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2012年9月22日土曜日

ダイヤモンドの意味!?

 昨日、お取り引き先との会話で

『贅沢品に回すお金はないという人が圧倒的ですね。』

との会話でといった内容であった一方で他の取引先は

『高額品は売れますね。むしろ安価なものは売れないし、いずれにしても格差社会は思っている以上に差が激しいという事ですね。』

といった会話ですが、勿論ダイヤモンドに対する小売店さんの声です。

 多くの業界の人たちが感じている声だと思います。今まで贅沢品の最たるものとして売ってきた結果であり、それは当り前だと思っていたと思います。

 生きていく上で、食べて、飲んで、寝てといった最小限の当り前のことだけで現代人は生きていけるのかといえばそうではないとおもいます。

 食べるものには味があり、その中に嗜好があり、飲んで喉を潤すだけではなくやはり炭酸が入ったり味があったり、寝るにも寝心地を追及したりと人は『丁度の良さを』を追及していく事も生きていく上では必要な事だと解っています。

 ダイヤモンドは贅沢品と見られるようになって久しい。でも、その前にそう美しさや神秘性が人の感性に何かを訴えたからここまで存在をしている。

 香辛料はその昔、金より高く、勿論ダイヤモンドより高いものとして流通していたのは皆が知っている事だと思います。勿論この時点での香辛料が贅沢品である事は理解が出来ます。なぜなら、香辛料は人によって好き好きもあるし他の調味料等も多々あります。

 贅沢品となんだろうか?

 生きていく上で必要のない物と定義が一応に出来るだろうか?

 これも難しい問題です。人にとって贅沢なものが別の人には必要なものだったりしますし、場所によってもそれは違うでしょうし、時によっても違います。

 それでは今の時代にダイヤモンドは贅沢品なのだろうか?

現代のような人々の絆が薄弱で親子さえ殺しあうような時代は戦国時代を除いてはなかったと思いますが、絆をある部分で証してくれるダイヤモンドと定義付けをした場合にこじつけといわれるかもしれないけれどもあえて言いたいと思います。

 過去の歴史においても大なり小なりダイヤモンドは絆なり縁なりを表現してきたものである事を・・。

 婚約指輪、おばあちゃんの形見、両親から成人式のプレゼント等あらゆる場面でダイヤモンドは絆や縁を演出してきました。ただ業界の売り方が知識のなさからマニュアルに頼り、売り方が偏ったために贅沢品の位置に追いやられたのだと考えています。

 人が生きていく為には空気があって食物があって水分が取れるだけでは生きていけますか?
だったら、レジャーも入らないゲームも入らない(本当に要らないと思っていますが)レストランも携帯電話も何もいらないのです。何もかもいらないのです。

 でも現代の経済は一見、無駄に見える贅沢品のような物で経済も回り、世の中も回っているのです。それらの中でダイヤモンドは贅沢品ですか?

そうではないとあえて言いたいのです。

 私達ダイヤモンドビジネスに携わる人間は一次的には『夢』と『希望』と愛しむ心を提供しています。そこにはダイヤモンドの尊厳を説く心とその役割を担うことが大事なのだと考えます。

 大げさに宗教がかった事を云いましたが本来はそこに起源があるのだという事を忘れないでもらいたいのです。現代は価格や経済が絡み合っているし、それも事実です。

 そして、それも否定するつもりもありません。ただ、そちらの方だけを主にしてほしくないという事ともう一度ダイヤモンドの意味を考えてみると冒頭の悩みは解決が出来るかもしれないと思っています。

 



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