の進歩は見せていますが、これからもっとその率が上がるのかもしれません。

 現状、市場の割に大粒のダイヤモンドが足りない状況にあり、値上がりが天井知らずの状態になっています。その事自体が将来的なダイヤモンドの市場に良いか悪いかといえば、あまり良い事とは言えないでしょう。

 つまり、ダイヤモンドの大粒に関しては一部のお金持ちだけのものになり流動性が失われ、マーケットにとっては如何なものかと考えています。

 今回の原石はボツワナにおいては最大のものですから、ルカーラ・ダイヤモンド社はこれから大きな注目を浴びるでしょうし、出資者たちにとっても大きなプレゼントとにもなる訳で、ここの鉱脈から益々大きな原石が採掘される可能性が出てきた訳です。
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2015年11月19日木曜日

信用⁉

 『部下の上司からの信用は仕事で取り戻すことが出来るが上司の部下からの信用は会社そのものを揺るがす。』と以前書いたことがあります。

 先日取引先のスタッフの方から会社を辞めたいとの相談があり。内容を聞いてみると上司に対する不満というよりも不安が一番の理由という事でした。日ごろから自分は優秀だとおもっている上司に対する疑問が中心で、なんでもデーターの提出を求め、そのデーターの結末が皆に知らされることもなく、また次のレポートだったり、データーの提出を求められるとの事でした。

 本来の仕事に集中する時間が無いので結果的に売り上げなどの結果も出しにくいし、接客の時間があまり持てないという事でした。

 聞いた話をそのまま鵜呑みにすることはありませんが、一番の問題は部下が上司を信用していないという事でしょう。勿論中間管理職というものはそれなりの結果を出さなければいけないポジションですから、日々焦りもあるし、特にプライドが高ければ自分の過ちを見過ごしていくことが多いように思います。

 しかし、上司というものは単に数字上の結果だけではなく、スタッフが自分の指示を理解し、プライドを持って問題を共有しようとする環境を整えているかどうかも上司の仕事でもあります。私自身はあまりスタッフに説教をするような性格ではないのですが、注意をしなければいけない時にはしているつもりです。ただし、過去の経験から大きな声を出す管理職の多くは情緒が不安定だったり、大きな声を出すことや怒ることで自分の情緒を安定させているケースが多いように思います。
勿論自分では気づいてはいないのですが・・・。

 つまり、その事は管理職としての資質の問題があったり、何の良い結果ももたらさないことに気付いていないという事ですから、人心はどんどん離れていきます。資料やレポートが沢山ほしかったり、会議が単に多い会社の殆どは上司が前を向いていないケースが多いように思えます。

 何でもかんでも不満を言う、スタッフも問題はあります。建設的な意見であれば普通の上司であれば、多少なりとも検討をする機会をもうけますが、それを一蹴する上司もいることも事実です。
つまり、自分の知らないことは否定から入るというやつです。

 私自身も過去会社勤めや顧問などの仕事もさせてもらってきましたが、会議での問題の多くは経験の少ない上司や凝り固まった上司がそこにいて、色々トライをしたいスタッフとのやり取りです。

 多くの場合、上司の反対意見が的をはずれていたり、理由はないけど反対という理解しにくい言動です。つまり後ろ向きなわけですが、そのような上司の多くは自分が改革をしたいという矛盾をした考えを持っている事です。

 いずれにしても今回相談をしてきた方は辞職をするという結論を出しているようですが、
『給料が安くても会社に対して信頼が出来るようなところで働きたい。』
という言葉を残された事には非常に残念です。

 上司は背中で引っ張っていくもので、後ろを向きながらスタッフを監視しながら進むものではありません。どこへ進もうとしているのかも明確にしなければいけません。スタッフが行く先を理解していなければ上司の目ばかりを見ていなければなりません。それは上司を信用していないからです。

 結果が出ていない会社ほどスタッフのせいにしがちですが、実際には中間管理職である人間の力量によるところが大きいのです。まずは信頼関係を築くところから始めてほしいものです。
老婆心ながらという言葉がついつい出てしまいます。
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2015年11月17日火曜日

180度の転換⁉

 何事もそうであると思いますが、立場を変えてみると違った光景が見えてくるものです。前回の続きになりますがG20のサミット会議でテロに対する攻撃を含めた報復を全体会議でのコメントとしておりました。

 元々の原因をたどれば欧米諸国の中東政策であったり、植民地政策であったりしたのではないだろうか。これは普通に知識を持っていれば誰もがうなづく事ではあるでしょう。中東の人々からすればさんざん過去に搾取と自分たちの都合で中東諸国を分断しておいて、何の償いもなく、未だに経済的にも虐げられてきた人々の義勇軍が今立ち上がりテロといわれている行為を繰り返しているという事なのでしょう。

 勿論テロを肯定するわけでも、やり方を肯定するわけでもありません。同時に欧米諸国の爆撃や掃討作戦に対しても肯定をする訳ではありません。どちらも五十歩百歩に見えるからです。今回も多くのフランス国民が犠牲になった同胞の為に涙を流しておりました。しかし、中東においての自国軍の犠牲になっている婦女子への涙は流されてはいるように見えません。

 G20の参加国にしても政治的な駆け引きは別にしても、少なくても中国や、韓国は過去の日本から同じような目にあったという事を盾に未だに賠償を請求しているくらいですから、何故に中東への理解が出来ないのであろうかと思います。彼らの認識に立っているのなら今回のG20の決議には断固として反対をしないにしても何らかの提言があっても良いのではないでしょうか?

 それとも、普段日本に対する態度は単なるポーズなのでしょうか?だとしたら日本が『冗談じゃない。そんな話はとっくに終わっている話だ‼』といっても文句はない筈ではないだろうか。一寸暴言かもしれませんが、欧米諸国は戦勝国で、日本は敗戦国だというだけの違いではないだろうか?

 ましてや第二次世界大戦ほど昔の話ではないし、もっと中東側からの視点がこれらの争いを解決をさせるには必要ではないだろうか。まして日本は古くから中東諸国と良好な関係を築いてきたのではないか。今の日本の様なトンチンカンな事をやっていて良いのだろうか?

 テロとの戦いの準備の前にテロを起こさせない様な話し合いの場所を今となっては日本が用意をする事も出来ないでしょう。以前にも書きましたが今の日本の政治やさんたちの政治感のなさにはほとほとあきれてしまいます。もし、今田中角栄だったとしたらと考えることもあります。もし彼がいたら今日本の存在を明確にし、無駄な争いに首を突っ込むようなことはしないだろうし、彼自ら中東に出向くような気がします。

 争議にしてもビジネスにしても180度逆の立場から見る事が出来なければ、物事を解決することは難しくなるでしょう。また、相対する側の者も同じようにもっと利口にふるまう事も考えるべきでしょう。そう考えると先進国にしてもテロを起こしている側の指導者にしてもおよそ真面な者がいないという悲劇で、その犠牲に一般市民が巻き添えになっているのdす。それを考えると日本国民もまともな指導者を持っていない以上今後は気を付ける必要があるのかもしれません。
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2015年11月16日月曜日

違和感⁉

 先週末パリでの連続テロを受けて、各国でフランス国旗のトリコロールに染められたシンボルが犠牲者の弔意を表していました。日本においても東京タワーが三色に彩られ、イルミネーションが東京の夜空に映えておりました。

 そのイルミネーションを見ながらロマンティックとツイートをするノー天気な人もいれば、弔意を現し、黙とうをする人もいたようです。確かにテロは非難するべきことだし、犠牲者には弔意を示したいという気持ちもありますが、私にはちょっとした違和感があります。

 確かに今回のテロにより百数十人の尊い命が奪われました。しかし、一方で大国の攻撃により、毎日のように数百人の命が奪われたり、アフリカ諸国では内戦で年間数万人の犠牲者が出ていますが、弔意を表している様子を見たことがありません。

 先進諸国、大国の人々が犠牲になった時には各国で弔意を表し、それ以外の時には無関心という様相が何とも違和感があるのです。ここに多くの悲惨な事が生まれる要因があるではないだろうか?

 先進国と発展途上国、この言葉もあまり好きではないということもあります。一時書いたことがありますが、国連の事務総長になぜ日本人がなれないのか。それは先進国だからという理由であり、現在の韓国出身の事務総長、次の候補になっている中国人という事はこの両国は発展途上国という事です。以前の言葉でいえば後進国という事になります。

 これ等の分け方にも差罰という言葉が頭に浮かびますし、先進国の人々の驕りを感じます。テロを起こした方からすれば、『お前たちが行ったことを我々は行っているだけだという理屈にもなるのだろう。

 ダイヤモンドのビジネスに身を置いていると、色々な場面でそれらの一部を垣間見ることが出来ます。ダイヤモンドが武器の交換通貨替りをしている事は以前にも書いたし、映画にもなっているので承知の方も多いだろう。戦争や内戦が起きている国や海外ではダイヤモンドは世界通貨であり、日本においては単なる贅沢品という位置づけです。

 中国がダイヤモンドの産出国であるジンバブエを何故に手に入れたのか、少し考えればわかることです。その間日本の外交は何をやっていたのであろうか?先進各国でパーティーを開き、その国のお偉方の機嫌を取り、無駄な税金の使い方をし、本当の意味での国の役に立っているのだろうか?先進国や大国側だけを見ている外交を行っていると日本でも同じような事が起きるような気がします。

 今回のパリでのテロ事件を踏まえ安倍総理のコメントにも違和感を感じざるを得ませんでした。
『悲惨なテロの犠牲者に弔意を志し、テロに対する非難をするとともに、我が国としても断固たる戦う姿勢を示していきます。』
 テロを非難することは当然で理解が出来るとしても、戦う姿勢という文言は必要だったのであろうか?先進諸国に対するパフォーマンスであるのであればやめてもらいたいものです。

 最近の日本の政治は何とか先進諸国の仲間外れになりたくないといった悲惨さが目に余ります。日本という独自のポジションがあることを改めて考えてもらいたいものです。
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2015年11月14日土曜日

相続対策⁉

 今月の10日と11日と立て続けに大物のダイヤモンドがスイスのオークションで落札をされ話題になっています。一つは16.08ctsピンクダイヤモンドでもう一つは12.03ctsのブルーダイヤモンドでした。

 ブルーダイヤモンドは59.5億円、ピンクダイヤモンドは35億円とどちらも過去の落札で考えても記録の更新でしょう。香港の富豪が落札をしたみたいですが・・・・。

 ただ、落札者の購入理由が面白いのです。愛娘への誕生日プレゼントという事ですが、そのお嬢さんはまだ7歳という事で果たしてとも考えてしまいます。つまり、誕生日プレンゼントという事もあり、果たして贈与税は発生するのだろうかという事です。ふつうは誕生日プレゼントという事であれば発生はしないと考えるべきでしょう。日本においても婚約指輪はいくら高額でも贈与税は発生しませんが果たして香港当局の反応はいかにという事ですね。

 このようなニュースが流れる度にダイヤモンドの資産性についても質問をもらいますが、これだけダイヤモンドが換金性に優れているという事が世界中でニュースで流れても日本国内ではまだまだ不安な人が多く、何時まで経っても日本だけがこれらの金融から立ち遅れていっているような気がします。

 決して今回の様な大きな物だけがその対象になっている訳ではありません。私自身の依頼をされてそれなりのダイヤモンドを供給しております。多くは2~5ctsサイズのものですが、後々換金性の優れていそうなものを前提としておりますが、結論から言いますと換金率がどれくらいになるかというのはどれくらいの期間を持ち続けるかという事もありますが、率を別にすれば確実に換金は出来るのです。

 ただ昨今の買取屋さんのような掛け率や販売価格では消費者が危ぶむのもわかります。しかし、それらの事ををふまえても確実に換金はされています。色石とダイヤモンドはそのへんが違うといっても良いでしょう。勿論、色石に関しても貴石で非処理の宝石であればそれなりの価格で取引がされ換金はされているはずです。

 これ等の流れに遅れるか今乗れるかでは将来が変わるといっても過言ではないと思います。事情を分かっている人々はやはり大粒のダイヤモンドの購入を急いでおります。しk足、私はもっと多くの人にその機会があれば良いと考えていますので、もっと一般に知られるように努力はしたいとっ考えています。

 私事ですが最近ワイン・エキスパートなる資格を得ました。一般的に知られるソムリエみたいなものですが、ご商売にしている人をソムリエ、その資格だけをという方がワイン・エキスパートと呼びますが、最初は脳トレのつもりで始めましたが半年間の通学と模擬試験の連続はさすがに途中で
音を上げそうになりました。

 話しは逸れましたが、実はワインの世界においても投資としての市場が成り立っております。年代物のワインが一本何百万円のものがオークションにおいて落札をされ、決して飲むわけではなく将来への投資としての購入が大きな理由であると聞いております。

 あらゆるものが投資の対象になっている事を聞くとその事自体はどうかなという気がしますが。ダイヤモンドは世界で最初の金融商品です。最も効率よく、最も安全といっても良い物でしょう。機会があればもっとその内容を世に広めたいと考えています。
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2015年11月12日木曜日

宝石という名の虚像⁉

 先日の展示会においての出来事ですが、いつも顔見知りのお客様が声を掛けてきて
『社長、ちょっとだけ良い?』
誘われるままに会場内にある接客テーブルに腰掛けると

『宝石の価格ってどういう風に付くの?』
このお客様は普段からお値引きの交渉が厳しく値を上げるばかりですが、
『社長のところはあまり値引きをしてくれないでしょ。だからほかのところのものを買うことが多いんだけれど・・・。』

 お話としては、先日使わなくなったジュエリーを買取屋さんに持っていったら色石の殆どが価格はつきませんといわれたとの事。
『私は相当値引をしてもらって、5割以上値引きをしてもらったものでさえほとんど価格が付かなかったわ。』
という事での質問でした。

 まず大事な事はビジネスをしている以上コストがある訳ですからよほどの事情が無い限りはそれ以下で売ることはない訳です。当たり前のことから説明をさせて頂いたうえで、宝石というものは買った価格が価値でそれは購入者の価値であって売る立場の価値ではないわけです。

 つまり、宝石の価格はよく言われることですが、あってないようなもの。正確には価格はありますが、わかりにくい物なわけです。それゆえに買う方の価値で価格が決まる訳です。それゆえ購入者が付いている価格が高いと思ったら買わないわけですが、売る側も価格が安すぎれば売らないわけです。

 ところが往々にして値引きの販売では消費者が値引きをしてくれたからという理由で購入を決めることが多くあります。特にお年寄りに関しては顕著です。値引きを出来るという事はそれなりの価格が付いている訳ですが、冒頭のお客様曰く
『こちらの価格は高い値段が付いているから値引きをしてもらわないと買えないのよね。』
という事になります。

 つまり、値引きを中心に販売をする業者は物の価値よりも価格の値引きにより消費者の情を利用しようとする輩が多い訳です。実際にはその価値のない物をいい加減な付加価値だけを説明し、更に話し込んだうえで値引きをし消費者の情を利用していきます。

 宝石や宝飾品そのものに偽りがある訳ではありませんが、販売する側のモラルで特にバブル以降に出てきた業者にはその様子が顕著に表れています。つまり、お金になれば良いといった安易な発想のものが多いような気がします。

 宝石は本来創り上げられた価値といってしまえばそれまでですが、実際には美しいという価値があるので価格が付く訳です。それゆえ、売買相互の価格が一致したところがその価値になる訳ですが、それをどんどん崩していかれると購入側はまだまだ下がるのではないかという不安感を覚えます。

 つまり、価格への不信感が生まれる訳です。本来価値あるものもそのような販売方法をとる為に
宝石という物に不信感を持ち更に不必要なものと考えるようになり、販売が難しくなっていくわけです。冒頭のお客様の言葉を借りれば
『宝石を買うときに売っている人を信用するしかないけれど、ここの人たちは信用が出来ないのよね。』

 勿論、すべての販売員を指しているう訳ではないけれど一部の業者の為に業界自体が虚像扱いされることは心外でもあります。怒りさえ覚えるような気がします。私自身がこの業界に参加をしたころの華やかでそれなりの立場にあった業界の事を懐かしくさえ思います。

 昨今の建築業界の様子を見ていても、どの業界でもあるモラルの低下は国民性の問題でもあるのでしょうか。
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2015年11月10日火曜日

地金相場⁉

 最近よくダイヤモンドと金の質問をされることが多くあります。勿論相続対策やマイナンバー制度を念頭においてということだと思います。

 よく販売現場で
『地金は高嶺相場で安定をしています』
という言葉も耳にしますが、多くの販売員さんたちは勘違いをしているようです。

 確かに日本円で考えるとそのように思えるかもしれませんが、実はここ3年間金地金は下がり続けています。2013年いは1オンス$1、600をしていたものが現在は$1,100を割っています。そして、米国の金融緩和を考えるとこの値下がり傾向はしばらく続くと思って良いのでしょう。

 多くの人々は地金相場ではなく為替相場が円の弱含みで、その結果金価格が高値にいるように勘違いをしていますが、地金相場は下がり、円安が続いているという事を考慮していないように思えます。

 つまり、地金製品特に金製品を販売するときに最も気を付けなければいけないことは、あくまでも世界相場はオンスであり、US$であることを考慮してアドバイスをしなければいけません。g炎上地金相場は弱含みであり、今後もしばらくは上昇は難しいかもしれません。

 ところで冒頭の金に次いで質問の多いダイヤモンドについてですが、過去30年で考える限りは殆ど値下がりはしていませんむしろ上がりっぱなしといっても良いでしょう。勿論、US$での話ですから円相場を考慮すれば$1.00=¥360から¥80までの上昇という事もありますのでドルで変わらなくても4分の一までに価格が下がったという事にもなりますが実質的には円で考慮しても値上がりをしているサイズや品質もあります。

 ただ金と違うのは圧倒的に品物が少ないので相場というよりも希少性という価値が多くの価格判断を占めます。つまりそれは何時も書くことですが大きさです。勿論綺麗な事が前提にはなりますがあくまでもグレードと違い大きさは世界共通で希少性という一定の価値をあらわすものが大きさです。

 求められる方の多くが質問をする事は
『売る時にはどうすればよいのでしょうか?』
という事ですが、これは現状では街中の買取屋さんという事になりますので取引としてはあまり良い方法では無いしょう。何故ならダイヤモンドに対しては素人ですから価格が解らないので少しでも安く買い求めようとします。つまり、転売目的で引き取っている訳です。

これは価格は別にしても売ることの出来るものであることには金と少しも違わないという事です。実際には金地金も引き取る時には相場の6掛けから8掛けで多くの業者は引き取っている訳です。ダイヤモンドとほとんど変わらないといっても良いでしょう。

 但し、ダイヤモンドにおいても目安になる相場はある訳でその金額と大差なければ十分に一般の方も売り買いが出来る訳ですが、其れでは一体どこで売れば良いのかという事になります。

 勿論良心的な業者さんがいれば一番良いのですが、以前にも書きましたがシンガポールにダイヤモンドの取引所が開設をされ、現在日本版も準備をされていると聞いています。そうなるとそちらで販売が出来るという事にもなりますが、近い将来にその形に近い物が国内のは出来上がってくると確信をしています。
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2015年11月9日月曜日

ユダヤ人とダイヤモンド⁉

 以前にも書きましたが、ユダヤ人と日本人の一番の違いは視点です。

 例えば、コップを多面的に見るとどうなるかという質問に対して日本人は
『横から見ると四角ですが、上面もしくは下面から見ると円です。』
という事になりますが、ユダヤ人はグラスの中から見る事の選択をします。何故にこのような違いが出るのかというと『タルムード』などの経典の教えによるものといわれています。

 生きていく上で、不可欠なものは自然からだけでは不十分なわけですが、日本人は自然に恵まれたこともあり、また島国でもあったことにより自然の中の農業であったり、漁業などとともに生きてきました。

 ユダヤ人は国を持つこともなく、劣悪な自然環境の中で生きてきたので、生きていく手段を自らが生み出さなければなりません。つまり、価値を創り上げていかなければいけないのです。色々なユダヤ人が人口の割には多くの部門でノーベル賞を受賞しています。その事自体がユダヤ人のまさに生き方を示しているのでしょう。

 その典型といっては過言かとは思いますが、自身の仕事柄とお許しを頂きたいのですが、ダイヤモンドです。周知のごとく今や金融商品の一部としても認識されているのですが、簡単に言うと石です。

 そこに価値を待たせるという考え方よりも、このような価値があったら良いなと考えたときにそれに最善のものとしてダイヤモンドがあったわけです。つまり、自身に必要性があり、その事をかなえてくれる題材が欲しいと思った時になんでもかんでもという訳にはいきませんが、その条件を満たしてくれるものとしてダイヤモンドがあったわけです。

 金融市場における貨幣や証券は正にその代替品なわけですが、それらは物理的にももろい物ですが、国や一定の組織がその価値を保証をしています。しかし、それらの元になったものといっても良いかもしれませんが世界が認めるものとして価値を持たせ、実質的に自分たちが生きていく上でのビジネスの題材にまで仕上げたという事です。

 一方的な考え方だけではこのような形にすることは難しいのですが、人が望んでいるであろうことを探しだすことにかけての才能はユダヤ人の特徴でしょう。冒頭の件がそれです。物を売ろうとするときに日本人は売る側の効率や結果を考えプロモーションをしますが、ユダヤ人はコップの内側、つまり、買い手側の真理が条件となり、それをビジネスにします。

 例えばある日、自分がこんなものがあれば良いなと考えたとしましょう。ユダヤ人は其れなら他にもほしい人がいるはずだからこれを商売にしようと考える訳です。よく日本人の中にもこんなことをやりたいけど誰もやっていないから自分でやちゃおうと考えビジネスにして成功する人がいます。まさにそれなわけです。

 コップは外側からだけではなく内側から見たほうが本来の使用方法以外が見つかり、新たな価値を見いだすことが出来るのです。

 ダイヤモンドはユダヤ人にとっては正に自らの環境好条件を持たなかった為に創造をした究極の価値なのでしょう。http://ameblo.jp/diamonrow

2015年11月5日木曜日

ダイヤモンドの個性!?

 先日イスラエルで買付をした50ピースあまりのハートシェイプのダイヤモンドですが、いまさら何をといわれそうですが、同じような大きさのこれらのハートでマッチングを作ろうと試みたところ、これがなんと難しいのでしょう。

 同じような大きさで同じような形をそろえてきたのにセットを組もうとすると、それぞれをじっくり見ると全部顔が違うのです。当たり前だし、違いを解っているはずなのに改めて、それぞれ生成過程の違う原石を研磨したものは違うんだと実感をした次第です。

 そしてそれらの形は消費者一人一人が好みの違いを表現するときに言葉として出される一言はおなじ内容であることにもビックリしました。

 まとめて、展示をしたところ色々物色し、お客様のそれぞれの好みによって選ばれるものは違うのですが選んだハート型のダイヤモンドに対して
『私はこの子が好みです。』
と擬人化するのです。

 ダイヤモンドの選び方に対して私はよく『一期一会』という言葉を使います。それは買付や販売を含め一度気に入りながら、流したダイヤモンドにほとんどの確立で二度と見ることがありません。それは自分の気に入るものは他人も認めることはプロ同士の場合はよくあるのですが、消費者の間ではあまりないことではないかと思っていました。

 それは、例としてハート型ですが型自体はそれぞれの好き嫌いがあるのですが、同じような傾向の形を用意した場合は消費者同士でもかなりの確立でかぶります。しかし、その中でのダイヤモンドの個性は明らかに違うのです。

 つまり、消費者同士は用意されたものを選ぶのである程度それなりの許容範囲で一致すること
理解できるのですが、その中でも好みの違いはある訳です。

 一人の消費者選んでいるダイヤモンドを他の消費者が見ていてそれほどの興味を見せなかったとします。そして、その見ていた消費者が選んだダイヤモンドをその消費者がすぐには売れないだろうから、決定は一回りしてほかのものを見てから決めようとします。

 その後、やはり先ほど見たダイヤモンドに決めたいと戻ってきたときに他の消費者がすでに購入をしていたということが間々あるのです。

 ダイヤモンドの個性はかなり違います。それと同じように消費者の個性も違います。しかし、個性の一致を見たダイヤモンドと消費者はかなりの確立で購入をされるのですが、反面気に入ったが一度考慮してみようとするとその後出会わないことがよくあるのです。

 当方が選んでライフ(輝き)の強いダイヤモンドを用意したとしても万人が気に入るわけではないのですが、最後には必ずその個性は誰か彼かに合い購入をされていきます。

 ダイヤモンドに個性は無いと感じている人々も多くいるみたいですがそれはじっくりとダイヤモンドを見る機会が無い人のセリフでしょう。販売する人々にもそのような事を口にする人がいることもさびしい限りです。

 ダイヤモンドと消費者の個性が出会う交差点が小売店であり、展示会なのでしょう。そのアレンジをする人々が販売員ということになるのでしょうからダイヤモンドを一部の知識だけで販売をすることは消費者にとってはとても不幸なことだと感じます。

 それらの理解した消費者はより一層ダイヤモンドの価値を感じ、手に入れることの有意義さを実感を持って体験し、充実したダイヤモンドライフを体感することになるでしょう。
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2015年11月1日日曜日

円いだけがダイヤモンドじゃない!?

 個性とか自らを生かすという言葉をよく聞きますが、現代の日本社会においては両極端なような気がします。前回書いたように目立ちたいとか知らせたいとかいったことに関しても流行に沿って皆が一斉に動くことによって実は目立たなくなってしまいます。

 実に日本らしい行動に反して、皆がやらないことや自分発の行動や形といったものに関しては本来の魅力であるにもかかわらず日本人が苦手な分野でもあります。日本の風潮は団体の個性として海外でも興味を持って見られますが、それは海外には無い集団行動があるからでしょう。

 個性といったものを割りと受け入れられない環境はマイノリティーが育たないといった背景になっています。実は自然の何事にも個性というものがあり、メジャーになるものは人工的な製造物が多いということです。しかし、日本人にはそれが受け入れられやすいということもあります。また、それが日本の原動力にもなっています。

 ダイヤモンドにおいても円いラウンドブリリアントが受入れられ易いというというのも皆が認め、皆が持っているものであるからということが大いにあります。それはひとつには販売側の売りやすさも4Cグレーディングが対応しているということで容易だということもあるでしょう。

 ファンシーシェイプといわれる円以外の形のダイヤモンドは原石の形自体が円のものとは違いそれぞれの個性を生かすしかありません。人工的に研磨がされ、形が決められているような気がするシェイプに関しても実はダイヤモンド自体が暗に自らの個性を生かすように後から現れた人間たちに指示しているようにも感じます。

 原石の形を生かしたファンシーシェイプに関しても磨り上った形は一つ一つが違い、やはり個性があります。それはそれを見た人々の嗜好にもよって好みがありますのでそれぞれの嗜好により選ばれます。

 よく日本人の集団行動は個々の自信の無さといわれることが多いように思われますが、もっと自分の好みや嗜好を信じてもよいのではないかと思うほど感じることがあります。ダイヤモンドのビジネスを長い間行っていると多くの人々に感じることがあります。ビジネスをしている人は円いダイヤモンドを無難に4Cで選んだり、円いダイヤモンドで大きさがあって安ければよいといった視点でダイヤモンドを扱ったり、購入する人であれば皆が持っている円で安くて大きければといったことでダイヤモンドを選び、強いて言えば購入者は美しいことを条件としますが、販売側は必ずしもそのような見方はしません。売れればよいといった観点で考えます。現在の通販などはその典型例でしょう。

 研磨する側も出来上がりに個性が出すぎるために売れるものと売れないものが出、その割には円ほどは高く売れないといったこともあり、そのために供給量もあまり多くは無いということもあります。つまり、ファンシーシェイプは円ほどは高くはないし、個性も豊かで美しさも円と違う魅力がいっぱいです。

 自然がくれた個性を最も生かしているものがファンシーシェイプであり、美しさもそれぞれのです。
本来の宝というものを考えたときに小さくても寵愛が出来る対象であり、自分らしさを表してくれるものだと思います。

 円いものにも魅力はありますがそれは難しい魅力です。もっとシンプルにj自分を信じてダイヤモンドを見てみてください。ダイヤモンドの新しい魅力や価値を見出すことが出来ると思います。
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2015年10月31日土曜日

ハロウイン⁉

 毎年ではありますが、この10月31日は和が商店街ではたくさんの子供に御菓子を配っています。本来は収穫祭に悪霊を追い払う宗教的行事ではなりますが、日本ではすでにクリスマスが我が国特有のお祭りになっています。

 日本人は何かとお祭りにすることが好きで、クリスマスにしてもヴァレンタインデイにしてもすでに欧米とは形が変わり下手をすると日本の形が欧米諸国に伝播していく様になっています。

 日本人が大人しくシャイな印象があったのはすでに過去のものとなり、今では出たがり、目立ちたがりが主流になっているように思えます。SNSなどが広がりその様相はさらに拍車がかかり、自分のランチをアップしたり、今どこにいて何をしているのかを皆と共有したがる様子はにわかには信じがたい気がします。

 過去、我々のビジネスにおいてもダイヤモンドの婚約指輪や、アニバーサリーリングなどがおお流行りになりましたが、これもやはり業界が仕掛けたもので日本人はやはりこの手の他人が仕掛けてくれたものにのることが上手なのかなとも思います。

 ハロウインの御菓子を配りながら、子供たちの可愛いコスチュームを見ていると、まさに数年前との大きな違いを感じざるを得ません。どこまで行くのだろうと思いながらも子供たちのはにかみながらお菓子を手にする様子を見ると思わずにやけてしまいます。

 このような国民性が今の経済なども支えていくのだろうと思いながら、仕掛けることの難しさもあるでしょうが、デジタルではないアナログな祭りが経済を支えていくことが本来の経済の源流にあるのかなと、ハロウインと関係のないことが頭に浮かぶことは固すぎるのでしょうか。(笑い)

 

2015年10月27日火曜日

ダイヤモンドは変わらない!?

 イスラエルでの買いつけも3日目を向かえ、こんなことがあるのだろうかと思うほどこちらの思うようなものが無い。またあったとしても価格が折り合わないことが多く、憂鬱になるような気分です。

 勿論、こちらが無理すぎるようなオファーをしているわけではないのですが、とにかく相手は手ごわいのです。その背景には市場が弱く思うほどの利益を上げられないマニュファクチャ側の都合もあるのですが、利益が上がらないファンシーカットなどの研磨を行わないといった理由もあります。

 しかし、ファンシーカットなどになる原石はやはりラウンドブリリアントになるものよりは原石も安く手に入れているはずなのですが、ファンシーカットなどは形に好みもありますので原石がよほど都合が良くなければやはり売れにくいということもあります。結果安くしても売ってしまうということになり利益も上がらないということになります。

 ラウンドブリリアントにしてもにグレード販売が主流を占めているので価格を大きく市場とかけ離sれたものには出来ないということになります。しかし、結果グレードさえ出れば販売の出来るラウンドに関しては利益が少なくても販売は可能なのでラウンドが主流になります。

 ここで問題が何時ものように起きるわけです。少しでも利益を上げたい業者はファイクグレードに手を出すことになるわけです。以前国内の鑑定会社でもそれがばれて結果つぶれてしまったところもあります。

 最近ではやはりマニュファクチャがグレードをつけて販売をすることも多くなり、これはバイヤーに価格をたたかれない様に先にグレードをとってしまおうということです。しかし、価格チャートが存在し、グレードがすでに付いていればプロが必要なくなりますので、取引所内においてもダイヤモンドのことをよく知らない人々が横行するようになります。それはブローカーであれバイヤーであれです。

 いよいよもってそんなことが、とあきれるしだいです。モラルを前提とした価値でもあるダイヤモンドの信用を落としかねないことです。結果的にはハッキングを行ったのがこのビジネスに携わる者だとしたら、自らの首を絞めているようなものです。

 ダイヤモンドを見る訓練をすれば済むことをそんなすぐにボロが出るようなことで努力をするなんてばかげています。そして何よりも価値を説明することによりそれなりに価格で販売が出来るように努力をすればよいだけのことです。

 ダイヤモンドが変わるわけではなく、扱う人間のモラルが変わってきただけです。

 モラルに低い人々が業界を去る日が来ればもっとダイヤモンドが輝くでしょう。

 

 そうなるとまた顔を出すのでファイクグレードです。以前はイスラエルであり、今回はインドでですがグレードの主流を占めているGIA(米国宝石学会)にハッキングされグレード結果の改ざんが行われたのです。http://ameblo.jp/diamonrow

 

2015年10月25日日曜日

イスラエルにて!?

 昨夜テルアビブに着き、空港からも列車の都合がよく、今回は良いことがありそうな予感がしていたのですが、今朝は朝からの雨で、少し出鼻をくじかれたような思いです。

 事前に研磨上がりの状況を確認はしてきたのですが、現在は取引所とはいえ大粒が足りない状況です。確かにここ数年オーックション等でも落札されている大粒は殆どが過去のもので、ファンシカラーにしてもやはり各持ち主が回している感じにもうけます。

 よく今後本当にダイヤモンドの価格は上がるんですかという質問を受けますが、しょうじき断定するようなことが出来ません。しかし、株や地金にもよく比べられるのですが、それらが確実だという人がいるのだとしたら、それの数倍の確立で断定できるでしょう。

 勿論限りある資源だということが出来ますが、消費資源ではありませんから無くなることもありませんし、代替のものが出てくるとも考えられません。ましてや以前より、資産性が増していることも事実でしょう。そのことを考えると繰り返し使われる資産として考えるとやはり値上がりの可能性は高いでしょう。

 ただ、金やプラチナのように一律の品質のものではないので品質により自分にあった価値の物を手に入れることは出来るでしょう。確かに地金もそれに合わせた重さで手持ちをすればよいのでしょうが少し価格が大きくなると持ち運びもままにはなりません。動産の価値というものは携帯性や移動性が容易であることを考えるとダイヤモンドにはかないません。

 先月シンガポールでダイヤモンドの取引所オープンの件を依然書きましたが、それなりの登録数が増えていると聞きます。従来のダイヤモンド取引所はプロの上流が前提でしたが、シンガポールはプロも消費者も関係ありません。それは株式市場のようにその差が無いのです。

 勿論大きなサイズのものが中心ですから、従来の市場にそれほど大きな影響があるとは思えませんが、大きなサイズをそれなりの資産で運用をする人々には朗報でしょう。日本にもそんな遠くではない日に上陸をするようなことも聞いています。

 サイトを覗いてみましたが、たいへんお金の掛かったすばらしいつくりのものです。ただ大きなミスを犯しています。多分にダイヤモンドビジネスの上流での経験が少ないのかということも感じました。しかし、オークションシステムといったことを考えるとそちらのほうのプロがかかわって作ったことは大いに想像できます。いずれ、改善されるのでしょう。

 以前イスラエルをはじめアントワープ、ニューヨークと取引所や買付事務所を回ってみて、今ほどの品不足を感じたことはありません。勿論恒常的な市場を形成しているもの(小さなサイズ等)は足りているような気がしますが、宝石としての醍醐味のあるものは本当になくなりました。

 供給元は以前のシンジケート一本槍ではなく、複数の供給元が増えたのにもかかわらずです。これから今回の買付が始まるのですが、大粒から見ていくつもりです。特に5ctsアップのところは数が少ないのでなるべく手に入れたいものです。
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2015年10月22日木曜日

ダイヤモンドの未来予想図⁉

 ダイヤモンドの登場は旧約聖書になりますが、実際に表舞台に出てきたのは14、5世紀の事でしょう。そして金融的な役割を持ち始めて300年余りになり、庶民になじみ始めて100年にも満たない時が過ぎていきました。

 私自身がこのビジネスに接するようになってからでも多くの変遷がありました。それは庶民のものになったという事が大きいのでしょう。しかし、、結果的に資本主義の原点ともいえる価格競争がおこなわれ、その上一部の心無い業者によるグレード詐称なるものが行われ、業界の信用を著しく傷つけました。

 これのは現象はダイヤモンドそのものに価値があるという人類の判断があるからである事は疑いようのないものです。もし、何らかの価値もないとしたら数百年もの間、富の象徴として君臨し得ることができたでしょうか。

 ダイヤモンドの知識が広まるにつれ、4Cのグレードという物に危うさが出てきたようにさえ感じることがありますが、一方でダイヤモンドの本当の価値を見る事が出来る消費者も多く出てきたように思います。当方のお客様でも、財産保全を目的とした購入を考える方もいれば、単純にダイヤモンドを愛でる事が好きという方もいらっしゃいます。

 そしてそれらの方々の中には大きさを求める方もいれば、品質を求める方達もいらっしゃいます。
大事な事はダイヤモンドを知るという事ですが、ダイヤモンドの品質は一律ではありません。組み合わせだけでいえば、数万の組み合わせにもなるでしょう。しかし、一般的には人間が判断をしうる範囲の組み合わせですから、ダイヤモンドシンジケートのオフィシャルによる1万数千程度の組み合わせでしょう。

 人間も同じように色々な性格、外観の人々がいます。ダイヤモンドも同じように様々なのですが、
一番に目立つのはサイズの大きさでしょう。これは世界共通といっても良いでしょう。その次に来るのが形で、輝き、色という順序で一般的な人々の目に入って判断をするものです。

 どれを基準にするかは、人間関係と同じように好みがあります。スタイルの良い人、小柄な人、大柄な人、そして、性格といったように様々です。特に性格は人ぞれぞれで多くの人が否定的であっても自分にとってはとても良い人であったり、多くの人が好意的な人間でも自分自身にとってはどうも苦手という人もいれば、相手が誰でもあまり気にしないという人もいます。

 古い言葉に『長所と交われば悪友なし』という言葉があります。どの部分を見るかは人それぞれで、どの人間にも必ず魅力はあるという事です。ダイヤモンドにおいてもそれぞれという事になりますが、多くの業界人も含めて勘違いをしているのはダイヤモンドを一括りにしているという事です。実はダイヤモンドは大雑把に分けてには3種類あり、宝石としてのダイヤモンドと工業用にダイヤモンド、そして単に鉱物としてのダイヤモンドとあります。

 宝石としてのダイヤモンドは美しい事が前提ですから、昨今一流百貨店やTV局が主催のTVショッピングで行ているような格安ダイヤモンドの殆どは鉱物学的にダイヤモンドというだけのものが多いので、果たして宝石といえるのかどうか疑問です。

 話しが一通りとなったところで、ダイヤモンドの未来ですが、多くの人々の需要の形が変わってくるという事でしょう。従来通り、ジュエリーの材料の一部としての用途もあり、財産保全、投資用のダイヤモンドあり、そしてコレクションとしてのダイヤモンドと人ぞれぞれのダイヤモンドへの接し方が違ってくることは容易に想像でき、ダイヤモンドビジネスに接する人々のスタイルも変わることは必須となってくるでしょう。

 その案内役を担う事が出来るのはごく一分の業者になるであろうし、顧客のニーズに合わせると同時に啓蒙も同時に行えるだけの知識も必要になってくるのでしょう。

 いずれにしてもダイヤモンドが単純にダイヤモンドではない時代に突入をし始めたことは疑いもない事実です。それぞれがどう接するかは其々次第という事でしょう。
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2015年10月20日火曜日

小さな正義と大きな正義⁉

 『小さな親切大きなお世話』という言葉がありますが、最近、安倍総理が携帯電話の料金を下げるよう検討するように指示を出し委員会が出来たという事ですが、理屈は携帯電話料か家庭の生活費を圧迫しているという事らしい。

 確かに安ければ皆喜ぶであろうことは想像が付きます。しかし、何か間違ってはいないだろうか?本来の必需的な事だけに携帯が使われているのだろうか?実際にはそれ以外の用途で使用され犯罪も起きているのではないだろうか?

 実際の現代に生活において必要な部分もあるとは思います。しかし、ほとんどの場合はそれ以外の手段で済むことだったたり、携帯を使うがあまりトラブルが起きたりといった本来に人間生活にむしろ障害をもたらせてはいないだろうか?実際に10年ほど前にはなにも困ってはいなかったように思えます。

 一見、国民を向いている政策のように見えますが、私には『小さな親切、大きなお世話』に見えます。それは政治家がやることでもないし、小さな正義は大きな正義を見誤らせます。今回の政策は人間の度量に比例することを考えると、総理の器に疑問が生じます。

 何事も、小さな正義というものは行う側の単なる満足感である事が多いように思います。よく例に出されることですが、アフリカを救うには食料を与えることもそうですが、畑を耕すことや、教育をする事への手助けをするべきという事が挙げられますが、まさにその通りです。

 食料品を与え、その喜ぶ顔を見て満足している人も良く見かけます。しかし、それは何時まで続くのでしょうか?

 根本的な事を解決するには救済を求める人々に課することが実際にはあるのでしょう。それは救済を求める人々に本当に立ち直ってもらいたいという気持ちがあれば心を鬼にしなければいけないこともあるのでしょう。

 マイ・ナンバー問題には何回か触れてきましたが、今行政の方では一元管理をしないから、個人情報が一蓮托生でハッキングをされることはないという説明をしていますが、本来の問題はそれを運営する行政に対する信用が無いという事だという事に気づいていません。勿論気が付いていても気が付かないふりはすると思いますが・・・。

 本来不公正税制を是正するという事が根本的な事としていますが、官民の不公平待遇が根本にあるのですから、何をか云わんやです。

 身の回りにも沢山の小さな正義と大きな正義があります。勿論小さな正義を否定している訳ではありません。それが本来の正義と思っている人も多くいます。安倍総理のように・・・・。

 しかし、大きな正義は痛みも伴うのかもしれませんが現代においてはビジネス、生活とあらゆる場面で大きな正義を問うてみるのも良いのではないでしょうか?

 本当にこれでよいのか?・・と。
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2015年10月16日金曜日

マイナンバーのそもそも⁉

 最近はTVで毎日のようにマイナンバーの話題が報道されておりますが、運用だけではなく既に運用側の行政のミスも同じように報道されています。

 実際の運用になると暗証番号やパスワードのようなものも用いなければいけませんが、6~12ケタの英数字を含むパスワードのようなものやそのほかに暗証番号が必要という事で、代理人の場合は委任状、紛失した場合は住民票と印鑑などなどお年寄りや、赤ん坊やお年寄りには無理があるのではないかという内容が盛りだくさんです。

 その他にも問題が目白押しですが、この制度最終的にはどこへ向かうのだろうと考えます。色々な場面で想定するとパスポートをとる時に戸籍抄本がいらなくなるとか、将来的には保険証の代わりになるとか、いろいろな可能性と利便性をうたっています。

 しかし、軽減税率の問題も含めて財務省案が通らず、来年の選挙を見据えて公明党の意見に配慮をしているなどなどの報道がありますが、誰の為に国民が犠牲にならなければいけないのか疑問です。このまま不都合の度に修正案が加わると最終的にいつでも携帯し、提示を求められて持っていなければ連行されるという事態にもなるのではないか。現実に今でも外国人は登録票を携帯していなければ警察にしょっ引かれます。

 これでは全くの社会主義の入り口に向かっているようなもので、社会主義は国民の動静をすべて管理をする事が基準になっていますので、満更遠い話ではないのです。そもそもが財務省が国民一人一人の財布の中身を管理したいという所から始まっている制度だし、そのかわりこんなに便利ですよと一生懸命説明をしている訳だけのものです。

 不公平税制や利便性をうたっていますが、そもそも官僚、役人と一般国民の間柄自体が給料体制、年金体制、住環境体制すべてが不公平であるところが一般国民の反感を招いているのですから、その辺が解消されれば皆一生懸命税金を納める努力をすると思うのですが(すべての人とは言いませんが)、そこの解消無しではその盲点をついての節税、脱税がもっと増えるような気がします。

 そもそも国民の側に立った制度ではないことが問題であり、マイナンバーがクレジットカードに必須になったり、口座にひも付きになったり、将来的にカードにGPSが仕込まれたりしたら、ここはどこの国かという事になります。

 政治家や、官僚役人が襟を正すだけで、ある一定の解決が出来る問題を国民側の不誠実のように作られてきたこの制度はいったい何なのであろうかと考えます。
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2015年10月14日水曜日

常識⁉

 昨日の夕刻やってきた友人が世間話をしながら、宇宙論という事で話し出した時に「自分は天文学者の話を聞いていて瞬間的にむなしくなることがある。」と言い出し、人間の人生なんて宇宙時間で考えるとほんの一瞬だという言葉が引っかかったという事です。

 人生の中での営みなんてと考えるようになると色々とむなしくもなり、大事にするものも変わる様な気がするという事でした。それは彼の仕事柄かもしれないが、とことん深く追及をしたくなるようでした。(彼の仕事は俳優)

 その彼がいきなり
『高木さん、ダイヤモンドの価値って何だろう?』
といきなりダイヤモンドの話題に
『どういうことですか?』
と聞き返すと
『宇宙からダイヤモンドをたくさん含んだ隕石が落ちて来たら、その価値はなくなる訳でしょう。それに、実用品でもないダイヤモンドが何故価値を持ち続けるんだろう?』
と言葉をつづけました。

 『もし、今の時代でなければ今のような価値は持っていなかったでしょう。其れにダイヤモンドが今のように一般化され始めて価値を定義付けられて、まで400,500年の事です。』
と私は言葉を選びながら話し始めました。

 確かにいつもこのブログでもか書いているように、嗜好性が高い物であることも事実ですし、実用品でもない物です。しかし、それではなぜ人々はこれに価値を見いだしたのでしょうか?今や、世界共通の価値として人々が認めているということはそれが現代に常識であり、必要な要素であることが認識をされているという事だと思います。

 何故といわれてもそういうものだとしか答えられないのですが、ダイヤモンド以外のものでも絵画や技術品といわれるものもやはり価値があるとされています。それは歴史を経て皆が価値をそこへ見いだしたのでしょうが、皆が皆その事自体に価値を見いだしているとは思えません。

 つまり、常識というものは時代、場所、時には宗教によって違うものではないでしょうか。今や一般的になったスマートフォンやインターネットは今や常識です。しかし、ほんの数十年前には存在をしていなかったものです。今や常識なのです。

 ダイヤモンドに何故価値があるか?
多くの人々から質問をされます。応えることが出来るとしたら
『それでは、何故あなたはそんなにダイヤモンドの事に興味があるんですか?』
と答えたいのです。

 絵画や芸術品はその才能を見いだした時代や人々土地柄によってのものですが、それが知られるようになると今度はある意味の経済性をもって価値が作り出されていきます。ダイヤモンドも同じような背景によって価値を見出されてきたのでしょう。

 ただ、ダイヤモンドと他のものとに違いは自然が作り出し、よほどの外的要因が無い限りは永遠なのです。そして、それは今や世界の常識なのです。最初に友人の質問に答えるとしたら言葉を繰り返すようですが
『それが世界の常識であり、その常識の世界を共有するかどうか?』
という事なのだと思います。
 そして、その上でその常識が何時の時代まで続くのかという事になれば、その変わりになるものが宇宙からでも来ない限りは永遠なのです。

 つまり、常識になればそこに実用品でなくても価値は成立するのです。

 【ダイヤモンドの価値があることは常識なのです】
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2015年10月12日月曜日

貧乏と欲望⁉

 昨日TVを見ていたら元ウルグアイ大統領のホセ・ムヒカ氏の特集を目にしました。何気に他の事をやりながら見ていたのですが、ある言葉をきっかけに目を凝らすこととなりました。

 その言葉とは
『人間は物を造りそしてそれを壊し、また造って売って、壊して進化をしていると思っている。そしてそれを手に入れるべく、時間を費やしてお金を稼ぎ、そして人生を終える。もっと時間を大切にすべきだ。』
と話し、更に日本人にも言及し、
『日本人はかつて、物を大事にし、事足りて十分という生活をしていたはずだ。そんな日本人が私は好きだった。』
とも述べたいました。

 耳に痛い話だと思いながら、彼を有名にしたリオデジャネイロでの国際会議での演説が頭に浮かびました。
『貧乏とは、物が無い事ではない。物をもっと欲しがる心だ。』

 彼の給料の90%は恵まれない人々に寄付をし、残りの日本円で10万円ほどのお金で大統領時代は過ごしていたそうです。そして、愛車は中古のVWで自らが運転をして、大統領府に通っていたそうです。

 日本の政治家と称している人々にも少しは見習ってほしいものです。しかし、現代は確かに消費文化であり、生産したものを壊し、また造りといった社会の中で『お金は天下の回りもの』、お金持ちがお金を稼げばいずれ他の人にも回ってくるといった政治姿勢で臨む現代日本であります。

 人間には欲望があり、物を望み、そこに進化があることは事実であろうし、清廉な気持ちを持った人間もいないわけではないであろうとは思います。人間は弱く、不十分な生き物であろうとも思います。

 しかし、心の置き方によってはお金が有り、使えることが裕福であることではないという事もあります。ムヒカ氏が言っている事がなぜ人々に響くのでしょう。自分には出来ないけれど誰かにそれを望み、その事が本当は正しいと思っているところがあるのではないでしょうか。

 物を大事にすることや、事足りるといった心の持ち方が目新しいものは創り出さないかもしれないけれど心が豊かになるという事ではないだろうか。

 ダイヤモンドの話をする時によく私自身は耐久性の話をします。壊れないことや長く持つこと、そして変わらないことも大事な価値であるということを・・。

 一見、贅沢品のように見えるダイヤモンドが前述の話と違和感のある話として聞こえるかもしれません。しかし、基本は心の豊かさであり、何世代にもわたり、もしかしたら人類が終わるまで受け継がれていくものだとして考えたらどうだろうか。決して矛盾のある話ではないと思います。

 人間の体は口から食した動物や植物といったものを必要な栄養素だけ体に取り入れ、あとは排泄されます。体は便利なもので口から入れた食べ物を体の中でタンパク質だとか、炭水化物だとか他の栄養素に変え、取り入れる仕組みを持って進化をしてきました。しかし、必要以上のものを取り入れるようになると病気にかかり、やがて絶えていきます。

 人間何ごとも過多になるといけないのかもしれません。改めてホセ・ムヒカ元ウルグアイ大統領の言葉に耳を傾けるべきではないかと感じたものです。
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2015年10月10日土曜日

ダイヤモンドの希少性⁉

 先日、接客をした方がダイヤモンドを選ぶときに何を基準に考えるとよいかという質問がありました。これはどのような用途でという条件にもよりますが、単純にダイヤモンドという事でいえば『希少性です』という事になるでしょう。

 勿論、婚約とかジュエリーという事であればまた他の要素も入ってきますが、ここではダイヤモンドという単純な条件であればという事でお客様にはお話をしました。

 『ダイヤモンドの希少性は何を基準に考えれば良いのですか?』
という質問に間髪入れず
『それは大きさですね。』
とお答えしました。

 ダイヤモンドは基本的に生成過程では結晶構造として、正八面体を構成していきますが実際にはマグマ等の地中での環境もあり融解等により円みを帯びたり変形をしたりを繰り返します。その為に大きく成長をしていくことは困難な状況になります。

 つまり、大きく成長をしても正八面体には程遠いような形になり、平たい物や俵状のものになったりするわけです。その中で平たいものは歩留まりの良いエメラルドカットになったり、他のファンシー・シェイプになったりという事になります。

 勿論、正八面体に近いまま大きく成長をするものもありますが、かなり確率は低くなります。正八面体のものはラウンド・ブリリアント・カットにされることが多いので、結果ラウンド・ブリリアント・カットの大きな物は数が少なく希少性が高いという事になります。

 大きなサイズ(20~30cts以上)のものにはラウンド・ブリリアントカットが少ないというのはそのような理由です。勿論そこから導き出される結論でいえばラウンドに近い型ほど希少性が高くなるといっても良いでしょう。

 例えばハートシェイプの様なものも数が少なくなりますが、マーキースやオーバルの様な俵型に近い原石から取れるものはラウンドブリリアントに比べて数は多くなりますが、条件は厳しく研磨され出来上がった形自体が好みの対象になりますので、別の難しさもあります。

 細かく書き述べるとキリはありませんが、大きさを希少性の第一条件に上げる理由がそこにあります 。無論、綺麗であることが条件であることも当然です。

 その他の要素でファンシ・カラーやノーマルカラーのダイヤモンドにおいての限りなく白に近いという条件も存在しますが、それは大きさという条件の次に来る事となる訳です。

 内包物に関しても量が多くなれば、美しさを損なう悪条件となる訳ですから内包物に関しては肉眼において美観を損ねないことが条件なだけであって、それ以前に大きさがあるかどうかという事になる訳です。

 結論から言いますと、ダイヤモンドは大きく成長する事自体が難しい環境で生成されているので、それ以外の条件は二の次という事に結論を付けたいのです。http://ameblo.jp/diamonrow

2015年10月5日月曜日

ダイヤモンド側⁉ 追記

 前回文での誤解があってはいけないが、インターネットビジネスを否定するものではなく、ショッピングにしても実用品や普段自分が使っている物は良いけれど、嗜好性の高い物や希少性の高い物、独自性の高い物に関しては難しくなってくるだろうし、また、物の溢れた現在ではそのようなものしか売れなくなるだろうという意味です。

 インターネットを使ったから簡単に売り上げが上がる訳ではないという事実は間違いがないし、もっと足元を見た本質的なものをしなければならないという事です。目的を達成するに本質的な事が何時の時代でも必要であり、誰かのせいにしたビジネスは結果が出ないという事でしょう。

 ダイヤモンドに関してもお金があるから買えるわけではなく、条件がそろう事が必要不可欠であり、その結果お金があるかどうかであって二次的な事でしかないということで、時としてお金が一次的条件と考える人がまま多いように思います。

 貨幣がまだ無い時代であっても物は原始的流通をし、物は動いていたわけで、植物が先に存在し、結果動物がそれを食し、進化をしてきた訳です。決して人類の他の動植物が存在をしている訳ではなく、人類はその恩恵にあずかり存在をし、進化をしている訳です。

 現代は多くいの事が逆から見てそれが順方だと考えがちではありますが、実は逆方であることが多いのです。

 話しが少しややこしくなりましたが、見る方が違えば価値の意味も違っているという事が述べたかった次第です。そして、ユダヤ人多くの発想は原始的ともいえるその辺から、アインシュタインにしても、グーグル、アマゾン、インテル、デル、フェイスブック等の多くのIT関連リーダーたちがほとんどユダヤ人であることを見ても彼らが時代時代の変化に敏感な事も立場を変えて物を見るといった彼らの教典であるタルムードの教えからなのでしょう。

 

ダイヤモンド側⁉

 以前ユダヤ人の物の見方が変わっていると書いたことがあります。よく考えるとそのものの見方がビジネスの考え方を変えてくれるのかもしれないと考えます。

 最近色々なIT関連の会社からアプローチがあります。もちろんR市場なるものから、HP対策の会社から色々です。一つ気になることがそれらの人々が口にするこれからのビジネスという言葉です。今後はインターネットビジネスは不可欠と宗教が如く信じ込んでいる様子があります。

 インターネットの不可欠さは勿論わかっているつもりですし、理解する以前にあって当然だと思っています。ただ気になるのは多くのその様な人々が育った環境はある程度そのインフラが出来上がってきている時代です。

 つまり、携帯電話がすでに出来上がってきている時代に育っていますので、それがなぜ出来上がってきたかを知らないのです。インフラというものが常に古くなっていきその代替が出てくることは
我々の時代の人間であれば解っている事です。

 線路が出来ていても走る電車が無ければ用をなさないし、電車が整っていてもそれに乗る人間がいなければ用をなさないし、人間がいてもそこに目的地が無ければ利用をしないという事を考えれば現在のインターネットは場合によっては廃線になる場所もあるような状況もあります。

 いくらHPを持っていてもそこにアクセスをする人々がいなければ、その辺のセグメントされた地区でチラシを配っていた方が良いだろうし、お店の前に気の利いたポップでも用意をしていた方が安上がりでもあるでしょう。

 結論を言えばインターネットビジネスは万能に思っていた時代はすでに終わりを告げで、新たな時代に入ってきたのだと思っています。HPに数百万円から数千万円をかけて殆ど役に立っていない会社の話はよく聞きます。SEO対策やHPのシステムの話は過去のものでそんなことをしなくてもユーチューブやSNSの利用で幾らでもアクセスをえることは出来ます。

 つまり、アナログではありますがコンテンツに魅力があればアクセスは増えるわけです。美味しいものがあれば人は集まり、見たいものがあれば人は集います。小手先の技術ではなく扱う者が本物であればそれらは不要でさえあります。勿論その事が広まる時に当事者ではない第三者が情報を広げる時にネットを使うことは十分にありますが・・。

 ダイヤモンド自体は千差万別です。人々がダイヤモンドを選んでいるような錯覚をしていますが実はダイヤモンドの整えた条件にあっている人々がダイヤモンドを手に入れているだけなのです。
つまり、ダイヤモンドに選別をされているのです。

 大きさや品質というものが条件にあるのは皆さんはご存知ですが、実は同じものはないのです。それは色々な条件が整いマッチメイクをされているだけで、ダイヤモンドの条件に合わせて人々がお金を用意しているだけで、お金を用意できない場合は好んでも手には入らないのです。

 ダイヤモンド側からすると何ら自らが変わることはないので人々がその条件に合わせるしかない訳です。

 ダイヤモンド普及当初はグレードでダイヤモンドを選んでもいました。しかし、時代が進みそれが一般化すると本来に形であるコンテンツでもあるダイヤモンドそのものに条件を合わせなければ手に入れることはできないのです。

 現代はインターネットが当たり前でコンテンツそのものを見ればお粗末なものが非常に多いように思えます。買い物さえ導かれるままに仮想商店にいっても実際には現在在庫がありませんとか、代わりにはこんなものがありますとか、本来は存在がしていなかったのではないかと思えるようなものすらあります。

 今こそ、コンテンツ、アナログ、物そのものが大事であり、砂漠で水を売っていれば黙っていてもお客様は集まってくるのです。現代の多くのビジネスは価格や利便性を追うがあまり、それら何のために必要なのかという事を忘れがちに思えるのです。http://ameblo.jp/diamonrow
 

2015年10月2日金曜日

夢と誇り⁉

 先週、池袋で行われた国際宝飾展なるものに知人の会社が出展するという事で久々に池袋に足を向けてみました。慣れない場所なので会場に着くまで一苦労ということになりました。多分十年ぶりになるであろう池袋は豹変し、以前の暗いイメージは払しょくされ、一部の痕跡を残す程度の華やかさがありました。

 やっとの思いで会場に着いて、その雑然とした様相には一寸驚かされたしまいました。出展をしていた知人は
『もう宝飾展なんて夢の夢ですね。ここはタダのバーゲン会場ですよ。』
と嘆いておりました。

 確かに、各ブースにはバーゲン会場ならぬチラシが沢山貼ってあったり、そこいらじゅうに赤字で書かれたプライスが置かれていたりと、およそ宝飾業界に身を置いていたなら恥ずかしくなるような状況がそこにはありました。

 主催者が何を目指しているのかはわかりませんが、業界に将来を念頭においているという事は考えにくい環境でした。そんな中で表彰をされる女優やタレントもたまったものではありません。TV等の取材が仕込まれていますから致し方がないと思いの出席でしょうが・・・。

 会場には明らかに消費者と思われる来場者もあふれ、さながら五反田で定期的に行われる金融市の様相を呈しておりました。何時からこのようになったのかはわかりませんが、販売する方にしてもその場で誰にでも売れれば良いといった風情でおよそ真剣にビジネスをという感じではありませんでした。

 古い事ばかり言うと笑われるかもしれませんが、以前の出展社であれば、もう少し新製品を前面に出し、コンセプトを上手く現したディスプレーなども多くあったものです。現在の会場に宝飾展の冠は似つかわしくはないとつくづくと感じた次第です。勿論、仕入れてみたいと思うようなものがある訳はありません。

 現状を考えるとこれは単に宝飾展だけの問題では無く、業界全体の問題でもあるのでしょうが、宝飾を本当に知っている世代が少なくなって、更に勘違いをしているような人々がジュエリーデザイナーと名乗り、勘違いをしているような職人が販売に現れ、自己主張だけが先行し実力が伴ってきていないという事もあるのでしょう。

 これは彼らのせいだけではなく、その先行をしていた我々世代の責任でもあるのでしょう。

 我々のビジネスは『夢と誇り』を生業としているという事の事実を真剣に伝えてこなかったような気がします。彼らが世に出るようになってバブルが崩壊後、宝飾業が前面に出て活躍をする事はなく彼らは本来の宝飾市場を知らずに今日を迎えています。

 例えて言うなら料亭のすき焼きの意味が解らずに、チェーン店のすき焼き丼を食べてそれがすき焼きだと思っている訳で、その世界しか知らなければすき焼きはそういうものだと覚えてしまう訳ですから、そのレシピをきちっと伝えてこなかった世代の責任も大きなものがあると思います。

 『夢と誇り』を売るといっても鼻で笑われそうですが、私たちの仕事はそういうものだと認識をしています。よれゆえ、同じ志を持つ同志を募り、再度業界の在り方を問いたいと考えています。
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2015年10月1日木曜日

難民問題⁉

 先日、国連で安倍総理が難民問題に触れ1000億円近い資金支援を公約しましたが過去にも500億円程度と大きな支援をしていた割には話題にもなっておりませんでした。しかし、今回のタイミングはどうであろうと感じました。

 難民問題を放置しろとは思っていませんが、湾岸戦争の時に1兆円のお金を出しながら感謝どころか批判さえ受けたことも脳裏から離れません。今回の大きな公約は近い将来難民も受け入れざるを得ない状況になるのではないかと考える訳です。

 単純に難民受け入れに反対をする訳ではありません。昨年は5000千人ほどの難民申請に対して3人の受け入れといわれる日本で果たしてその協力要請が来た時に受け入れることが出来るのだろうかと考えます。

 現代においてあらゆる人種がまじりあう事は避けられないことではありますが、単純な移民ではありません。宗教、習慣、文化等の違いの融合が他の国ほど得意ではない日本において大きな問題であると考えます。

 『郷に入らば、郷に従え』という言葉がありますが、多くの外国人、特に発展途上の国の人々にとってはこの事を理解し、従うことは難しいと思います。何故なら先進国ほど理屈でものを考えるのではなく宗教でものを考える傾向にあるからです。勿論、信仰の自由を妨げるつもりも反対するつもりもありません。

 これからヨーロッパをはじめ、多くでこの問題が起きますが特に日本においては大きな問題に発展しそうな気がします。多産傾向、活力という方向では日本にとっては良いのかもしれませんが、他国と違って日本には良い意味でも悪い意味でも島国精神があります。彼らは日本の文化を尊重し理解し、溶け込んでくる分には全くと言っていいほど問題はありません。

 しかし、近隣国の人々を見ていても自己主張の強さは日本人をしのぎます。同じような文化圏にいてさえこの違いですから。ましてや遠方からくる人々の困惑を考えれば彼らがそこに己たちの文化を根差させようという気になっても仕方がりません。

 太古の時代から日本人は神道の精神から多くの考え方や宗教に対して寛容に受け止め、受け入れてきました。仏教しかり、キリスト教しかり、おおらかな気持ちで受け入れてきました。その事は日本人の良いところであると思いますが、現代においてはどうしょうか?

 今、何万人規模の難民を受け入れることが出来るのでしょうか?
到底無理な問題だと考えます。きっと中途半端な親切は大きな憎悪となって跳ね返ってくるような気がします。難民支援をするなといっているのではありません。もっと効果的な時期、方法があるのではないかと考えます。

 古くはベトナム難民どれくらいの多くの難民を追い出し、恨まれたかを思い出すべきだろう。現状でさえ数千人申請で数人の許可という状況です。はっきりとしたガイドラインを設け、皆が確認を出来る状況を造り、正々堂々と難民を受け入れる環境をつくるべきでしょう。そして難民も日本に暮らす以上は日本語を覚え、日本の文化に溶け込む姿勢が必要でしょう。

 そうでなければ昨今に起きているような外国人による殺人や事件が絶えない事にもなるでしょう。

 ベトナム難民の多くは米国に移り住みましたがアメリカという混醸国家は正に多民族国家であり、それらの織りなす文化で紡ぎ挙げられていった国家ですから彼らを受け入れるにはもってこいのお国柄でしょう。しかし、その国でさえこれ以上の移民を拒んでいます。

 ベトナム難民の多くはダイヤモンドを手にアメリカに渡り、それを元手に起業をした人々も多くいたことは、当時米国にいた私は身に染みて理解をしています。

 それ以前からダイヤモンドのビジネスには接していた私ですが、この時のに改めてダイヤモンドの価値を認識したのを覚えています。世界がダイヤモンドのように共有できる価値があれば良いのですが、その事さえ理解を出来ない日本があります。

 難民問題は難しい問題です。難民問題になれていない我が国が安易に先頭を切って掲げるテーマだったのかどうかが疑問です。安保理に手を上げているのは解ります。しかし、この問題は今ではなかったというふうに考えています。如何でしょうか?http://ameblo.jp/diamonrow
 

2015年9月30日水曜日

600カラット⁉

 1996年、夏のテルアビブの日差しは強く、取引所のいくつかあるビルディングの窓は紫外線防止のためのフィルムは張られているが、やはり湯型の日差しは強く目に差し込んできます。

 いつものようにダイヤモンドの仕分け作業を行っていると事務所のパートナーがニコニコしながらオフィスの中に入ってきた。彼は南アフリカ出身のユダヤ人で南アフリカ時代は国内最大の研磨工場のファミリーの長男として生まれ、家業でもあるダイヤモンドビジネスを引き継いでいました。

 彼の家族は1970年代初頭、両親と姉は米国ロサンジェルスへ、そして彼は奥さんとともにイスラエルへと移住をしてきました。私自身は米国時代に彼の父親と知り合い、息子の事務所への参加を提案され、彼自身を知りました。

 彼は毎月南アフリカのヨハネスブルグやモスクワの原石のオークションに参加し、なるべく大きめの原石を目指して落札をする事を目的にオークションへの参加をしておりました。彼が参加をしているオークションはいわゆるシンジケートのものではなく、それ以外の鉱山のものとか、ソ連の公営会社の物ですが、時折驚くようなものも出品されてきます。ついその一年前にも150カラットを超えるブラウニッシュな原石を手に入れ大きな利益を上げておりました。

 私自身もこのような環境から原石の取り扱うようになったのですが、原石の存在には時々驚かされることも多々ありました。

 彼自身がこの日ニコニコとしながら入ってきたのは先日のヨハネスブルグのオークションで600カラットの原石を手に入れたということで、それが到着をしたということで手に小箱を持ち入ってきたところだったのです。

 私自身も驚いて
『600cts⁉』
と思わず叫んでしまいました。
600カラットというと歴代の原石の中でも突出をした大きさですから驚いても何ら不思議な事でもありませんが、本当にそんなものを手に入れたのかと何度も彼に聞き返したものです。

 彼の開けた小箱の中にはまぎれもなく手に余るような大きさの原石がのっていたのです。
『それはどうしたの?』
と尋ねると
『オークションで父親と旧知の間柄の友人に出会い、オークションに出すつもりの原石だけど、もし価格が合えば直接の取引きでも良いといわれたんだよ』
とニコニコしながら
『何の躊躇なくマザールだよ』
と話が付いたという事でした。

 その後のストーリーに関してはまだ公開が出来ないので、後日機会があればまた書きたいと思いますが、色々差しさわりがあるのでここまでにしましょう。

 丁度ブログも600回という事で数字にまつわることを思い出していたら、この件が思い出され書きましたが、最後まで書けないのが残念ですが、いずれ公開の機会があると良いなと信じてこの回を締めくくらせてもらいます。http://ameblo.jp/diamonrow

2015年9月29日火曜日

不変の価値⁉

 土地柄もあり通勤姿の外国人をよく見かけますが、今朝の電車の中で私のすぐ横にいた白人女性が広げている新聞を見るとなんと日経新聞でした。昨今では日本人のサラリーマンですらその姿を見る事は少なくなってきたので少しびっくりしました。

 失礼とは思いながら彼女の視線の先を見ると、ガンについての記事でありました。最近もタレントの北斗さんや女優の川島なおみさんのガンでの死亡などの話題が世間を驚かせ、ガンが身近な病気であることは解っていますが、欧米人に比べ日本人は予防検診等を受ける人は少ないと聞きます。

 川島さんといえばワインで有名でしたが、ワインには抗がん性を持つレスヴェラトロールが豊富に含まれているということでも有名ですが、ワインを愛し、ワインエキスパートの資格を持つ彼女がガンで亡くなることは皮肉にも感じます。

 私自身の父もやはりガンで亡くなっていますので、意識をしないわけではありませんが、自治体からくる定期検診の案内に関しても強い意識をもって臨もうという気持ちは希薄ではあります。私の友人にも余命宣告1年を受け6年経った今も健在でいる方もおります、彼は抗がん剤治療に臨み、大変ではありますが、日々戦っている姿は尊敬します。

 不治の病といわれたガンも今では早期発見や予防で何とか治療が出来る病ともなりました。数年前にイギリスのとある研究所でダイヤモンドを応用してガン治療の研究をしているという事を思い出しました。確かダイヤモンドの原子構造の整列性を利用しガンの原子構造から治療をしていくというものだったと思います。

 最近ではイスラエルの医療チームがガン細胞を使い、ガンを治していくという治療法を開発中だと聞いておりますが、なんともユダヤ人的発想だなと相変わらずの彼等の発想方法には関心をさせられます。

 彼等の発想はアインシュタインをはじめ、インテル、グーグル等はじめ現代のあらゆる場面で現代に影響を与えています。彼らの考えを聞いた時にはいつも『それは逆だろう?』と思うような疑問符から始まりますが、結果的にはそれ等の発想が社会の役に立っていきます。

 日本人は常に順法を重んじますが、『逆もまた真なりと‼』いう言葉があるように時間、季節は巡っり、同じように繰り返される中に日本の文化は有りますが、実は同じことの繰り返しは二度起きていないことを感じるべきなんでしょう。

 前回も書きましたが変化は唯一不変の原理なわけで、変わることが当たり前と考えれば解決することも多くあると思うし、それゆえ変わらない事に価値があるという理屈です。そのように考えると不変のダイヤモンドこそが自然の中の頂点に立っているという事になるのでしょうか。

 大げさに書きましたが、伝統を含め、絶対に変わらないという事は無理であっても変わらない価値に対してもっと目を向けても良いのだろうと感じます。

 冒頭にも書きましたが、今の光景は十数年前にはなかった光景ですが、この光景が数十年後にあるかというとやはりなくなっていくのでしょう。変わらないことが唯一無二の価値であることを理解しているユダヤ人だからこそ、創り上げることの出来る物語がダイヤモンドストーリーなのでしょう。
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2015年9月27日日曜日

ダイヤモンドは長し、人生は短し⁉

 一昨日、お店に入ってこられたお客様が
『以前からこの前をとおていたのだけれど、なかなか敷居が高くて入りずらかったんですよ。』
と云われ、思い切ってお入りになったという事でした。

 要点は、とあるブランドのダイヤモンドリングが欲しいと思っているけれど、中々高くて手に入らないという事で当店の価格を他店と何度か照らし合わせてみて、安いと感じられたという事でした。

 お話をしながらダイヤモンドの裸石を決め、デザインを話している折に
『テレビでよくやっているリサイクルダイヤモンドというもので造るともっとお安くなるんですか?』
というお言葉が出てちょっとびっくりしました。

 最近TV等でもリサイクルダイヤモンドという言葉をよく聞きますが、いわゆるここ十年の間の地金の買取りブームに合わせてダイヤモンドの買取が横行し、そのダイヤモンドを海外のバイヤーが買いに来ており、『日本はダイヤモンドの都市鉱山だ‼』と評されている其れの話です。

 日本国内でも業者間でもリサイクルダイヤモンドという言葉をよく耳にしますが、私自身は少しこの言葉に抵抗を感じます。以前にも書いたことがあるのですが、ダイヤモンドは地球上においても地球誕生前の60億年前のダイヤモンドが発見をされているくらいです。

 勿論60億年前のダイヤモンドは隕石なりで地球にやってきたものでしょうけれど、私自身はダイヤモンドの生成状態を考えても宇宙創成間もないころから存在するのだろうと考えています。この考えがあっているかどうかは別にしても、明らかに人類の歴史、ましてや一人の人生とも比べようのない時間ダイヤモンドは存在をしています。

 リサイクルとは一般に物の使い回しを言う訳ですが。その際に劣化をし、用途として未満の材料となっていくわけですが、ダイヤモンドは人類が発見をする前から存在し、人類が滅びても存在をしていくものです。いわゆるダイヤモンドにとっては人類そのものをリサイクルしている訳です。

 言い方としては大げさではありますが立場を変えればそうなります。不変を前提にした物がどれ位あるかといえば普段人が目にするものにおいてはほとんど皆無といって良いでしょう。逆に言えば『変化するという事自体が不変の要素』なわけです。

 ダイヤモンドを資産として紹介をしている意味はそんなところにもあります。勿論金というものも同じような要素がありますが、扱う人間がどのような運用をするかによっては過去、将来を通してこんなに安定をしている物は例がないでしょう。

 株価も下がりはじめ、アベノミクスの正体もばれ、日本の国債の信用度も下がってきています。
これからは投資コンサルタントの人々には申し訳ないけれど株価の安定は難しくなった来るでしょう。何故なら、物価が下がりはじめ、またデフレ時期に入る時に隆盛を誇ることになる新規参入の安売り店が異常な速さで店舗拡大をさせています。

 昔から不況に強い金といわれますが、ダイヤモンドはもっと強いのです。ただそれを手に入れることが至難の業といっても良いでしょう。いずれにしても人の人生は短いものです。将来の孫子の為にも時代の変化に惑わされないダイヤモンドを一考してもらいたいものです。
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2015年9月25日金曜日

正当価格⁉

 シルバー期間中にご来店頂いたお客様が陳列をしているファンシーカラーダイヤモンドをご覧になり
『好きな色はこの黄色だけどこの価格の違いが判らないわね。』
とポツリ。

 ファンシカラーダイヤモンドの価格というものは普通の宝石店さんでも理解をしてもらいにくいものです。何故なら何を基準に価格が決まっているのかがほとんどの販売をしている方達には解りにくいものです。多くの場合は一番量の集まっている取引所等で経験値で取引をされ、それが市場にまで影響をしてくるからです。

 つまり、プロのディラー達の取り引きをする金額がそのまま流通の利益を乗せてその時の決められた価格によっては最終価格にはそれなりの差が付く訳です。私自身が長年携わってきた分野でもありますから一定の値ごろ感はあります。しかし、絶対量のあるものではありませんから絵画のごとく環境を考えて値決めをしていきます。

 価格を比べるものがない物の強みでもあり弱みでもあります。それゆえブランド等の取ってはこの上ない材料でもあります。勿論、量のあるものではありませんから高額なものとなる訳ですが,ティファニーやグラフなどもこぞってイエローダイヤモンドを取り扱っています。

 展示会などに出ていますとお客様からよく
『ここの価格は少し高くないですか?』
などという声をよく聞きますが。まさか
『値引きが前提となってる価格が付いていますからね』
とも言えませんから
『業者さんなりの価格が付いていますからね。ご予算があるのならその範囲を選び、欲しいものがあるのであれば価格を比べて見る事ですね。』
とよくお答えをします。

 つまり、多くの人はお金がなければ、その範囲で物を選び、欲しいものがあるのであれば頑張ってお金を払う事を考えるでしょう。その時に欲しいものがあるけれど予算をオーバーしているときに価格交渉をするなり、予算を上げることが良いのですが、宝石の場合多くの業者さんたちが勘違いをしていてお客様は価格が解らないから値引率で物を買うというふうに思っています。

 普通に考えると値引きが最初から前提になっているよりは最初からそれなりの値段を付けておいた方が興味を持つと考えますが・・。中には5割、6割引という業者さんもいますが宝石に関していうと世界的にそんな例は殆どありません。つまり、ついている値段が適正かどうかも含めて価格を理解している業者であれば、そんなリスクが高い事はしません。

 勿論、志向品でありますし、希少性が高い物でもありますから、その説明をしその上で価格を理解して頂けるお客様に購入をして頂くのが一番良い訳です。その業者を信用するのかどうかは消費者の文化度でもあり、その責任は消費者自身が負わなければいけないことです。

 それゆえ値引きに頼る販売をする業者を信用するかどうかも消費者次第ですが、ほとんどの確率で値引きを前提とした販売のリスクは消費者が負う事になります。私自身も品物を決める時には自分の価格と品物に対する」イメージを持ちながら購入品を決めますが、納得をしてかうので公開をする事は殆どありません。

 値引きをしてくれたから購入をするという動機は極めてリスクの高い購入方法だと考えます。業者は購入をしてもらう為に値引きをしますが利益を損ねる訳でもありません。それゆえそれなりの価格を設定します。

 しかし、値引がすべて悪い訳ではありません。本当に気に入ってくれたものを販売者が自らの利益を削ってもお渡ししたいという事もある訳ですが、それは最初から値引きが前提という事ではなく、販売側が出来る範囲でという事と消費者側の物に対する興味の度合いという事だと思います。

 ファンシーカラー・ダイヤモンドに関しては需要と供給のバランス。つまり、双方の兼ね合いだと思います。つまり、オークション等の値決めと同じという事になるでしょう。ダイヤモンドに関わらず、志向性の高いものは絵画にしてもその他芸術品含めて売り手と買い手の都合により決まる訳です。

 勿論、通常の買いものにおいては適正と思われる価格を販売側が示し、購入側が其れが妥当ではないと考えれば購入をしないという事だと思います。それゆえ、最近ではオープン価格なるものが家電販売では主流になってきています。但しこれらは比べるものが豊富にありますので消費者その中から選べばよいのですが、宝石に関しても同じことがいえ、比べることの出来ない物の時は自らの予算合わせることが賢明なのでしょう。

2015年9月24日木曜日

ダイヤモンドと投資⁉

 先日なんとなくネットサーフィンをしていたらある大手金融機関の投資チーフアドバイザーなる方の投資に関する私見がのせられていました。

 内容的には現在の投資環境という事でしたが、その中で金などの投資は良いがダイヤモンドの様なものは数社の鉱山会社が価格コントロールをしているので決して投資向きではないという内容でした。この方がどこまでダイヤモンドを熟知、もしくはしているつもりなのかはわかりませんが、内容を読む限りは投資そのものの意味も理解をしていないのではと疑いたくなるようなものでした。

 つまり、意図的なコントロールをするものであるので暴落も有り得るというものでした。意図的にコントロールをしているのであれば落とすわけがないし、何時の時代の話かと思いたくなる意見であり、コントロールをしているという企業は日本の財閥系の商社をはるかに超える規模の会社ばかりであり、中には国営企業もある訳で、実際にこれ等の鉱山会社はお奨めの金や地金を相当量をまかなっている訳で言っている事自体が本当に理解をしているのかと疑いたくなる内容です。

 そして彼の本業という事でいうなら投資そのものとギャンブルを勘違いしているようで、その場その場での経済状況で一喜一憂し、絶対とは言えない様な銘柄をハイリターンという名の利益を追求する物を投資と思っているフシがあります。現在の金融というものはお金がお金を生むといったシステムの実体のない物がほとんどです。

 本来であれば有名なウォーレン・バフェット氏や日本でいえば武田和平さんの様な将来を長い目で見て企業に投資をするというものが本来の姿ですが、現状は数時間数日間で売り買いをし、当該企業に何らかのメリットがあるのかと思いたくなるようなものです。

 例えば、来年には母豚が5匹の子豚を生むけれど、餌代がないので100万円ほどお金を出してもらえないだろうか?その代わりに子豚が生まれたら2匹を差し上げます。そして2匹の子豚は120万円では売れるはずです。但し、母豚が病死をしたりすると、そのお金は返せません。そのような条件ではありますがお金を投資してもらえないでしょうか?というものが本来の投資です。つまり、そこに実態があります。

 現在の投資は必ずしも実態が無く、証券であったり、保険であったりと起きる可能性もないかもしれない事であったり、帰らないかもしれないリーマンショックの様なクレジットの保証の証券であったり、ハイリターンではあるけれどハイリスクのある意味一部の企業の思惑で動くことが多く、そして一番のリスクは物が存在しないという事です。

 それに反して、ダイヤモンドは過去の歴史から見ればここ30年値下がりをしていない(原石ベースで)という事もありますが必ずしも投資をうたっている訳ではなく現物としての財産保全を前提にしています。結果的には値上がりをしているという事で投資にもなっている訳です。

 もう一つは各鉱山企業がコントロールしているのは原石ベースであり、あとは市場が動かしています。特に大きなダイヤモンドはサザビー、クリスティーなどの世界的オークション会社がその金額の目安として落札をさせています。

 これらはあくまでもジュエリーを主体にした嗜好性の高い物ではなくあくまでも宝石としてのダイヤモンドであることは付け加えておきます。

 つまり本来の投資という事とは違いますが、財産保全という意味での金融価値が現状の国債や有価証券などとは違いはるかな安全性があるという事になります。なによりどこかの国や企業が保証するわけではなく、歴史と地球が保証をするという絶対性があるという事です。

 勿論あらゆる条件があります。どんどん採取が難しくなる原油等と比べても採掘は少なくなりますが掘られたそのものがなくなる訳ではありません。ましてやこれから採掘をしようとするものはコストがどんどんかかっていくようになると、保証はできませんが他の金融証券よりは高い確率で保証が出来ます。

 ただ、金融市場においてもダイヤモンドが話題に上るようになってきたんだということを感じます。
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2015年9月21日月曜日

変わらない事⁉【ダイヤモンド】

 変わらないことの難しさは多くの人も実感していると思います。なぜなら変化するという事実こそ変わらないのですから。解りにくい言い回しになりましたが、どんどん変化をする世の中で多くの人はその変化についていこうとします。

 しかし、世の中の変化が激しくなっていくととてもじゃないが付いていくことに疲れ、諦めていくという選択をします。変化をするという事は皮肉ですが不変です。常に変化をし、進化、改革が自然界でも行われてきました。

 自身が生まれた頃には、TVもなく電話に至っては柱に取り付いていて横についていたハンドルを回し、交換手を呼び出してから通話をするというものでした。しかし、現在はというとご存知の様な事です。現代ではTVと電話が一体化し、携帯できるのです。もっと言うならそれに音響ラジオが付き、更に手紙までついている訳です。先日、終戦70周年という事で沸き立っておりましたが、それらの進化もわずかに60年間の出来事です。

 私自身の仕事はダイヤモンドビジネスです。仕組基準が変わったといっても扱っているものが変わったわけではありません。40年も経つのにです。しかも、ダイヤモンドの生成から考えるとその期間は感覚的に日本全国の距離を1mmほど動いた距離にもなりません。

 現代はIT産業をはじめ進化変化が前提になっている物がビジネスとして考えられています。しかし、これらの価値は変わらないことの価値に比べると、細菌にもなり得ない細胞程度の寿命もありません。今後は人工頭脳などの進化も進み、それに合わせたビジネスが生まれてくるのでしょう。

 生まれては消えゆく、変化というものは不変な仕組みです。故に変化をしないビジネスが究極のビジネスの様な気がします。ITと言いうものは本来アナログの効率化という事ですが、それ自体がビジネスの主体になることはあり得ない様な気がします。

 どんなITが進んでもそこにのせられる情報や物というアナログが無ければ、無用の長物です。物流が無ければ本来お金というものはいりません。しかし、お金自身がお金を生むような仕組みになってきている社会の仕組みですが、それは妄想です。実際にはその根拠となる物が無ければ意味がありません。

 日本を含め、世界の多くの老舗というものは守るものは変化をしない前提があっての、進化を行ってきました。そこに価値があり、それ故に長い間ビジネスとして成り立ってきています。

 へそ曲がりかもしれませんが、以前は『木を見て森を見ない』という言葉にもあるように、小さなことに拘っていると全体が見えなくなってくるという比喩がありましたが、あえて言うと木をよく見ないと森が成り立っている土壌を見失い、森がなくなることも気が付かなくなるかもしれないと言いたいのです。

 つまり、森というものは木が健康に成長を続け、そこに息づく生物がいて成り立っています。森に見えていたものがいつの日か枯れ木の残骸になっていないように願うのです。ダイヤモンドは変わらなかったし、これからも変わらないでしょう。そこに価値があるのです。そして、それは人類の歩むべき道を示唆しているような気がします。http://ameblo.jp/diamonrow

2015年9月18日金曜日

ダイヤモンドの価格システム⁉

 ダイヤモンドの価格の一般的指標の中ではプライスは110にカテゴライズされています。カラーでいえばDカラーからMカラーまで、クラリティーでいえばIF(インターナリーフローレス)からI-3までの組み合わせにより分かれています。勿論この中に分けることの出来ないものもたくさんあります。しかし、グレードの問題に関しては何時も書いているようにダイヤモンドの一部の表現でしかありません。故に、4Cグレードだけで価格を比較したりすることもできません。

 前述した110の価格の指標はありますが、さらにカットやプロポーションの問題もありますのでその組み合わせは山のようにあります。シンジケートの統計では価格を決めるポイントとして14,000ポイントあるという事ですから、とても110の中に収めることは不可能です。

 以前のように、大きさや品質的に同じようなところな販売しかしていない市場であれば、その中で収まりますが現状の様なダイヤモンドの多様化が始まるととてもではありませんが無理な話です。

 それこそ歴史の名を残しているようなダイヤモンドでグレード評価されている物は殆どないでしょう。強いて言えば重さでしょう。しかし、現在であっても110の中に収めることは不可能で、同じ内容のグレードであっても最低10%から30%の価格差があります。さらに鑑定会社間のグレードの誤差まで考えるととても難しい事です。

 多くのダイヤモンドビジネスに携わっている人々はグレード結果においてビジネスを行いますので価格の違いを知る人はあまりいません。現実にはグレードの付いていないダイヤモンドを見せられて価格が解る人はほんのひと握りの人間でしょう。その延長線上に販売がありますから、同一グレードにおいての価格差があっても致し方がないといっても良いでしょう。特に今流行の買取屋さんにいたっては価格がほとんどわかりませんから損をしないようにできるだけ安く買取をしようと思いますので、消費者がびっくりするような安価になる訳です。

 特に大量にあるサイズやグレードのところであれば、ある程度の価格比較はできますが、大粒や希少石に至っては比較をする価格がありませんから、今後はそのへんの指標となるものも必要となってくるのでしょう。今後のダイヤモンド業界の為にも必要な事だと思います。

 本来であれば100万円での買取が妥当であっても実際には50万円とか30万円になるのですから小売価格から考えると5分の一になったとか10分の一になったとかの声をよく聞きます。其れには幾らの価格で購入したのかという問題もあります。小さなサイズのものであれば、商品そのものよりデザインや加工代、サービス等の価格が反映されますので材料代引き取ることが原則ですからある程度価格が下がってもやむを得ないでしょう。

 しかし、大きなサイズのものはデザインや加工代、サービス等は小さなサイズのものと何ら変わる訳ではないので、率からいうと材料代の方が高いので本来であれば購入価格との差はあまりない筈です。何故なら、本来買取価格というものは材料代と手数料を上乗せした程度で引き取るべきですので大きなサイズほど購入価格との価格差はない筈です。もしあるとしたら購入先の選択が間違っていたのでしょう。

 当然、百貨店やブランドというものはそれ以外の付加価値を売り物にしていますから、材料費と小売価格との価格差が大きくなることはやむを得ません。但し、ダイヤモンドというものはどこで購入してもダイヤモンドですから、よく市場を見て回り選ぶことが良いのだと思います。
 

2015年9月17日木曜日

コロンビア・デビスカップ⁉

 明日からテニスのデビスカップがコロンビアで始まります。私自身にとっては両方ともに切っても切れない間柄です。学生時代の殆どをテニス生活に費やし、社会人になっても、米国時代もいつもテニスが自分の周りにありました。

 学生時代の全国大会や米国時代のロサンゼルスオープン大会などは特に印象に強く残っています。辛かったことも喜んだことも悩んだことも今となっては良い思い出です。一度下火になったテニスブームも錦織圭プロの活躍もあり、現在はテニスブームが再来という感じであります。しかし、我々の頃とはプレースタイルもラケットのレベルもすべてが進化し、誰もが気軽に楽しめるものになりました。変わったものです。

 変わったといえばコロンビアです。私がコロンビアに行った頃は世界で一番危険な国として、渡る時に大学時代の同級生で保険会社の社員であった友人から『コロンビアは保険の対象除外国だから気を付けるように』といわれたほどでした。実際にその頃は米国人が入国をして被害にあう確率が50%を超えているという話でした。

 それまでにも何度か海外では、危険な目にも合っていたこともあり、高をくくっていたのですが、行ってみた現実は想像を超えるものでした。買い付け事務所の入り口はまるで牢獄かと思うような鉄格子に、銃を構えたガードマン。そして、中に入るなり挨拶が終わると銃を持つかどうか質問をされ、自分の身は自分で守ってくれということでした。

 現実に毎日のように街中には銃声がとどろき、一番驚いたのは事務所近くの国立図書館に人質100人を超える籠城事件があり、あとで聞くところによるとマフィアがらみのゲリラという事でしたが、身代金を要求する彼らにとった政府の対応はいきなり戦車で国立図書館に砲撃を開始というものでした。中にまだ人質がいるのにです。

 理由は、いちいち交渉をし要求を聞いていたらまた同じことが起きる。そのような要求に絶対に
応じることはしないという見せしめでもあるという事でした。勿論その頃の状況や世界の環境もありました。米国のマリファナの殆どがコロンビア製でしたし、コロンビア国内の主力企業は殆ど航空会社も含めてマフィアの傘下にありました。とにかく例を上げたらきりがないほどの危険なところでした。

 そのコロンビアで平和を象徴する様なデビスカップ大会が行われるという事は国内の情勢が変わったことを伺う事が出来るし、世界が以前の様ではないことや、不安定の中で暗躍もしていた米国の関与を含めすべてといっても良いくらいにあからさまになっていく世界を感じる思いです。

 いずれにしても明日からのデビスカップ大会、日本の選手には活躍をしてもらいたいという思いです。
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2015年9月15日火曜日

目に見えない事⁉

 ダイヤモンドもそうですが、あらゆる出来事というものは必ずしも真実が見えている訳ではありません。意図する人間の意図する方向へと導く為にわざわざ真実ではない事実を目の前で展開する事がままあります。

 ダイヤモンドを例に出して言うと、4Cグレードというものはダイヤモンドを販売するために意図的に解りやすくしたように見せて、実はその裏にあるものは資本家たちの永遠の利益を保証するために出来上がったダイヤモンドのシンジケートの意図があります。しかし、目に見えるものは美しく、永遠を象徴するシンボルであり、皆の憧れる宝石です。それをもっと皆に解りやすく説明しようとするものです。勿論これはダイヤモンドに限ったことではありません。

 以前も書きましたが、ルビー、サファイア等の色石に関しても、市場では『現状非処理石は10%くらいしかありません』と販売員がよく口にしているのを聞きます。確かにそうかもしれません。しかし、現状は処理石が業界の都合であまりにも増え過ぎたので、割合からすると10%かもしれませんが、非処理石が消滅したかのような言い方は決して真実ではありません。例え10%というのが事実であったとしても・・・。

 ここで話は180度変わりますが、現在安保法制の問題が国会で騒がれ、沢山の人が反対のデモの為に国会前に集まっている状況があります。仮に安保法制に賛成の人であっても何故か腑に落ちない国会の運び方がります。何故でしょうか?

 目に見えている事自体にさえ矛盾があり、それに反対をしている人たちの論点もちょっと違うような気がします。目に見えていないこととして、米軍の予算の問題です。勿論、軍需予算は中国などが及びもしない世界一の国です。しかし、軍需予算の伸びには限界があります。昔は軍需に大量のお金が流れましたが、現在の金融経済はそれを許してくれません。

 しかし、米軍の殆どは職業軍人です。その人々を雇い続けなければいけない一方、国対国の戦争は終わり、何処にいるかわからない人間たちとの戦いになると、より点としての駐留が必要になります。そこで必要なのが日本の協力です。つまり、日本国民というよりもアメリカの国費の問題が根底にあります。そこには武器ビジネスの維持もあります。つまり、人手不足とともに新たな武器需要としての市場も必要になります。

 以前は武器を売りたければ、無難な南米に行きCIAなるものが内戦、反乱を引き起こして市場を創り出していたことは有名です。しかし、現代はそうはいきません。その上テロリストたちの暗躍はかっこうの理由付けになります。実際に理由にしている近隣諸国との問題ですが本当に戦争になる状況が出てくると考えるでしょうか?

 このような話が今のアメリカで問題になっています、ある米軍基地はドローン専用の基地ですが、ドローンのパイロットたちはサラリーマンよろしく、9時に出社をし、5時には退社という普通の生活をしています。勤務をしている時間はゲームよろしく何千キロと離れた場所での爆撃やテロリストか住民かわからない人に銃撃を加えています。そして時間が来ると家族が待っている家庭へと家路を急ぐわけです。

 これが今の戦争です。しかし、現実にはこれらのパイロットの多くが精神的健康に異常をきたしているそうです。何故ならくつろいでいるリビングで見ているTVには自分に攻撃をされ、泣き、喚き逃げ惑う女、子供のシーンが大きく映し出されるからです。自分が新聞を広げてくつろいでいるところでです。普通の神経では耐えられないでしょう。

 ここでは見えない真実が目に見えるようになってきた現代がある訳です。果たして政府が隠し、本来意図するところはどこなのか。多くの自民党の議員だって本当に今の理屈があっているとは思っていないでしょう。そんなバカばかりであったとしたら国民はそちらの悲劇も背負わなければいけません。

 災害においての自衛隊員の働きや存在に関しては海外からさえ賞賛の声が上がってきています。しかし、現代の戦いはレスキューではありません。体力や奉仕精神だけでは行えません。
もう一度日本はどこへ向かうべきなのかを考え直した方が良いような気がします。
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2015年9月14日月曜日

ダイヤモンドの自然現象⁉

 ダイヤモンドの自然現象として、蛍光性というものがありますが、蛍光とは簡単に言うと原子核の周りをまわっている電子が紫外線などのある一定の周波数内の照射を受ける事により外へ飛ばされ、その際に発する余分なエネルギーがはこうという現象を起こしたものとなります。

 ダイヤモンドの世界でも蛍光性は色々な意味で自然をを表現している物で、ダイヤモンドの真贋を含め色々な部分で特殊なダイヤモンドの魅力を教えてくれます。

 以前は蛍光性のあるダイヤモンドを好んで扱っていたブランドもありますが、現代では価格を安くするための材料としています。しかし、これはキャリアの少ないダイヤモンドバイヤーが多くなってきた現象だと考えています。

 この考え方も実は日本発のもので、以前は存在のしない考え方でした。バブル時代の頃だったと思いますが、価格が高騰し、それぞれのバイヤーが苦労をしていた時に考え出された買い付け方法でした。つまり、かなり強い蛍光性のものに関しては太陽光線を浴びると青みを帯びた色が現れ、結果シャープさよりも色が目立ち輝きが落ちるように感じます。それ以前はこの変化により『ブルーダイヤ』などと表現をし、多くの商売をしていました。むしろ、自然の変化を利用した長所だったわけです。

 価格が高騰し苦労をしていたバイヤーたちはここに目をつけ、ストロング・ブルーの蛍光は輝きが落ち、使いにくいと交渉材料としたわけです。こんなところから蛍光性があるイコール価格の交渉材料であり、安めの価格になることが多くなりました。

 しかし、実際にはどうだろうかというとよほどの強い蛍光性ではない限り、キャリアの浅いバイヤーたちには解りません。本来ダイヤモンドというものは裸眼で見た美しさの価値でもある訳ですから。その蛍光性が魅力になる場合も多々あります。傾向は青以外にも多様な色があり、オレンジやイエローそしてグリーンやピンク系のものとブルーに比べると数量は少ないのですが、それは其れは魅力的です。

 一番肝心な事は蛍光性があるかどうかではなく、その存在が重要で100ctsのダイヤモンドがその蛍光性で価格交渉の対象になるかというとそれは皆無です。あり得ません。つまり、大量に存在をするサイズや、よほどの強い蛍光性がありダイヤモンドの魅力に弊害があるほどであれば別ですが、そんなものであれば価格を交渉してまで購入をしなければよいだけで、一概に蛍光性が価値を下げるという考え方はダイヤモンドをよく見ないでグレードのみで買い付けをする経験の浅いバイヤーに起因をするのでしょう。勿論その考え方で商売をしている人も少なくはありません。

 蛍光性はダイヤモンドの真贋や処理、非処理を教えてくれ、さらにダイヤモンドのタイプも教えてくれるダイヤモンドになくてはならない物でもあり、自然からのメッセンジャーでもあります。

 最近の自然現象は災害が多く目につきますが、我々は色々な意味で自然の恩恵を受けている訳で、ダイヤモンドもその中の一つであり、人間に対する何かのメッセージが必ず存在します。最近の自然現象である災害は何のメッセージなのだろうと考えてしまいます。

 ダイヤモンドが教えてくれる自然現象は美、欲求、科学、経済そして癒しと沢山ありますがそれに応え、向き合う事が人間に要求をされることなのだろうと思っています。
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2015年9月11日金曜日

ダイヤモンドの行方⁉

 先日の展示会においてあまりにも目に余る値引きを行っている業者に対して朝礼後、主催の責任者が最後通告を行っていましたが、その日の午後再度同じような売り方をしていることが発覚し、さすがに見逃すことが出来なかったようです。

 別ににその業者に限ったことではないのですが、その場に結果を出すためにその場しのぎを行う例はたくさんあります。実際にはその展示会においても、変える事によりもっとより良い結果が出ることが分かっていても変えることの出来ない、人の心というものがあります。

 しかし、何事においても変われない時の結末はそれぞれが解っていることであり、変えることが出来る人間が結果的には日の目を見る事になることは歴史が物語っています。ただ、それが出来る人間と出来ない人間がいますので、責任者は己がその事を出来る人間なのかどうか位の理解が出来なければいずれ組織も滅びてしまいます。

 最近マイナンバー制度の話題も多くなってきていることもあり、多くの消費者の方から質問があります。
『マイナンバー制度に備えて現物としてダイヤモンドに変えていこうと思っていますが、言い座売る時にはどうしたら良いのでしょうか?』
というものです。

 いろいろの話題からダイヤモンドの威力というものは海外等からにニュース等で耳にしてはいますが。昨今の買取りブームの中、多くの不埒な買取業者が蔓延ったために、ダイヤモンドが買った時より以上に安い金額になるといった悪評や、色石などは買うときに『現状では処理をしていない宝石は殆どないんですよ』と聞かされ、売る時になると『処理をしているので価格を付けることはできませんね』といった無責任な業者も多く、最初から価値のない宝石であることを言って売るのなら別ですが、みんな処理をしていますからそれが普通のような言い方をしながら、実はそうではないという事です。

 このような現状は何時か変えなければいけないと思っていても大半がこのような売り方をしているとなかなか変えることは容易ではありません。ダイヤモンドに関してはさすがに世界の流れがありますから、全てといえませんが、変わりつつあるようです。

 4Cというグレードビジネスが先行をしてしまった手目に多くの販売員理解をせずに戦場へと送られたために、絶対の自信のもって間違いを推し進めてしまったところがあります。初期の太平洋戦争みたいなものです。

 しかし、現実には4Cだけで価格を決めるなどとは世界中どこにも存在はしません。しかし現実に日本は存在し蔓延っています。それゆえ蔓延ってしまった販売方法を変えることはなかなか難しいのですが、一部の消費者の間では裁判での担保物件としてのダイヤモンドで大きな利益を上げたり、おばあさんから受け取った大粒の物をオークションに出して見たら予想以上の価格が付いたとか、前述しましたが海外で大粒ダイヤモンドが高額で落札をされたとかの話題により、目を向けている人々が増えてきたのも事実です。

 実際には大きなサイズのものが多いのですが、米国なのどのオークションではすでに0.5ctくらいのサイズまでの良質なものであれば対象としています。勿論、大粒のものの方が有利であることは事実です。

 それぞれの現実の中、それでは日本では売る時にどうすればよいかという事ですが、一つには現状であれば海外での監禁ということがありますが、近い将来というより近日中には日本でも換金が容易にできる方法が出来るでしょう。シンガポールでは実際に今月からスタートをしております。

 そうすれば、価格に関しても不当な買取金額や販売価格にならない様なガイドラインが出来ますので、安心して高額なものを持つことが出来るでしょう。そんなに遠くはないと思います。

 変わらないといけないのですから・・。
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2015年9月9日水曜日

ダイヤモンドの啓蒙!?

 昨日、取引先の30代のスタッフが
『ちょっとお聞きしたいんですが、なぜ以前はダイヤモンドが沢山売れたと聞くんですが、今は売れないんでしょうか?』
と素朴に聞いてきました。

 確かにバブル以降に社会に出た層からすると諸先輩から聞くダイヤモンドの過去の話と、現状感じているダイヤモンドの市場との落差は不思議でならないでしょう。

 過去は歴史的背景もあり、ダイヤモンドの文化が遅れていた日本ではまず最初にダイヤモンドへの憧れがあり、次にシンジケートのキャンペーンにより『結婚が決まったら、婚約指輪、そして相場は給料3ヶ月分!?』といったことが背景にあり,小さな頃から頭の中に刷り込まれたいたということが一番大きいいでしょう。

 高度成長、バブル時代と社会の経済が成長すると共に皆の生活も豊かになり、刷り込まれていたダイヤモンドの必然性に誰もが疑いなく、必需品として頭にあったことがダイヤモンドビジネスと言うよりブライダルビジネス、ジュエリービジネスには大きかったのでしょう。それと同時に成功の証としてもしくはひとつの金字塔のシンボルとして大粒のダイヤモンドを求める人々が多くなってきたことはダイヤモンドビジネスには大きかったのです。

 つまり、啓蒙活動が本来に必需品ではないダイヤモンドの市場を作り上げたわけです。そして、その創り上げられた価値を食いちぎるように4Cを利用した安売り合戦が行われ、憧れの価値がある間は少しでも安く求めたいという需要がジュエリービジネスを支えていたのですが、そのキャンペーンが終わり、誰もそれに目を向けなくなってくると色あせて十数年たったその記憶も無いバブル以降の世代にとっては何故ダイヤモンドに価値があるのかわからないし、見出せなくなるのでしょう。

 一方、そのようなヴァーチャルバリューとは別に実質的価値の市場がダイヤモンドビジネスにはあります。現状では何時も書いていますが、資産としての市場に関しては現物が足りないくらいに大粒のダイヤモンドが不足をしています。勿論、一部のお金持ちの世界だといってしまえばそれまでですが、ダイヤモンドのビジネス自体がそんなに大きなマーケットというものではなく、ある意味婚約指輪にしてもファッションジュエリーにしてもその特別な価値の仮想体験みたいなところがあります。

 ただ、現実のサイズや業界そのものを考えるとダイヤモンドの存在は大きく、ダイヤモンドの存在が小さくなるととそれ以外の色石のマーケットもやがてしぼんでいくでしょう。それくらいダイヤモンドの存在は大きいのです。ダイヤモンドがあったから他の色石も売れたといってよいでしょう。その線上でファッションリングも売れたわけです。

 つまり、現在の宝石市場の不況は協会にしても展示会の主催者にしても本来の宝石価値の意味をないがしろにしていることが大きいのでしょう。過去耕していた畑から収穫し、耕してこなかったあおりが今来ているのです。

 これからでも、啓蒙活動は出来ます。しかし、そこにはある意味真摯な姿勢とせいしんが必要でしょう。
 

2015年9月4日金曜日

怪正マイナンバー制度⁉

 昨日色々な事案の中ひっそりとマイナンバー制度改正案が成立をした。参議院で送り返され、衆議院での可決でしたが、本当に首をかしげたくなるような内容です。

 まず施行される前に改正案が出されることも不可思議です。そんなに審議もせずに成立をさせたのかと疑いたくなります。本意は年金制度、税務制度という事で成立をさせたが、実は国民の財産。

 つまり、後どれくらい徴収できるかを計ろうとするものであったという事が明白で、制度そのものは成立に困難であっても改正案は容易に通りやすいという事で、先に制度を成立させ、施行前に改正案をという安直な考え方が見えてきます。

 今回の改正案にしても社会年金機構の不祥事や国民の大きな不安の声が聞こえてきたという事で、とりあえず2018年から預金口座は任意性、どうでも良い予防接種の通りやすい内容で成立という形を整えたようです。

 何処の世界に自分の預貯口座に自らマイナンバーを付けてくださいという人がいるのだろう。つまり、ここから見えてくるものも2018年の施行前に今度は任意を義務化という改正案を後で通そうという安直な企みのようです。

 何の為のマイナンバー制度なのだろうと疑問に思います。そしてこの制度がまたダダ漏れになった時にだれが責任を取るのだろう。いつも思う事ですが、どんな制度が出来ても良いのですが責任の所在をはっきりさせないために、誰も責任をもってそれぞれの制度を守ろうとしない。ただ、法案の提出実績が重要な国会議員や、とりあえず自分らの仕事に都合の良いであろう政策を造り続ける役人の為に国政がある訳ではないとおもいます。

 もし、制度を作るならだれがそれを運用し、その責任はだれが捕るのかも一緒に成立をさせないと、結局犠牲を払うのは国民といういつもの縮図が出来上がってしまいます。国民は自らを守ろうと、節税対策や時には脱税、そして国外への財産移動というふうに考えても仕方がないと思います。

 それを管理するためのマイナンバー制度であるとすれば笑止であり、議員、役人が自らを律すれば国民のそれらの邪まな考えを防ぐこともできるのではないかと思います。

 いずれにしても、今回の東京オリンピック関連の様々な事件にしても、森元総理(誰も認めてないないと思うが)の意向で決まった人事の元お役人たちの不祥事なども典型でありますが、集団自衛権ならぬ『集団無責任体制』は本当に世界に恥じぬ日本を知らしめることが出来るのだろうか?

 以前の五輪は国民皆一体となり、役人も祖国復興として頑張っていたように思います。しかし、今回は見えてくるものすべてが役人の都合や利権的なものです。また誰が今回も森なにがしを委員長にしたのだろうか?国民の殆どが望んではいないし、今回の招致もアスリートたちや民間の協力により達成できたものであり、その神輿に元なんちゃらと元役人が乗っかっているだけで、任せたものに関しては案の定今回のような不祥事です。

 マイナンバー制度本当に大丈夫ですかという疑問にもなりません。どれくらいの犯罪を誘発しているのか、アメリカの例を見ればわかります。いまのIT文化の中では通用しない制度である事を理解するべきです。
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2015年9月3日木曜日

最近⁉

 以前も自由が丘には外国人が目立ち、フランス語教室の講師が怪しい外国人に間違われたという話を書きましたが、世田谷区には多くの外国人が居住しています。

 先日も耳にした話ですが、バスの中での出来事ですが、込み合った社内へご老人が乗車をしてきた時に、中学生らしき一団も乗っており込み合った車内ではそのご老人が座る場所もなかったらしいのですが、傍らに立っていた白人女性が日本語で座っている中学生に
『お年寄りに席を譲ってもらえない?』
と声を掛けたそうです。そうすると声を掛けられた中学生は不愛想にその席を立ったそうです。その後その白人女性はご老人を席に誘導し、振り向きざま中学生に
『ありがとう。偉いわね。』
と声を掛けたそうです。何気ない営みなのですが、多くの外国人が身近にいることを実感するわけです。

 今朝、二子玉川駅のホームで何気に各駅停車をやり過ごし、急行を待っているとまだ停車中の各駅停車に日経新聞を小脇にはさみ飛び乗るスーツ姿の女性が目に入りました。よく見ると外国人女性であり、最初は黒髪だったので気が付かなかったのと日経新聞というお堅い新聞が先に目に入ったためにふつうにみていたのですが、白人女性と気が付いたときには些かの驚きがありました。

 最近のこの辺では当たり前の出来事が、自分達が思っているより外国人が日本にいるのではなく世界の中に日本が入っていっているだなという事を実感します。最近のTVを見ていても日本語を話し活躍する外国人は珍しくもありません。色々な意味で日本人にはその実感がまだ足りない様な気がします。

 何気なく眺めるのではなく、世界の中に日本が存在し、その影響が決した小さくはないという事を意識しなければならいでしょう。世界が見ている眼は、決して以前の極東の神秘の国ではありません。日本人がちょんまげを結っているなんて思っている外国人は今は殆どいないでしょう。それゆえに昨今のオリンピック関連の不祥事は残念です下手をすると日本以上に海外では取り上げられているかもしれません。

 世界のニュースを見ると、視点が国内とは少し違っていて『あの慎重な日本が?』というような論調を多く見ます。つまり慎重なのは一般企業であって、責任を前提としないお役所仕事ではありません。今までは国内でお茶を濁して逃げ切っていたことが、世界が対象になったことにおいてはお役所仕事が通用をしないことが十分に世界に知らしめてしまう事になったのでしょう。

 最近の日本においても外国人が特別な存在ではなくなったように、日本の事は世界にとっても特別ではなくなりました。日本食もこの二年間で世界に1.6倍のスピードで増えていっています。

 ついでですが、ダイヤモンドやジュエリーにおいても世界レベルになってもらえたらもっとジュエリーやダイヤモンドの価値を知ってもらえるようになるだろうな・・と思っています。
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2015年9月2日水曜日

ダイヤモンドの履歴書⁉

 先日、取引先の販売員さんとの会話で、
『私はダイヤモンドの内包物で好きな形があるんですけど、それを社長(小生)がイルカが飛び跳ねている様と表現をしていたので、成る程と思っていたんですよ。』
というふうに言われました。

 彼女が言っていたのはインクルージョン(内包物)の中のフェザー(羽)といわれるものの事だったんですが、私自身が内包物の形の面白さに気が付いたのはこの職業に就いた間もなくの事でした。

 同じようにダイヤモンドの仕事に携わっても興味のない人にはただの傷のように見えるインクルージョンは見方によって色々な事を教えてくれます。

 人の性格には色々な要素があります。遺伝のDNAによるものや環境によるものなどがありますが、それがあらゆる時点での人生の岐路での判断の基本となってくるわけです。つまり、どのような人生を送るか、送ってきたかにより性格というものが解るものです。つまり、履歴書を振り返ることによりその人となり人生なりが見えてくる場合があります。

 宝石のインクルージョンの事をInternal characteristic(インターナル・キャラクタリスチック)という言い方をしますがこれは単に内部の特徴という事になるのですが、もう一方内面的な特性とも訳せます。決してマイナス面を位置付けている訳ではありません。

 ダイヤモンドの内包物の呼称にクリヴェージ、フェザー、フラクチャ、グレンライン、ニックなどと特徴により呼び方も変わっていますが、これらはダイヤモンドの生成期に周りの環境により発生したもので、中には他の鉱物の結晶を内蔵していたりとどのような環境で出来上がってきたかをしめす特徴が満載です。一方、無キズのものに関してはその特徴としては特に何も得られませんが、もっともよい環境で生成されたことが考えられます。

 人間と同じように何の特徴もない物よりは多少の変わり者の方が面白いという事もあります。いずれにしても履歴書というものは過去の環境や性格を知るうえで一つの材料となるもので取り方一つではその中に沢山の物語を見る事が出来ます。
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 冒頭の販売員さんの話ではありませんが、宝石といったものはそういったところに興味を持てるかどうかで販売員としても、この職業に携わるについてもとても重要な事でこれらがない人々が宝石の価値や文化を壊していくのであろうとさえ感じます。多くの従事している人をされらを理解して仕事をしているとは思いますが。

 ダイヤモンドにしても人間にしても過去は消すことができません。そしてそれらは各々の特徴なわけで、それをポジティブにとるかネガティブにとるかによりその価値や生き方が変わる様な気がします。
 やはり、ダイヤモンドは人間そのものと考えることが多くなってきました。
 

2015年8月31日月曜日

インターナショナル・ダイヤモンド・ウイーク⁉

 昨日、イスラエルのラマット・ガンにあるダイヤモンド取引所においてダイヤモンド・ウィークなるものが始まりました。いつもの事ですが欧米のサマーバケーション期間が終わり、クリスマス商戦に向けて多くのジュエリービジネスがスタートをする時期なのですが、何故かいつも日本は取り残されているような気がします。

 日本では7月にお中元商戦があり8月に入っても1週間ほどのお盆休みがあるだけで、なんとなく8月が終わってしまいます。そして、そこらじゅうで『2,8は商売にならないよね。』といった言葉を聞きます。

 欧米のようにはっきりとしたサマーバケーションがあり、さあ~始まるぞ・・といった雰囲気はあまりありません。例年はダイヤモンド・ウィークにも参加をするのですが、原石の取引、裸石の取引、そしてカンファレンスと催し物がありますが、やはり夏はどうだったといった様な軽やかな雰囲気があります。

 昨年はパレスチナがらみのトラブルもあり、中止となったのですが小生はイタリアに少し寄りたいところもあり、イスラエルには渡りました。勿論、危険を感じる格別な事が何かある訳ではありませんが、多くのバイヤーが訪れてはいなかったので良い買い付けが出来たことを思い出します。

 昨年は年末の香港に場所を移し、カンファレンスだけは行われたのですが、やはり今後のダイヤモンドビジネスの不安と今後の取り組みについての話がほとんどだったようです。

 ダイヤモンドビジネスは今大きな転換期にあり、ダイヤモンドそのもののビジネスが終わる訳ではないのですが、ここ数十年続いてきた、婚約指輪やファッションものを中心としたダイヤモンドのビジネスは様変わりをしているように感じます。

 宝石は本来大きな図体で行うには無理があるビジネスです。伝統的にはファミリービジネスの範疇なのですがここ数十年ナショナルチェーンをはじめ百貨店やブランド等でも行ってきた小さなサイズのダイヤモンドのビジネスの形態は変わりつつあるようです。

 つまり、宝石というものは常に供給が需要に対して足りない状態にあることが常態なのですが、ここ数十年はいくらでもあるがごとくマーケティングをしてきましたので、現状があるという事です。

 現に供給の少ない大粒やファンシカラーに関しては堅調な推移をしておりますが、悩みは商品が少ないという事です。つまり常態化をしている訳ですが一般的な業界主流商品とはやはりちょっと違う動きをしています。しかし、現状出来上がった今のマーケットがありますからここを何とかしなければといった内容の題材がここ数回のダイヤモンド・ウイークでの話題という事になります。

 本来の姿に戻すには団体の力も必要ですが個々の姿勢の問題も多くある訳ですが、今回のJJFやIJTの様な展示会ありきの様な事をやっていてはいくら試みがあっても自覚のないところには何も起きないのではと懸念をしております。
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2015年8月27日木曜日

ジャパンジュエリーフェア⁉

 昨日、UBMジャパンと日本ジュエリー協会主催で行われている『ジャパンジュエリーフェア』を覗いてきましたが、そうだろうなと思うような現象として、客の出足が少なく、何時もなら人だかりになっているリサイクル業者のブースも初日の段階では人だかりもなく、時間帯によっては閑散としている状態がありました。

 リサイクル商品に至っても,内容的にはアンティークとして売っている訳ではないので素材として見て、魅力がなければ売れないわけで、現状どのブースもファッション的なリングやペンダントが多く、元々大量生産のように造られた商品が多いので付加価値性があまりにない商品が多く、当然、商品としての魅力がない訳ですから。後は原材料としてどうかと考えるとあまり利用価値が無く、これなら新しい物を買った方が良いのであろうと思われるような商品ばかりになっていました。最近ではりサイクルの集まりも悪くなっているように効いております。

 地金の価格もだんだん落ち着いてきてリサイクルの時代もそろそろ終焉を迎えるのかなあという雰囲気がムンムンします。買取りブームもこの不景気の中(株式市場ではなく巷の意味)業界にとっては一服の清涼材として役には立ちましたが、根本的な事が解決をしていないので、今後を憂いてしまいます。

 リサイクルといっても過去の販売歴史があるからこそ成り立ってきた訳で、今後は耕していない畑で何を収穫するのであろうか?買取りブームの効用は業界の一時の刺激にはなりました。しかし、市場からの声は『やはり宝石は安くしか売れない』という声がよく聞かれました。地金の高騰によりその陰は少し薄まっていたとはいえ、あまりにも安い買取価格は業界の信用を無くするには十分な要素でした。

 買取の業者の殆どは宝石業界とは関係のないところが多いために現金をかさに叩き買いをしているところが多くどうしてもわからないからこそ安く求めようとします、多くの宝石業界の人々は後追いで参入をしましたが、失った信用はあまりにも大きく、傷痕しか残さなかったような気がします。

 これから、もう一度畑を耕すには信用を取り戻すことですが、これこそがこれからの業界の課題なのですが、安売り競争に興じてきた業界にとっては至難の業といっても良いでしょう。勿論トレンドとして高く売り過ぎていたものを安く販売する事には抵抗もありませんが、元々安い物を如何にも高く見せ、それをいかに安く販売をしているかのように感じさせるような販売方法は今後通用するとは思えません。如何せん信用をされていないのですから・・・。

 会場の中で非加熱のルビーを専門に扱っている方にお会いしました。その方の考え方として現状の宝石業界のまやかしをするような売り方ではなく本当の宝石を販売したいと考え、処理をしていない物を扱うという事でしたが、誰もが扱えるようになった処理宝石には希少性がないと考えており、小生の考え方にも近いものがあり、ちょっと安心をしたような気もしました。

 東京国際宝飾展にしても、ジャパンジュエリーフェアにしても、主催者はそろそろ業界の為に内容を本当に考えてみてはどうだろう。それぞれの展示会そのものが目立ちさえすればよいという考え方でなく、今後の展示会のありようを考えてみても、中身そのものが大事なのではないかとさえ感じるような内容になっておりました。今後に期待をします。
http://ameblo.jp/diamonrow/entry-12065918914.html

2015年8月25日火曜日

花火大会⁉

 先週土曜日に多摩川の花火大会が開催され、今年もテーブル席を確保しお客様をご招待し、華やかの花火の観賞をしてきました。今年は楽天の本社も二子玉川に移転し最初の挨拶代りの提供花火も行われていましたが、ネームバリュウでいえばもう少しお金をかけても良かったんではないかという皆さんの評判でした。

 華やかに夜空に彩られた花火は直近のせいもあり。かなりの迫力でありシャンパンタワーの様な流れ落ちるような花火は圧巻でした。私自身はそれを見て喜んでくださる笑顔を見ながら、手元にあるテーブル上のシャンパングラスを傾ているだけで、幸せを感じておりました。

 ダイヤモンドを手にして頂いた時の喜びもそうですが、人を笑顔にする楽しさは格別です。特にそれがお金につながるのですから(いやらしいですね)。しかし、人を笑顔にし、幸福にすることの出来る仕事に付いている事の喜びは言葉には替えにくいです。

                                               

株価暴落とダイヤモンド⁉

 ここ数日間、中国の不調を受けて株価の暴落が続いています。要因としている中国の不調は既に市場では織り込み済みだったのにも拘らず、ここ数日間の暴落は単なるパンミックというふうに考えるべきなのでしょう。

 しかし、何故にパニックが起きるのかというと、プロとは言い難い投資家、例えばデイトレーダーなんかがよく例に挙げられますが、にわか投資家というギャンブラーたちの存在が大きいような気がします。

 現代の投資家の殆どは投資家というよりギャンブラーが多く、大手のファンドといっても実際には数年前に世の中を騒がしたような『村上ファンドや』『ライブドア事件』の様な大規模にギャンブルを行っているところが多い訳です。

 ですから、売り逃げや仕掛けのように一瞬で利益を上げて、利益確定が出来た時点で売り払ったり、危ないなと感じた瞬間に逃げる算段をするために今回のようなパニックが起きているのでしょう。しかし、現状を考えると原油価格も低迷し、どうやらアメリカの利上げも先送りになる様な雰囲気ですから、結果的にはアメリカ市場は好調を続ける事になるでしょう。

 いくら中国の市場の影響力が大きくなってきているとはいえ、やはり世界の最大規模経済圏はアメリカですから、こちらの方を注視するとするとドルが安くなると、原油価格が上がるという相関関係がありますから、現状で考えると、今の円高は一時的なものでしょうし、全体のトレンドとしては円安、ドル高といった事になるでしょう。

 結果的には、日本の輸出関連企業の好調は続くでしょうが、安倍内閣の言っているそれが全体に回るかというとそういう事にはならないでしょう。それはそれらの企業は海外投資をやめる気配がないし、多くの金融業も同じように海外投資を行っているのですから、お金を持っている人はどこに投資をしても入ってくるお金は入ってきますが、そうではない人にはやはり中々回っては来ないでしょう。

 今、政府がやらなければいけないことは富裕層のお金を効率よく動かすことを考える事です。つまり、内需の拡大という事です。そこには製造業の国内充実という事もあります。

 数樹年前にアメリカが三つ子の赤字を持っていた時に当時の大統領のドナルド・レーガンがレーガノミックスをぶち上げました。それは財政赤字や貿易赤字を解決する方法としては明快な方法でした。『バイ・アメリカ』正にアメリカ製を買おうというキャンペーンを象徴的に行ったのです。それが功を奏し、アメリカ経済の上昇になったことは周知の事実です。

 当時、アメリカでビジネスをしていた私は時には驚くようなこともありました。ある時に百貨店にいってアメリカにいるのでアメリカ製のジャケットを探していると中年の店員が近づいてきて
『何かお探しですか?』
私が
『アメリカ製のジャケットを探しているんだけれど・・・。』
というと店員は
『私はここにきて30年近くなるけれど、そんなのものは見たことがないね。』
と肩をすぼめ両手を上に向けるあまり歌人お得意なポーズをしていたものです。

 当時はそれくらい、アメリカ製が目に触れる事はなく、そこに目を付けたレーガンがアメリカ製が多少高くても国の為にアメリカ製を買おうというキャンペーンを行ったわけです。当時の記憶ですが、ロサンジェルスに日本製の地下鉄が走ることになっていたのですが、アメリカの会社に変更されたという事を覚えています。

 結果、綿が豊富にとれていたとこからアメリカ製のTシャツから始まり少しづつ、内需とともにアメリカ製の製品が増えてきたのです。結果この時にはドル安も加わりアメリカ製の輸出が増えてきた事を記憶しています。

 話しがそれてしまいましたが、ここ十数年の傾向として利ザヤが利益確定として地金やダイヤモンドに走る事は何回か書いてきましたが、ここにおいて金は少し微妙な動きを見せてはいますが、他の地金例えばプラチナなどは低迷を続けています。これはまた別の機会に書きますが、基本的に同じ地金であって金とプラチナ等は同じ地金にあっても違う性質を金融市場では持っています。

 今回のような短期的市場の動きとみられる時には大きな反応はしませんが、ダイヤモンドに関しては小さなサイズは後追い、大きなサイズは様子見といった傾向があります。というのは市況が良く先行きが良さそうであれば小さなサイズのものは価格が上がります。現に数年低迷をしていた0.3ct~0.5ctサイズのところは価格が上昇の気配があり、中どころ(3ct~5ct)のところは足踏みし、大きなところ(10ctアップ)は依然として高値安定ですが市場に出回らないという事もありますが目立った動きはありません。しかし、この状態が続くと小さなサイズのところは価格が下がり、大きめなところは値動きが目立つようになるでしょう。

 続きは次にします・・・・。
http://ameblo.jp/diamonrow

2015年8月20日木曜日

家守⁉

昨日リビングのソファアでノンビリしながらTVを見ているとそのTVの上部分に小さな影がスルスルと移動をしています。何かのと思ってみていると小さなヤモリでした。

 白い壁を3メートルほど横に移動したと思ったら今度は下に向かって移動をはじめ、勝手知ったる我が家が如く移動をしています。一寸驚かしてやろうかなと思いつつもスルスルと動き回る、たぶん子供であろう我が家のペットの動きを楽しんでいました。何を思ったのか急に上部に向かって反転し動き出し壁伝いにビルトインになっている我が家のエアコン口から天井方向へとぬけていった様であります。

 十年以上前から、我が家にはヤモリが住み着いており、多分もう何代も繰り返しているのであろうと思っています。家守というくらいですので我が家の守り神としてペットとして共に生活をしております。時々外へと出かけるのですがカラスの餌にになると大変なので家の中に戻してやります。普段はあまり見かけないのですが、数カ月に一度くらいの割合でお目見えします。

 ダイヤモンドを守り神だという方もたまにいますが、確かに守り神というより幸運を招くといった方は良くいらっしゃいます。以前にも書きましたが当方でハート型のダイヤモンドを買った方の幸運が数回続いたことがあり、現在も結婚が決まったり、交際を続けているという方も数名いらっしゃいます。これも最初はたまたま購入された方で、こういう方がいましたよというお話を気に入って、お求めになった方が、たまたま同じような事が起きたことから始まった都市伝説みたいなものですが、確かに起きたことでした。

 1900年代の初頭アメリカはニューヨークで起きた事件で銃弾が襲ったご婦人をダイヤモンドのブローチをの御蔭で銃弾を心臓からずらしてくれて一命をとりとめたという事があり、ダイヤモンドが守り神として一時流行ったことがあるそうです。しかし、それは流行だったんでしょうが、長い歴史でダイヤモンドが身を守ってくれたという話は身を置いている立場上、色々な意味でよく耳にします。私もその体験者の一人です。

 私にとって家を守ってくれるヤモリ(家守)と人生を守ってくれるダイヤモンドは大事な守り神です。他人にとってはとるにたらない事であっても、人の思いは色々な意味で人生のポテンシャルとなってくれるようです。
http://ameblo.jp/diamonrow

2015年8月18日火曜日

ジュエリーとダイヤモンド⁉

 最近色々なものにジュエリーとかジュエルという言葉がよく使われますが、語源というものは色々な説があり、特定は難しいのですがひとつ言える事は、元々多くのジュエリーは実用品が元になっている訳ですが、その実用品に贅沢な素材や華美なデザインをし始めたものがジュエリーと考えて良いのでしょう。

 解りやすいところでいえば、古代ローマ・ギリシャ時代には『フィブラ』という布を留める安全ピンのようななものがあり、これがブローチの原型といわれていますがさらにその前に北欧民族の間では毛布などを体に巻いて留めるピンが既に洗練された形で使用をされていました。つまり実用品であったものが時代とともに贅沢品となったものです。

 一方ある意味権力の象徴的に出てきたものもありますが、これはダイヤモンドといわず他の宝石であったとしてもその魅力や価値を身に付ける土台として出来上がってきたジュエリーもある訳です。例えば王冠などもそうでしょう。そのほか王家の象徴になるようなものにはよく大きな宝石があしらわれているというよりも、宝石自体が象徴となるようになっています。

 現代社会においてはちょっと贅沢なものというニュアンスでジュエリーやジュエルという意言葉が使われているような気がしますが、まんざら間違った使い方ではないのでしょう。しかし、宝石業界の人々からすると、ガラス玉や他のアクセサリーをジュエリーと呼ぶことには抵抗があるようです。

 特に今は宝石と言えるもの特にダイヤモンドの様な値上がりの著しいものはなかなか庶民のものとは言いにくいものがあります。つまり宝石という条件を満たすようなものは手が出ないのでちょっとした贅沢として身に付けるアクセサリーに贅沢な素材を使った物を・・と考えた方が良いのでしょう。

 そう考えればジュエリーを売ろうとしたら、買った時の何分の一だったなんて言う不満も少なからずも軽減するような気がします。何故なら単なるアクセサリーですから、素材代にしかならないという事になります。ただ他実用品は売る時にはただか下手するとお金を払う羽目になりますが、それと比べると素材としては贅沢ですからとしたお金になると考えてください。今迄に聞いた中で多くの場合色石を使ったものは二束三文だったということを聞きますが、それなりの大きさのダイヤモンドに関してはそれなりのかかくでうれたという事をよく聞きます。

 ある一定の条件をクリヤした、天然を条件としたダイヤモンドや宝石(処理をしていない物という条件で)はやはりある一定の年数を経れば買った時よりも高く売れる可能性は出てきます。今までも周りではそのよな人々を沢山見てきています。そして、その期間というものはその希少性に比例をして短くなります。物によってはわずか数週間でお求めになった値段の3割増しで売れた例も見てきました。

 そうなると評価が正しくて高価な物ほど投資的効率も良くなってくるという事になります。そうなると時代はさかのぼり、実用品を贅沢にしたものと、権力をや権威を身に付けたものという違った角度から出来上がってきたジュエリーという物が解ってきます。

 つまり、現代は過去の歴史をぶり返すかのようにお金を持っている人にはお金が集まり、お金がない人には中々そのチャンスが巡ってこないという事が映し出せれているように見えます。そして、それがハイジュエリーといわれるものと単なるジュエリーの違いで、庶民であっても本当の価値を見いだそうという人のところには転がり込んでくるチャンスもある訳ですが、単なる贅沢品を素材にしたアクセサリーをしている人のところには何時までもチャンスは廻ってこないのだろうと感じます。