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2012年9月24日月曜日

ダイヤモンドが確立したもの

  一昨日、久しぶりに会った知人に

 『ダイヤモンドビジネスって、一度誰かに売れるとそれが恒常的に誰かに売れるという事ではないから、難しいビジネスですよね』

 言われた私は『・・・・・?』

 怪訝な顔をしていると

『だって、そんなに何回も買うものではないでしょう?』

 彼は婚約指輪やアニバーサリー等が頭にあるみたいでした。

『そうではなくて、ダイヤモンドというのは色々な側面から見て価値あるものとして見られているので条件が揃うのであれば買いたい人は沢山いると思いますよ。ただその優先順位の問題だけですよ。』

 『でもその価値って何処か公的機関が認めたものなんですか?』

『それは違います。多くの公的機関の認めても価値は状況が変われば価値がなくなります。国債や株などもそうだし、貨幣などもそうです』

 『ダイヤモンドは歴史が決めた価値なので、下手な公的機関が決めた価値より確かなんですよ』

 『でも何故ダイヤモンドは価値があるんですか?』


 ダイヤモンドは何故価値があるのか?

 これを明確に説明する事は難しいと思いますが、それは何もダイヤモンドに限った事ではありません。例えば歴史的な絵画は沢山ありますが何故そこに優劣がついたり、価値が評価されたりするのか?

 多くの価値は人類にとって何らかの役に立つ事が前提で価値が発生するのですが、絵画は人類にどのような価値を与えるのでしょうか?勿論、彫刻などもその類いです。

 勿論、その中には古代の壁画や彫刻のように歴史的価値(これは学術的な意味として)がある事は理解できますが単純にそれらは時間軸を無関係とすれば芸術的価値だけと言う事になります。

 芸術的価値とは一部のそれを評価する人間にとって価値があるという事で万人にとってではなりません。それでは万人共通の価値とは何なのでしょうか? という事になります。

 つまり、換金性が伴うかどうかという事が精神的な事を別にすれば価値という事になるのでしょう。一部の人間に対してであれ換金できる事が価値という事であればほとんどのものに価値があるという事になります。

 さて、ダイヤモンドに話を戻しますが金は100%とのに近い率で価値を測る事はできますが、絵画などの価値は一部の人にしか解りません。それではダイヤモンドはどうなのかというと限りなく金に近い価値という事になると思います。人の査定によって違うといっても一定の基準を前提にすればその価値を測る事は出来ます。

 そういった意味で言えばここ数十年でダイヤモンドの価値は確立されたといってよいでしょう。サザビーやクリスティーのようなオークションから一般的なオークションそして買取業者の類まで入れると換金の形は出来たといってよいでしょう。

 ただし、どの様な品質や大きさがより効率よく価値が測れるかという事やより公平に価値判断がされるかという事になると其々が判断した場所に持っていく必要があります。

 『高価』『非必需品』『小さい』物が何故に数百年もの間、価値あるものとして存在していたのかそちらの方が信じられないでしょう。

 権力や富の象徴としての役割は延々と続いているとは思いますが、経済的価値という物もダイヤモンドによって確立されたものが多くあると考えています。

 その他の物で象徴的な役割を現代に残すものはほとんどありません。必需品であっても原形を残したり形を残したもの文明の進化とともに残っているものはほとんどありません。

 反面、ダイヤモンドは時代を超えて必要なものとして残っており、価値があるものとして判断されています。後はそれを扱う人間のレベルがはっきりするのを待つでけなのではないでしょうか。

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