昨日、自由ヶ丘近くの踏切で面白いといっては失礼ですが、非日常的な光景を目撃しました。踏切で警報が鳴り始めてから遮断機があり、左右交互に降りて来ますが人によっては急ぎ渡り、人によっては余裕を見せながらのゆっくりと渡って見せます。
その中で後者であると思いますが、老年紳士がおっとり刀を決め込んでゆっくりと渡っており、小生は見ていてあれ間に合うのかな?と思いながら見ておりました。ゆっくりと降りてきた遮断機のバーはおもむろに老紳士の頭へ・・・。余裕を見せて渡ったのでしょうが目測を誤ったように見えました。
それまでゆっくりと歩いていた紳士は頭を抱えながらそれまでとは違った勢いでその場を離れていきました。自信があっても何があるか解らないので多少の余裕は持った方がよいでしょうね。
と・・・・。この話が今回のタイトルではなく、一昨日買取をご希望のお客様がおいでになって18金のペンダントをお持ちになりました。
『実は90万のお値段が付いていたものですが、30万にして頂いたので、頂いたのですがやはり気に入らなくて、付けないので引き取っていただけるかなと思いまして。』
『そうですか、とにかくお見せください』
『御幾らで引き取ってもらえるのでしょうか?』
不安げに私の顔を覗き込む彼女は期待も込める眼差しを向けていました。
『正直いいますとご期待に添えるお値段にはならないですね』
『やはりそうですか・・。』
多くの場合このような会話が行われ、最初についていた値段は何だったのかという事になります。しかし、これは其々の販売店の姿勢や考え方の問題であるとともに、ダイヤモンドの持つ性質を理解していない事の不幸です。
よく《卸価格で小売販売》なるコピーを見ますが実質的には消費者が手に入れた価格が小売価格な訳です。つまり、値引きされた後の価格が消費者と販売者の間で決定した小売価格な訳です。
様々な場面で宝飾業の危うい場面に遭遇すると私達が業界に足を踏み入れた頃とは違う印象を消費者は業界に持っている事は非常に残念であります。私達には誇りがあったのです。
まずダイヤモンドだけについて触れますが、ダイヤモンドはジュエリーのや婚約指輪の素材として日本では広まり、その事は良い事だともいますが、4Cなるグレード重視で来たにもかかわらず、重量が大事であると一方では述べてきていました。
どちらも間違いではありませんが取り扱う側がそれを間違った方向で使用してきたと言えるのではないでしょうか。
つまり、4Cでダイヤモンドというものを広げながら、一方ではこの《大きさでこの価格》といった重量重視の販売方法をとってきた訳です。
勿論、条件がすべて整えばかなりの高価なものになりますから、何かを基準に購入条件をそろえなければなりませんので止む得ないのですが、消費者が理解しやすい重さやグレードをセールスポイントにしてきたことがジュエリーにおいては誤解を招いたのだと思います。
裸石であればその物を肉眼で確認をして求める事が出来ますがジュエリーにセッティングされたものはなかなか一般の人が判断することは難しいと思います。
例えば1ctと表示があれば1個で1ctのものと複数石で1ctではバリューが違いますが、その点の説明がなく《1ctなのにこのお値段》的な販売方法がとられている事も誤解を招く要因なのでしょう。
つまり、一つ一つの事実は間違いがないのですが販売方法や説明方法がかなり不足な部分がありダイヤモンドの販売についての憂慮が付きまとうのでしょう。これは販売業者の無知識や経験不足がその根底にはあり、色石に関してはもっとこのような面がぬぐえないのでしょう。
ただし、いつも言いますがダイヤモンドや他の宝石には何の問題もないのです。扱っている者の問題で、その扱い方によっては多くの人々に喜びや夢を与え、他方では落胆や疑念を抱かせる結果になるのです。
ダイヤモンドというものは夢や喜びを与える事が本来の価値なので正しく伝えることにより幾らで求めたのかどうかなどは気にする必要がなくなるものです。
ダイヤモンド明と暗は売る人間が握っており、現代の市場においては残念ながら暗の部分が浮き出ているような気がします。夢と喜びを一緒に販売しておれば決して売ろうともしないだろうし、落胆もしないのです。
これらは難しい問題ですがダイヤモンドも明と暗はどちらも真実であり、販売する人間がそれを分けているのです。明だけに出来れば将来は販売する事自体が世のため人の為になり、ビジネスの将来も明るいという事になるのではないでしょうか。
このビジネスに従事している事が誇りであった時代が再びやってくる事を望む毎日です。
その中で後者であると思いますが、老年紳士がおっとり刀を決め込んでゆっくりと渡っており、小生は見ていてあれ間に合うのかな?と思いながら見ておりました。ゆっくりと降りてきた遮断機のバーはおもむろに老紳士の頭へ・・・。余裕を見せて渡ったのでしょうが目測を誤ったように見えました。
それまでゆっくりと歩いていた紳士は頭を抱えながらそれまでとは違った勢いでその場を離れていきました。自信があっても何があるか解らないので多少の余裕は持った方がよいでしょうね。
と・・・・。この話が今回のタイトルではなく、一昨日買取をご希望のお客様がおいでになって18金のペンダントをお持ちになりました。
『実は90万のお値段が付いていたものですが、30万にして頂いたので、頂いたのですがやはり気に入らなくて、付けないので引き取っていただけるかなと思いまして。』
『そうですか、とにかくお見せください』
『御幾らで引き取ってもらえるのでしょうか?』
不安げに私の顔を覗き込む彼女は期待も込める眼差しを向けていました。
『正直いいますとご期待に添えるお値段にはならないですね』
『やはりそうですか・・。』
多くの場合このような会話が行われ、最初についていた値段は何だったのかという事になります。しかし、これは其々の販売店の姿勢や考え方の問題であるとともに、ダイヤモンドの持つ性質を理解していない事の不幸です。
よく《卸価格で小売販売》なるコピーを見ますが実質的には消費者が手に入れた価格が小売価格な訳です。つまり、値引きされた後の価格が消費者と販売者の間で決定した小売価格な訳です。
様々な場面で宝飾業の危うい場面に遭遇すると私達が業界に足を踏み入れた頃とは違う印象を消費者は業界に持っている事は非常に残念であります。私達には誇りがあったのです。
まずダイヤモンドだけについて触れますが、ダイヤモンドはジュエリーのや婚約指輪の素材として日本では広まり、その事は良い事だともいますが、4Cなるグレード重視で来たにもかかわらず、重量が大事であると一方では述べてきていました。
どちらも間違いではありませんが取り扱う側がそれを間違った方向で使用してきたと言えるのではないでしょうか。
つまり、4Cでダイヤモンドというものを広げながら、一方ではこの《大きさでこの価格》といった重量重視の販売方法をとってきた訳です。
勿論、条件がすべて整えばかなりの高価なものになりますから、何かを基準に購入条件をそろえなければなりませんので止む得ないのですが、消費者が理解しやすい重さやグレードをセールスポイントにしてきたことがジュエリーにおいては誤解を招いたのだと思います。
裸石であればその物を肉眼で確認をして求める事が出来ますがジュエリーにセッティングされたものはなかなか一般の人が判断することは難しいと思います。
例えば1ctと表示があれば1個で1ctのものと複数石で1ctではバリューが違いますが、その点の説明がなく《1ctなのにこのお値段》的な販売方法がとられている事も誤解を招く要因なのでしょう。
つまり、一つ一つの事実は間違いがないのですが販売方法や説明方法がかなり不足な部分がありダイヤモンドの販売についての憂慮が付きまとうのでしょう。これは販売業者の無知識や経験不足がその根底にはあり、色石に関してはもっとこのような面がぬぐえないのでしょう。
ただし、いつも言いますがダイヤモンドや他の宝石には何の問題もないのです。扱っている者の問題で、その扱い方によっては多くの人々に喜びや夢を与え、他方では落胆や疑念を抱かせる結果になるのです。
ダイヤモンドというものは夢や喜びを与える事が本来の価値なので正しく伝えることにより幾らで求めたのかどうかなどは気にする必要がなくなるものです。
ダイヤモンド明と暗は売る人間が握っており、現代の市場においては残念ながら暗の部分が浮き出ているような気がします。夢と喜びを一緒に販売しておれば決して売ろうともしないだろうし、落胆もしないのです。
これらは難しい問題ですがダイヤモンドも明と暗はどちらも真実であり、販売する人間がそれを分けているのです。明だけに出来れば将来は販売する事自体が世のため人の為になり、ビジネスの将来も明るいという事になるのではないでしょうか。
このビジネスに従事している事が誇りであった時代が再びやってくる事を望む毎日です。
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