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2016年12月27日火曜日

ダイヤモンドの価格⁉

 最近では幾ばくかの価格下落の情報が入ってくることがあります。確かに2ctsの上質のもので上代が1千万円を超え、5ctsに至っては1億円を超える価格は異常ともいえるかもしれません。そんな中で価格下落の情報は上代に何かの影響を与えるのかというと意外とそうでもないです。それは物が足りないからともいえるし、市場が要求するようなものがないとも言えます。

 確かに多くの人が心配するようにそんなに高くなった嗜好品をだれが買うのかという事も言えるし、高いから別の価値もあるといえます。ただ100年余り前公務員の給料が5円ほどだった時に1ctのVVS-VS,D~Fカラーもので450円くらいだったとされています。つまり、公務員の給料の90倍ほどだったわけです。今であれば平均給料が30万円とされていますからその価格は約2700万円となりますが、実際には現状で百貨店の価格で300万円ほどでしょう。

 ダイヤモンドがいくら価格が上がっても給料、物価水準を考えると長い年月で見ると決して高くなりすぎたという事はないのです。大正時代の公務員の給料平均は明治の10倍に当たる約50円といわれています。それに対して1ctのダイヤモンドは8500円ほどだったと推定されます。丁度デ・ビアス社がダイヤモンドのコントロールに失敗をし、最初の倒産をした頃です。勿論この価格は庶民に手が出るどころか、存在自体も気にしたことがないという状況は明治時代とは差が大差がないころです。

 明治の文豪尾崎紅葉の『金色夜叉』の中でもダイヤモンドを高価な金持ちの象徴として『ダイヤモンドに目がくらみ』という一説は有名ですがそれほどにお金持ちの象徴だったのでしょう。

 それが昭和に入り戦争を経て高度成長、バブル期を迎えるとお金の価値がダイヤモンドの価格を抜いていきます。そのころからは1ctどころか2ctsもしくはそれ以上のものが民衆の手に入る価格になってきました。

 現在民衆の手に入る価格からは遠退いていますが、いずれそのバランスが整ってくることになるのでしょう。つまり、ダイヤモンドというものは長いレンジで考えなければいけない典型的な物なのでしょう。それでもダイヤモンドにとっては瞬間的なことでしかないのです。もし投資として考えるのなら最低10年もしくはそれ以上を考えなければいけないし、また、子孫への財産保全というくらいの考え方になるともっとダイヤモンドの特性が生かされるでしょう。

 決して長い目で見るとダイヤモンドの価格は下がってはいないのです。

 もちろん、これらの話は一定以上の大きさでそれなりの希少性があることを前提としていますが・・・。
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2016年12月26日月曜日

クリスマスを終えて⁉

 今年といわずここ数年のクリスマスの盛り上げに欠ける印象を持っているのは私だけでしょうか?

 あっという間にクリスマスが終わって何の盛り上げもなく終わった割にはそこいらじゅうでイルミネーションの競演。確かに綺麗なのであるけれど何か違うような気がします。

 以前はそのぞれの手作りというか準備をすることにより盛り上がってきたような気がしますが、今は企業や自治体がデコレーションをしてそれを見て何気に終わってしまうような気がします。これらもデジタル化の影響なのでしょうか。

 数週間前にアメリカの大学の研究機関の発表で『ここ20年の若者の右脳が縮小を始めている』というものがありました。その要因に考えられることは何事もネットの検索で用が足りてしまうので自分で調べて検証をするという行為がなくなっているからだという事でした。つまり、検索をし終わって忘れてもまた検索をすればよいという事で物事を知ることに対しての積み上げがないという事らしいです。そのための右脳の縮小だそうです。

 プロセスという事は何事においても大事なことでその途中で気が付いたり、考えたりといった作業が生まれるわけです。それが現代社会ではプロセスが軽んじられているがためにその段階から湧き出てくる盛り上がりに欠けてくるのではないかと感じています。

 餅つきにしてもお米を蒸して、練って、突いてという段階があるから餅つきも盛り上がるんでしょう。それが今は何事も段取りが組まれて目の前に現れるためにそのプロセスの段階で創り上げられる情緒というものが欠けてくるのではないでしょうか。

 クリスマスに関わらず正月にしても春先の花祭りやその他の年間イベントが次々と形骸化していく様は日本人から感性や情緒を奪っていくような気がします。

 宝石業界においてもこの十数年それらのプロセスを無視し、価格競争に明け暮れていたために今の現状です。宝石から情緒がなくなればほとんどの価値の意味が失われます。啓蒙活動やプロモーションといった形だけではなく販売形態の陳腐化が今の現状を表しているのでしょう。

 グレーディングなどもある種のデジタル化です。目で見た美しさよりもグレードの文字の印象のほうが強くなるような販売方法に明け暮れてきた結果素人同然の販売員を生み、怪しげなグレードで鑑定会社が倒産したりと宝石のはんばいに対してその価値とは逆のプロモーションを行ってきた結果でしょう。

 今後はどのようなアナログ化を残すかによってビジネスの価値も決まってくるのでしょう。
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2016年12月24日土曜日

人々⁉

 小さいころにわが故郷に『人々』という喫茶店がありました。当時喫茶店なる物はそこにしかなかったので多くの人でにぎわっていたことを覚えています。

 今日クリスマス・イブはオフィスのある自由が丘の有名店の店先には多くの人々が列を成しており、クリスマス・イブを実感させられます。実際においしいお店、そうでもないお店、スイーツのお店、ホットケーキのお店、ケーキ屋さんと、どのお店を見ても大勢の人々が並んでいます。

 これらの人びとは嗜好性が一緒なのか、単なる話題で集まっているのかはわかりませんがこれらの人々の評価が将来のこれらのお店の結末を決定つけるのでしょう。現実には自由が丘というところは厳しいところで開店当初列を成していたお店が一年後には閉店をしているという事はよくあります。

 実際には地元の人よりも地方や地域外からくる人々が多く、地元の人々はむしろ休日や週末には出かけないというケースが殆どです。それ故に人々の評判は自由が丘のみならず全国に広がります。

 宝飾品の展示会などでも集客の多いところ、よくないところと色々ですが、集客が多いという事と少ないという事は必ずしも売り上げに比例しないという印象を持っています。集客が少なくても売り上げが多いところもあれば、集客が多くても売り上げに苦心をしているところもあります。

 集客が多いという事は来ている人々は媒体でもありますから評判も広がれば、悪評も広がります。もし悪評が広がれば集客が多いこと自体がネックになります。その場の売り上げではなく、接客の良し悪しが売り上げに響いてくるのです。

 実際に集客が徐々に悪くなっていく場合は多くの場合は悪評が広がりつつあるともいえるのです。多くの場合当事者は景気や世間のせいにする場合が多いのですが、実際に評判が良ければ新客が増えていくものです。

 特に集客が多い場合には外で立つ評判をもコントロールする意識が必要なのです。そしてそれは個々ではできないので会社自体の方針として行われなければならないのです。

『人々』の評判というものは実に恐ろしい敵にもなれば、頼もしい味方にもなるのです。それは当事者たちの自覚次第なのです。
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2016年12月21日水曜日

ダイヤモンドの価格の現状⁉

 昨今、大粒の原石やファンシーカラーダイヤモンドが高額で落札をされたニュースが流れていることはよく話題にしていますが、現状はどうなのか?いわゆる一般商品としてのダイヤモンドの価格はどうなのか?

 ある程度のレンジで見れば大粒のダイヤモンドに関していえば上昇をしてきました。しかし、昨今10ctsのサイズの最高品質のところの下落だったり、小粒サイズに至っては供給がなされていないにも関わらず価格の上昇がなかったりと過去あまりなかった現象が続いています。

 大粒に関してはここ10年価格の上昇が行き過ぎた調整段階にあるとも言えるでしょう。後がGIAをはじめ多くの鑑定機関のグレード調整が度を越していたことも要因にあるとも思います。
GIAそのものは調整をしていないといっていますが、支店が増えることによるそのグレード差は否定しようがないと思っています。

 また、小粒のサイズン関しては景気の低迷や多く国でのライフスタイルの変化にダイヤモンドビジネスが対応をしていなかったことが最も大きな要因になると思います。

現状のマーケットを見れば一部の部分を除けば価格の低迷という事ができるでしょう。過去であれば今が買い時という判断も付くのですが現状では必ずしもそれは言えません。要因の一つに取引所をはじめ多くの部分で取扱者の素人化があります。音痴な歌手みたいなものでダイヤモンドそのものを見ることのできない人間が多く関与するようになったのですが、これはダイヤモンドがグレードによりマニュアル化できるといった勘違いがあります。

 マニュアル化自体はその持ち込みの一部を担った人間としてすで手を否定するものではありませんがそれはあくまでもユーザーに対するものでプロに対するものではなかったのです。野球観戦するのにルールを知っていたほうが良いのでそれを知らしめただけでプレーヤーそのものがルールを知っているでけでは不十分なのは当然です。

 価格がいろいろな要因があって決まっているという前提がダイヤモンドの付加価値を決め、価格の攻勢を行ってきたわけですから解りやすいような勘違いが価格の低迷を招いているのでしょう。つまり、お金を払うほどのプレーを見せていないという事です。

 今後の展開としてどうなっていくのかというとある程度の下方調整がさらに続くと思いますが一定の喫水線を迎えたときに一度安定をし、さらなる緩やかな上昇線を迎えることになるでしょう。ただし、その期間は断定できないし、急上昇が起きる局面もある意かもしれません。

 一定の期間を考えたときにはやはり上昇でしょう。それは経済要因がある限り確定をしているといってもよいでしょう。

 ダイヤモンドがこの状況ですから色石に関しては何をかいわんやです。カラーストーンに関してはいまだに催事等で値上がり等の販売トークを繰り広げています。立場が変われば詐欺ともとられないような販売方法を早めに是正することが望まれます。
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2016年12月20日火曜日

これからのダイヤモンドの視点⁉

 先日邦画『海賊と呼ばれた男』をみてきました。出光石油の創業者出光佐三の物語ですが、今の現状の出光石油の問題を考えると、創業者の理念よりサラリーマン役員たちの理念のなさを感じることは無理もないかもしれません。

 体制よりも国を憂い、体制よりも社員を思う精神的強さというか支柱としての役割を改めて感じた次第です。現代において多くの業界団体や協会が衰退していく姿はこの映画を見ることにより反省すべき点が多々あるように思われます。

 現代においてはどこかの親睦団体に入り政治を動かそうという時代錯誤的な感覚はIT関連の業界においてはほとんど意味をなさないという事です。もし、そうであればソフトバンクの孫氏や多くのIT関連事業主は今の地位を手に入れることはなかったでしょう。楽天の三木谷なにがしは別ですが・・。

 先日の展示会で男性のお客様と話をしていて大きなダイヤモンドはそんなにもうそんなには買えないという話から自分で付加価値を創れないものかという話になりました。たまたまインテンス・イエローのメレダイヤ70ピースほど所有をしていたものをシャンパングラスの形を形成させたものをご覧になりながら『これ面白いね。』と言いながらしげしげと眺めておりました。

 昨何末には0.1~0.7ctほどの大きさのロットで蛍光性が青はもちろんの事黄色、オレンジ、黄緑、ピンク等々のダイヤモンドをお求めになりそれでクリスマスツリーや花火をかたどって楽しんでおられた方なので、そのシャンパングラスには目を輝かしておりました。

 『高木さん、こうゆうのばかりを集めるの楽しいね。』

『それは楽しいですよ。ただ、なかなか集めることは大変ですけれどね。なんせ小さいといってもファンシーカラーですから。』

『でもこんなものだけを集めていたほうが楽しいし、付加価値もあるでしょ。』

『もちろん一組ぐらいではそれほどでもないけれどこれが何十組ともなれば話は別ですよね。』
と私が言うと
『よし、それでは今後は高いものは買えないけれど一組百万円くらいでそんなものがあれば集めよう』
と言いさしたのです。
『もちろんそれが50組も集まればそれなりの価値は出てくるでしょうね。集めるのには時間がかかるし、国内の普通の百貨店や小売店さんでは集まらないでしょうからね。』

 私自身もかつて60pcsほどの0.1ctで60種類のカラーバリエーションでダイヤモンドを集めたことがあります。しかし、ほとんど毎月かいがいの取引所を回っていた時でさえ、集めるのに20数年をかけました。勿論ついでに集めていたこともありますが・・・。

 ただそのことが今後の付加価値になっていくことも自覚をしていましたがなか中をそれを始めることはできませんでした。これ御機会に少し考えてみようとも思っています。また、昨日ゴルフをしながら知人と話をしていたのですが知人が
『50ctsくらいのダイヤモンドを持つとそれなりに財産にもなりますか?』
という疑問に
『最近では10ctちょっとくらいのブルーやピンクが数十億円単位で動いています。もし真剣に考えるのなら50ctsを10個集めることをお勧めします。何故なら平均するとトップランクでなければ2億円前後で50ctsのものが手に入ります。つまり、20億円前後で10個くらいが手に入るわけです。』
と私が言うと
『それはおもしろいですね。付加価値が増しますものね・・・。』

『ただし簡単に手に入れることはできないし、集めていることが知られると根が動き始めるでしょうね。いつものセリフになりますが、金持ちよりダイヤモンドのほうが少ないのですから・・。』

 こんな会話があり、前述のカラーダイヤモンドや後述の大粒のダイヤモンドの件は明らかに新たな視点でダイヤモンドの付加価値を創り始めなければという供給者としての提案でのあるわけです。ダイヤモンドそのものの付加価値だけでは今の現状を乗り越えるのは難しいのではと考えているのです。

 現代において何の業種においても出光佐三のような突進力と仲良しクラブを良しとせずに本懐を見つめ、目先ではなく物事を創り上げていく心構えが必要なのでしょう。
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2016年12月16日金曜日

ダイヤモンドの構造変化⁉

 今回のイスラエルの出張でのことですが、取引所の中で多くの人々が口にしていた言葉が『ダイヤモンドのビジネスモデルの変化』という言葉です。

 以前からの4Cを中心にしたダイヤモンドビジネスの限界が来ているという事です。私自身も感じてはいることですが4Cに対する誤解が作り上げたマーケットがあまりにも大きくなりすぎたことによる4Cビジネスの経年劣化です。

 今、取引所にいてもプロフェッショナルの存在を感じることがありません。グレーディングレポートとダイヤモンドを持って歩き、ただこのグレードでプライスレポートの『何%ビロー(マイナス)だよ』
と持って歩くだけですからプロがいらないわけです。つまり、小学生でもできるビジネスになっているわけです。

 原石の個々の価格は違うわけですから、グレードで一律に価格を決められたら供給側はたまったものではありませんが、そうしなければ今のバイヤーたちもダイヤモンドの価格が解るわけではないので商売にはなりません。多くの人々がビジネスから立ち去るわけです。

 以前であれば、ある程度の経験が必要であったビジネスですが、そのを一律にしてしまったことによりビジネスの醍醐味はなくなり、又『ダイアモンド・ドリーム』も起こりにくくなったわけです。

 一方景気の低迷も手伝い小粒のダイヤモンドのマーケットは縮小し、ブライダルやファッションの世界で需要の多かったサイズは今はそれほどの需要がありません。しかし、一方では世界の富裕層の変化により大粒やファンシーカラーの高騰は止まりません。今年だけでもニュースになったファンシーカラーのオークションにおける落札額は驚異のペースです。

 最終マーケットからの影響による川上のダイヤモンドビジネスにおける影響や変化そして流通の変化は近年まれにみる変化でダイヤモンドインフォメーションサービスが行っていたキャンペーン以来の変化といってよいでしょう。つまり40年から50年ぶりの変化です。

 もちろんマーケットの影響を受けることは常ですが、ダイヤモンドの場合は本来供給側が作り上げる情緒により価値を上げてきたビジネスですから、ここまで最終マーケット(消費者というより末端の販売員)の影響を受けたスタイルになると今後は新たなビジネスモデルにならなければダイヤモンドのビジネスの存在そのものが危うくなるでしょう。

 これらは末端の販売員の教育までもが4Cという安易な方法で行われてきたしっぱ返しともいえるでしょう。川上から川下までが素人で出来るビジネスであればそこにビジネスとしての存在価値はありませんから今後は変化をしていかざるを得ないのでしょう。
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2016年12月8日木曜日

白と黒との間に⁉

 ここ何回かカジノ法案なる物にふれていますが昨日の国会でのやり取りを見ていて『エッ‼』と思うような発言がありました。それは蓮舫民進党代表の
『カジノ法案のまずいことは負けた分が利益だからです。』
という発言でした。

 気持ちはわかりますがその論理でいったならば世の中のほとんどの事を否定しなければいけません。勿論宝くじ、公営ギャンブルをはじめ大きな意味ではビジネスの中にはそれを前提にしたものも多くあります。

勿論、カジノ法案に懸念する材料も多々ありますが、世の中というものは闇のないものはありません、それ故に法律というものがあるわけです。だからこそ立案をする国会議員たちには明朗であることが要求されるわけです。

 どんなに綺麗事を言っていても人間という生き物はアダムとイヴの時代から好奇心というものがあり、それは必ずしも正義といわれるものではないかもしれません。しかし、その中の悪といわれるものから新たな人類に利益をもたらすものも出てくるのです。

 以前にも書いたことがありますが、人間の頭の中には哲学的に『白か黒か』という考え方がりますがほとんどの人間は間のグレーの部分で物事を考えます。つまり、善悪は分かっていますがこの中から如何に物事をうまく進めるべく選抜をするかという事を考えるのです。

 出てくる結果が悪であっても求めるものがそれ以上の善であれば人間はそれを選び進歩をしてきたのです。勿論、何事も過ぎてはいけないのでそこに法律というものがあるのですがそれも過ぎてしまえばやはり結果も出ないのです。

 今回カジノ法案が成立をされ、これらの事業に政治家や官僚が入ってはいけないという事を以前書きましたが、法律を作る側がこの利益を得ることに参加をすることは悪への指針が傾くことになるからです。

 ここで言いたいことは人間社会というものは悪という暗闇が善という明るさを際立たせ、明るさという善が悪という暗闇を照らし出すという事です。つまり両方ともに世の中には存在し人間其れを前提に成り立っているという事です。

 スマホもある人から見れば悪ですが、ある人から見れば便利グッズです。車も電気もすべてにおいていえることです。

 ビジネスというものはある部分で黒と白の間の塩梅で成り立っています。黒寄りになりすぎるとなり立たず、白寄りになりすぎても成り立たず、限りなく幅広い灰色の中でなりたっているものだという事です。
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2016年12月7日水曜日

時代とともに⁉

 イスラエルのラマット・ガンにダイヤモンドの取引所ができてから既に30年以上が経とうとしていますが、その前はテルアビブの北に40分ほど行ったナターニアという町で多くのダイヤモンドビジネスがおこなわれていました。建国前のイスラエルの前身であるパレスチナの市長がオランダからダイヤモンドの研磨職人であるユダヤ人を募ってきて開いた街でもあります。皮肉なことに今はユダヤ人のイスラエルの国の一つの街になっています。

 多くのダイヤモンドに携わる人々は今でもこの町からダイヤモンド取引所のあるラマット・ガンに通ってきています。それゆえに幼いころからの仲間たちがこのビジネスを形成しているところがあるのです。

 過去にはオランダのアムステルダムや米国のロサンゼルスもダイヤモンドの街として栄えていましたが、今ではその面影もありません。アントワープもかつての勢いはありません。イスラエルにきて最近感じ入ることはこの国のこの町も歴史の役割を終え始めてのかなあ・・ということです。

 多くの人々がこの業界を去り、研磨をする量も以前ほどではありません。取引所の中なども閑散としているような気がします。勿論まだ人は多くいるのですが一時は取引所の中が立錐の余地もないというようにさえ感じたものです。

 インドやアフリカでの研磨も増えその他の国でのダイヤモンドビジネスの変遷を考えるとそろそろ別のスタイルも考えなければならないのかなとも感じます。勿論未だに規模は世界最大ではありますが・・・。

前回も書きましたが、町の中もナンチャッテ寿司バーや、昨日は豚のバーベキューを食べに友人とレストランに行ったことを考えると以前ではありえない話でした。ユダヤ人の中の宗教観も少しづつ変わってきているのでしょう。いずれにしても私にとっては特別な国なのであと何回来るのだろうなどと考えてしまいます。
 
 
 
 
 

2016年12月5日月曜日

変遷⁉

 今イスラエルにいるのですが街を歩いていて今までとは違う感じを受けます。

 もちろん周りは騒々しいのですが、ことこの国の国内においては平穏というか新たな変化に向かっているような気がします。それは町中のいたるところにナンチャッテ寿司バーが出来ていることやユダヤ人が本来宗教上口にしない豚肉のバーベキューのレストランがあったりと以前では考えられないような変化に気が付きます。


 もちろん彼らはエビや貝類なども同じように口にしないはずなのですがやはり寿司バーにはあります。これらの変化を良いものとするのかまずいとするのかはそれぞれの考えだと思いますが、今起こっているイスラム原理主義やのイスラム国などの問題とは違い、宗教に対する考え方がすこし変わってきたような気がします。

 もちろんイスラム教やキリスト教なども時の指導者により都合よく変えられてきた歴史を持ちますからそれ自体は不思議なことではないのですが、根幹が変わってきたように思います。もっと言うなら宗教の終焉が近づいてきたような気がします。一定の役割が終わったのかもしれません。

 ただし、人類の変化とともに失われていくものがあることは致し方がないと思いますが前回書いてようにAI(人工知能)の支配に向かっていくようなことはちょっと違うような気がします。今の行き過ぎた環境の揺り戻しが今世界中に起きているナショナリズムに近い各国首脳の交代なのかもしれません。

 やがて答えが出てくるとは思いますが進化とともに退化するものの選別を我々はしていかなければならないのかもしれません。情緒というものは過去に創り出され現在に伝承されているものに感じるものだと思っています。それが失われていくことは付加価値ではなくて計算上の数字が答えになっていく時代を肯定するものかもしれません。

 人間の中にある感情や情緒というものは決して失ってはいけないものでそれは人類にとっての余力であり、それを失うことは最終的にAIだけが存在をすればよいということにもなります。

 そうなれば宝石業界どころか付加価値や情緒を前提とした仕事は何の意味もなさなくなります。
それゆえの手間暇というものはおしんではいけないし、極端な揺り戻しの論拠となるようなこと看過してはいけないような気がします。

 大げさな言い方かもしれませんが、日々本質的なことを無視しながら利益を追う行為は結局は破滅に向かう工程なのでしょう。

 もちろん一定のものが時代とともに役割を終えていくことを否定するものではありません。
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2016年12月3日土曜日

早朝の羽田空港⁉

 これからイスラエルに向かうために早朝の羽田空港にいますが、まだ早朝5時ということもあり乗客も少ないのですが、あまりにも少ないという感想です。

 以前であればこの時間は昨夜からの深夜越え乗客がそこらじゅうで寝転がっていたり、早朝にもかかわらずチェックインカウンターは長蛇の列でもありました。しかし、今回はほとんどカウンターのオープンにもかかわらず人がまばらです。

 いつも同じ時間にこの空港に現れて何時ものフライトに乗るので、ここ数年同じことを繰り返してきた私には少しの違和感があります。景気の表れなのか、はたまた、たまたまなのかわわかりませんが、違和感はあります。

 昨日カジノ法案も通り、反対派からいえば世界のカジノは低迷期を迎え、過当競争の状況にあるので如何なものかということを言っていますが、それは違います。どんな状況になっても人間の欲望というものは人の正論だけでは解決ができません。現に日本のパチンコ業界はむしろ不景気の時に活況を呈しますし、宝くじという大きなギャンブルもやはり低迷期に売り上げを伸ばします。

 ましてやカジノ法案は必ずしもギャンブルだけを指すわけではありません。その周辺の産業、例えばコンベンション、エンターテイメントと世界の中心になる手段がたくさん内在しています。単にカジノ法案というだけで反対をしている民進党はしばらく政権担当は無理ではないかと思うような発言を繰り返しています。

 羽田の状況を見ていてさらにその気持ちが強くなりました。早急な国会成立が待たれますがくれぐれも政治家や役人の関与を少なくすることが賢明であることを改めて書いておきます。自分が稼がないお金の使い方がへたくそなのはもう十分にわかっています。

 ダイヤモンドの状況も徐々に変わってきました。取引所の中でも情報をはじめ港の会話が楽しみです。
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2016年12月2日金曜日

カジノ法案⁉

 いよいよ今国会にてカジノ法案が通過をしそうです。以前から書いていますが成長戦略として今後の日本の道しるべとして必要不可欠な法案だと思っています。

 懸念材料の多くを治安の悪化だったり、ギャンブル依存症の増加等々反対勢力があげています。特に教育者といわれる評論家の人々ですが過去の例を見てこれらの人々がいかにもその場で見れば一見正しそうな意見が実際にはもっと悪化状況になることは過去の例を見ても明らかです。

 治安の悪化にしてもアメリカのラスベガスを見ればわかるようにむしろ反社会勢力の連中もむしろ治安維持には積極的であり、正規の勢力になっていく例が多々あります。又ギャンブル依存症にしてもすでに世界のどの国よりも公営ギャンブルをはじめ非正規ギャンブルは多く行われています。

 いまさら何をといった感じです。今後はこれを前向きに考え、外国からの資本投下や海外からの観光客さらにはコンベンションシティーとして精度を上げることにより、雇用も増え経済効果の兆しは十分に感じられる法案です。もしこれが成功すれば年金も上げる必要性もないでしょうし、このこと自体を利用し、国際ビジネスの機会を創りだすことにより、防衛にもつながる可能性もあります。

 また、住宅地や外国人居住者の住宅整備や東京でいえば湾岸の開発など東京オリンピックなど比較にならないほどの恒久施設や今はやりのレジェンドを創りだすことができるでしょう。さらには外国との交流に機会に子供たちの国際教育や言葉の多様化等々にも役に立つかもしれません。

 もちろん湾岸開発事業等の建設会社やセキュリティ会社等々の株が大幅部位上がることも予想されます。というより確実に上がるでしょう。さらにはカジノで使われるマシン等々の会社やその周辺素材の会社も大きな利益を上げることになるでしょう。世界のカジノのマシンの大半が日本の企業が担っていることはあまり知られていませんが・・。

 もちろん今国会の成立を性急と反対している民進党でさえもこの法案に反対する理由はないと思います。問題はこの工程を運ぶにあたり、また政治家がしゃしゃり出ないことです。政治家が絡むと必ず汚職の土俵になりますので透明化を進め、国民が納得のいくようにすることです。今の政治家の頭で進めてはだめでしょう。

 更には我々宝飾業界においても劇的変化が訪れるのではないかと思っています。そのために暗い部分があってはいけません。あくまでも暗部排除が前提ではありますが人間のやることですから
100%は期待しません。役人や政治家の介入する部分を極力排除をすることが成功の要因になるでしょう。
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2016年11月30日水曜日

餅つき禁止⁉

 最近各地の自治体や保育、幼稚園で餅つき大会等が禁止になっているようです。理由としては餅つきの終わった後に食べる餅にO-157などの病原菌が付いて食中毒などが頻発しているからだそうです。

 O-157などは清潔になればなるほど強くなりより変化をしてくるそうですが、以前はどうであったのだろうかと思います。つまり、生物の基本的原理である強く対応する種族のみが残っていき、対応できない生物は消滅していくという事なのでしょう。

 日本人はどんどん少なくなり、中国人などはどんどん増えていく(決して蔑視の意味ではありません)という現実は日本人のある意味の生物としての役割が終わったのかなと大げさにも考えていきます。

 最近よく書いていることですが『行き過ぎの結末⁉』的なことを考えてしまいます。つまり、『進化とは退化することである』という事でもあり、最近の進化は多くの思考や記憶力を退化させていることは周知の事実です。

 ヴァーチャル経済やヴァーチャル通貨といったものやヴァーチャルリアリティー等のものは人間の実質的能力を超えた動きになっています。人間が作り出したものでありながら人間の能力を超えていっています。。AI(人工知能)などの存在はすでに神の領域に入っているのではないか?そして。これは人類の滅亡の序曲ではないかとさえ感じます。

 冒頭のO-157にしても清潔を突き詰めていったあまりに菌がさらにそれに対応すべくさらに強力になってきたという事は、頃合い良く病気にかかっていた時のほうがもっと病気の発生を抑制できていたという事になるのでしょう。確かに、コレラや赤痢などの病原菌はほぼ消滅をしたかもしれませんが、それよりさらに強い病原菌が表れた来たことも事実です。

 鳥インフルエンザ、サーズなど過去では考えられなかった病原菌が進化をし、さらにはAIが人間の能力を超えるほどの進化をし、人間の役割に終わり勝ち被いたのではないかとさえ思います。

 人間そのものはすでに記憶力、計算力が一部の人々を除いて落ちていることは明白です。アメリカの一部の大学ではPC等の検索力が上がったために人間の右脳の収縮が始まっているという研究結果を発表しておりました。つまり、検索によりすぐに結果が出るのでその過程を精査する能力が失われているのだそうです。

 餅つき大会が禁止となったときに『エッ⁉なんで?』と多くの人が思ったと思います。単に時代が変わったという結論にするにはあまりにも性急です。大きな変化のきっかけにならなければよいのにと思うのは私だけでしょうか?
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2016年11月29日火曜日

VR(ヴァーチャルリアリティ)⁉

 VR元年といわれた今年も間もなく終わろうとしている雰囲気があります。師走に入る前に年の終わりを意識するようになってどれくらい経つのだろうかと思うことがあります。

 子供の頃といわず若いころには今のような時を早さをそれほど感じたことはなかったように思います。それは自身が年を取ったというよりも世の中が全てにおいて前倒しになっているからだと感じています。

 多くのアミューズメント施設はほとんどのイベントは一月前ほどから始まり、そのイベントが終わった頃には次のイベントが始まります。ハロ・ウインのようにたった一日のはずのイベントが一月も前から行われそれが終わると早々にクリスマスのイベントが始まります。

 すべてにおいて実態の歳時記ともいえるものを無視した時間の流れを日々感じることが時間の流れをより早く感じさせるのだと思います。

 実体のない仮想現実(VR)というものが現実の世界を支配始めていることは皆がひしひしと感じていることだと思います。経済、遊戯、金融等々今の周りにあることはどこまでが現実でどこまでが仮想なのか把握もできなくなっています。

 皆が日々使っているインターネット、金銭のやり取り含めてほとんどが実際にはヴァーチャルと言ってもよいのです。実際の貨幣が動くわけでもなく、その確認も実際には画面で見ているだけなのです。

 プレイステーションなどのゲームはもうヴァーチャルと現実の境目がないのではないかとさえ感じます。実際には目の間にいないものをゴーグルを着装することにより体験できるわけです。実際には訪れてはいない外国の街並みを散歩することも出来るわけで、このゲーム業界は栄えても旅行業界は廃れる危機に陥るわけです。

 以前TVでやっていましたが、ヴァーチャルセックスなる者を研究しているところもあり、何の役割をなしているのかとさえ考えてしまいます。現実の相手ではないのでわずらわしさがなくなるという事なのですが、これもアダルト業界ではヒットするのかもしれませんが何か違いませんか?

 現状のようにあらゆるところにVRが使われるようになると金融や市場のような結果が出てしまうようで恐ろしささえ感じてきます。人間は学ばなくなってきたのでしょうか?もしくはその仮想現実に合わせることが出来るようにならなければならないのでしょうか?

 いずれにしても現代人は少し急ぎ過ぎではないでしょうか?

 立ち止まる時が来たのではないでしょうか?

トランプ、ドュテルテ両大統領の出現を見ているとアナログに戻るべき時が来たように感じるのは私だけでしょうか?
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2016年11月28日月曜日

ダイヤモンドの仕分け⁉

 最近、さる業界誌を見ていると『もうダイヤモンドは投資の時代じゃない。ダイヤモンドの光は永遠じゃない』といったコピーを堂々と広告として載せているところがありました。そのことに関する評価はあえてしませんが、このようなコピーが、ましてや業界誌に載ること自体がまだまだ勘違いをしている人が多いんだなあという感想です。

 基本的にダイヤモンドが投資の対象とうたわれたことはないし、財産の保全という意味では世界中で一般的方法として考えている人も多いと思います。ただその延長線上でそれを投資用として考慮してきた人もいたし、現実に現状でもその傾向が多いのも事実です。

 ただダイヤモンドは鉱物としてのダイヤモンドを指しているわけではないと思いますが、いつも書くように光学用や宝飾用、財貨用、工業用等々分けるといくつかのジャンルになります。

 一般的には宝飾用の幅が広いのは多くの皆さんの知識の通りだと思います。ただ、ダイヤモンドの名前を利用するだけの美しくもないダイヤモンドの横行が現在も続いているので誤解をされやすいのかなとも思います。

 先週末初めてご来店をいただいたお客様が
『以前テレビショッピングでダイヤモンドを買ったんだけれど見てがっかりするくらい汚かったの』
仰ってっていましたが、内容的には毎度のことで《光らない》《疵が沢山見える》などの事を連呼しておりました。

 特に最近では百貨店の名を使ったTVショッピングが多く見られますが、いかにもといった内容がTVを通しても感じられる物があふれています。自分たちで扱っているものの価値を下げているだけだという事にも気が付いていないようです。

 さて、ダイヤモンドですが宝飾用のダイヤモンドであっても大きさによってその価値やその役割が違います。1ct以下の小さなサイズに関してはジュエリーの脇石だったり、婚約指輪としての役割があるわけです。それが大粒のダイヤモンドと同じように価値があるかと言えばそうではありません。

 ただ、情緒的な意味であれば婚約指輪などは十分な価値があるわけです。また継承するものとしての価値も十分にあります。又、大きなサイズのダイヤモンドにすれば情緒的な意味では継承するものとして、もしくは財産の保全用としても意味があるでしょう。さらには希少性や特殊性を備えるとそれこそ投資用としても十分に考えることができるでしょう。

 大きく分けるとこのようになると思いますが、ダイヤモンドが輝きを失ったような表現はそれを扱っている人間の事であって決してダイヤモンドそのものではないのです。
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2016年11月24日木曜日

『富』⁉

  東京は朝からの数十年ぶりの11月の大雪でテンワンやしています。こんな日は小売業は物静かなものです。必要不可欠な物や緊急を要するものでなければわざわざ小売店に買い物に出かけることはないでしょう。ダイヤモンドのように必要不可欠と思われないものは特にこんな日はのんびりと過ごすことになるのです。

 日本ではダイヤモンドといえばジュエリーであり、着飾る贅沢品としての代表的なものとして認識されています。しかし、欧米諸国、特にユダヤ人達には『富』の象徴として存在します。

 『富』とは日本の昔話では『富は屋を潤し、徳は身を潤す』といっていましたが、現代の経済学では財貨の蓄積を指します。勿論資本主義においてですが・・・。

 共産主義や病に伏している状態では財貨の蓄えは何の意味をなさないといいませんが決して身を潤してはくれません。欧米においての『富』とは継続性のある富裕感という意味を指し、そのギャランティーの代表がダイヤモンドと言えます。

 本来宝石とは希少性、美観性、耐久性、携帯性、換金性といった条件を満たしているものであり、それは継続的富裕感の保証みたいなものです。それゆえ彼らにとって『富』の象徴としての一つの宝石は家族にとって大事なものなわけです。

 日本人にとってのダイヤモンドは贅沢品としての表面上の顔ですが、本来のダイヤモンドの意味を理解してもらうことが今後のダイヤモンドのビジネスを大きく影響をするでしょう。

 美観は心を豊かにし、希少性は満足感を、耐久性は安心感、そして携帯性は利便性を感じさせ、最後に換金性は財貨としての実利的豊かさを与えます。そしてそれらを継続させる価値がダイヤモンドにはあるわけです。勿論、宝石としてのダイヤモンドの意味ですが・・・。 

 仮想経済、仮想通貨、AIと現代の世の中は実態を否定していくような状況にあります。それへの警鐘がトランプ次期米国大統領だったり、フィリピンのドゥテルテ大統領の誕生なのではないだろうかと感じています。それは綺麗事ではなくて実態へのより戻しだったり、仮想なにがしへの不安だったりと、わかりやすい彼らへの期待が大きいのではないかと思うわけです。

 ダイヤモンドは実態です。後は解釈をどうするかという事ですが、特殊ダイヤモンドの値上がりや
中東のダイヤモンド専門のファンドの誕生やシンガポールの一般向けのダイヤモンド取引所の開設等々その裏付けとなる事柄はたくさん出てきています。あとはどうとるかという事になるでしょう。
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2016年11月21日月曜日

ダイヤモンドの変化⁉

 今朝、久しぶりにパスポートの延長の手続きの為に満員電車に乗りましたが、うわさには聞いていましたがこの目で見てしまったんです。

 満員の車内で座席に座っていた三十前後女性がおもむろにポーチを開けて化粧品を取り出したのです。よく見るとすっぴんだったのですが、ファンデーションから始まり手慣れた風にお化粧を開始したのです。

 よく口紅を差している光景は見たことがありますが、それすら行儀の良いことではないと思っていますし、ましてやお化粧を人前ですることはおトイレを人前ですることに等しいことと聞いていた世代には驚きの光景でした。

 その上で、しゃっくりをして横の人に『すみません』と声をかけていたので二重の驚きだったのです。恥外聞の基準がどこにあるのだろうと首をかしげる次第です。

 もちろん世の中の常識や感性の違いというものは時代とともに変化をするので眉をひそめてもそれ以上の関心を持ってもいけないのでしょう。

 ダイヤモンドの世界においてもシンジケートがコントロールしていた時代から価格の変化においても『価格は絶対に下がらない』と言う伝説から1980年代の暴落があり、さらにはシンジケートがコントロールをやめ、多くの鉱山会社が参加をするようになってきてからはたまたま経済状況が中国をはじめ発展途上国の需要が増え価格はそれなりに上昇を続けてきました。

 しかし、80年代の日本のバブル崩壊のあとのように中国の景気が陰り始めてくるとやはり価格が弱含みになってきています。現状においても日本だけの価格弱含みではなく、世界中の傾向になってきています。

 ただし、特殊な希少性の高いもの、例えばブルーやピンクのようなファンシーカラーの大粒や特殊な色物に関してはその限りではありません。勿論イコールダイヤモンドの価格が値下がりかというとそういうわけではないのです。

 ダイヤモンドの価格に関しては原石にお価格を指すことが望ましいのです。それは研磨においても最終ユーザーの手元に届くレベルにおいては流通の利益が絡んでいますので、現状のダイヤモンドの価格の値下がりは研磨済みのものという事になります。

 ただ皆さんの手元には研磨済みのものが手に入るのですから全体的は価格が下がっているといえます。これは研磨をしているところが在庫の流動性がなくなってくるとやはり売りが弱めになり、在庫の回転を上げようとする結果です。

 以前であればこのような現象はあり得なかったというところから冒頭の話になるのですが、時代とともに物事のとらえ方を変えていけなければならないと思うわけです。小生がこの業界に入った時から変わらないことは原石にかかるコストは増え続けているという事です。

 供給会社が増えたにも関わらずダイヤモンドの価格が維持をされたことは現場での難しさを物語っているのだろうし、多くのファンドがその鉱山会社に参加をすることによって原石の価格を暴落させるようなこともないでしょう。勿論時代が変わればわかりませんが・・・・。

 ただここ十数年で変わるほどダイヤモンドの基盤が弱いとも思えません。現状においては海外を含め、国内においても価格が弱含みであり、今が買い時なのかもしれません。しかし、ダイヤモンドが特に国内においては品不足であることも間違いがないでしょう。

 ダイヤモンドの価値が変わっていることはないのですが、販売方法や取得方法、換金方法も含めて時代とともに変わってきたことも事実でしょう。ダイヤモンドが変わることはありませんがダイヤモンドの環境が変化し続けることは今までとは変わってくるでしょう。
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2016年11月19日土曜日

景気への疑念⁉

 数字だけでいっても景気そのものが良いようには思えませんが、不思議に思うことがあります。
普通はオリンピックが決まるとその瞬間的に何らかの景気の動きがでますが何ら気配がありません。

 なぜだろうかと考えると単純には小池知事による五輪の見直し問題や豊洲の問題のようなことが間接的に関わっているように思いますが、本来のオリンピック景気というものはその規模位では響く問題ではないと思います。

 その背景にはやはり日本の政治の未熟さがあるような気がします。前回にも書きましたが多くの国民が将来に不安を抱き一時的に入ったお金であっても貯蓄に回したり、使う事の不安を持ち生活をしているという事でしょう。

 仕事がら今建築や工事関係に携わり忙しくしてお金の周りが良い人も周りのお客様には多くいるのですが、多くの人が口をそろえて言うことは
『今は仕事があるから良いけど、何時なくなるかわからないからね。』
という言葉です。

 つまり、将来の不安です。以前の五輪や高度成長期には将来の不安を抱えていた人々はごく少数だったと思います。それ故にお金も使い、流通も激しく動いていたのだろうと思います。以前は車で動くことは歩くのと同じでほとんどが渋滞の道ばかりで何のための車かとさえ思ったものです。

 しかし現状はどうかというと瞬間的には渋滞があっても以前ほどではありません。これだけ物流が増えたにもかかわらずです。それは動いているもののバリュウが減少しているとともにシステムが成熟をしてきたとも言えるのでしょう。ただその割には景気が動いていません。

 政治の弱点である政治家の未熟さが大きな要因であることは否めません。つまり点で見て線で見ない。さらには近視眼的発想と責任に関与する仕事を避けるといった本来政治家としてあるまじき人々を政治家として選んでいるという事でしょう。

 何度も書いてきました、キャップ制度を導入し貸出規制を強化し、さらにはマイナンバーを導入し行政の使い勝手だけを考え庶民を窮屈にしており、その上で景気を上げようとしてもむりがあります。矛盾という言葉そのものだという事を各論ばかりではなく総論を見て考えてほしいと思います。

 海外でこの状態に陥ると間違いなく金とダイヤモンドが売れ出します。なぜなら人間というものは
自らを守るためには多少のルール違反はいたし方がないと考えているものです。それは『嘘も方便』という言葉があるように善と相反する悪ではなく善があることを人間は知っているからです。

 『悪法も法』という言葉がありますがこれは結論的には間違っているけれど法律としてある以上は守らなければという考え方ですが、その反対の考え方はないのでだろうか?『違法ではなるが善』という言葉にでもなるのでしょうか。

 その方法として海外の人間は金やダイヤモンドを利用します。それは窮地に陥った時こそという道具として重宝されてきた歴史があるからです。いつも書きますが人間は白と黒の間の限りなく広い薄い灰色から濃い灰色の中で生きています。法律では決められないものが沢山あります。法律は単なる目安でしかありません。

 ダイヤモンドはまだ完全に法律の中で縛られたものではありません。それ故にこのような時代は宝石としてのダイヤモンドが動きます。それを多くの海外の人々は『富』と考えるからです。

 『富』とは日本の場合環境、財宝等の集積された状況を指すことが多いわけですが、それらが継続することも継続することも含めて海外の人々は考えます。それは島国と国境線がしょっちゅう動く民族の違いでもあるでしょう。

 景気というものはこれらを総合的に動かす政治の力が必要なものだと考えています。その政治家が目先の石に躓かないように考えはしても行き先を見つけることができない状況にあるのが現状の日本でしょう。

 つまり、年金システムを維持することは考えてもその根幹となる人々のメンタルを考えないという事です。景気というものは人々のメンタルであることは言うまでもないのですから・・・。

 人々は安心も考えますがそれ以上に夢が持てるかどうかで不安かそうではないかを感じます。今の政治は安心も夢を与えることができません。田中角栄の『列島改造論』とは言いませんが国民が希望を持てるような政治をしてもらいたいものです。

 『景気とは時の政治家に対する評価である』ことを理解してほしいのです。
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2016年11月17日木曜日

年末のダイヤモンド⁉

 アメリカにしても日本にしてもこの11月からクリスマスセール、年末商戦として最も小売業が活況を呈する時期でもあります。しかし、日本の現実は何やら怪しげな感じもします。

 国会で現在、年金のスライド式減額を検討しほぼ成立をする様相ですが、本当に日本国会議員は国の事を考えているのだろうかと疑問に思うことがあります。第一に物価の上昇、収入減それゆえの年金支給額の減額という事はさらなる消費を控えさせ、さらには景気を考えると現状の刺激にもならずに『ウエット・ブランケット』、つまり、アメリカのスラングではありますが水を差す状況になる訳です。

 年金のシステムや維持を目的としているのだろうけれど、それならば防衛費やODA等の予算を少し削減し、さらには会計検査院が発表をした無駄遣い一兆数千億円の見直し等々が先であり、そのうえで年金の維持を目指すべきで景気を冷えさすような政策には頭をかしげてしまいます。

 もちろんそれぞれの理由がありますが、何よりも国民が安心する国づくりが先決なのは言うまでもありません。理事国のほとんどが資金を出していない国連に敗戦国待遇の日本が一番拠出する必要があるのだろうか?

 このようなことを考えるようになると内向きと言われますが世界のほとんどがその状況にあり、一度立ち止まり、考える必要があるでしょう。
 
 消費を増進するには多少のリスクは伴うにしても、銀行や信販の限度額引き上げやむしろ年金増額を示唆するようなアナウンスメントが必要なのではないでしょう。か。

 一時はダイヤモンドの売り上げの多くはこのクリスマスシーズンに作られておりましたが、今ではそれも夢です。しかし、購買の意欲が別の意味で起きているのも事実です。それは投資です。

 以前はこのシーズンに展示会など呆れられていましたが、今では一年中が展示会で恒常化が進むほどに店売りのシェアは少なくなってきました。煌びやかな装飾と陳列が多くの人々に夢を与えていた時代がうそのようです。

 時々、宝飾品の大廉売は何を生み出しているのだろうかと考えます。宝石そのものの価値を減少させ、現実でユーザーを打ちのめしているような宝飾品の売り方に何の価値があるのでしょうか。

 一説には店頭ディスプレーの発祥業種は宝飾業だといわれています。正確には覚えていませんが1900年代初頭の米国はサクラメントの宝石店が店頭ディスプレーを始めたのがスタートといわれています。

 多くのビジネスのモデルになった宝飾業界の基本に立ち返るには年末は本当に良い機会だと思いますが華やかな現状を取り戻すにはダイヤモンドの光が一段と光り輝かなければいけないのでしょうか。その前に扱っている人々が光ることが大事なのでしょう。

 年末はダイヤモンドが一段と輝く期間です。ぜひ扱っている人々はユーザーに夢と心を差し上げていただきたいと切に願います。

 *今月から店頭にてダイヤモンドの無料査定を行っています。(売買ではありません)

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2016年11月15日火曜日

ダイヤモンドと年金⁉

 今国会に何やらわけの解らない法案が通ろうとしています。それは将来的に年金の支給金額を下げようというものです。

 その理由が年金機構とそのシステムの維持ですが現代では年金の担い手である若者が減り、支給を受ける年寄りが増えているという事が理由です。物価が上昇しても給料が上がらないから若者からの年金徴収が出来なくなるので支給金額を下げようという事です。

 何を考えているのでしょうか?物価が上がって年金支給をさげるという事は本来の目的であるお年寄りが安心して過ごせるようにという事に反しています。それを主目的にするならほかのものを削っても最優先するべきではないのでしょうかそれが国家の役割です。

 昨年一年の税金の無駄遣いが1兆数千億円というのが会計検査院のまとめでした。同じ役人仲間が査定をしてもそれくらいの無駄遣いがあり、防衛費等々も国防という幻想がどこまで続くのかというくらいに高くなっています。ましてや消えた年金問題はどうしたのでしょうか?その消えた金額は2兆円を超えていたはずです。

 社会保険庁に至っては看板を挿げ替えただけであり、中身は何も変わっていません。本当に無駄遣いがおこなわれていないのでしょうか?

 確かに若者が減ってきていることは事実です。しかし、過去に比べるとどれくらいの高齢者が職業に就き年金を納め続けているのかを考えると現在において年金の徴収は以前から比べて格別に落ちているとは思えません。

 つまり将来という事を前提としている割のはやることの順序が違っていることになります。そこで自己防衛を各自が考え始めることによりさらに年金の不払いが起きてくる可能性があります。さらには将来の不安から蓄財から始まり効率の良い運用方法を考えてもしかたがないわけです。

 最近ダイヤモンドを資本の基として将来自身の入る老人ホームの入寮金にしてはどうかという話が出てきています。勿論まだまだユーザーの啓蒙とコンセンサスは必要となるのですが可能性がない話ではありません。

 もちろんある一定の大きさという事にはなりますが『それなりの蓄財はあるから宝飾品はほしいけど譲る相手がいないのよね。』というユーザーが多々います。それであればある一定期間自分で楽しみ老後ホームに入るときにそれを換金し、入寮資金に充てるという事です。

 このメリットは預貯金は目減りするがダイヤモンドに関してはある一定の期間保持すればもとめた金額を上回る可能性が過去の歴史上は大きいという事になります。ただし、それらの換金や購入に関しては新たな仕組みは必要ではあります。

 ただ可能性は大であるとだけは言えるでしょう。

(例)2000年前後10cts」、D,IF、EXはUS60,000./ctでしたが、現在ではUS180,000./ctです。
       およそ3倍になります。(諸条件はあります)
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2016年11月14日月曜日

ダイヤモンドの今後⁉

 トランプ氏が第45代アメリカ大統領に選出され、地金市場やダイヤモンド市場もないやら動きが出てきたようです。

 米国の某有名投資家はトランプ氏の当選が確実になると一挙に手持ちの金を売りさばき他の金融資源に移行をしたようだし、米国のダイヤモンド市場関係者もダイヤモンドの市場状況を明るく見ています。

 これらの状況を見ると米国の市場を今後をウオールストリートが更なる中心になるような気もしますが、トランプ氏の公約や彼の支持層を考えると少し矛盾をしているような気もします。

 米国のダイヤモンド関係者の見解はオバマ・ケアも廃案にされ、多くの保険会社や富裕層にとってはとりあえずの増税は回避されたと考え、今年のクリスマスシーズンを控え多くのミドルクラスの消費者がショップに戻ってくるだろうと楽観視をしています。

 総じて米国の経済界は歓迎ムードのように思われます。ただ、これらのことはさらなる格差になる可能性も否定できないのですが、過去のレーガン大統領のようにレーガノミックスにより内向きな政策とされながらも財政の再建を行った事例もあります。しかし、そのあとにきた時代はのある社会ですがトランプ氏の政策がうまくいけば米国経済には好影響はあると思われます。

 昨今ふれているようにグローバリズムやTPP等は一見インテリジェンスのフェアな考え方のように思いますが何やら小学校の運動会の順位を決めないという摩訶不思議な現象とも似ています。それぞれに特異なことや特徴があることを知る機会が失われ、いかにも平等な社会を実現していそうな気がしますが、これは誰もが責任を取らないでうやむやにする東京都の行政にも似ていることです。

 話はそれましたが、内向きな政策というものは人に優劣が付きやすくなるものです。ある意味その象徴がダイヤモンドのようなものです。ダイヤモンドというものは『』というものを具現化したものだと思っています。
 
 日本では飾るものや宝飾品ととらえられることが多いダイヤモンドですが実際には継続性のある財産という考え方が欧米の考え方ですから今後の伸びていく要因には十分になり得るわけです。(もちろんある程度以上のものという意味です)

 それゆえに大粒であってり希少性の高いものはさらなる需要が増えていくでしょう。最近では新たな鉱山の発掘が行われ大粒のダイヤモンドが発見されているといっても最近の金融資産からべ比べても絶対量がありませんからまだまだ宝飾市場以外でのダイヤモンドのマーケットは増加をするでしょう。
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2016年11月12日土曜日

豹変⁉

  ドナルド・トランプ次期アメリカ合衆国大統領の当選後の豹変ぶりには少しびっくりしています。特にオバマ現大統領と会談後の両者揃っての記者会見においてはまるで借りてきた猫のようでもありました。

 多分に会談の中で大統領としての仕事内容や見識について話し合いも持たれて改めて大統領の大変さに躊躇していたのかもしれません。

 こんなはずではなかったと思っていたかもしれないし、まさか本当に当選するとは思ってもいなかったのかもしれません。

 もちろん本人の豹変さもそうですが、政治評論家なる者の豹変ぶりにも反吐が出そうでした。多くの評論家たちはドナルド氏の当選には否定的であったにもかかわらず、当選をしてみると『彼は本当は頭がスマートで暴言は演じていたのだろう』とか『彼は実に合理主義ではあるけれど今後の政策にはそれが役に立つであろう』等々、昨日まで否定的であった人々とは思えないようなコメントが続きます。

 今回の大統領選に関してはほとんどの評論家はボンクラ揃いだったといえるでしょう。木村太郎氏などは最初からトランプ氏が当選するだろうといって、変わり者扱いされていましたが結局は彼の判断が正しかったという事になるのでしょう。少数派であってもちゃんとした分析と判断は何事にも共通しているような気がします。

 トランプ氏のTPP離脱に関しては私自身も肯定的で、以前からグローバリゼーションの限界の話を何度か書きましたが、保護貿易とは言いませんがそれぞれのローカル色があって世界はまとまっているのです。一律化することが必ずしもグローバル化ではないと思っています。

 それぞれの地域性や民族の特殊性があって当たり前なので、それぞれの特徴を生かしたものを生かしていけばよいので、一律にして貿易の均衡化をすること自体に問題があるような気がするのです。

 平等ほど不平等はないのです。それぞれの得意分野があって当たり前でそれを選択するのがそれぞれの民主主義でもあると思います。高い関税をかけて保護貿易をすることは必ずしも良いとは思いませんがそれぞれの競争があっての資本主義であれ民主主義の根幹だと思うのです。

 決して利権集団を守るための関税であったり、保護であったりしてはいけないのですが必ずしもなにからなにまで競争になるわけではないので、それぞれの強みを生かしたローカルを出すことが本来のグローバリゼーションだと理解をしています。
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2016年11月11日金曜日

トランプ・ショック⁉

 アメリカ合衆国の次期大統領が不動産王のドナルド・トランプ氏に決まり世界中が騒然としていますが、一部の人たちの間ではある程度の予想はしていたとの声もあります。つまり想定内でもあったという事になります。

 私が驚いたのはそのこと自体ではなく金融相場への影響がたったの一日しかなかったという事です。つまり、以前であれば世界的ショックなわけですからもっと多くの影響が出ていたと思うわけです。TPPでは日本国内ではここ一年騒然としていたわけですし、ましてやその関連を考えればTPPに反対をしている人間がアメリカ大統領に選出されたわけですから相場が荒れて当然とも言えます。

 しかし、混乱は本当に一日も続くこともなくほぼ平穏に戻りました。このこと自体は以前にも書きました実体経済のバリューよりも仮想経済のバリューのほうがやはり大きくなってしまったことの証明でもあるでしょう。

 日銀の金融政策や欧州の中央銀行などの政策が殆どせ会の経済に影響を与えることもなく、ましてやFRB(米国連邦銀行)の理事長を再選しないとまで公言しているアメリカ大統領が選出されたのに金融相場は何ら影響をされることがありませんでした。

 つまり、それらのことを総合して考えると金融相場はもはや人間の心理や実態ではなくコンピューターがデータとシステムにより判断をした内容でのみ変動し、その実態は人間の心理的なことが引き金にはなるのでしょうけれどその後の運用判断はコンピューターにより行われその規模は実態をはるかに超えているという事でしょう。

 一番怖いのはリーマン・ショックの時にもありましたがデリバディブによる連鎖でしょう。それが起きた時にはリーマン・ショックの比ではないような気がします。勿論そのきっかけは一部の人間の作為的な物から始まるかもしれませんし、誤作動によるものかもしれません。

 そして、それは今後大きな資産を持っている人々にだけ富が集中し、仮想通貨の時代に本格的に入ったことを意味していることでもあるでしょう。

 いずれにしても、私の『トランプ・ショック』は彼が選ばれたことでもあるのですが、世界最強の国の大統領選においてとてつもない波乱が起きたのも関わらず金融相場の動きが限定的であったことです。

 アメリカなどのダイヤモンド業界はこの結果を肯定的な目で見ていることも事実です。オバマケアが否定され中間層の減税などの視野に入れるとその結果は投資用ダイヤモンドなどにも良い結果をもたらすだろうとみています。このことが今後のダイヤモンドの価格に影響を与えることも必然的にあるだろうとも考えています。
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2016年11月3日木曜日

ダイヤモンドの4Cの意味⁉

 昨日お取引先の販売員の方からの質問があり
『4Cのグレードで価格が決まるわけではないという事は解るのですが、でも価格の高低は品質で決まるわけですよね。その違いを説明することが難しいのですが…。』
というお話がありました。

 確かにダイヤモンドの価格はそれぞれの品質により変わりますからその意味合いもわかるのです。

 例えるなら、スキージャンプで見た目ではほとんど同じようにとんだ距離に見えても金、銀、銅が決まったとします。なぜにその結果になったのかという事においては飛んだ距離と飛形点が数字で表示され、その順位の目安を示します。その数字がグレーディングです。メダルを価格、数字をグレードと考えるとということですが。

 つまり、グレードとは結果が出ている価格の目安になっているだけです。仮に今回100メートル飛んで金メダルであっても、別の大会で100メートル飛んだから金メダルになるという事ではありません。それはグレードが出ているから価格はこれだという事にはならないということです。

 4Cという言葉の解釈をイコールグレードという風に理解をしていると勘違いを起こします。4Cの意味はあくまでもCarat(重さ)、Clarity(清澄度)、Color(色)、Cut(研磨)というジャンルを指しているのでこのカテゴリーで価格は決まりますよという事で、それはジャンプ競技で距離、飛形点というカテゴリーで順位が決まりますという事です。

 あえて言うのなら4Cとは4つのカテゴリー(Category)という事ですといったほうが良いのかもしれません。ですから価格は間違いなく4Cで決まります。しかし、グレード結果において価格が決まる訳ではありませんということで100メートルという結果が出たから金メダルという事ではありません。

 ただ、ダイヤモンドのグレードにおいて100メートルはいつも10,000センチとは限りません。時には11,000センチだったり、場合によっては9,900センチだったりもします。なぜならそれは目測だからです。でも順位の差を決めるには何の問題もありません。

 年代や鑑定会社、鑑定士によってその結果が違うことはあり得ることなのですから、順位つまり価格差の違いが分かればよいのです。ただ同じような条件下でなければそれも意味がないと言うことになります。つまり、同じ年代、同じ鑑定会社、同じような鑑定士でなければなりません。
それは同じジャンプ台同じ大会でなければその結果は比べることができません。それでも風の条件により同党には完全にはなりません。

 グレードで目の前にダイヤモンドが表れてもそのグレードを納得ができないこともままあります。それは価格を品質で決めていく我々のような仕事をしている者には決して一致をするような説明ではないからです。

 グレーディングレポートというものは商品の取り扱い証明書ですから実際には使ってみなければわからないものです。ダイヤモンドも実際には見てみなければ納得がいかないものも多くあります。勿論現在の取引においてはGIAのレポートを完全否定するものではありません。

 あくまでも目安にはなるのですから・・・。
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2016年11月2日水曜日

ダイヤモンドの投資用⁉

 ここ数年一部のダイヤモンドの値上がりやオークション等での高額落札の話題がままメディア等でも話題になります。勿論それらのメディアでは話題になっていないものも多くあります。これらの多くは投資用であったり財産の保全用としての用途でもあります。

 これらの話題をするときにこのことが全てのダイヤモンドに当てはまるかというとそうではありません。条件として宝石の5大条件(美観性、希少性、耐久性、携帯性)を満たしているという事になりますがこれらは時代や環境によっても変わってきます。

 例えば1ctのサイズであっても以前であれば良質のものであればという条件があればある程度の値上がりが考えられましたが、現在では値下がりはしないにしても思った様な結果になることはないでしょう。特にそれ以下のサイズに関しては量もあり、希少性という意味でも該当は難しいでしょうし経済状況にあまりにも左右されますので向いてはいません。

 と考えると美観を前提とした希少性を前提に考えることが一番妥当という当たり前の答えになります。つまり、宝石という前提を考えたときには換金性が条件なる訳ですから処理石、半貴石はその対象になることは難しいでしょう。

 また1ct以下のダイヤモンドに関しても換金はできるでしょうけれど冒頭のような話題に含まれることはないでしょう。勿論低品質のものであれば1ctであってもその例外ではありません。特に今通販で売っているような内容のものであれば換金も難しいでしょう。

 それでは投資用となればどんなところであれば向いているのかというと前提として大きさという事になるでしょう。美観が整っているという前提ではありますが、それぞれのファンシーカラーにしてもホワイトのものにしてもそれらの希少性の中で大きなサイズのものがより有利であることは間違いがありません。

 ただし、これらのものにたどり着くことは非常に難しく、お金があっても機会に恵まれなければ手に入れることはできません。仮にそれらは我々ダイヤモンドに長く携わってきた人間にとっても容易なことではありません。今までも数々のこれらのダイヤモンドに関わっては来ましたが現在においてはなかなか容易ではありません。

 現在、仮想通貨として話題になっているビットコインのマイナー(取引人)がごとく、そこにたどり着くこと自体が大変な状況でもあります。以前ビットコインはダイヤモンドビジネスそのものであるという事を書きましたがまさに現状はその状態です。

 BCの取引を扱うところをマイナーという呼び方をしますがこれは英語で鉱山会社という意味です。鉱山会社がダイヤモンドの鉱脈を探るがごとくBC市場の取引に参加するためにあらゆる手段を用いその都度その取引を手掛けることができるのはごくわずかなマイナーだけです。

 現状のダイヤモンド投資市場はBC市場がごとくそれを扱うこと自体が大変な状況にあります。少しでもそれらのダイヤモンドに近づくことが今後のダイヤモンドビジネスの成功にもつながるでしょう。
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2016年10月31日月曜日

何か違ってきたような⁉

 10月31日、本日はハロ・ウインということで先週末どころかアミューズメントパークなどはほぼ一か月前からコスプレ等のイベントを行ってきていました。

 当店も商店街のイベントということで先週末予想では約1000人の子供たちがお店にお菓子を貰いに来るということで朝からテンヤワンヤでしたが、夕方からの来訪者たちに思わず笑みもこぼれてしまいまいた。

 しかし、何時からこんなにこのイベントが日本ではなじんでしまったんでしょうか。本家のイングランドではケルト人の暦で晦日でもある10月31日である意味や収穫祭としての意味合いがあるようですがアメリカでは一つのお祭りとして盛り上がっています。

 日本では1980年代に原宿のおもちゃ屋さんのイベントとして始まったように記憶していますが、何よりも2000年代に入ってからのアミューズメントパークでのイベントが大きいのでしょう。

 とにもかくにもそのいきさつは別にしてもなんでこんなにも日本は他国の習慣やお祭りがおこなわれるのでしょう。行われるというより日本流にアレンジされてむしろ本家を超えてしまっている状態が起きてしまいます。

 クリスマスにしてもバレンタインにしてもその規模を超えようとしている今回のハロ・ウインにしても商業的価値という意味では大きなコアになると思いますが、なぜに日本のお祭りでは起きえないような現象が起きるのでしょう。国内の場合はせいぜいその地域の盛り上がりだけです。

 自分たちが身に付けてきた習慣や感情が何か違ってきたような気がします。時には『日本人ってこんなだっけ?』とさえ思うことがあります。

 島国日本は何かにつけてコンサバティブだといわれていたのはもう過去の事なのでしょうか?外部を受け入れないとか内向きだといわれていたことがうそのようです。

 ただ気になるのが本質的なことをちゃんと踏まえているのかどうかという事とそのことに対するリスペクトがちゃんとあるのかどうかという事です。何事においてもそうですが最近の日本は本質的なことを忘れ現象面だけをとらえそれを誇張、誇大するような危うさがあります。特にメディアに関してですが・・・。

 我々の業界でもダイヤモンドを婚約に給料3か月分の価値のものを贈るという習慣も商業ベースとしてではありますが根付いていたものがありましたがこの数年ほとんど姿を消して様な気がします。

 総じて言えることは全体的に子供化しているのかなという印象です。日本のイベントである成人式にしてもそうであるがなぜか成人式にも関わらず子ども化しはしゃぎまくっている成人になったとは思えないような若者たちがそこにはいます。

 過去であればむしろ大人になる背伸びをしていた若者が多かったような気がします。現代は全く別物で体だけはいっぱしですが心は子供そのままです。勿論それは若者だけに限りませんが。

 まともな表現はできませんが日本が『何か違ってきたような』気がするのは私だけでしょうか?
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2016年10月29日土曜日

そもそも⁉

 『そもそもと』いう話をすると現状の問題を解決するにあたって今一度原点に戻るときに用いる言葉でもあるけれど、この言葉があるということはその場限りの場当たり的な仕事をしているとよく陥る現場主義がその大きな要因になることが多いように思います。

 ダイヤモンドにおいてもグレードというものを考えたときに『そもそも』価格が先にありきでその価格の起因を説明するために出てきたものですから、グレードがいかにも価格を決めているような説明は間違いが起こりやすいのです。

 つまり、後付けのほうが何事においても整合性が取れているわけです。しかし、後出しジャンケンは常に勝つのですがジャンケンは『そもそも』勝敗を付けるためのものですから後出し自体は意味がないのです。

 なぞっては見たけれど求めている結果とは違ってしまったということはなぞり方が間違っていたのですが、なぞっていたのだから間違いはないという前提になるので間違いに気が付きにくいのです。

 よく総論賛成、各論反対という言葉がありますが、これは本来の目的は賛成だけれど現場の都合で物事を進めているうちに各論優先したいという能力のない人々が良く陥る失敗です。日本の政治家によくありがちな問題です。

 なぜにこのような回りくどい話かというと東京五輪問題について首をかしげることが多いからです。『そもそも』ですが、なんでオリンピックを誘致しようとしたのでしょうか?

 国威発揚ですか?経済の起爆剤としてですか?

 いずれにいしても経済的効果を考えるのであれば借金が残るような五輪であれば問題外なのですが、現在はアスリートファースト、都民ファーストなどの他にすでにIOCに約束したから、レガシー(遺産)としてとか、どれも『そもそも』なぜに五輪を誘致しようとしたのかという視点と外れているような気がします。

 単なる文化としてということであるならばあまりにも問題がありすぎます。それぞれの競技団体や組織委員会や何ぞや利権が絡んでいそうな人々の現場の各論だけでもめているような気がします。

 各論を前提にすると方向目的が違ってくるので後の取り返しがとてつもなく大変になります。宝石業界はそれほど大きな業界ではないけれど各々に各論を優先させているためにどれくらい窮地に陥っているか例を挙げて説明をしたいくらいです。

 当初の話が出てくるときに『コンパクト』、『復興』五輪の言葉が良く出てきますが、本当の当初はなんで誘致をしようとしたのかということでしょう。

 『そもそも』論に立ち戻り的確な解決を小池さんには望みたいものです。勿論IOCにもですが,ほかの組織委員会や政府には期待をしないほうが良いでしょう。
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2016年10月28日金曜日

本質的なこと⁉

  業界の話を聞くとあまり良い話を聞くことのない昨今ですが単に景気のせいにするにはあまりにも単純すぎると感じています。確かに展示会を中心にした売り上げや成功するかどうかわからない通販に走る人々もいます。

 しかし、一番の要因は自分たちの扱っている商品がなんであるかどうかを理解しているのだろうかという疑問です。ジュエリーという括りだけでいうとその代替品はたくさんあります。アクセサリー、服飾もっと広げればブランド品もその代替えでしょう。

 それには宝石を使用しているということを考えると、それでは宝石とは何ぞやということになります。これは言うまでもなく5大条件がそろっているかどうかです。さらにはその中のダイヤモンドとはん何ぞやということになると、これはもう理解をしているかどうかさえも分かりません。

 というのは今の現状というのは今まで上げたものが全てごっちゃになっているからなのでしょう。ジュエリーにはそれなりの括りがあり、宝石ということにもそれなりの括りがあり、そしてダイヤモンドというものにもそれなりの括りがあります。

 そしてそれらは人々によって価値が高められていく訳です。決して黙ってても価値があると認められるものではありません。それらは実用品とは明らかに違うのです。

 それでは現状はどうかというと展示会、通販といった現状売り上げを上げていく手段となっているもののほとんどは値引き合戦と安売りです。つまり、扱っている商品の価値を下げることに尽力をしているわけです。

 何のためでしょうか?

  生きる為に自分の内臓を順番に切り取っていくような様はまさに生きるという目的に対して方法が明らかに間違っているわけです。

 水浸しの土地に水をまき、日照りの土地で乾燥機を使うことは水なり乾燥機の価値を理解していない人々の所業でしょう。

 宝石やジュエリーの安売りはまさに価値下げるために、価値がないことを証明しているような所業です。砂漠での水はこのうえない価値になりますので高くも売れます。それは希少性を実体験しているからです。しかし、そこいらじゅうに水飲み場があればいくら砂漠でも希少性は感じてもらえません。

 多くの催事屋さんたちは真似事として宝石の価値や希少性をうたいながら安売りという矛盾をしたことを平気で行い景気が悪いと嘆いています。

 景気のせいが全くないとは言いませんがそれ以前の問題に早く気が付くことが重要なのでしょう。そうでなければ現代限りで宝飾業なるものが消滅をしていくのかもしれません。
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2016年10月26日水曜日

驚きの結末⁉

昨日、一昨日と小売店さんいおいてセミナーというかダイヤモンドとワインについてを題材にお話をユーザーさん向けに行ってきました。

 ワインについても色々と興味を持たれる方はいらっしゃって楽しく過ごしたのですが、ダイヤモンドの話題になったときに驚いたというか、当方にとっては想定内の結果だったのですが、皆さんが驚いた現象があったのです。

 それは10点ほどのソーティング袋に入った1ctサイズの裸石をご覧になってもらい、違う鑑別会社、おなじ鑑別会社で時期の違うものそれぞれのバリエーションでグレードを伏して綺麗に見える順序で並べてもらいました。これはある意味ではGIAがカッティンググレードで行ったファセットウエアのモニタリングのミニ版みたいなものです。

 結果には私自身も少し驚きましたが、結果通りであったものは2点だけだったのです。これにはお客様も驚き、中には
『自分の目なんてあてにならないものねェ。』
という方もいらっしゃいましたが、必ずしもそうではないということをご説明させていただきました。

 つまり、グレーディングレポートというものは取扱説明書みたいなものですから販売する側の補助説明書なわけです。買われるお客様が実際に目で見て綺麗だと思ったのが良いのであって、供給側の都合で用意をされたものが絶対であるわけはないのです。

 お客様は自分が車を買うときにカタログだけでは買わないようにご自分の目で確かめご自分で確認をしてからお求めになった方が良いのですよということが今回の趣旨でもありました。また、ダイヤモンド本来の価値について述べさせていただくにあたり、ヨーロッパの童話?的な物で池上彰さんが翻訳をなさった『おじいさんのダイヤモンド』を引用させていただきました。

 この本にはジュエリーや飾ることについてのダイヤモンドの話は出てきません。私自身もこの本はお取引先の方が見つけたものを贈られ『なるほどダイヤモンドを知っていただくに当たりこのほんは良いな』と思いこの本を引用させてもらいました。

 さすがに私自身もここまで皆さんの判別結果が違うとは思っていませんでしたので少し驚きましたが皆さんの驚き方は・・・・・。

 勿論その辺についての説明は十分にし、ご理解をしていただきましたがダイヤモンドはダイヤモンドを主で見るのであってグレーディングレポートが主であってはいけないということも十分にご理解を得た機会だと思っています。願わくばもっと大勢の参加があるとよかったと思っていますが・・・。
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2016年10月19日水曜日

東京五輪問題ちょっとだけ⁉

 豊洲から始まり、五輪問題と小池さんは大変だと思います。ただ彼女のパーフォーマンスだけで終わるようなことがあってはならないということだけは言えます。

 今回IOCのバッハ会長が来ていろいろな提案がなされていますが、決定に至った条件と変えることは如何なものかということですが、実際に決定に至ったときにどのような条件が提示をなされていたのかは都民は知る由もなかったわけです。

 勿論これは中心になって招致活動をしていた人々が招致することを前提に条件を整えていった結果だと思うし、それを否定するつもりもありません。お祭り活動は楽しいものですからね。

 ただ行動は別にしてもすべての今回の要因はお金の問題であることは間違いがありません。すべての資本主義の中で一番重要なことは予算でありその予算に沿ってすべてが決まっていくことは中学生でもわかる理屈です。そしてその予算は収支が整うことを前提としています。勿論最近よく使われる『レガシー(遺産)』をも前提としてですが・・。

 その基本中の基本がなぜにないがしろにされたとかということを考えると自分のお金ではないからということになります。これでは予算を気にしない社会主義と何ら変わらないではありませんか,

  豊洲問題にしても今はまだそれほど取り上げられずに今後大きな問題になってくるであろう『広尾病院移転問題』に関しても社会主義であれば問題にならないことであるけれど資本主義社会では決定者が一定の責任を負うことを前提にしないと無駄な税金の使い放題ということになります。

 今回はバッハ会長が都、組織委員会、政府、IOCの4者会談を提言していますが、多数決になると小池さんの負けということになりますが、小池さんは主催都市である東京都の都民に選ばれた人ですが他は都民が関与していない人々です。ましてや組織委員会なんぞというものは誰に任命をされたのかもわからないし、その森何とかに関しては誰もがしゃしゃり出てほしくないと思っている人間であるにもかかわらず内閣に選ばれたから東京都の下請けではないといったような発言もしています。

 彼はそんな基本も知らないのかと思いましたが本来五輪組織委員会というものは主催都市の下に実行部隊として組織されるものとIOCから指定をされているものなので、もし東京都に指名をされていないのなら何らの権力もなければ決定権もないわけで、何を偉そうにしているのかという感じがします。

 本当に精査をして実質的な経費が掛かるのなら致し方がないと思います。しかし、海の森ボート上にしても精査をした結果491億円かかるといわれていたもの300億円で済みそうだと東京都の発表があり、それならなぜにと思うのは私だけではないでしょう。

 前都知事の舛添氏にしても他のどこからかわからないソースから流れてきた2兆や3兆はかかりそうだといっていたのはどうも後の言い訳か高額をかけることを前提としたアドバルーンのような気がしてなりません。

 つまり小池都知事も言っていたような『豆腐じゃあないんだから.』といった発言のように高額をかけることを前提とした発言でさらにはそれを曖昧にしておこうとする何らかの意図が感じられます。ゆえに誰かの利益を前提としているのかという詮索をしてしまいます。

 もし本当に予算がここまでかかるのなら組織委員長としてやってきた森何がしなりが責任を取る問題です。なぜなら基本となることを何もしないでただ招致活動という華やかな場所にいたいがためにやっていた無責任行動であることを考えると引責辞任は免れません。

 普通の会社であれば売り上げ予算に対しての経費予算なわけですから中止か責任者の首を飛ばす問題です。

 ちょっとだけといいながら長くいなりましたのでこの辺にしておきます・・・。
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2016年10月18日火曜日

砂漠市場⁉

  灼熱の太陽がふりそそぐ砂漠で水のペットボトルを売りさばくことはそんなに難しいことではありません。さらにその価格が普段100円であるものを1000円にしても売れるかもしれませんし、周りの悪条件があれば10000円でも売れるかもしれません。

 しかし、逆にお金をいくら持っていてもそこに水がなければお金はただの概念であることもわかります。つまり、価格というものは一定の条件がそろって初めて決まり、価値というものが決定をされるわけです。

 勿論それが需要と供給のバランスということになるのですが、ビジネスを行っている人々は時にはそれを忘れていることがあるのです。同じ水を商っているにしても無料の水が周りにはあり、周りにはきれいな湧水があるとたとえペットボトルの水が50円であったとしても特殊な例を除けば売ることも難しくなるでしょう。

 現代では当たり前になっている値引きやバーゲン販売というものは周りに水が豊富にあるにもかかわらず自ら水浸しにし、さらに需要がないにもかかわらず自己満足で水の価格を下げて販売し、さらに試飲用の水を配っているようなものです。すでに顧客は水の必要性を感じていないにもかかわらずさ安売りに没頭しているようなものです。

 灼熱の太陽下の砂漠を創ることは難しいかもしれませんが、『北風と太陽』という童話ではありませんが、旅人も熱ければまとっていた衣類を脱ぎ、寒ければ其れをまとうわけです。決して風を吹かしたからといってそれで衣類を脱ぐことはありません。

 つまり、まずは市場となりうる環境を整えることが大事です。今の環境は過去培われてきた市場を食いちぎってきたようなもので、砂漠でいえばそこ水浸しにしてきたのにさらに水を撒いているようなものですからまずは一度市場を砂漠化することが大事なのでしょう。

 宝石というものはもともと感性で砂漠を感じているようなものですから、決してすぐに水を飲まなくても問題もないことなのですが、さらにそこに水を撒いているような側面があります。

 まずは想像妊娠ではありませんが、想像砂漠化をユーザーの頭に植え付ける作業が必要なのでしょう。それは需要と考えざるを得ない環境と物の価値の創造と維持が必要なのでしょう。これはできないのではなく、やらないだけなので意識の改革が必要なことなのかもしれません。

 宝石は幸い意識だけでよいのです。
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2016年10月15日土曜日

仮想通貨⁉

 クレジットカード、電子決済、ビットコイン等仮想通貨といわれるものが今後は増えていくのかもしれないという話を昨日遅い時間にお越しになったお客様と話をしていくうちに、現在話題になっているアメリカ連邦準備理事会いわゆるFRBが年内利上げをするかどうかと言う話になりました。

 年内の利上げはもう間違いがないだろういう結論に達したところで、今後仮想通貨が増えていく中でそれぞれの国の中央銀行が打っていく金融政策が役に立っていくのだろうか。実質ここのところほとんど金融政策がその意味をなさなくなってきたということになりました。

 つまり、仮想というわけではないけれど実体経済の規模に比べあまりにも金融市場が大きくなりすぎて実質的な金融政策ではどうにもならないところに来ているのではないかという話題になったわけです。

 それは日本のようにマイナス金利にしても政策的実質個人融資に限度額を設けている市場にお金を回そうと思っていても実質的には回らないという矛盾するような政策であったり、数秒で売り買いを何度もできるような株式市場であったりとそれぞれの中央銀行の打つ手より早く世の中が規模も大きく動いている現状では金融政策が殆ど機能をしない時代に入るのではないかという懸念です。

 ビットコインにしてもあっという間に広がったにもかかわらずその実態を正確に説明できる経済評論家が殆ど存在しないだけではなくビットコインそのものの実態がどんどん変わっていく訳です。

 ただ元々通貨そのものが概念的な物で以前のような金本位というものではないので印刷はしていますがある日突然価値の意味をなくすという懸念も通貨にはあるわけです。たまたま発行をしている国の経済が安定をしているというだけで本来仮想通貨で何の問題もないわけです。

 つまり、仮想通貨というものはどこの国ということではなく市場そのものが保証という役割をなしているわけです。ただ問題なのは現代のような仕組みの中ではハッキング等のトラブルが起きる可能性もあるということです。

 結論から言うと金やダイヤモンドのような世界共通の現物こそがこれから安心ということになるのではないかという話になったのです。
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2016年10月13日木曜日

価値観⁉

 時々お金を使うときに考えることがあるのですが、使う金額ではなくものによって『高いなぁ』と思ったり『これくらいはするだろうなぁ』と思ったりするわけです。

 それは単なるものの問題だけではなくその時間だったり環境だったりもします。つまり、のどが渇いてしかたなければ普段100円で買っていたりする水のボトルが130円だったりしても買うし、その施設以外で買って持ち込みもできなければそこで買うわけです。

 人は自分にとって今必需品であったり価値を感じればいくら高くてもというのは大げさかもしれませんが購入の決定をするわけです。もし、灼熱の太陽の砂漠で喉が渇ききっていたならば1万円を出しても100円のドリンクを買うことを考えるわけです。

 逆に言えばお金をいくら持っていてもそこに水がなければお金は何の意味もなさないわけです。

 なぜこんなことを書くかというと実質的環境がそこになくとも頭の中にそのような状況が出来れば人は物を買うわけです。そしてこの状況はダイヤモンドのようなものにこそ当てはまるのではないかと考えるからです。(これはあくまでも業界側からの目線ですが)

 もしユーザーにしっかりした価値観を持ってもらい、そのうえで喉の乾いた状況を作り出し、そして所有欲を持ってもらう啓蒙をしっかり行い、金額ではなく所有をしたいという願望を持ってもらうということです。過去にはそのような現象があったと記憶しています。

 また、お金があっても砂漠で水がなければ何の役にも立たないという状況にしてもある一定の大きさのダイヤモンドに関してはお金持ちよりダイヤモンドのほうが少ないわけですからすでにその状況はできているわけです。もしピンクのダイヤモンドの10カラット以上のものをほしいと思っても簡単に買えるわけではありません。持っている誰かが手放さなければなりません。

 同じ額面のお金であっても時と場所と物によって高いと考えたり、高いとも何とも考えなかったりするわけです。

 総括的には宝石というものは安売りをすればするほどその価値はなくなり最後は安売りが何の意味も持たなくなるのです。つまり、ただで水を飲めるところでいくらお水を安く売っても誰も買わないわけです。価値を感じなくなれば人は物にお金を出さなくなるのです。

 過去は宝石は高いものという先入観があったので一部の安売りが結果を出したのですが、業界側後ドンドン自分の事だけを考え安売りをしすぎたためにその価値を失ったわけです。

 もう一度宝石の本来の価値を創出する努力をしなければいけないのでしょう。

 まずかったレストランからの帰りがけにそんなことを考えながら歩いていました。
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ダイヤモンドと感情⁉

 一昨日、接客中にお店の前を若い女性が行ったり来たりしている姿が目に入っておりました。
突然ドアを開け店内にはいって来ると
『すみません。ダイヤモンドについて伺いたいことがあるんですけど。』
スタッフが対応をしている会話が耳に入ってきました。

 接客中のお客様が帰られたのでお話を伺ってみると
『ダイヤモンドが好きで、色々なお店を回ったんですけどグレードの話ばかりで、私が聞きたいこととはちょっと違うんです。私も明確には説明できないんですけど…。』
と困惑顔をしながら私の顔を覗き込んでおりました。

 端的に言うと綺麗だな、好きだなこのダイヤモンドと思う気持ちは何が要因なのだろうということを知ったうえで購入をしたいということです。つまり綺麗だな欲しいという気持ちだけで高額なものを購入することに少し不安があるということで、どこへ行ってもそれはグレードによっても違うということの説明をうけるのですが、それとちょっと違うということでした。

 私が
『それは賢明な疑問ですね。なぜならグレードというものはここ40年くらいでもてはやされてきたものですがダイヤモンド数百年前から人々を魅了しています。』

 一通りの説明を聞くと納得がいったようで店頭にあるダイヤモンドをまじまじと眺め、
『もう少し見ることができますか?』
時間がないということで後日のお約束をして再度ご来店ということでお帰りになりました。

 ダイヤモンドでよく言われることは、ダイヤモンドを眺めていると何も考えないでいられるという言葉です。つまりダイヤモンドをまじまじと見ているとそこに気持ちが支配され、無意識になれるということです。

 感情というものはいつも周りの環境を支配しようとするために起こす自身の現象ですが、例えば幼子が大人の支配しようと感情をむき出しにし駄々をこねます。また、怒りをもって回りとコントロールしようとする行為もまさに感情です。

 ある意味感情というものは自分以外のに気持ちを伝えようとするときに言葉が見つからずに表す精神状態です。先ほどのダイヤモンドを見ているときは何も頭に浮かばないという表現はもちろんダイヤモンドは感情を持ち合わせていませんが、ダイヤモンドが発する光や現象がまさに見ている人の感情を左右しているといってよいでしょう。

 ダイヤモンドを美しいと感じるのは感性ですからそれを論理的に説明をしようとするグレードというんのには若干の無理があります。感性に価格を付けることをは難しいので結果その中の小さな理屈としてグレードによる説明が必要になるのです。

 グレードというものはある意味販売側の知識を補うもので、勿論それで説明できるものではありません。絵画でいうと号いくらという表現がありますが、作家によって得意な大きさは違うわけで感性や才能をサイズで価格表現することには無理があると思うのですが、他の国では例のない販売方法を日本では行っています。

 いずれにしてもダイヤモンドの魅力というものは第一次的に人々の感情を引き出すところにあることは間違いがないでしょう。
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2016年10月11日火曜日

価値判断⁉

 とある小売店さんの販売員さんに
『宝石の価値ってどう説明したらよいのですかね?』
という質問を受けてちょっと驚きました。

 この販売員さんは非常に素直な方なのでニコニコしながらその質問を聞いていました。
私が
『貴女は何だと思いますか?』
と尋ねると
『綺麗なものだと思います?』

 これらの会話にどうこうということではないのですが、宝石を販売しているどれくらいの販売員がこの質問に答えることができるのだろうか?

 単純にそんなことを考えながら、もし正確に宝石の価値を知らずに販売をしているとしたらこんなに困難なことはないと思います。

 つまり、一部の知識だけで宝石を販売しようとする行為は大げさな極端な例でいうと証拠が一部しかないのに判決を下してしまう裁判官のようなものですから、皆さんであればこの裁判官をどうおもうのでしょうか?たまたま結果があっていたというのならまだしも、ほとんどが冤罪みたいなものです。

 宝石の販売に関しては人生を左右するほどの影響があるわけではないでしょうから、ただユーザーであればそのお店から足を遠ざけるだけということになるのでしょう。

 しかし、目に見えないその影響はボディーブローがごとくジワジワと聞いてくるのでしょうから現在は結果はその影響でしょう。

 よく皆が景気の悪さを口にします。しかし、宝石は本来お金持ちのものですが近代においては一般の人も買いやすくなっただけで、現代においてはこれほどお金持ちにお金が集まっている状況は歴史的にも例がないのです。

 つまり、宝石の価値を高めることやお金持ちに対しての努力をしてこなかった業界のつけが今回ってきているのです。

 物事を判断するときに自分を基準にするか、相手を基準にするか、常識を基準にするかということがあります。宝石は相手を基準にしなければならないものの一つです。

 お金持ちは何を欲しがっているのか?そしてそれは何で、その価値を販売する自分が理解をしているかどうかというのが宝石を販売するときの基準だとすると、お金持ちは安物がほしいか?皆が持っているものをほしいか?いい加減な知識を判断基準にするか?

 どれも『ノー』に決まっています。

 現状の宝石の販売方法が宝石を買うお金持ちの価値判断の中にあるのかどうかおのずから答えは解っていることでもあるのでしょう。
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2016年10月8日土曜日

宝石を求めて⁉

 最近の宝石業界を見ていて単純に考えることがあります。

実用品ではない。
必需品ではない。
飾るだけならアクセサリーで良い。
見栄だけなら車でも家電でも何でもある。
等々を考えると宝石の存在って何だろう?

その価値は誰が生み出し、誰が守ってきたのだろう。

いずれにしてもその答えは人間自身であることは間違いがないでしょう。
ましてや古代から実用品でもなければ必需品でもなかったものでした。

 そこに価値を創造してきたのはなぜだろう?

 古くから人類には化身願望があり、それは身を守るためだったり、自分をより大きく見せるためだったり、相手を威嚇したり、羨望の印として身に纏ってきたものが宝石です。

 その為にもその価値は皆に知らしめられたものでなくてはなりません。そうして想像されてきた価値が何千年と積み重なれ近代になっていると思っているのです。

 現代においてはその積み重なれてきた価値を利用し、さらにはその価値を食いつぶすようなビジネスが横行し、そしてドンドンその価値を損なってきました。その結果、宝飾業界の盟主であっても身が朽ち果てる結果となるのでしょう。

 価値があるから時々の値引きも生きるのです。価値の無いものと思われたものはいくら安売りをしても売れるわけではありません。

 それでは今後宝石は誰が価値を高め、さらに高めていくのでしょうか?

 宝石は人類においてのその役割を終えようとしているのでしょうか?

 宝石は今後どうあるべきなのでしょうか?

 タコが自分の足を食べるような状態の宝飾業界はどうなっていくのでしょうか?

その序曲が聞こえてくる今日この頃です。

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2016年10月7日金曜日

時代の流れ⁉

 出張先でモバイルが鳴りなにげに先方の声を聴くと
『高木さんH社が倒産をしました。』

 何気に感じていたこととはいえやはりショックではありました。
自身も在籍をし、現代の宝飾業界の礎でもあった会社でしたので動揺はありませんでしたが感じるものはありました。

 華やかの時代でした。

 今でいうジュエリーという世界を本格的に日本に広げた会社でもあり、今日本中で行われている宝飾品の展示会の基を作った会社でもありました。また、世界で最初にダイヤモンドにブランドを付けた会社でもありました。

 創業者でもある初代の社長は私の師でもある方で当時は『今太閤』とも業界では呼ばれておりました。おかげ様でも社名を名乗っただけでいずれの場所でも特別扱いをいただけるような会社でした。

 代が変わり息子さんが社長になるようになると流れは変わり、初代の哲学とは違う方向に向かい、内輪もめが出て、その姉が会社を継ぎ運営をするようになるとみるみると社員の質も落ち営業の中身も落ちてきました。

 初代が掲げた宝石商としての哲学は間違いなく日本の宝石業界を発展させてきました。しかし、そのまねをする会社が次から次と出てくるようになると似て非なるものが出来上がってきたのです。それが今の宝石業界です。

 考え方が古いといわれたこともありますが、宝飾業界は『温故知新』。古きを訪ね新しきを知る業界ですから祖となる部分がなくなるとエンジンのない車のようなもので止まっている分には問題はないがということになります。

 エレガントさを失い、マナーを失い、そして哲学を失った宝飾業界はただの流通業と変わりはありません。

 H社は日本の宝飾の夜明けそのものでした。哲学をあくまで追求し、身に着けやすいジュエリーを追い求めた半面優雅さや、場所を提供し続け、最盛期にはかのパリのバンドーム広場に世界のブランドと肩を並べ店舗を構えておりました。

 この広場にお店を持つことはオリンピックに出て金を三つ取るよりすごいことなのです。現在日本からはミキモトだけであとはカルティエ、ティファニー、ブルガリ等わずか十件足らずしかありません。

 いずれにいしても業績の悪くなっている現在においてはいたしかたがないとはいえ、哲学を失った会社のなれの果てということになるのでしょうか。ジュエリーは実用的価値ではありませんから哲学が唯一の価値といってもよいでしょう。多くの会社が現状これを持ち合わせてはおりませんから苦境はやむを得ないということなのでしょうか。

 いずれにしてもこれが時代の流れ何でしょうか?又は今後の業界を示唆しているのでしょうか?
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2016年9月28日水曜日

ダイヤモンドの判定⁉

 以前にも人造ダイヤモンド(CVD,HPHT型)の普及やその変動について書いたことがありますが、中央宝石研究所から簡易的な検査器が売り出されています。1/220~3ctsまでが検査対象だということです。

 実際には人造ダイヤモンドほとんど場合ジュエリーにセッティングされているメレーサイズのものが多くこの検査器は裸石であることが前提になりますので効果のほどは如何程にということになります。

 この検査器はダイヤモンドのタイプを判定するものですから、タイプⅠかタイプⅡに判別をし、タイプⅡであれば要検査ということになるので実質的には再度検査機関に持ち込んでくださいということになります。

 勿論ダイヤモンドのタイプについて理解が出来ていないとなればまずはそこから勉強をしてもらわなければなりませんが、宝石業界の場合どれくらいの人がそれを理解しているのかは疑問ですが・・・・。

 現在G.I.A(売国宝石学会)やDTC等でも簡易的な検査器を開発中ですが現在の国内で販売しているものは30万円前後しますのでそれぞれの小売店さんでも持てない範囲ではありませんが、さら鑑定機関に持ち込むことを考えるとそれぞれのメーカーでその役割を果たさざるを得ないかもしれません。

 皮肉なことではありますがリサイクル等の十年以上過去に販売されたものに関してはそれほど神経質にならなくてもよいと思いますが現在製造されている、特に中国製のものに多く存在が確認をされていますので要注意です。

 ちなみに現在の廉価対象のジュエリーに関しては中国製が多く含まれていますので気を付けたほうが良いでしょう。勿論国内生産のものであってもその可能性は高いのですが大手のメーカーの場合はすでにその検査が裸石の時点で行われているようです。絶対ではないですが・・・・。

 特徴としては小さいものに関してはホワイトのものが多く、内包物に関してもほとんど存在しないということですが、実際には私が確認したものには特に大きな物にはブラウンの混じったイエロー系やファンシー系の色が入ったもの、さらには内包物の入ったものも確認をしております。

 いずれにしてもそれぞれの経験も踏まえた判別意識が必要でしょう。

 ただ現状は極端な価格差が天然、人造にはありませんが現在の中国の量産体制を見るといずれは1/10くらいの価格で出てくることも間違いがないでしょう。
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2016年9月26日月曜日

伝えること⁉

 丁度2000年の今頃、私はナポリのサンタルチア港のフェリー乗り場にいました。カプリ島に渡り、当時発売を予定していたオードトワレのOEMを依頼する為でした。

 話も終わり、戻ろうとしてもフェリーの時間までまだしばらくあり、そこのスタッフの勧めもあり、カプリ島で最も有名な場所『青の洞窟』を見学することになり、船着き場に向かうと人々が何か話し合っており尋ねてみると波の高さを図っているとのことでした。

 実は『青の洞窟』は1メートル有るか無いかの入り口の高さで、少しでも波があるとほとんど入ることができません。ちょど行った時期は波も静かな時期で数十分待たされただけで小舟に乗り洞窟の中に入ることが出来ました。

 時期が違うと3日間で一日も入れないことがあるそうで入ることができるのは非常にラッキーなことということでした。私はその後3回訪れていますがいずれも入ることができていますが友人の話を聞くところによると2回訪れていずれも入ることができなかったということでした。

 中に入ると外の明るさとの差もあり真っ暗で最初は何も見えないような感じですが、入ってきた入口のほうを見ると驚愕というか驚きの一言でした。

 外の光が取り入れられて海底が紺碧の空のような蒼色に染まり、目が慣れてくるとその光が洞窟の天井に映り込み何とも言えない素晴らしい空間です。どんな経過があり、こんな美しさが出来上がるのだろうと思っていた時に私はある事に気が付きました。まぬけな話ですが最初に目が慣れなかったわけではなく私はサングラスをしていたのです。

 サングラスを外した後は絶句するような光景の中に身を置いてただただ感動をしておりました。この自然の美しさをどのように伝えることができるだろうと考えると人間の感性だけで自然の美しさを伝えることはやはり無理だろうと思うしかありませんでした。

 我々が普段扱っている宝石に関してもその場で見えているにも関わらずその美しさを伝えることは難しいと思っています。それは販売側の間違った知識や説明の為でもあるかもしれないし、人それぞれの感性も違いそのこと自体を理解してもらうことが難しいのかもしれません。

 いずれにしても自然の美しさは人間のボキャブラリーだけでは説明しきれないのかもしれませんが少なくてもその場で一緒に見えているものは言葉が少なくて済むわけですからどのように伝えるかは説明する側の感性でもあります。

 目に映っているものをどのように伝えるかは永遠のテーマのような気がしますが少なくても我々はそれを追い求めなくてはいけないのでしょう。
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2016年9月22日木曜日

愛ちゃんのダイヤモンド⁉

 国民の娘『卓球の愛ちゃん』こと福原愛選手の結婚発表が昨日行われ、多くの国民が祝福し、幸せな気分になったと思います。端正な顔立ちの新郎の台湾の江選手はいかにも今どきのイケメンというよりも穏やかな育ちの良さそうな青年であります。

 婚約指輪の3.22ctsのダイヤモンドは彼の愛ちゃんへの愛情がにじみ出ています。これは彼の誕生日の2月22日にプラス100%の愛を彼女へという思いから選んだ石目だそうです。

 世界の多くの国では当たり前である愛情表現をダイヤモンドへ込めるという素晴らしく崇高な行為といってもよいかもしれないこの儀式というか行為は現在の日本では廃れてきています。

 ダイヤモンドを買えない理由を若者の男性たちは『そんなの形だけだよ』と言い放ちますが、多くの場合はその甲斐性のない自分の負け惜しみだと思っています。また女性は男性に嫌われたくないという思いから『そんなものに拘っていない』といって本音を隠します。本当はほしいのに・・・。

 本当にそんなことで結婚生活がうまくいくのかなとさえ思います。確かにそのことがすべてではないとは思いますが、金額の問題ではなく最低限の証として存在すべき行為でしょう。そういった意味では現在の若者は情けないといわれても仕方がないかもしれません。

 また、江選手は愛ちゃんへのプロポーズに『鍵』を渡し、『この家の主になってください。』と言ったという事ですが、これは彼のみに拘らず多くの中国人だけではなく古くはローマ時代から行われているプロポーズですが、

 一説にはローマ時代多くのローマ貴族たちはお風呂好きで、よく映画などでも見かける白いポンチョのような布で身をまとい、それにはポケットのようなものが無く、そのために家や金庫などのカギを指輪にしていたといわれています。

 ローマ軍の騎士たちは遠征に出かけると何年も帰ってきませんのでその前に良き伴侶を探し、その『鍵』を渡す相手を求めたといわれています。その指輪のカギこそが今の婚約指輪の由来といわれており、また女性はその代わり『命』を預けますという意味で心臓につながっているといわれる左の薬指にその指輪をはめるという信頼の証でもあるわけです。

 現代は単なる気持ちの代替的な要素が殆どかもしれませんが、江選手のようにオリジナルでデザインをし、思いをそこに込めることは決して軽軽な形だけの問題ではないと思います。

 もっと現代の若者たちは自分たちを素直に認め、結婚するだけの度量が整ってはいないことをきもに命じ、子供が出来ちゃったから結婚をするといった生まれてくる赤ちゃんに失礼になるような言葉を吐かずに、ちゃんとした愛と責任という証を示すだけの度量を身に着けてもらいと願っております。
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2016年9月20日火曜日

ダイヤモンドの売れる理由⁉

 売れるものよ売れないものが混在する現代においてその格差は激しくなる一方ですが、売れるものは何が満たされ、売れないものは何も満たされないということなのでしょう。

 人間の欲求には成長欲求欠乏欲求があるといわれますが、人は何かの欲求によってものを購入することが基本となるわけですが成長欲求というのは自己表現で、欠乏欲求というのは最も多く、物理的な物をはじめ精神的な物とを併せ持ち、食料から始まり愛情、安定等々いろいろな種類もあります。

 ダイヤモンドはなぜ売れるのかというとこれらの両方を併せ持つといっても過言ではありません。つまり、自己表現としての欲求を満たし、さらには欠乏する癒しや、情緒的な美しさへの満足感も与えてくれます。

 無くて困るような実質的な役割を果たしているわけではありませんが(一部の工業用、光学用は別にして)精神状態によっては欠乏する欲求を満たしてくれさえします。また、持ち方によっては精神的な安定ももたらしてくれます。

 決してダイヤモンドというものはジュエリーとしてのデザイン等の一次的な要因で購入を決めるわけではありません。もし、売り手がそのことを前提としているのであれば車を色彩だけで売っているようなものですから売ることは鼻から難しいということになります。無論、グレードで売るという販売方法も同じことが言えます。

 ダイヤモンドの本質的な価値を理解することは難しくはありません。なぜなら多くのユーザーはそれを前提に買っているのです。ただ売り手の頓珍漢な説明により混乱をして、購入を難しくしています。

 ただ、言えることは多くの人々はある程度の年齢になると多くの欲求を失っていきます。つまりそれほど物に対する欲求も薄れ、また自己表現といった成長欲求も失われていきます。つまり、裏を返せばそれらを持っている間は若さを維持もできるということになります。

 ダイヤモンドに関わらず物が売れるということは欲求に対する供給ですから、ユーザーの欲求を引き出しその欲求に対する満足感を演出することが大事なのでしょう。

 多くの人々は自己で感じる欲求のほかに内在する欲求に気づかずにいることが多くあります。現代の『ポケモンGO』なども本能的に眠っていた狩猟本能に火が付いたものなのでしょう。

 ダイヤモンドはそれら現代の売れているものから比べると歴史もヒントもたくさんあります。ただ売り手が手を抜かず、怠けずそれらの演出を根気強く行っていくことが大事なのでしょう。

 ダイヤモンドに対する欲求は多くのユーザーにあるのです。ただここ十数年眠っているだけなのですから上手に気が付かせてあげることが大事なのでしょう。
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2016年9月18日日曜日

ダイヤモンドは変わらない⁉

 昨今の景況もあり、人間何かと苛立っているのか他人の足を引っ張たり、ゴシップが多くなったりと週刊誌ネタには困らないような内容が多くあります。一方では自動運転の車とかオート何とかと人類の進化というより技術の進化が止まりません。

 一方では貧困、一方では技術開発に大量のお金の供出とお金の配分を間違わなければ多少の進化の速度が落ちてもということは日々思います。これらも人類の進化のうちの一つかもしれません。

 世の中がドンドン変わろうと変わらないのがダイヤモンドです。多くの業種と違うところは技術開発や改良、改善の余地がないものを扱っているということです。もし進化、変化ということを考えるとしたらそれを扱う人間が変わらなければなりません。

 行き詰ったように現代の宝飾業は喘いでおります。なぜかというと時代の変化に扱っている人間がついていけていない事と宝石の本質を見失っているからです。色々なところで企業努力はしているのでしょう。しかし、事の本質を理解していないので空回りをしていることが多いように思います。

 つまり、売り上げを上げようと特価をやってみたり、即売会をやってみたりと宝石の本質を理解していたとしたら考えられないようなミスを犯してもいます。または経費を削減と称してやはり誤った方針を打ち出したりとみていてハラハラするような企業が多くあります。

 宝石、特にダイヤモンドに関してはいかに価値を上げ維持をしていくかが課題で扱っている人間の仕事はそれ自体そのものが仕事です。つまり、即売会やバーゲン、経費削減というのは場面によっては必ずしも間違いとは言いません。

 しかし、常日頃ダイヤモンドの価値を上げる仕事をしていてそのうえで一定の条件の基特別プライスによる販売はかならずしも否定をするものではありません。ただし、それも明確な理由があってのことです。又経費の削減も企業としては当然の行動でもあります。しかし、ダイヤモンドの価値を上げる仕事を否定するような内容、例えば見た目がみすぼらしくなったり、いかにも経費を削減していますよといったユーザーにも見えてしまうような経費削減は逆効果でもあります。

 よく宝飾業は夢を売る仕事といわれていましたが、現在ではどうでしょう。みっともない恰好をしたホスト崩れのような若者が展示会場内でかっ歩していたり、チンドン屋さんのような恰好をしたデザイナーなる怪しげな職業の人間が同じく展示会場内で怪しげなパフォーマンスを行っていたりと宝石の価値を下げるにはこのうえない行動をとっています。

 ダイヤモンドに言及をしてみても多くの扱っている人々は素人です。つまり、マニュアルがあり、ダイヤモンドそのものが変化をしないので素人が扱うこともあできる安易なものでもあります。それは日本に限ったことではないかもしれません。

 しかし、どの世界にも対応ということがあります。ダイヤモンドそのものを理解していなければ多くの場面でユーザーとトラブルを起こしてしまいます。ただ何度も書きますがダイヤモンドが変化をするわけではありませんから扱っている人間がその価値に寄り添っていなければなりません。

 他の業界と同じような展開をするとかつての大手ジュエリー・チェーンのように衰退の道を歩まざるを得ません。ダイヤモンド自体が変化をしないことで多くな販売形態が楽な方へ楽な方へと流れてきました。宝石を扱うということは少しの背伸びと沢山の我慢が必要です。

 宝石の価値を維持し高めるためにはだらだらと楽なほうへ流れていてはできません。今こそ扱っている人間のギアを上げ変化していくというか、元に戻す努力をしなければいけません。

 我々の相手は消費者ではなくユーザーなのです。

 とにかく、ダイヤモンドは変化しないのですから・・・・・。
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2016年9月15日木曜日

カジノ構想⁉

 今回の豊洲の件に関してはみっともないの一言です。元知事は『誤魔化されたと』無責任なことを言っているし、都の職員たちも誰が担当責任者だったかは『時が経ったので記憶が定かではない』とか内を言っているのだろうと思います。

 いっそのこと以前から構想に上がっているカジノを本格的に考えてみたらどうだろうか。食品を扱う場所としてそぐわないのであれば豊洲からお台場、有明とまだまだ相手そうな土地はあるのだからカジノに本腰を入れて築地に関してはもっと別に考えてもよいのではないかと思います。

 カジノを創るにあたっては色々と反対意見があることは理解をしていますが、ギャンブル依存症なんというものはカジノとは関係がないと思っています。現実に競馬、競輪、オートとギャンブルにすでに依存している人々は多くいます。むしろきちっと最初から一定のルールを作ることのほうが戦後のゴタゴタから出来上がった利権業界を整理することもできるかもしれません。

 また競馬、競輪等もラスベガスで行っているようにカジノの中で行わせることによりもっと健康的なイメージが出来上がるかもしれません。

 以前の数字ではありますが日本のギャンブルの売り上げが3兆5千億円、ラスベガスは6千5百億円とあのラスベガスの5倍以上のお金がすでにギャンブルに使われています。なによりも公営がすでにあるわけでいまさら何をという感じがします。

 海外からの観光客をはじめ、国内のギャンブル客を前提にするとラスベガスのレベルを超えることはそんなに難しくありません。何よりもラスベガスもそうですがコンベンション・シティとしての考え方やエンターテイメントの場所づくりとアイディアはいくらでもあります。実際にラスベガスも実際にはカジノ以外の売り上げが多くなっています。

 特に隣国の中国人はギャンブルが好き出ることは衆知の事実です。マカオがラスベガスを抜いたのもそんな背景があります。東京ディズニーランドですらあれだけの外国人を集客しています。観光立国を目指すに日本にとってはこれ以上の材料はありません。

 勿論、警備の問題やいろいろな問題は存在しますが、新橋や銀座等の隣接する場所の影響は計り知れません。さらには一兆円以上の売り上げを考えるとその税金を特定財源とし、介護や待機児童に充てることを考えると本来はなかった財源ですから国民の負担や不安もへることもかんがえられます。

 更には羽田との海上シャトルや三浦半島からの定期フェリー等々考えると経済効果は東京オリンピックをはるかに上回ります。当然株価の上昇は望めるし、カジノのマシンの大半は日本製が多いと聞いています。ゲーム機の技術を生かしたものが現在のカジノマシンに応用されているそうです。以前ラスベガスのMGMがリニューアルをしたときにカジノで使っているコインカップが日本製であることを聞かされてびっくりしたことがあります。

 カジノを開設されることでのネガティブは人間の持っている性悪説の範囲です。しかし、それでもたらされる貢献はそのネガティブをはるかに超えます。日本の政治家のグローバル感覚にかけるしかありませんが、果たしてそれはどうかというところです。
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2016年9月13日火曜日

ダイヤモンド・ファン⁉

最近の景況もあり、今後の宝飾業界について相談されることもようありますが多くの人が口をそろえて言う言葉は
『消費者が宝飾品に興味を持っていない。』
という言葉です。

 消費者がものに興味を持つかどうかはそれぞれの業界のプレゼンテーションなり、プロモーションもあるのでしょう。以前の宝飾業界であればダイヤモンドのキャンペーンとして多くの場面でダイヤモンドの魅力や役割を啓蒙する活動をしておりました。

 つまり、ダイヤモンドは単なる嗜好品ではなく実際の生活の慶弔事の中での役割等々をメディア等々で行っておりました。しかし、現在は一部のブランド等のみで全般的な啓蒙活動などはほとんど行っていません。

 婚約指輪、成人式などの祝い事にはダイヤモンドや真珠等の役割は大きかったと思います。その上での嗜好性やある種のプライドもあり多くの宝飾品は売れておりました。このことに異論がある方は少ないと思います。

 過去十数年その本来な価値である習慣やプライドをズタズタにしながら販売を行ってきたのが業界側でもあります。その場の売り上げに走ることにより本来の価値を下げまくってきました。値引き合戦や、いかにも高級と思わせるような演出で低単価で通販などを行ったりと、特に百貨店等の名前を出しTVショッピングで販売されるものは劣悪商品も多く、その信用を失うには十分な役割を果たしてきました。

 片方で一生懸命価値を高めていても、片方では一生懸命信用と価値を失うことに時間を費やしています。

 そこで冒頭の相談の答えにもなりますが、これら逆行してきた販売方法をやめ、さらには少し我慢をしてでも価値を高め本当に宝飾品としての価値ある品物だけを扱っていくということが大事です。

 つまり、宝飾品の販売をとり戻すには特別な方法はありません。本来の価値に照らし合わせ当たり前のことを当たり前にやるしかないのです。

 まずはダイヤモンドの好きな人は多くいますので、それらの人々を確実なファンにしていくこと、そして、宝石の魅力を感じてもらったところで次の段階の宝石に進んでもらうという地味ではありますがコツコツと進めていくということでしょう。

 そのためにも取り扱っている人は勉強をし、知識を高めていくことが大事です。よく展示会等でも何十年というキャリアを持つ販売員に多く出会います、しかし、多くの人々の販売をする知識としては不十分なために消費者の不信感を募らさせたのも事実です。

 本当の宝石業界は捨てたものではありません。中途半端を排除することにより必ずよみがえるはずです。
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2016年9月12日月曜日

September,11⁉

 本日米国は9月11日、ほとんどの人が思い出したくはない日であろうと思います。
小生はその日次の週の米国出張の準備を終え、行きつけのすし屋に寄ったところでした。そこでお店の主の住居にもなっている居間から大きな声が聞こえてきました。
『ちょっと来てみてください。アメリカが大変なことになっている‼』

 慌ててその場に行ってみるとTVの画面から流れてくる映像はハリウッド映画のシーンかとも思えるような場面でした。
 『これは何だ?』
と思わず声に出した私に主は
『テロだそうです。』

 これが私の9.11の始まりでした。

 1週間後私はその現場の数百メートルほど離れた場所におり、今でもその時の鼻をつく臭いを忘れることはありません。

 現場から数百メートル、私が最初に目にしたのは小さな公園で走り回っている少女でした。傍らにはしゃがみ込み事件のあったほうを虚ろに見つめている女性の姿がありました。怪訝に思った私は声をかけてみると彼女は少女の母親で私に発した一言は
『私の夫を待っているの。必ず帰ってくると思って娘と一緒にここで待っているの。』
彼女の夫もやはりあの貿易センタービルで働いていたのです。

 それから数百メートル離れた場所には消防署があり、多くの犠牲になった消防士の遺影が飾られ『君たちは英雄だ‼』という言葉と同時に『帰りを待つ‼』という言葉が飾られていたことを思い出します。また、数キロ離れたユニオン駅においても数百人の写真が探し人の所に貼られ、遺族は犠牲者の生還をいまだに待っているのだなと思い、胸が熱くなるのを覚えています。

 印象的だったことはまだあり、現場の数百メートル離れたところではアフリカ系の人間がこの事件のTシャツを1枚10ドルで販売をしており、さらにはそこから2ブロック離れたところでは中国系の人々が同じTシャツを2枚10ドルでやはり道端で販売をしており、さらにはタイムズスクエアの土産店では3枚10ドルで販売をしていたことです。

 その時に今後の世界を見たような気がしましたし、慈悲というものを持ち合わせてはいないのかとちょっと怒りにも似た気持ちを持ちました。しかし、私自身もこのことを胸に残そうと購入はしましたが未だに手を通すことはありません。決して思い出ではないので・・・・。

 その後取引先に寄った際には友人がその瞬間を目の当たりにしたことを話してくれたのですが、彼の目には涙がにじんでいたことが印象的だったのと、その後彼はそのことがトラウマになりその事務所を去ることとなりました。
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2016年9月9日金曜日

摩訶不思議⁉

 今週、展示会に参加をしていて不思議に思ったことがあります。それは初めてとか初めてに近いお客様に販売員が勧めているものについてです。

 普通に考えるとお客様の状況が分かればダイヤモンドから始まり、5大宝石なるもの等々からお勧めもしくはご説明をするのが順序と考えるのですが、多くの販売員はデザイン物やアクセサリー的なものを勧めているのです。

 そこの責任者と話していると多くの販売員は主要な宝石に対してのしっかりした知識がないためにどうしても言葉悪く言えば誤魔化せるもの、お客さんの目に入っているものといった順で進めている傾向があるということでした。

 だとしたらお客様は悲劇です。一般論ではありますが多くの販売員は派遣会社から来たり、結果を求められるあまり、その場限りの販売になってしまいがちです。この先将来とかその後のトラブル等々を想像できない手合いが多いのかもしれません。

 多くの場合とは言えませんがちゃんとした宝石の知識や販売の前後に対する気遣いが足りないように感じます。それは会社によっては専門的なことよりお客様の相手をしていてくれればよいという考え方や、そんなことは自分で学ぶことで当たり前のことだと責任を回避している会社もあるからなのでしょう。

 更にはその延長の話になるのかもしれませんが、デザイナーズ・ブランドと言われている魔訶怪しぎな連中の存在です。世界中の例を見てもデザイナーといわれる連中がチンドン屋よろしく商品よりも自分が目立とうという種族です。欧米諸国、アジアの多くの国で展示会等に参加をしてきましたが、デザイナーといわれる人々のほとんどはフォーマルな出で立ちでいかにもデザインに誇りを持っているといった人々が多いと思います。

 どこから勘違いが始まったのかは解りませんが、少なくても日本であっても以前のデザイナーズといわれる人たちはもう少しまともだったような気がします。最近の多くのチンドン屋さんたちは新宿とも言えない地方のホストクラブから派遣されてきたような出で立ちをしています。

 これらの多くが今の日本の展示会の主流だとしたら今後の宝石業界は消滅の危機になるのかもしれないと思わざるを得ません。

 本当に摩訶不思議です。ただ知っている限り百貨店等もレベルが下がってきたといわれてもチンドン屋さんを入れるほどまでは下がっていないようにおもいます。

 これは決してチンドン屋を卑下しているのではなくその様相を指しているのですが業種によっての服装もあるという意味ですので誤解をなさらないようにお願いします。
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2016年9月2日金曜日

ダイヤモンドを販売する⁉

 昨日、某百貨店で販売の仕事をされている方が訪ねてこられ、私の著書をお持ちになりできればサインをいただきたいというお申し出があり少し驚きを感じました。以前にもそのような方がいらっしゃいましたが本当に興味をお持ちでダイヤモンドがお好きようでした。

 彼の口から出た言葉で
『私がダイヤモンドを販売するときにお子さんに、お孫さんにといって内容で、引き継ぐことを前提にお話をさせていただくことが多いのですが、間違っているでしょうか?』
といった内容の事を聞いて驚きました。

 彼は40代半ばくらいだと思いますが、最近会った同年代の人たちとはちょっと変わったスタンスだなと思ったのです。つまり、多くの人は流れに任せて売り上げが上がれば何でも良いといったことを口にすることが多いのですが彼は違ったのです。

 多くの人が現実的で、彼は夢を売っているように取れるかもしれませんが、それは逆で宝石の場合は夢と実利を販売し、現実的な販売などというのはむしろ夢物語で長くは続かないのです。

 彼はダイヤモンドというものは繋ぐという価値と時代を超えて売ることもできるということを伝えているのです。つまり、誇りとプライドを持ちながら、それを継続し、さらなる実利もそこには存在をするという本来の価値を販売しているのです。

 私は売り方としては全く間違ってはいないということと、将来的なダイヤモンド所有者の販売経路を確保してあげるという仕事がこの業界には残って入るけど現状の販売方法として間違ってはいないという意味合いのことを彼には伝えました。

 実際にはこのブログの最後にいつも掲載しているようなダイヤモンドの小売りではなく世界における勢価格を載せているサイトは数種類存在し、後の実効性のある形が出来上がれば一般のダイヤモンド所有者が適正価格で販売をする場所は今後は多く存在をしていくるでしょう。
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2016年9月1日木曜日

築地移転に関わること⁉

 最近気づいたわけではありませんが、クールビズが広がってからのことですが、男性でネクタイはしているけど上着は着ていない人と、上着は着ているけどネクタイはしていない人に分かれます。後者のほうが多いようにも感じますが人の考え方により少し違ってくることを感じます。

 最近の話題では築地移転問題がありますが、延期により様々な部分で費用負担が増えるという人もいれば小池都知事のように安全第一と考える人もいます。

 この部分に考え方の違いが出てよいのだろうか?

 前述したクールビズのこととは違い、まずは生鮮市場というのはどんなところで何の役目をしているところなのだろう?問う必要もありません。

 食の拠点なのですから念には念を入れたリサーチがあって当たり前のことです。まだ安全確認の最終結果が出ていない時点での実行には問題はあります。余分な経費が掛からなければ食の安全に多少の問題があってもやむを得ないということではありません。

 また、オリンピックに工事を間に合わせなければならないという理由も、オリンピックは4年後の一度だけですが東京都の食の安全に関しては何十年、何百年といった長いレンジで考えることです。
現実に今までだって予定、予算をどれくらい変更してきたのですか・・・。一個くらい増えたってもんだいはありません。

 今の築地の環境を考えると食の安全に問題が無いかというと無いわけではありません。老朽化に伴う衛生面での問題も多く抱えていることも耳にします。ですから移転に反対なわけではありません。何を前提として考えるかということになると東京都の『食の安全』なわけですから時間予算がありきではありません。

 高騰した予算、確認の取れない食の安全等々このままで進めてよいことではないことは確かです。移転賛成派の築地関係者にとってもここのところに異論はないはずです。彼らの問題は使ってしまった経費とこれから掛かるであろう余分な経費の問題でしょう。

 ですから彼らが小池都知事が打ち出した方針に反論をすることは間違っています。ただし、彼らも東京都の打ち出した方針にそって行動をしてきたのでしょうから東京都にその補償を要求することは当然です。

 知事の打ち出した方針に単純に反発することはその他に何か思惑があるのではと勘繰られることにもなるでしょう。いずれにしてもこれは総論賛成、各論反対という問題ではありません。総論は当たり前として、各論も総論に沿ったものでなくてはいけません。

 それこそ訳の解らないと議会の議長の発言ですが『車の両輪』となって考える問題です。クールビズのような考え方の違いでは困るのです。仕事にも近視眼的な人が多くいますが物事は経験を経た老眼的な発想も必要なのです。
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2016年8月29日月曜日

ドジな話⁉

 海外ではよくドジな強盗の話がありますが、今朝TVを見ていたら携帯電話のショップに押し入った強盗が表のシャッターが閉じられ、閉じ込められたシーンが流れていました。これは裏の部屋に店員を閉じ込めたつもりで、実は裏には隣のお店とつながった扉があり、そこから表に出た店員が外からシャッターを閉めて閉じ込めたもようが流れていたものです。

 この様子を見ていて私自身が目撃をした事件を思い出しました。今から十年ほど前になりますが頻繁に通っていたニューヨークでのことです。いつものように仕事も終わり食事に行くためにタイムズスクエアを歩いているとドラッグストアが目に入り、ちょっと買い物をしていこうと店内に入ろうとした時です。

 入口の入ったすぐの所で大きな男二人が上を見上げていました。このお店は1階と地下一階に分かれていて入口のすぐの所に地下へ向かう下りエスカレーターと上りエスカレーターが揃っています。

 大男たちの視線の先のエスカレーター部分の上部には防犯用のモニターが5台ほど設置がしてありました。

 見ていると一台のモニターに映っている怪しげな男をカメラが追っていました。一方の男に何をしているのかと尋ねると、モニターに移っている男がどうも万引きをしているようだとのことで、一緒になってその様子を見ているとそれは地下の売り場の様子でした。

 画面に映っている男を見ているとやはり怪しげな行動をとり買い物かごではなくポケットに小さな物を入れたり、そこいらじゅうをきょろきょろ見ていました。気が付いてみると私の後ろにも50人を超える群衆が集まり、同じようにモニターを眺めておりました。

 セキュリティーである大男たちが同時に動き始めました。外面に映っていた男がやはりレジを通らずに昇りエスカレーターに乗ったのです。その様子を見てセキュリティー達はりエスカレータの脇に寄り、上がってくる彼から見えないようにしていたのです。

 彼が昇りエスカレーターも降り口に近づくころ目の前に大勢に群衆がおり、ここからがアメリカだなあ…と思ったのは、その彼を群衆が大声と歓声、拍手で迎えたのです。彼は何事かと思いつつもにが笑いを浮かべながら手を上げようとしたその瞬間に大男のセキュリティーに両脇から抱えられて御用となったのです。

 もちろんニューヨークですから万が一を考えると危ないことではありますが、セキュリティーがいたことや大勢の群衆もいたこともあり、一緒になってはやし立てていた自分がそこにおり、自身がニューヨーカーになったような気分でいたことを思い出しました。日本ではその前に退去をさせられるでしょうから考えられないことでしょうね。

 どこにもドジな強盗はいるものです。
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2016年8月27日土曜日

男のダイヤモンド⁉

今秋発売の雑誌『GOETHE』(ゲーテ)では男のダイヤモンドを特集しています。中にはとても興味深い内容の記事も載っていて楽しく読めるものです。

 中にはちょっと首をかしげるところもありますが大方はダイヤモンドの特徴なり際立った記事が書かれており銭おすすめです。

 男のダイヤモンドというとちょっと特殊なような気がしますが、本来古くからダイヤモンドはある意味男性のシンボルとして使用をされることが多く、むしろ女性向というのは近代の話だという気がします。

 私がこの業界に入った頃もジュエリーの高級品には男性用のシガレットライターやシガレットケース、万年筆、カフスボタン、タイピン、タイTAC等々男性用のジュエリーが所狭しと並んでいたものです。むしろ、なぜに今という感じもしますが・・・。

 確かに男性用ダイヤモンドジュエリーもあまり目にしなくなって時が経つようなきがします。最近目につくダイヤモンドジュエリーといえばスーツやジャケットの襟につけるタグ・ピン程度のものでカフスやその他の男性用ジュエリーはほとんど目にしません。

 ジュイェリーは本来は王や権力者の象徴でもあり、ソンお典型がダイヤモンドでもあったわけです。ダイヤモンドの語源の通り『誰も侵さざる物』『不屈』等々強い男性の象徴として」君臨をしてきたものでもあります。

 昨今では男性の中性化や女性化、さらには女性の男性化などが取りざたをされておりますが。決してそのせいだけではないでしょう。簡単に言うとダイヤモンドの高額化が一番の理由でもあるのかもしれません。それ以上に日常生活に必要なものが沢山あり、また、ダイヤモンドの価値観の低迷ということもあるのでしょう。

 今回のゲーテの内容はその辺を払しょくしてくれるようなものになっているのが頼もしく感じました。今回オリンピックがおこなわれていましたが、メダリストたちにはメダルもよいけど、普段何気に身に着けることのできるダイヤモンドを勝者の象徴として授与してい者です。

 ダイヤモンドは確かに成功者や勝者のものかもしれません。しかし、皆に自信や誇りを持たせてくれるものでもあります。ただそのことを知りうる機会がないのでしょう。多くの業者はその真逆を演出にさらには宝石の価値を下げることに汗をかいています。

 その点今回のゲーテの内容はまだまだ捨てたもんではないなという気持ちが業界外から出てきたことに安堵しています。ぜひ機会があれば目を通してもらいたいと思います。
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2016年8月23日火曜日

人造ダイヤモンド⁉

 以前『疑惑ダイヤモンド』というタイトルで人造ダイヤモンドのことを書きましたが、昨日来社した業者が輸入をしたジュエリー(特に香港、中国方面)の数点の一部に人造ダイヤモンドが入っていたということを嘆いておりました。

 人造ダイヤモンドといっても何種類かありますが、特に顕著なのがCVD(chemical Vador deposition)いわれる同方向に成長をさせていくものとHPHT法いわれるアンビルという装置を使用し6方向から加圧していくものとに分かれます。

 現在では大量のHPHT法による人造ダイヤモンドが中国で生産されておりますので前述の場合はこのHPHT法によるダイヤモンドの混入といってよいでしょう。混入という言葉が適しているのかどうかは意図的かそうではないかによりますが、多くの場合インドの会社が工場より購入し、それを中国の深圳(香港隣接)等で制作するものとなるので、ジュエリー製造者自身がそれを知らないということがあります。

 しかし、現在ではこれら両方の製造方法による人造ダイヤモンドの看破方法は100%とは言えませんが確立をしています。以前にも書きましたがG.I.Aにおいても1ピース10セント程度でその作業を行っています。さらに安価な簡易看破装置なるものをDTC,GIA等で開発をしており、間もなく発売がおこなわれるとのことです。

 現在ではある程度高価なものなので一部の鑑定機関、メーカー等で導入をし、検査を行っているようです。しかし、まだ十分ではないのも事実ですが、多くの場合安価な製品に使用される機会が多いようです。

 アンダーグランドで製造をしている分には悪意をもってすれば一定の利益を上げることができる人造ダイヤモンドですが、これだけ明るみに出てきている人造ダイヤモンドをさらに増産を考えているといわれる中国人のメンタリティーは理解ができません。

 彼らのことですから看破をしにくいものの研究に没頭しているのだろうけれど、そういう問題ではなく人造が多く存在をしていると周知されたとしたらダイヤモンドそのものの価値が下がっていくのであるからその作業自体が意味がないということが理解できないのであろうか。

 ちょっと話は違うかもしれないがルビーやサファイアの加熱処理ものが多く横行したことによりそれらの宝石そのものの価値が下がったことも事実です。しかし、現実には一回りをし、それ故に非処理のそれらの宝石の価値が上がっていることも事実です。

 宝石の条件の一つに換金性というものをうたっていますからここ数年の買い取りブームの中でも処理石にはほとんど価格が付かないという経験をされた方も多くいると思います。展示会やTVショッピング等で扱われているこれらの色石に関してはほとんどのものが処理石となっています。

 いずれこの時代が終わり、また本来の価値のある宝石が戻ってくることを願ってやみません。本来宝石は簡単に手に入ってはいけないものですし、販売する者の良識としてそれらを宣言し、そのリスクも公言しなくてはなりません。

 ただ今後は私自身も今までは処理石を扱ってきてはいませんでしたが、メレーサイズ等の小さなものに関しては目を光らせながら検品をしなければならないでしょう。意味のない無駄な尽力をしなければならないこの時代を憂います。

 今後は天然のダイヤモンドであるという価値観も別に生まれるとしたら、それはそれで時代の変化なのかとも思いますが・・・・。
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2016年8月22日月曜日

オリンピックの総括(自分なりの)

 オリンピックも終わり、み名から賞賛をされる結果になったことは喜ばしいことです。銅メダルが異常に多いことも今回の特徴といえますが、その銅メダルの多くはまだ十代、二十代初めの選手たちであるということは4年後の東京大会の時は丁度良いということになるのかもしれません。

 特に400mリレーの男子は米国のTV局の表現を使えば
『ボルトしか日本を止めることができなかった。』
という表現を使っていたその世界一のボルトが東京大会ではいないわけですから今回より輝くゴールドメダルが十分に考えられるわけです。

 ただ残念なのは男子のマラソンがさらに世界との距離が広がったということですね。長距離に強い日本で短距離に弱い日本というイメージはもう過去のものになったのでしょうか。

 いずれにしても前回のロンドン以降選手強化費を増やし東京大会を見据えてきたことが少し結果が見えてきたのかなという感じがします。

 ローマは一日にしてならずという言葉がありますがな何事とも成し遂げようとすると簡単ではないということですね。

 今回最も評価を自身とてしたいのが伊調馨選手です。吉田選手とともに4連覇を目指し見事成し遂げたのは結果的に彼女しかできなかったわけですが、バッハ会長も閉会の挨拶の際に彼女の名をあげ『女性の格闘技での4連覇は普通のことではない』といった発言をしていますが、日本では吉田選手の陰に隠れがちではありましたが海外では今回の彼女の快挙は大変評価をされているということです。

 柔道で3連覇をした野村選手が『銀をとったヤワラちゃんの方が金をとった自分より報道も多くうらやましい』
と言っていたのですがそれなら連覇で目立とうとしたらヤワラちゃんも連覇をしたのでまた目立たず。それならば3連覇と思って頑張ったといっていましたが、報道の在り方もありますがその時代時代のスターの組み合わせで評価もされにくいこともあるのでしょう。

 それにしても日本選手団は頑張りました。他の目立たない種目にももっと目をむかると選手ももっと頑張れるのではないでしょうか。
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2016年8月19日金曜日

好きなこと⁉

 先日取引先の人間とダイヤモンドについて話をしていた時のこと
『高木さんは本当にダイヤモンドが好きなんですね。』
と言われて
『好きということではなく、仕事にしているんだから当然何じゃないかな。』
と私が言うと
『仕事というだけでだダイヤモンドの話をこんなに多くする人はいませんよ』
と彼が断言をするように言いました。

 しかし、もしそうなら好きなことを仕事にしていることは恵まれているということにもなるのでしょう。
時にはつらいこともあり、時にはうれしいこともあり、いろいろな経験をしてきたことは事実ですし、この仕事から一度も逃げたいと思ったこともありません。ちょっと悔しいですが彼の言う通りかもしれません。

 人間好きなことばかり選んで生きていけるわけではありません。ただ、好きなものがないということは不幸なことでもあります。ありがちなことは色々なものに目は行くけどどれもすぐに飽きてしまうということでしょう。

 私の経験からいうと目の移り気な人は仕事は遅いということです。目の前のこと一つに集中できないがために仕事に着手ができないのでしょう。沢山のことをやろうとして結果的に何もできていないというパターンです。

 例えば何かをやっている間に時間が少し空いているからTVを見よう、としている間にTVに夢中になり本来の仕事を忘れてしまうというパターンです。

 選択が多いということは必ずしも良いことではありません。忙しいと言っている人に限って仕事が遅いのもそのせいでしょう。脳を集中することを覚えることは大事なことです。

 一つのことに集中をするということは早く物事を進めることでもあり、そのことのスペシャリストになることでもあります。オリンピックに出場している選手の多くは小さい時から一つの競技を好きで続けてきています。ただ決して楽しかったり、面白かったわけではなく苦労もあり、試練もあったということはほとんどの選手が結果が出た後に話しています。

 自分のことはさておき一流になるということは好きになる気持ちと、集中する脳を持つことなのだと思っています。日々ただの食べていくための仕事と思っている人が一流になるわけも給料が高くなるわけもありません。

 取引先の彼から言われた一言がさらにダイヤモンドに集中をしていく気持ちにさせてもらいました。ちなみにその彼もよく勉強をしていてダイヤモンドの話をしていてとても楽しく感じます。最近のダイヤモンドに関するテクノロジーや今後の展開なども話が沢山の内容であってもスムースに話が続きます。本当は彼のほうがダイヤモンドに夢中なのかもしれません。

 いずれにしても好きでなくてはできない職種です。辛いだけの人は早めに退場をしたほうが良いのかもしれません。
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2016年8月17日水曜日

進化⁉

 リオ・オリンピックでの女子卓球のまずは銅メダルおめでとう。




 卓球の試合を見ていてもバドミントンの試合を見ていても思うことですが、あのラリーの速さには驚嘆します。もちろん以前から卓球にしてもバドミントンにしても見てきたわけですが、50年とは言わず20年ほど前でもあんなにラリーが早く、球種があんなに豊富だったろうか。




 テニス、体操にしても過去の映像を見ると『あれぐらいでメダルが取れたんだ』と思うほど技術の進化は顕著でもあります。人間はどこまで進化を続けるのだろうかとさえ思います。以前にも述べたようにドーピングに関してもDNAを使った薬物日頼らないドーピングの研究がおこなわれているそうですが、人間はどこを目指しているのだろうとさえ思います。




 決して科学の力を借りなくてもこれだけ進化をしていくスポーツがあるのに・・・。人間の怖ささえ感じます。




 一方、ダイヤモンド業界においても人造ダイヤモンドを作り出し、工業に使用する分にはよいと思いますが宝飾用の人造ダイヤモンドを創りだしてどうするのだろう?




 その価値がどこにあるのかを考えると結果的にはアンダーグラウンドでビジネスをしている分には儲かるかもしれませんが、その存在は周知の事実なわけですからその意味が解りません。一部の科学者の満足感なのだとしたらそのことによっての波紋を考えると不毛の研究ということになります。




 もちろん人間は進化を続けてここまで来たのですが、人為的ではない進化は意味があったのだと思います。水中から陸上へ、四足から二足へ、陸から空へとこれらは生き抜くための術として進化をしてきました。これらの進化とスポーツの技術向上は共通の部分もあります。




 しかし、原爆やミサイル等などの登場のころから少し変わってきているように思います。地球を30個以上吹き飛ばすことのできる原爆の量や米国のように人口をはるかに超える銃の所有数などは単に関連業界の都合のように思えます。これは進化ではなく退化の前兆のようにも見えます。




 ましてや人造の宝飾ダイヤモンドのそう出は何の意味もありません。これもやはり進化の過程になくてもよいもので無用の長物です。今後はそれを看破するための道具を商売をしていくことになるのでしょうがこの繰り返しは意味がありません。




 ドーピングをし、それを看破する手段を考えるそしてそれがビジネスになる。何の生産性もないことは進化であるとは思えません。


人間の進化はどこまで続くのでしょうか?




 オリンピックを見ているとその努力と輝かしさに乾杯をしたくなります。
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2016年8月16日火曜日

世相の移り変わり⁉

 オリンピックも後半戦に入り、日本選手団の活躍が目につきます。見ていて変わったなというのは選手それぞれの明るい笑顔です。結果に悔しがる選手や満足のいったような顔とそれぞれですが、総じてみな笑顔だし、『楽しみたい』という言葉を口にしています。




 五輪で『楽しみたい。』という言葉を耳にするたびに、過去水泳選手だった千葉すず選手のことを思い出します。彼女が五輪出発前の記者会見で『自分のためにも楽しみたい。』という言葉を世間中が叩いたのです。




 『税金を使っていくのに何たることか』とか『派遣選手から外せ‼』とかあらゆるバッシィングを受けたものです。いわゆる沢尻エリカ状態のように千葉すず選手はなった言ったのです。その後代表から外されスポーツ調停に持ち込んだりと今では当たり前とも言えそうなことが大騒ぎになったことを覚えています。




 国民も大人になり、また選手もプレッシャーを考えないように努力をしている結果でもあるのでしょう。多くの国でも発展途上国にはありがちなことなのかもしれません。今の中国や韓国などもその途上なのでしょう。つまり、一般の国民も国のためにガンバっているのだから国の代表である君たちはもっと頑張りなさいということなのでしょう。




 国もある程度豊かになり心の余裕ができたというより、あらゆるものに冷め始めた国民にとってはある意味結果はどうでもよいことなのかもしれません。それ故にスポーツとして純粋に楽しみ、興奮できればそれでよいのかもしれません。現実に過去のオリンピックから比べても視聴率はそれほど顕著ではありません。




 私自身も一度出た結果を何度もテレビ等で確認することはありませんし、むしろ何回も何十回も繰り返されるTVのVTRには閉口してしまいます。見逃した人がいるからという配慮を超えています。少しでも使いまわしをしようというTV局側の魂胆が見えます。簡単に言うとコストパフォーマンスを上げようという考えなのでしょうが今の中心世代を反映しているのでしょう。


 以前であれば資金も使い放題というところもあったのでしょうが一つのVTRの使い回しはTVから足を遠ざけるには十分な効果があります。見逃したことが興味をそそり、見逃さないようにTVにくぎ付けになっていた時代が懐かしく感じます。


 これらの行為は我々の業界にも当てはまります。経費を削減し、大廉売をする姿はその場の数字合わせだけで結果的には消費者に付加価値や興味を失わせることには十分な役割をしています。つまり、その物の価値をどんどん失わせることになり更なる窮地に追いこむといういわゆる『自分で自分の首を絞める』状態になっており、目先の利益を追っているばかりのように感じます。


 いずれにしても世相というものは常に変わるものですが基本の基の部分を忘れてはいけないのでしょう。車のデザイン等も時代とともにどんどん変わります。しかし、乗れない車はすでに車ではないのです。
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2016年8月14日日曜日

言葉を汲む⁉

 最近のことで、天皇陛下のお気持ちの会見が行われ放映をされましたが、お気持ちは天皇退位と譲位ということですが憲法上の陛下の政治的発言の差し控えということで直接言及するわけではないがその旨を伝えるための会見ということです。




 明らかに内容的には解りきった内容でも陛下のお言葉から国民がくみ取るようにということで段取りを踏んだということになるのでしょう。確かに陛下のお言葉通り天皇の公務は多岐にわたり、ご高齢であることを考えると無理があるのではないかと普段からでも察しておりました。




 国民の目のとまる範囲外での天皇のお仕事は宮中での政なども含めご自身のご研究等々とても80歳を超えるお方のお仕事とも思えません。そこら辺にいる新聞社と球団の顧問として偉そうにしている輩とはお仕事に対する姿勢がまったく違います。ライフスタイルとしている戦争、戦後を風化させずに向き合うという姿勢は見ていても頭(こうべ)を垂れたくなります。




 昭和天皇とは違い、人間天皇として過ごされた平成天皇の謙虚なお姿は日本のあるべき姿をしめされているような気がします。天皇として日本象徴として健康のために皇太子などの代理を立てることはあらゆる相手に失礼に当たるとお考えになり、天皇としてのお役を全うできないのであれば退位をするべきとお考えになったといわれています。




 また象徴天皇制を維持することが望ましいとの意味合いのこともご発言されていましたが、これは言及されてはいませんが戦争を放棄し、平和日本を維持する象徴として現在の政府に対するメッセージでもあったように取れました。




 今回の会見からその旨を汲み取るようにということですが、我々国民からすると必ずしもすべての公務を行えなくてもお人柄として象徴天皇としておられることも意義があると考えるのですが、それを超えたお気持ちを持ち合わせておられるのでしょう。




 接客業や人と接する仕事をしていると相手の言葉の意を汲むことの難しさを感じることがあります。又本意を言葉に乗せて正確に伝えることの難しさもやはり感じます。言葉というものは誰の言葉というよりそれを受け手がどのように受けたかということにも大きな意味があります。悪党が吐いた言葉でも受け手にとって意味のある言葉であればそれは意義があります。




 もちろん、だれが説いた言葉だから意義があるというとり方もできますが、このこともやはり受け手の人格だったり性格するわけです。言葉を汲み取るということは受け手の人格や性格、環境によってその意味は変わってくることがあります。




 今回の陛下のご発言も周到な根回しがあってメディア等の国民等への解説があってのお気持ちを伝える会見でもありました。もし突然のことであれば国民も何を言わんとしているのか困惑をするでしょう。本当の意味での言葉を汲むことは自身の知識であれ、その周りの環境であれ周到な準備ができなければ人の言葉を汲むことは容易ではありません。




 頓珍漢な人々は多く存在をします。世間一般的には天然ボケとか空気を読めない等々の表現がありますが、周りの環境や準備次第ではほとんどの人がその表現を受けることにもなるのです。そのためには普段からの周到な勉強や準備が必要なのでしょう。最低限であっても・・・・。




 そのことが国単位やコミュニティ単位、そして個々人の単位の関係をうまく促してくれることでしょう。今回の天皇陛下のご発言を耳にしてそんなことを感じました。

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2016年8月11日木曜日

あるべきものが⁉

 先日参加をしていた展示会においての出来事ですが、以前より顔見知りのお客様が会場に入ってくるなり私のほうへまっしぐらに向かい傍らにあった空席に腰を下ろし、さっそく私を手招きしました。


 『今日は何か見るものがあるの?』
その老紳士は一言私に告げると、ため息をつき
『そろそろここも卒業かなとも思っていますよ』
と一言、
『どうしたんですか?』と尋ねると


 『来ていても高木さんと話をして帰るくらいのことをもう3年も続けているからね。以前であれば会場に来て今回は何かびっくりするようなものはないかとわくわくしたものだけど今は見るものもないよね』
と耳の痛い一言。


 確かに最近よく耳にする言葉ですが、百貨店の店頭においても目を見張るような宝飾品が飾られていることはなく、すでに見飽きたような品物しか並んでいないという話はよく耳にします。


 展示会のおいても同じことが言えるでしょう。みんな右へ習えといったようなつまらない商品が陳列されています。ましてやバーゲン会場よろしくてんこ盛りに並べていますから、お客さんから見ても当然高級感も何もありません。


 憧れるどころかガッカリとするような商品をガッカリするような並べ方をしています。今はお金を持っている人しか宝飾品を買いません(なんちゃっては別ですが)。それゆえに、見飽きた商品や自分の持っているものより見劣りする商品には見向きもしません。


 特に男性客が考えるようなものは何もありません。それ故に高級時計とされるものにお客さんを持っていかれるのでしょう。以前であれば18金のシガレットケースやライター等含めて男性の上の層が面白半分にでも買っちゃおうかなと思うような遊び感覚高額品がたくさんありました。


 それらを経験している人々にとっては現状の売り場はつまらないどころか、以前であれば日常を忘れるような空間であったものが、日常を感じさせるものばかりが横たわっていることは我慢が出来ないのでしょう。


 宝飾品の売り場は浮世離れをしている部分と憧れる部分と、背伸びをしたくなるような宝飾品があってのものです。


 そうです。今の売り場にはあるべきものがないのです。


 価格帯だけを言っているのではありません。お客様を驚かすような内容も必要なのです。消費者の懐を勝手に考え買いそうな当たり前のものばかり並べています。それは実は消費者が一番ほしくないものであることに気が付いてほしいのです。


 冒頭のようなお客様が来ると楽しいねと言ってくれるような宝飾品を日ごろから意識をしなくてはいけないのだろうと思っています。



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2016年8月10日水曜日

疑惑ダイヤモンド⁉

 以前からCVD(Chemical Vapor Deposition)ダイヤモンドについては述べてきましたが、もともと存在をしたHPHT型の合成ダイヤモンドはCVDとは違った形で進化をしています。


 最近ではHPHT型の合成ダイヤモンドよりCVDに注目を集めがちですが中国においては10社ほどが宝石サイズのHPHT型のダイヤモンドを月産15~30万カラットのペースで生産をされているといわれています。勿論メレーサイズがほとんどですが米国アポロダイヤモンド社のようにCVDによってもう少し大きなサイズが作成されることも時間の問題でしょう。


 もちろんその看破方法は可能ですが、小さなサイズゆえにジュエリー等にすでにセッティングされているとこれは難しいかもしれません。今後は鑑別会社がどれくらい安価でその技術を提供できるかということになります。


 実際にはG.I.A(米国宝石学会)においては1ピース10セントでそのサービスを提供しているようです。日本でも唯一鑑別のできる中央宝石研究所どれくらい安価によりこの技術を提供できるか否かが今後の日本の宝飾界に与える影響は大なのでしょう。


 CVDとHPHT型人工ダイヤモンドの市場違いは成長過程だと認識をしています。重なり一方向ン成長をしていくCVDに対して6方向からのキュービック型圧搾法とでも言いましょうか圧力をかけることにより製造がおこなわれます。もちろん双方とも種結晶は必要になります。


 いずれにしてもダイヤモンド業界をはじめ宝飾業界に変化が起きている以上、扱っている人間にはその自覚が必要になることは間違いがありません。これまで以上に取扱いに慎重になると同時にいい加減な知識で販売を行うと、知らなかったでは通らない時代になっていくのでしょう。


 なぜならタイプⅡ型ダイヤモンドが話題になったときにも一般の興味を持っている消費者のほうが一般の販売員より知識が豊富であったということがあったのです。それは今やネット社会ですから、情報はプロと同時に手に入れることができます。


 プロを名乗る人々はさらなる知識を深める努力が必要になるでしょう。しかし、恐れてばかりいてはいけません。過去にはルビーやサファイヤのようにほとんどが処理石と言われた時代は続いた後には現代のように非処理石が新たなる価値を構築するのですから天然ダイヤモンドということが売りになる時代が来るのかもしれません。当たり前のことですが・・・。


 ただ、疑惑をもたれたままの運用はあまりにも危険です。今後は小さなサイズにも天然証明が必要になる時代が来るのでしょう。
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2016年8月9日火曜日

心の持ちよう⁉

 今朝、久々に40年来のアメリカの友人からTELがあり、嬉しさと懐かしさが込み入ったような幸せな気分になりました。というのも、前回電話で話した時には体の様子もすぐれずに心も落ち込んでいるような感じがしました。


 『久しぶり、元気にしているかい?』
彼の第一声でした。
その声を聴くなり、ほっとした気持ちになり、
『こちらはもちろん元気だよ』
と応えると
『前回KAZに言われた言葉で元気が出たよ。自分が言った言葉とはいえ、それを覚えてくれていて
自分に言ってもらえるとはね。それで元気が出たよ。』


 その言葉というのは彼の口癖で
『喜怒哀楽は誰にでもある。でも外から見たらそれはわからない。自分の心の中の問題なら表面は明るく楽しくしていたほうが良い。』
という言葉で前回の時にはこの言葉を彼に告げたものでした。


 つまり、体の不調は誰もが加齢とともに抱える問題だから、自分が特別ではないと考え、明るく前向きに楽しんでいたほうが周りもハッピーだということです。


 彼は私より上の72歳、現役のディーラーを退いてから暫く経ちます。しかし、自分のためにももう一度ダイヤモンドビジネスをしようと思っているということで出身でもある南アフリカのマニュファクチュアからオファーをもらった機会に再度挑戦をしてみようと思うということでした。特に生活には困っているわけではないけれど若き頃をライフスタイルをもう一度ということなのでしょう。


 彼にとってもなじみの深い日本のマーケットで再スタートを切りたいと連絡をしてきたのです。もちろん兄弟のようにしてきた間柄ですから即返事でサポートを引き受けました。


 心の持ちようはすべてに通じるものなのでしょう。現在リオ・オリンピックが行われておりますが金とともに銅メダルが多いのも日本人のメンタルかなと思います。


 銀は唯一負けて手に入れるメダルです。銅は三位決定戦で勝ってもらうメダルです。もちろん全てにおいて勝って金メダルをもらうことがベストではありますが人間完全ではありません。


 取りこぼしがあった後にいかに立て直すかでしょう。今回銅をとった多くの選手が準決勝で負けて『ショックが大きかったけれどそこから気持ちを切り替えてメダルを狙いに行きました』というコメントが多く聞かれました。特に柔道は金が条件になっていますから、以前であればズルズルといってしまったように記憶していますが、今回の選手たちは気持ちの切り替えの万端さが銅を手に入れる結果になったのでしょう。


 心も持ちようは常にあります。完璧を狙った時には失敗の確率も多くなりますが、そうではなくベストを尽くすという心構えが完璧さを呼び寄せます。常に完ぺきではなく、聖人ではない人間であることを自覚し、逃げるのではなく余裕を持つことが成功への近道なのでということを理解することでしょう。


 一歩一歩を大事にし、いきなり100歩はできない人でも一歩を100回繰り返すことはできるのです。その先に見えてくるものがあるのでしょう。100歩は1歩の積み重ねです。
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2016年7月30日土曜日

人間の理性⁉

 相模原で起きた悲惨な事件を鑑みて感じることは、犯人の中にある一種の選民思想(ナチズム)につながる思考回路です。これは皆の中にある矛盾でもあるのですが人類の永遠のテーマでもあるのではないでしょうか?

 彼の当初の考え方は善悪は別にして、複数の障害を抱える人々の周りの負担と苦悩という物理的問題であったようですが、それがいつしか優生学ではないけれど身体と能力の格差に対する侮蔑でもあったような気がします。

 もちろん、肯定はできないのですが障がい者を抱える苦労は並大抵のことではないし、その苦悩のためにたくさんの不幸な事件があったことも否定はできません。これは非常にデリケートなことで
このことに答えを持っている人はいないでしょう。

 しかし、身体や能力に格差をつけるという行為はある意味人間の内在する悪でもあるし善でもあります。現実にオリンピックやパラリンピックは日の当たる部分で、影の部分では人種差別だったり、障碍者の差別があったりします。

 ただその結果を求めるあまり、今回の事件でもあったドーピング問題だったり遺伝子の組み換えや更なる優秀な種の研究を行ったりもしています。今現在研究がすすめられているという遺伝子ドーピングなどは何のためかということを考えると人間の中にある優劣の本能だったりするのかもしれません。

 今回の事件とこの事は一見無関係のように見えますが人間のエゴの延長に両方があるような気がします。みなさんの中にも一切の優劣に対する執着はないという人はいないのではないでしょうか。

 ただ人間には理性と教養というものがあります。弱きものを救うべく本能もやはり内在されているわけですが、欲や無知によるスイッチが今回のようなことやナチズム的なことを引き起こしているような気がします。

 経済でいうと資本主義的発想もやはり根底には同じ要素があるような気がします。お金を稼いだ人間が偉く、稼がない人間は無能というレッテルを張られる現代の行き過ぎたアメリカ的資本主義の中にも問題が多くあるのではないかと考えます。

 身体の能力を競い合うことを否定するわけではありません。しかし、日常的な身体や能力の差をつけるのではなくそれを補うことを求めるこそが人間の理性を高め、経済さえも発展させるのではないかと考えます。http://ameblo.jp/diamonrow

2016年7月29日金曜日

宝飾の時代⁉

 最近よく言われることでもあるのですが、特に我々の世代でよく話されることです。日本の宝飾の歴史はあまり長くはない中であまりにも大きな変化があったわけで、そんな中現在の40代を中心としたこの業界は彼らにとってあまりにも過酷なような気がします。

 それは彼らは宝飾品がどのような目的を持っているか。宝飾品と何ぞやということを知らずに扱わざるを得ないのです。つまり、高度成長に向かっている時代はあこがれていた宝飾品が身近になり、それを買い求め、それを身に着ける場所を自らが創造をしていったので宝飾品という憧れに対して業界側は贅をつくしたものを追求し供給を続け、宝飾品の地位は当然上へ上へと上がり、さらに消費者はそれを追い求めるという時代背景がそこにはありました。

 その後バブルがはじけると今度はその創造されていた価値観を逆手に取り、安売り合戦に入り、ある種の身を削り、タコが自分の足を食らうようにその価値を削ることにより結果を出していったのです。それが今の50代世代でしょう。

 つまりは50代世代もそれなりに結果を手にしていったのですが積み上げていくのではなく、削り取っていった結果ですから、当然そのあとには何も残ってはいません。しかし、今の業界の中心となっている40代はどうでしょうか?

 切り崩し続けていた50代世代の背中を見てきたのですから創造をするという試みは見てくることはなかったわけです。安売りをしていた宝飾品しか見てこなかったのですから、宝飾品の価値を知ること。もなくその売り方だけを見た来たのですから悲劇です。

 もちろん経済の時代背景もありますが、何よりも大きいのは販売している側が販売している商品の価値や意味を理解していないのではというところでしょう。バーゲンに憧れ、たたき売りに憧れる時代はいまだかつてあったことがありません。

 理由のある値引きから理由のない値引きになり、今では宝飾品イコール値引きをされるものという前提を作り上げてしまい、その中で苦悩する40代世代は傍から見ていてもかわいそうです。

 行先もわからず旅に出ているようで、右往左往している姿が目につきます。目的、目標がわからず仕事をしているのですから大変です。どのビジネスでもそうですが売り上げが目的、目標ではないのです。それは結果なのです。

 前回も書きましたが、準備に準備をして結果として数字にたどり着くのです。土台も何もない中で数字だけを追い求めても結果は出ません。時代背景なのでしょうけれど見ていてあまりにもむごすぎるような気がします。

 この業界に従事している多くの若者は決して良い収入があるわけではありません。良い収入のない人間がお金持ちの気持ちが理解をできるかどうか?という問題もあります。しかし、収入が伴わなくても知識を身に着けることができます。勿論本来の価値を知らなければ何の知識を身に着けるとよいかを理解ができないわけです。

 宝飾品の歴史と時代背景や宝飾品をもっと勉強することを望むしかないのかもしれません。そして、それ以前にビジネスとは何ぞやということを理解することが大事でしょう。

 『ビジネスというものは相手の足りないものを与えて成り立つものである』

 もちろん実用品ではないものは欲求を生み出す作業が必要でもあるのです。

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2016年7月28日木曜日

好きな言葉⁉

 自分の座右の銘でもないけれど、事ある毎 に『今日は昨日の明日、今日は明日の昨日』 という言葉を使います。

 これは現状は今まで行ってきたことの結果であり、将来どうなりたいかというのは現在何をやるかで決まるということを言っているわけですが、裏を返して言うと現在の結果により過去が決まるということでもあります。

 人から批判をされた過去であっても現在の結果が良ければその過去は評価をされるし、どんなに良いことをやってきても現在の結果が思わしくなければ過去は否定されるということにもなります。

 よく結果が悪くてもやってきたことは悪くはないという批評をする人がいますが、それは奢った上から目線の批評です。それでは足りなかったことは何なのかということと、結果その足りないことが結果を出せない理由なのかということになると、まだ結果を出してはいけない過程に過ぎないという間違いを起こしているわけです。

  私が『今日は昨日の明日、今日は明日の昨日』という言葉を使うのは何事にも準備が必要であるということと、何事にも土台があるということを伝えたいために使う言葉です。

 あとは自分の現在の結果を素直に受け入れるべきですよという意味です。更には自分に足りないものは何かということを意識することが大事ですということです。

 射撃の訓練もせず戦場に出ても何の役にも立ちません。身体も出来ていないのにリングに上がっても戦うことさえもできません。つまり、プロという仕事にはそれなりの土台つくりと準備が必要でもあるということです。

 『今日は昨日の明日、今日は明日の昨日』
この言葉自分なりに考えてみませんか?
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2016年7月26日火曜日

天然の宝石⁉

 前回に述べている事の続きになりますが、ドーピングは技術が進み今後は薬物ではなく遺伝子ドーピングなるものも出てくる可能性があるそうです。今回もIOCがあいまいな基準を設けロシアのオリンピック参加を認めるような裁定をしていますが、本来オリンピックに出場かどうかはIOCではなく各競技団体が決めることではありますが、実際に運営しているIOCの裁定の基準はあまりにも漠然としています。

 ドーピングの再検査も条件に入れているようですが、検査結果には長時間かかるそうで、結果が出る頃にはオリンピックが既に終わっているそうです。その後の判定でメダルを取り上げるという事になるのであれば何のためのという事になります。

 つまりは、オリンピックの商業化を考えたときに大きな市場であるロシアの参加は是是非であるということが背景にあるようです。ましてや平和の祭典としている物をボイコット合戦をやっているとその意味も失われるという事になります。その建前をかざして大手を振ってプーチンロシアは参加を表明しているのでしょう。

 宝石業界においても同じような事が言える訳で、本来宝石とは国際認識ではモース硬度7以上の天然鉱物を前提に美観、希少性をうたっている訳です。しかし、国内基準になると更にジュエリーの材料となり得るもの。更には天然の基準もベースを前提にトリートメントしたものも含むというようになっています。

 なんと曖昧な事でしょうか。つまり天然の解釈と、宝石の解釈の範囲を広げるという事になります。この流れは世界の一部においても先日のGIAの基準ではありませんが行われています。

 勿論、これは業者の都合に合わせている訳ですから本来の姿からは離れていっている訳です。つまり、商業ベースにおいて根本を流動的にしておくという勝手な理屈にも聞こえます。

 オリンピックにしても宝石にしても最低限の手を加えることは有り得るし、考えられる事です。宝石でいえば最低限の手の入れ方として研磨であり、運動であれば運動効率の良いマシンを使用するとか効率の良い食料を研究するとかは当然ありだと思います。

 結果としていえることは、例えば宝石を売ることになる段階で買う側は処理石であることを理由に安価を提示します。また、オリンピックにおいてもメダルのはく奪と記録消滅さらには不名誉だけが残ります。

 それでは何のための処理であり、ドーピングだったのかという事になります。但し、完全否定をする訳ではありません。美しいジュエリーの素材としての価値もあれば、より遠くに、より早く、より高くといったオリンピックのうたい文句ではありますが、そのスリリングさを見る事は楽しい物です。

 ただオリンピックの場合この後により美しく人間らしくという文言が付け加えられている事も事実です。これは何を意味するのかというとドーピングにより色々な傷害が後日現れています。全く男性のようになってしまった女性や筋肉だけが衰えずに体力が年老いていったみじめな選手もいました。これらの懸念をもとに付け加えられた文言だと聞いています。

 今後は宝石にしてもドーピングにしても法律ではなく基準となっていますのでこれからも拡大解釈は考えられます。本来の価値を損なっていくことになるなら全くカテゴリーを分けることも必要でしょう。

 もう一度、本来の価値という事を考えても良いのではと思います。協会も現状の救済策といった小手先ではなく本来の価値という事を考えなければ協会そのものの存在価値もなくなるのではと懸念しています。
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2016年7月25日月曜日

ドーピング!?

 前回GIA(米国宝石学会)に絡めて処理石問題を少し書きましたが、現在リオオリンピックを目前にしてロシアのドーピング疑惑問題が取りざたされています。

 勿論潜在的能力があってのドーピング効果なわけですが、人間はどこを目指そうとしているのか?とさえ感じます。究極は国や一握りの名声にかられた選手たちのいわば利権がらみなわけです。国であれば国威発揚であり、選手でいえば名声に絡む収入の問題なわけです。勿論そんな単純ではありませんが・・・。

 つまり自然な中の価値というものを一部の人間の愚かさのために本来の価値を失わせる短視眼的な思考がそこにあります。

 宝石でいえば本来の価値というものを置き換えて美しければそれでよいではないかという単純な発想に基づいている訳ですが、実際には宝石の価値というものは希少性だったり、不変質という要素がある訳です。

 単に綺麗なら人工的なものでよいのでありそんなに高価である必要性も無いのです。自然の物に自分の都合で手を入れ、更には前提の価値を利用することにより更なる利益を上げようとする行為は本末転倒であり、未来を変えてしまう可能性が多いのです。

 つまり、オリンピックにしても宝石にしても前提を変えてしまう事は本来の意義や価値を無くしてしまうのです。もしドーピングが許されるなら、皆がその薬剤の開発に終始するでしょうし、人間の限界を超えるのですからいずれむしばまれることになるでしょう。

 宝石にしても処理石を本来の宝石の位置に置こうするならば自然の希少石を宝石としてきた意義や意味もやはり失われることになるでしょう。守るべきは扱っている人間たちの利益ではなくて宝石としての意味と価値を守ることが大事なのでしょう。

 そのために業者が退出をせざるを得なくなってもそれこそが自然なのです。皆が皆扱う事を前提にしていたら宝石の価値はさらに落ちていくでしょう。

 よく着けていく場所が無いのでジュエリーが売れにくくなったという言葉を聞きますが、そうではなくて単純に価値があるものであれば身につけていく場所が生まれてくのです。バブルの頃の話をすると時代錯誤を思われるかもしれませんが、現実にその頃は着ける場所があったのではなくジュエリーが最初にありきで、ジュエリーを身につける場所を創り出していった結果なのです。

 ドーピング(処理)はいずれにしても本懐を成就するものではなく、本来の価値を危うくするものであることは間違いが無いようです。
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2016年7月22日金曜日

G.I.A(米国宝石学会)が目指すもの⁉

 GIAは1931年に非営利団体として設立をされていますが、多くの宝石業界の応援を得て設立をされているので非営利団体という名目は必ずしも正しくはないことはその歴史を見ていると容易に理解が出来ます。

 団体自体なのかその中の個人なのかは別にして今までも多くの裁判を抱えている事はよく知られています。日本にも似たような団体が多く乱立し、音字様な問題を起こし社会問題化と業界への不信を招いたことを記憶されている方も多くいると思います。

 今回は世界のGIAが何を目指しているのかというテーマなのですが、それは以前にも書いたことのあるグレーディングレポートについてです。勿論それが絶対的なものであるという前提はないのですから他人がとやかく言う事ではないのかもしれませんが、同じ業界に身を置く者として一言云いたいというきっかけがあったからです。

 HTHP(高温高圧)処理のダイヤモンド等についてですが、これは既に有色なダイヤモンドに対し
て高温高圧をかける事により、無色に近いものにする技術ですが、この事自体は多くの場合絶対的流通量が少なくなってきただダイヤモンド部分を補うためという業者側の理屈が起因している訳ですが、これを牽引しているのが世界でも有数なカッティング技術を持ちその事を売りにしているR社です。

 勿論表立っていると自身のビジネスの障害にもつながるいう前提でしょうがはるか離れた形の子会社によってこの作業は進められています。

 問題なのは天然を前提としているダイヤモンドグレーディングを、GIAはこのHTHP処理のダイヤモンドにまで行い始めたという事です。確かにベースのダイヤモンドは天然かもしれませんが、処理をされたダイヤモンドをグレーディングする事自体が疑問です。(処理の鑑別で十分)

 長い間、日本でも鑑別書は色石に、グレーディングレポートは天然のダイヤモンドが前提として定着をしておりました。しかし、最初は処理したカラーダイヤモンドにグレーディングをし、今度はHTHP処理のダイヤモンドにまでグレーディングをするという暴挙は頭をかしげます。

 つまり、グレードを改変したものをグレーディングするという事は本来の意味から離れるのではないかと考えます、ましてや最近の技術ですから100年後もそのままの状態であるかどうかは保証ができません。勿論彼らは永久に不変とは言っていますが何の保証でもありません。

 現実に色石の処理石は十数年後には変色をきたしているものは例としてあります。このままいくとクラリティーに関しても処理が一部可能になってきていますからグレーディングそのものに意味が無くなってきます。そうなれば信用を前提としている業界ですから根底から覆ります。

 ただでさえ昨今の怪しげな業者の俳諧により業界の信用が薄くなりつつある現状に更なるダメージを与えかねないのではと懸念をしております。

 本来であれば天然の宝石のみの単位でもあるカラットなども人工石に使用してしまう輩が公のネット上でもショッピングサイトで使用したりと、ただでさえモラルがく崩れている業界ですから異業種が行っていると傍観せずにモラルハザードをクリアにしそれを監視する制度があっても良いのではとさえ感じます。本来その役割を任ずるGIAや日本ではJJA(日本ジュエリー協会)が現状の体たらくですから将来が心配です。
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2016年7月21日木曜日

準備⁉

 昨日携帯電話の呼び出し音が何時になく長く鳴り響いており、丁度接客を終わったところで、おっとりと携帯を取り上げるとその先の相手はとある取引先のマネージャーからで
『社長、ご相談があるんですけど今ちょっと良いですか?』
と挨拶もそこそこに本論へ・・・。

 内容は催事が多くなりすぎて企画が追い付かないというか、内容の無い万年企画をやらざるを得ないのだがもうそれでは集客は望めないという事でした。その上で多少のお金はかかっても仕方がないので何か良い企画はないかという内容でした。

 同じような内容の相談はよくあります。先日も本部で企画をどんどん行っていても販売員が集客をしきれないというボヤキも聞きました。しかし、これには私自身も少し反論があり、企画自体が集客をするに価値のある、魅力のある内容であるかどうかという事があります。

 つまり、企画といっても内容が同じような事であると、集客どころかスタッフが頭を下げてお付き合いで来場をしてもらうような内容だとお客様に借りを作っているだけで本来の目的である売り上げには結びつきません。

 これは企画を立てる側、それを実行する側のそれぞれの言い分はあります。しかし、ここで考えなければいけないのは新規の集客が出来る内容になっているかどうかという事が一つのキーポイントになります。

 つまり、同じ規格でも新規の客であれば目新しいものになりますが、同じ顧客であれば企画が多少目新しいもになっても同じようにしか見えません。つまり企画をやる以前にそれを活かすための準備は出来ているのかという事が前述の両社の共通点です。

 収穫の仕方をどんなに工夫をしてみても、種植やその世話ができていなくては収穫の仕方が出来ていても収穫そのものが出来ないのです。

 お客様を育てることは容易ではありません。しかし、これの手を抜いたら売上どころか集客そのものが出来なくなっていきます。以前であればあらゆる部分で宝飾に対する啓蒙や憧れを造ることを各企業や団体が行ってきていました。それを使い果たした現在はせめて次のための準備が必要な時です。

 勿論現実もありますから売り上げも作っていかなければいけません。しかし、準備なければいずれその売り上げの根拠となる集客さえもなくなるのです。

 催事屋さん達は放牧民が如く作物がなくなれば次の作物のあるところに移動をすればよいでだけですが。小売店は自分の畑を守り、作物を作っていかなければいけない移動の出来ない民ですから畑の耕し、種植は欠かせない作業です。

 と以上のような内容の話をし、その観点から企画を考えることが肝要でしょうと前述のマネージャには話し、私なりのアイディアを提案させてもらいました。ただ、必要なのは奇跡の結果ではなく準備なのです。その先に想定外の売り上げも上がるのでしょう。
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