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2015年8月18日火曜日

ジュエリーとダイヤモンド⁉

 最近色々なものにジュエリーとかジュエルという言葉がよく使われますが、語源というものは色々な説があり、特定は難しいのですがひとつ言える事は、元々多くのジュエリーは実用品が元になっている訳ですが、その実用品に贅沢な素材や華美なデザインをし始めたものがジュエリーと考えて良いのでしょう。

 解りやすいところでいえば、古代ローマ・ギリシャ時代には『フィブラ』という布を留める安全ピンのようななものがあり、これがブローチの原型といわれていますがさらにその前に北欧民族の間では毛布などを体に巻いて留めるピンが既に洗練された形で使用をされていました。つまり実用品であったものが時代とともに贅沢品となったものです。

 一方ある意味権力の象徴的に出てきたものもありますが、これはダイヤモンドといわず他の宝石であったとしてもその魅力や価値を身に付ける土台として出来上がってきたジュエリーもある訳です。例えば王冠などもそうでしょう。そのほか王家の象徴になるようなものにはよく大きな宝石があしらわれているというよりも、宝石自体が象徴となるようになっています。

 現代社会においてはちょっと贅沢なものというニュアンスでジュエリーやジュエルという意言葉が使われているような気がしますが、まんざら間違った使い方ではないのでしょう。しかし、宝石業界の人々からすると、ガラス玉や他のアクセサリーをジュエリーと呼ぶことには抵抗があるようです。

 特に今は宝石と言えるもの特にダイヤモンドの様な値上がりの著しいものはなかなか庶民のものとは言いにくいものがあります。つまり宝石という条件を満たすようなものは手が出ないのでちょっとした贅沢として身に付けるアクセサリーに贅沢な素材を使った物を・・と考えた方が良いのでしょう。

 そう考えればジュエリーを売ろうとしたら、買った時の何分の一だったなんて言う不満も少なからずも軽減するような気がします。何故なら単なるアクセサリーですから、素材代にしかならないという事になります。ただ他実用品は売る時にはただか下手するとお金を払う羽目になりますが、それと比べると素材としては贅沢ですからとしたお金になると考えてください。今迄に聞いた中で多くの場合色石を使ったものは二束三文だったということを聞きますが、それなりの大きさのダイヤモンドに関してはそれなりのかかくでうれたという事をよく聞きます。

 ある一定の条件をクリヤした、天然を条件としたダイヤモンドや宝石(処理をしていない物という条件で)はやはりある一定の年数を経れば買った時よりも高く売れる可能性は出てきます。今までも周りではそのよな人々を沢山見てきています。そして、その期間というものはその希少性に比例をして短くなります。物によってはわずか数週間でお求めになった値段の3割増しで売れた例も見てきました。

 そうなると評価が正しくて高価な物ほど投資的効率も良くなってくるという事になります。そうなると時代はさかのぼり、実用品を贅沢にしたものと、権力をや権威を身に付けたものという違った角度から出来上がってきたジュエリーという物が解ってきます。

 つまり、現代は過去の歴史をぶり返すかのようにお金を持っている人にはお金が集まり、お金がない人には中々そのチャンスが巡ってこないという事が映し出せれているように見えます。そして、それがハイジュエリーといわれるものと単なるジュエリーの違いで、庶民であっても本当の価値を見いだそうという人のところには転がり込んでくるチャンスもある訳ですが、単なる贅沢品を素材にしたアクセサリーをしている人のところには何時までもチャンスは廻ってこないのだろうと感じます。

 

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