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2016年9月12日月曜日

September,11⁉

 本日米国は9月11日、ほとんどの人が思い出したくはない日であろうと思います。
小生はその日次の週の米国出張の準備を終え、行きつけのすし屋に寄ったところでした。そこでお店の主の住居にもなっている居間から大きな声が聞こえてきました。
『ちょっと来てみてください。アメリカが大変なことになっている‼』

 慌ててその場に行ってみるとTVの画面から流れてくる映像はハリウッド映画のシーンかとも思えるような場面でした。
 『これは何だ?』
と思わず声に出した私に主は
『テロだそうです。』

 これが私の9.11の始まりでした。

 1週間後私はその現場の数百メートルほど離れた場所におり、今でもその時の鼻をつく臭いを忘れることはありません。

 現場から数百メートル、私が最初に目にしたのは小さな公園で走り回っている少女でした。傍らにはしゃがみ込み事件のあったほうを虚ろに見つめている女性の姿がありました。怪訝に思った私は声をかけてみると彼女は少女の母親で私に発した一言は
『私の夫を待っているの。必ず帰ってくると思って娘と一緒にここで待っているの。』
彼女の夫もやはりあの貿易センタービルで働いていたのです。

 それから数百メートル離れた場所には消防署があり、多くの犠牲になった消防士の遺影が飾られ『君たちは英雄だ‼』という言葉と同時に『帰りを待つ‼』という言葉が飾られていたことを思い出します。また、数キロ離れたユニオン駅においても数百人の写真が探し人の所に貼られ、遺族は犠牲者の生還をいまだに待っているのだなと思い、胸が熱くなるのを覚えています。

 印象的だったことはまだあり、現場の数百メートル離れたところではアフリカ系の人間がこの事件のTシャツを1枚10ドルで販売をしており、さらにはそこから2ブロック離れたところでは中国系の人々が同じTシャツを2枚10ドルでやはり道端で販売をしており、さらにはタイムズスクエアの土産店では3枚10ドルで販売をしていたことです。

 その時に今後の世界を見たような気がしましたし、慈悲というものを持ち合わせてはいないのかとちょっと怒りにも似た気持ちを持ちました。しかし、私自身もこのことを胸に残そうと購入はしましたが未だに手を通すことはありません。決して思い出ではないので・・・・。

 その後取引先に寄った際には友人がその瞬間を目の当たりにしたことを話してくれたのですが、彼の目には涙がにじんでいたことが印象的だったのと、その後彼はそのことがトラウマになりその事務所を去ることとなりました。
http://diamond-exchange.jp
http://ameblo.jp/diamonrow
 

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