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2012年8月17日金曜日

ダイヤモンドは贅沢品!?

 午後の暑い日差しの中店内を覘いている御婦人に

『暑いですね。中でご覧になったらいかがですか?』

『ありがとうございます。でも、見ているのは好きですが贅沢品を身につjけるような身分ではないので・・・。』

このフレーズは何回聞いた事だろうと思いました。

宝飾品の展示会場にいてさえ来場者からこの声を聞く事がある。そのたびにマラソンを中盤まで走ってきたのに最初の1キロ付近まで戻されたような気になります。永い間ダイヤモンドの存在と価値を何度となく御話をしてきた身にはこたえます。

贅沢品とは生活に直接必要のない高価なものとか、ふさわしさの程度を超えたものといった定義がありますが、もし前者であれば現在の多くの人々が車にしてもゲームにしても家にいしても贅沢をしていると思いませんか?また、後者であれば人それぞれのふさわしさがあると思うのでこれは定義になりにくいと思います。

現代における必需品とは昔と違う事は解ります。しかし、本当に過度ではないのかという事に関しては見る人によっては、という事になるでしょうが多くの場合生活に必需ではないものが多く含まれるとと考えています。つまり、贅沢品の多くが必需品のように扱われています。

私自身が考える贅沢とは下品と背中合わせになるようなお金の使い方であり、上品なお金の使い方であれば決して贅沢とは思いません。つまり、品位のある使い方とはそこに文化的価値だったり、それをそれを高める使い方があればと考えます。

反面、質素に見える事が決してお金がかかっていないという事ではありません。お金の使い方でその価値が見出せるようであれば、それはいかに高価で贅沢という言葉にも当てはまらないと思います。つまり、品があるかどうかという事が尺度になるということです。

現代のダイヤモンドにおいては決して考え方や価値の持ち様によっては贅沢とはいえないと思っていますが、もし贅沢品に見せているのであればそれは販売方法や販売側が下品なのではないのでしょうか。

ダイヤモンドにはちゃんとした価値があります。決して贅沢品ではない意味があるからこそ、長い歴史を刻んできたのだと思います。

ダイヤモンドはあみだクジのように縁を繋いでいきます。それは個々を結び付けて歴史、伝統といった文化を継承する証しに似ています。

現代の日本においてもそうですが、本来必要な物を置き去りにしがちな文化度を思い出させてくれるダイヤモンドは贅沢品とはとても思えないのです。



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