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2015年9月30日水曜日

600カラット⁉

 1996年、夏のテルアビブの日差しは強く、取引所のいくつかあるビルディングの窓は紫外線防止のためのフィルムは張られているが、やはり湯型の日差しは強く目に差し込んできます。

 いつものようにダイヤモンドの仕分け作業を行っていると事務所のパートナーがニコニコしながらオフィスの中に入ってきた。彼は南アフリカ出身のユダヤ人で南アフリカ時代は国内最大の研磨工場のファミリーの長男として生まれ、家業でもあるダイヤモンドビジネスを引き継いでいました。

 彼の家族は1970年代初頭、両親と姉は米国ロサンジェルスへ、そして彼は奥さんとともにイスラエルへと移住をしてきました。私自身は米国時代に彼の父親と知り合い、息子の事務所への参加を提案され、彼自身を知りました。

 彼は毎月南アフリカのヨハネスブルグやモスクワの原石のオークションに参加し、なるべく大きめの原石を目指して落札をする事を目的にオークションへの参加をしておりました。彼が参加をしているオークションはいわゆるシンジケートのものではなく、それ以外の鉱山のものとか、ソ連の公営会社の物ですが、時折驚くようなものも出品されてきます。ついその一年前にも150カラットを超えるブラウニッシュな原石を手に入れ大きな利益を上げておりました。

 私自身もこのような環境から原石の取り扱うようになったのですが、原石の存在には時々驚かされることも多々ありました。

 彼自身がこの日ニコニコとしながら入ってきたのは先日のヨハネスブルグのオークションで600カラットの原石を手に入れたということで、それが到着をしたということで手に小箱を持ち入ってきたところだったのです。

 私自身も驚いて
『600cts⁉』
と思わず叫んでしまいました。
600カラットというと歴代の原石の中でも突出をした大きさですから驚いても何ら不思議な事でもありませんが、本当にそんなものを手に入れたのかと何度も彼に聞き返したものです。

 彼の開けた小箱の中にはまぎれもなく手に余るような大きさの原石がのっていたのです。
『それはどうしたの?』
と尋ねると
『オークションで父親と旧知の間柄の友人に出会い、オークションに出すつもりの原石だけど、もし価格が合えば直接の取引きでも良いといわれたんだよ』
とニコニコしながら
『何の躊躇なくマザールだよ』
と話が付いたという事でした。

 その後のストーリーに関してはまだ公開が出来ないので、後日機会があればまた書きたいと思いますが、色々差しさわりがあるのでここまでにしましょう。

 丁度ブログも600回という事で数字にまつわることを思い出していたら、この件が思い出され書きましたが、最後まで書けないのが残念ですが、いずれ公開の機会があると良いなと信じてこの回を締めくくらせてもらいます。http://ameblo.jp/diamonrow

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