数字だけでいっても景気そのものが良いようには思えませんが、不思議に思うことがあります。
普通はオリンピックが決まるとその瞬間的に何らかの景気の動きがでますが何ら気配がありません。
なぜだろうかと考えると単純には小池知事による五輪の見直し問題や豊洲の問題のようなことが間接的に関わっているように思いますが、本来のオリンピック景気というものはその規模位では響く問題ではないと思います。
その背景にはやはり日本の政治の未熟さがあるような気がします。前回にも書きましたが多くの国民が将来に不安を抱き一時的に入ったお金であっても貯蓄に回したり、使う事の不安を持ち生活をしているという事でしょう。
仕事がら今建築や工事関係に携わり忙しくしてお金の周りが良い人も周りのお客様には多くいるのですが、多くの人が口をそろえて言うことは
『今は仕事があるから良いけど、何時なくなるかわからないからね。』
という言葉です。
つまり、将来の不安です。以前の五輪や高度成長期には将来の不安を抱えていた人々はごく少数だったと思います。それ故にお金も使い、流通も激しく動いていたのだろうと思います。以前は車で動くことは歩くのと同じでほとんどが渋滞の道ばかりで何のための車かとさえ思ったものです。
しかし現状はどうかというと瞬間的には渋滞があっても以前ほどではありません。これだけ物流が増えたにもかかわらずです。それは動いているもののバリュウが減少しているとともにシステムが成熟をしてきたとも言えるのでしょう。ただその割には景気が動いていません。
政治の弱点である政治家の未熟さが大きな要因であることは否めません。つまり点で見て線で見ない。さらには近視眼的発想と責任に関与する仕事を避けるといった本来政治家としてあるまじき人々を政治家として選んでいるという事でしょう。
何度も書いてきました、キャップ制度を導入し貸出規制を強化し、さらにはマイナンバーを導入し行政の使い勝手だけを考え庶民を窮屈にしており、その上で景気を上げようとしてもむりがあります。矛盾という言葉そのものだという事を各論ばかりではなく総論を見て考えてほしいと思います。
海外でこの状態に陥ると間違いなく金とダイヤモンドが売れ出します。なぜなら人間というものは
自らを守るためには多少のルール違反はいたし方がないと考えているものです。それは『嘘も方便』という言葉があるように善と相反する悪ではなく善があることを人間は知っているからです。
『悪法も法』という言葉がありますがこれは結論的には間違っているけれど法律としてある以上は守らなければという考え方ですが、その反対の考え方はないのでだろうか?『違法ではなるが善』という言葉にでもなるのでしょうか。
その方法として海外の人間は金やダイヤモンドを利用します。それは窮地に陥った時こそという道具として重宝されてきた歴史があるからです。いつも書きますが人間は白と黒の間の限りなく広い薄い灰色から濃い灰色の中で生きています。法律では決められないものが沢山あります。法律は単なる目安でしかありません。
ダイヤモンドはまだ完全に法律の中で縛られたものではありません。それ故にこのような時代は宝石としてのダイヤモンドが動きます。それを多くの海外の人々は『富』と考えるからです。
『富』とは日本の場合環境、財宝等の集積された状況を指すことが多いわけですが、それらが継続することも継続することも含めて海外の人々は考えます。それは島国と国境線がしょっちゅう動く民族の違いでもあるでしょう。
景気というものはこれらを総合的に動かす政治の力が必要なものだと考えています。その政治家が目先の石に躓かないように考えはしても行き先を見つけることができない状況にあるのが現状の日本でしょう。
つまり、年金システムを維持することは考えてもその根幹となる人々のメンタルを考えないという事です。景気というものは人々のメンタルであることは言うまでもないのですから・・・。
人々は安心も考えますがそれ以上に夢が持てるかどうかで不安かそうではないかを感じます。今の政治は安心も夢を与えることができません。田中角栄の『列島改造論』とは言いませんが国民が希望を持てるような政治をしてもらいたいものです。
『景気とは時の政治家に対する評価である』ことを理解してほしいのです。
http://diamond-exchange.jp
http://ameblo.jp/diamonrow
普通はオリンピックが決まるとその瞬間的に何らかの景気の動きがでますが何ら気配がありません。
なぜだろうかと考えると単純には小池知事による五輪の見直し問題や豊洲の問題のようなことが間接的に関わっているように思いますが、本来のオリンピック景気というものはその規模位では響く問題ではないと思います。
その背景にはやはり日本の政治の未熟さがあるような気がします。前回にも書きましたが多くの国民が将来に不安を抱き一時的に入ったお金であっても貯蓄に回したり、使う事の不安を持ち生活をしているという事でしょう。
仕事がら今建築や工事関係に携わり忙しくしてお金の周りが良い人も周りのお客様には多くいるのですが、多くの人が口をそろえて言うことは
『今は仕事があるから良いけど、何時なくなるかわからないからね。』
という言葉です。
つまり、将来の不安です。以前の五輪や高度成長期には将来の不安を抱えていた人々はごく少数だったと思います。それ故にお金も使い、流通も激しく動いていたのだろうと思います。以前は車で動くことは歩くのと同じでほとんどが渋滞の道ばかりで何のための車かとさえ思ったものです。
しかし現状はどうかというと瞬間的には渋滞があっても以前ほどではありません。これだけ物流が増えたにもかかわらずです。それは動いているもののバリュウが減少しているとともにシステムが成熟をしてきたとも言えるのでしょう。ただその割には景気が動いていません。
政治の弱点である政治家の未熟さが大きな要因であることは否めません。つまり点で見て線で見ない。さらには近視眼的発想と責任に関与する仕事を避けるといった本来政治家としてあるまじき人々を政治家として選んでいるという事でしょう。
何度も書いてきました、キャップ制度を導入し貸出規制を強化し、さらにはマイナンバーを導入し行政の使い勝手だけを考え庶民を窮屈にしており、その上で景気を上げようとしてもむりがあります。矛盾という言葉そのものだという事を各論ばかりではなく総論を見て考えてほしいと思います。
海外でこの状態に陥ると間違いなく金とダイヤモンドが売れ出します。なぜなら人間というものは
自らを守るためには多少のルール違反はいたし方がないと考えているものです。それは『嘘も方便』という言葉があるように善と相反する悪ではなく善があることを人間は知っているからです。
『悪法も法』という言葉がありますがこれは結論的には間違っているけれど法律としてある以上は守らなければという考え方ですが、その反対の考え方はないのでだろうか?『違法ではなるが善』という言葉にでもなるのでしょうか。
その方法として海外の人間は金やダイヤモンドを利用します。それは窮地に陥った時こそという道具として重宝されてきた歴史があるからです。いつも書きますが人間は白と黒の間の限りなく広い薄い灰色から濃い灰色の中で生きています。法律では決められないものが沢山あります。法律は単なる目安でしかありません。
ダイヤモンドはまだ完全に法律の中で縛られたものではありません。それ故にこのような時代は宝石としてのダイヤモンドが動きます。それを多くの海外の人々は『富』と考えるからです。
『富』とは日本の場合環境、財宝等の集積された状況を指すことが多いわけですが、それらが継続することも継続することも含めて海外の人々は考えます。それは島国と国境線がしょっちゅう動く民族の違いでもあるでしょう。
景気というものはこれらを総合的に動かす政治の力が必要なものだと考えています。その政治家が目先の石に躓かないように考えはしても行き先を見つけることができない状況にあるのが現状の日本でしょう。
つまり、年金システムを維持することは考えてもその根幹となる人々のメンタルを考えないという事です。景気というものは人々のメンタルであることは言うまでもないのですから・・・。
人々は安心も考えますがそれ以上に夢が持てるかどうかで不安かそうではないかを感じます。今の政治は安心も夢を与えることができません。田中角栄の『列島改造論』とは言いませんが国民が希望を持てるような政治をしてもらいたいものです。
『景気とは時の政治家に対する評価である』ことを理解してほしいのです。
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