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2012年12月29日土曜日

ダイヤモンドと私!?

 2012年も間もなく終わろうとしていますが、今年一年を振り返ると展示会にも参加をし、ダイヤモンドでのランチショーを行いと小生の試みとしては色々と手掛けた年ではありました。

 永年ダイヤモンド・ディラーとして過ごして小生は多くの人と同時に関わり合う事は苦手な事としてきました。余程話が合う方ではないと進んでは口を聞く方ではないので、初めての方に声をかけてキッカケを作る事は非常に難しい事としておりました。

 先日、友人と飲みながら話をしていて、

『お互い、人からは良く見られない方だよね。マア、理解をしてもらおうという努力もしてこなかったしね』

と会話をし、最近書き続けているこのブログの話になり

『語り続ける必要のあるブログなんかをよくやっているね』

と言われました。

 実はお互い、自分の信じた行動が人から理解されるかされないかではなく、自分が納得できるかどうかが重要だし、人の見方は其々だから理解をしてもらうという努力は意味がないと・・。常々話しあっています。

 人の評価ではなくダイヤモンドを相手にしてきた我々はディーリングしたダイヤモンドが理解をされればそれで良いと考えていなのです。

 しかし、自身の事はそれで良いのですが、ビジネスというのは扱っている物を理解してもらう努力をしてなんぼの世界ですから、私達の考え方は哲学という意味では良いのですがビジネスと考えると合理性に欠けると思います。

 そんな当り前の事を気がつく事が出来たのは消費者と繋がりが出来たからだと思います。それはプロだけを相手にしてきた時とは違い新鮮でもありました。それゆえにブログは小生にとっては重要な役割をしているのです。

 ダイヤモンドという何とも理解に苦しむ物は、実は説明をする物ではなく感じて頂くものですからその機会とその状況までを準備してあげる事が今の小生の仕事なのだと考えています。4Cを幾ら説明をしても4Cの意味をまともに知らなければその説明はあまり役には立たないのです。

 ダイヤモンドには過去にも色々と小生は助けてもらいました。そして今年もまた新たなジャンルへと誘ってくれました。それは色々な人との出逢いを始め、色々な機会を与えられさらにダイヤモンドの神秘を改めて感じさせてもらいました。

 友人とはしこたま飲みながらのダイヤモンドの話は3時間にも及び、それが久しぶりの友人との会話を盛り上げてくれました。

 さて、来年は何処へダイヤモンドは小生を誘ってくれるのでしょうか?愉しみです。
皆さんも良いお年をお迎えください。

合掌

2012年12月26日水曜日

ダイヤモンド!?

 クリスマスも終わり、いよいよ辰年とお別れを告げ巳年を迎える訳ですが、今年一年皆さまはどうでしたか?

 今年も一年ダイヤモンドで始まり、ダイヤモンドで締めくくりですが、今年は色々とダイヤモンドそのものについて考えました。つまり、平成の今ダイヤモンドは単なる贅沢品と捉えられている事を憂慮し、どの様に説明をしたらよいのかも紆余曲折がありました。

 結論から言いますと、大きく捉えたダイヤモンドは命を救い、生活を助け、人生を継続させる力がある事は歴史が証明をしています。その中でより現代に向いたダイヤモンドの役割は何だろうか?・・・・・と考えた時にポジティブという言葉が頭に浮かびました。

 この一年ダイヤモンドを手に入れた人々の反応は《幸運》でした。これは大げさではなく、どの様な場面で、どのような思いで手に入れたかという事にもよりますが、少なくても私の周りでの御話だけで表現すると・・・《嬉しい》という言葉が多く聞かれました。

 ダイヤモンドは贅沢品ではなく《宝物》である事の認識を持つ事が、気持ちをポジティブにし、また気持ちを潤してくれるという事でしょう。

 最近の若者はダイヤモンドに興味を持たないとよく言われますが、そんなことはありません。上手く伝えられていないだけだと思います。提供側の説明や表現方法によっては物すごく興味を示します。

 ダイヤモンドという言葉はレベルの高さや、きれいな物の冠としてよく使われています。それはDNAとは言いませんが人々の心の中に刻み込まれている言葉としてあるからだと思います。

 ダイヤモンドと心をいかに融合させるか?この事によりダイヤモンドは贅沢品ではなく、心の必需品としてもう一段存在が上がるのではないかと考えています。そんな一年でした。

 思いつくままに綴ってみました。

 

2012年12月24日月曜日

ダイヤモンド・イブ!?

 今日はクリスマス・イブです。皆さんもパーティーだったり、教会でのミサだったりと色々なクリスマス・イブを予定、または予定がないという方もいて様々だと思います。

 イブという言葉は《前夜》という意味ですが、昨今ではクリスマス以外でも使う事が多くなってきていますよね。前夜という言葉は何かワクワクさせる響きと厳粛な感じと不思議な感じをさせてくれます。(私だけかもしれませんが)

 昨今は、不景気も重なり業界的にもあまりよい話は聞きませんが、ある知人がこのように言っていました。

 『日本では本当の意味でのダイヤモンドビジネスは育たないと思っていたけれど、最近の景気のおかげでそうでもないかもしれないと思っているんだよね』

 この知人とは私の師匠でもあり、日本で初めて海外でGIA(米国宝石学会)とFGA(英国宝石学会)の資格を取得された方でダイヤモンドに関しては本来の見識をお持ちの方と思っています。

 彼はシンジケートとGIAがある間はダイヤモンドビジネスに将来はないと断言をして30年ほど前にこの業界を去りましたが、数年前から再びこのビジネスに従事をするようになったそうです。

 確かに、私も約40年もの間携わってきたビジネスですがここ30年ほどのこの業種はひどいものでした。ミレニアムダイヤモンドを始め、シンジケートの悪行を始め、鑑定機関のかき回しとおよそダイヤモンドを利用した悪態が、一部の経験のない業者を翻弄し続けて来ました。

 最近ではシンジケートの関与も20%程度と多業者がダイヤモンドを供給する比率も多くなり。より公平な価格が設定されるようになりました。この結果、市場が価格を決めるので誰かの一方的なコントロールの側面がなくなり、公明になってきました。

 勿論、グレードを始め第三者が関与することによりその差というものはまだまだありますが、それは判断する人間のプロとしての見識が多くの要素となる訳です。その結果、ダイヤモンドは財産保全の一環としての側面を持ち、この事が新たなビジネスの場面を用意してくれるという事になるのです。

 私の知人もそこに目を付け、既に数人の資産家を相手にそのビジネスを始めているとのことです。

 一方で、それとは真逆のダイヤモンドビジネスとして情緒的ビジネスも小売面では展開をされはじめて来ているような気がします。これはダイヤモンドの事をどれだけ知っているかという条件が付きますが、ダイヤモンドの本来の特性を表現できる手法と知識が小売りを変えていきます。

 4Cをのグレード表示に頼った売り方は必ずしも、ダイヤモンドを表わしている訳ではない事は以前から申してきていますが、それ以前にここ1,2年の展示会を始め小売りのセミナーや講演で気がつく事があります。それは、取り扱っている人々が必ずしもダイヤモンドを好きではないという事です。

 勿論それは本来のダイヤモンドを知らないからにほかなりません。そんな訳ですからダイヤモンドを売る事が難しくなってくる訳です。そんな中、必ずしも4Cに頼らずに販売を心がけている人たちが現れてきたのです。最初はびっくりしましたが、現状の売る事の難しさから勉強することにより得た結論がグレードに頼らない販売方法のようです。

 いずれにしても、何かが変わり始めています。前記した二つの要因のロジックがはっきりしてくることにより、新たなダイヤモンドビジネスが生まれてくるような予感がします。

 そう、《前夜》の感じが今しているのです。楽しみです。

2012年12月21日金曜日

ダイヤモンドと信用!?

 ダイヤモンドの販売の為のツールであるグレーディングリポートが販売時の信用の裏付けのように誤解をされ始めてからもう三十年以上が立つかもしれない。この間に何度となくグレードに対しての問題が特定の業者間と鑑定機関の間で起こされてきました。

 特定の業者のダイヤモンドに対してだけ実質的にグレードを上げるというやり方で、販売者が如何にもグレードの良い物を安く販売をしているかのように装うという、商品そのものの価値の根幹を揺るがせかねない事が平然と行われてきた事は最近でさえ起きておりました。

 これらの問題は本来の価値とは関係のない(全くではないが)物を、如何にも消費者目線に立っているかのような、まやかしから発生しています。つまり、最初は経験のない宝飾店がダイヤモンドの販売や仕入れを行うに当たって目安が欲しかったところから始まっています。

 戦後の宝飾店の多くは時計店から兼業で始まり、多くの時計店は時計メーカーが始めたダイヤモンドを扱い始めるにあたって、最初はノーブランドのダイヤモンドを並列陳列をし、かってきままにダイヤモンドの値段を付けておりましたが、メーカーがダイヤモンドをブランド化し、ナショナルプライスを設定するにあたり4Cグレードを採用し、価格差を表示するようになると、それぞれでつけていた価格に対する説明も必要になってきたのです。

 鑑定機関はそんなところから台頭する訳ですが、以前は其々が独自で行っていたグレード表示をメーカーも簡略化を前提に鑑定機関に依頼をするようになりました。ここからが多くの問題が発生する要因が生まれてきたのです。

 鑑定機関もビジネスですから、大量に依頼をするところのグレードは要請によっては甘く見る事もあり、それが市場に混乱を起こしておりました。それは本来本人達もグレードはさしたる大きな問題でもないと考えていたからでしょう。しかし、販売市場は素人の集まりですからグレードを使った価格競争が起こるようになり、本来の趣旨とは違う方向にグレードは動き始めたのです。

 経緯はこれくらいにしますが、本来は販売するお店の信用でダイヤモンドというものは販売するものでそれは何より、消費者がよく解っています。つまり、ブランドや有名店で買うダイヤモンドは高額であっても購入するのはその店に対する信用があるからです。

 一方で安価で販売する所からは安く買っているにもかかわらずグレーディングレポートや鑑別書の要求をされます。それはやはり信用がないからにほかなりません。

 ダイヤモンドそのもに対しては信用があるのですが、販売者に対しての信用がない為に消費者は疑心暗鬼になっています。宝石店がもっと勉強をするか止めるかの選択を行わないといずれダイヤモンドの信用その物が揺るがされかねないような気がします。

2012年12月19日水曜日

ダイヤモンドの販売。

 昨日、取引先の社長と話している中で最近の販売に悩んでいるという相談を受けましたが、その内容というのは

『商品量やデザインを以前より豊富にして見たけれど、何の効果もない』

というものでした。つまり、デザインや量ではないのではと悩んでいる訳です。

 特にダイヤモンドに言及をしてお話しをなさっていたので、自らの経験をお話しさせて頂きました。現在の状況下で贅沢品と思われているダイヤモンドジュエリーの選択値を増やしたからといって、それが販売にイコールつながるという事は難しいと考えています。

 ここ二、三年ルースでの販売を心がけている私としては、逆に形ある物の販売は難しいと考えていますのでお気持ちはすごく理解できます。

 デザインのあるものは『似合う、似合わない』『好き、嫌い』といったネガティブな選択値もあって選びますが、今の社会状況でいえばお客様からはまずネガティブな言葉から出て来ます。

 一方、ルース(裸石)は手のひらに乗せてあげて

『どうですか?綺麗でしょ?』

といった問い掛けに対して

『汚いわ』とか『そうでもないわ』といったネガティブな発言はまず出て来ません。

 ビジネスの基本として相手が価値を感じていないほど難しい事はありません。つまり、ポジティブな精神状態から物を見てもらうのと、ネガティブな状態から会話が始まるのでは雲泥の差があります。

 その後の会話にしても『美しい』という価値観を共有しながら、ダイヤモンドを中心にお話しを進めていっても、なんら拒否反応は出て来ません。後はお客様が興味を持たれれば買えるか買えないかというだけの話です。何としても欲しくなったお客様はこちらに条件を提示してくる事がほとんどです。つまり、支払とかお値段とか・・・・。

 現代においてデザインとかグレーディングレポートといった難しい販売方法をとるということは現実的ではなく、まずはお客様にポジティブにものを見てもらう事が大事なのです。

 お客様にとって自らの価値観ではないデザインや理解のできないグレードというのはむしろ、面倒な購買方法なのです。デザインされているジュエリーに関してはまず素材のダイヤモンドを見る事はありません。裸石であればダイヤモンドそのものを見て自分の判断をしていますから、購入動機としてはハードルが下がるのだと思います。

 販売する方達も自らも購入する立場に立ってみてください。理解が出来ない説明された価値で物を選びますか?そんなことはないと思います。

 売る側の都合で出来たのがグレーディングシステムです。決して購入側の利益を前提にした物や理解がしやすいようにしたものではありません。素人がすぐ販売を出来るように販売側にも購入側にも何となくわかったような気にさせるだけのシステムです。

 本当のプロの販売方法は必ずしも知識ではなく、購入者側に立って理解がしやすいように表現をする事です。前述の社長の考え方は手前味噌と言っては怒られるかもしれませんが、販売者側の都合に立った売り方であり、何処に何があるかも解らないような量の並べ方は決して消費者は喜んではいません。

 我らが職業はディスカウント量販店のような売り方は決して似合いません。興味を持って頂いた物をじっくりと見て頂いて購入意欲をまず持ってもらう事が大事なのです。

 裸石の販売においても石を重要視して販売ですから、製品に加工をするにしてもそれほど難しくはないシンプルなものが多くなります。それゆえ、その後の面倒も思っているほどはないのです。

2012年12月18日火曜日

 ダイヤモンドの購買好機!?

 自民党が勝利し、安倍政権誕生の運びと鳴りそうですが、それに伴い円安、株高に向かっています。
 以前にも書いてありますが、ダイヤモンドが値上がりする要因にはいくつかの要因がありますが、全体のダイヤモンドが値上がりするのは勿論景気動向が良い時ですが、大きめのダイヤモンドの値上がりに関しては(ジュエリーの素材以外のもの)経済状況が悪いという条件が加味されます。

 つまり、お金の行き所としての落ち着き場所という面があり、特に大きめの特殊性の高いダイヤモンドほど値が上がります。勿論これは一部のお金持ちに対しての情報になりますが・・・。

 その中で唯一ダイヤモンドの値が下がる要因として、消費国の貨幣価値が高いという事になります。そういった意味では日本では歴史的にもあり得ない状況が続いてきました。

 つまり、景気が悪いのに貨幣価値が高いという事です。普通は考えられないのですが、他国の不況がより深刻という事になるのでしょう。

 そんな中で我が国のダイヤモンドはリユースのダイヤモンドを始め、市場ではとても安く流通をしており、多くの外国人バイヤーが日本からダイヤモンドを求めて輸出をするという事で漁夫の利を得てきました。

 さらには円高もあり、輸入されるダイヤモンドに関しても非常に手ごろな価格で手に入っておりました。そこで今回の円安誘導、及び、株価高よ言うのは何時までも続くのかは解りませんがもしこのままの状況が続くのであれば、まさに今が歴史上ダイヤモンドを手に入れる好機の最後の状況に近づいているのかもしれません。

 円安が進むと現在国内で集められているダイヤモンドはもっと高値で取引がされることになります。ダイヤモンドをいずれ手に入れたいと思っている御仁は是非今の好機を逃さずにおきたいものです。

 何時も言いますが美しい限り、大きめのダイヤモンドです。

2012年12月17日月曜日

価値ある代価か?

 昨今のクリスマス商戦や歳末商戦のごとく、あまりの盛り上がりもなく選挙戦が幕を閉じましたが、この三年三カ月の価値という事を考えると前選挙の時に民主党に投票をした身としては代価が高くついたような気がしてならない。

 今度も民主党に対するNOが投票率の低さから自民党が圧勝をする形で幕を閉じた訳ですが、この投票率の低さの代償もやはり高くつくような気がしてならない。

 何故、若者は将来の自分達の為の選挙を無視したのか?その上で将来が不安という理屈が成り立たない事が理解できているのだろうか・・。

 今回の選挙ほど将来を前提とした選挙はなかったのではないかと考えています。年金や将来の国の在り方や経済成長といった内容は今後のためであり、決して現在のお年寄りの為の御題目ではありません。

 いずれにしても、現代のような切迫した精神状況に陥っている時には、其々の行動対象に価値を定め、その代価としてふさわしいかどうかを見定める事が必要だと思います。時代の良い時であれば代価をシビアに計る必要はないかもしれませんが、今は違います。

 価値というのは其々によって違う事は理解していても、皆に共通した価値は理解できる人によって違います。つまり、共通した価値であっても知識や理解力経験によって見えるか、見えないかという事があるという事です。

 ユダヤ人の多くは情報を価値と捉える事が多くありますが、本当は情報により価値ある物を理解できるのであって、情報はその為のジョイントでしかありません。

 現代のダイヤモンドビジネスにおいてもこの情報量が価値ある物に接する事が出来るかどうかを分けています。情報を持っている人間は間違いなく利益をあげているし、今後何で利益が上がるかを知っています。

 投票率が低いという事は情報を持とうとした投票者があまりにも少なかったということにもなるでしょうから、そこから得る利益はあまりにも少ないと言えるでしょう。つまりは今後の少なくても四年間は国民が得る利益はそれほど多くはない事を示しているような気がします。

2012年12月14日金曜日

選ばれしダイヤモンド!?

 間もなく選挙ですが、みなさんは何を目安の候補者を選びますか?

 長い間、取引所でダイヤモンドのセレクションをしていて、感じていた事は同じようなグレードのダイヤモンドのロットであれ、メランジのロットであれ、必ず目に飛び込んでくる魅力のあるダイヤモンドがあるという事です。

 多い時には数千、少ない時でも数十個のロットを検品し、オーダーに合わせたダイヤモンドをセレクトするのですが大きな括りで言えば同じような内容の品質で、それこそ4Cに合わせるだけであれば、経験があればそれほど難しい作業ではないと考えます。

 しかし、ビジネスとしてオーダーの仕分けだけであれば日々漫然とした業務として終わるのですが、どうしてもそれらのロットの中にきらりと光る物が混じっているとオーダーとは違っていてもついつい手が出てしまいます。

 それは何時も書いている事ですが『ライフ』が強いダイヤモンドなのです。沢山の同じようなダイヤモンドですがその中に間々こちらにアピールをしてくる石があるのです。

 それらの石に出会うのもやはり感性なのかもしれませんが、長いビジネスの間で唯一覚えた事は人の創った基準ではなく、自らの感性に従った方が結果的に良い物を手に入れる事が出来るという事です。

 時々、市場から買い付けられたダイヤモンドの検品を依頼される事がありますが、往々にしてそれらのダイヤモンドは手放されるべくして、手放されています。つまり、石そのものに魅力がないのです。ダイヤモンドというだけで選ばれて、ダイヤモンドというだけで販売をされた石は単なる石なんだという事を感じさせられます。

 今は自身の在庫だけの買付でもあるので、自身が感じたアピール力のあるダイヤモンドだけを取り扱うようにしています。そこには決して市場の4Cとは伴わない魅力のあり、個性のあるダイヤモンド達がいます。

 選挙ですが、単なるスローガンだけではなく実質社会に貢献をしてくれるような候補者を選びたいものですね。自らの利益という目先だけではなく、社会に貢献できる人かどうかを基準にしたいものです。二度と3年半前の過ちを起こしてはいけません。

 必ず、自ら光を放っている人がいます。投票に行きましょう。

ダイヤモンドの貢献!?

 彼のドラッカー氏は

『ビジネスの基本はいかに社会に対して貢献するかである』

と言っていますが確かに社会貢献の出来ないビジネスは成り立たないし、貢献していても役割が終わると同時に新たな貢献の形が出来ない限り消滅してしまいます。

 さてと、ダイヤモンドの話ですが『ダイヤモンドは社会への貢献はしているのか?』という事ですが
逆に言うと貢献しているはずなので今だに残っており、期間だけで言えば最も貢献をしているビジネスという事になります。

 それではどのような貢献なのかというとやはり情緒的というか精神的貢献なのではないかと思います。ダイヤモンドという物は扱っている販売員にしても業界人にしてもどれくらいそれを意識している人がいるのかというと疑問であります。

 それでは何故取り扱っている人々が理解していないもののビジネスが成り立っているのかというと、ダイヤモンドそのものに貢献をする力があるという事でそのビジネスそのものの貢献でないと考えています。

 つまり、多くのビジネスは開発、研究等のプロセスがあり、結果社会に貢献できる物を生み出していきビジネスとして社会に受け入れられる事により成り立っていきます。しかし、ダイヤモンドビジネスという物はダイヤモンドそのものが価値として社会貢献をしているという前提で考えると携わる人間には努力が必要ないのです。

 言い方がきつくなったかも知れませんが、おそらく、多くのジュエリー業者は『我々も努力をしている』というと思いますが、確かに努力はしていると思いますが他の業種は多分もっと努力をしているのだと思います。

 ダイヤモンドが社会に何らかの貢献をしている事は歴史的事実として考えたならば、扱う人々はそのダイヤモンドの貢献価値を損なわないようにする事が大きな役目になるのではないでしょう。

 4Cという道具を盾にし、価格競争をしてきたものは全くその逆をやってきたのですから,そこに携わる資格は無く、居場所も今は無くなっているのでしょう。決して景気のせいだけではない事に気がついた人は決して苦しんではいません。むしろチャンスと考えています。

 人の為、社会の為に貢献するダイヤモンドのお手伝いをするだけで上昇に向かう事になると思います。

 それではどの様なお手伝いをするのかというと、実際に値引き販売を行っている人々もダイヤモンドの魅力には気づいているはずです。その美しさ、魅力を自分なりに表現をする努力をし、安易な方法に逃げない事です。

 ダヤモンドが社会に貢献をしていることは歴史的事実が証明をしています。あとは扱う者の姿勢だけです。

2012年12月12日水曜日

グリーンダイヤモンド。

最近、手に入れたグリーンダイヤモンド照明の下に置いておくとブルーに見えます。
 
とある展示会場にて

『このブルーダイヤモンド綺麗ですねェ。』

と話しかけられ

『実はこれ、ファンシーグリーンなんですよ』

『そうなんですか!?』

とちょっとびっくりなさっておりました。

『このような会場ですと黄色の照明も多いので干渉してブルーに見えているんです』

と説明すると

『へえ~、それでお安いんですね。』

『決してお安い訳ではなく適正な利益は頂いております。』

『正直な方ですね』
とおほめの言葉

 実際に展示会場の照明は必ずしもダイヤモンドの魅力を反映させたものではない事が多いのも事実で、ただ光らせればよいという照明がほとんどです。ダイヤモンドに詳しい方ならよく解ると思いますが、ただ光るだけなら人造石も含めて他にもあります。

 ダイヤモンドはやはり日中の自然光で魅力のある物が多く、色合いやダイヤモンドそのものの石なりとでも言うのでしょうか。

 今回のグリーンダイヤモンドを会場の外の光でご覧に入れると、さらに驚かれ

『本当にグリーンですね。でもきれいですね。』

 今のダイヤモンドの魅了された紳士はすぐに購入を決められ、後日身につける方法を検討したいと述べられていました。

 環境により見え方の違う事もダイヤモンドの魅力の一つです。ダイヤモンドの色々な顔を皆さんにお見せするのも私達の仕事の一つでしょうね。

2012年12月11日火曜日

今日のダイヤモンドジュエリー!?

 私の好きな言葉というか肝に銘じている言葉に

『今日は昨日の明日、今日は明日の昨日』

という当たり前のような言葉があります。

 今の現実に満足をしていないという事は過去のすごし方に問題があり、将来が不安という事は今の状況対して納得がいっていないという事です。今日の社会の在り様そのものを表していると言っても良いのでしょう。

 現在のダイヤモンドジュエリーに関しては決して状況が良いとはいえないのですが、景気のせいだけではないと思っています。過去のダイヤモンドジュエリーの販売方法を省みてみてください。

 ビジネスとは単純に言えば、価値を換金する仕組みと言えます。つまり、段階的に言えば

1.お金を払ってもいらない。(逆から見れば持ち帰ることも価値)
2.お金を払いたくない。
3.お金を払ってまでいらない。(価値はある程度認めるが支払いまでは)
4.お金を払っても良いが、そこまでは出したくない。
5.お金を妥当に払いたい価値。
6.お金を余分に払っても欲しい。

つまり、4.5.6に関してはビジネスといえますが、どの部分の価値として自らのビジネスを考えるかという事ですが・・・。

 ダイヤモンドジュエリーに関して言えば5ないし6でなければならない価値をビジネスにしなければならないものです。過去のこのビジネスに関してはどうであったのだろうか?

 4番のビジネスに誘導した部分があったのではないだろうか?売り方や商品の製作の仕方としてはいかに安く仕上げ、安く感じるようなニュアンスを与え続けたのではないでしょうか。

 価値を削りながら販売をする方法は本来のプロがする仕事ではありません。プロというのはスポーツ選手であれ、我々であれ最高のパーフォーマンすを見せる事により価値を高め消費者に満足を与え続けるものです。

 過去が間違っていたのです。現在の状況は明らかに過去の間違いを改め、将来に同じ間違いをしないように心掛ける時期なのではないでしょうか。

 自戒の念を込めダイヤモンドジュエリーの価値を高める努力を今すべきなのではないでしょうか。
価値を高めることこそがビジネスの第一段階なのだと考えます。その為には売る人間の価値を高める事が最も大事な事と捉えています。

 ダイヤモンドは何ら変わりません。価値を変えたのはそれを扱っている人間です。また変える事が出来るのもそれを扱っている人間です。価値を変えた事により不調に甘んじています。

 価値あるジュエリーを作り、販売することで今日を過ごす事が将来のビジネスの復活につながると考えています。

2012年12月9日日曜日

競売ダイヤモンドのその後。

 先日、話題になった国税局の競売のダイヤモンドの落札が不動産を除く最高価格のでも落札と話題になりました。

 国内の業者が落札したその価格は当初の業界での落札価格をはるかに上回る金額になり、一般の方達の話題にもかなりなり、色々な方達から質問をされる事が多くありました。

 一番多くの質問は
『落札価格は妥当なんですか?』
『誰が落札したんですか?』

といった物が多く、金額で言えば『妥当』というより良い買い物だったと言えるでしょう。国税の競売という事を考えると多少高く感じますが、世界の市場という事を考えるとかなり良い買い物だったと思います。

 10CTSアップのこの手のダイヤモンドは世界中で不足をしており、お金の逃げどころとして注目を浴びております。海外でのオークションであればすぐにでも落札価格の20%アップでの価格では落札されると思われます。

 これらの事象がメディアや話題になる事はダイヤモンドの今後にとってプラスになる事として興味を持っておりますが、必要以上のインフレ現象は危険もあり、注視しなければいけない事でもあると思います。

勿論、現状ではインフレを起こすほどの絶対量は市場にはなく実際には価格の上昇は妥当なところで収まっております。絶対量が少ないのに価格の上昇がしないと聞くと不思議に思うかもしれませんが、実際には市場にはあまり出回る事がないので価格がつきにくいといった方が良いかもしれません。

 ほとんどの取引は市場に出回る事もなくカッターから直接クライアントに案内される事が多いので実際には情報としても一部の業者にしか出回らない事になります。

 今回の競売に関して言えば大きなダイヤモンドは財産にもなるし、決して価格が大雑把なものではないという事が周知され、なおかつ百貨店等もきちっとした価格で販売を心がけるようになるかもしれないという事を考えれば、良かったのではないかと思います。

 今後は大粒のダイヤモンドに関して言えば流通利益の考え方も販売店は考えていかなければ消費者に背を向けられるだけではなく、その流れに参画をされる事は許されなくなるかもしれない。

 適正な価格とは理解できる手数料ビジネスになるという事で、ビジネスの利益率を追う販売網が参加をするには考え方を変えるしかないのではないかと思います。

 ジュエリーやブライダル、ブランド品といった付加価値をメインにしたビジネスとダイヤモンドビジネスは根本的に違います。一時、バブルの頃は勘違いをした販売方法が横行しまいたが今の時代は違います。

 今後も競売に大きなダイヤモンドが出てくるほどの数が日本にあるとは思われませんが、業者ではなく一般の方達がもっと参加をしてくるようになるダイヤモンドのマーケットは違ってくるのではないでしょうか。

『誰が落札をしたんですか?』
といった質問には
『業者さんです。』
とだけお答えしておきましょう。

 

クリスマスとダイヤモンド(2)

 やがて、大きくそびえたつビルの前に来るとビル風と師走の厳しい寒さでとてもじゃないけれどビルの大きさに感心している余裕もなく回転扉を勢いよく押し、中へと駆け込んでいきました。

 エントランスの正面には高くそびえたつ、クリスマスツリーがあり、周りには沢山の宝飾店のショーケースを覗き込んでいる人々が笑い声や驚嘆の声をあげており、並べられているジュエリーの豪華さを想像できる華やかさがそこにはありました。

 『さあ、お兄ちゃんはお仕事をしてくれるけど、一人では迷子になっちゃうから一寸待っててくれる?』
と私が少女に告げると少女は自分が想像いしていた場所と違ったのか
 『私もお兄ちゃんと一緒に行く』
と不安げに私の顔を見上げていました。

 『じゃあ一緒に行こうか?』

 『うん。』

気を取り直した少女はニコッと笑いながらついてきました。

 会社のギャラリーの前で
『ここがお仕事の場所だから、一緒に中に入って大人しく待っててね。』

『うん。』

『こんにちは!!』

中に入るとギャラリーの販売スタッフが忙しそうにしながらこちらの方に笑顔を返してくれました。

 『どうしたのその子?』
店長の男性が私の訪ねてきたので事のいきさつを説明したところ

 『でも、そんなことだけでお母さんに会えるの?この子をガッカリさせるんじゃない。』

と心配そうに少女の方を見ながら私に呟くと同時でした。

『アッ!!お母さん。』

少女が思わず大きな声を発したので私の方もその方向を見ると、オープンと同時にギャラリーで働き始めた女性が入口から休憩を終えて入ってくるところでした。

『あらっ、どうしたの高子ちゃん!?』

入ってきた女性は驚きの顔をしながら少女の顔を見ておりました。

『エッツ!!お母さんてこの人なの?』

私は驚いて少女に尋ねると同時にそのスタッフの女性の顔を見ました。

『うん。』

 事情を聴くと離婚をした母親は実家に少女を預けて、東京で働くことを決めてギャラリーで務める事になったとのこと。

 『そうなんだ、奇遇だね』
と店長。

 実は数日前に電話で
『今、お母さんの働いているところには、大きなダイヤモンドのクリスマスツリーがあるんだよって話していたんです』

 『そうか、それでTVで流れていたこのクリスマスツリーの事を見てお母さんに会いたくなったんだね』
と店長がいうと
 
 『うん。』
少女は嬉しそうに皆の顔を見渡していた

 その後、皆で偶然の出来事の話をしながら

『良いクリスマスプレゼントになったね』

と店長が言うと皆の顔がほころんでいた事を思い出します。

 その後何年かしてと言うより何十年かして、たまたまその少女と再会する機会があり、今同じこの業界に努めている事を知りました。

 彼女の言ったこの一言が胸に残ります。
『あの時に見たダイヤモンドの輝きが眼に残っています。忘れられずに今のお仕事をさせてもらっています。』

 当時の三角ビルに飾られていたクリスマスツリーの一番上には10カラットのダイヤモンドが燦然と輝き、何種類もの宝石がそのダイヤモンドを引き立てておりました。(総額が数億円だったと思います)

 当時の日本のエネルギーと賑わいをこの季節になるといつも思い出すとともに、少女とのその縁を今でも不思議に感じ、思わず顔が綻んでしまします。


2012年12月1日土曜日

クリスマスとダイヤモンド!?

 12月に入り今年は選挙もあり、忙しい師走になりそうです。

 1970年中頃、バブルの始まる数年前でありました。丁度高度成長期も後半を迎え日本中が活気に沸いていたような気がします。

 私は社会人になって二年目を迎えた頃、西新宿が開発をされ、沢山の高層ビルが立ち並び始めていました。その中で上から見ると三角のビルがあり、その一階には沢山の宝飾店が入り、宝飾専門のフロアとなっておりました。

 私は新宿の西口から地下道を通り、私の勤務をしていた会社のギャラリーのある新宿の三角ビルに向かって地下道を歩いていた時です。12月に入り一週間ほどたったその道筋は活気があり、
沢山の人々が行きかっておりましたので少し賑やかになっていた人だまりが目に入っても最初は気にせずにいました。
 
 数歩あるいたところで
『サンタさんが絶対にあるって云っていたもの・・。』
小さな少女(5~6歳だったと思います)が大きな声で叫んでおり、傍らにはそのおばあさんと思わしき人がうずくまっておりました。

 数人の人だまりはどうしたものかと戸惑っていたいるようでした。その時に一人の紳士が
『それじゃあ、私が連れて行ってあげましょうか?多分その先にある三角ビルの事だと思います。』
とうずくまっているおばあさんに尋ねていました。

 事情が解らない私は
『どうしたんですか?』
と声をかけると、どうやらおばあさんと少女は地方から出てきて新宿にあると聞いて来た《ダイヤモンドのクリスマスツリー》を探しに来たけれど、おばあさんは歩き疲れたのと軽いめまいを起こしていたようです。

 『実は孫がテレビでサンタさんがダイヤモンドのクリスマスツリーが此処にあると言っていたのでどうしても見に行きたいと言うので連れてきたんですが一寸体の調子が悪くて…。』
とおばあさんは一寸つらそうに告げてきました。

 傍らにいた紳士は
『多分三角ビルに入っているジュエリー街にあるクリスマスツリーじゃないかと思っておばあさんに此処で休んで頂いて、この子を私が連れて行ってやろうかと思っていたところです。』
紳士は優しそうな顔で話してくれました。

 『それじゃあ、私がこれから行くところですから私が連れて行ってあげましょうか?』
と言うと
 少女は嬉しそうな顔をして
『ホント?』
『多分、仕事はすぐ終わるから、またここに連れてきてあげるよ』
それから少しの会話が紳士やおばあさんとあり、私が連れていく事になりました。

 道すがら
『そんなにダイヤモンドのクリスマスツリーが見たいの?』
と少女に尋ねると
『クリスマスツリーのところに行くとお母さんに会えるの。』

『どういうこと?』

*長いお話なので次に続きます。

2012年11月29日木曜日

原石!?

 『17歳で宝塚に入団して以来、様々な方と出会い、多くの役を演じさせていただき、私、天海祐希という、ブルーリボン賞を頂くまでの女優になっていました。ダイヤモンドが原石から研磨士の手が入り、色々な形に変化し、人々に歓びを与えて煌くように、ダイヤモンドの魅力は磨かれてからのもの。私は原石から形を変えていく、ダイヤモンドに自分自身を見つけました。(中略)原石(17歳)の私を忘れない為に。そして、ここ一番の時の「勝負アイテム」それがダイヤモンドなんです。(後略)』

 これは以前仕事でご一緒させて頂いていた時に寄せて頂いた、女優天海裕希さんからのダイヤモンドへの思いです。

 原石というのは磨かれなければ、ただの硬い石です。内面的加工ではなく磨きあげるだけで比類なき美しさという才能を発揮してきます。美しさが才能であり価値であるものは他に比べるものはないかもしれません、色石は原石の時点でもある程度の色を確認する事が出来、磨くことにより一層の美しさが増します。しかし、それは人それぞれの好みのある美しさです。

 ダイヤモンドの原石は研磨後の想像は難しいものであると同時に、時として無骨な表情さえ見せています。しかし、その無骨さゆえ研磨後の美しさは目を見張るカラーダイヤモンドとして燦然と輝く事があります。

 ダイヤモンドの原石は誰と出会い、どんな経験をするかにより煌き方が変わります。それが冒頭の天海さんの言葉になるのでしょう。勿論彼女はダイヤモンドのプロでも何でもありません。幼少のころに見つけた祖母のダイヤモンドの美しさに魅入られてからの事であったそうです。

 ダイヤモンドを発見した人々の感性とそのダイヤモンドになり得る人はそう多くはありません。しかし、誰もがダイヤモンドの原石である事は間違いがありません。世の才能の比喩に使われるダイヤモンドとは其々の中にあります。

 ダイヤモンドを見ることにより色々な思いを馳せてもらう事が出来るならそれが本来のダイヤモンドの役割でしょうね。

2012年11月27日火曜日

ダイヤモンドの競売!?

 先日来話題になっていた国税局の競売のダイヤモンドが落札されました。話題の7.5ctsは最高品質という事で約7500万円、12ctsは約9500万円と妥当なところで落札をされたと思います。

 今回の7.5ctsはラウンドブリリアントで12ctsの方は多分エメラルドカット型のリリーカットのようにも見えます。

 大事なことは競売の価格が一般的に業界などの出回る金融価格より高額であったという事です。これはいかに業界内の取引が不健全で妥当性のない物であるかという事の象徴でもあります。

 本来、ダイヤモンドはデフレは似合いません。決して大量にある物でも、生産できるものでもないからです。大量生産の出来るものや需要のない物は価格下落はある意味では自然ですが、生産できないものや需要の多い物を何故安売りをするのか理解に苦しみます。それは売る努力より換金する事の方が楽であり、量を回そうとする理かなわない方法が横行しているからです。

 今回の競売に出されたダイヤモンドの持ち主は幾らで元々手に入れたものなのかは解りませんが、少なくとも最近のものではない事は差押えになった事を考えれば理解できます。どの様な経緯で手に入れたのかは解りませんが脱税の代償と考えると理解に苦しみますが、滞納という事であれば最も良い換金方法だったような気がします。

 なぜなら、私が10年ほど前に12ctsの最高品質のダイヤモンドを販売した時には百貨店を通して1億円で販売された物が現在のオークション相場では約1億4~5千万であります。その事を考えるとどの様な流通で手に入れたかは解りませんが換金率としては上なのかなと考えます。

 大量にない物に相場という言葉が当てはまっているとは思いませんが、今回の落札額はあらためて妥当なもので手に入れた御仁もそれなりもメリットを手にするでしょう。

 このような例が沢山世の中に出回る事が良いかどうかは別として、ダイヤモンドの財産性が世に広く知り渡る事は時間がかかりましたが良い事だと考えます。

 また、実際には世界の多くのお金もちと言われる人々はダイヤモンドで蓄財をしている事も少しは理解をしてもらえるのかなと感じております。

 どうでしょう?ただの紙屑になる物への投資はそろそろやめてみてはどうでしょうか。

 

2012年11月24日土曜日

特等席のダイヤモンド!?

 長い間ダイヤモンドのディーラーとして大きめなダイヤモンドとか量を扱ってきて、それらの仕事をリタイアしてから小売等も始めるようになって思う事があります。

 当初、ダイヤモンドを裸石で販売は難しいし、時間もかかり、リスクもあるといわれておりましたが決してそのように考える事もありません。

 最近ではご依頼を受け、展示会等も出させて頂いておりますが、あくまでも裸石の販売に拘っている訳ではありませんが、裸石の方が販売もスムースですし、お客様にも喜んで頂いております。

 ましてや、4Cをうたう事もほとんどなく販売をしておりますが、何の問題も今のところ起きておりません。勿論聞かれた時にはお答えをしておりますが、その事により価格が変わる訳ではありませんので、お客様も『アッ、そうですか』といった程度です。

 4Cというのは本来経験不足の販売員が消費者に販売するときに目安として必要なものでありますから、多くのプロの方もあまり拘ってはいないと最近よく耳にします。ダイヤモンドの価格は内容で決まるものですが、4Cでダイヤモンドの全てを説明できるほどダイヤモンドは甘いものではありません。もっと奥深く理解をする才能も必要なものです。

 展示会に出ているとその才能を持っておられるお客様がよくいらっしゃる事が解ります。じっとダイヤモンドも見ていて

『綺麗なダイヤモンドですね。でもお色が少しついているのですか?』

といった調子です。

今までも何度かお求めになった方が如何に喜ばれて感動をしていたかというお話はさせていただきましたが、これが川上でダイヤモンドを扱っていた時には知り得なかった事です。

 つまり、お客さまの感動に買い物の御案内をしているだけで実際にはお客様の感性や美しさを理解する才能によりダイヤモンドは決まっていきます。ダイヤモンドの見方をお教えするだけで決して文字をひけらかして、実際には目に見えないレベルの話に重点をおく事はあまりよいやり方とは思えません。

 グレードを説明しながら、他店と価格を比べ値引きをしていくほど、消費者に疑念を抱かせる事はありません。グレードがある一定以内で統一はされているとはいえ、決して同一のものが存在している訳ではなく、その事は本来は我々のビジネスにとっては一番有利なものであるはずなのに、残念ながらダイヤモンドを理解していない販売者によって市場が壊されてきたのも事実であります。

 あまりきつい憎まれ口をたたくつもりはありませんが、本当のダイヤモンドの販売者の喜びを理解してもらいたいと思ってあえて言わせてまらいました。

 前述したようにお客様の感動をして、喜んだお顔を見る事は新たにダイヤモンドを扱う喜びともなる事に残念ながら最近気がついたという事なのです。川上でのビジネスは必ずしもダイヤモンドビジネスの本質ではないのです。

 ある部分ではダイヤモンドを扱う事は実利的ではない感性のみの喜び、つまり、本質的な幸福感を感じている場面に遭遇するという事ですから『特等席』に座って芝居を見ているようなものです。

 そして、特等席に座るにはそれなりの経験や知識も必要であることは当然なことですが、その経験がダイヤモンドは決して価格を追ったただの商品ではなく、物語を創り得る存在である事を教えてくれます。

 そういう意味では物語の始まるその瞬間に立ち会える場所にいる我々は特等席に座っているようなものです。もし、それが立ち席にしか思えないのであれば、潮時か向いていないのかもしれませんね。

 お客様の満面の笑みには、してやったりという気持ちと、人の幸せに関与した充実感がたまりません。

 

2012年11月22日木曜日

ダイヤモンドへの投資!?

 昨今、何故にダイヤモンドは価値があるのですかといった単純な質問が多くなりました。興味を持ってくれる事はありがたいのですが、ダイヤモンドは見た目が美しい事により其々の人間がその美しさの利用法として価値を見出しているとしか言いようがありません。

 ダイヤモンドをジュエリーの材料として価値を感じている人もいるし、石そのものの美しさを感じる人もいるでしょう。また、その美しさと希少性うえに優越感に浸る人もいるかもしれません。

 そういった人々が感じる価値に対して、ある種の経済的価値を見出すことにより投資などの二次的価値が生み出されているのでしょう。

 しかし、美しくて希少性があり、耐久性があるといった一次的価値があるからこそ人はそこにさらなる価値を見出す事が出来るので、その価値がダイヤモンドにはあるという事ですよね。

 つまり、芸能人でも美しさだけでは人によって見方が違いますが、多くの人が美しいといった基準を持った人を俳優やタレントに育てた方が早い訳で、勿論他の特例等もある訳ですが。・・個性といった。

 実用品の価値はいずれ下がるか、無くなります。それは次のものが出てくれば訳もありません。芸能人としても時期が来るとその価値は終わります。その中で変化せず何百年の間価値を維持している物こそが本来の価値がある物で最も投資に向くものと考える訳です。

 人の創った価値の典型的なものとして株がありますが、これらも最も投資に向く株は長年にわたり一定のブランドイメージを維持している物を扱っている会社のものです。

 ダイヤモンドへ投資と言い始めた頃からイブシがる人もいましたが、現在は耳を傾けてくれる人も多くなってきました。その理由はこのt頃のオークションの躍進でしょう。バブルの頃は勿論オークション花盛りでしたが、景気の悪いこの時期というところに注目してもらいたいのです。

 不変の価値に対する考え方が少し変わってきたような気がします。株式等もネット社会の到来により、デイトレードなどのギャンブル的要素が増えて来ましたので日々な価値が著しく変化します。
 ギャンブルや株の投資で利益を上げる事が出来る人はほんの一握りです。

 今、本当に投資を考える事が望ましいものは質的な変化をせず、時代の流れにより確実に時代の価値に見合ったものが良いのでしょう。

 多くのお金を持った人々は持っていても価値の変わらないものを持ち、夜寝て目が覚めたら価値が変わっていたというのもからは離れつつあります。金や貴金属の高騰もその辺りから来るのでしょう。

 ダイヤモンドの対する投資に関しては一定の条件がありますが、その一定の条件は実はそれほど難しい事ではないのです。ある種の立場とコネクションを持っていれば世界の金持ちに肩を並べる事も夢ではないのです。ただし、条件として一定のお金を持っている事です。原資のない物を増やすことは出来ません。

私にはそれが欠けています。
 

2012年11月19日月曜日

現在の価値!?

 ダイヤモンドの価値については情緒的、経済的、実用的等含めて今までも何度か書いてきましたが、価値というのは能動的価値と受動的価値があります。

 自らが認識する自分の価値という物の起因は単純に言うと過去の誕生以外の自分のまいた種であります。他人から見た自分の価値という物は誕生も含めて第三者の経験による価値です。

 つまり、現在の自らの人生の存在価値は自らの送った過去の人生の価値という事になります。
ダイヤモンドについてはあくまでも人間側から見ただけの価値ではありますが、現在の価値基準から言ってもやはり価値があります。

 大きな意味で言えば人類の過ぎた歴史の中で培われた価値という事になります。それは他の色々なものが進化するとともに価値がなくなる物とは反比例をしています。

 ダイヤモンドは必ずしも発見された頃から価値がある訳ではなく、人間の研磨技術などの発達に伴い価値が出てきたものですが、そこには研磨することにより価値が出る存在という条件が必要だったのです。

 その後研磨技術が進化しても、ある一定の条件をクリアした研磨技術以上の価値を、いくら新しいカットが出てきても価値を延ばすことは出来ません。つまり、ある時点でダイヤモンドの進化は止まり、それ以上の価値を増す方法は出てこないのです。

 進化というのはシンプルになる事と考えますが、現在の状況はあらゆる物が複雑化し、未だ進化の過程なのですが、一面退化する事や、ある一定の状況で止まる事が進化ではないかと考える事があります。

 米国にアーミッシュといってある時代から進化せずに昔のままで生活をしている人々がいます。彼らは文明を否定するのではなく認めるからこそ昔のままの生活に固執しています。日本で言えば映画の『オールウェイズ』ではないけれど昭和30年代から40年代にかけての時代が一番活力があり、生活という意味でも充実をしていたのではないかと思うし、実際、あの時代に戻る事により金融、経済等はより伸びるというアンケートも出ているそうです。

 ダイヤモンドは価値は100年ほど前には今の形で価値が形成されており、それから何の進化もする事なくいますが未だに価値についての変化はありません。

 人間もその人間の考える一番価値のある時代に止まれば、また、維持できれば価値がいつまでも保っているのでしょう。原発などもここで止める事が本当に良い結果になるのかもせれません。現実的にはそれは難しいのですが、人は晩年一番自らが良かった時期の記憶が一番強くなるそうです・・・。

 いずれにしても現在を満足しているのであれば、維持をし、満足していなければ将来の価値をあげる努力する事が必要でしょう。

 価値は過去の積み重ねなのですから・・。

 

2012年11月16日金曜日

ダイヤモンドの誤解。

 1998年頃、最も多くイスラエルを訪問していました。確か、年13回位渡航をしていたと思います。
 
 その頃はまだヨーロッパ経由での入国が多かったのでトランジットをする国でのセキュリティーチェックはイヤになるほど厳しかったのですが、それが嫌でイスラエル行きを止める人がいたほどです。

 小生は忙しさもありイスラエル内でのセキュリティーでは顔見知りになるほどの頻繁さでしたので気にする事はありませんでした。それほどの回数を誇っていたのもあるレベルのダイヤモンドがものすごい人気でその買付の為でした。

 他のほとんどの業者が扱っていなかったレベルのところだったので永遠にオーダーにこたえる事が出来ると考え、注文を受けておりましたがある時からそこの部分だけが価格が上がり、品物も集まりにくくなったのです。多くの注文はこなす事が出来ずに受注残になることになり、結果的には2カ月、3カ月待ちといった納品になってきて、そのうち受注価格での納品は無理となってきたのです。

 ダイヤモンドはやはり有限であり、希少性が価値である事を改めて知り、この企画を止めて頂く事となったのですが、他社より同じような内容のものが出てくるようになり、首をかしげておりました。

 やはり、想像をしていたようにグレードの捏造がその後発覚し、週刊誌問題になり業界の信用も失墜し、全体の売上不振にもつながっていったのです。

 その後も相も変わらずグレードで価格競争をしている販売店を見ると情けなくもなり、その無意味さをどう理解してもらえるのかと考えるのです。自らの首を締めるような販売方法はもうやめにして本来の売り方を身につけるべく勉強し、努力をしてもらいたいものです。

 ダイヤモンド自体は何の変化もしません。それゆえ取り扱う人間のレベルにより価値を表現できるものです。そして、同じグレードが出ていても、それ以外の要素もあっての価格形成です。

 一方的な4Cというグレードを否定するものではありませんが、一般消費者はそれ以外の要素を望んでいる事を忘れてはなりません。

 とりとめもない話ですが、先日、イスラエル軍がパレスチナガザ地区を爆撃し、ハマスの軍事部幹部を殺害したとのニュースに触れ、危険と言われていた頃の事を思い出し、その頃とは少しは変わったかもしれない業界かな?と振り返ると、さほど変わっていない事にガッカリもします。

 ダイヤモンドは不変であり、やはり希少なものです。変化し、有限に見せているのは人心であり、
人の欲望です。

 人心を動かすダイヤモンドは良い意味でも悪い意味でもやはり凄い物なのです。

 そして、私にとっては時を超えて、記憶や資料のスイッチを押してくれるメモリーカードなのです。

 貴女のダイヤモンドは簡単に手に入り、入ったものではないのです。お金があってもそれは手に入らないのです。

 人が誤解の要素を作り、人が誤解し、それが問題を作りだします。

 ダイヤモンドは変わりません。

2012年11月15日木曜日

高嶺の花!?

 先日、仕事仲間との話の中でダイヤモンドの価格について話をしている中で
『売りたいダイヤモンドは安い値段しかつかないけれど、欲しいダイヤモンドは高いね。』
といった話をしていました。

 つまり、ダイヤモンドの価格にはちゃんとしたロジックがある事は勿論なのですがそこには人の感性が働くので、必ずしも他と比べて安いから欲しいとかといった物ではないという話なのです。

 人は其々好みというのがある中で実用的欲求と独占的欲求がありますが、その対象は必ずしも同じではないので、欲しい物が重ならないないというところで大きなトラブルにはなりません。(勿論重なった時には時として戦になる時もありますが・・。)

 人は実用的なものでもその時にいらなければ安いかどうかも問題ではないけれど、多くの人が欲しいと思っている物を独占したければ高くても手に入れようとします。

 ただし、100%の人が好むものというのはあまりありませんが、100%の近い人が好むものはそれなりに価値を生みます。その90%、80%、50%~といったパーセンテージが下がるほど価値が下がっていくのですが、それでも必ず誰かにとっては価値があるからこそ、物は世の中に存在するのです。

 その中で実用的欲求を満たしてくれ、なおかつ独占欲を満たしてくれる物の代表的なものがダイヤモンドだという事で冒頭の話に繋がるのですが、そのダイヤモンドでも自らの環境、状況によってその欲求度が変わるのですがどんな環境下でも欲しいダイヤモンドはやはり高価であるという結論であったわけです。

 感性によって『高嶺の花』というのは其々によって違うという事であっても、手に入りにくい物を指す言葉として使われる訳ですが、決して手に入らないという言葉ではないのであります。

 人それぞれにとっての『高嶺の花』というのは違うのですが、出来れば価値を感じる人のところにその物が存在することが望ましいのです。

 ダイヤモンドは人が演出するまでもなくその『高嶺の花』のポジションにいる事を考えれば取り扱う人の演出によっては皆が買いたいと思う物になるのでしょうね。

 現代における安売りはファストフードの低迷にもあるように安いから必ずしも行く訳ではなく、そこに付けられた印象はあまりにも欲求を満たす物がかけ過ぎており、一次的な安易な販売方法は結局身を細める事になるといった継承ではないのでしょうか。

 宝飾業界も長く安売りをして如何にもお得感を出してきましたが実際には本当の価値を一部の知識なき業者が損ねてしまいました。

 もう一度、誰かにとって『高嶺の花』であるダイヤモンドの価値を取り戻す時が来たような気がします。

 

2012年11月14日水曜日

ダイヤモンドとお金持ち!?

 国内の多くの業界人はダイヤモンドの価格が下がっていると囁いています。それは確かな事だと思いますが、反面海外のオークションでは落札価格の高騰が続いています。

 ダイヤモンドと一口に行っても、いつも述べている様にジュエリーの材料としてのダイヤモンドもあれば大きな意味での財産としてのダイヤモンドや光学機器用のダイヤモンドと多種であります。

 業界人の多くが述べているのはジュエリーの材料としてのダイヤモンドを述べている訳ですが、これは現状の市場を眺めてみれば仕方のない事です。売れていない現状では材料そのものが安く取引をされることになりますからね。

 しかし、現実には海外のオークションの現状を見れば価格の高騰が続いています。先日もある人から何故にそんな状況が続くのかという質問をいただきましたが
『それはダイヤモンドの方がお金持ちより少ないからです』
と答えると
『そんなことはないでしょう?』
とけげん顔・・。

 オークションというのはお金を持っている人々が一つのダイヤモンドを競い合い落札をするのですから当然数人のうちの一人だけが手に入れる訳です。
 つまり、お金持ちよりダイヤモンドの方が少ないという訳です。

 それでは、そのレベルはという事になると、ある一定の大きさと品質を持っていることか特殊な特徴(色など)を持っているものという事になります。

 例えがあっているかどうか解りませんが相撲取は沢山いますが関取は数少なくなります。その中で三役となると数人です。ましてや横綱となると一人か二人です。つまり、ダイアモンドといってもただの相撲取りだと角界の構成員の一人になります(ジュエリーの素材)が関取や横綱となるとダイヤモンドの本来の堪能するレベルという事になります。

 相撲好きは序の口の相撲も好きな通ですが、本来の相撲は関取以上の取り組みですよね。例えが解りにくかったかもしれませんが、一般的な場合タニマチ(金持ち)より関取衆の方が少ないみたいなものです。

 ただ、お金を持っている人々が皆ダイヤモンドに興味を持っているかというと、そういう訳ではありません。もし、金持ちが皆ダイヤモンドに興味を示したら価格はもっと上昇するでしょう。

 しかし、一般的には序の口を含めたダイヤモンド好きの方も沢山いらっしゃいます。ただし、景気が悪くなるとやはり足は遠のきます。

 常に書いている事ではありますが、ダイヤモンドはそのほかに情緒的な感性に訴えている部分も多分にあります。それは価格の問題ではなくその輝きや存在を励みや癒しにしている方も多くいます。

 こんな時代だからこそダイヤモンドの変わらぬ存在感を身の周りに置いておくことも良いのではないでしょうか?お金を持っているだけでは手に入らぬ其々の価値がそこにはあります。

2012年11月10日土曜日

ダイヤモンドのカットの原点!?

 最近、ホースヘッドのカットをしたダイヤモンドを手に入れました。多くのこの種のカットは品質も良くなく小さなものが多いのですが、これは2CTアップのもので品質も上質のものです。


 『何故にこのようなカットがあるのですか?』

 といった質問をよくされるのですが、基本的にはカッターが原石からの歩留まりを考えて其々の原石に合った形にするのですが、多くの場合は正八面体の原石になりますので上下半分にしてそれからラウンドブリリアントといった通常の形にするのが一般的です。

 稀に、平たい原石やおむすび状のものがあります。それらのものはエメラルドカットになったり、ハート型になったり、三角のものになったりと仕上げられていきます。

 カッターの話を聞くとダイヤモンドの原石が与えてくれるインプレッションによってその形を決めていくという事をよく聞きますが、このホースネックのダイヤモンドに関しては原石が最初から馬面を想像させたのでしょう。勿論ラウンドや他のカットには向かないと考えたのでしょうが・・。

 よくラウンドブリリアントにエクセレントとかヴェリーグッドというのがありますが、最初から良いカットにすれば良いのにという方もいますが、実は事情があります。

 ダイヤモンドの多くの原石は先ほども書きましたが正八面体ですがきちっとした形は少なく、やはりそれなりの差があります。そこでカッターは歩留まりを考えます。

 つまり、ダイヤモンドというのは重さの台替わり(0.3ct、0.5ct、1ct等)で1ct当たりの値段が変わりますので、もし、カットを多少悪くしても仮に1ctアップになるのであれば、その方が価格が高くなると判断をするのでカットよりも重さをとります。つまり、歩留まりをとる訳です。

 その大きな意味でラウンドや当り前にあるカットをするよりもアンユージュアルなカットしした方が価格が伸びるとなればダイヤモンドの与えてくれる印象でその形のカットをする事になります。勿論そういった原石の価値には稀有なので、あまり見掛けることはないし、マーケットに対しても需要がありませんから、珍しいものとなるのです。

 しかし、それなりの趣味の方や思い入れのある物語がある方であれば長く子孫に伝えられるものとしてはそれなりの意味があるのではないかと思います。

 但し、経済が不況の時にはあまり高価なものになる事は考えられません。

 ご興味のある方はご一報を・・・。

 

2012年11月2日金曜日

ダイヤモンドをお金に換える!?

 最近の買取ブームもあり、ここ5年間で数兆円のジュエリーが換金をされましたが、多くは地金の金額によるものです。しかし、この中で地金の次に換金率が高かったのがダイヤモンドです。
 
 おおよその見当ではありますが5千億円を超えるダイヤモンドが換金をされていると考えられています。つまり,ダイヤモンドはお金に変わったのです。

 多くの人々の考えの中には矛盾があり、
『ダイヤモンドは財産にならないわよ』といった言葉ですが、実際にはいくらで売る事が出来るのかを気にしている方がいるのも事実です。

 ダイヤモンドにはいつも述べている通り、

  1.ジュエリーの素材としてのダイヤモンド
  2.宝石としてのダイヤモンド
  3.光学素材としてのダイヤモンド

としての役割を持っていますが、この中で最も換金率が高く価値を損なわれないのは光学素材としてのダイヤモンドです。これはプロの中でのビジネスとしての取扱いになりますから一般の方には縁がないもので、取扱金額としては大きくなりますが利益率を多く望む事は出来ません。

 宝石としてのダイヤモンドこれは何を指すのかというと一定の大きさを超え希少性が高い物という事になりますが、これはオークションにかかるレベルを必ずしも指してはいません。

 この宝石としてのダイヤモンドは一定の期間保持する事により間違いなく、財産保全を目的とした換金をする事が出来ると思います。もちろんそれにはいくつかの条件があります。

 1. 為替差益損前提とはしない。(ドル相場を前提とします)

 2. 2~5ctsのものは品質も条件とする。

 3. なるべく大きなサイズを選ぶ(美観を前提とする)

 4. 特殊な色のものを選ぶ。

 5. オーソドックスな形を選択する。

 6. 米国宝石学会のレポートを重視する。

 以上のような条件を前提に考えて頂けば、過去の歴史をを振り返っても損失を起こした例はありません。ただし、其々の販売ルートにおける利益比率は除きます。

 また、ジュエリーの素材としてのダイヤモンドにおいても最近の例をみると換金率は非常に高く、いい加減な買取業者ではなく、ちゃんとしたところで換金を行えばそれなりの換金率になると思います。

  前記の条件がある程度当てはまっていたならば流通の利益が入っていたとして物によっては購入時よりも高額で販売することも可能です。

 如何に輸入に近いところで購入するかにもよりますが、財産の保全という意味では間違いなく株や有価証券よりも安全で率も良いのではと言えます。ただし、ダイヤモンドはお金を持っているからといってこれらの購入が簡単な訳でもありません。現在ではそれらのものを手に入れる事が難しいので、その辺はご了解を・・・。

 これらは、いつも書いている『心の価値』とは一致しないように勘違いをされると困りますが『心の価値』を前提としてこのような側面もダイヤモンドにはあるという事です。
 
 

 

2012年11月1日木曜日

神とダイヤモンド!?

 宗教に関して論じるつもりはありませんが、仕事柄ユダヤ人との交流が多く、彼らの宗教観を垣間見ると現代の彼らのポジションを理解出来ます。

 《我らがいて神の存在に意味がある》・・・本来であれば全ての宗教の原点にいるようなユダヤ教徒達は実はこう考えています。他宗教だと唯一無二の信仰神が絶対であり人間の上に存在をしていると考えがちの様に思います。

 ユダヤ人の現実的合理主義をそこに感じる事があります。しかし、その発想は無宗教な私には、ものすごく解りやすく(そりゃそうだ!?)と思わせてくれるものです。

 人類が誕生してから出てきた価値のほとんどはその後に誕生したものが多く、神という存在は人類の誕生以前にあり、人類を誕生させたという前提にあります。

 何故ここで《神》について触れたかというと実はダイヤモンドも人間の存在があり、初めて価値が生じる訳ですが、多くの物の存在は勿論人間の存在があり意味があり、人類が作り上げてきた実質的なものであります。

 ダイヤモンドは人類が作り上げてきた訳でもなく、一部を除いては実用的価値という物はほとんどありません。《神》は架空のものといったら怒られますが目に見えない人類より先に存在するものと位置づけされ、ダイヤモンドは実質的に存在するものですがこれもまた人類が存在する前からあるものです。

 神は何故に人々の中に存在するのでしょうか?そして、ダイヤモンドは何故に存在するのでしょうか?

 其々に共通していることは人の心の中にある価値であり、目に見えない神にしても目に見えるダイヤモンドという存在にしても実質的には何の価値があるのだろうと考えます。

 しかし、現実には歴史を考察してみてもこれらの価値は世界と歴史をを動かしてきたし、今後もこの価値や意味はなくなる事もないだろう考えます。

 《人間がいて意味のある存在》の意味は、人類が一方では人類が破壊する事の出来ない存在で、もしその価値が失われるとしたら大げさではなく人類が終わる時のような気がします。

 心の価値を軽んじる事は人間の価値を粗末に感じる事にもつながると考えますがいかがでしょうか?

 大げさな話のように捉えられることは仕方がないと考えますが、ダイヤモンドのビジネスが扱う人々にとって価値が損なわれてきた事も、実は経済的価値を優先してきたせいではないかと自戒の念を含めて感じるのであります。

 非常に皮肉なことでありますが、価値を高めるのも損なうのもやはり人心次第という事を考えるともう少し、ダイヤモンドという存在を大事にしても良いのかなと思います。

 これらの件に関しては実用品という前提を外しての事ですが、実用的な物だけで世の中は出来あがっている訳ではなく、ある意味こちらの方が大きな意味を持っているので世界の人口の90%以上の人が宗教に関わっているのではないでしょうか。

2012年10月30日火曜日

ダイヤモンドのオークション!?

 先週7.5ctのダイヤモンドが国税の競売に出て新聞で話題になったおりました。今年は特にダイヤモンドの急騰が続き、世界のニュースとして流れておりました。

特に来月クリスティーズで出品予定の76ctのこの種のコルコンダ・ダイヤモンドとしては最大級のもので落札予想価格は1500万ドル(約12億円)と見られていますが今年の他の例をみると予想価格のだいたい20%アップくらいが落ち着きどころとなっています。

今年はそのほかにも12.04カラットのピンクダイヤ1730万ドル(当初予想1500万ドル)や最大級のペアシェイプイエローダイヤモンド110.03カラット等が1226万ドルなど最高落札価格が更新されるなど価格の急騰の話題には事欠きません。



これらのダイヤモンドはクリスティーやサザビーといった大手オークション会社やその他のオークション等多岐にわたりますが昨今は先程の国税等の競売等でもダイヤモンドの換金化が目につきます。つまり、ダイヤモンドの財産性が証明をされ始めている訳です。


何もかもが換金できる訳ではないのは常にこのブログでも触れていますが、価格が下がるダイヤモンドと、下がらないダイヤモンドがある事もよくご参照ください。

 ダイヤモンドの有効活用は錬金術の高等技術で他人任せの株やその他の有価証券と違い、自らで判断し、活用できますからね。でもそれ以上に美しいダイヤモンドを持つ優越感を感じる事の素晴らしさも体験してみてください。
 

2012年10月29日月曜日

久しぶり!?

 昨日、久しぶりに昔の仕事仲間であり、現在はリタイアをされている方とお会いした。外見はそれほどお変わりではないけれどやはり少し熟されたような気がしました。

 話は当然のごとくダイヤモンドの話へ・・。

『最近はどうなんですか、買付の方は?』

『今年も数回行っていますが、現在では日本からのバイヤーは少ないですね』

 現況を話しながら昔話に花が咲いていると

『今は昔と同じようにソーティング(グレード)のついていないダイヤモンドのロットを見るのでここ20年のバイヤーたちは経験がないので苦労をしているでしょうね』

と彼が同情しながら話をしていました。

 ここ二十年は日本の時間が続き各取引所にも日本の鑑定機関の出先があり、若い日本のバイヤーたちはグレードのついたダイヤモンドを買い分けるだけで良かったのですが、時流もありほとんどの日本の鑑定機関が引上げ、日本向けのグレードのついたダイヤモンドはほぼ皆無となりました。

 ここで、グレードのついていないダイヤモンドを買付けた事のないバイヤー達は買付に時間がかかり、あまり買付事務所では歓迎されない人々となっているのです。

 『そんな状態ですか・・・・。』

 『そうなんですよ。それゆえ私は今のビジネスを以前のようなグレード主義ではなく実質的価値を重点にしたビジネスにしているんですよ』

 『それは原点という意味でも、間違いがないでしょうね』

 彼の言葉は久しぶりに話したダイヤモンドの話でとても力が入っているようでした。

 《久しぶり》この言葉は何かホンワカした気分にさせてくれる。間違いなく以前経験していた物がまた復活をして気持ちに力をくれる様な気がします。

 間違いない価値は時間を超えてまたそんな存在感を出してくれる言葉 《久しぶり》・・・。

 今、ダイヤモンドの存在が私にとって近くにあったにせよ《久しぶり》・・・そんな存在のような気がします。

 ダイヤモンドの本来の価値を理解してくれる人々が少しずつ増えてきている事を実感しています。
やはり郷愁ではないのですが《心の価値》というものは、時々顔を出すことに価値があるようなものでしょう。但し、いつもそばに存在している物でなければいけないのです。

 ダイヤモンドは所持することによって、時折々に触れ《久しぶり》を演出してくれます。

 最後に彼は
『ダイヤモンドの仕事に携わった事は誇りに思うし、世界中を沢山見せてくれましたから今は近くにない、ダイヤモンドをたまに店頭で見るたびにその時代を思い出させてくれます』

 この一言は彼がニューヨーク、ベルギーイスラエルを飛び回って活躍をしていた時代を知る私には懐かしさと羨ましさを感じ、自らもそうであり、今も似たような状況にある事に妙な感傷を得ました。

2012年10月24日水曜日

ダイアモンドへの入口!?

 今から40年ほど前にとある輸入商社に入社をし、ダイヤモンドに出会う事になった事を思い出しながら昨日お会いした若者達とのミーティングを楽しんでおりました。

 入社当初の私は必ずしもハツラツとしたタイプではなかったような気がしますが、入社半年後、商品部にいた私は宝石部への辞令を受け取りました。

 最初はなにも解らないというという事ではなく、それ以前にある事があり、宝石部へ興味を示していた事もあり、本来は1年間移動はないという新入社員の恒例とは違い移動を命じられたものです。

 そのある事とは
 『キミは新入社員の髙木君といったなあ、確か社長と同じ苗字だったよね』

 声をかけてくれたのはまだ日本には一人しかいなかったGIAとFGAの両方の資格をい持った上司でもあり、その後の私に影響を与えてくれたW氏でありました。当時のGIA、G.Gは今ほど安易に取れるものではなく、渡米をし、勿論全てを英語でクリアしなければというものでしたし、FGA(英国宝石学会)の資格においても大学の鉱物学の専攻課程で取得をするやはり困難な物でありました。

 私の尊敬すべきW氏からある早朝二人しかいないフロアで見せられたものが6.12ctのピンクの無疵、アイデアルカットのそれは美しいダイヤモンドでした。

 そのダイヤモンドは『アフリカの夕焼け』というネーミングがあり、後に週刊誌等で騒ぎのもとになるような名石で、私の眼には経験のない完璧な物体としか映りませんでした。

 その後10倍のルーペで無疵のこのダイヤモンドの小さなピンポイントを私が発見をしたところから私のダイヤモンドへ旅路が始まる事になります。

 『髙木君、そのダイヤモンドは実は30倍から50倍にするとある部分に内胞物があるんだよ。発見したらダイヤを見る才能があるという事だよ。』とW氏。

 それからというものは私は毎日の昼休みのほとんどを宝石部の商品室で10倍のルーペを片手に過ごすことになり、毎日先輩諸氏に迷惑をかけていたある日

 『見つけました、一瞬ですけどテーブル(ダイヤモンドの上の部分)の二時方向に何かありました』
と私が興奮をして声をあげると

 『エッ!!本当か?』
とW氏・・・。

二人で顕微鏡で確認をしたところその部分に間違いなくピンポイントが存在しており、二人して興奮したのを今でも思い出します。

 実はこの間に何度も不思議な体験をしました。それはダイヤモンドの中を自分が入って泳いでいるような錯覚に何度もおそわれたのです。その気持ちというのは何にも例えがたい初めての経験でした。

 それらの経緯があり、宝石部への移動となったのですが、最初の頃は毎日200個のダイヤモンドを見るように言われていたのですがついついそれをオーバーする個数を見ていた事を思い出します。
 ルーペを通したダイヤモンドと裸眼で見たダイヤモンドは全く別のもので、その両方の魅力においては未だに比べる物がないとさえ思っています。率直に見るダイヤモンドは比類なき美しさだと思っています。

 それゆえ皆さんに率直にダイヤモンドを見る機会を提供していけたらということ考えています。まずはダイヤモンドを見てみてください。

2012年10月23日火曜日

ダイヤモンドの値下がり!?

昨日、ある方から

 『ダイヤモンドが値下がりしているそうですね。』
との問いかけ

 常々書いている様にダイヤモンドを一つの括りにすると見誤る事があります。ダイヤモンドはいくつかのカテゴリーで捉えなければなりません。

1.宝飾品やその他の装飾品の材料としてのダイヤモンド。
2.宝石その物としてのダイヤモンド。(財産性を含む)
3.工業、光学機器の部品としてのダイヤモンド。

といったカテゴリーのほかに1.2.を含めたエモーショナル・バリューといいますか心の部分で考えるダイヤモンドといったところもあります。

 つまり、冒頭の質問の意図は、だから今後はダイヤモンドのビジネスは難しいのではないかということでしたが、1と3に関しては経済が悪くなれば需要も減るし、材料の進化によってはこれらの材料の重要性も失われてくるので値下がりの当然な部分もあります。

 ただし、2に至る部分では世界のオークション市場を見ると決して値下がり傾向を示している訳ではありません。むしろ価格の更新をを行っています。

 一般論として短絡的に捉えるとダイヤモンドが値下がりをしているといった言葉だけを考えるとあっていると言えるでしょう。しかし、一次的な物の見方というのは何時でもギャンブル的発想から生まれる物で、長期的に見ると決して値下がりのトレンドを示してはおりません。

 小さなサイズになるほど値上がり率は決して高くはありません。それは素材の量や掘削技術の進歩がある為に手に入れる事が容易になるからです。

 一部の例を上げるとメレーという小さな素材のダイヤモンドがありますがこれは40年ほど前とほとんど価格は変わりません。ただし、当時のレートは$1.00が300円前後であった事を考えると3倍強の価格にはなった事にはなりますが・・・・。

 しかし、以前にも述べましたが2ct、3ct、5ctというところの上質品になりますと過去6年ほどで3倍ほどになりますが円相場もそう大きくは変わっていません。

 近視眼的見る事が向いていものは一般的にギャンブル的要素が多く、株なども同様な事が言えると思いますが、デイトレード的に短期運用だけ見て大きな利益を上げる人は非常に少なく、ウォーレンバフェット氏のように長期的な視野に立ち、株を扱う人は大きな利益を最終的には上げることになるのだと思います。

 ダイヤモンドに関しては本来は歴史的に見ても長期的展望においてビジネスを行う事が理想なのですが、残念ながら今の日本に置いてそこまで視野に入れながらビジネスを行うのほんの一握りで、後はその場の金融的にダイヤモンドを扱っている人間がほとんどです。ですから、経済状況がわるくなれば換金のためにも安値で手放す事が起きるので当然値下がりのトレンドになります。

 昨今の買い取りブームもそれに拍車をかけていると思いますが、市場から安く手に入れたダイヤモンドを換金してさらに業界に逆流させることにより正規のルートの輸入品より安く出回り、結果的にはな下がりのトレンドになるという事になりますが、それは需要に対して一致をしているかというとそうではありません。

 現実には必要なものが必ずしも逆流品の中にはありませんから、実際には手に入りにくい物が多いというのも事実です。

 逆に言えば、金融的に扱えるほどダイヤモンドのバリューがあるという事になります。また、エモーショナルバリューを考えて時に経済的側面よりも精神的側面が多くありますのでそれはそれとしてビジネスの一つの要素として成り立つので、むしろ、本来の姿の部分でありますから、今後ダイヤモンドがビジネスとして成り立たないという事は決してないと考えます。

 もし、この部分が成り立たないとしたら多くのビジネスは成り立たないという事になるでしょう。

2012年10月18日木曜日

現実とダイヤモンド!?

 先日、取引先と今後の企画について話し合っていた時に担当者の声として

『現実には今のままでそこそこの結果が出ているし、時間もないんですよね』

という言葉が出てきました。

 以前、他社の顧問をしている時に会議でよく出てきた言葉が『現実には・・・。』という言葉でした。
会議においても当時の社長も2代目で若かった事もありますが、中堅以上の幹部から出来る言葉が

 『社長のおっしゃるている事に総論としては賛成なのですが、現実としての各論は難しいのではないでしょうか』

 よくある会話でありましたので私は

『各論というものは総論に導きだすもので、総論があっているのなら各論である現実の方が目的に対しての整合性がないのではないですか』

 と述べた事があります。

 つまり、現実というものは常に劣化をしていくものでそこにしがみつく事は現状の維持もできなくなるという事だと思います。

 大げさに言えば日本の今の現状も役人が繰り出す各論を前提に政治家が動かされるので先行きが不透明になっているのだと考えています。

 本来は政治家が掲げた総論に対して、役人が各論を積み上げていくのが本来の姿であると思いますが、現状は役人の現実に対しての言い訳や法案を通すことに終始しているのが今の政治家の仕事になっています。

 劣化した現実に予算を付けている間はいくら日本にお金があったとしてもお金の本来の役割を果たすことはないのでしょう。

 現実を未来への単なる石杖としての考えがなければいずれ滅びます。人類が作り上げたものはやがて朽ち果てる事は歴史が証明しています。

 一方ダイヤモンドは歴史が証明するように一貫してその魅力や価値が損なわれた事はありません。そこには人類以前から存在したという現実、劣化する事のない現実があるからです。

 絶対条件を持つダイヤモンドを手本にすることはできないのだろうか?人類が現実を結晶の成長線のように規則正しい積み重ねにしていく事が盤石の環境を整えることになるのでしょう。

 老舗というところは絶対的価値の繰り返しの上で、新たな試みを広げずに繰り返していきます。その結果として『のれん』という成功の御旗が掲げられるのです。

 実際には難しい事である事は解りますが、何故にダイヤモンドが恒常的な価値を持つのかという事が理解できるような気がしませんか?

 ガラスの美しさはやがて劣化をし、輝きを失いますがダイヤモンドは永遠なのです。

 

2012年10月17日水曜日

ファンシーカット(変形)・ダイヤモンド

 多くの皆さんが目にするダイヤモンドの形は円形をしています。勿論、ダイヤモンドのお好きな方は他にも沢山の形をしているダイヤモンドがある事はご存知です。

 最近の傾向ではありますが、多くの若い世代の方達にはダイヤモンドそのものに興味がないせいかダイヤモンドに色々な形がある事を知らないという事で当方が面を食らう事もままあります。

 我々が当たり前に思っている知識が実は今の若い世代には全く新しい経験のようです。多くのメディアを含めてラウンド(円形)のダイヤモンドについては多く触れられていますのでファンシーカット(変形)ダイヤモンドについて触れてみたいと思います。

 実は変形のダイヤモンドには多くの物語が付いてきます。つまり、多くのラウンドのダイヤモンドに比べて非日常的なカットな訳です。多くのダイヤモンドの原石正八面体の形をしており、最も多くの原石はこのような形をしていますのでラウンドにカットが効率よく行いやすいのです。

 ファンシーカットのものに関してはいわば変形をした原石からカットをされる物でその原石の形から最も効率の良い形にカットをされるのです。これは実に面白くて人間の都合で形を決めているようで、実はダイヤモンドそのものがカットされる形を指示してきているようなものです。

 つまり、一般的な生成をされた原石とは明らかに違いますので、人とは違うものというところから物語が始まり人々の好みによりその行き先も異なってきます。ですから皆さんの目の前に現れる事はよほどの縁がない限り起きないのです。

 逆に言うと縁があって皆さんの前に現れているのです。人生あみだクジと以前にも言いましたが、まさしくあみだクジの結果として皆さんも前に現れているのでその事を考慮することは楽しい事です。

 現在、私どもでもそうですがハートの形をしたカットが最も人気が高く品物も不足をしている状態です。このハートの形に関して言えば、人それぞれのハートの形の好みもありますのでドンピシャリの形を見つけた時の喜びも大きいのです。

 そのほかにペアシェイプ(涙型)やマーキース(アーモンド型)、オーバル(楕円形)などや四角い物、動物の形をしたもの、蝶の形をしたものと様々です。見ているだけでも楽しいのですがどれが最高の形というものがないのも楽しい贅沢なものです。

 一般的には日本ではラウンドのものより安価な場合がありますが、ものによってはそれを上回る物もあります。そして、何よりも物語や歴史を後世に残すには特徴のある変形のダイヤモンドが私はお勧めします。

 特にブライダルに関して言えば皆とは異なる自分だけのハートの形を手にする事は、喜びも倍増すると思います。そろそろ右へならえで後悔をするよりも自分だけの形を手に入れて大事にしてみませんか?人生を・・。

 多くの方から聞いているとブランドだから買ったとか小さくても品質がいいから決めたとかいった意見を聞きますが、その後、手にする事もなく箪笥の肥やしになっている事をよく耳にします。つまりある程度の年代になった時にやはり少し大き目で、人前に出ても恥ずかしくないものをしたいと購入を希望をされる方がいます。

 お勧めです。ファンシーカットダイヤモンドは間違いなく大きめで人とは違うものを手に入れる事が出来ます。

是非御一考を・・・・。

 

2012年10月16日火曜日

ダイヤモンドと富裕層!?

 最近、アメリカで発表されたデーターによると世界で富裕層と呼ばれる人々は1000万人程いるそうです。富裕層の定義とは不動産資産、消費材、収集品を含まない資産が100万ドル以上保持している層の事だそうです。

 アメリカには約300万人の富裕層がいるそうですが、これは米国人口の約1%、つまり、昨年来よりウォールストリートで騒がれている1%の人間が99%の人間の利益を独り占めにいしているというあのデモです。

 ここで驚くのは182,2万人という日本にいる富裕層であります。なんと米国に次いで世界第2位なのであります。つまり簡単に言いますと世界の金持ちの20%弱は日本人だという事です。

 かの中国はわずか5%というのですから驚きます。さらに驚く事はリーマンショック以降に8万人も日本では増えているという事です。昨今の日本の状況をを考えると本当かな?・・と疑問も持ちたくなりますが、ちゃんとしたデーターだそうです。

 多くの人々が転落した要因は株やその他の有価証券等ですが、過去の歴史をひも解いても人間の作った架空の価値はいずれ滅びます。ただそれらを画策した側の一部の人間を除いてはという事になります。

 人が創った経済的価値というものは多くのデーターに裏付けされていてもただの紙くずになる運命から逃れることはできません。色々な金融商品を画策した方は間違いなく儲けています。つまりディーラーとしての仕事ですから実際に自分では賭け銭をせずに場代だけをもらうのですから当然です。

 過去のビジネスの中で感じる事は富裕層の多くはダイヤモンドに興味を持っているという事です。昨今のオークションでダイヤモンドの価格が更新されている事はニュースなどでも流れています。
その多くのお客はいわゆる富裕層であります。

 自然の創った価値は''紙屑''にはならないのです。そして、特徴はそれらの富裕層はそのダイヤモンドでさらなる利益を享受しているという事です。つまり、ダイヤモンドというものは消費財でもなく、収集品でもないという事です。

 ダイヤモンドの価値は勿論人間が付与する価値ではありますが、人間よりも先に存在します。これは何かの目論見がある価値ではなく、人々の感性により付与された価値です。つまり、人々の五感なりの感性が存在する限りある価値なのです。

 この価値の意味は大きく、何時も述べるように情緒的価値や耐久的価値と共に経済的価値もそこには存在します。富裕層の人々はそれらに対する感覚がすぐれているように思います。

 

2012年10月3日水曜日

ダイヤモンドの買い方

 以前にも述べましたが、最近お問い合わせが多いので再度ダイヤモンドの買い方を述べておきます。

 まずのどのような目的でお求めになりたいかという事になりますが、婚約指輪なのかアニバーサリーなのか、はたまたお洒落なのか、そしてそれ以外の目的なのかという事になります。

 多くの場合は婚約指輪が多いのだと思いますが、何を重要視するのかによります。つまりは婚約指輪をブランド、大きさ、デザインそして単なる印として所望するのかどうかによります。

 最後の単なる印としてという方はこれ以上読む必要はありません。よくご相談されるのは女性は本来ほしいのですが男性が『そんなものただの形だけで高い金を出してまで買うものではない』との意見を持っている事に合わせて、必要ないという女性が多くいます。

 これは全くの間違いでまずその意識を持っている男性は選ぶべきではないと思いますね。何の準備もできない事を棚上げにして結婚したいなどとは、それ以前の問題ですね。

 婚約指輪とは単なる印ではなく、形の残すメモリーです。ブランド品を買ってその事を大事に思い、思い出として残すのも一つの考え方ですし、高級店から求めてその瞬間を思い出として残すのも方法です。

 但し、私がお勧めするのはブランドの価値を本当に理解をして、婚約したその習慣を生涯の思い出に残したいのであれば、形に残して将来的に自分達だけではなく子供や孫たちにもその思い出を大事にして行ってもらえるようにしてもらいたいものです。

 それは、いつも述べている様に予算の中で少しでも大きく、見た目が限りなく見た目で美しい物を選ぶ事です。一般の方の目に見えるのは大きさと美しさです。大きくて美しければ皆が大事にして引き継いでいってもらえます。

 よく、気に入って欲しいと思っても後でグレードを聞いた瞬間にやめるという方もいらっしゃいます。これは最もダイヤモンドを買う時の弊害になる物で他人の意見に左右されやすい方の典型です。

 グレードというものは単なる目安である事は何時も述べておりますが、全く違わない基本的なマスターがあるものではありません。日本には50をはるかに超える鑑定機関があります。それらのに所属をする鑑定士は何千人といるでしょう。これらの人々が一定の基準でジャッジすることは不可能に近いのです。

 グレーディングレポートの中で統一見解に近い物が出せるとすると重量だけでしょう。後はカットの寸法ですね。それ以外はいい加減という訳ではなく一定の目安はありますが同一する事は難しいのです。

 ディーラーとして過ごしてきた経験から言える事は色で1ランク違い、クラリティーで1ランク違い位は全く問題がなく、時間差があるのであれば3ランクから4ランク違う事があるかもしれません。
 その程度のものです。

 また、グレードトというものは裸石の状態でジャッジをしますので、その後同一グレードがでない確率もありますので、機関によっては枠を付けた時点でそのグレードは無効というところもあります。つまり、枠づけしたした時にキズをつけてしまうかもしれないものを保証出来ない訳です。

 因みグレードトというものはどこかが保証をするというたぐいのものではありません。多くの人が誤解をしていますがグレーディングレポートは保証書ではありません。単なる説明書ですから誤解をpなさらないように。

 さてと本題に入りますが、これらを前提に考えて頂くと自分の目で判断をしてくださいという事です。買ったお値段と本物のダイヤモンドかどうかだけはお買いもとめたお店に保証をしてもらってください。

 人間の目は平均的な視力を持っていれば一般的にほとんどの物を判断することが出来るようになっており、その判断基準を文字にしたものがグレーディングレポートです。つまり皆さんが見ているものを文字にしているにすぎません。

 絵画や景色であれば目で見た物の判断に心の感性や情緒に起因するものがあるかもしれませんが、ダイヤモンドに関しては感性の部分は物理的にはないと思います。ダイヤモンドは物理的には何の変化もしないのです。

 勿論、思い入れを加味すれば、そこには感性に部分が多いにありますが、基本的にはダイヤモンドは変わりません。

 長くなりましたが結論です。トータル的には婚約指輪、アニバーサリー、オシャレその他の目的問わず求めるのであれば、自分の目で判断をしてなるべく大きな物を手に入れるべきです。

 
 

2012年10月1日月曜日

ダイヤモンドはなぜ美しい?

 先週、自民党の総裁がきまり安倍氏が再選されたました。前回彼は美しい国ニッポンを旗印に我が国のリーダーとして引っ張っていこうとしていました。

 美しいとは日本人にとって目に見える美しさだけではなく、観念的な精神についても含み、彼はそれを説いたのだと思います。今はどうだか知りませんが・・・。

 昨夜、台風の予兆の中来店されたお客様が

『最近テレビを見ていてもTVショッピングやデパートの宝石売り場に行っても高木さんが以前からいっている「ダイヤモンドは4Cだけではなく照りと輝きが大切」というフレーズをよく耳にするようになったわ』

と言われ、立て続けにダイヤモンドの裸石を手にのせながら

『なんでダイヤモンドは精神状況に関係なく綺麗だな~って、思えるのかしらね?他のものは精神的に落ち着いていないと綺麗だな~って思わないのにね』

とウットリと四角く手の上に光るダイヤモンドを見つめていました。

 確かにダイヤモンドは心の有り様に関係なく、綺麗と男性の私でも感じます。それは、目で見る美しさだけではなく、ダイヤモンドに対する感性は心も伴って見ているせいだと思います。

 他のスワロスキーやクリスタルも綺麗だと思う事はありますが所詮は作りものですから気の乗っていない時は必ずしも綺麗だと思いません。それは以前にも書いた事がありますが、ダイヤモンドや宝石といった自然のものを通して人々の感性は育まれてきたからにほかなりません。

 つまり、宝石は人類の感覚を持つ前から存在し、それらに興味を持ち、美しいという感性を培いながら進化してきたからにほかなりません。

 最近の日本は報道や雰囲気もあり、低迷している事が気になっています。マニュアル好きで数字が好きな日本人にはデーターやマニュアルが崩れることにより、気も落ち込みがちになります。そんな中でダイヤモンドの売り方が以前のマニュアル通りのグレード売りではなく、見る人の感性に訴えるような売り方になってきた事は大歓迎でもあります。

 実は対外資産は我が国日本が世界第一位だったり、世界の名だたる企業が日本企業の傘下に含まれ始めている事はあまり報道がされていないのは日本の報道が少し偏狭気味なところがあるからなのでしょうか。勿論、円高を背景にしているからですが・・・。

 米国の約5倍、中国の20倍という海外資産は、やはり、日本にお金があることを物語っているし、年配者の貯蓄高を見ても他国を圧倒しています。何を言いたいかというと雰囲気作りと精神的な心のよりどころのまずさが今の日本の経済を壊しているような気がします。

 レポートに書かれているグレードが低いというだけで目で見た本来の美しさに関係なく、ダイヤモンドを手に入れる事をやめたり、使う事もないスペックが足りないからという理由で本来シンプルで使いやすい携帯電話を敬遠したり(ここまでは関係ないかも)と自分自身での判断を置き去りにする事があまりに多いのではないでしょうか。

 人々はもっと自分を信じて、自分の判断で物をみること、つまり、情報はメディアや書物で得る事が出来ますが、物を判断するのは自らの経験を糧にした知識により判断するべきなのではないのでしょうか。

 今こそ、この景気の雰囲気を破るのは、自らの目と知識を信じて進む事が大事なのではないでしょうか。

 こじつけのように聞こえるかもしれませんが、景気は雰囲気です。そしてダイヤモンド本来の見極め方は気持ちの変換の象徴みたいな事です。皆さんがダイヤモンドをじっくり見て綺麗だと必ず思うはずですから、それを機会に気持ちを切り替えていきましょう。文字や印刷物ではなく自分の目で見て判断をしましょう。

 必ずしも買う必要はありません。ただ、ダイヤモンドを愛でて気持ちを前向きにしましょう。その為にダイヤモンドはあるのですから・・。
このダイヤモンドはグレードの低い残念なダイヤモンドだと思いますか?
それとも稀に見る特徴のある魅力的なダイヤモンドだと思いますか?
あなたの判断にお任せします。





2012年9月29日土曜日

相手の立場に立って?

 今朝のNHKの番組の中で対中国の件が話題になっており、解決者の人々が

『日本の政府の言い分も解るが、中国サイドに立ってみるとメンツをつぶされたという事で怒っているいるのだから相手のメンツをもっと考えるべきだった』

 一応に口をそろえていっていましたが、私には違和感がありました。

 日本という国をどれだけ屈辱的な言葉や行動でけなして来たのか、中国政府高官や中国メディアを始め多くの中国人が日本人に対して行った行動は日本人のメンツをつぶしはしなかったのか?

 報道は事実の一部である事も、多くの中国人が日本にいてこの件を嘆いている事も良く解った上で述べさせてもらうなら日本人はもっと日本人というものを理解してもらう努力も必要だと思います。

 私は仕事柄、多くのユダヤ人の友人がいます。というよりほとんど友人と呼べるのはユダヤ人です。彼らとは何度もやりあいながら数十年の時を過ごしてきました。

 勿論、そこにはビジネスという共通の利益があるので、いさかい事で離れる事もなく時を過ごしてきました。その結果、彼らとは友人と呼べる間柄になったような気がします。

 翻って、日本ではという事になると最初親しくしながらも何かいさかいがあるとお互い何も言わずただ離れていくだけという事が多い様に思います。

 国と国では物理的にも離れることはできないのですから、共通の利益がそこに存在するなら、お互い握手をしながら殴りあう事も必要なのだと考えます。何もせず、相手の立場に立って考えて、自らの意見は抑えておこうと思っても、相手に通じるものではありません。

 日本は今までも事なかれ主義でやってきたのですが、日本に勢いのある時は相手がこちらの顔色を窺ってきていましたし、相手にする事もなくやってこれました。

 しかし、今は違います。対等かもしくは向こうの方が上にある状況で何も言わず、相手の立場に立っていたなら、日本という国は滅びていくでしょう。

 よく、中韓は日本の戦争責任について言いますが、戦後日本はどれだけの援助をし、その責任を果たしてきたのでしょうか?生半可な金額ではなかったはずです。そのうえ、国連にどれだけの資金を拠出してきたのでしょうか?私の記憶が正しければ世界で一番でしょう。

 もう少し日本は自らのアイデンティティーを主張しても良いと思いますし、オリンピックやワールドカップのように日本の誇りを持っても良いのではと考えます。

 その上でお互いに本当に理解し合った時にはじめて相手の立場に立って考えるべきではないでしょうか?黙っていればそのうち収まるという事はまずないと考えた方がよいでしょう。多くの国はもう日本からのメリットはあまりないと思っているのでしょうから、日本は自らの立場を説明するだけではなく、相手たいしてもっとディベートを挑むべきです。

 グローバリゼーションとはボーダーがなくなったと理解するだけではなく、世界は皆同じではなく其々の存在を主張しながらローカリゼーションを打ち出してくことが本当の意味でのグローバリゼーションだと考えます。

 絶対的価値というのは他との違いが打ち出されて、それを皆が認めることから確立します。
ダイヤモンドが絶対的価値を何百年も維持できるのは他に追随を許さない価値があり、それを守ろうという人々がそこにいるからです。もし、ダイヤモンドも他の宝石も変わらないという事であればダイヤモンドは勿論今この場にありません。

 ダイヤモンドは誰もが認める価値がそこにあるように、日本も自らの価値をアピールし、その価値を認めさせてから方が相手もこちらの意見を飲むのだろうし、相手の価値を理解してこそ相手の立場を理解が出来るのだと思います。

 世界のどこの国も先に相手の立場を考える国は少なくても私が知る限りありません。私がよく訪れるイスラエルはその典型的な国だと言えます。しかし、彼らがイラクや近隣諸国の立場を先に考えたらあの国はとうに存在していないでしょうし、危なっかしくてイスラエルには出入りできません。

 イスラエルは自らの主張を強く出し、武力によっても威圧することにより彼らの存在があります。それが崩れた時に紛争が起き危ない国になるのです。今の彼らの主張が続く限りは彼らの国は日本より安全なのです。

 これらの内容は決して右よりな発想で述べている訳ではなく、其々の価値を認め合う事は大事であり、片側だけが相手を認めても、なんら意味がなく双方と周りが認める価値がなければなんのテーブルの上にものぼらないという事が言いたいのです。

 

 

2012年9月27日木曜日

ダイヤモンドの明と暗!?

 昨日、自由ヶ丘近くの踏切で面白いといっては失礼ですが、非日常的な光景を目撃しました。踏切で警報が鳴り始めてから遮断機があり、左右交互に降りて来ますが人によっては急ぎ渡り、人によっては余裕を見せながらのゆっくりと渡って見せます。

 その中で後者であると思いますが、老年紳士がおっとり刀を決め込んでゆっくりと渡っており、小生は見ていてあれ間に合うのかな?と思いながら見ておりました。ゆっくりと降りてきた遮断機のバーはおもむろに老紳士の頭へ・・・。余裕を見せて渡ったのでしょうが目測を誤ったように見えました。

 それまでゆっくりと歩いていた紳士は頭を抱えながらそれまでとは違った勢いでその場を離れていきました。自信があっても何があるか解らないので多少の余裕は持った方がよいでしょうね。

 と・・・・。この話が今回のタイトルではなく、一昨日買取をご希望のお客様がおいでになって18金のペンダントをお持ちになりました。

 『実は90万のお値段が付いていたものですが、30万にして頂いたので、頂いたのですがやはり気に入らなくて、付けないので引き取っていただけるかなと思いまして。』

 『そうですか、とにかくお見せください』

 『御幾らで引き取ってもらえるのでしょうか?』

不安げに私の顔を覗き込む彼女は期待も込める眼差しを向けていました。

 『正直いいますとご期待に添えるお値段にはならないですね』

 『やはりそうですか・・。』

 多くの場合このような会話が行われ、最初についていた値段は何だったのかという事になります。しかし、これは其々の販売店の姿勢や考え方の問題であるとともに、ダイヤモンドの持つ性質を理解していない事の不幸です。

 よく《卸価格で小売販売》なるコピーを見ますが実質的には消費者が手に入れた価格が小売価格な訳です。つまり、値引きされた後の価格が消費者と販売者の間で決定した小売価格な訳です。

 様々な場面で宝飾業の危うい場面に遭遇すると私達が業界に足を踏み入れた頃とは違う印象を消費者は業界に持っている事は非常に残念であります。私達には誇りがあったのです。

 まずダイヤモンドだけについて触れますが、ダイヤモンドはジュエリーのや婚約指輪の素材として日本では広まり、その事は良い事だともいますが、4Cなるグレード重視で来たにもかかわらず、重量が大事であると一方では述べてきていました。

 どちらも間違いではありませんが取り扱う側がそれを間違った方向で使用してきたと言えるのではないでしょうか。

 つまり、4Cでダイヤモンドというものを広げながら、一方ではこの《大きさでこの価格》といった重量重視の販売方法をとってきた訳です。

 勿論、条件がすべて整えばかなりの高価なものになりますから、何かを基準に購入条件をそろえなければなりませんので止む得ないのですが、消費者が理解しやすい重さやグレードをセールスポイントにしてきたことがジュエリーにおいては誤解を招いたのだと思います。

 裸石であればその物を肉眼で確認をして求める事が出来ますがジュエリーにセッティングされたものはなかなか一般の人が判断することは難しいと思います。

 例えば1ctと表示があれば1個で1ctのものと複数石で1ctではバリューが違いますが、その点の説明がなく《1ctなのにこのお値段》的な販売方法がとられている事も誤解を招く要因なのでしょう。

 つまり、一つ一つの事実は間違いがないのですが販売方法や説明方法がかなり不足な部分がありダイヤモンドの販売についての憂慮が付きまとうのでしょう。これは販売業者の無知識や経験不足がその根底にはあり、色石に関してはもっとこのような面がぬぐえないのでしょう。

 ただし、いつも言いますがダイヤモンドや他の宝石には何の問題もないのです。扱っている者の問題で、その扱い方によっては多くの人々に喜びや夢を与え、他方では落胆や疑念を抱かせる結果になるのです。

 ダイヤモンドというものは夢や喜びを与える事が本来の価値なので正しく伝えることにより幾らで求めたのかどうかなどは気にする必要がなくなるものです。

 ダイヤモンド明と暗は売る人間が握っており、現代の市場においては残念ながら暗の部分が浮き出ているような気がします。夢と喜びを一緒に販売しておれば決して売ろうともしないだろうし、落胆もしないのです。

 これらは難しい問題ですがダイヤモンドも明と暗はどちらも真実であり、販売する人間がそれを分けているのです。明だけに出来れば将来は販売する事自体が世のため人の為になり、ビジネスの将来も明るいという事になるのではないでしょうか。

 このビジネスに従事している事が誇りであった時代が再びやってくる事を望む毎日です。

2012年9月25日火曜日

心の中に!?

 俳優の柴俊夫さんのお手伝いでチャリティーのまねごとみたいな事をしております。
今度の10月5日にもチャリティーコンサートを日本橋で行います。今回は600人ほどの予定でお集まりいただき演者の方達のパフォーマンスを楽しんでいただいた上でその利益をタイのバーンロムサイというHIVキャリアーの子供たちの支援を始め、恵まれない子供たちの援助をしようという事で毎年行っております。

ご興味のある方は下記URLもしくは当方にご連絡をください。
http://www..shiba-kodomokikin.com/

 今回は松崎しげるさんや、俳優でありケーナ奏者である田中健さん、劇団四季の石丸幹二さん等のボランティア出演による物が予定されております。毎年多くの方達にお声掛けをしてご協力をいただいておりますが、今年もある企業の担当者にお電話でお願いすると

 『景気もそうですし、毎年の事なので一寸と疲れ気味です。』

とのご返事
『大変ではあると思いますが是非ご協力を・・・・。』

等々の会話があり、最後に

『景気が良ければ時間を割くことも、寄付をする事もいとわないんですがね…。』

と本音トーク

『心の渇きなんてそんなんものなんでしょうね・・。』
と・・・。

 お金が心の豊かさにつながるとは思いたくないのですがそれが本音だとは思います。しかし、心の豊かさは必ずしもお金に比例する訳ではないと信じているのですが、逆に心が豊かになればお金はいらないのかというとそうでもない訳です。

 つまり、人々の心の中にあるキャラクターの差が顕著になる要因がお金であるという事かもしれないという事でしょう。

 昨日来店された方が、

『ダイヤモンドを見て感動しない人は信じられない!!』

と言いつつ

『人の心の中にある原点みたいなものですよね。買える買えないは別に素直な気持ちでダイヤモンドを見ていたら絶対きれいとか好きという気持ちになるはずよね…。』

 等々持論を述べておりましたが、勿論ダイヤモンドを見て興味がないという人の心の中の乾燥具合は私も信じられませんが環境に要因によって気持ちを閉ざしている事は確かのように思います。

 私達も何も皆に購入してもらおうとは思っていません。それよりも裸のダイヤモンドを眺めて気持ちを豊かにしてもらいたいと思っている訳で、その上で購入が可能であれば購入して頂くという事なんですけどね。

 それが見る前から拒否反応を感じると、お金の問題ではなくそこに対処する一人ひとりの心の中にあるキャラクターのようなものを感じます。

 ダイヤモンドは買う事だけではなく眺めるという事も心を豊かにしますので、是非お近くの宝石店を眺めてみてください。

 チャリティーとダイアモンドを愛でる気持ちに共通点を感じるのは私だけでしょうか?




2012年9月24日月曜日

ダイヤモンドが確立したもの

  一昨日、久しぶりに会った知人に

 『ダイヤモンドビジネスって、一度誰かに売れるとそれが恒常的に誰かに売れるという事ではないから、難しいビジネスですよね』

 言われた私は『・・・・・?』

 怪訝な顔をしていると

『だって、そんなに何回も買うものではないでしょう?』

 彼は婚約指輪やアニバーサリー等が頭にあるみたいでした。

『そうではなくて、ダイヤモンドというのは色々な側面から見て価値あるものとして見られているので条件が揃うのであれば買いたい人は沢山いると思いますよ。ただその優先順位の問題だけですよ。』

 『でもその価値って何処か公的機関が認めたものなんですか?』

『それは違います。多くの公的機関の認めても価値は状況が変われば価値がなくなります。国債や株などもそうだし、貨幣などもそうです』

 『ダイヤモンドは歴史が決めた価値なので、下手な公的機関が決めた価値より確かなんですよ』

 『でも何故ダイヤモンドは価値があるんですか?』


 ダイヤモンドは何故価値があるのか?

 これを明確に説明する事は難しいと思いますが、それは何もダイヤモンドに限った事ではありません。例えば歴史的な絵画は沢山ありますが何故そこに優劣がついたり、価値が評価されたりするのか?

 多くの価値は人類にとって何らかの役に立つ事が前提で価値が発生するのですが、絵画は人類にどのような価値を与えるのでしょうか?勿論、彫刻などもその類いです。

 勿論、その中には古代の壁画や彫刻のように歴史的価値(これは学術的な意味として)がある事は理解できますが単純にそれらは時間軸を無関係とすれば芸術的価値だけと言う事になります。

 芸術的価値とは一部のそれを評価する人間にとって価値があるという事で万人にとってではなりません。それでは万人共通の価値とは何なのでしょうか? という事になります。

 つまり、換金性が伴うかどうかという事が精神的な事を別にすれば価値という事になるのでしょう。一部の人間に対してであれ換金できる事が価値という事であればほとんどのものに価値があるという事になります。

 さて、ダイヤモンドに話を戻しますが金は100%とのに近い率で価値を測る事はできますが、絵画などの価値は一部の人にしか解りません。それではダイヤモンドはどうなのかというと限りなく金に近い価値という事になると思います。人の査定によって違うといっても一定の基準を前提にすればその価値を測る事は出来ます。

 そういった意味で言えばここ数十年でダイヤモンドの価値は確立されたといってよいでしょう。サザビーやクリスティーのようなオークションから一般的なオークションそして買取業者の類まで入れると換金の形は出来たといってよいでしょう。

 ただし、どの様な品質や大きさがより効率よく価値が測れるかという事やより公平に価値判断がされるかという事になると其々が判断した場所に持っていく必要があります。

 『高価』『非必需品』『小さい』物が何故に数百年もの間、価値あるものとして存在していたのかそちらの方が信じられないでしょう。

 権力や富の象徴としての役割は延々と続いているとは思いますが、経済的価値という物もダイヤモンドによって確立されたものが多くあると考えています。

 その他の物で象徴的な役割を現代に残すものはほとんどありません。必需品であっても原形を残したり形を残したもの文明の進化とともに残っているものはほとんどありません。

 反面、ダイヤモンドは時代を超えて必要なものとして残っており、価値があるものとして判断されています。後はそれを扱う人間のレベルがはっきりするのを待つでけなのではないでしょうか。

2012年9月22日土曜日

ダイヤモンドの意味!?

 昨日、お取り引き先との会話で

『贅沢品に回すお金はないという人が圧倒的ですね。』

との会話でといった内容であった一方で他の取引先は

『高額品は売れますね。むしろ安価なものは売れないし、いずれにしても格差社会は思っている以上に差が激しいという事ですね。』

といった会話ですが、勿論ダイヤモンドに対する小売店さんの声です。

 多くの業界の人たちが感じている声だと思います。今まで贅沢品の最たるものとして売ってきた結果であり、それは当り前だと思っていたと思います。

 生きていく上で、食べて、飲んで、寝てといった最小限の当り前のことだけで現代人は生きていけるのかといえばそうではないとおもいます。

 食べるものには味があり、その中に嗜好があり、飲んで喉を潤すだけではなくやはり炭酸が入ったり味があったり、寝るにも寝心地を追及したりと人は『丁度の良さを』を追及していく事も生きていく上では必要な事だと解っています。

 ダイヤモンドは贅沢品と見られるようになって久しい。でも、その前にそう美しさや神秘性が人の感性に何かを訴えたからここまで存在をしている。

 香辛料はその昔、金より高く、勿論ダイヤモンドより高いものとして流通していたのは皆が知っている事だと思います。勿論この時点での香辛料が贅沢品である事は理解が出来ます。なぜなら、香辛料は人によって好き好きもあるし他の調味料等も多々あります。

 贅沢品となんだろうか?

 生きていく上で必要のない物と定義が一応に出来るだろうか?

 これも難しい問題です。人にとって贅沢なものが別の人には必要なものだったりしますし、場所によってもそれは違うでしょうし、時によっても違います。

 それでは今の時代にダイヤモンドは贅沢品なのだろうか?

現代のような人々の絆が薄弱で親子さえ殺しあうような時代は戦国時代を除いてはなかったと思いますが、絆をある部分で証してくれるダイヤモンドと定義付けをした場合にこじつけといわれるかもしれないけれどもあえて言いたいと思います。

 過去の歴史においても大なり小なりダイヤモンドは絆なり縁なりを表現してきたものである事を・・。

 婚約指輪、おばあちゃんの形見、両親から成人式のプレゼント等あらゆる場面でダイヤモンドは絆や縁を演出してきました。ただ業界の売り方が知識のなさからマニュアルに頼り、売り方が偏ったために贅沢品の位置に追いやられたのだと考えています。

 人が生きていく為には空気があって食物があって水分が取れるだけでは生きていけますか?
だったら、レジャーも入らないゲームも入らない(本当に要らないと思っていますが)レストランも携帯電話も何もいらないのです。何もかもいらないのです。

 でも現代の経済は一見、無駄に見える贅沢品のような物で経済も回り、世の中も回っているのです。それらの中でダイヤモンドは贅沢品ですか?

そうではないとあえて言いたいのです。

 私達ダイヤモンドビジネスに携わる人間は一次的には『夢』と『希望』と愛しむ心を提供しています。そこにはダイヤモンドの尊厳を説く心とその役割を担うことが大事なのだと考えます。

 大げさに宗教がかった事を云いましたが本来はそこに起源があるのだという事を忘れないでもらいたいのです。現代は価格や経済が絡み合っているし、それも事実です。

 そして、それも否定するつもりもありません。ただ、そちらの方だけを主にしてほしくないという事ともう一度ダイヤモンドの意味を考えてみると冒頭の悩みは解決が出来るかもしれないと思っています。

 



2012年9月21日金曜日

ダイヤモンドの新鉱山!?

 今年の1月には中国でダイヤモンドの新しい鉱脈が発見されたというニュースが流れ、そこには30年分のダイヤモンドが眠っているということでした。

 また、つい最近というか先週ロシアで1970年代に発見されていた鉱脈が公表されています。これは数十万年前に隕石が落ちたクレーター後が鉱脈に衝突して浮き上がってきたものとされており、こちらは3000年分のダイヤモンドが埋蔵されているという事です。

 すワッ!! ダイヤモンドの大暴落か!?

世界はでは大きな話題になっていますが、如何せん中国とロシアの発表です。専門家筋では宝石質のダイヤモンドがどれくらいあるか、どれくらいが発掘できるのか、結晶の大きさはどれくらいあるのか等々、疑問の声も投げかけられています。

 なぜなら、私も記憶していますが1970年代には中国でダイヤモンドの鉱脈が発見され採掘がはじまったとか、研磨工場がつくられている・・・。また、その為の公司が作られ販売を始めたということで実際に私も中国のダイヤモンドを販売する公司にアプローチを受け実際にダイヤモンドも見てみました。

 最初、パーセル(ダイヤモンドを包んでい紙)を開けてみると確かにダイヤモンドは入っており、とてつもないメランジ(大小形バラバラ)なロットだなぁ~と思いながら見ているとその中にルビーや翡翠が混じっている訳です。

 すぐに、他国とのバーター品だな・・と推察がつき(当時のビルマと接しておりそこで頻繁にバーターが行われていた)問い詰めるとあっさり認めました。勿論買えるような品物ではなかったので購入する事はありませんでした。

 このように中国やロシアは公表されるものは全くのウソではないにしても相当に盛って発表される事が多く、必ずしもあてにはできない訳です。

 しかし、このニュースが日本の業界ではほとんど話題にならなかった事もやはり今の日本の市場を物が経っているのかもしれないなぁ~と思っている次第です。

 大丈夫ですダイヤモンドは沢山発見されてもサイズの大きなダイヤモンドに関しては確率的にそんな多く試掘される訳もなく、もしある程度の量が出てくるとしたらかえって公の相場として成り立ちやすくなってきます。

 現代においては需要に対して大粒物は圧倒的に少ないのですから・・。



 

2012年9月17日月曜日

丁度良い!?

 ブログを書くようになって、自分自身のダイヤモンドや物の見方について気ままに綴っていると、自身の考え方が頑固で一般的ではないかもしれないと思っています。勿論、後悔も反省もないという事が前提ではありますが・・・。

時々ブログを読んでいる方から連絡があり、ダイヤモンドの選び方の相談があります。良くあるのはグレードで選ぶのがよいのか、大きさで選ぶのが良いのかという相談ですが、これはケースバイケースです。

というのは婚約指輪として選ぶとしても、どういう事を前提にするかという事で選び方が違います。指輪を買う時の瞬間を思い出にするのか、ブランドというステータス的なものを前提とするのか、もしくは生涯の記念として買うのかという事です。つまり、婚約指輪というのは必ずしもダイヤモンドを前提とする必要がない訳で、たまたま、婚約指輪の素材にダイヤモンドが使われている物もあるという訳です。

ただダイヤモンドの指輪が欲しいという事であればブランドとかグレードではなく大きさを意識したものが良いと考えています。というのは以前にも書きましたが0,3カラットや0.5カラットくらいのものであれば子供たちの父兄参観に行くようになると小さく感じて着けなくなる事が往々にしてあるからです。

1カラットを超えていれば60になっても70歳になっても身につけます。婚約を象徴するような事を前提にするのなら、ず~っと着ける事ができなければ意味がないし時本来の役をなしていないと思います。

でも、1カラットでは高価だしと考えるのも解ります。普段からダイヤモンドの買い方として美しい事を前提に大きいものを買うに越したことがないと書いております。まさにその通りで、予算もあるでしょうし、自分にとっての大きさの基準も解らないと思いますが自信を持って選ぶ事です。

店員さんの勧めるグレードとかデザインは無視をしてダイヤモンドそのものを見て、自分が見て綺麗だと思ったらその上で予算に対してどうかという事を考えます。グレードを店員の勧めるように前提としたら満足をするものが買えません。

何事にもちょうど良い、予算、大きさ、美しさがあります。多少色があっても美しいダイヤモンドはいくらでもあります。多少の内胞物があっても肉眼でそんなに簡単に見えるものではなりません。むしろそれらの事があっても美しく印象の良いダイヤモンドはいくらでもあります。

勿論、お金を出せばいくらでも良いのは買えますが、それは将来の財産や投機に充てるのであれば意味はあります(絶対的ではありませんが)。しかし、多くの場合は思い出や将来子供たち引き継いでいく意味を大きく考えるのであればその時にできる自分達にとって一番丁度良い物を選ぶべきです。

世間の真似をしてブランド物を手にしてみても、それは自分自身を表わすものとしてはあまりにも寂し過ぎます。だれもが持っていないようなもので自信を表現できるようなものを選ぶことこそ丁度良いのだと考えます。

話が解りにくくなったと思いますので基準として、肉眼で美しく見えて(個人差はありますが)それなりの大きさの基準となると1カラットで50万円、2カラットで100万円位を基準に考えると良いのかなと思います。勿論その価格の中には色は白いが内胞物はあるとか、内胞物はないけど若干の色はあるというものになりますが選べば自分の基準に丁度良いものが必ずあります。

物によっては30万円くらいでも1カラットで綺麗なものはあります。ただし、妥協をした美しさでは必ず後悔をします。ジュエリーとして考えずに自分に精神的に合ったダイヤモンドとして選んでください。

ダイヤモンドの裸石を見てじっくり選べば、必ずあります。
『丁度良い』のが・・。

前提を何にするのかが大事なのです。
ダイヤモンドは宝石ではなく、一人ひとりの『宝物』になってこそダイヤモンドなのです。


2012年9月7日金曜日

タイムカプセルダイヤモンド!?

 毎度のことではありますが時が経つ事の速さと過去への後悔だったり反省が100メートル以上行進をしています。

現在、我が家に二人のホームステイがおり、アメリカの女子大生です。二人はスタンフォード大に通い医学の道を目指しているという才女たちです。一人は生まれた時から知っている友人の娘でありもう一人はその友人です。

その友人の娘を見ていて、彼女が生まれた時からその都度会っていた時の事をそれこそ走馬灯のように甦る訳です。そして、あの時こうしてあげられれば良かったなぁ・・とか。あの時の喜びを彼女に伝えるにはどの様にした良いだろうかなどと、彼女の両親の事などを考えながら思う訳です。

たまたま見ていた雑誌に、震災以後のある小学校から出てきたタイムカプセルの事が書かれていました。もう卒業をして十数年は経つだろうとする卒業生たちが集まって掘り出したものです。そこには震災前ののどかで穏やかな小学生達が未来の自分達へのメッセージがしたためられていた訳です。

震災があり、当時の彼らの中には今ほどの荒れ果てた自分達の故郷を想像することは誰も出来なかったでしょう。でも、歴史というのは人類だけが綴っている訳ではなく、自然もまた歴史の主役である事をたびたび主張してくるものである事をシバシバ私達は忘れがちです。

何かを刻み、何かを残す事が自らの描いた人生が当り前におくる事が出来たのかどうか未来において検証が出来る手段であり、また描いた通りのものにならなかったかどうかを確認する方法でもある。

友人の娘を見ていて、彼らの人生に何らかの関わりをもった事を誇りに思うと同時にもっと沢山の証しを残していたかったと多少残念に思うものでした。

以前から、ダイヤモンドは時を超えるメッセンジャーであるといったきましたが、今回改めて半永久的な耐久性を持つダイヤモンドに何かを担ってもらえないだろうかとダイヤモンドにメッセージを刻むことを推奨してみようかと考えています。

生まれたばかりの娘が将来成人をした時やお嫁に行く時に彼女が生まれたその時しか持てない感情をメッセージという形でダイヤモンド託すというのはどうだろう?

孫が生まれた時のメッセージを将来の孫達に向けるのはどうだろう?

自分達がある日突然わき出た訳ではなく、そこには歴史がある事を感じるでしょうし、たとえそこに自然という演者が現れても変わる事がない歴史がそこに有る事を将来の子孫たちに伝えるというのはどうだろう?

タイムカプセルのようなダイヤモンドが役割を果たしていってくれる事を願ってやみません。

因みにサンプルです。

2012年8月30日木曜日

CVDダイヤモンド!?

 昨日、JJF(日本ジュエリーフェア)でのGIA(米国宝石学会)講師のセミナーを覘いてみました。
内容はCVD(Chemical Vapor Deposition)ダイヤモンドについてという事でした。つまり、人造ダイヤモンドですがいくつかの疑問をもちました。

それは、なぜ今なのかという事です。というのはCVDに関してはもう十年も前から米国を中心にして
取り扱いが行われていました。当時米国での取引の中で取り扱っている小売店が全米で100店舗を超えていたので驚きました。

宝飾品以外を対象にしたCVDはGEを始め50年ほど前から製造を行われておりましたが宝飾品質のダイヤモンドは一部ソビエト連邦時代のロシア等で製造が行われているという話はありましたが確証はありませんでした。

十年前ほどから米国のAPOLLO社やGEMSIS社がネット上でのディスクローズを前提に製造販売を行っており、現在に至ってから大騒ぎをする様な内容ではないと思っております。

また、今回説明された内容も私が記憶し体験をしたものとは2~3年の時期のずれがあるように思います。確かに市場に意図的にCVDダイヤモンドが流通させられる事は阻止をしなければならないと思いますがいたずらに大騒ぎをする事は、そこに何かの意図があるように感じてしまいます。

たしかこの秋にでもGIAジャパンのラボがオープンすると聞き及んでいます。そして、多くの鑑定機関がCVDを看破するだけの能力があるとも思いません。その事自体は大変結構なことだと思います。また必要だとも思いますが、これが単なるビジネスパフォーマンスでなければと願います。

しかし、参加をしていた多くの業者さん達がこの事実を知らなかったという事にも驚かされました。

混乱を避ける意味でも業界関係者が知識をもう少し持つことを期待したいと感じましたが、日本の場合混乱を避けたいともっともらしい理由からディスクローズをされないという事もあります。

因みにCVDダイヤモンドは光学的に優れた素材として多くの精密機械などに使用されております。

2012年8月27日月曜日

ダイヤモンドはただの石!?

 ダイヤモンドは美しいし希少性もあり経済性もあります。しかし、よく考えてみるとただの石です。

ただの石が特別な価値を持つのには人々の思いや環境が必要です。ただの石がそれなりの意味を持つには条件も必要であるでしょう。

先日TVで檜の特集を行っていました。檜の特徴としては防虫殺虫効果や耐久性というものがあるという事ですが一番の特徴は加工されてから200年くらいをかけてより強靭なっていくというという事でそれから手入れにもよりますが千年単位での耐久性があるそうで、それゆえに太古の昔の建造物の技術や伝統が残せているという事です。

つまり、耐久性があるという事は歴史を後世に伝える上での材料になり、ただの耐久性があるだけの材料が人の思いをのせることにより伝統や文化が形作られていくことになります。

ダイヤモンド以外の石であっても価値を持ちうるかもしれない中で、ダイヤモンドのように美的にも希少的にも耐久的にも特徴を持つ石は経済的な価値を持つ事はそう難しくはありません。その上で思いをのせる事が出来ればただの石ではなくなる訳ですが、やはり順序としては思いがそこに有る事でダイヤモンドの存在意義があるという事になるのだと思います。

暑い夏、色々な経験が将来の記憶として判断基準として子供たちの心の中に刻み込まれているのだと思います。経験と記憶をより強くするにはそこに対象物があるという事です。日本の多くの古都に太古からの建造物があるという事で、皆は古代に夢を馳せたリ、伝統を感じたりするのだと思います。

ただの石、子供はダイヤモンドの原石です。子供がどう育つのかは一次的には親次第、二次的には社会のの文化度というところがあります。社会を形成している一人として責任も感じます。

ダイヤモンドはただの石ではない事を説いていく事も社会のお役に立つ一環かとも勘違いをしているこの夏です。



2012年8月24日金曜日

人生はあみだくじ!?

 今月の27日アメリカのCNBCがダイヤモンドの特集が放映されますが、その内容はダイヤモンドの今後の投資についての明るさという事です。

先日、某有名投資家でもある知人とその話をしておりましたところ、彼はダイヤモンドの投資には興味がないということでした。

彼の話を聞いてみるとベンチャ―企業や新たな業態に対しては投資の対象として考える事は容易であるけどダイヤモンドのように既に物が存在し、損はしないかもしれないが投資としての面白みに欠けるということでした。つまり、投資をして一から作り上げ企業価値をあげることに意義があるということでした。

なるほど、投資とは単にお金を増やすことだけではないのだと、改めて感じました。彼とは友人の紹介でお会いして親しくさせて頂いているのですが、その事を先週食事をした時に話しているとその友人は・・。

『彼は外資系の企業の日本法人を立ち上げて見事に一流企業に仕立てて、キャピタルゲインとして百数十億の資金を手に入れたけれど、それは努力もしたけれど、人との出会いが話を聞いていても絶妙だったようだよ』
と友人は彼の事を語ってくれました。

そういえば、その場で食事をしていた4人も元某TV局プロデューサー、俳優、運送会社の経営者そして私と、普通ならまず出会わないメンバーです。色々な経緯があって知り合った4人ですが、その話をしていた時に其々を繋ぐ間に別の人が存在して関係が出来上がってきたんだなぁ・・・。と感じたものです。

何時もはダイヤモンドが人と人を繋ぐメッセンジャーといった話をしておりますがダイヤモンドは確かに人と時代を繋いでいってくれるものです。

人生そのものはおおよその見当のつく人生に横棒や斜め棒のように誰かがそこに入ったり、何かがそこで起こったりすると必ずしも予想通りの人生にはならず、別の方向に進みます。

あみだクジの後で足される横棒や斜め棒で方向が変わる様子はまさに人生そのもので、そこで出会った人や出来事はその後の人生の尺度になる位大事なことで、前述のインベスターはごく普通の家庭で育ち、ごく普通の会社に就職をし、典型的な人生を送っていたそうです。海外の友人が訪ねてくるまでは・・・・。

そして、ダイヤモンドはその人が歩む人生を謎ってくれて、それは後世に伝えてくれるのです。
勿論、投資としても価値はありますが…。


2012年8月17日金曜日

ダイヤモンドは贅沢品!?

 午後の暑い日差しの中店内を覘いている御婦人に

『暑いですね。中でご覧になったらいかがですか?』

『ありがとうございます。でも、見ているのは好きですが贅沢品を身につjけるような身分ではないので・・・。』

このフレーズは何回聞いた事だろうと思いました。

宝飾品の展示会場にいてさえ来場者からこの声を聞く事がある。そのたびにマラソンを中盤まで走ってきたのに最初の1キロ付近まで戻されたような気になります。永い間ダイヤモンドの存在と価値を何度となく御話をしてきた身にはこたえます。

贅沢品とは生活に直接必要のない高価なものとか、ふさわしさの程度を超えたものといった定義がありますが、もし前者であれば現在の多くの人々が車にしてもゲームにしても家にいしても贅沢をしていると思いませんか?また、後者であれば人それぞれのふさわしさがあると思うのでこれは定義になりにくいと思います。

現代における必需品とは昔と違う事は解ります。しかし、本当に過度ではないのかという事に関しては見る人によっては、という事になるでしょうが多くの場合生活に必需ではないものが多く含まれるとと考えています。つまり、贅沢品の多くが必需品のように扱われています。

私自身が考える贅沢とは下品と背中合わせになるようなお金の使い方であり、上品なお金の使い方であれば決して贅沢とは思いません。つまり、品位のある使い方とはそこに文化的価値だったり、それをそれを高める使い方があればと考えます。

反面、質素に見える事が決してお金がかかっていないという事ではありません。お金の使い方でその価値が見出せるようであれば、それはいかに高価で贅沢という言葉にも当てはまらないと思います。つまり、品があるかどうかという事が尺度になるということです。

現代のダイヤモンドにおいては決して考え方や価値の持ち様によっては贅沢とはいえないと思っていますが、もし贅沢品に見せているのであればそれは販売方法や販売側が下品なのではないのでしょうか。

ダイヤモンドにはちゃんとした価値があります。決して贅沢品ではない意味があるからこそ、長い歴史を刻んできたのだと思います。

ダイヤモンドはあみだクジのように縁を繋いでいきます。それは個々を結び付けて歴史、伝統といった文化を継承する証しに似ています。

現代の日本においてもそうですが、本来必要な物を置き去りにしがちな文化度を思い出させてくれるダイヤモンドは贅沢品とはとても思えないのです。



2012年8月13日月曜日

ダイヤモンドをおつまみに!!

 前回の展示会で商談中に通りかかかった販売員の女性に関わるお話ですが・・・。

ある商談を横に座り、ベテランの販売員がクロージングにかかり、お客様に支払方法の御説明をしている時に通りかかった若い販売員がその様子をじっと見ておりました。

お客様が
『欲しいのは山々だけれど、やはり支払の事を考えると今回はパスをします。』

『そうですか。残念ですね本当にこのダイヤモンドは珍しく希少性が高いので是非お持ちになってほしかったですわ。』
とベテランの販売員・・

通り過ぎていたはずの若い販売員が
『あの~。そのダイヤモンド私が買っても良いですか?』
そ~と近づいて来て小さな声で囁くと

『さっきからそのダイヤモンドが気になっていたのです。実は朝からその石を見ていて、いいなあ~と
思っていたのですが、お客様がご覧になっていたので私には縁がないのかな・・と思っていましたの』
とニコッと笑顔、

商談を見ていて気になっていた彼女はその商談の中の話を聞いて(私にも買える)と思ったらしいのです。

そこでお客様が諦めて席を離れるのを見計らって私に話しかけてきたのです。

『ほぼ買いたいとお客様が仰っていたのであきらめかけていたんですよ。社長がよくダイヤモンドとの出会いは縁だよと仰っていたので先程までは私に縁がないと思っていたらいきなりお客様が諦められたので(アッ私のダイヤモンド)と思って決めました。』

若い販売員は喉のつかえが取れたようなすっきりとした笑顔でこちらに話しかけてきておりました。

そのダイヤモンドは1CTで薄いグリーンの照り(ライフ)の強いダイヤモンドでメイクも良く私自身も気にっていたダイヤモンドの一つでした。

そのダイヤモンドをシンプルなペンダントにして今回の展示会の折に納品したのですが、そのペンダントを見た瞬間の彼女は目をランランと輝かせて

『これ、私のものなんですね!!』

と早速首にかけており、最初は慣れないせいか首から胸にかけて鉄板でも入っているのかと思わんばかりに緊張をしておりました。気のせいか自信を持って何時もより商談に力が入っているようでした。

翌日、彼女に声をかけるとだいぶ慣れてきたようで昨日にも増してうれしそうにしており、

『社長、ありがとうございました。昨日は嬉しくてうれしくて一晩中興奮しておりました。』

『そうなんだ。そこまで喜ばれると私もうれしいよ。冥利に尽きるね。』

と私自身も喜んでおりましたところ彼女が

『社長が考えないような楽しみ方もあるんですよ』
『へえ~。どんな楽しみ方なの?』

彼女はしてやったりといった顔で
『実はこれを目の前に置いておくと何杯でもワインが飲めちゃうんですよ』

『エッツ、おつまみがわりなの』

『フフフフッツ!!』
と彼女は笑っており、よほどの縁がこのダイヤモンドと彼女の間にはあったんだなぁ~・・と小生

思わず
『おつまみかァ~』
と口から漏らしてしまいました。

新たな使い方だ・・・・・・・。

2012年8月4日土曜日

原石はダイヤモンド

 オリンピックで毎夜毎夜、時差の関係もあり寝不足になりがちですよね。
其々の競技を見ていて、負けていても(本当はこの選手は強いんじゃないかな?)と思ったりする選手も良く見かけます。

もし、コーチの指導方法や本人の考え方を変えたらもっと結果を出せるのではと思っていると、何時もの癖でダイヤモンドになぞらえていました。

メダリストをダイヤモンドに例えるならば原石を磨くのはコーチであったり、監督であるのでしょう。そう考えると才能は其々で原石である事は間違いがないのでろうけど、どの様にカットするかによってその原石がより光を放ったダイヤモンドになるかどうかが決まるのだと思います。

何時も述べるようにダイヤモンドも原石の段階である程度の評価がされ、価格も決まります。しかし時々大した評価をされなかった原石が豹変する事があります。それはファンシーカラーダイヤモンドです。本来の白いダイヤモンドとは別の評価がされる訳で異な結果を出すことになります。

一般的に原石で評価をされるダイヤモンドは研磨状態が多少良くなくても光を放ちますが、より良いカットをされるには越したことがありません。さらに光り輝くのですから・・・。

大した評価のなかった選手がある日突然、異彩を放つ事になったり、才能のある選手が良いコーチにつくことにより力以上の光を放ったり、折角の才能を、コーチとの相性がよくなかった為に平凡な選手として終わったりとかして、ダイヤモンドに成りきらないまま選手生命終わる事になったりする事もあるのでしょう。

ダイヤモンドは唯一といってよいほど他の宝石と違うところは人によって磨かれた事により価値を増し、光をより増すといういうところが素晴らしいところです。オリンピックを見ているとつくづく感じながら今夜も目をこすりながらTVを見ている訳です。

2012年7月28日土曜日

ダイヤモンドの醸趣(価値)

 ダイヤモンドは本来人間が存在して価値があるという事を前提としていますが、それは勿論人間側から考えてる価値という事になります。

4Cという価値基準に対しては人間の決めた基準である事は間違いがありませんが、何故基準まで作って価値を感じようとしているのか?

タイトルに『醸趣』という造語を使ってみましたが、そのまま醸し出す趣(おもむき)という事で使ってみました。というのはダイヤモンド自身が放つ価値を理解する為に人間が基準を作っているのだとしたらまずはダイヤモンドの放つ価値を理解する事の方が先であると考えています。

つまり、人類が存在する前から存在するダイヤモンドはその価値を認めるような進化を人類はしてきた事になります。それは現状では4Cで説明される価値も、本当はその基準が出来る前から価値がある事を認め、ダイヤモンドを販売したり、購入したりする上で理解をする価値は何かをある程度知らなければいけません。

今回行ったセミナーにおいてもダイヤモンドの価値は宝石としての価値は勿論のことダイヤモンドの価値として

1.宝飾品の素材としての価値 
2.経済的価値
3.感性に対する価値
4.情緒的価値

とタイトルを分けましたが3.4.がダイヤモンドが醸し出す趣としての価値だと考えていますが、勿論それがあっての1.2.の価値なのですが主に4Cを前提とした勝ちに等しいと思っています。

研磨された後の審美性とはいえ、人の感性に訴える力はエネルギーやパッションすら永い間ダイヤモンドを見てきた小生ですら覚えます。また、多くの物語を有名無名関係なく伝える特徴は人類が必要とする是非であったのではと考えます。

それゆえに、先に存在するダイヤモンドを人類は発見し、身の回りに置いて来たのでしょうが他の鉱物や資源のように使い勝手が有った訳ではありません。これはダイヤモンド自身が放つ魅力であるのでしょう。

人類の使い勝手による測りからではなく、ダイヤモンドが醸し出す趣を理解することは心の豊かさを目覚めさせ、本当のダイヤモンドの役割を理解することになるのでしょう。そこへの価値にはグレードや価格には反映しない価値であり、それぞれに有った『醸趣』価値を感じてもらいたいと思っています。

2012年7月27日金曜日

ダイアモンド・セミナーⅡ

 札幌はどこまでも涼しく、何処までもやさしいと感じながらセミナーを行ってきました。

1日3回のセミナーは少しきつかったけれどもご来場いただいた方やスタッフには評判が良かったとの声に少し安心をしているところです。

 セミナーとしての内容は宝石の条件とその特徴、そしてその中でのダイヤモンドの価値、一つには情緒的価値、感性としての価値、宝飾品の素材としての価値そして経済的価値と分けて御話をさせていただきました。

 其々の回の終わりには直接お話しをしたり裸のダイヤモンドを見ていただいたりしましたが、その際に皆さんに『ダイヤモンドに対する見方が変わりました』といって頂き、これまた小生の気持ちを和らげてくれる一言でした。

 ファンシ―カラーダイヤモンドに関しては限りなく北の空の下で見ると真の色を醸し出し、何処までもやさしい色を見せてくれます。多分紫外線のせいなのでしょうが、最も美しくダイヤモンドのナチュラルカラーを見せてくれる場所だと私は思っています。

 ご希望のお客様には裸石のままの状態でご覧になって頂きジュエリーのようにデザインされたものではなくダイヤモンドのその物の魅力でお求めになって頂きましたが、皆さんシンプルなダイヤモンドそのものが生きるデザインになさっていたのが良かったと思っています。

 最初と最後の回には御食事が用意をされておりましたが、小生のリクエストでユダヤ人がよく食するラムをベースにしたものとファラフェルやクスクスといったあまり日本では目にしないようなものを用意して頂き、それに赤ワイン風味のベーグルを添えてといったものでしたが、これもすこぶる評判がよく、してやったりの記街がなかった訳ではありません。

 場所はわざわざ26階の光の入るレストランを用意して頂き、取引所の雰囲気をだし、御一組毎にテーブルを用意しその前にルーペ、ピンセット、秤などを準備して頂きました。それもゆっくりとダイヤモンドを見て頂くには良かったように思います。

 主催者側も今後もぜひ続けたいとの意向もあり、もっと良いものにしていければと思っています。

2012年7月23日月曜日

ダイヤモンドセミナー。

 昨日、一昨日と近かった友人がなくなり通夜、告別式に参加をしてきました。
なくなった彼女は二十年近く前にとある寿司屋で知り合い、意気投合し、その後旦那の方ともゴルフ等をする中になり近しくしてきました。

 十年ほど前に2ctのハート型のダイヤモンドが欲しいととのことで手配をした事があり、2個用意をしたダイヤモンドは彼女の好みと私が勧めたものは違い、結局彼女が選んだものになったのですが後日

『なぜ、和さんがあちらの方を勧めたのかが解るような気がします』

といってきた、後日といっても数年経ってからの事でした。
 
『解ってくれたの?でも大事にしてね』

 この会話が昨日のように甦ってくるのはダイヤモンドがそこに存在するからであり、今では彼女の選んだダイヤモンドが頭の中を巡っています。

 ダイヤモンドを見せるそれまでは個性のある物を好む彼女にはそれ向きのダイヤモンドをと思っていましたが、彼女がそれを見ている最中の会話やデザインを聞いて

 『こちらの少し小さめの方がよいと思うよ。デザインによっては後で飽きたり、気持ちに引っかかってきたりするからね』

 『でも、私はこちらの大きく見える方がいいわ』

 このような会話で彼女の選んで方を買い求めて貰いました。

 今ではきちっとダイヤモンドには精神的な作用も後で働く力や魅力がある事を伝えるべきだったと後悔しています。ダイヤモンドにはグレーディングレポートや見た目だけではない価値や作用がある事を、その時点ではあまり告げる事は好ましくない事と思っていました。

 明日、行われるセミナー兼食事会では勿論ダイヤモンドの物理的価値と共に、恐れずダイヤモンドの総合的価値を伝える事を心に命じ、情緒や感性から見たダイヤモンドの価値や魅力についてもお話しをする際にお勧めできないダイヤモンドもある事の説明もすべきと考えています。

 亡くなった友人との間で交わされた会話を思い出します。
『私は子供がいないので、もし将来私が先に亡くなるような事があれば和さん私の持っているダイヤモンドをお金に換えて恵まれない子供たちに寄付してあげてくださいね。』

『馬鹿な事を云うんじゃないよ。順序からいってもこちらが先だよ。でもいい考えだとは思うよ』

 『そうなの、生きている間は自分で楽しんでそれが将来恵まれない子供たちの役に立つと思うとダイヤモンドの買いがいがあると思うんですよ』

 『そうだね。将来そういう事が普通に行われるようになるといいね。それもダイヤモンドの魅力だからね』

 会話を思い出すたびに最初にセミナーでお話をしようと思っていた事と中身が変わるかもしれないと思うとともに触れないでおこうと思う気持ちが錯綜します。

 しかし、間違いなく自分の中に変化があるとは考えています。有る意味では明日のセミナーに関して期待感もあり、不安感も有りです。講師がこんな事を云っていてはいけませんが・・・、。

2012年7月18日水曜日

ダイヤモンドの性能!?

 ダイヤモンドの価格基準として4つのCがあることは知られていますが、このほかにライフというものがあるということは以前にも述べました。これはあくまでも重量、色、清澄度、研磨を指していることは当然ですが、その表記が価格を決めているわけではないことも以前に記述をしました。

 しかし、誤解が多いのはそのレポートが価格基準になっているという様に思っている方が多いということです。グレーディングレポートとはあくまでもダイヤモンドの重量と寸法だけが絶対的なものでそれ以外はあくまでもそれぞれの鑑定機関の条件下による基準です。

 つまり、車でいうカタログみたいなもので、重量、排気量は法律に照らし合わせてある程度一定でしょうがマイレイジに関しては、あくまでもメーカー独自の条件で行われた参考にすぎません。また、乗り心地に関してもカタログで表せるようなことではありません。

 グレーディングレポートに関してもダイヤモンドの性能スペックを表したもので、見た目や美しさの感じ方はあくまでもそれを目にした人がどう思うかということです。
 

 今回のイスラエルの買い付けの際に何度もこのような内容が話に出てきました、それというのも今回ファンシーシェイプを中心に買い付けをしたのですが、ものが不足していることもあり、思ったものがなかなか出てこず、落胆のたびにブローカー達と話し合った結果でした。

 形や照りを何度説明しても
『今度のは最高の形でKAZの思うようなものだよ』
と見せられて何度落胆をしたことでしょうか。

 必ずしも売らんがために言っているわけではなく本当にそう思っているのです。
『GIAのレポートがついてDカラーのSIクラスメイクはEXだよ』
と言われて、グレードがついているなら間違いはないだろうと期待をしていると・・・。

 なぜにこんなに違うんだろうとガッカリしますが、レポートは間違いがないのです。ただ感性が違うだけなのです。

 ダイヤモンドの性能はカタログだけでは説明できないと改めて感じた次第であります。今回の買い付けはダイヤモンドの性能の深さを感じるには十分な試練でした。何事も終わりはないものです。

 
 

2012年7月15日日曜日

ダイヤモンドの価格?

 先月の香港ショー以来ダイヤモンドの価格が低迷しているとここイスラエルの連中も井戸端会議をしています。

 
 
 指標となるリストも若干の修正を加えなければならないと告げていますが、それでは本当に価格が下がっているのでしょうか。

答えはノーです。つまり、取引所で囁かれていることは
『損をしてまで研磨は誰もしないよ』

 多くのオーナーたちは果報は寝て待てというところですか。取引所でも品物が足りなくて多くの人々が困っているのが実情です。

 もちろん、市場在庫に関しては経済の条件が作用しますので値下がりもあるかもしれませんが
常に少ない価値のあるものに関しては研磨上りとなりますので研磨されないとすると決して値下がりは起きないのです。

 価値あるものは常にそれなりの価格であるということですね。取引所においてもそういうことですね。
 

2012年7月14日土曜日

ダイヤモンドへの出会い

現在、早朝の羽田空港・・・。

本日より、またかの地イスラエルへ参ります。
もう何回の訪問だろう?

三十余年通い始めて、多いときは年13回の渡航となりイミグレーションで
『あなたは外国人で一番の出入りだよ』
と言われたことがある。

その頃は同時に米国やヨーロッパ、香港と訪れていたのでどれくらいの時間機上の人と
なっていたのだろうか。

この仕事に付き、早40年を迎えようとしているのにいまだダイヤモンドとの付き合いが止められていない。

というよりダイヤモンドに生かされているような気もします。本来であればディーラーという過酷な仕事を続ける都市ではないのですが現在はなんちゃってディーラーだろうと思います。

自身のお店のものと大粒の依頼、そして数社の注文を受け、こなすだけの状況で年齢に見合った仕事をさせてもらっています。

今は、少しでも多くの人に本当のダイヤモンドの魅力を知ってもらうために日々伝道師状態であります。常に新しい情報を得るための買い付け仕事ではありますが楽しくさせてもらっています。

本日は羽田発の仁川経由でイスラエルへダイヤモンドたちとの出会いのために向かいます。また、
新たな出会いがあるのかと思うと年甲斐もなくわくわくします。

毎回であったことのないダイヤモンドたちに出会えますからね・・・・。

では・・・・。

2012年7月6日金曜日

ダイヤモンドに託す!?

 最近Face book上で以前からの友人とコンタクトをとる事が出来ました。旧姓も変わり最初は解りませんでしたが、明らかに私の知っている彼女でした。その後彼女の娘の写真をやはりFB上で見ることになった時に胸に熱いものを感じたのです。

35年前ほどに米国にいた頃知り合ったばかりの友人はロサンジェルスにほど近い海岸線のサンタモニカに住んでいました。彼女は日本人のボーイフレンドを持っていた事もあり、息はすぐに統合し、渡米したばかりの私の世話も焼いてくれたものでした。

彼女の家を訪問すると本当に一般的な米国の家庭で会社員の父親と主婦業の母親と高校に通う妹との4人家族で本当に私が小さいころからTVなどのホームドラマで見るような典型的な家族でした。

幸せに暮らしていた家族を一瞬にして暗くしたものは母親の癌の告知でした。体調は以前からよくないとは聞いていましたが、突然のことでしたので小生も驚き病院へ駆けつけたのは、まもなく母親の人生の終わりをつげるその時でした。

『今までありがとう』
この一言が母親の家族への最後の言葉となりました。

その際に母親から友人に手渡されたのは父親からもらった婚約指輪でした。
『これを私だと思って、代わりに皆の面倒を見てあげて』
といわれて渡された物は1カラットのダイヤモンドのついたシンプルな18金の指輪でした。

その後彼女は自らの指にはめるものは彼女の伴侶から贈られた物にする為に母親から受け継いだダイヤモンドは私が預かりペンダントにリフォームを行いました。

母親のイニシャルをもじった”J”の形にダイヤモンドをあしらった物はなかなかの出来栄えと自身も満足のいくものだったのです。

それがまさか彼女の娘の胸に飾られているとは『感無量』です。
時を超え一瞬で当時の事がメリーゴーランドのように頭の中を駆け巡り、感慨にふけ入りました。

35年あまりの時間は長く感じておりましたが、たったひとつのダイヤモンドが私を当時の時空に戻してくれて、
『KAZ,アメリカは良き友人を持ってそのアドバイスを聞き、自分で判断をする事が出来なければ楽しく過ごせないわよ。貴方ならできるわ』
と友人の母親から言われた一言。

当時カルチャーギャップとホームシックに少し陥っていた小生を勇気づけてくれたものです。最近、年のせいか何かと妥協が多くなってきている自分に嫌気がさしていた時の出来事でした。

友人の娘が着けていたダイヤモンドのペンダントは明らかにそんなん自分に友人の母親から託された小生へのメッセージのように心に感じる物がありました。当時の自分を振り返り、その頃の思いを感じ頑張ろうという気持ちになれた事はまさに、こちらの取り様でもありますが友人の母親から今の自分に贈られたメッセージのような感じがします。

多分、彼女がなくなる時に色々な思いを込めて娘に贈ったダイヤモンドだったのでしょう。

『間違いなく、あなたがダイヤモンドに託した思いは私達に届いています』

そんな一言を亡くなった友人の母親に伝えたいと気持ちと同時にアメリカに渡って初めて挨拶のキスを彼女から頬に受けた感触がわき上がってきました。

時を超えてほんのりとした気分に浸った瞬間をくれたFBとダイヤモンドに感謝です。

2012年7月3日火曜日

何故にダイヤモンド?


『何故、ダイヤモンドに価値があるんですか?』

昨日、訪れた二十代の女性が唐突に口にし、私の顔を覗き込みました。
今までも何度も向けられた質問ではありますが、何故かその質問に気持ちがひっかり一つ一つ答えて自身も再認識をしてみました。

ダイヤモンドはよく『不変の価値』と称される事がありますが、その意味は多くの人は『価値が変わらない』という事だと思っていますが、本当は『変化しない事の価値』がスタートだと認識をしています。

つまり、宇宙が出来てからあらゆるものが変化し、進化してきましたが、近視眼的に見ても歴史的に、そして環境的にも変化も必要だった訳です。これは何も人類だけに言える事ではなくさらゆる有機質、無機質問わず言える事です。

宇宙の中でも水素、ヘリウム、に次いで原始元素である炭素等の元素は変化をしないものの、目に見え人類が認識する部分ではありません。

つまり、単純炭素原子の集合体であるダイヤモンドは変化をしない人類が一番認識しているものであるともいえる訳です。勿論他にも鉱物などでは存在しますが人間が感性を含め、認めたものとしてはダイヤモンドしか存在しないのだと思います。

そういった物理的要素を含めて永く変化をしないという事が価値である事、その上で美しく、希少性が高く耐久性があるといった要素に経済的価値が伴っていてダイヤモンドの価値だと考えています。

変わらない事の難しさは昨今の政治や経済を見ていると明快に理解が出来ますが、世の中に変わらないものがあるという事は別の意味での価値観を生み出す指標になるという事にもある訳です。

総論を組む時絶対的に不変な事を目安に主を置き、その上での各論を組む事が常道だと考えますが、その都度の各論を前提に物事を進めると、昨今の政治状況のようになるのだろうと考えます。その上でも変わらない目安としての価値を大事にするという事とそれを指標にする事は重要な事なのです。

結論を言いますとダイヤモンドは変質しないという価値、その上で宝石としての価値があるという事がダイヤモンドの価値なのだと思います。そして、貨幣が其々の発行国が価値を保証している様にダイヤモンドの価値は歴史と人類が保証をしている価値なのです。そして、国破れて山河燃えという状態になって貨幣の価値がなくなったとしてもダイヤモンドの価値が変化することはないという事になります。

ただし、ダイヤモンドを取り扱う人々や組織がその価値を抹消すればその限りではありませんが、その事はその人々の存在価値をも消滅させるのでその可能性は低くなります。

故にダイヤモンドなのです。

2012年6月28日木曜日

ダイヤモンドと縁!?

 先日のホンコンのジュエリーショーの続きになりますが、ハイジュエリーのディビジョンにおいてニューヨークからのブースにDカラーIFとDカラーVVSと表示をしたセンターが5カラット程のペアシェイプで一周したネックレスが飾ってあり、その傍らにTIPEⅡと表示がなされていました。

そのショーケースを除きこんでいると中からスタッフらしき人物が
『そのネックレスに興味はありますか?』
と尋ねてきました。

『ネックレスそのものよりそのTIPEⅡの表示に興味があるね。』
と答えると同時に
『本当にセンター以外もTIPEⅡなの?』
と聞くと

『勿論、そうですよ。凄いでしょう。』
とやや自慢げに答えてくれました。

何回かブログでも紹介しましたがTIPEⅡの希少性は特定の興味を持って集めないとそんなに簡単に集まるものではありません。今回のネックに関してもトータル80個ほどの量ですからセンターのダイヤモンドはそうだとしても他の物はどうかなあ?と疑問を持ちながら話を聞いていました。

そんなやり取りの傍らに
『HI!! KAZ.』
と声をかけられ、そちらの方を振り向いてみると以前ニューヨークによくいっていたころの友人でした。

『今は此処の会社とも取引をしていて挨拶にきたんだ』
とのこと

『そのセンターストーンは私が売ったもので、キミも見た事がある石だよ』
と友人

『エッツ、あの時の石?』
と小生

『It's a small world !!』

まさか、気になって見入っていたダイヤモンドが、多分7,8年前になると思いますがニューヨーク
で買付の際に気になっていたものとは・・・。
当時、日本の市場はバブルも終わり景気後退の中にいたので買付はあきらめたものでしたが、時を超え製品となりそれなりの金額になり再び自分前に現れるとは。

今回の事には関わらず今までも同じような経験を何度もしています。やはり気になるダイヤモンドは何かの縁で自分の前に再び現れる事や関わる事は決して偶然ではなく、起きうる事と考えています。

ダイヤモンドもやはり相性があり、例えばハートシェイプに関しても形に好きずきがある様に、光り方や気になり方が違うものです。これは消費者とかプロとかは関係がありません。

人の好みは意識が対象物に行きやすく、出会いが起きやすい事はあります。勿論ダイヤモンドに限った事ではないでしょうけれどその偶然はダイヤモンドのように数の少ない物やある一定の範囲に限られるものは余計に起きやすくなります。それは解っているのですが何故かダイヤモンドのように普通に同じように見える物にその偶然が起きるとそこには『縁』を感じる訳です。

『縁』というものは目に見えない何か特別なもので括られているのでしょうけれど、無機質なダイヤモンドと有機質な人間にもその特別なものがあり、それを繋げていくことにも特別な思いを感じます。

2012年6月25日月曜日

ダイヤモンドパワー

 先週は香港のジュエリーショーに各国の仲間と会うために行ってきましたが、相変わらずの香港パワーには圧倒されてきました。

香港の最も大きな宝石店の店頭には5ctをはじめ大きなサイズのダイヤモンドがずらりと並び、金製品と共にダイヤモンドは国際都市である香港の人々には特別なものである事を改めて感じました。

この大きな宝石店は百メートル四方に6~7店あり、中国本土を含めると200店舗にも及びます。日本のようなジュエリーやアクセサリーレベルではなく、強いて言えば銀座和光クラスのお店が・・、であります。

香港のジュエリーショーは年3回ほど大きなものが行われていますがダイヤモンドのコーナーやハイジュエリーのコーナーに行くとやはりダイヤモンドのパワーには圧倒されるとともに何か感じる物があります。

 よくお客様の中にはダイヤモンドにパワーを感じるという方がよくいらっしゃいますがへいぜい取り扱っている小生はそこまでも感じておりませんが、まとめて大きなサイズを目の前にずらりと並べられるとやはりパワーを感じます。特に今回目に留まったのはピンクダイヤモンドのハートシェイプのネックレスです。色もそろえてあり見事でした。

ダイヤモンドのパワーは前述の宝石店を含めて見ている人々にパワーを与え、その上で感動を与え、富を与えるものと改めて感じた次第であり、それだけではなくそれだけのお店でありながらどのお店もお客様でいっぱいである事にパワーの裏付けを感じます。


ダイヤモンドパワー恐るべしであります。

2012年6月19日火曜日

経験とダイヤモンド

 1975年、それまで勤務をしていた輸入商社を退社し、アメリカに渡りました。それまで勤務をしていた会社でも輸入時計から貴金属まで色々な経験を積ませてもらい、目から鱗の事が多くなるほどといった経験を随分させてもらいました。

 ヨーロッパジュエリーなどはまだほとんど国内にはなく、それを担当し、全国を回った時には
『なんでこんなおもちゃみたいなものが何百万もするんだ!!』
等と随分きつい言葉を投げかけられました。

 今でこそジュエリーやらしきものが多く存在し、ガラスやおもちゃまでジュエリーなどといわれている時代ですが、当時は輸入品のジュエリーなどはほとんどの人が見た事がありませんでした。

 その中で大きなイヤリングの存在やブローチの存在意義を学ぶうちに、なるほどという事が多く今でもそれらの経験が生かされているように感じます。意味があって存在している物はその存在意義からあまり離れると売る事さえ難しく感じます。

 例えば大きなイヤリングは日本では

『こんな重いものをどうするの?』

等とよく聞きますが、ヨーロッパなどではパーティーなどでほんの数時間するものですから大きくても重たくても問題ないのですが日本では販売員も

『ずッーと付けたままで大丈夫ですよ』

などと売らんがためのトークを展開するのでその印象が強くなって、普段付けが当り前の感じになっているのでしょう。

 ダイヤモンドに関してもそうですが、私が渡米前にいた会社ではダイヤモンドの取扱量も日本で1,2位のレベルにいましたが婚約指輪が主流だった事もあり、小さくても良質(当時の常識で)なものを取り扱うというのが当たり前でした。

 渡米をしてビックリしたことはスーパーに毛の生えたぐらいの量販店のジュエリーコーナーに沢山の2ct、3ctのダイヤモンドが所狭しと並んでいた事です。やはりアメリカはすごいなあ―・・と思う半面、なんでこんなに黄色いダイヤモンドばかりが並んでいるんだろうと感じたものです。

 今、考えてみると当時日本では私が在社したところなどが率先してグレードを全面に押し出して販売をしており、それが売りになっていたのです。勿論、価格の違いを説明をする為についており、現代のように価格競争をする為についていたのではありませんが、グレードが優先されていた事は事実です。

 売り場にいた販売員に
『大きいけど、黄色くてあまり質が良くなさそうなのばかりだね』
といった小生に

『折角つけるのに小さければ意味がないと思うし、予算がなければ何かを納得しなければいきけないでしょ。貴方はお金があるんでしょうから有名宝石店にでも行って白くて品質の良い物を買ったら?』
と皮肉交じりに答えあられたのを鮮明に覚えています。

 なるほど国によっては重要な事も変わってくるものだなと思い、その後もダイヤモンドを通してあらゆる経験をし、その都度ものも見方が変わってきた事も思いだします。

 小生も一定の年齢を迎え、多くの人よりも経験も積んだ部分もあり、また満ない部分もあると思いますが、ダイヤモンドという自分の経験を測る定規が常に横に有った事は恵まれていると心から思っています。

 ダイヤモンドだけに関してですが、それらの経験を通じて、やはり4C一辺倒の販売方法や価格競争は本来の価値を失して、なおかつ消費者に本来の価値を伝えていないと寂しさを感じています。

 最近ブログを読んで頂いている方も増え、高木流のダイヤモンドの楽しみ方やもち方を少しづつお理解を頂いて、コンタクトを頂いている事に感謝をしております。

 ダイヤモンドの本当の価値を知り、本当の持ち方をご理解いただけるのであればこれ以上の喜びはないと思っています。私自身が経験をして何を大事にする事が本来の価値であるのかをお話しできるだけの経験と知識と年齢を経てきたと思っています。

 ダイヤモンドは時代、時代により物の見方を変えてくれた小生の年表でもあります。ダイヤモンドに関わらず経験を刻む標を人生に持つ事は大事だと思います。

2012年6月16日土曜日

ダイヤモンド・ハート

 最近、ハートシェイプのダイヤモンドにはまっています。
・・。といっても自分というよりむしろ周りのお客様がです。

 ハートシェイプは一つ一つの表情が一般の方にもよく解りやすいので身近に感じられるようです。もちろん、丸いダイヤモンドにも一つ一つの表情がありますが一般の方達が容易に解るものではありません。その点ハート型は初めてダイヤを身近で見られる方にもよく違いが解ります。

 タヌキ型、キツネ型、そしてミッキーマウス型(これは私が勝手に名付けています)と外郭だけでも大きく三つに分かれますが、そのほかにもそれらの中で美人であったり、キュートであったりと、特に女性が見てその違いが明白だったりします。

 多くのお客様は実際に裸石(ルース)の状態で手のひらに乗せて眺めてみるという経験はあまりありません。当方ではお店であれ、展示会であれ極力手に乗せてゆっくりと愛でてもらうようにしています。

 そのせいか最近、ダイヤモンドを見て『この子』と表現をするお客様が多くなってきました。ダイヤモンドを擬人化して接するようになってきたのでしょうか。多くのハート型のダイヤモンドをお求めになったお客様はご自分のダイヤモンドに関しては何も枠がついていなくても一目で見分ける事が出来るようになってきています。

 たまたま、最近展示会で2ctほどの大きさのハートシェイプが数点並べられておりましたて、一人のお客様が事前に予約されていたものをクロージングしに来られた時にふざけ半分に数点のハート型のダイヤモンドをルースのままでトレーの上に置き

『さあ、どれがご自分のお求めになったものか解りますか?』

と質問したところ

『解らない訳はないわ、私の好みの物を選んだんだから』

と言い放つとともに眺め始め、あっという間に御自分は選んだものを指さしました。

 ほとんどのお客様はこのくらいの芸当はできるようになりました。これは、自らの手に乗せ、ジュエリーとしてではなく宝石として選んでいるからだと確信しています。

 永く大事にしていく宝物を自分の好みで選ぶことは、4Cグレードや価格、ブランドで選んだものではない愛しみも芽生え、本来のダイヤモンドの持ち方として正しい事だと思っています。

 ハートという女性が愛してやまない永遠のシェイプはダイヤモンドを通して心の価値やスピリチュアルな環境を与えてくれます。

 貴女に合ったハート型のダイヤモンドを探してみると人生の楽しみがまた一つ見つかりますよ。

2012年6月7日木曜日

花火とダイヤモンド

 先日、TVを見ていたら花火師達の苦労と技術について放送されていました。同じように見える黒い火薬を固めながら配列を考えどの様に並べたらどのような模様になり、どれくらいの大きさになるかとかを考えるらしいのだが・・・。

 花火が爆発した瞬間の美しさを想像しながら並べ方を考えるのですがその形を思い浮かべる事が難しいのだそうです。思い浮かべると後はそれに沿って小さな火薬と大きな火薬を色別に並べていくだけだそうです。

 番組を見ていくうちにふとダイヤモンドの研磨に似ているなぁ・・と思いながら見ていると打ち上げられた花火のパフォーマンスは正にダイヤモンドの輝きでありました。

 研磨をする人間は原石を見ながらどの様な形にカットをすればこの原石のパフォーマンスをあげられるのかを考えながら決めていきますが、多くの場合には原石に一番近い形に収まるのですがその多数派がラウンドブリリアントという皆さんが良くご存じの形であります。

 勿論、経済的理由を第一優先に研磨をするのですが、それは歩留まりを前提にどの形やどのレベルのフィニッシュにするかで価格が変わるからです。勿論大きさがとれるようにする事が前提という意味です。

 そのほかに同じラウンドカットに見えても何々カットとかいろいろありますが、それは輝きを少しでも他の物とは変えて付加価値をつけようという努力なのですが、その部分が花火師の作業とかぶるのです。

 以前にも触れましたがダイヤモンドは煌きや反射の組合せが美しさを醸し出していますが白色光が主となるエメラルドカットなどのスクエア系のものとキラキラが主となるラウンドのエクセレントカット系の物とかがありますが、基本的にはこのバランスが美しく、綺麗なのだと私は思っています。勿論、その大きさや好みもありますので、私は2ct~3ctのラウンドブリリアントのベリーグッドが一番きれいだと感じています。

 それにしても自然から新たな美しさの観念を生みだす人間の素晴らしさを改めて感じます。出来うれば何時までもそのようなものを見て感動する感性が人間に備わり続けて欲しいと思います。

 現代にはそれが欠けてきているような気がするのは私だけでしょうか?

2012年6月6日水曜日

ダイヤモンドの買い時

 最近、良く来られる紳士が
『株ですっかりお金をすってしまったよ』
と嘆いておられました。

 『株なんて信用できないと思っていても昔からの運用と扱ってる証券会社や銀行に勧められるとついついそうかなと思って信用していまうんだよね』
とため息交じりで・・。

 最近お客様からよく聞くフレーズだと思いながら聞いていますと
『それでさ、社長ダイヤモンドはどうなんだろうね?』

 『といいますと?』
と私が聞き返しますと

 『社長は何時もダイヤモンドもサイズとか希少性によっては財産保全の対象になるよといっているでしょう?』
と覗き込むように聞く紳士。
 『それにさ、紙くずになって何も残らないより、形になって残っていれば子供たちにも残せるでしょう?』
と立て続けに・

 『勿論、前提条件が整えばという事になりますけどね』
と小生、

 『とい言うと?』

『ダイヤモンドを買う条件とはジュエリーとか婚約指輪としてといった特定の場合でなければ、経済状況がよろしくない事とダイヤモンドを買い求める国の貨幣価値が高いという条件があります』

 『なるほど・・。』

 『今、世界の経済状況はよくない事はご存じ通りです。この条件下ではダイヤモンドの価格は上昇する事が指摘されています。1929年の世界恐慌の時は一時ダイヤモンドが売れなくなり価格が下がった事もありましたが、この時代はまだダイヤモンドの価値に関しては完成されてはいませんでしたが、その後オッペンハイマー引きいるアングロアメリカ社がシンジケートを引き継ぐ事により財産としての条件も完成されていき、その後現在にいてるまで経済状況が悪くなるとダイヤモンド価格が上昇するという現象を起こしています』

 『なるほど。でも価格コントロールが出来るところがなくなったらやはり落ちるんじゃあないの?』

 『現在は一つの組織がコントロールしている訳ではありません、ロシア等の国営企業や数カ国の半官半民、大手鉱山会社によって価格のバランスがとられており、今後数年で枯渇するのではとも言われ、個々の団体がコントロールする状況ではありません』

 『とう事は金やプラチナみたいに経済状況で上下するという事になるいんだね』

 『そうです。但し、大きく上下の要因は貨幣の価値を通したもので決してドルなどの主要通貨を前提とはしていません。』

 『どういう事?』

『つまり、先ほども言いましたが貨幣価値が高いと価格が下がると言いましたが、現在の日本では日本円が強く輸入したものは安くなります。その現象が大きな要因になっているという事です。1ドルが360円時代より今の方がダイヤモンドの値段は安いんですがダイヤモンドの値段が下がった訳ではなく円の価値が上がったんです。ダイヤモンド自体の価格はトータル的には上がっています。』

 『という事は、今の日本ではダイヤモンドが買い時という事なの?』

『真さにその通りです。但し、品質に関係なく1カラット~2カラットの上のサイズで綺麗なところという事になりますが、現状の日本では流通している在庫は少なく百貨店等でもものは集まりにくくなっています。』

 『それで私に2ctの物を勧めたんだね』

 『はい、うちの得意なところですから・・・。』

2012年6月1日金曜日

ダイヤモンドグレードとその説明

 7月に予定されているダイヤモンドセミナーと販売会の主催者との打ち合わせの中で一つの課題はグレードの説明の取扱いです。今までの売り方や説明の仕方の否定ではなく、本来のグレードの扱いをきちっと販売員や消費者に理解して頂く事が大事であろうという事です。

 4Cに関しては多くの販売員の方達の誤解がある為に市場もですが、お客様も矛盾を感じながら説明を聞くので、大方の人々は理解をせずに購入しているケースがほとんどです。勿論お客様の中にはグレードではなくブランドで選ばれる方も多くいます。そして、そのケースも意外と多いものです。

 グレードの関しては例えばダイヤモンドを土地に置き換えた時にカラット(重さ)は広さ、カットは土地の形状、クラりティーは土地の位置や向き、カラーは住所と考えてください。

100坪は日本中何処へ行っても100坪ですから理解をする事に問題はないと思います。土地の形状は長方形だったり三角だったりと様々で一般的には4角いのが使いやすい訳で、土地の位置に関しては道路に面しおているのか裏道にあるのかという事になります。そして住所ですが銀座4丁目なのか稚内なのかという事です。決して稚内が悪いという訳ではありません。

 つまり、説明をしますと一般的に同じ広さの土地に何故値段の違いが出るのかを説明するときに土地の場所(住所)、形状、そして同じ住所でも土地の環境で説明をされると思います。ダイヤモンドのグレードも全くとは言いませんがこれに良く似ています。

 何か目的があった時に最低限これくらいの広さが必要と思った時に何処の場所でどの様な形状でどの環境が必要かという事になれば予算が沢山あれば銀座四丁目の角で四角い土地を求めればよいのですがこれはお金を払ったからといって手に入るものではありませんよね。

 目的と予算によっては世田谷区ででもという事になるかもしれません。もし住居にという事であれば銀座である必要もない訳です。つまりグレードというものは土地勘のない外国人に何故同じ広さなのに価格が違うのですか?と質問された時にこの住所でこの形状でこの土地付(状況、環境)だからこの値差が出るんですよ・・。と説明するものである訳です。

 お客様の目的、趣旨をお聞きしてそれにあったグレードをお勧めすると良いという事になります。
そして、これはあくまで日本での話という事が前提になります。

 今までのマーケットの説明はニューヨークの5番街と銀座を比べてこちらの方が安い、高いといった説明をする事が多かったので、ましてや時代背景が違っても関係なしだったのでお客様を困惑させる事が多かったのだともいます。以前アパレルの場合ブランドやメーカーによってサイズは同じ9号でも違いはあるものと書いた事がありますがそれと同様の事と思ってください。

 グレードというのは総論的なものは変わらないとしても各論的なものは常に変わるものであるという事も覚えておいてほしいのです。土地に関しても道路が別に出来たり、新たな商業施設が出来て人の流れが変わればその内容は変わります。アパレルのサイズにしても同じメーカーだったとしてもデザインによっては同じ9号でもサイズは少し変わります。

 ダイヤモンドのグレードは正に状況環境によって変わるものである事は覚えておいてほしいのです。ゆえに同じお店で同じ鑑定機関の同じ時期のグレード同士で価格を比べる事は役目を果たします。しかし、本来は同じグレードであれば同じ価格でなければ役目は果たしていないということにもなります。故に違う条件のもとの価格競争はあまり意味がありません。

 販売員や消費者がこれらの内容でお解りになって頂ければ良いと思いながらセミナーの原稿を仕上げております。もし、ご質問等があればぜひお寄せください。私自身参考にしたいのです。
 

2012年5月30日水曜日

ダイヤモンドは鏡!?

 通勤の際に道端を夏の草花が咲いており、一時気持ちを和らげてくれます。そんなに草花に興味がある訳ではなく、むしろ切り花や生花はそんなに興味をさそそられる事はありません。野に咲く花にはある種のエモ―ショナルものを感じますが不思議なものですね。

 ふと考えるとダイヤモンドに関しても同じ事が言えるのでしょうね。ダイヤモンドをこよなく愛する人が多くいても興味を持たない方も同じようにいらっしゃいます。ジュエリーになっているダイヤモンドに興味があっても裸石のダイヤモンドに興味を持たない方もやはりいらっしゃいます。

 最近感じる事ですがダイヤモンドを裸石いわゆるルースでお求めになる方が多くいらっしゃいますが多くの方が感性が豊かというか、表情の豊かな方が多い様に思われます。

 ダイヤモンドは残念ながら最初に興味をお持ちにならなければじっくりと見る機会がないもので、そのままの存在になってしまう事が多くあります。小生はジュエリーのダイヤモンドというよりもダイヤモンドそのものの魅力を伝えたいと考えているのでご依頼を受けた展示会等にはなるべくルースでの展示をお願いしており、自信も出向いてケースから出したうえでゆっくりとご覧になっていて頂く機会を作っております。

 実際に老若男女問わず多くの方が興味を持たれ、ダイヤモンドの美しさその物をご理解頂く事になります。これは多くの方が綺麗ではないと感じるものではなく、美しいという感性の原点にダイヤモンドのポジションにあるからだと思います。草花や小動物を含めて場所や時代、人によって美醜が分かれるものではないという事が前提にあります。

 それにしてもやはりダイヤモンドにそれ以上の興味を持たれない方がいる訳で、これは価値観だったり、感性の違いによるものだろうと思います。ですから、ダイヤモンドに魅了される方の中にもその順位があり、他の服装を抑えてもダイヤモンドの方から、余裕があるからダイヤモンドの方を含め多種多様です。

 それらの方の性格は選ぶダイヤモンドの種類を含めて同じく多様です。つまり其々の方を映し出す鏡のような存在にダイヤモンドがあり、その個性を継承していくものとしてダイヤモンドは存在しているのでしょう。

 永遠の命を持った鏡がダイヤモンドであり、これは草花や他の趣向品にはない特徴なのです。ダイヤモンドは人々にとって『時を超えるメモリーであり、鏡』なのです。そこにいくらの価値を見出すかが文化なのでしょう。

http://www.diamond-ring.biz/

2012年5月24日木曜日

ダイヤモンドと人間関係。

 ダイヤモンドのグレードの基準の話をしている時に、数十年前になりますがフローレス(無疵)ということで販売したダイヤモンドに内胞物があったと購入者からクレームがあった事を思い出しました。

 何でも顕微鏡を買ったのでダイヤモンドをセットして見てみたということでしたが。その倍率が100倍ということでした。こちらも最初は驚きその話にはあきれた事を覚えています。何にでも基準は有りますから説明をする事により大事にはいたりませんでしたがカルチャーショックでした。


 ダイヤモンドのグレードは通常10倍のルーペでジャッジをしますが、時々勘違いをして20倍とか50倍の顕微鏡で内胞物を探す人がいますがそれは明らかな間違いですね。

 基本的には10倍のルーペであっても熟練したグレーダーがジャッジメントする為のものであって決してダイヤモンドの美しさを見る為の物ではありません。またグレーダーによってもそのジャッジに違いは出るものであり、ご自身の目が一番大事なのです。

 人間関係もある程度の間がある事が大事なことで近づき過ぎる事は必ずしも良くはない事もありますよね。つまり、海も遠くで水平線を見ている限りはまっすぐですが近くに行くと波が経っているものですよね。

 ダイヤモンドは肉眼で愛しみ、自らの心の充実感を満たすものであって決して粗探しをしたり不愉快の思いをするものでもないという事です。

 毎回のように書きますが、ダイヤモンドの選び方は肉眼での美観を兼ね備えていたならばできるだけ大きなサイズの方が良いというのはその意味も踏まえてのことで、品質が良いに越したことはありませんが、基本は大きさと肉眼での美しさです。

 精神的には美しさであり、経済的には大きさが基本です。そして、その予算との兼ね合いです。それは人それぞれによっても違います。人によって視力に違いもありますから美しさも多少違ってくるでしょう。

 ダイヤモンドに接する感じが人間関係によく似ているとは思いませんか?

 人間は人のまと書きますがダイヤモンドの語源の一つに侵してはならないものという意味もあります。適度な自身にとって居心地の良い距離が人間関係を潤滑にしてくれるのでしょうね。