1975年、それまで勤務をしていた輸入商社を退社し、アメリカに渡りました。それまで勤務をしていた会社でも輸入時計から貴金属まで色々な経験を積ませてもらい、目から鱗の事が多くなるほどといった経験を随分させてもらいました。
ヨーロッパジュエリーなどはまだほとんど国内にはなく、それを担当し、全国を回った時には
『なんでこんなおもちゃみたいなものが何百万もするんだ!!』
等と随分きつい言葉を投げかけられました。
今でこそジュエリーやらしきものが多く存在し、ガラスやおもちゃまでジュエリーなどといわれている時代ですが、当時は輸入品のジュエリーなどはほとんどの人が見た事がありませんでした。
その中で大きなイヤリングの存在やブローチの存在意義を学ぶうちに、なるほどという事が多く今でもそれらの経験が生かされているように感じます。意味があって存在している物はその存在意義からあまり離れると売る事さえ難しく感じます。
例えば大きなイヤリングは日本では
『こんな重いものをどうするの?』
等とよく聞きますが、ヨーロッパなどではパーティーなどでほんの数時間するものですから大きくても重たくても問題ないのですが日本では販売員も
『ずッーと付けたままで大丈夫ですよ』
などと売らんがためのトークを展開するのでその印象が強くなって、普段付けが当り前の感じになっているのでしょう。
ダイヤモンドに関してもそうですが、私が渡米前にいた会社ではダイヤモンドの取扱量も日本で1,2位のレベルにいましたが婚約指輪が主流だった事もあり、小さくても良質(当時の常識で)なものを取り扱うというのが当たり前でした。
渡米をしてビックリしたことはスーパーに毛の生えたぐらいの量販店のジュエリーコーナーに沢山の2ct、3ctのダイヤモンドが所狭しと並んでいた事です。やはりアメリカはすごいなあ―・・と思う半面、なんでこんなに黄色いダイヤモンドばかりが並んでいるんだろうと感じたものです。
今、考えてみると当時日本では私が在社したところなどが率先してグレードを全面に押し出して販売をしており、それが売りになっていたのです。勿論、価格の違いを説明をする為についており、現代のように価格競争をする為についていたのではありませんが、グレードが優先されていた事は事実です。
売り場にいた販売員に
『大きいけど、黄色くてあまり質が良くなさそうなのばかりだね』
といった小生に
『折角つけるのに小さければ意味がないと思うし、予算がなければ何かを納得しなければいきけないでしょ。貴方はお金があるんでしょうから有名宝石店にでも行って白くて品質の良い物を買ったら?』
と皮肉交じりに答えあられたのを鮮明に覚えています。
なるほど国によっては重要な事も変わってくるものだなと思い、その後もダイヤモンドを通してあらゆる経験をし、その都度ものも見方が変わってきた事も思いだします。
小生も一定の年齢を迎え、多くの人よりも経験も積んだ部分もあり、また満ない部分もあると思いますが、ダイヤモンドという自分の経験を測る定規が常に横に有った事は恵まれていると心から思っています。
ダイヤモンドだけに関してですが、それらの経験を通じて、やはり4C一辺倒の販売方法や価格競争は本来の価値を失して、なおかつ消費者に本来の価値を伝えていないと寂しさを感じています。
最近ブログを読んで頂いている方も増え、高木流のダイヤモンドの楽しみ方やもち方を少しづつお理解を頂いて、コンタクトを頂いている事に感謝をしております。
ダイヤモンドの本当の価値を知り、本当の持ち方をご理解いただけるのであればこれ以上の喜びはないと思っています。私自身が経験をして何を大事にする事が本来の価値であるのかをお話しできるだけの経験と知識と年齢を経てきたと思っています。
ダイヤモンドは時代、時代により物の見方を変えてくれた小生の年表でもあります。ダイヤモンドに関わらず経験を刻む標を人生に持つ事は大事だと思います。
ヨーロッパジュエリーなどはまだほとんど国内にはなく、それを担当し、全国を回った時には
『なんでこんなおもちゃみたいなものが何百万もするんだ!!』
等と随分きつい言葉を投げかけられました。
今でこそジュエリーやらしきものが多く存在し、ガラスやおもちゃまでジュエリーなどといわれている時代ですが、当時は輸入品のジュエリーなどはほとんどの人が見た事がありませんでした。
その中で大きなイヤリングの存在やブローチの存在意義を学ぶうちに、なるほどという事が多く今でもそれらの経験が生かされているように感じます。意味があって存在している物はその存在意義からあまり離れると売る事さえ難しく感じます。
例えば大きなイヤリングは日本では
『こんな重いものをどうするの?』
等とよく聞きますが、ヨーロッパなどではパーティーなどでほんの数時間するものですから大きくても重たくても問題ないのですが日本では販売員も
『ずッーと付けたままで大丈夫ですよ』
などと売らんがためのトークを展開するのでその印象が強くなって、普段付けが当り前の感じになっているのでしょう。
ダイヤモンドに関してもそうですが、私が渡米前にいた会社ではダイヤモンドの取扱量も日本で1,2位のレベルにいましたが婚約指輪が主流だった事もあり、小さくても良質(当時の常識で)なものを取り扱うというのが当たり前でした。
渡米をしてビックリしたことはスーパーに毛の生えたぐらいの量販店のジュエリーコーナーに沢山の2ct、3ctのダイヤモンドが所狭しと並んでいた事です。やはりアメリカはすごいなあ―・・と思う半面、なんでこんなに黄色いダイヤモンドばかりが並んでいるんだろうと感じたものです。
今、考えてみると当時日本では私が在社したところなどが率先してグレードを全面に押し出して販売をしており、それが売りになっていたのです。勿論、価格の違いを説明をする為についており、現代のように価格競争をする為についていたのではありませんが、グレードが優先されていた事は事実です。
売り場にいた販売員に
『大きいけど、黄色くてあまり質が良くなさそうなのばかりだね』
といった小生に
『折角つけるのに小さければ意味がないと思うし、予算がなければ何かを納得しなければいきけないでしょ。貴方はお金があるんでしょうから有名宝石店にでも行って白くて品質の良い物を買ったら?』
と皮肉交じりに答えあられたのを鮮明に覚えています。
なるほど国によっては重要な事も変わってくるものだなと思い、その後もダイヤモンドを通してあらゆる経験をし、その都度ものも見方が変わってきた事も思いだします。
小生も一定の年齢を迎え、多くの人よりも経験も積んだ部分もあり、また満ない部分もあると思いますが、ダイヤモンドという自分の経験を測る定規が常に横に有った事は恵まれていると心から思っています。
ダイヤモンドだけに関してですが、それらの経験を通じて、やはり4C一辺倒の販売方法や価格競争は本来の価値を失して、なおかつ消費者に本来の価値を伝えていないと寂しさを感じています。
最近ブログを読んで頂いている方も増え、高木流のダイヤモンドの楽しみ方やもち方を少しづつお理解を頂いて、コンタクトを頂いている事に感謝をしております。
ダイヤモンドの本当の価値を知り、本当の持ち方をご理解いただけるのであればこれ以上の喜びはないと思っています。私自身が経験をして何を大事にする事が本来の価値であるのかをお話しできるだけの経験と知識と年齢を経てきたと思っています。
ダイヤモンドは時代、時代により物の見方を変えてくれた小生の年表でもあります。ダイヤモンドに関わらず経験を刻む標を人生に持つ事は大事だと思います。
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