ページビューの合計

90,426

2012年10月18日木曜日

現実とダイヤモンド!?

 先日、取引先と今後の企画について話し合っていた時に担当者の声として

『現実には今のままでそこそこの結果が出ているし、時間もないんですよね』

という言葉が出てきました。

 以前、他社の顧問をしている時に会議でよく出てきた言葉が『現実には・・・。』という言葉でした。
会議においても当時の社長も2代目で若かった事もありますが、中堅以上の幹部から出来る言葉が

 『社長のおっしゃるている事に総論としては賛成なのですが、現実としての各論は難しいのではないでしょうか』

 よくある会話でありましたので私は

『各論というものは総論に導きだすもので、総論があっているのなら各論である現実の方が目的に対しての整合性がないのではないですか』

 と述べた事があります。

 つまり、現実というものは常に劣化をしていくものでそこにしがみつく事は現状の維持もできなくなるという事だと思います。

 大げさに言えば日本の今の現状も役人が繰り出す各論を前提に政治家が動かされるので先行きが不透明になっているのだと考えています。

 本来は政治家が掲げた総論に対して、役人が各論を積み上げていくのが本来の姿であると思いますが、現状は役人の現実に対しての言い訳や法案を通すことに終始しているのが今の政治家の仕事になっています。

 劣化した現実に予算を付けている間はいくら日本にお金があったとしてもお金の本来の役割を果たすことはないのでしょう。

 現実を未来への単なる石杖としての考えがなければいずれ滅びます。人類が作り上げたものはやがて朽ち果てる事は歴史が証明しています。

 一方ダイヤモンドは歴史が証明するように一貫してその魅力や価値が損なわれた事はありません。そこには人類以前から存在したという現実、劣化する事のない現実があるからです。

 絶対条件を持つダイヤモンドを手本にすることはできないのだろうか?人類が現実を結晶の成長線のように規則正しい積み重ねにしていく事が盤石の環境を整えることになるのでしょう。

 老舗というところは絶対的価値の繰り返しの上で、新たな試みを広げずに繰り返していきます。その結果として『のれん』という成功の御旗が掲げられるのです。

 実際には難しい事である事は解りますが、何故にダイヤモンドが恒常的な価値を持つのかという事が理解できるような気がしませんか?

 ガラスの美しさはやがて劣化をし、輝きを失いますがダイヤモンドは永遠なのです。

 

0 件のコメント:

コメントを投稿