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2012年7月23日月曜日

ダイヤモンドセミナー。

 昨日、一昨日と近かった友人がなくなり通夜、告別式に参加をしてきました。
なくなった彼女は二十年近く前にとある寿司屋で知り合い、意気投合し、その後旦那の方ともゴルフ等をする中になり近しくしてきました。

 十年ほど前に2ctのハート型のダイヤモンドが欲しいととのことで手配をした事があり、2個用意をしたダイヤモンドは彼女の好みと私が勧めたものは違い、結局彼女が選んだものになったのですが後日

『なぜ、和さんがあちらの方を勧めたのかが解るような気がします』

といってきた、後日といっても数年経ってからの事でした。
 
『解ってくれたの?でも大事にしてね』

 この会話が昨日のように甦ってくるのはダイヤモンドがそこに存在するからであり、今では彼女の選んだダイヤモンドが頭の中を巡っています。

 ダイヤモンドを見せるそれまでは個性のある物を好む彼女にはそれ向きのダイヤモンドをと思っていましたが、彼女がそれを見ている最中の会話やデザインを聞いて

 『こちらの少し小さめの方がよいと思うよ。デザインによっては後で飽きたり、気持ちに引っかかってきたりするからね』

 『でも、私はこちらの大きく見える方がいいわ』

 このような会話で彼女の選んで方を買い求めて貰いました。

 今ではきちっとダイヤモンドには精神的な作用も後で働く力や魅力がある事を伝えるべきだったと後悔しています。ダイヤモンドにはグレーディングレポートや見た目だけではない価値や作用がある事を、その時点ではあまり告げる事は好ましくない事と思っていました。

 明日、行われるセミナー兼食事会では勿論ダイヤモンドの物理的価値と共に、恐れずダイヤモンドの総合的価値を伝える事を心に命じ、情緒や感性から見たダイヤモンドの価値や魅力についてもお話しをする際にお勧めできないダイヤモンドもある事の説明もすべきと考えています。

 亡くなった友人との間で交わされた会話を思い出します。
『私は子供がいないので、もし将来私が先に亡くなるような事があれば和さん私の持っているダイヤモンドをお金に換えて恵まれない子供たちに寄付してあげてくださいね。』

『馬鹿な事を云うんじゃないよ。順序からいってもこちらが先だよ。でもいい考えだとは思うよ』

 『そうなの、生きている間は自分で楽しんでそれが将来恵まれない子供たちの役に立つと思うとダイヤモンドの買いがいがあると思うんですよ』

 『そうだね。将来そういう事が普通に行われるようになるといいね。それもダイヤモンドの魅力だからね』

 会話を思い出すたびに最初にセミナーでお話をしようと思っていた事と中身が変わるかもしれないと思うとともに触れないでおこうと思う気持ちが錯綜します。

 しかし、間違いなく自分の中に変化があるとは考えています。有る意味では明日のセミナーに関して期待感もあり、不安感も有りです。講師がこんな事を云っていてはいけませんが・・・、。

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