先日、国連で安倍総理が難民問題に触れ1000億円近い資金支援を公約しましたが過去にも500億円程度と大きな支援をしていた割には話題にもなっておりませんでした。しかし、今回のタイミングはどうであろうと感じました。
難民問題を放置しろとは思っていませんが、湾岸戦争の時に1兆円のお金を出しながら感謝どころか批判さえ受けたことも脳裏から離れません。今回の大きな公約は近い将来難民も受け入れざるを得ない状況になるのではないかと考える訳です。
単純に難民受け入れに反対をする訳ではありません。昨年は5000千人ほどの難民申請に対して3人の受け入れといわれる日本で果たしてその協力要請が来た時に受け入れることが出来るのだろうかと考えます。
現代においてあらゆる人種がまじりあう事は避けられないことではありますが、単純な移民ではありません。宗教、習慣、文化等の違いの融合が他の国ほど得意ではない日本において大きな問題であると考えます。
『郷に入らば、郷に従え』という言葉がありますが、多くの外国人、特に発展途上の国の人々にとってはこの事を理解し、従うことは難しいと思います。何故なら先進国ほど理屈でものを考えるのではなく宗教でものを考える傾向にあるからです。勿論、信仰の自由を妨げるつもりも反対するつもりもありません。
これからヨーロッパをはじめ、多くでこの問題が起きますが特に日本においては大きな問題に発展しそうな気がします。多産傾向、活力という方向では日本にとっては良いのかもしれませんが、他国と違って日本には良い意味でも悪い意味でも島国精神があります。彼らは日本の文化を尊重し理解し、溶け込んでくる分には全くと言っていいほど問題はありません。
しかし、近隣国の人々を見ていても自己主張の強さは日本人をしのぎます。同じような文化圏にいてさえこの違いですから。ましてや遠方からくる人々の困惑を考えれば彼らがそこに己たちの文化を根差させようという気になっても仕方がりません。
太古の時代から日本人は神道の精神から多くの考え方や宗教に対して寛容に受け止め、受け入れてきました。仏教しかり、キリスト教しかり、おおらかな気持ちで受け入れてきました。その事は日本人の良いところであると思いますが、現代においてはどうしょうか?
今、何万人規模の難民を受け入れることが出来るのでしょうか?
到底無理な問題だと考えます。きっと中途半端な親切は大きな憎悪となって跳ね返ってくるような気がします。難民支援をするなといっているのではありません。もっと効果的な時期、方法があるのではないかと考えます。
古くはベトナム難民どれくらいの多くの難民を追い出し、恨まれたかを思い出すべきだろう。現状でさえ数千人申請で数人の許可という状況です。はっきりとしたガイドラインを設け、皆が確認を出来る状況を造り、正々堂々と難民を受け入れる環境をつくるべきでしょう。そして難民も日本に暮らす以上は日本語を覚え、日本の文化に溶け込む姿勢が必要でしょう。
そうでなければ昨今に起きているような外国人による殺人や事件が絶えない事にもなるでしょう。
ベトナム難民の多くは米国に移り住みましたがアメリカという混醸国家は正に多民族国家であり、それらの織りなす文化で紡ぎ挙げられていった国家ですから彼らを受け入れるにはもってこいのお国柄でしょう。しかし、その国でさえこれ以上の移民を拒んでいます。
ベトナム難民の多くはダイヤモンドを手にアメリカに渡り、それを元手に起業をした人々も多くいたことは、当時米国にいた私は身に染みて理解をしています。
それ以前からダイヤモンドのビジネスには接していた私ですが、この時のに改めてダイヤモンドの価値を認識したのを覚えています。世界がダイヤモンドのように共有できる価値があれば良いのですが、その事さえ理解を出来ない日本があります。
難民問題は難しい問題です。難民問題になれていない我が国が安易に先頭を切って掲げるテーマだったのかどうかが疑問です。安保理に手を上げているのは解ります。しかし、この問題は今ではなかったというふうに考えています。如何でしょうか?http://ameblo.jp/diamonrow
難民問題を放置しろとは思っていませんが、湾岸戦争の時に1兆円のお金を出しながら感謝どころか批判さえ受けたことも脳裏から離れません。今回の大きな公約は近い将来難民も受け入れざるを得ない状況になるのではないかと考える訳です。
単純に難民受け入れに反対をする訳ではありません。昨年は5000千人ほどの難民申請に対して3人の受け入れといわれる日本で果たしてその協力要請が来た時に受け入れることが出来るのだろうかと考えます。
現代においてあらゆる人種がまじりあう事は避けられないことではありますが、単純な移民ではありません。宗教、習慣、文化等の違いの融合が他の国ほど得意ではない日本において大きな問題であると考えます。
『郷に入らば、郷に従え』という言葉がありますが、多くの外国人、特に発展途上の国の人々にとってはこの事を理解し、従うことは難しいと思います。何故なら先進国ほど理屈でものを考えるのではなく宗教でものを考える傾向にあるからです。勿論、信仰の自由を妨げるつもりも反対するつもりもありません。
これからヨーロッパをはじめ、多くでこの問題が起きますが特に日本においては大きな問題に発展しそうな気がします。多産傾向、活力という方向では日本にとっては良いのかもしれませんが、他国と違って日本には良い意味でも悪い意味でも島国精神があります。彼らは日本の文化を尊重し理解し、溶け込んでくる分には全くと言っていいほど問題はありません。
しかし、近隣国の人々を見ていても自己主張の強さは日本人をしのぎます。同じような文化圏にいてさえこの違いですから。ましてや遠方からくる人々の困惑を考えれば彼らがそこに己たちの文化を根差させようという気になっても仕方がりません。
太古の時代から日本人は神道の精神から多くの考え方や宗教に対して寛容に受け止め、受け入れてきました。仏教しかり、キリスト教しかり、おおらかな気持ちで受け入れてきました。その事は日本人の良いところであると思いますが、現代においてはどうしょうか?
今、何万人規模の難民を受け入れることが出来るのでしょうか?
到底無理な問題だと考えます。きっと中途半端な親切は大きな憎悪となって跳ね返ってくるような気がします。難民支援をするなといっているのではありません。もっと効果的な時期、方法があるのではないかと考えます。
古くはベトナム難民どれくらいの多くの難民を追い出し、恨まれたかを思い出すべきだろう。現状でさえ数千人申請で数人の許可という状況です。はっきりとしたガイドラインを設け、皆が確認を出来る状況を造り、正々堂々と難民を受け入れる環境をつくるべきでしょう。そして難民も日本に暮らす以上は日本語を覚え、日本の文化に溶け込む姿勢が必要でしょう。
そうでなければ昨今に起きているような外国人による殺人や事件が絶えない事にもなるでしょう。
ベトナム難民の多くは米国に移り住みましたがアメリカという混醸国家は正に多民族国家であり、それらの織りなす文化で紡ぎ挙げられていった国家ですから彼らを受け入れるにはもってこいのお国柄でしょう。しかし、その国でさえこれ以上の移民を拒んでいます。
ベトナム難民の多くはダイヤモンドを手にアメリカに渡り、それを元手に起業をした人々も多くいたことは、当時米国にいた私は身に染みて理解をしています。
それ以前からダイヤモンドのビジネスには接していた私ですが、この時のに改めてダイヤモンドの価値を認識したのを覚えています。世界がダイヤモンドのように共有できる価値があれば良いのですが、その事さえ理解を出来ない日本があります。
難民問題は難しい問題です。難民問題になれていない我が国が安易に先頭を切って掲げるテーマだったのかどうかが疑問です。安保理に手を上げているのは解ります。しかし、この問題は今ではなかったというふうに考えています。如何でしょうか?http://ameblo.jp/diamonrow
0 件のコメント:
コメントを投稿