この時期を迎えるといつも思い出すことがあります。
バブルの時代にダイヤモンドを扱いながら富という事を考えたことなどありませんでした。何故なら皆が潤い多くの人々が当然のようにダイヤモンドを買い求めていたし、自らの職に就いていた立場上ダイヤモンドが売れることは必然的なことであったし、皆が買えるものだと思っていました。
ダイヤモンドであることは当然であり、いかに皆が持っていないような素晴らしい物を顧客の届けるかだけが課題でもあったような気がします。勿論私達だけではなくダイヤモンドを扱っていた人々の多くが潤っていたように思います。
勿論ダイヤモンドだけではありませんが、特にダイヤモンドに関してはバイヤーの多くが海外では特別扱いをされていたように思います。私は当時アメリカから帰ってきたばかりだったのでこの業界の人はあまり知ることが無く、アメリカ時代の取引先がほとんどでしたのであご足つきで買い付け事務所に迎えられることなどなかったのでそれほどの良い思いはしてません。
多くのバイヤーたちはそれぞれの買い付け国で空港までお迎えがあり、殆どの食事は支払う事などもなく、その国の通貨に交換する必要もなく出張を終えてていたように聞いています。
一方、私は殆どが単独行動でしたから、何処の事務所に居つくこともなく、ほとんどのバイヤーが買い付け事務所からあまり出ないのとは対照的に、取引所内を闊歩しておりました。
いずれにしても扱っていた人々もバブルを謳歌していたように思います。しかし、現在それらの人々の多くは国内の金融品市での買い付けをしており、あの華やかな時代の面影は殆どありません。むしろみじめでさえあります。
同じくいえることが消費者マーケットです。多くの人々がクリスマスにはショーケースを覗き、気に入ったものがあればすぐにでもその場で手に入れていたように思います。高額品を求める人々も金に糸目をつけることなく人の持っていない物を手に入れるべくあらゆる要求を我々にしていました。
年末の12月初めに気に入って頂いた100カラットのネックレスに対してお客様が
『せっかくだから他の人が持っていないようなものにして頂きたいわ。』
という要請に当時これを扱っていた百貨店にちなみ
『それではあと9カラットを足してトータル109カラットにしてお納めしましょう。』
と年明けの納品のつもりでお話をしたら
『あら、良いわね、今月中には間に合わせてほしいわ、元旦から海外へ行くので持っていきたいわ』
との事で、そうでなければいらないという事でした。
このネックレスは5ctの角ダイヤモンドを中心にグラジュエーションのもので形色共に合わせており、私がロサンゼルスのマニュファクチュアから買い付けた物であり、そこに求めなければ手に入らないものでした。
しかし、いかんせん一億円からのお代のもので諦める訳にはいかないという事で急きょ、0泊3日
でロサンゼルスに向かい、その後無事に納品をしたことを思い出します。
今の時代多くの人々がダイヤモンドを手放し、町の買取屋さんに持ち込んでいますが、ほとんどの場合には逸品物が無く、時代を物語っているように思います。資産家たちは上質のものは手放すこともなく未だに所持をしており、よほどのことがない限り手放すことはないでしょう。
それどころか更に手に入れようとしているようにさえ感じます。ありがたい事に私に接するお客様たちは未だにそれなりのダイヤモンドをお求めになることに躊躇はなく、お求めになっていってくださいます。
私が取引所から買い付けをした大粒のものを中心に販売をさせて頂いておりますが、高額という事もあり通常の小売店さんの利益の半分以下での販売をしております。とくに買い付け要望の物に関しては事前い取り決めを行い、手数料だけを頂くという形です。それゆえに更なる特典が求める方達に与えられる訳です。
バブルの時代にはそれほど感じなかったダイヤモンドの存在を改めて感じます。ダイヤモンドを手放さなければならない人、更に購入を続ける事の出来る人。
経済の状況に関係なく富める人々は何時でもダイヤモンドを買い求めることが出来るのです。そして、やはりダイヤモンドは富の象徴であり、さらなる富を呼び込む大事な象徴でもあるのです。
ただ、今は金持ちよりもダイヤモンドの方が少ない事も忘れてはいけません。
http://ameblo.jp/diamonrow
バブルの時代にダイヤモンドを扱いながら富という事を考えたことなどありませんでした。何故なら皆が潤い多くの人々が当然のようにダイヤモンドを買い求めていたし、自らの職に就いていた立場上ダイヤモンドが売れることは必然的なことであったし、皆が買えるものだと思っていました。
ダイヤモンドであることは当然であり、いかに皆が持っていないような素晴らしい物を顧客の届けるかだけが課題でもあったような気がします。勿論私達だけではなくダイヤモンドを扱っていた人々の多くが潤っていたように思います。
勿論ダイヤモンドだけではありませんが、特にダイヤモンドに関してはバイヤーの多くが海外では特別扱いをされていたように思います。私は当時アメリカから帰ってきたばかりだったのでこの業界の人はあまり知ることが無く、アメリカ時代の取引先がほとんどでしたのであご足つきで買い付け事務所に迎えられることなどなかったのでそれほどの良い思いはしてません。
多くのバイヤーたちはそれぞれの買い付け国で空港までお迎えがあり、殆どの食事は支払う事などもなく、その国の通貨に交換する必要もなく出張を終えてていたように聞いています。
一方、私は殆どが単独行動でしたから、何処の事務所に居つくこともなく、ほとんどのバイヤーが買い付け事務所からあまり出ないのとは対照的に、取引所内を闊歩しておりました。
いずれにしても扱っていた人々もバブルを謳歌していたように思います。しかし、現在それらの人々の多くは国内の金融品市での買い付けをしており、あの華やかな時代の面影は殆どありません。むしろみじめでさえあります。
同じくいえることが消費者マーケットです。多くの人々がクリスマスにはショーケースを覗き、気に入ったものがあればすぐにでもその場で手に入れていたように思います。高額品を求める人々も金に糸目をつけることなく人の持っていない物を手に入れるべくあらゆる要求を我々にしていました。
年末の12月初めに気に入って頂いた100カラットのネックレスに対してお客様が
『せっかくだから他の人が持っていないようなものにして頂きたいわ。』
という要請に当時これを扱っていた百貨店にちなみ
『それではあと9カラットを足してトータル109カラットにしてお納めしましょう。』
と年明けの納品のつもりでお話をしたら
『あら、良いわね、今月中には間に合わせてほしいわ、元旦から海外へ行くので持っていきたいわ』
との事で、そうでなければいらないという事でした。
このネックレスは5ctの角ダイヤモンドを中心にグラジュエーションのもので形色共に合わせており、私がロサンゼルスのマニュファクチュアから買い付けた物であり、そこに求めなければ手に入らないものでした。
しかし、いかんせん一億円からのお代のもので諦める訳にはいかないという事で急きょ、0泊3日
でロサンゼルスに向かい、その後無事に納品をしたことを思い出します。
今の時代多くの人々がダイヤモンドを手放し、町の買取屋さんに持ち込んでいますが、ほとんどの場合には逸品物が無く、時代を物語っているように思います。資産家たちは上質のものは手放すこともなく未だに所持をしており、よほどのことがない限り手放すことはないでしょう。
それどころか更に手に入れようとしているようにさえ感じます。ありがたい事に私に接するお客様たちは未だにそれなりのダイヤモンドをお求めになることに躊躇はなく、お求めになっていってくださいます。
私が取引所から買い付けをした大粒のものを中心に販売をさせて頂いておりますが、高額という事もあり通常の小売店さんの利益の半分以下での販売をしております。とくに買い付け要望の物に関しては事前い取り決めを行い、手数料だけを頂くという形です。それゆえに更なる特典が求める方達に与えられる訳です。
バブルの時代にはそれほど感じなかったダイヤモンドの存在を改めて感じます。ダイヤモンドを手放さなければならない人、更に購入を続ける事の出来る人。
経済の状況に関係なく富める人々は何時でもダイヤモンドを買い求めることが出来るのです。そして、やはりダイヤモンドは富の象徴であり、さらなる富を呼び込む大事な象徴でもあるのです。
ただ、今は金持ちよりもダイヤモンドの方が少ない事も忘れてはいけません。
http://ameblo.jp/diamonrow
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